「この問題は、相加平均・相乗平均の不等式をあてはめて解くと簡単なんだ。センター試験に出てくる、一見、分数の
関数らしい最大最小の問題は、大体このやりかたでいける。下手に微分したら、計算に手取って大変なことになるな…」
竜児はノートの上にすらすらと数式を書き上げ、同じ机に向かい合わせに座っている亜美を見た。
「そっか、下手に微積分を習っちゃったから、ついついそれに頼っちゃうのは悪い癖よね。何でも正攻法がいいってわけ
じゃないんだし…」
「そうだよな…。特にセンター試験は、計算過程を答案に示す必要がないから、とにかく正解を早く出すってのが第一
だからな」
亜美は、「そうよね…」と呟き、口元をほころばせて淡い笑みを形作った。竜児は、「笑ってねぇで、次の問題いくぞ」と、
亜美をたしなめるが、内心はまんざらでもない。
亜美は、視線を周囲に泳がせた。すぐ隣では、麻耶と奈々子がまるおこと北村と一緒になって英単語帳を開いている。
能登もあまり気乗りのしない風情の春田をせっつかして、英作文の練習をしているのか、「春田、arlじゃなくて、allだろ!」
という声が聞こえてくる。
時は二月、受験シーズン真っ盛りの緊張感が三年生から伝染したのか、2−Cの面々も、昼休み時間には昼食もそこ
そこに、ほぼ全員が、受験を意識した自学自習に専念するようになっていた。ある者は一人で、ある者は、竜児や亜美
のように複数人で、である。
だが、例外は、どこにでも存在する。
「おい、エロ犬にばかちー、何をまじめくさって参考書広げてんだぁ! そんなことより、喉が渇いたから、ジュース買っ
てこい! オレンジだからな、間違えるなよ」
どう見ても縮尺が異常な、奇形児めいた手乗りタイガーこと逢坂大河が、これまた奇形ではないかと疑われるほど
に顔面に比して異様に大きな双眸を、「くわっ!」とばかりに見開き、そこに悪意の炎をたぎらせて、数学の問題に取り
組んでいる竜児と亜美を、ねめつけている。
しかし、竜児と亜美は、二人そろって憂鬱そうにため息をつき、無遠慮に居丈高なちび虎に侮蔑と哀れみを込めた
冷ややかな視線をくれてやる。
「大河、見て分からないのか? 俺と川嶋は、数学の勉強で忙しいんだ。ジュースが欲しけりゃ、自分で買ってこい。
何もかも誰かに依存するんじゃなくて、少しは自立するってことを意識した方がいいぞ」
想定外ともいえる竜児のコメントに、大河の表情が硬直する。
「そうよ、タイガー、もう、受験本番まで一年ないの。そんなときに、あんたみたいに何もせずに、のらくらしているってのは、
はっきり言って異常だわ。あんたが受験しようとしまいと勝手だけど、真面目に受験勉強に取り組んでいる、あたしや高須
くんを巻き込むのは、もういい加減にしてよね」
心底迷惑だ、とばかりに、その美貌を歪めて亜美も容赦なく言い放つ。
つり目で、素の状態でも他者に対する敵意がみなぎっている大河の表情、その表情の醜悪さが、竜児と亜美に対する
激怒で増幅された。
「お前ら、駄犬どもが主人に対して生意気な!! つべこべ言わずに、さっさとジュースを買いに行けぇ〜!!」
だが、竜児も亜美もひるまない。それどころか、喚き立てているちび虎を、不快感を顕わにした険悪な表情で、一瞥する。
「いい加減にしろ! 誰が駄犬だ。お前が勝手にそう呼んでいるだけじゃないか。今までは、お前の生活ぶりがあまりに
悲惨だったから手助けしたし、お前の俺や川嶋やクラスのみんなに対する失礼な言動も大目に見てやって来たんだぞ。
それを理解できずに、つけあがるんじゃない!!」
「そうよ、あたしも高須くんも、今まであんたを甘やかし過ぎたようね。でも、これからは、そうはいかない。
あんたみたいなのにかまってやれる余裕はないの。分かったら、あたしと高須くんの前から消えてちょうだい。
邪魔なのよ、あんたは、もう、いろんな意味で」
その後を追うように、「あはは、手乗りタイガー、言われてやんの」「ざまー」「いい加減、空気読め」「タイガーって、見
た目だけでなく、中身もガキなのね」といった囁き声が、侮蔑を含んだ忍び笑いとともに、教室に充満していく。
「な、何なんだ、畜生!!」
大河は、怒りと悪意に満ちた双眸を、まずは竜児と亜美に向けたものの、その異常に大きな双眸をさらに大きく見開
いて、その囁き声の主を求めるかのように、視線を右に左に彷徨わせた。
そこには、目を細め、半開きの口を歪めたような冷笑が広がっていた。
矮小で、愚かさも極まれりのちび虎を、容赦なくねめつける敵意に満ちた瞳があった。
「そうよね〜、亜美ちゃんの言うとおり。ちょっとかわいそうな、特におつむがナニな奴だからって、甘やかし過ぎたのよね、
私たち」…
麻耶が茶髪をかき上げながら物憂げに言う。
「“手乗りタイガー”って適当におだてておけば、もめ事が最小限になるかもしれないっていう、私たちの空気を全然
読んでないからね、こいつは…」
奈々子も容赦がない。
「逢坂は、結局、自分が何様なのか分かっていないようだな。俺にとっては、会長とお前の乱闘が記憶に新しいが、
本来なら、逢坂は、傷害罪で逮捕されているべきだったし、会長の親御さんから賠償を請求されるような状況だったんだぞ。
それをお前は反省どころか理解すらしていない。本当に見下げ果てた奴とは、お前のことだ」
北村祐作が眼鏡のレンズ越しに大河に怒りの視線を向けている。
「何、なんなの? 茶髪や淫乱ぼくろだけじゃなく、北村くんまで…」
怒りにのみ彩られていた大河の顔色に当惑と動揺が広がっていく。そこへ追い打ちをかけるように、ざわめきに紛れて
他のクラスメートの罵声や冷笑が大河の耳朶を打つ。
「タイガーって、気だけが異常に強い単なるちびじゃん。でも、怒らせると面倒なことになるから、みんなが生暖かく見守っていただけなのにね。それを分かってないとは、ほんと痛い奴…」
と、能登。
「ね、ね、タイガーってさぁ、ガチで頭悪いよね〜。俺もあんまり人のことは言えないけど、こいつは俺の上手をいくな。
だって、うまくいかないことや、気に入らないことがあると、それが人であろうと物であろうと、見境なく暴力だろ?
幼稚園児だって、もうちょっとまともな対応するよな」
これは春田。
その他にも、「ちびウゼー」「春に、こいつと同じクラスだって分かった瞬間から鬱だったんだよな」「なんでこんな
バカが、この高校にいるんだろ」「春田じゃなくて、こいつが裏口入学なんじゃね?」「高校入試を担当した教師を、木刀
突きつけて脅迫したんだよ、きっと」「とにかく、俺たちは大学入試に向けて勉強したいんだよな。こんなバカちびにつき
合っている暇はない」 という声が不協和音となって教室にこだまする。
「何だぁ! てめぇらぁ!! どいつもこいつも身の程知らずで生意気な〜〜〜!」
虎の咆哮が、教室のざわめきを一瞬だが打ち破る。しかし、その咆哮は、怒りよりも焦燥、焦燥よりも不安に裏打ち
され、引き延ばされた語尾は、わななくように震えていた。
そのちび虎に、なおも侮蔑の言葉と冷笑が、情け容赦なく浴びせられる。
「こいつがいるってだけで、このクラスが他のクラスの奴らから白い目で見られるんだよな」「やることなすこと卑怯だし、
汚いよね。亜美ちゃんとの水泳勝負だって、暴力で亜美ちゃんの水着をひん剥いて…。そのくせ負けたのに亜美ちゃん
の別荘へ行くっていう無神経さが、嫌悪を通り越して、むしろ天晴れだわ」「高須くんに三度の飯まで含めて世話にな
りっぱなしだったのに、感謝なんかしない。それどころか、今は、親の金で清掃やケータリングのサービスを受けている
から、高須くんは必要ないんだとさ。どこまで身勝手なんだか…」「もう、こんな奴、いらないよ。この学校から出ていくか、
いっそ死んでくれればいいのに」
「あ、あああ、あ…」
クラスメートの全員から向けられている、混じりっけなしの侮蔑と嫌悪と敵意に晒され、さしもの大河も動揺を隠しき
れない。不自然に大きな双眸からは、涙が一筋、二筋、流れ落ちてくる。
「どいつも、こいつも、何なんだぁ!! お前らみんなバカばっかりだ!! 私の気持ちなんか、私の苦しみなんか、
お前らみたいなバカに分かるはずがないじゃないかーーーー!!」
その絶叫もむなしく、敵意に満ちたざわめきは止まらない。むしろ、この騒ぎで自学自習にあてがっていた貴重な昼
休み時間が無為にされつつあることへの苛立ちから、そのざわめきは、いっそうの激しさを増していた。
ついには、「死〜ね!」「死〜ね!」「死〜ね!」の大合唱。その合唱団には、北村の姿もあって…。
「うわぁ〜〜あぁん! 何なのよ、これは!!」
大河は、涙で頬を濡らしたまま、救いを求めて視線を再び彷徨わせる。誰か、私を傷付けない者は、誰か、私を庇護
してくれる者はいないか、と…。
「みのり〜〜ん」
合唱団には与せずに、傍観者的にクラスの騒動をぼんやりと眺めている実乃梨の姿を大河は認める。大河は、その
実乃梨に駆け寄って、幼子のように抱きついた。
「みのりん! エロ犬も、ばかちーも、茶髪も、淫乱ぼくろも、北村くんも、カワウソも、アホの春田も、その他の連中も、
ひどいんだぁ〜!! みんなが、私のことを死ね、死ねって言うんだ。そんなひどいことを言わないのは、みのりんだけ…。
私を傷付けないのは、やっぱり親友である、みのりんだけなんだぁ〜〜」
しかし、実乃梨は、抱きついてきた大河の腕を振り払い、立ち上がった。
「みのりん、どうして?!」
実乃梨は遠い目をして、
「心…、心が痛いぜ…。大河、あんたは、心が痛まねぇのかぃ? 私ゃ、あんたの行状を見ていると、
いたたまれなくなってくるんだよ。ああ〜〜」
そう言いながら、顔面を左掌で覆い、うつむいたかと思うと、激しくのけぞるように頭を振った。
「みのりん! 何言ってるの? その、いつにも増して大げさなアクションは何なの?
分かんない、分かんない、分かんないよぅ!!」
二度、三度、激しく頭を振った後、実乃梨は、大河に向き合った。
「大河、残念だけど、あんたとはジャイアントさらば! もう、あんたとはつき合っていられない。
後は、大河、あんたが自身の脚で立ち、自身の力で、この浮き世を生き抜いてくれぇい〜〜」
そうして、瞑目して大河に向かって敬礼し、「去りゆく、かつての友に捧ぐ…」と、呟いた。
「みのりん、どうして? どうして、ジャイアントさらばなの?! なんで、私を拒絶するの?!!」
既に最大限度に見開かれていた大河の眼、その瞳孔が、実乃梨からの思いもしなかった言葉によって、死者のそれ
と見まごうばかりに拡大される。
しかし、実乃梨は大河の動揺を楽しむかのように、口元には笑みさえ浮かべ、悪意がありげな流し目で、
手乗りタイガーを一瞥する。
「ねぇ、みのりんは、推薦入学だから受験勉強はしないはずでしょ? だったら、今までみたいに、私と一緒に遊んで
いればいいはずじゃない?! なのに、なんで急に今になって、こんな…。ひどすぎるじゃない!!」
実乃梨は、大河の発した『ひどすぎるじゃない?』と言う言葉を反芻するかのように呟いた後、「何様だ、おめぇは…」
と、小声ながらも吐き捨て、目元を怒りで引き締めて、動揺し、狼狽するちび虎を、さも鬱陶しそうににらみつけた。
「おう、大河、おめぇは、こっちの立場ってもんを全然分かってねぇ!
たしかに、私は推薦で国立の体育学群に行くつもりよぅ! だから、基本的に受験勉強はしなくていいのさぁ。だが…」
そうして、ぐるりと頭を巡らせて、歌舞伎役者ばりの見栄を切り、ドングリ眼で大河をねめつける。
「推薦は内申書がものを言うんでぇい! その内申書ってのは、本人の素行や交友関係も影響するってぇのは、
分かってるかい? だとしたら、この学校一の問題児であるあんたと友達だってんじゃ、
私の内申書の評価がまずいってことさね…」
「み、みのりん、本気で言ってるの? いつものやさしいみのりんはどうしたの?」
実乃梨は、「ふっ…」と、さも呆れたかのようにため息をつき、目を眇めて大河を冷笑する。
「今までの大河との付き合いは、打算的なものだってことさね…。まぁ、あんたの実家は相当な金持ちだから、
つき合っておいて損はないと考えたわけなんだよ、この櫛枝実乃梨様は…」
薄ら笑いを浮かべたまま、さらに実乃梨は大河への悪意に満ちた言葉を紡ぐ。
「しかし、基本的に大河はバカでケチだったからね。高須くんに三食世話になっていながら、月に一万円しか渡して
いなかったっていうのが、その典型。もう、これ以上、つき合っても、私の方にメリットは何もないことがはっきりしたから、
だからジャイアントさらば!!」
そうして、「しっ、しっ…」と、野良猫を追い払うような感じで、さも面倒臭そうに右手を振った。
「みのりん…、みのりんまで、私を裏切るの?」
大河は立ち続けることができず、膝を折って両手を床に突いて、うつむいた。輝きが失せた双眸からは涙がとめどなく
流れ落ち、リノリウムの床に滴っていく。
それに追い打ちをかけるように、「月一万円って、何? サイテー」「そのくせ、超高級マンションに一人住まいで、月
に100万円近い生活費もらっているらしいぞ」「こんなバカに金だけ与えて放し飼いにしている親も親よね」「その金も
何に無駄遣いしているんだか。櫛枝みたいにバイトでもして、金のありがたみを思い知るべきだな」と、いう遠慮のない
非難が浴びせられる。
「畜生…」
うずくまって嗚咽を漏らす大河から、呪詛のこもった呟きが発せられる。
「畜生…、畜生! 畜生ぉおおおおお!!」
その呪詛の言葉は次第に大きくなり、床に這いつくばっていた大河が、幽鬼のように、ゆらり、と立ち上がる。
大河は、まずは実乃梨、そして竜児と亜美、それに北村とその他のクラスメートを睥睨し、
「お、お前ら、ぜ、全員、モ、モルグへ捨ててやるわぁああああ!!」
涙で濡れたその瞳に憎悪の炎をたぎらせて、声を限りに絶叫した。
「笑わせるんじゃねぇ!」
席に座って、腕を組んだ実乃梨が、せせら笑いながら、眇で大河をちらりとだけ見た。
「何もかも、おんぶにだっこの、あんたみたいなちび助に何ができるってぇの! やれるもんなら、やってみやがれ!!」
歯牙にもかけない実乃梨の態度に大河の憤怒は極大値。ぎょろりとした眼の白目には、幾筋もの赤い血管が顕わ
となっている。
「こうなったら、みのりん! 裏切り者のあんたから血祭りに上げてやる。あんたこそ、この世からジャイアントさらば、
させてやるわぁああ!!」
捨て台詞とともに、大河は廊下に走り出た。しかし、廊下に出た途端、リノリウムの合わせ目にできた微かな段差で
けっつまづき、べしゃっ! と、うつぶせに倒れ込んだ。
その無様な姿に、教室からは、情け容赦のない冷笑が浴びせられる。
「畜生! 畜生! 畜生!」
膝を押さえて立ち上がり、怨嗟の言葉を吐きながら、大河は一路ロッカーを目指す。不運にも廊下に居合わせた他
のクラスの生徒たちは、いつも以上に殺気立っている手乗りタイガーを、触らぬ神に祟りなし、とばかりに、左右に散っ
てやり過ごす。
「あれ、やばくね?」「なぁに、ほっとけ。いつものことさ」
手乗りタイガーが粗暴なのは今に始まったことではない。
尋常ではなさそうな雰囲気を危惧する声も、その他の声で打ち消された。それが惨劇の序章であるとも知らずに…。
乱暴に開け放たれたロッカーのドア。そのロッカーの中には、柄に滑り止めの布テープが巻かれたある物体。
その柄を握って、ひゅん! とばかりに軽く素振りをくれてみる。
過去においては、竜児を撲殺するために振り回し、さらには狩野すみれに、その鼻っ柱がへし折れる寸前までの
深手を負わせた、あの木刀だった。
「うりゃ、りゃ、りゃ、りゃぁああああ!!!」
木刀携え、わけの分からない叫びともに、大河は2−Cの扉の前に駆け戻り、その扉を渾身の力を込めてキックする。
ひしゃげた扉が戸口から外れ、轟音とともに教室内に倒れ込んだ。
「な、何だ?」
自学自習に専念していた2−Cのクラスメートたちは、そこに木刀を振りかざした手乗りタイガーを見た。
その虎は、戸口から、まるで義経の八艘飛びもかくやの如く、机の上を跳躍し、櫛枝実乃梨に襲いかかる。
一方の実乃梨は、油断からか、食後に催した眠気からか、反応が一歩遅れ、振り返ったときには、怒りの形相を顕わ
にしたちび虎が間近に迫っていた。
「死ねぇええええ!!!」
机の上から跳躍した勢いも加味された痛打が実乃梨の頭頂部に炸裂する。
ごきり、という何かが砕けるような後味の悪い音が辺りに響き、実乃梨は一声も発せずに、椅子から転げ落ちるよう
に昏倒した。
「櫛枝!」「実乃梨ちゃん!」
2−Cのクラスメートの絶叫が教室を越えて校内に響き渡った。
そんな騒ぎには何ら興味を示さずに、昏倒している実乃梨にとどめを刺すべく、大河は再び木刀を振りかぶる。
「やめるんだ! 大河!!」
木刀を振り上げた、その隙に、竜児は大河を羽交い締めにする。
「離せ、このエロ犬!! こうなりゃ、まずはお前から始末してやらぁ!!」
言うが早いか、背後の竜児にエルボースマッシュ。竜児は、「うっ…」と、呻いてみぞおちを右手で押さえてひざまずく。
そこへ、大河の木刀が一閃。その刀身は、竜児の頭部をかすめて、左大腿部を直撃した。
生木が割れるような鈍い音が聞こえてくる。
「うわぁああ!!」
「ち、脳天をかち割ってやろうと思ったのに…。手元が狂ったか」
大河は、大腿部を押さえて、のたうち回っている竜児を尻目に、木刀を一振り。
その、ひゅん! という空を切る無慈悲な音に、2−Cの面々が、「ひゃっ!」と、首をすくめる。
「次は、どいつだ?」
白目に血管が浮き出るほどに血走った眼で、大河はクラスの面々を凝視する。北村をはじめとする2−Cの面々は、
凶器を振り回す大河を、ただ遠巻きにしている。下手に動けば、竜児の二の舞だった。
独身か誰か、とにかく教員を呼ばねばならないのだが、身動きすらままならないこの状況では、それも難しい。
ひそひそと、「櫛枝、やばくね?」「ぴくりともしないぜ」という囁きが交わされているだけだった。
「高須くん、しっかりして…。タイガーは、今、祐作たちの方に注意がいってるから、今のうちにこっちへ…」
左大腿部を押さえてうずくまっていた竜児に、亜美が忍び寄っていた。そのまま竜児の左肩を支え、いざるように、
その場から、教室の隅へ隠れようとする。だが、
「ばかちー、舐めた真似しやがって…。よほど死にたいようだな!」
気配を察知した大河に木刀で眉間を小突かれ、亜美は、「うっ!」と呻いて、竜児とともくずおれた。
大河は、その亜美の頭部に、スナップを利かせた短いスイングで、木刀の雨を見舞う。
「痛い、痛い、やめてぇ!!」
「けっ! これでもだいぶ手加減してやってるんだ。ばかちーは、みのりんみたいに一発で仕留めちゃつまらないからな。
これからじっくりと、エロ犬ともどもなぶり殺しにしてくれるわ!」
大河が、亜美の左腕に狙いを定めて、木刀を振り下ろすべく構え直したとき、
「これは、何の騒ぎなの?!」
騒ぎを聞きつけた独身と副担任の若い男性教諭がやって来た。大河は、「ちっ!」と、舌打ちして、亜美への構えを解く。
「あなたは、もう一方の出口へ回って!」「はい!」
大河が蹴破った扉とは別の側から、副担任が大河に近寄ってくる。しかし、以前にも、大河からエルボースマッシュを
受けて痛い目に遭っているにもかかわらず、副担任には明らかな隙があった。
「うげっ!」
大河の痛烈な突きを喰らい、カエルが潰れるような呻き声とともに、副担任は腹部を押さえてうずくまった。
「畜生、先公どもが来やがった!」
大河は、目の前でうずくまっている副担任の顎を、「邪魔だぁ、おらぁ!」と蹴り上げて、その副担任を昏倒させ、
代わりに、亜美と、左の大腿部に木刀を受けた竜児を無理矢理に立たせようとする。
「うわぁああ!」
あまりの激痛に、竜児は、思わず顔をしかめた。
「無理よ、タイガー、高須くんは脚の骨が折れてるかも知れないのに、これ以上ひどいことをしないで!!」
しかし、亜美の懇願が聞き入れられるはずはなく、虎は「ふふん!」と鼻息一つを大きくついて、その懇願を却下した。
「つべこべ抜かさず、私について来い。お前ら二人は人質だ。イヤだと言っても来てもらうからな。どうしてもイヤならば、
こいつの目玉にこれをぶっこんでやらぁ!」
そう叫ぶと、竜児の左目に、ささくれ立った木刀の切っ先を突きつけた。
「逢坂さん、これ以上、暴れないで!」
悲痛に叫ぶ独身を、「ちっ!」という舌打ちとともに睨み付けて黙らせると、竜児と亜美を木刀でこづき回し、廊下へ
向かって歩かせた。
左脚に激痛が襲う竜児は亜美に支えられながら、やっとのことで立ち上がり、亜美ともに廊下を行く。
廊下から2−Cの教室には、「邪魔だぁ! おらぁ!!」という、廊下に出ていた生徒に向けた大河の罵声が聞こえてくる。
「先生、櫛枝さんが息してません!!」
大河が去った教室では、大変な騒ぎになっていた。
脳天を割られた実乃梨は、うつろに目を開いたまま微動だにせず、副担任の男性教諭も腹部を押さえたまま昏倒し
ていた。
「先生は救急車を呼んできます。他の先生方がいらっしゃると思うので、その先生方に何が起きたのか事情を説明して。
それと、櫛枝さんが救急車で運ばれたら、警察の現場検証があるはずなので、警察官の指示に従うように!」
それだけ言うと、教室の外で携帯電話を取り出し、110番通報した。本来なら、校長や教頭の指示を待つべきなのだが、
実乃梨の容態が危ない。それに、上へのお伺いを経由していたのでは、又、今までのように事態がうやむやにされてしまう。
この前の狩野すみれとの乱闘事件のように。
独身は、電話に出た署員に事態を手短に伝え、頭部に重傷を負っている生徒他、複数の負傷者が居ることから、
救急車の手配も要請すると、電話を切って、大河たちの足取りを追った。
「さっさと歩かないか! このグズ犬!」
口汚い罵声を浴びながら、竜児は階段を一歩一歩、懸命に上っていた。一歩前に踏み出す毎に、骨が折れている
らしい左大腿部に激痛が走り、竜児の額に脂汗が流れる。
亜美は、できるだけ竜児に負担がかからないように、その左肩を支えているのだが、平らな廊下ならともかく、重力
に反して自発的に脚を持ち上げなければならない階段では、それもままならない。
「大丈夫? 高須くん…」
痛みに耐えている竜児を、亜美は気遣わしげに見る。だが、その亜美の様子もひどいものだ。軽くとはいえ、大河に
木刀で乱打された面相は紫色を帯びた痣だらけで、本来の美貌は見る影もない。
最上階になってもなおも階段を上らされ、屋上へと通じる扉の前へ出た。
「扉を開けて、屋上へ行け!」
背後を木刀で小突かれて、亜美は、竜児を支えて居る側とは反対の左手で取っ手を掴み、扉を押し開けた。
屋上の上には、鉛色の空が広がり、時折、ちらりほらりと小雪が舞っている。身を切る寒さに亜美は思わず身震いした
。コートもマフラーもなしに、こんなところに長時間居たら、風邪を引く程度では済まないかも知れない。
「そのまま壁を背にして大人しく座っていろ!」
竜児と亜美は、屋内からの階段を覆っている構造物の壁を背にして寄り添うように座った。
冷たいコンクリートに接している背中や臀部から、制服や下着を通して体温が容赦なく奪われていく。
「高須くん、寒い…」
竜児は、凍える亜美を少しでも寒気から守ろうと、上着のボタンを外し、その上着を亜美と二人で羽織った。
竜児自身も悪寒がする。これは骨が折れているせいなのかも知れない。
一方で、怒りに燃える大河にはこの程度の寒さはどうと言うことはないのか、寒さに震える竜児と亜美を、
悪意で眇めた目で鬱陶しそうに睨んでいる。
「大河、こんな逃げ場のない屋上じゃ、俺たちを人質にしても意味はないぞ。もう、これだけ暴れたら気が済んだんじゃ
ないのか? 今なら、まだ、罪を償うチャンスは残されている」
しかし、大河は竜児の問い掛けに、口元を歪めて悪意を込めた嘲りを返してきた。
「罪だとぉ?! 罪を償うのは、お前らだぁ!! 私という存在を蔑ろにして、侮辱した、その行いは許し難い。だから、
おまえたちを含めた全員が、死をもって罪を償うのだぁ!!」
手にした木刀を天に向かって突き上げ、さらには、
「それに…、私はここに逃げ込んだんじゃない。この世に存在する全ての者をひれ伏させるべく、この高みに降り立った
んだ!! 2−Cだけじゃなく、この学校だけじゃなく、この町だけじゃなく、この世の者全てを滅するため、
ここに居るんだぁああああ!!! 覚悟しろぉ、お前ら全員をモルグに放り込んでやるぅううう!!!」
その狂った絶叫は、冷え切った空気の中をこだました。
「だめだ…、完全に狂っている」
竜児も亜美も、もはや説得が通じる相手ではないことを確信した。そして、大河を救うことなど出来はしないということも。
「高須くんに、川嶋さん! 無事なの? 無事だったら、返事をして!!」
独身の声が、階段から聞こえてきた。
かつかつ、と階段を駆け上がる足音も聞こえてくる。
「それに逢坂さん、もうこれ以上の乱暴はやめなさい! もうすぐ警察が来る。今度ばかりは狩野さんとのトラブルのよ
うにうやむやにはされないわ。だから、いますぐバカなことはやめなさい!!」
独身が息を切らして屋上に躍り出てきた。手にはデッキブラシが握られている。話が通じる相手ではないことを、
誰よりも分かっているのだろう。
「うるせぇ! 独身が独身化粧して、独身ヅラして、独身ホームルームこいてんのは、いい加減飽き飽きしていたんでぇい!!
ちょうどいいや、飛んで火に入る夏の虫、とは、てめえのことだ。その鬱陶しい独身頭をかち割ってやらぁ!!」
咆哮とともに虎が襲いかかる。独身は、手にしたデッキブラシで応戦を試みるが、武道はおろかスポーツの心得にも
乏しい彼女は、所詮、大河の敵ではなかった。
大振りしたデッキブラシの動きを完全に見切られ、その内懐に飛び込んできた大河から繰り出された強烈な突きを
腹部に喰らい、がっくりと膝を折った。
次の瞬間、その額に大河からの一撃が炸裂する。
「あ、あああっ!!」
独身は、そのか細い、嘆きのような叫びとともに、仰向けに転がった。割られた額からは、鮮血がにじみ出て、それが
冷たいコンクリートの床に滴っていく。
「「先生!」」
竜児と亜美の叫びにも、倒れた独身は反応せず、何やら、ぶつぶつと呟いている。
その呟きは、竜児と亜美にも届いた、「わ、私の、あ、赤い糸ぉ〜〜」と。
「け、何が『私の赤い糸』だぁ?! どのみち、てめぇは御陀仏なんだ。もう、結婚を焦る必要はねぇんだよ!!」
大河は、木刀を一振りした。その刀身に付着していた独身の血が、一滴、二滴と、竜児と亜美が背にしている壁へ
飛散した。
「大河、なんてことをするんだ。もう、これ以上罪を重ねるな。今すぐ、罪を償う姿勢を示して、裁きを受けるんだ」
言うだけ無駄なのは分かっていた。だが、言わずにはいられない。
案の定、大河は、その凶相をいっそう険悪にして吠えた。
「うるさい、エロ犬!! 償いだと? 裁きだと? 笑わせるな!! 償うのは、この世界にいるバカども、そいつらを裁く
のが私! 間違えるんじゃない!!」
言うが早いか、骨が折れているかも知れない竜児の左大腿部を、二度、三度と思いっきり踏みつける。
「うわぁあああ!!」
「高須くん!!」
激痛で悶絶する竜児と、その竜児をいたわるように寄り添う亜美とを、嘲笑とも渋面とも判じがたい表情で見比べる。
「お涙頂戴か? くっだらねぇ!! おい、エロ犬! そんなことよりも、お前は、出入口を塞いでこい。また、独身みたい
に先公とかが来やがると面倒だからな」
顎をしゃくって、未だ悶絶している竜児に命ずる。
「バカ言わないで、あんたには苦しんでいる高須くんの姿が見えないの? あんたに痛めつけられた脚を足蹴にされて…、
その上、出入口を塞いでこいって、あんたは人間じゃない。ケダモノ以下よぉ!!」
大河は、眉を引きつらせ目をつり上げた凶相で、抗議する亜美をねめつけ、木刀の切っ先をその眼前に突きつけた。
「なら、ばかちー、代わりにお前がやれ! 。エロ犬を庇うってのなら、お前が、そいつの務めをきっちり果たせぇ!!」
木刀で小突かれながら、亜美は出入口に赴いた。足下には、額から血を流した独身が横たわっている。
「う…、ううう…」
独身は、かすかな呻き声を上げていた。
「先生…」
近づこうとした亜美を、大河は木刀で押しとどめる。
「余計なことはするんじゃない! お前は、言われた通りに出入口を塞げばいいんだよ!!」
出入口は、鉄製で、二枚の扉が左右に開く、いわゆる観音開きになっていた。
「どうやって塞げばいいの?」
依頼主の意向を確認する意味で、亜美は大河に訊いた。
「はぁ? てめえはバカか? そんぐらい自分で考えろ!!」
そうだった…。手乗りタイガーは、いつだって居丈高で、傍若無人で、感謝とかの心情を持ち合わせていないモンスター
なのだ。そのくせ、自身では創造的なことや建設的なことは何一つできず、竜児や、嫌悪しているはずの実の父親に
縋って生きてきた…。
亜美は、扉の周囲を見渡した。旗竿に使っていた古いロープ、それと、何に使っていたのか定かでない錆びた鉄の
鎖が一塊りになって扉からほど近いコーナーに置かれていた。
その鎖を手に取ってみる。錆びてささくれた鎖の表面が掌に痛い。
「これを使うことにするわ…」
「つべこべ言わずに、さっさとやれ!」
木刀を突きつけられて、せっつかれながら、亜美は、その鎖を、観音開きになった二枚の扉のそれぞれに突き出てい
る取っ手へ巻き付けた。
鎖は、両の取っ手に六回巻き付けることができた。巻き終えた亜美は、力を込めて取っ手を引いてみる。そこそこ重
い鎖が絡まった取っ手はびくともしない。
「おい、えらく簡単だが、大丈夫だろうな?」
大河が猜疑心丸出しで亜美を睨み付けた。
「大丈夫かどうかは、この取っ手を力一杯引いてみれば、分かるんじゃないかしら?」
どれ、とばかりに大河は扉の取っ手を引いてみた。たしかにそれは微動だにしなかった。それを確かめて、
「ま、ばかちーにしては上出来だわ…」
と、呟き、再び亜美を木刀でこづき回しながら、元の場所に座らせた。
「しかし、実際に先公やポリ公が来てみないと、何とも言えない…」
大河の呟きを待っていたかのように、けたたましくサイレンを鳴らしたパトカーが数台、それに救急車が三台、
大橋高校にやって来るのが屋上から確認できた。
上空にはヘリも飛んでいる。
そのヘリに向かって、大河は木刀を振り上げ、
「死ねぇ!! ポリ公のくそったれぇ!!」
と、声を限りに罵倒した。
「救急車はともかく、誰が警察まで呼んだのかね?」
捜査員がやって来て騒然としている職員室で、校長が教頭に耳打ちした。
「恋ヶ窪先生だと思われます」
「だと思われます、じゃ分からんじゃないか…。その恋ヶ窪先生は、今どうしているのかね?」
「生徒の話では、逢坂大河を説得するため、屋上に向かったようですが…」
捜査責任者を名乗る中年男性が、「お取り込み中失礼ですが…」と言って、校長と教頭の間に割って入ってきた。
「状況については、当事者である2−Cの生徒さん方にお話を伺いました。聞くところによると、容疑者の逢坂大河は、
過去においても、暴行事件を繰り返しており、つい昨年の十一月にも、当時、生徒会長であった狩野すみれさんを木刀
で殴打したばかりだというではありませんか…」
そして、捜査責任者は少々語気を強めた。
「なぜ、過去のこうした事件を警察に通報しなかったのです! 通報して、逢坂大河を補導又は逮捕していれば、今回
の惨劇は回避できたんですよ!!」
「申し訳ありませんでした…」
「それだけですか?」
捜査責任者は、うなだれて「申し訳ありません」だけを繰り返す校長と教頭に苛立ちを禁じ得ない。
学校がらみの事件は、とかくこうなのだ。事件が教育委員会に発覚すると、責任者の処分は免れない。
それを恐れて、事件を公にしたがらない。
「それで、警察に通報された先生は今はどちらにお出でですか? 電話を受けた署員の話では、恋ヶ窪教諭と
伺っておりますが?」
「それが…、逢坂を追って屋上に向かったということを生徒からは聞いておりますが、それ以上のことは…」
校長と教頭の無責任ぶりに捜査責任者は堪忍袋の緒が切れそうになる。そこを堪えて、できるだけ、穏やかな口調
で二人に訊いた。
「では、恋ヶ窪教諭は、未だ、屋上におられると見て宜しいのですね?」
校長と教頭は、「はぁ…」という腑抜けな返事を捜査責任者に寄こした。
「そうなると、屋上に逢坂とともに居るのは、その恋ヶ窪教諭と、高須竜児と、川嶋亜美の三人ということですね?」
「おそらく、そうだと…」
捜査責任者は、内心で、『だめだ、こりゃ…』と毒づいた。今回の事件は、逢坂大河という存在が元凶であることに疑
いはないのだが、それを放置し、助長したのは、この無責任な連中に他ならない。
そこへ、別の捜査員が、「警部…」といって、捜査責任者に報告に来た。
報告を受けた捜査責任者は、いかめしい顔つきをさらに険しくして校長と教頭に向き直った。
「いま、病院からの報告を受けましたが、被害者の櫛枝実乃梨さんの死亡が確認されました。死因については、追って
司法解剖で明らかにされますが、担当医師の所見では、頭部に受けた木刀による脳挫傷とのことです。これより容疑
を傷害罪から傷害致死に変更して捜査致します」
さらに別の捜査員が報告に訪れた。その報告を受けた捜査責任者は、「そうか…」とだけ呟いた。
「今、上空のヘリコプターからの報告によると、恋ヶ窪教諭らしい女性が屋上で倒れているのが確認できました。教諭
は身動きせず、頭部から出血している状態とのことで、生死は不明です。他に、高須竜児と思われる男子生徒と、川嶋
亜美と思われる女子生徒が、屋上の床に座らされていることも確認できました。両名ともかなり衰弱しているとのこと
です」
「櫛枝ばかりか、恋ヶ窪先生まで…」
無責任極まりない校長と教頭から血の気が失せ、傍目にも気の毒なほど、ぶるぶると震えだした。だが、それは、
事後の責任追及を恐れてのものに他ならない。
「屋上まで出向いた捜査員の報告では、唯一、屋上に通じる鉄の扉は、外から鎖かロープかで固定され、内部からは
開閉できない状況です。従いまして、エンジンカッターでその扉を切断し、恋ヶ窪教諭以下三名を救出することになります。
宜しいですね?」
捜査責任者の問いに、校長と教頭は、力なく「はい」とだけ言って頷いた。
「それと、ここからが重要なのですが…」
捜査責任者の前置きに、校長も教頭も、固唾を飲んだ。
「これもヘリからの報告なのですが、容疑者の逢坂大河は、非常に興奮しており、ヘリに向かって木刀を振り上げ、
さらには、人質になっている高須竜児と川嶋亜美への殴打を繰り返しているようです。この状態で、ドアを切断して
捜査員が突入すると、人質の人命が脅かされる畏れがあります。
よって、狙撃により逢坂大河を排除し、その後に扉を切断して、三名の人質を救出いたします」
校長と教頭は、もはや何も言えなかった。ただ、ただ、自分たちの処罰はどうなるのだろう、ということしか、考えられなかった。
「では、私は指揮のためにパトカーに戻ります。何かありましたら、他の捜査員にお願いいたします」
そう言い残して去っていく捜査責任者を悄然と見送ることしかできなかった。
「あきらめて行ったようね…」
鎖が巻き付けられた扉を、押しても引いても開けることができず、捜査員たちが引き返したことに満足したのか、
大河はその凶相を歪め、にやりと笑った。
「警察を甘く見ない方がいいわよ、鉄製とはいえ、こんな薄っぺらな扉を切断する道具なんて、いくらでもあるんだから…」
亜美のもっともな突っ込みに気分を害されたのか、大河はじろりと睨み付け、その頬を木刀の切っ先で小突いた。
「ポリ公どもが押し寄せてきたら、まずは、お前らを血祭りに上げてやるまでだ。その次は、薄汚いポリ公どもを一匹でも
多く地獄の道連れにしてやらぁ!!」
そうして、上空に待機しているヘリに向かって、木刀を突き出し、「ポリ公ども、私はここだぁ! かかってきやがれぃ!!」
と、絶叫した。さらには、「あははははは!!」という、甲高い哄笑。
「完全にいかれてやがる…。川嶋、これ以上、こいつを刺激すると危険だ。今は、救助を信じて、大人しくしている他はない」
耳元での竜児の囁きに、亜美は頷いた。「でも…」と、亜美は、不安に加え、納得がいかないといった表情で、竜児に
囁き返した。
「パトカーが来てから、だいぶ経ったような気がするんだけど…。大丈夫なの?」
それは竜児とて同感だった。
「何か策があるんだろうと思う。見てのとおり、大河は完全に狂っている。下手に突入したら俺たちの命が危ないって
ことが分かっているから、迂闊なことを控えているんだろう。今は信じて待つしかない」
そうして、「寒い、寒い…」と震えている亜美を抱きしめた。
竜児も信じたかった、救助が来ることを、そして元の平和な日常に戻れることを…。
パトカーの中でも、ひときわ大きく、装甲車のような指揮車両。
その車内は、通信機器等の装備がぎっしりと詰め込まれ、その一角に備わっているモニターには、上空のヘリが
撮影した大橋高校屋上の様子が映し出されていた。
モニターの画面には、木刀を振り回している逢坂大河、壁を背に座らされている竜児と亜美、それに頭部から出血し
た状態で倒れている独身の姿が写っている。
ヘリのカメラがズームバックし、別棟の屋上に腹這いになって狙撃銃を構えている狙撃手と、それをサポートする
捜査員も画面上に現れた。
「狙撃班、別棟の屋上に待機しました。無線連絡可能です」
捜査責任者は、無線通信用のヘッドセットを着用して狙撃手に問うた。
「そちらにもヘリからの映像は転送されていると思うが、目標は逢坂大河、17歳、木刀を手にした栗毛の長髪で小柄な
少女だ、確認できるか?」
「…はい、ヘリからの映像は確認いたしました」
捜査責任者は、大河たちの居る屋上と、狙撃班の居る屋上とを画面上で見比べた。狙撃班の居る別棟の屋上の方
が、大河たちが居る屋上よりも少し低い。
「どうだ、目標を狙撃できそうか?」
「…こちらの方の棟が、目標が存在する棟よりも低く、困難です。目標が、こちら側に向いたフェンス際に立っていない
と狙撃できません」
「やはりそうか…」
「…はい、申し訳ありません」
目標自体が小柄であることも狙撃を難しくしている。
「わかった、最悪の場合は、へりからも狙撃を試みることになるだろう。だが、何かのはずみで狙撃するチャンスは巡っ
てくる可能性はある。そのチャンスを辛抱強く待ってくれ。その代わり、チャンスがあったら、即座に狙撃して構わない。
悠長に射撃の許可を待つまでもない」
「…了解いたしました」
不安定なヘリからの狙撃では、人質を誤射するおそれが捨てきれない。また、上から目標を貫通した銃弾が床で跳
ね、跳弾となって人質に当たる危険性もあった。確実なのは、別棟屋上からの狙撃だった。そのためには、チャンスを
待つしかない。
寒さに震えながら、亜美は空を見た。
鉛色が一段と濃くなったような気がする。時刻はわからないが、もう、夕方と言ってよい頃合いなのだろう。
身を切る寒さも一段と厳しくなってきた。その寒さと、ある感覚とから亜美は、ぶるっと身震いした。
「どうした川嶋?」
抱き合って寒さをしのいでいる竜児にも、亜美の突然の震えは尋常ではなさそうなことが察せられた。
「う、ううう…」
亜美は、頬を朱に染め、涙目になりながらも、竜児の問いには答えず、自身の下腹部に左掌をあてがった。
寒風吹きすさぶ屋上に長時間座らされていることに加えて、昼休みに缶入りの紅茶を飲んだのが災いしたのだろう
か、突き上げるような激しい尿意に亜美は悩まされていた。
溜まりに溜まった尿を漏らすまいと、亜美は脚をすぼめて、もじもじする。結果、それは竜児も知るところとなり…。
「川嶋、まさか…」
亜美は、恥ずかしそうに頷いて、竜児に訴えた。
「高須くん…、お、しっこ…。ト、トイレに行きたぁい」
その訴えは、大河の耳にも届いていた。虎は、口元を歪めて牙のような糸切り歯をちらつかせ、邪悪な笑みをたたえ
ている。
「大河、川嶋がトイレに行きたがっている。頼むから、これを機に川嶋を解放してやってくれ。独身もだ。
人質は俺一人でも十分だ…」
言い終わらないうちに、竜児は側頭部を木刀で小突かれた。
「解放だぁ? 寝言ほざくんじゃない!! お前らを生きて帰すつもりなんかこれっぽちもないんだよ」
今度は、うなだれている亜美の顎を木刀の切っ先で持ち上げるようにして、吐き捨てるように言った。
「小便なら、ここでしやがれ、ばかちー」
「そんな…」
吹き曝しの屋上で、上空には警察のヘリが待機している中、それに何よりも竜児が傍にいるのに…。
「いや、せめて屋上でも、誰も見ていない建物の陰でさせてよ、後生だから、タイガー!!」
「誰も見ていない場所だとぉ? おい、淫乱メスチワワ、エロ犬に小便しているところを見られるのは本望だろうが!」
「ほ、本望って、どういう意味よ?」
亜美の声がうわずっている。
「夜な夜な、エロ犬とエッチする妄想で、あそこを弄ってるんだろ? だったらエロ犬に見てもらえるのは、淫乱メスチワワ
の冥利に尽きるってもんだ、違うか?」
亜美は、耳まで朱に染め、顔を覆って泣き出した。どうやら、大河に図星を指されたらしい。
竜児は、そんな亜美を、目を丸くして見る。
「川嶋、お前は…」
羞恥心で泣き崩れる亜美と、亜美の本心を知って動揺している竜児と見比べて、大河は哄笑した。
「あははは!! エロ犬は相変わらず鈍いこと…。ばかちーが死ぬほど好きだってことを全然勘づいていなかったんだ。
ばかちーは報われないねぇ。でも、もうじき、お前ら二匹は死ぬんだ。どうでもいいだろうが!!」
そうして今度は竜児の顎を木刀で小突く。
「おい、エロ犬、喜べ。お前に、ばかちーのパンツを下げさせてやる。このままじゃ、パンツ履いたままお漏らししちまうか
らな…。現役高校生モデルがお漏らしじゃ、格好悪いだろ?」
竜児は、三白眼をつり上げて、大河を見上げた。
「大河、お前は、人間らしい感情がないのかよ。女子が男子に下着を脱がされるのが、どれほどの屈辱か、
女であるお前なら、男の俺よりもよく分かっているはずじゃないか」
大河は、ずい、と竜児に歩み寄り、股間の部分を踏んづけた。
「うわぁ!」
「エロ犬が、勃起してるくせに、偉そうなことを言うんじゃない!! さっさとやらないと、こいつの左腕をへし折ってやる」
木刀の切っ先が、亜美の左上腕部に突きつけられた。亜美が、「ひぃ!」と叫んで、その表情をこわばらせた。
「やるよ…、やればいいんだろ…」
打ちひしがれた思いだった。
「川嶋…、すまねぇ…」
亜美は両手で顔を覆い、「う、うん、やって、高須くん…」とだけ言い、すすり泣いた。
竜児は亜美のスカートに両手を差し入れ、そのショーツのゴムの部分に手を掛けようとした。だが、震える指が恨め
しい。ショーツの布地部分と思ったところが、亜美の滑らかな柔肌で、その艶めかしい感触に、思わず指を引っ込めそう
になる。
「何を、もたもたしてやがる。 さっさとやれぃ!!」
間髪入れず、大河の罵声が飛ぶ。
竜児は、観念し、亜美に「行くよ」とだけ告げ、その柔肌をまさぐってショーツの縁に指を引っかけた。そのままゆっくり
引っ張って、亜美のぬくもりを留めた白い布きれを、スカートの中から引きずり出す。
その間中、亜美は顔を覆って泣き続けた。
「おい、それで終わりにするな! ばかちーのパンツを完全に脱がせて、スカートを上にたくし上げろ! さっさとしない
と、こいつの左腕をへし折ってやる」
竜児は、「うぇっ!」と絶句した。亜美にこれ以上の恥辱を与えようというのか。一方の亜美は泣き続けるばかりだった。
あまりのことに、もうどうでもよくなってしまったのかも知れない。
「川嶋、許してくれ…」
竜児の目にも涙が浮かんだ。どうしてここまで残酷になれるのだろう。もはや、狂っているというだけでは説明がつか
ない程の異常さだ。
竜児は、大腿部の辺りにとどまっていた亜美のショーツを、さらに引っ張り、つま先から抜き取って完全に脱がせた。
「スカートをたくし上げるんだ! この、グズ犬!!」
竜児が恐る恐るスカートをめくると、若草のような茂みが現れる。竜児はそれを直視できず、思わず目を背けた。
「あっはっはっは〜っ! ばかちーのもじゃもじゃ丸見え〜。おい、ばかちー、脚開け、エロ犬とヘリの奴らに、
お前のあそこを、よっく見せてやれ!」
「大河、やめろ!」という竜児を、「うるさい、バカ犬!」と罵り、木刀の柄でその側頭部を殴打すると、
その木刀の切っ先を、亜美の陰部に突きつけた。
「脚開かねぇと、こいつをぶっこんでやる…」
亜美は、もはや泣く以外に抗う気力もないのか、閉じていた脚を脱力するかのように開いていった。
茂みの中には小さいながらも突き出るように自己主張する突起を頂点に、そこから縦裂する亜美の秘所が露わになる。
「ばかちーの奴、エロ犬に見られて興奮しているのか、あそこのお豆が勃起してやがる。おら、エロ犬、しっかり目ぇ開け
て見やがれぇ!」
悪意を込めて、そう叫ぶと、竜児の首根っこを掴まえ、その三白眼をこじ開ける。大河が言うほど「もじゃもじゃ」じゃ
ない茂みに、うっすらと体毛を帯びた縦裂と、その縦裂の頂点にある突起が目に入った。その縦裂は、内側に二枚貝の
身を思わせる肉色の襞があり、その襞の下端には、じっとりとした膣孔がふるふると震えていた。
亜美は、両手で顔を覆ったまま、「見ないで! 見ないで!」と、泣き叫んでいる。
「あはは、いい眺め! よし、ばかちー、そのままの姿勢で放尿しろ」
大河の無慈悲な言葉に、亜美の身が、ピクッと震えた。
尻餅をついて壁にもたれかかっているこの姿勢で放尿したら、臀部も背中も小便まみれになってしまうだろう。
「お、お願い、せめてしゃがませて…」
大河は、木刀を亜美の陰部に再び突きつけた。
「お前はバカか? しゃがんだら、せっかくのお前の放尿ショーが、エロ犬やヘリの奴らに、よく見えねぇだろうが!」
「で、でも、このままの姿勢じゃ、お尻や背中が濡れちゃう…」
亜美の懇願を、大河は「知ったことか!」と、にべもなはねつけたが、すぐに何かを思いついたように凶相を歪めて
ニタついた。
「おい、エロ犬! ばかちーが小便している間、ばかちーの尻の下に手を入れて支えてやれ。それも、ばかちーのあそこ
がよく見えるようにだぞ」
大河の、もうワンパターンと言ってもよい、「イヤなら、これだ」という亜美の陰部への木刀の突きつけに辟易し、竜児
は亜美の臀部に両腕を回して亜美の体を支えた。
もはや竜児は思考力と現実的な感覚を喪失した一個の自動機械のようなものだった。ただ、激痛のため力が入ら
ない左足だけがリアルな存在だ。
そんな中、大河の次なる命令が下される。
「おい、ばかちー、出来るだけ脚を開いて、そして、あそこも両手を使って出来るだけ広げろ。そうした方が、よく見えるし、
よく小便が飛ぶ」
亜美も又、竜児と同じく思考力を喪失した自動機械のように、のろのろと陰部に自分の指を這わせ、その縦裂を
左右に引っ張った。肉色の襞に隠れるように存在していた尿道孔が竜児にもはっきり見える。
竜児に恋い焦がれている、竜児もまた憎からず思っている美少女の陰部。
だが、その光景を目の当たりにしても、脳髄の一部が麻痺してしまったかのように現実感がない。
「よし、ばかちー、小便をしろ」
我慢に我慢を重ねて溜め込んでいた亜美の尿は、放物線を描いて勢いよく飛んだ。
そのまま、かなり長い間、じょぼじょぼ、と放尿していたが、最後は勢いを失って、尿道孔から力なく漏れ出た尿が、縦裂
を伝い、膣孔を汚して、コンクリートの床に滴った。
「あううう…」
放尿前まで括約筋を緊張させていた亜美は、嗚咽のようなため息を漏らすと、ぐったりと脱力した。
「か、川嶋、もう、ショーツを履け」
コンクリートの床に脱ぎ捨てられていた亜美のショーツを手に取り、竜児は、それを亜美に手渡した。
亜美は、手渡されたショーツを、物憂げに眺めていたが、やがてそれを身につけるべく、のろのろと上体を起こそうとした。
「おい、待て、ばかちー、お前は小便した後、あそこを拭かないのか? きったねー女だな。さすがエロ犬とつり合うだけ
のことはあるわ」
大河が、亜美の手からショーツを奪い取り、竜児に命じた。
「おい、エロ犬、お前に仕事だ。小便で汚れている、ばかちーのあそこを舐めてきれいにしてやれ!」
「なんだって?」
正気か? と、言いかけて竜児は沈黙した。元より正気であるはずがない。
「うわぁあああん!」
スカートをたくし上げられて、未だ竜児に腰を支えられている亜美が、再び、それこそ火がついたように泣き出した。
常軌を逸することの連続で、亜美は幼児退行に陥ったのかもしれない。
「ひどい、ひどいよぉ! あたしや高須くんが、あんたに何をしたっていうのぉ!! 全部あんたが悪いんじゃない!
あんたがクラスのみんなにも、祐作にも嫌われているのは、みんなあんたの傲慢で傍若無人な態度のせいじゃないのぉ!
それを反省もせず、認識すらしない、あんたって、本当に最低!!」
大河は泣き続ける亜美を鬱陶しそうに睨み付け、次いで、下品な笑みを浮かべて言い放つ。
「ぐだぐだ言ってんじゃねぇ!! お前は、エロ犬のイチモツをぶっこんでもらいたくって、夜な夜な、あそこを慰めている
んだろうが! エロ犬にあそこを舐めてもらえるんだぞ、それを感謝しやがれ!!」
竜児は、怒りの視線を大河に向けた。この視線にレーザーのような破壊力があれば…、と願わずにはいられない。
「なんだエロ犬、その反抗的なツラは? 毎度イチャついている、ばかちーのあそこを舐めるチャンスをくれてやったん
だぞ、ちったぁ感謝しやがれ!!」
言い終わらないうちに、竜児の側頭部を木刀の柄で二度、三度と殴打する。
「やめてぇ!! 高須くんは怪我をしているのぉ!! もう、これ以上ひどいことはしないでよぅ!!
あたしだったらいいから!! 高須くんになら舐めてもらいたいからぁ!!」
「なら、ばかちー、さっさとやってもらえ」
亜美は、ハンカチで自身の陰部を拭うと、立ち上がり、壁にもたれている竜児の前に中腰になった。
その姿勢でスカートをまくり、陰部を竜児の眼前に突き出すようにして晒した。
「お願い、高須くん。あたしのあそこ、舐めて…、そしていじって…。こ、こんな状況だけど、あたし、高須くんに舐めてもら
えるんだったら、うれしい…」
「川嶋…」
亜美の膣孔から透明な粘液が漏れ、それが竜児の胸元に滴った。竜児は亜美の臀部を捧げ持つように両手を添え、
そっと陰部の突起に口づけした。
「ああ…」
亜美の体に電撃のような快感が走り、よろけそうになる。亜美は壁に両手を突いて、上体を支えた。
竜児は、その突起を軽く吸い上げた。亜美の背中がぶるぶると震え、膣孔からは透明な汁がまた滴った。
「あああ、気持ちいい、気持ちいいよぅ…」
亜美は頬を上気させ、左手を制服の胸元に突っ込んで、乳房を揉んだ。乳首がこれまでにないくらい固く勃起している。
それを、指先でしごくと、目眩がするほどの快感が襲ってくる。
竜児は、舌先を尿道孔から、膣孔に向かって這わせ、滴る液を舐め取った。ちょっとしょっぱくて、生臭く、アンモニア
みたいな臭いもあったが、無性に舐めたくなる淫靡な味わいがする。
竜児は、舌先を亜美の膣に軽く侵入させてみた。
亜美の体がぴくんと痙攣し、おねだりするように竜児の顔に陰部を擦り付けてくる。竜児は、舌先を亜美の膣孔に
引っ掛けたまま、指先を陰部で一番敏感な突起にあてがい、それを覆っていた皮を剥き、滴る液で濡らした指を擦り
付けた。
「ああ、いい、いいわぁ!!」
亜美は、恍惚とした表情で自ら乳房をもみしだき、口元からは幾筋もの涎を垂らしていた。
竜児は、膣孔から舌先を抜き、皮を剥かれた突起に口づけし、それを再び吸い上げた。
「ひゃう…」
亜美の悲鳴のようなため息とともに、さらに多くの液が膣孔から滴ってくる。竜児は、人差し指を膣孔にあてがい、
慎重にそれを挿入した。
「あうう…、自分の指以外が深く入ったの、初めて…」
処女膜らしい襞が指先に感じられた。その襞の中央にあるはずの開口部をさぐり、ゆっくりと指先を沈めていく。
亜美の膣はほてるように熱く、滑っていて、竜児の指を自ら意思を持ってくわえ込んだかのように締め付けてくる。
竜児は、陰裂の突起を舌先で弄んでから、これよりも強くすすった。
同時に、膣に挿入している指先を曲げたり伸ばしたりして、亜美の性感を可能な限り刺激する。
「あああああぁつ!!!」
亜美は身をのけぞらせて絶叫した。膣からは失禁したかと見紛うばかりの液を滴らせ、ずるずると力なく竜児の
体の上を滑るようにくずおれた。そのまま、竜児の首にもたれるようにして、上気した顔で、満足そうに呟く。
「いっちゃった…」
膣には未だ竜児の指を収めたまま。その指を翻弄するかのように、膣壁の肉がうねうねと収縮を繰り返している。
「川嶋、ゆ、指を抜くぞ…」
「う、うん…」
処女膜を痛めないようにゆっくりと慎重に人差し指を亜美の膣から抜いた。
「う、うう…」
抜き取られる竜児の指の動きが新鮮な刺激となったのか、亜美は、一瞬、上体をのけぞらせてその快楽に耐えた。
粘液の糸を引いて、竜児の指先が抜き取られた後も、亜美の膣孔からは透明な液がとろとろと滴っている。
亜美は快楽の余韻を楽しむかのように、潤んだ瞳で竜児を見つめ、上気した頬を、竜児の頬に擦り付けた。
今、この瞬間だけは幸せ、大河から受けている辱めも、殺されるかもしれないという絶望的な状況も気にならない。
そう、亜美は、少なくともこのとき、大河の存在を完全に忘却していた。
「おい、ばかちー、てめぇ一人だけ気持ちよくなってんじゃねぇ!」
大河の冷酷な怒鳴り声と、むき出しの陰部へのヒヤリとする感触に、亜美ははっとした。
亜美の陰部には、大河の木刀が突きつけられていた。
「エロ犬を置いて、自分一人だけでいってるのか? 身勝手な女だな。お前のきったねーあそこを舐めさせられた
エロ犬が不憫だとは思わないのか? 今度は、お前のあそこで、エロ犬のイチモツをくわえ込むんだ。バカチワワと
エロ犬の交尾だ。さっさとしやがれ!!」
竜児と亜美は憎悪を込めて大河を見た。このキチガイは、人の尊厳をどこまで踏みにじれば気が済むのだろう。
その大河は、竜児と亜美が、「それだけは、やめてくれ」と、懇願することを期待してか、凶相を邪悪な笑みで彩っている。
だが、亜美は、そんなちび虎の邪悪な企みを跳ね除けるように、凛として言い放った。
「いいわ、見てなさいタイガー。あたしと高須くんの愛の営みを…。その目にしっかりと焼き付けるがいいわ」
竜児の「お、おい、川嶋…」という突っ込みに、亜美は、笑顔で返した。
「あたしは、高須くんとエッチできるんなら本望だから。あたし、高須くんのことが大好きだから、だから、お願い、
高須くんも、あたしのことを好きだと言って…」
竜児は、亜美を抱きしめた。今は、亜美の健気さが愛おしい。そのまま、亜美の耳元に、
「好きだ…」
と一言、しかしはっきりと囁いた。
「うれしい…」
亜美も、竜児の耳元で囁き、涙ぐんだ。
「鬱陶しいメロドラマはいい加減にしやがれ!」
痺れを切らしたのか、大河が木刀を、ひゅん、一振りした。その大河を、侮蔑を込めて睨み付け、亜美は言った。
「見せてあげるわ、本当に愛し合っている男女の営みがどれほどのものかを…。
それは、自己中心的で傍若無人なあんたには一生縁がないものなんだわ。あたしたちの性愛の尊さを思い知り、
己れの惨めさを噛み締めるがいい!!」
大河は異常に大きな双眸をつり上げて、忌々しそうに亜美を見た。亜美は、そんな大河の渋面を楽しむかのように、
妖艶ともいえる笑みを浮かべて、竜児に向き直った。
「高須くんは脚をやられているから、あたしが上になるね。でも、その前に高須くんのもケアしなくっちゃ…」
亜美は竜児のスボンのファスナーを開き、すでに怒張している竜児の陰茎を引き出した。
竜児の興奮も極限状態だったのだろう、陰茎の先端からは、ねっとりしたカウパー氏液が漏れ出ている。
亜美は竜児の陰茎に、さも愛おしげに頬ずりし、その先端を口に含んだ。舌先で亀頭を舐め回し、
ほんのちょっとだけ歯を当ててみる。瞬間、竜児は、「うっ!」とばかりに軽く呻いた。
「ごめん、痛かった?」
亜美が、竜児の陰茎から口を離し、心配そうに竜児を見た。亜美の唾液が、竜児の陰茎と亜美の口唇とに、
輝く糸となってまとわりついている。
「いや、あんまりにも気持ちがよすぎて、つい声を上げちまった…」
亜美は、「うふふ、そっかぁ…」と妖艶に笑うと、再び竜児の陰茎をくわえ、舌先と歯も使って愛撫を続けた。
「か、川嶋、あんま無茶すると、で、出ちまう…」
「いいんふぁよ、らふぃしゃっへも…」
竜児の陰茎をくわえたまま、亜美が泥酔した泰子のような声で言った。
「じぇんふ、あふぁしが、のふんであふぇるから…」
亜美は頭をピストンのように上下させ、舌全体を竜児の陰茎にまとわりつかせるように、舐め回した。
「か、川嶋、気持ちよすぎる、どこで覚えたんだ、こんなテク…」
亜美はそれには答えず、竜児への愛撫をひたすら継続する。やがて、竜児の亀頭が一段と固く大きく怒張し、
その先端から白濁した液を脈打ちながら勢いよく噴出した。
「うっ!?」
口中に噴き出した竜児の精液の思わぬ勢いに、亜美は一瞬たじろいだが、気丈にもそれを受け止め、
喉を鳴らして飲み下した。
「か、川嶋、バカ、吐き出せ、そんなもん」
亜美は竜児の陰茎を口から離すと、頭を左右に振って、淡いやさしげな笑みを向けた。
「大好きな高須くんの精液なんだよ。粗末になんてできないよ…」
そうして、口元から垂れてくる竜児の精液を手の甲で受けて、さも美味しそうに舐め取った。
「それに、あたしのあそこも、もうびしょびしょ…」
亜美はスカートをたくし上げた。膣孔からは粘液がとろとろと滴り、それが亜美の大腿部を濡らしている。
亜美は、再び竜児の陰茎を口に含み、舌先でそれをいたわるようにやさしく愛撫し、次いで口をすぼめて、亀頭の
部分を吸い上げた。
それが刺激となって、竜児の陰茎が、先ほどのように大きく固くなっていく。
「うふ…、充電完了」
なおも舌を竜児の陰茎にからませながら、亜美はうれしそうに呟いた。
そして、竜児の上に馬乗りなるようにして身構え、竜児の亀頭を、膣から滲み出る液に馴染ませるように、陰裂に
擦り付けた。
「あは、気持ちいい…」
「か、川嶋、俺も気持ちよすぎて、どうにかなっちまいそうだ…」
亜美の秘所は熱くて滑らかで、竜児の陰茎を迎える歓喜にうち震えているかのように、襞をふるふると蠢かせていた。
一方の亜美もまた、竜児の陰茎の固さと熱気が心地よい。
「じゃ、行くね…。高須くんは脚を怪我してるから、もし、痛かったら言って」
「お前だって、痛いかもしれないんだぞ。痛かったら無理するなよ…」
「女はねぇ、いつか子供を産むんだよ。それに比べたら、処女喪失くらい、どうってことない…」
亜美は、意を決したかのように表情を引き締めると、竜児に言った。
「高須くん、亜美ちゃんのバージン、もらってね…」
竜児の「ああ…」という頷きを合図に、亜美は腰を落として竜児の陰茎を膣内にいざなった。
二、三センチほど入った後、処女膜による結構な抵抗感を受ける。軽い疼痛がしたが、亜美はさらに自分の全体重
を陰部に集中させるようにして、その抵抗を無理やりに突破した。
ずるん! という感じで、竜児の陰茎が亜美の胎内を貫通する。
「う、うわああああああっ!!!」
亜美の秘所に激しい疼痛が襲う。
「川嶋、大丈夫か?」
亜美は、顔面に脂汗を浮かべながらも笑顔を竜児に向けた。
「あ、あたしは大丈夫。あ、あんまり気持ちがよくって、つい大きな声を出しちゃった…」
その目尻には涙が浮かんでいる。
亜美は、恐る恐る竜児との結合部分に手を伸ばし、じくじくと流れ出る血を指先ですくい取った。
「あ、あたしの血、あたしの純潔のあかし…」
そう言って指先の血を舐め取った。
竜児も亜美の陰部に手を伸ばし、にじみ出る血をすくい、その血を擦り付けるようにして陰裂と陰核を指先でなぞった。
その刺激で亜美の背中に電気のような快感が走り、胎内に収めている竜児の陰茎をきゅっとばかりに締め上げる。
「か、川嶋、やばい、気持ちよすぎる、す、すごい締め付けだ…」
亜美の胎内は、熱くたぎっていて、どろどろの粘液にまみれた肉の壁は不規則に妖しく蠢いて、竜児の陰茎を刺激する。
「う、うん、亜美ちゃんも気持ちいいよぅ、さっきまではちょっと痛かったけど、今は痛みよりもものすごく気持ちいい…」
亜美が、呆けたような恍惚とした表情で、腰をさらに竜児に押し付けてくる。ぐにゅっ、という、ぬめったものがこすれ
る音がして、竜児の陰茎が亜美の膣内に完全に収まった。
いきり立った竜児の陰茎で、亜美の胎内がかき回される。
「ああ、子宮に、子宮にあたるぅ」
もう、処女喪失の痛みは感じなかった。感じられるのは、子宮を突き上げるように貫入している竜児の陰茎と、
竜児と一つになれたという喜び。
「た、高須くん、あたしが動くから…。でも、もしも脚が痛かったらすぐに言ってね、そのときは控えるから…」
竜児が「ああ…」と言ったのを確認して、亜美は腰を上下させた。血と粘液にまみれて、ぬらぬらと黒光りしている竜児の陰茎が現れては、また亜美の胎内に飲み込まれていく。
腰の上で亜美が上下動するたびに、竜児の左脚には激痛が走る。だが、その激痛を忘れさせるほど、亜美の胎内はやさしく、心地よい。
「川嶋、やばい、本当に気持ちよすぎる…」
亜美は、「本当?」とうれしそうに尋ね、竜児も、荒い呼吸の下で「ああ」と答えた。
「じゃぁ、高須くんにも亜美ちゃんからお願い。ねぇ、亜美ちゃんのおっぱい吸って…」
亜美は、腰の上下動を休めることなく、制服の前をはだけ、ブラをたくし上げて、形の良い乳房と、固く勃起している
乳首を竜児の顔に突きつけた。
ピンク色に充血した乳首は竜児の小指の先ぐらいの太さがあり、乳首とともに盛り上がっている大きめの乳輪が
艶かしい。
竜児は、その乳房を両手で支え、まずは左の乳首に口づけし、それを舌先で弄んでから、心持ち強めに吸ってみた。
「ああああ!」
亜美の歓喜にうち震える声が屋上にこだました。膣からの液の分泌が激しさを増し、処女喪失での出血をじくじくと
洗い流している。
「か、川嶋、締め付けが一段ときつくなってきたぜ…」
亜美は、涎を幾筋も垂らしながら、半狂乱で腰を振っている。
「ああ、気持ちいい、気持ちいいよう、吸って、吸って、亜美ちゃんのおっぱい吸って!!
ああ、高須くんのおちんちんも太くて、固くて、熱くて、気持ちいいよう!!」
竜児は左右の乳首を交互に吸い、さらには指先で乳首をしごき、乳輪ごと口に含んで、それらを軽く噛んでみたりもした。
「あ、ああ、あ、だめぇ!!」
その一言を合図にしたかのように、亜美の膣壁がこれまでにないほど固く締まり、膣孔からはおびただしい分泌液
が流れ出た。妖しく不規則にのたうっていた肉の襞が、精液を搾り取ろうするかのように、竜児の陰茎をなで擦り、
射精を促してくる。
その刺激に反応して、竜児の亀頭が一段と大きく固く膨れ上がり、陰茎全体が大きく反り上がる。
「あ、ああ、た、高須くんのおちんちん、おっきくなってる、亜美ちゃんのお腹の中でぇ、ものすごくおっきく、
固くなってるぅ!!」
「川嶋、だめだ、もう出る!」
「あ、あたしも、もう限界、出して、中に出して、高須くんの精子で亜美ちゃんの子宮を一杯にしてぇ!!」
竜児は、「うっ!」と呻いて、亜美のどろどろで、熱くてきつく締まった胎内に射精した。
竜児の怒張した陰茎が、どくどくと脈打って、真っ白な精液を吐き出している。
「あ、ああ、熱い、熱いよぅ、高須くんの精液、あったかい…。あったかくて、すごくうれしい…」
それだけ呟くと、亜美は、ぐったりして竜児にもたれかかった。結合したまま二人は抱き合い、快楽の余韻を貪る。
亜美は、呼吸を整えて、その身を起こし、胎内から竜児の陰茎を抜き取った。
ごぽっ、という音とともに、竜児の陰茎が膣外に晒され、亜美の膣からは血と粘液と竜児の精液が混じったものが、
どろりと出てくる。
そして、竜児と並んで壁を背にして座り、なおも絶え間なく分泌物を吐き出す陰部を拭おうともせずに、むしろ満足
そうにそれを眺め、呟いた。
「これで、あたしは高須くんと一緒になれたんだ、あたしは高須くんのもの、高須くんはあたしのもの…」
そうして膣内に右手の人差し指と中指をまとめて差し込んだ。ぬるっ、という音が傍らの竜児にも聞こえてくる。
「ああ、熱い。さっきのほてりが残っていて、亜美ちゃんのお腹の中が、とってもあったかい…」
竜児は、ハンカチで亜美の顔や服にこびりついている涎や体液を拭ってやった。
そして、なおも、膣内に挿入している亜美の指を、いたわるように抜き取って、その陰部と指をハンカチでやさしく拭
いてあげた。
亜美は、ハンカチで拭われるだけでも快感なのか、竜児に陰部を拭いてもらっている間もせつなげな吐息をつく。
「お楽しみだったな、ばかちー」
大河が木刀を、ずい、とばかりに竜児と亜美の間に割り込ませてきた。
亜美は、情事の余韻で上気した頬を引き締めて、無遠慮な大河を、睨み付けた。
「そう、とっても楽しかったわ。あたしと高須くんの愛の営み…。本当に、相手をいたわり、慈しみながらの交わり。
心がねじくれた人でなしのあんたには、金輪際、縁がないことよね。どう? タイガー、悔しいでしょ、うらやましいでしょ?
でも、無理、あんたは暴力で何かを手に入れることは出来るかもしれないけれど、本当に愛し愛された関係で何かを
得るなんてのはできないの! 祐作との関係もそうよ。そもそも、あんたみたいなキチガイが祐作とうまく行くはずが
ないんだからぁ!!」
大河の凶相が亜美への憎悪で醜く歪んだ。
「くっさいあそこから、くっさい汁垂らして、くっさい台詞吐いてんじゃねぇ!!」
「あら、下品。あんたって本当に最低!! 人を傷付け、貶め、踏みにじるしか能がないんだわ。
創造的なことや建設的なことなんか、からっきしできやしない。善意なんか欠片もなくて、悪意だけが
凝り固まったような存在。この世からジャイアントさらばすべきは、あんたなのよ!!」
そう言い放つと、立ち上がって大河に詰め寄り、未だ大河が握っていた自分の白いショーツをひったくるようにして
奪い返した。
そして、大河なぞ眼中にないような趣で、そのショーツを履いた。
「バカチワワが、エロ犬と交尾したぐらいで図に乗りやがって。いいだろう、なら、思い残すことはないな?
今から、こいつをお前の土手っ腹と、あそこにぶっこんで、エロ犬との雑種を産めない体にしてやって、
ぶっ殺してやらぁ!!」
大河が、亜美の下腹部に木刀を突き立てるべく、木刀を手元に引いて身構えた。そこに一瞬の隙があった。
大河の近傍にうずくまっていた竜児は、大河の木刀の刀身を掴むと、それを思い切り引っ張った。
「何しやがる、エロ犬!」
体勢を崩した大河の顔面にパンチを見舞う。
左脚の痛みで思うように力は入らなかったが、それでも、大河の鼻骨に相当なダメージを与え、
大河は鼻血を噴き出した。
「畜生、犬っころの分際でぇ!!」
形勢不利な状況でも、強がりだけは忘れない。
その悪態を吐きつづけている大河の顔面に、二発、三発と、竜児の鉄拳が見舞われる。
「しまった!」
顔面の痛みに気を取られ、木刀を握っていた力を不意に緩めたのか、そのまま竜児に木刀を奪われる。
「川嶋、パス!」
奪った木刀を亜美に手渡す。
「俺は歩けないから、お前がこれで大河を追い込んでくれ」
「分かったわ」
素手でも危険な手乗りタイガーと対峙するには、より強力な武器が要る。亜美は、手にした木刀で、竜児に殴られ
たことによるダメージからか、動きが鈍った大河を連打する。
「これは、あたしの分、これは、高須くんの分、これは、先生の分…」
急所を避けて、手や肩、腰に幾分は手加減をした木刀の雨を見舞う。そして、じりじりと大河をフェンス際まで追い
詰めた。そして、渾身の力を込めて、大河の胴を木刀で横合いからなで切りにした。
「これは、実乃梨ちゃんの分!!!」
急所ではないものの、亜美の怒りが込められた一撃は強烈だった。大河はフェンスにもたれたまま、気味の悪い、
薄ら笑いのような表情を浮かべている。いや、なす術もなく、フェンスに磔になっている、と言うべきなのかもしれない。
「とどめ!!」
亜美が、木刀を構え直したとき、ヘリが上空を通過しながら、拡声器で亜美に命じた。
「そこの少女、伏せなさい!」
亜美は、反射的にコンクリートの床に伏せた。その刹那、乾いた銃声が轟き、逢坂大河の肉体は、いや、逢坂大河
であった物体は、眉間に開いた銃創から血と脳漿を振り撒きながら、宙を飛んで、冷たいコンクリートの床に激突した。
音速を超えて飛来した七.六二ミリ小銃弾は、邪悪さに支配された大河の脳髄を、その着弾の衝撃で完膚なきまで
粉砕していた。
床にうつ伏せになった大河の骸を中心に、じわじわと血だまりが広がっていく。
「川嶋、大丈夫か?!」
「あ、あたしは大丈夫。でも…」
と言って、床に転がった逢坂大河だった物体を見る。
「高須くん、どういうことなの? タイガーはもう抵抗する力はなさそうだったのに、なんで射殺されたの?」
竜児は頭を振った。
「俺にも分からん…。だが、警察にとっては、大河の狙撃が前提条件だったような気がする。
今のところは、これだけしか言えない」
そして、竜児は、はっとして。
「そうだ、独身は? 先生は?」
亜美の肩を借りて竜児は横たわっている独身の傍らに赴いた。
独身こと恋ヶ窪ゆりは、うわ言のように、ある言葉だけを呟いていた。
「わ、私の赤い糸…」
竜児は亜美に向き直り、「川嶋、ブレザーでほつれているところはねぇか?」と、質した。
亜美は、上着全体をはたくように確認して、大河の木刀を受けて、ささくれている右肩の部分を見つけた。
ほつれた部分から赤いウールの糸を引っ張り出す。それを独身に握らせて、こう囁いた。
「先生、先生の赤い糸は、この通り無事です。だから、元気を出してくださいね」
亜美の問いかけに、独身は、「うん、うん…」と、赤子のように頑是ない表情で頷いた。
三人の背後では、鎖で封鎖されていた鉄の扉を切り裂くエンジンカッターの爆音が轟く。鉄が切り裂かれる
オレンジ色の火花が夕闇迫る大橋高校の屋上を照らす中、独身は、満足そうに微笑むのだった。
「終わったな…」
捜査責任者は、ヘッドセットを外して、モニターを見た。
モニターには、血だまりの中で倒れている逢坂大河、それに救急隊員に救助されている竜児と亜美、独身の姿があった。
「それにしても、ひどい事件でしたね」
若い捜査官の問いに、捜査責任者は、「ああ…」とだけ答えた。
モニターには、大河の骸を調査する鑑識の姿もあった。それを見ながら若い捜査官は、捜査責任者に耳打ちした。
「目標は、人質に木刀で殴打され、もはや抵抗する能力は喪失していたようですが、
狙撃は正しい判断だったのでしょうか?」
非難ではなかった。単に捜査責任者の真意を知りたかっただけなのだ。
そのことを理解しているのか、捜査責任者も、若い捜査官の耳打ちには不機嫌な顔をせず、むしろ微かな笑みを
浮かべて、こう言った。
「お前は、あの逢坂大河に更正の見込みがあると思うか?」
質問に質問で返されるのは、納得がいかなかったが、若い捜査官は、正直に「いいえ…」とだけ答えた。
「俺も同感だから…。おっと、これじゃ、答えにならないかな?」
「いえ、十分です。警部のお気持ちは、私も理解できますし、同意できます」
そうなのだ、未成年である逢坂大河は、ここで生き残れば、少年法を盾に、理不尽なほど軽い処罰で済んでしまう
ことだろう。
精神異常と言うことで、医療少年院での形ばかりの処置の後、下手をすれば二年くらいで娑婆に戻ってくる可能性
だってある。その時も未成年である逢坂大河が、同じようなことを繰り返さない、という保証はどこにもない。
「そうか、同意できるか…。なぁに、難しいこっちゃない、単に狙撃の命令があった。
下っ端の俺たちはその命令に従った、それだけさ」
「はい…」
若い捜査官は、ヘリが撮影した動画像を再確認した。鑑識を映しているモニターとは別のモニターには、
竜児に馬乗りになってまさに絶頂を迎えようとしている亜美の姿があった。
「この撮影データは、保存用の原本を除いて、全て破棄しろ。これはヘリの連中にも、狙撃班にも、他のパトカーの
連中にも徹底しろ。下手にコピーが流出したら、プライバシーの侵害もいいとこだ」
捜査責任者のもっともな命令に、若い捜査官は、「ええ…」と応じた。
「でも、こんなひどい状況なのに、幸せそうな表情ですね」
「ああ、だからこそ、人質だったこの子たちのプライバシーは守ってやらねばな…」
モニターには、絶頂の快楽に身をゆだね、その幸福感に満ちあふれた亜美の笑顔が映し出されていた。
***
松葉杖を手に、竜児はベッドから立ち上がろうとした。
骨折した左大腿部はギブスで固められ、大河から執拗に殴打された頭部は包帯でぐるぐる巻きにされている。包帯
は、左目までも塞ぎ、頭部から顔面で露出しているのは右目と鼻と口元だけだ。
「ミイラ男だな、まるで…」
竜児は松葉杖を突いて、病室の一角にしつらえてある勉強机に向かった。今日は金曜日、2−Cでは一時限目の
漢文の授業が始まろうとしているはずだ。
竜児は、鞄から狩野すみれのノート、通称「兄貴ノート」のうち、漢文にかかわるものを抜き出した。入院中だからと
いって、授業に後れをとるわけにはいかなかった。それに、そろそろ、彼女がやって来る…。
ドアがノックされた。それと間髪入れず「高須くん、居るぅ?」の声とともに、パジャマ姿の亜美がやって来た。
手には、筆記用具と漢文の教科書とノートが握られている。
大河に散々に殴打された亜美も、頭部を包帯でぐるぐる巻きにされ、顔の所々には絆創膏が貼られている。その他
にも打撲傷をあちこちに負っており、骨折がなかったのが不幸中の幸いといった有様だ。
「おう、ミイラ女のお出ましか…」
竜児の冗談に、「あんただって、ミイラ男でしょうが」と、笑顔で毒づき、亜美は竜児の傍らに腰掛けた。
「今日の一時限目は漢文だったよね? たしか、『淮南子・人間訓』…」
亜美の問い掛けに竜児は「ああ…」と応じ、兄貴ノートから該当個所を抜き出した。「人間万事塞翁が馬」で有名な
漢文である。
竜児は、兄貴ノートを紐解いた。漢文の本文に加え、正確な書き下し文が記され、さらに難解な語の解説と、現代語訳が付属している。
「すごいわねぇ、これなら、授業に出なくてもそれと同等かそれ以上の学習効果がありそう…」
「期末試験の準備もこれで十分だな…。それどころか、受験対策にもなる」
骨折で長患いが確実な竜児はもちろん、意外に入院が長引きそうな亜美も、このノートがあれば長期間授業を
休んでも落伍することはなさそうだ。
「期末試験までには退院したいわねぇ…」
漢文の文字を目で追いながら、亜美が物憂げに言った。
「骨が折れてない川嶋は、何とかなるかもしれねぇけど…」
竜児は、ギブスで固められた左脚を見た。
「骨折した俺は、無理かも知れねぇ…」
亜美は、ふぅ、とため息をついて、竜児を見た。
「単純骨折なんでしょ? 甘えないの!」
竜児の額にその包帯の上からデコピンの仕草をして、「甘えるんだったら、亜美ちゃんに限定!」と言って、
竜児の肩にすり寄った。
竜児も、そんな亜美を愛おしげに抱きしめた。
「あのさ、話変わるんだけどよ、大河の実家から和解金とかで結構な金額が振り込まれていたらしい。
泰子が仰天していた」
「うちもそう、顔が命のモデルを傷付けたっていうことで、数千万単位のお金が振り込まれていたっていうし、
亡くなった実乃梨ちゃんとこには億に近い金額が振り込まれていたんだって…」
「今回の事件の被害者には、大体、それなりの金額が渡されたんだろなぁ…」
竜児には、大河の父親の姿が思い浮かんだ。一見、ナイスミドルなあの男は、娘の不始末を金で解決するつもりなのだ。
「何だか、気味が悪いよな。地獄の沙汰も金次第ってわけじゃあるまいし…。泰子は単純だから、これで俺の学費の
心配がなくなった、なんてはしゃいでいるけど、事件のことを考えると、到底そんな気にはなれない」
亜美が、竜児を慰めるつもりなんか、その頬をそっと撫でた。
「気持ちは分かるけど、受け取っておきなよ。イヤな言い方だけど、社会はきれい事だけじゃないからね。
それに死んだ人間は生き返らない。それも金であがなうしかないんだよ。大体が、あたしたちの入院費だって、
タイガーの実家から出ているんだし」
亜美は、「それに…」と、言いかけて、竜児が「何だ?」と応じてから、話を続けた。
「これはあたしの勘だけど、逢坂の家は捜査されるんじゃないかしら?」
「どういうことだよ?」
「逢坂って、長者番付に出てない名前なんだよね。にもかかわらず、今回の事件で億単位の和解金をばらまくことが
出来ている。大体が、タイガーへのお金のかけ方も普通じゃなかったしね」
竜児は、亜美の言うことを理解したとばかりに、「ああ…」と相槌を打った。
「今回の事件での和解金のばらまきで、大河の実家の資産が、半ば公然となったってことだな? 当局とかに…」
「そういうこと。まず考えられるのは脱税だろうし、さらには違法な裏ビジネスとか、叩けば埃がいっぱい出てきそうな感じ
なんじゃないかしら」
そういって、「逢坂が逮捕されたら、和解金どころじゃなくなるから、今のうちにもらっておいた方がいいの!」と、
人差し指を竜児の眼前で左右に振って念押しした。
そう言えば、竜児は大河の家のことを何一つ把握していない。
あの大河の父親…、その一見、人のよさそうな外観は内面を欺く演技なのかも知れないし、穏やかな表情で平然と
悪事に手を染めることができるような人種なのかも知れない。
それは、少女の外観に人間離れした粗暴さと卑劣さを詰め込んだ大河の父親だけのことはあるのかもしれない。
大河の場合は、その悪の塊を何も気にせずにさらけ出しているが、父親は狡猾に押しとどめているという点が相違
するだけなのだろう。
それにしても、あの大河の邪悪さは、何だったのだろう。
「どうかしたの?」
竜児の沈黙が、ちょっと長いこを気に掛けたのか、亜美が竜児の顔を覗き込んできた。
「いや、大河のことをちょっと思い出していたんだよ。あいつは、何であんなどうしようもない奴になっちまったんだってね…」
亜美は、「そうねぇ…」とため息混じりの相槌を打って、呟いた。
「タイガーは素で粗暴で卑劣なんだろうけれど、それを許して来ちゃったあたしたちにも責任の一端はあるかも
知れないわね」
竜児は無言で頷いた。
思えば、竜児の家に深夜忍び込んで、竜児を撲殺しようとした時に、警察に突き出すべきだったのだ。
「あたしも、タイガーを嫌悪しながらも、心のどっかでは『かわいそうな奴』みたいに思っていて、いろいろ甘やかしちゃっ
たのがいけなかったのかも…。水泳対決であれほど卑劣なことをしておきながら別荘に連れて行ったなんてのは、
完全に失敗ね…」
「川嶋は悪くねぇよ。一番悪いのは、この俺だ。川嶋に再三再四、『大河を甘やかすな』って釘を刺されていたのに、
それを改めなかった。人の善意を何とも思わないモンスターをこしらえたのは、この俺なんだ…」
「そう深刻に悩んだってしようがないでしょ? 高須くんだけの影響力なんて知れているわよ。これはみんなの責任。
高須くんだけじゃなく、あたしだけでもなく、祐作だけでもなく、実乃梨ちゃんだけの責任でもない」
そうして亜美は、ちょっと表情を固くした。
「本当は、一番いけないのは、あんなタイガーを放置していた大人たち。最悪なのはタイガーの親だろうし、タイガー
の暴力を見て見ぬふりをしてきた学校の先生にも問題がある…」
そうだった、今回の事件だって、仮に実乃梨が軽傷だった場合、おそらく学校側は警察に通報せずに、うやむやに
済ませてしまったに違いない。あの狩野すみれとの乱闘事件のように。
非常識なほど劣悪な問題児である逢坂大河を増長させ、さらなる劣化を促進したのは、こうした学校側の事なかれ
主義に拠るところも大きいはずだ。
「そういえば独身はどうなったんだろう…」
今回、事件を校長たちの了承を得ずに警察へ通報したのは独身だった。
「それが、祐作から電話で教えてもらったんだけど、ひどいんだ…」
「どうひどいんだ?」
竜児にも、話の筋は何となく読めていた。脳裏には、狸のように狡猾そうな校長と教頭の姿が浮かんだ。
「タイガーが問題を起こしたのは、担任であるゆりちゃん先生の指導力不足って、教育委員会には報告されたんだって。
これって、明らかにトカゲの尻尾切りだよね。校長や教頭たちの学校上層部が、自己保身を図ったんだよ」
「ひでぇな…」
独身が有能な教師かと言えば、正直、それは疑わしい。しかし、進路指導等でも、粗暴な大河に辛抱強く接し、
さらには今回の事件でも、竜児と亜美を救うべく、勝てる見込みのないチャンバラを大河に仕掛けていたではないか。
あまりに理不尽な扱いに、竜児は片方だけの三白眼をぎらつかせる。
「でも、今回は祐作を見直しちゃった。祐作が言うには、生徒会の総力を挙げて、今回の事件に関する学校側の責任
を追及し、ゆりちゃん先生に対する理不尽な報告を撤回させるって。学校や教育委員会がすぐに考えを改めるとは思
えないけれど、あたしたちが何か行動を起こせば、何らかの影響は出るはずよね」
「そうだな、今回は警察沙汰になっているんだから。学校側が事実を隠蔽できるのにも限界があるだろうな」
竜児と亜美は、窓辺から病院の中庭を見た。そこには、車椅子に乗った独身こと恋ヶ窪ゆりの姿があった。
そして、その車椅子を押している白衣を着た男性の姿もあった。
「噂をすれば何とやら…。看護婦さんの話では、車椅子を押しているのは、ゆりちゃん先生を治療した外科の先生だって。
で、その先生とゆりちゃん先生とは、まんざらでもないらしいの」
そう言って、亜美は、うふふ、と悪戯っぽく笑った。
「独身の怪我はどうなんだろう…。まさか一生車椅子ってことはないよな」
「これも看護婦さんの話じゃ、リハビリは必要だけど、元に戻るそうよ。だから、それほど心配は要らないって…」
亜美は、「それにぃ」と、前置きしてから竜児をたしなめた。
「高須くん、ゆりちゃん先生を独身だなんて呼んじゃだめでしょ! 何だか、じきに独身じゃなくなるような感じじゃない?
あの二人の雰囲気を見ていると、やっぱりただならぬものが感じられるし」
大河に振り回され、挙げ句に事件に巻き込まれた独身にもようやく春が巡ってきたということだろうか。
そうであれば、負傷してこの病院に担ぎ込まれたことは、彼女にしてみたら、そう悪いものではないのかもしれない。
「人間万事塞翁が馬だな…」
「何それ? 今日の漢文の話?」
亜美が竜児の唐突な呟きに驚いて、その表情を伺うようにじっと見た。
「おぅ、今日の漢文の教材そのままの話じゃないか。人間万事塞翁が馬、人生は吉凶・禍福が予測できないことの
たとえだけど、独…、いや先生を見ていると、まんまそれが当てはまるような気がしてさ…」
「大河という予測できないことに振り回されたけど、思いがけずに結婚出来るかも知れないってことね?」
「そういうこと…」
亜美が白くて繊細な指を、竜児の指に絡ませてきた。
「ねぇ、あたしたちの場合は、どうなのかしら? やっぱり、人間万事塞翁が馬ってことにならないかしら?」
竜児は、「そうだな…」とだけ言って、ちょっと顔を赤らめて微笑した。
今回の事件は、亜美との仲が一気に深まったが、その顛末は、やはり赤面ものだ。
「そりゃね、タイガーにぼっこぼっこにされて、屋上に拉致されて、凍えさせられるは、放尿させられるは、
青かんをさせられるは、散々だったけどぉ…」
亜美は、竜児のパジャマの上から、その陰茎を握った。
「うわぁ、何すんだ川嶋」
「こうして、高須くんを、がっちりものに出来たんだから、あたしとしては言うことなし、ね」
亜美は、パジャマ越しに竜児の陰茎をしごいた。その刺激で、竜児の股間の部分がむくむくと膨らんでくる。
「あら、元気そうじゃなぁい?」
「おい、おい、ここは病院だぞ…。それに、この前の事件だって、中出しだったから、その後にきつい薬を飲まされて
大変だったんだろ?」
亜美は、けろっとしている。
「ああ、モーニングアフターピルのことね、ちょっと吐き気がしただけ、たいしたことないわ…。
でも、今度から中出しするときは、安全日限定だから大丈夫」
「大丈夫じゃねぇ!」
困惑している竜児に妖艶な流し目を送り、今度は、ギブスで固められた竜児の大腿部を撫でる。
「でも、こんなんじゃエッチもできないわね。亜美ちゃんつまんなぁ〜い!」
一瞬だけ不満げに頬を膨らませただが、うふふ、と再び妖艶な笑みを浮かべた。
「しようがないだろ、骨が折れてるんだから。それに、お前だって、顔の傷は大丈夫なのか? ちゃんと治るのか?」
亜美は、またその話か、と言いたげにちょっとうんざりしたように、竜児を眇で見た。
「もう、何度も言わない! この傷は打撲だけだから、跡は残らないって言ってるじゃない。それに…」
「それに、何だ?」
「もう、モデルは卒業。高須くんと一緒に受験勉強して、高須くんと同じ大学に行けたらって、思ってるの…」
「本当なのか?」
「何、その顔は、驚いたの? モデルなんていつまでも続けられる職業じゃないからね。タイガーにぼこぼこにされ
たのが潮時だったのかも…。だから、今後は地道に勉強して、才色兼備を目指そうかと思っているの」
先ほどまでの妖艶な笑みではなく、凛として引き締まった表情に、竜児は亜美の本気を見た。
「いや、三学期になってから熱心に勉強しているから、そうかもしれねぇとは思ったが、やはり本気だったんだ…」
亜美は、再びにやりとし、
「あったりまえじゃ〜ん、亜美ちゃんは高須くんにどこまでもついていくからね。大学も一緒、その後の生活も一緒、
何せぇ、高須くんに処女奪われちゃったんだもぉ〜ん」
そう言って、竜児の頬を両手で支え、淡い笑みを向ける。
「ねぇ、高須くんは、気付いている?」
「何を?」
竜児にも、亜美の言いいたいことは分かっていた。
狂った大河に脅されながらのクンニ、フェラチオ、中出しセックス、“最初の手順”を飛び越えて、それらを一気にやっ
てしまったのだが…。
「あたしたち、未だキスしてないんだよ…」
「じゃ、川嶋、まずはその埋め合わせだよな?」
亜美は、『埋め合わせ』という言葉の無粋な響きが不満なのか、ちょっぴり頬を膨らませている。
「もう…、もうちょっと気の利いたことは言えないの? 亜美ちゃんは高須くんと一緒になるんだよ?
その誓いのキスなんだからね!」
竜児は、ふっ、とため息をつくように苦笑して、「そうだな…」と、応じた。
その竜児の口唇に、柔らかな花弁を思わせる亜美の口唇がそっと触れてくる。
竜児は、しなやかな亜美の体を抱きしめた。二人の鼓動が交錯し、亜美の甘美な体臭がむせぶように漂ってくる。
不意に一陣の突風が舞い、いずこからかの梅の花びらが窓辺に散った。
気象庁が春一番を報じたこの日、竜児と亜美は、時の経つのも忘れて、飽かずに互いを求め続けていた。
(終わり)