42 :
野狗:
1
「ティア?」
フェイトさんが髪を拭きながら、シャワールームから出てきた。
私は勝手知ったる棚から二人分の皿を出すと、パスタを手早く盛りつける。
「ちょうどいいですよ。ティアナ特製パスタと……」
オーブンからはいい匂い。
「ティアナ特製ピザのできあがりです」
「うん。いい匂いだね。それじゃあ、とっておきを開けちゃおうか」
冷蔵庫の横、小型のワインセラーからフェイトさんが取り出したのは……
「それって……」
「うん。執務官になったお祝いにお兄ちゃんとお母さんから贈られたワイン。一本だけ残しておいたんだ」
「そんなの、いいんですか?」
「この日のために残しておいたんだよ?」
「え?」
「いつか、私が新しい執務官を育てる日が来るかも知れないと思って。そうしたら、その子のためにこのワインを開けようって」
「フェイトさん……」
「でも、良かった。それがティアで」
私はそれ以上何も言えず、パスタの盛りつけ作業に戻った。
フェイトさんはいつもそうだ。こうやって、私に不意打ちする。そのたびに私は、初めての時のようにどぎまぎしてしまうのだ。
「ん。パスタ良くできてる。ピザも……」
フェイトさんは何かを考える顔になる。
あ、バレたかな?
「ティア、これって……?」
「やっぱり、わかります?」
「懐かしいね。これ、トランザさんのピザだよ」
当時、六課の食堂を仕切っていた一風変わった料理人がいた。その、トランザという名の料理人から直接レシピを伝授されたのが、このピザというわけだ。
「あはは。実は、特製は特製でも、六課特製ピザでした」
43 :
野狗:2009/02/24(火) 00:16:10 ID:az5aYrSL
2
さくり、とピザを食べたフェイトさんの目はどこか遠くを見ている。
「本当、懐かしいね」
「はい」
フェイトさんの目は、私のほうにむけられている。だけど、フェイトさんは私を見ている訳じゃない。それは今に限ったことじゃなくて。
きっと、私が気付くもっともっと前から。
私がフェイトさんを見ていないことを心苦しく思い始めたときよりも、もっと前から。
きっと、初めて身体を重ねた時から。
違う。
きっと、初めて出会った時から。
いや、私と出会う、遙か前から。
フェイトさんが見ているのはいつだって一人しかいない。
……なのはさん
ワインのボトルが半分ほど空になったのを見計らい、私はシャワーを浴びる。
今は、私だけ。
フェイトさんが見ているのがなのはさんだけだとしても、今ここにいるのは私だけ。彼女とベッドを共にしようとしているのは私だけ。
それを切ないと思う時期なんか、とっくに過ぎている。今はただ、暖かみを感じるために身体を重ねることが、私たちの暗黙の了解。
だから、自分を見て欲しいなんて言わない。
私もフェイトさんを見ているわけではないと、知っているから。とうに、気付いてしまっているから。
「ティア、元気だしなよ」
私は咄嗟に振り向いた。
あの子の元気な声が聞こえたような気がして。いつものように、周りにお構いなく声をかけてくる子の声が。
それでいて、私の気持ちを一番にわかってくれる子。だけど、肝心なことには気付いてくれない子。
こんな所にいるわけがないのに。あの子にはあの子の世界があって、あの子の生活があるのに。
いつでも帰ることのできる場所があって。たくさんの姉妹に囲まれて。優しいお父さんがいて。
それは一面しか見ていない、ひどくわがままな憧憬だと知ってはいるけれど。それでも、私はあの子を羨むことしかできない。
帰るところのない私は、ただあの子を羨むだけ。
44 :
野狗:2009/02/24(火) 00:16:42 ID:az5aYrSL
3
振り向いたままの私は、シャワー室の扉が開いたことに気付いた。
そして、フェイトさんの足下がほんの少しふらついていることにも。
「ティア、待っててくれたんだ」
「はい」
空耳に振り向いたら貴方がいた。そんなムードのない暴露など、何の意味もない。だから私は、彼女を待っていたかのように振る舞う。
「フェイトさん」
両手を広げて私は彼女を待つ。
ガウンを脱ぎ捨てて、乾いたばかりの身体が再び濡れることも厭わずにシャワーの飛沫の中に入ってくる彼女を。
口づけと愛撫。そして囁き。
「ティア。ティアは一緒にいてくれるよね」
「勿論です」
私は唇に応え、愛撫に震え、そして囁きを返す。
「私はフェイトさんの傍にいますよ。これまでも、これからも」
なのはさんとは違うんだ、とは言わない。私にだって、あの人には恩がある。
だけど……
わかっている。
私も同じだ。
私がなのはさんでないように。フェイトさんだってスバルとは違う。
私の身体を這うのはフェイトさんの唇。だけど、フェイトさんは私を見ていない。
彼女の唇に含まれるのは私の乳房。だけど、私はフェイトさんを見ていない。
互いに互いを見ずに、それでも貪り合いながら別の人間を見ている。それが、私たちの関係。
傷を舐めあうように身体を舐めて、癒されると信じて傷つけて。
いずれ壊れる関係だと承知していて。それでも、演じ続ける。
道化芝居を続ける私たちは互いに道化であり女優でもあり、芝居に飽き始めたわがままな観客でもあるのだから。