お姫様でエロなスレ10

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360名無しさん@ピンキー:2009/02/19(木) 10:43:36 ID:BbZgvAqC
是非書いてくれ
361名無しさん@ピンキー:2009/02/19(木) 16:08:42 ID:xObGAOac
>>358
GJ
番外編もほのぼのしていて良かった
362名無しさん@ピンキー:2009/02/20(金) 03:09:02 ID:27g2a1fL
いいね
363名無しさん@ピンキー:2009/02/21(土) 14:46:17 ID:fk3vwX/J
なげーよ
364名無しさん@ピンキー:2009/02/21(土) 19:30:47 ID:aRufW8DO
わんわんわわーん

いぬ姫も待ってるんだぜ!
365名無しさん@ピンキー:2009/02/21(土) 23:37:58 ID:o1vJyQdX
セシリア熱望中
366名無しさん@ピンキー:2009/02/23(月) 23:14:35 ID:/npNBq5u
この隙にマリーはいただいていきますね
367名無しさん@ピンキー:2009/02/24(火) 19:16:41 ID:6vj/i6ym
じゃあエレノールは俺のよ・・・な、何をするきさまらー
368名無しさん@ピンキー:2009/02/25(水) 19:27:43 ID:OR40o/M8
じゃあ万年文学少女のミュリエルはそれがしが…
369名無しさん@ピンキー:2009/02/25(水) 23:50:24 ID:y2Zw7/Li
天然きょぬーのベアトリスタソは俺のもの
370名無しさん@ピンキー:2009/02/25(水) 23:54:08 ID:znB1VRoo
リュカと深夜の散歩にいってきますノシ
371名無しさん@ピンキー:2009/02/26(木) 19:38:58 ID:UOx4TXgi
ふはははは!
このスレの作家さんたちは
全員わしが寝取ってやったぞ……グフ
372名無しさん@ピンキー:2009/02/26(木) 20:39:38 ID:F80vtN5P
腎虚になってもいいんだな
頑張れ
373名無しさん@ピンキー:2009/02/26(木) 21:57:04 ID:6fUCvoPS
静かだな
374名無しさん@ピンキー:2009/02/26(木) 22:52:29 ID:/J0AUbd2
良いことだ
375名無しさん@ピンキー:2009/02/27(金) 22:22:32 ID:d7BZfL57
>>371
対象ちょっと待てw
376名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 00:22:18 ID:4d22m7Mi
全員男だったらww

でも、詮索する訳じゃないけどこのスレの職人さんは時々女性もいそう
ガルィアとか、いぬひめとか長編の人は男性かなと思うが
377名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 00:33:05 ID:eCTGYOJU
結局野郎多いじゃねーか!
378名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 18:21:11 ID:rG1MBEHX
ガルィアの人は女性っぽいなと思ってた
ガルィアが一番安心して読めるんだよね(女です)
作者さんが男性でも女性でも、好きなことに変わりはないけど
379名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 19:05:26 ID:L+oAA7Av
長引かせるのもなんだけど、性別がわかんないのが、2ちゃんのいいとこかなと。
雰囲気で察するだけだから、先入観なしにその作品だけを読めるんだよね。
380名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 19:14:12 ID:eCTGYOJU
普通の小説読む際に、その作者が男か女かなんて気にしない
ここのも、一緒
381名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 21:16:07 ID:x/uVvSn7
>>371
「作家」を「寝取る」で千夜一夜物語を連想してしまった・・・・・。
毎夜シャハリヤール王は美姫シャハラザードとの契りの後、彼女が紡ぐ話に
魅了されていくんだよね。非の打ち所のない美女が語る、エロ夜話という
設定もすごいなと思う。
382名無しさん@ピンキー:2009/02/28(土) 22:37:47 ID:8vVOjoWn
確かドゥヤンザードっていう妹も一緒に侍ってるんだよな
383名無しさん@ピンキー:2009/03/01(日) 01:18:03 ID:eUbcQdyu
褐色の肌に黒髪のお姫様いいよねぇ
あと、ショールがたまらん
384名無しさん@ピンキー:2009/03/01(日) 02:06:00 ID:MyczZMe3
>>381
その間に跡継ぎまで作ってるんだからすごいとしかいいようがないよなw
国中の美女味わい尽くして、最後には姉妹丼なんだからうらやましいことこの上ない
385名無しさん@ピンキー:2009/03/01(日) 07:49:21 ID:uxOPmYLO
妹とは関係はもたず、最終的に王の弟の后にさせたんじゃなかったっけ?
ただし、シャハラザードに飽きたらすぐに妹が犠牲になったはずだから、
姉も自分と妹の命をつなぐため、必死に話をつなげたんだろうな。

毎夜一緒にいて、姫が二度も妊娠・出産(うち1回は双子)しているのに
千夜も気づかない王ってすごいw
386名無しさん@ピンキー:2009/03/01(日) 09:18:45 ID:/g2x4WTv
誰か!文才を持った者はおらぬか!
387名無しさん@ピンキー:2009/03/01(日) 22:22:45 ID:9dnX2RNJ
シャハラザードやドゥヤンザードとか訊くと
木下さくらさんの「ニューパラダイス」を連想した俺orz
388名無しさん@ピンキー:2009/03/01(日) 22:26:08 ID:eUbcQdyu
>>386
投下する自信ないや
ぶっちゃけ死ねそう
389名無しさん@ピンキー:2009/03/02(月) 01:05:09 ID:7o9E7IVs
方言のお姫様もこっそり期待していたんだけどな
390名無しさん@ピンキー:2009/03/03(火) 18:33:34 ID:CQwnfaBT
 http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1236072726/

 投下の為、次スレを立てさせて頂きました。
 今回も少し時間を空けての投下となります。申し訳ありません。

 火と闇の 第九幕
 中世ファンタジー的舞台背景でのお話。

・表現の一部に不穏当な形容を含みます
・話の進行メイン
・エロ短め
・やっぱり長いです

 以上の点にご注意をお願いします。
391火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:34:34 ID:CQwnfaBT

「納得がいきません!」
 シェリンカの声が、黒檀の調度品が配された執務室の中で反響する。
「私とて、心苦しいよ。王室権威復興の足掛かりを、見す見す逃してしまうことにもなり兼ねんのだからね」
 憤りを隠せぬその叫びに、カルロが目蓋を伏せ、白い口髭を撫で付けながら口を開く。
 相手を説き伏せる算段を付けている時の、彼の癖だ。
「それがわかっていながら、何故。何故カルロ様ともあろうお方が、クオ如きの言いなりになるのですか」
 シェリンカが眼前の男の自尊心を焚き付けるように、声に苦渋の色を滲ませて問いを放つ。
「あれの言いなりになるつもり等、ないよ。これは王女殿下のことを第一に考えて決断したまでのこと。
 クオの案を採ったのは単なる場の流れだ。そこに君を同席させられなかったことには、悔いが残るがね」
「……出過ぎたことを口に致しました。申し訳ありません」
 カルロの釈明の中には、確信めいたものが感じられた。
 自らの非礼を詫びつつも、シェリンカは落胆の想いに肩が落ちるのを必死で堪えていた。

 四ヵ月振りの欠勤を挟み、宮廷の朝議へと出向いた彼女の下に、その報は届いた。
 現在、原因不明の病にて意識不明の状態にある、フィニア・レブ・イニメド第二王女殿下の移送。
 並びに、病状への対処責任者の変更。
 王室審議会と執政審議会。両者間における共通の決定事項としてその通達を受け、シェリンカは自身の
 体調が未だ回復しきってはいないことを、否応なしに認識させられた。

 立ち眩みから脱した身体を引き摺るようにして、彼女は自らの上役に当たる人物の下へと向かった。
 ベルガ王宮副宰相、カルロ・ジョミヌス。
 主要な民政を手掛ける保守派の筆頭にして、議会制への変革が進む宮廷内において絶対王政への復古を
 唱える親王族派の第一人者で、シェリンカはその直属の補佐官を務めてもいる。
 故に彼女は、その男の人となりをよく知っていた。

「君が言いたいことは分かる。だが、王女殿下の御身に降りかかった病魔は、思いの外に手強い代物だと
 いうことも確かなのだ。事実、君が体調を崩している間にも、二人の司祭を失うことになってしまった」
 カルロが磨き上げられた大机の上へと、溜めて込んでいた息を吹き掛ける。
「ここで個人的なことを口にするのは、憚られるがね。私は廷臣であると共に、人の上に立つ者だ。その
 私にとって、君という人物はこれからも必要となる存在なのだよ。万が一にでも、失ってしまうことは
 避けておきたいと思っているのだ」
「私の如き一官吏に、勿体無き御言葉です」
 持って回ったカルロの言葉に、シェリンカは謝辞を述べ、こうべを垂れた。

「勿論、君の実力を疑うわけではないよ。先程も言ったが、今回の件は場の流れで持ち上がってきた話だ。
 我がベルガにとって一番の至宝で在らせられる、王女殿下に降りかかった難を前に、副宰相である私と
 宰相が仲違いをしている等という、根も葉もない噂を払拭する為にもとね」
(良く言う)
 毅然とした表情を浮かべるカルロを前に、シェリンカはそう吐き捨てたくなる気持ちに駆られた。
 自分の体調不良にかこつけて、宰相寄りの司祭をフィニアの解呪に当たらせたことも、急な会合の場を
 設けたことも、その結果の報を今朝付けで届けてきたことさえも。
 全ては、彼の手によって行われたことは明らかであった。
 
「無論、女性としての君も魅力的ではあるがね」
 カルロが声音を露骨に変えて、丸みのある顔を揺らした。
 その彼の手が、大机の横側の空間へと伸ばされる。
 お決まり合図だ。
(こんな時にまで)
 立ち眩みからではなく、脱力からくるよろけを感じつつも、シェリンカは書架の間をすり抜け、革張りの
 椅子へと腰掛けるカルロの膝元へと進み出た。
「カルロ様。御勤めを果たさせて頂きます――」 
 事務的な口調で以って膝を折るシェリンカに、カルロがその眉目を開いて頷きを見せる。
 厚手のキュロットがぎこちない手つきで以って引き下げられ、露になった欲望が、紅も引かれていない
 唇の上で大きくなってゆく。
 ――娼婦のような女は、好かん。
 彼は行為の度に口癖のように、そう彼女の耳元で繰り返すのだ。
 礼服を着た狸と、それに尻尾を振る女狐。
 誰かが叩いていた陰口を思い出し、シェリンカは自虐に口を歪めた。
 勘違いにその身を肥え太らせた欲望の化身が、今日は一段と不快な物に思えた。
392火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:35:10 ID:CQwnfaBT

 客人の来訪を告げる音に、シェリンカが部屋の入り口を振り返る。
 彼女が自室での着替えを済ませたばかりのところに、彼はやってきた。
「ん……早かったわね」
「物見遊山の連中も、随分と少なくなってきたからな。この時間は暇なもんさ。それより、どうしたんだ。
 風邪でも引いちまったのか?」
 肩を竦めて椅子に腰を下ろしたサズが、口元を手で覆っていたシェリンカへと問い掛けてくる。
「ん? んん゛っ……ちょっと、ね。それよりもよ。不味いことになってきたわ」
「不味いって、どういう意味でだ」
「あの子の面倒を見る役目がね、どうも司祭長のザギブにいってしまいそうな流れなのよ」
 心配気な面持ちで自分を見つめてくる青年に、彼女はやや慎重になって言葉を選び、話を切り出した。
 
「納得の行かない話だな」
 一通りの説明を聞き終えたところで、サズはぼそりとした声を足元へと落とした。
「そのザギブにフィニアの身柄を渡したくないって主張してたのは、あんたが属してる親王族派の連中
 だった筈だろ。それがなんで、少しくらい解呪に手間取ったからって、易々と引き渡せるんだ」
「司祭長――宰相と副宰相の間、若しくは第三者の間で、なんらかの取引があったのだとは思うけど……
 その場に居合わせていたわけではないから、一時的な協力関係になったとしか見ることはできないわ」
 サズの声には、シェリンカを咎めるような響きはない。
 そんな青年の態度が、彼女に心苦しさを与えてくる。

「御免なさい。こんなことになってしまって」
「あんたが謝るようなことじゃないだろ。詫びを入れさせるのなら、他に当たる」
「ちょ、ちょっと。少しは落ち着いたかと思えば、なんてことを言い出すのよ」
 シェリンカが下げた目蓋をすぐに上げて、慌てふためく。
 ――この青年は、言い出したら本当にやりかねない。
 そんな印象を、彼女はサズに対して抱いていたのだ。
「物の例えだ。例え。あんたこそ、らしくないぞ」
「直接的すぎるのよ、貴方のは。とにかく今は状況を掴んでから――」
 コンコン、と。
 指先で溜息を散らしたシェリンカの言葉を遮り、来訪の音が再び室内に鳴り響く。   
「客が多いな」
「人払いはしていたのだけど……誰かしら? 訪れる際には名を告げるよう、言ってある筈なのだけれど」
 口調を心持ちきついものへと変えて、シェリンカが誰何の声を上げた。

 返事の声は、すぐにやってきた。
「私だ」
 男のものと思しき声。壮年の、厚みのある低い声が、扉を通して二人の下へと響いてくる。
「聞き覚えのある声だな」
「……それは意外ね」
 シェリンカがその口調を更に厳しいものへと変えて、部屋の入り口へと歩を進めた。
 サズが椅子から腰を上げ、鞘元に手を伸ばす。
 場に走る緊張を感じ取っての動きだが、シェリンカはそれを咎めはしなかった。
 扉が開かれる。
「突然、済まなかった」
「いえ。こちらの方こそ、司祭長に向けて良い言葉遣いではありませんでした」
 司祭長。シェリンカの発したその呼称に、サズの中の緊張が膨れ上がった。

「――え」
 動揺が、それを塗り潰す。
 その源が部屋の中へと足を踏み入れてきて、一瞬の静寂が場を支配した。
「やはり、ここに居たのだね」
 沈黙を、男の声が破る。
「あんたは……」
 黒い砂紋の法衣を身に纏った男の姿に、サズは確かな見覚えがあった。
393火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:37:53 ID:CQwnfaBT

「あんたは……あの時のおっさん」 
「おっさ……ちょっと貴方っ。少しは口の聞き方に気を付けなさいっ」 
 呆然とつぶやくサズと男の間に、シェリンカが割って入る。
 彼女が慌てるのも無理はない。
 シェリンカの私室を訪れてきた人物は、彼女の上役に当たる人物であったからだ。
 それも、宮中と司祭宮というベルガにおける、双子の如き権力の舞台にあってのことであった。

「構わんよ。彼はベルガの民に非ずして、神是巫女の恩人。礼を以って当たるべきは、むしろ私の方なの
 だからね」
「あんたが、ザギブだったのか」
 男の言も耳には届かぬ様子で、サズは目を見開いていた。
「如何にも。名乗るのが遅れていたね。私の名は、ザギブ=ザハ=イニメド。ここ、司祭宮では司祭長の。
 王宮では宰相の任を預からせて貰っている者だ」
 庭師の装いの時と変わらぬ口調で、彼は簡潔に自己紹介を済ませてきた。

 人は、とかく身勝手な生き物だ。
 自らが知り得ていることについてすら、己が立場により見方を変え、都合の良い解釈を取ろうとする。
 ましてそれが知り得ぬことに対してなら、言うまでもない。
 サズにしても、それは例外ではなかった。
 シェリンカの話を根っから信じていたのではないにしても、彼にとっての「ザギブ」とは、少なくとも
 好ましい人物ではない……筈であった。

 宰相。司祭長。ベルガの王座と、フィニアの力を狙う男。
 ――悪の親玉。
 そんな幼稚な心象を、サズはザギブという名に対して抱いていた。
「驚かせてしまったかね」
 幻想が口を開く。
 落とせそうだと、彼は思った。
 この瞬間にも腰の剣を抜き放ち、それを一閃させれば、首は落とせる。

「――サズ!」
 焦りを孕んだ咎めの声に、その幻想が霧散していった。
「あ……」
「ちょっと、しっかりして。ほら、挨拶くらいはしておきなさいっ」
 見ては居られぬとばかりに、シェリンカがサズの上着の裾を引いてきた。
 馬鹿な考えは止せと、その目が告げてきている。
 そう、馬鹿な考えをサズは抱いてしまっていたのだ。
 悪の親玉を倒してしまえば、不幸な物語はそれで御終い。幸せのままに閉幕。
 そんな話は、彼が一人で心の中に描いていた、都合の良い幻想に過ぎなかった。
 
「サズ・マレフだ。知っているとは思うけど、冒険者なんて商売をやって……います」
 中途半端に肩肘の張った自己紹介にも、ザギブは特に表情を変えることもなかった。
 平静なその面持ちは、穏やかとも無感情とも受け取れる。
 掴み所がない。それがサズの調子を余計に狂わせる。

 頷きを一つ見せて、ザギブはその場から身を引いていたシェリンカへと、声を掛けた。
「済まないが、彼を借りても良いかな? 少し、込み入った話をしておきたかったものでね」
「サズと話を、ですか」
 ザギブの突然の申し出に、シェリンカは警戒の色を隠せない様子であった。
「……不遜とは思いますが、理由をお聞かせ願えれば」
 大事な妹の身を預ければならなくなったところに、目の前の青年まで持ってゆくのかと。
 そんな反射的な拒絶感からくる言葉を、彼女はその口に上らせてしまっていた。
394火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:38:33 ID:CQwnfaBT

「フィニア王女殿下の件について……では、駄目かね」
 当然その話でしか有り得ないのに、彼は飄々としてそう返してきた。 
「わかりました。では、暫くの間はお待ちを願います。少し、彼と話しておきたいことがありますので」
 シェリンカが、あっさりと首を縦に振る。
 食い下がる代わりに、要求を突き付けた形だ。
 声に、それくらいは譲歩しろという圧力も織り交ぜてある。 
「では、後で使いの者を頼もうか。二度も君の部屋に足を運んでは、妙な噂を立てられかねないからね」
「……承知致しました。あまり、時間の方はかけないつもりです」
 返しの言葉に、シェリンカは幾分不機嫌になって了承を済ませた。

 ザギブの継げてきた二の句は、痛烈な皮肉であり、忠告でもあった。
 若い男、それも従姉妹の恩人である男を、夜更けに私室へと招き入れている部下に対しての苦言だ。
「疲れる男ね。相変わらず」
 予想外の闖入者への見送りを済ませた後、シェリンカは肩を落としてつぶやいていた。
「そんなに嫌っている訳でもないんだな」
「冗談。面と向かって話をしているだけでも、頭痛がしてくる時があるわ。……そういう意味では、彼と
 貴方は良く似ているわね」
「なんだよ、そりゃ」
 こっちの話よと、独白めいた言葉で会話を一旦締め、彼女は髪をかき上げて気を取り直した。
「まあ、ここでもあっちでも上司なんてのは、色々と大変なんだろうけどな」
 サズがその話を引き戻す。
「二宮の重職を兼任しているのなんて、彼くらいのものよ。私に限らず、頭が上がらないのが実情だわ」
「あんただって、似たようなもんだろ」
「私はね……対抗馬ってところかしら。安直な発想という他に、ないのだけれど」
 自らが神座巫女と副宰相の補佐官を兼任するに至った経緯を思い返して、シェリンカは笑った。
 もっともそれは、その発案者に対してだけでなく、出来レースに限っての出走を許されている、自身を
 嘲る意味合いも強かったのだが。

「そんな話よりも、今は彼が何故、貴方に会いに出向いてきたのかという話の方こそが重要よ。まさか、
 噂の剣士様の武勇伝を拝聴したいわけでもないでしょうし」
「フィニアの話だって言ってたじゃねえか」
「わかっているわよ、そんなの。……ああ、ほんとにもう。こっちが口出しし難くなるのを、待ち構えて
 いたみたいなタイミングの良さ――いえ、悪さね。きっと、最初から貴方に目を付けていたんだわ」
 半ば愚痴を吐き捨てるようにして、シェリンカは渋面になって言葉を続けていた。
 彼女がフィニアへの対処権を持ち続けていれば、それを盾にザギブの要求を跳ね除けるなり、介入する
 なりすることができた筈なのだ。それを考えると、表情が曇ってゆくのも仕方はなかった。
「行くつもり?」
 釈然とはせぬ思いを抱えたままではあったが、まずは青年の意思を確かめようと、彼女は問い掛けた。
「行かない訳にもいかないだろ」
「言うと思った。引き抜きか、追い出しか……接触を図って来ること自体は予想していたけれど、こうも
 直接的に切り出してくるとは、思ってもいなかったわ」

 そこまで口にしてから、シェリンカは自らが発した言葉に対して、首を傾げた。 
「接触と言えば、貴方。司祭長の声に聞き覚えがあるって、言っていたわよね」
「ん、ああ。一昨日な。ここと王宮の間にある庭で会って、昼飯に誘われた。ついでに言うと、その時に
 フィニアが王女に戻された経緯も聞いた。ここの王様が不在だって話とかと、一緒にな」
「ああ、それで。って、それなら今更自己紹介なんて、必要なかったんじゃないの」
「いや、お互い名乗ってなかったしな」
「……呆れた話ね。細々と悩んでいるのが、なんだか馬鹿らしくなってくるわ」
 質問を重ねるごとに増してゆく脱力感に、シェリンカは段々と肩を落としていった。
 サズの話を聞いている限りでは、彼がザギブの下から戻ってきた時には、ただ単に親睦を深めて帰って
 くるだけの結果に終わるのではとさえ、思えてくる。
(餌付けとか、あの男も意外にやることがせこいわね。効果的ではあることは、認めるけど) 
 自身も何度となくご相伴に預かっていたバターブレッドの香りを思い返しながら、シェリンカは大きな
 溜息を吐き出した。
395火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:39:08 ID:CQwnfaBT

「とにかく、彼の言うことを真に受けては駄目よ。あぁもう、本当に心配になってきた。こんなことなら、
 駄目で元々で一緒について行っちゃおうかしら」
「あんたなぁ……前にも言ったけどよ。小さいガキじゃないんだから、話し合いくらいはできるって」
 今までになく落ち着きのない様子を見せるシェリンカに、サズは多少辟易としてしまっていた。 
 心配されること自体は嫌ではなかったが、妙にそわそわとしているシェリンカの姿が、どうにもらしく
 なく思えて、やりづらかったからだ。
 しかし彼女には、先程、短慮どころではない衝動に駆られていたところを咎められてしまっている。
 それだけに強く反発することには気が引けてしまい、サズはあまり邪険な態度を取る事も出来ずにいた。

「なあ、シェリンカから見たおっさ……ザギブって奴は、どんな奴なんだ」
「だから、奴とか言わないの。――そうね、色々と語れることは多い人だけど」
 話を逸らしておこうとしたサズの目論見に一言入れておいてから、彼女はそれに乗ってきた。
「敢えて、一言で言うのなら」
 シェリンカの視線が、板張りの床の上を走ってゆく。 
「危険な理想主義者といったところね」
 再び青年の下へと舞い戻ってきた青い双眸の中には、剣呑な光が灯されていた。
「なるほど。そりゃあ、怖いな」
 それを見て取り、サズは口調の上では軽い感想を口にした。 

 短い付き合いの中ではあったが、サズはシェリンカという女性を、それなり以上に認めていた。
 その彼女の言葉と仕草から、植木に鋏を入れていた姿からは想像も付かなかったが、ザギブという男が
 組みし易くはない相手なのだということだけは、彼にも伝わってきていた。
「いつまでも、こうしているわけにも行かないわね」
 シェリンカはそう言って話を切り上げると、化粧台の引き出しへと腕を伸ばした。
 チリンという涼やかな音色が、部屋の中に響く。
 それは、彼女が手にした小さな鈴から発せられた音であった。

 暫くしてから、使用人と思しき中年の男性が部屋に現れた。
 シェリンカはその男にザギブへの訪問の旨を伝えるよう命じると、自身は略装の法衣を部屋着の上から
 羽織ってサズの隣へと並んだ。
「部屋の前までは、一緒させて貰うわ」
「随分と、便利な物を持ってるんだな」
 紅玉髄を彫り出して作られた鈴のことを指して、サズが言う。
「司祭長のお手製よ。彼、なんでも作ってしまうから」
「……確かに、とんでもない相手だな」
 なんでもないことのようにシェリンカは返してきたが、つい今し方、使用人を呼び付けた鈴の正体が
 所謂魔法の品であるということは、明らかであった。
「作るの、簡単らしいわよ。それにしては誰も作ろうとはしないのだけど」 
「そりゃあ、あんな物騒な剣も出てくる訳だ」

 自分の理解できる話へと会話の内容が移った途端、サズはその表情を悲嘆に暮れさせ始めた。
 それを見たシェリンカが、口元に指を寄せて可笑しげに目を細める。 
「アズフの剣ね。まあ、あれは完全に別格でしょうけど。もっとも、それも司祭長が食指を伸ばすまでは、 
 司祭宮の奥にガラクタ同然で転がっていたって話だけど」
「フィンレッツの学者共が、揃って涎垂れ流しそうな話だな」
 魔術と学術の都として名高いフィンレッツでは、魔法の品に関する研究が盛んに行われている。
 その中でも最も稀少で、最も高度だとされていたのが、今より数千年も昔に天空を支配し、その隆盛を
 極めていたとされている、古代種族の手により産み出された遺産に関するものであった。
 そのことについては、サズはあまり詳しい知識を持ち合わせてはいない。

 ただ、冒険者などという稼業についていれば、その手の物に関する逸話を耳にする機会には事欠かない。
 不死の秘薬により千年を越える時を生きた男の話やら、空を漂う魔法都市の話やら。
 サズはその多くを、酒代も稼ぎ出せぬ半端者の吹聴する与太話と決め込み、鼻で笑っていた。
「行きましょうか」
「ああ」
 鳩尾の下。
 へその少し上の辺りを無意識の内に手で触れながら、彼は瑠璃色の法衣の後を歩き始めた。
396火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:40:19 ID:CQwnfaBT

「巧くやってね」
「ん。ありがとうな、シェリンカ」   
 相手こそ違ったが、今度はしっかりと礼の言葉を返せたことに、サズは奇妙な満足感を覚えていた。
 そんな青年の反応に、シェリンカがたじろぐ。
「なによ、急に」
 ――これでお別れってわけでもないでしょう。
 何故か、言いたかったことの半分も言えぬまま。
 セキレイの印章が刻まれた扉がゆっくりと閉じてゆくのを、彼女は静かに見守り続けていた。

「待たせて、悪かった」
「こちらこそ、夜分に済まなかったね。まずは掛けたまえ。茶の一つも出そう」
 書斎造りになった部屋の中は広く、先日二人が座を共にした部屋よりも随分と古めかしい印象であった。
 部屋の片隅には、無造作に詰まれた本の山がある。
 サズが厚い塗り仕上げのなされた円卓の席に着くと、その真上の天井から吊るされていた明かり石が、
 青い燐光を放ち始めた。
「で……フィニアについて、どんな話があるって言うんだ」
 遅れる形で向かいの席に着いたザギブへと、サズは極力普段通りの口調になるように心掛けて、先手を
 打つように問い掛けた。
 湯の気を立ち昇らせる陶製のカップが、円卓の上に音もなく戻される。

「君は、あの娘のことを好いておるのかね」
 至極真面目に。からかいや、冷やかしの色など微塵も感じさせずに、男は反問を行ってきた。
「――好きだ。それが、どうした」
 頓狂な声を上げるのをなんとか堪えて、サズが真剣に答えを返す。
「そうか。なら、この話は長くなってしまうな」
 ザギブが、その表情を微かに曇らせた。
 憐憫のものとも、悲憤のものとも受け取れる、酷く曖昧な面持ち。それをサズが、正面から受け止める。
「サズ君。フィニア王女の呪いを完全に解くことと引き換えだ。君には、このベルガを去って貰う」

「……別に、あんたがやらなくても、シェリンカがいるだろうがっ」
 極力怒気を抑えてはいたが、それでも青年の声からは、眼前の男を敵視する響きが消えてはいなかった。
「今現在、シェリンカにはその手立てがない。期待はしない方が良いよ」 
 ザギブが、淡々とした口調でそれに返してきた。
「俺が断れば、王女様のことはほったらかしって訳か。そんな脅し、誰が呑むか」
「そんな真似はせんよ。ただ、その場合は現状を改善するに留めるだけの話だ。それだけのことで、私を
 王族派の一員だと宮中の人々に認じさせようとしている者たちは、諸手を上げて喜ぶだろうね」
「なにを――」
「聞きたまえ。彼女は今、神降ろしの巫女としての才を完全に開花させている状態なのだ。眠りについて
 いる間、彼女はなんの疲弊もしてはいない。自意識を閉ざすことのみで、あのルクルアという古代の
 大霊を使役している状態なのだよ。これは、異常なことなのだ。ベルガに残された文献の中にも、その
 ようなことを成しえた者は、一人としていない」

 国を興し、滅ぼすことも出来うる力なのだと。
 そう言って、彼は青年の眼を真っ直ぐに見据えてきた。

「それが……それが、どうしたって言うんだ」
 喘ぐように、サズはザギブの言葉に抗おうとした。
「私はね。見切りを付けたのだよ。王女の力は、私の器ではどう足掻いても扱いきれぬものだ。扱おうと
 すれば、自滅の道しか有り得ぬと判断した。だがね――」
 ザギブの目に、狂的なまでに強い敵意の光が灯る。
「いるのだよ。このベルガには、王族復権の旗を掲げ、女一人を神として祀り上げて、おのれらは自身は
 安全な、旧態依然の権力の座に居座ろうとする輩共が、ごまんといるのだ」
「――それは、あんただってそうなんだろ。ここの王になろうとしていて、その為にフィニアを幽閉して
 いたって。シェリンカたちの王族派だって、あんたに勝手をさせない為だって」
397火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:41:16 ID:CQwnfaBT

 人伝に聞いていた話を、口にすれば口にする程に。
 サズはその言葉に大した意味がないことを、思い知らされていた。
「それは、事実だ。内に篭るのみで、限界を迎えているベルガを、私は国へと変えてゆこうと決め、その
 為に行動している。必要とあらば、ソムス陛下に禅譲を願い出ることも辞さなかっただろう。特異な
 までに強い霊力を秘めていた巫女を、相手方の切り札を押さえる心算で軟禁もしていた。シェリンカと
 副宰相の強引な手に、その目論見は崩されてしまったがね」

 瞳の光を翳らせて、ザギブがその言を続ける。
「その上で、彼らは幾つかの保険を掛けてきた。その多くは、私にとっては瑣末な事柄ばかりで、他に
 優先して当たるべきことが山積みだったのだがね。その中に一つだけ、気にかかることがあった」
 彼の、右の人差し指がすうっと立てられた。 
「神是巫女に想い人を与え、それにより彼女から憑依へのトラウマを取り除く。その上で明確で操り易い
 弱みを作ろうという――」
「嘘だっ!」

 円卓の席が、床の上へと転がる。
「思い当たる節はないのかね」
「出鱈目だ。そんな話、あるかっ!」
「ないのかねと、聞いている」
 飽くまで平静な装いで、砂紋の法衣に身を包んだ男が、激昂する青年へと詰問してくる。
 その黒い紋様が歪んで見えて、サズは強い吐き気にも似た息苦しさに全身を震わせていた。 
 握り締めた拳に爪が深く食い込み、鬱血した皮膚が見る間に白く染まってゆく。

 その拳が、円卓の上へと叩きつけられる。
「あ、の……ぉ、女狐ぇっ!」
「彼女を責めるのは、酷というものだよ」
 怨嗟に満ちた気を吐き洩らす青年に、ザギブはかぶりを振って諌めの言葉を口にした。
「あんたの話だって、信用はできねえっ」
 卓上から転がり落ちたカップが床板の上へと落ちてゆく。
「フィニアを利用しないって言うのなら、なんでシェリンカの奴は、あんたに協力しないんだ。それとも、
 あいつがフィニアを心配してるっていうのも、嘘だったって言うつもりなのかっ!」
 陶器の砕け散る音は、その声に掻き消されていた。

「私のやり方では、リスクが高すぎるとのことでね。彼女は彼女のやり方を選んでいるに過ぎないという
 ことだよ。ベルガでは貴重な人材なので、それを惜しいとは思うが、彼女の望むような結果を確約して
 やれないのでは、仕方もない」
 サズが耳にしている声には、真実の響きがあった。
「当たり前だ。空人の遺産だかなんだかを持ち出すような物騒な奴を、誰が信じろって言うんだ」
 否定した。なにがなんでも、言い掛かりを付けてでも、彼はその感覚を否定した。
「それについては、私が迂闊だったと言うより他にないな」
 ザギブの反応は、己の非を認めているというよりは、青年の怒気を受け止めているかのようであった。
「強引な引き剥がしが、現状を招き、結果的にあちら側の思惑を助長した。だが、それについて私は君に
 謝るつもりは毛頭ないよ。私にとって、君は敵対勢力の一員に過ぎないのだからね」

 最後の一言だけには、明らかな威圧の意図が含まれていた。
 そうしてくるのも、当然のことであろう。
 サズは、ザギブの抱いていた懸念を前途への危惧にまで膨れ上がらせた、その当事者なのだ。
「最早、君を消せば良いというような場面も取り逃した。今更それに及んだとしても、フィニア王女は
 君の末路を知ろうとするだろう。その結果、どのようなことが起こるかは、想像に難くない筈だ」

 手を引け。
 彼女のことを思わばこそ、その手を引けと。
 眼前の男ではなく、己の内から聞こえてきた声に、サズは完全に反抗への足掛かりを失っていた。
 視界が暗転し、喉の奥から嫌悪感がせり上がってきて。
 彼は自失の内に、それを足元へとぶちまけていた。
398火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:42:33 ID:CQwnfaBT

「拭きたまえ」
 気道を灼かれ、喉に強く残る嘔吐感に息を乱し、吐瀉物の前に両の手をつく青年の前に、ザギブは腰を
 折り腕を差し出した。
 サズは朦朧としながらも、その掌の上にあった白い一枚のハンカチーフを受け取る。
「あんたの目的は……なんなんだ」
「このベルガを、諸国と渡り合えるだけの国へと造り変えることだ」
 声を篭らせたその問い掛けに、ザギブははっきりとした口調で答えてきた。

「その為には、まずは内憂を取り除く。掃除から始めているところだと思ってくれれば良い」
「フィニアの安全は守れるって、言い切れるのか」
「自殺以外は、手を尽くそう。心が死に逝くのだけは、どうにもならん。無論、そうならぬように配慮は
 欠かさぬつもりではあるが」
「……あいつは、俺がいないと駄目なんだよっ」
 心の内を反転させたサズの言葉に、深いかぶりが返されてきた。
「女性は、そういう部分では強いものだよ。在るものばかりを見ているわけではない。特に、あの娘は
 そういう点では信頼してやっても良いと思うよ」
「俺が、俺があんたに協力する。汚れ役だって、なんだってする」
「落ち着きたまえ」
 
 砂紋の法衣の裾を床の上へと広げたままで、ザギブは続けた。
「全てが片付けば、あの娘の為にも迎えの一つくらいは出してやれる。今が全てだとは、思わぬことだ」
「いきなり、ねえよ。そんな話って」
「――奥の部屋に王女殿下が眠っておられる」
 法衣の裾がサズの目の前で上がってゆき、それが二人の会話の幕引きとなった。 

 閉ざされた目蓋と蝋の如く白い肌は、まるで死者のそれを思わせたが、その胸は緩やかな上下をみせて
 おり、そのことがサズにぎりぎりの現実感を与えてきていた。
 豪奢な寝台の上を塞ぐ天蓋には、やはり複雑な印が刻み込まれている。
 部屋の扉は閉ざされている。
 戒められていたわけではなかったが、サズはそこに横たわる少女へと腕は伸ばせずにいた。
「攫っちまえばとか、ないな」
 遅かれ早かれ、この状況は訪れてきていたのかも知れない。
 そんなことを思いながら、彼は語り掛けていた。
「考えておけとか、偉そうなことばかり言って。俺は、なんも考えちゃいなかった。ただ、お前と一緒に
 いれたら良いってだけで」
 せめてとばかりに、語り掛けは続いてゆく。
「今、考えてみてもなんも浮かんでこねえ……難しいんだな、一人じゃないことって」
 気持ちが落ち着いてゆく代わりに、胸の内にあった現実感がどんどんとその重みを増してゆき、それで
 漸く、サズは地に足をつけている感覚を取り戻していた。

 覚悟は定まらずとも、避けるべき選択だけは見定めることができた気がしていた。
 少しずつ、どうするべきか、なにをしておくべきかということに気が回り始めていることが、辛い。
 ふと、彼は思った。
 なにをするべきか、それを考えられなくなった時点で。
 なにをすれば良いのかと、他者にそれを委ね切っていた時点で。
 自分はなにもできなくなっていたのかもしれないと思った。
 彼女の為だ。
 その言葉を念じることを、無力な自分への免罪符にしていた気がする。
 
「じゃあな」
 己の手で扉を開き、彼はそこを後にした。
399火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:44:45 ID:CQwnfaBT

 暗い。
 暗いのは闇の中なのだからなのだと、彼女はそれに気付いた。
 気付かなければ、ずっとそこで漂い続けていたのかも知れない。
 気付けたのは、闇以外のものがあったからだ。
 赤い。
 赤い光点が目の前に現れて、ゆらゆら、揺らめいていたので、そこに意識が向けることができたのだ。
 なんだろう。そう思うと、赤い光が近付いてきたように思えた。
 近寄ったのは彼女自身の方なのだが、闇に包まれたままでは、それを自覚することもできない。
 ゆらゆらが止まる。
 中心に、少年がいた。所々破けほつれた服を着た、赤い髪の少年が。

「どうしたの?」
 下を向き、手でごしごしと顔を拭い続ける少年へと、彼女は声を掛けた。
 少年の顔が上がり、赤い瞳が片方だけ向けられてきた。
 額に、血が滲んでいる。擦り傷は至る所に。赤茶色に見えていた服は、ごわごわと乾燥して見えた。
「いじめられたの?」
 泣いている理由を、彼女は問うた。
 手を伸ばしたいと思い、そこで気付く。
 身体がない。――念じた。腕を、身体を作り、彼女は手を伸ばして、少年の頭を包むように撫でた。
 腕の中で、少年の頭がぶんぶんと左右に振られる。
「?」
「花が」
 首を傾げた彼女へと、少年の握り締められていた手が差し出されてきた。
 指が開かれ、その掌が露になる前に、闇の中へと葉の一切れが零れ落ちた。
 煤だけが、残っていた。
「握れないの、燃えちゃって、消えちゃうの」
「――サズ!」
「花が」
 すんすんと鼻を鳴らす少年の髪をしわくちゃにして、彼女は抱え寄せた。
「さずっ!」
 包み込もうとして、自分もちいさな少女になっていた。
 抱き合う形でふれようとすると、赤い光が薄れ始めた。

 目を凝らして、彼女はそれを見つめ続ける。
 弱く、小さくなっていっても、消えてはいないことを確かめる為に。
 彼女はずっと、ずうっと、それを見つめ続けようとしていた。

「――」
 扉が閉ざされて一度だけ。彼女は何事かをつぶやくと、再び眠りの中へと落ちていった。
400火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:47:36 ID:CQwnfaBT

「くぁ……」
 部屋の片隅に積み上げられていた本の山が、どさどさと音を連ねて崩れ落ちる。
 その奥から、濁った銀色の体毛を持つ男がむくりと起き上がってきた。
「あん? なんだ、おめえ。食い過ぎにでもなったのか?」
「人の部屋で勝手に寝転がっておいて、いきなりそれか。まあ、私ではないが、食中りをしたのがいてな」
 職務机の前に座していたザギブが、その声に振り向く。
「冗談だよ。知っているって。おめえも酷いなあ。いたいけな少年を散々いたぶって」
「お前のように逃げ道まで塞いだりはせんよ。自棄になられては、困るしな」
 ぼりぼりと耳の後ろを掻く人狼――ギ・グへと返し、彼は筆を握っていた手の動きを止めた。

「あんなもん、空約束だろ。サズの奴も、青いなぁ」
「その青い少年を褒めちぎっていたのは、どこの誰だ。それに、空約束つもりなどないぞ。口にした以上、
 必ず果たしてみせる。無論、私一代でことが済めばの話ではあるが」
「気が短いんだか、長いんだか。どっちにしろ、あの嬢ちゃんにも責められるなぁ。楽しみ、楽しみ」
 けひひっと下品な笑い声を吐いて、ギ・グが飛び起きた。
 ザギブが居住まいを正して、その笑いを弾き飛ばす。
「差し詰め私は、悪の魔法使いだからな。それくらいは仕方もなかろう」

 真ん丸に見開かれた獣の瞳孔は、真剣味に満ちていて、意外に愛らしい。
「なんだ。その目は」
「いや……お前、冗談言えたんだな。すげぇ、とうとう完璧人間になっちまったな」
「そう思ったのなら、笑え」
 憮然とした眼差しを人狼へと叩きつけ、ザギブは溜息を一つ吐いた。

 そこにギ・グが歩み寄る。
「で、次はどこにちょっかいを出すんだ? 魔法使いさんよ。指輪の方は、もう手を入れ終えているん
 だろ。イリョクテーサツやら実験やらは、そろそろ勘弁願いたいところなんだが」
「キルヴァからだ。ブリス大公にも話は通してある。動き自体はコクンヴァラドへの方が先だが、どの道
 お前を使うのなら、派手な方に回しておきたいからな」

 フヒューという、軽い息洩れの音が部屋の中へと響いた。
「抜けんな、その癖は」
「うるせえ。顎が、口笛には向いてねえんだよ。ったく、一々茶を濁しがって。相手はボルドだよな?
 ロウジェルの砦には、まだ顔を出してねぇんだ。調練はアズフにでも任せて、俺は走っておくぞ」
「その前に、頼みたいことがある」
 肩を鳴らしてやる気を見せ始めた人狼へと、制止の声が掛けられる。
 ザギブが机の脇へと腕を伸ばし、鞘に収められた一本の剣を掴んだ。
 それが、ギ・グの胸元へと投げて寄越される。

「こりゃあ……」
「それと同じように扱えそうなのを、頼む」
「いつもの所からでいいのか?」
「構わん」
「太っ腹だな。じゃあ、鍵も寄越せ。夜逃げされる前に、渡しておいてやるからよ」
 頷きと共に、銀色の煌きがギ・グへと投げ放たれてくる。
「アズフの奴が困りそうなのを、選んでおくとするか」
 心底、愉しそうに笑いながら。
 それが宙にある内に指先で摘み取って、彼は部屋の出口へと向かって行った。
401火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:48:27 ID:CQwnfaBT

 風が強かった。
 夜中であっても、落ちる月明かりが空が荒れていないことを教えてくれている。
 厩舎から葦毛を引いてきた青年に、シェリンカは厳しい眼差しを送り続けていた。
「これ、持って行きなさい」
「受け取れねえよ」
「良いから、早く受け取って。持って帰るのも疲れるのよ」
 半ば押し付けるようにして、彼女は貨幣で嵩張った麻袋をサズへと渡した。
 サズの頭が、深く下がる。
「後、これも」
 そのままの勢いで、彼女は一冊の本を押し付けた。
「ニアの。もうこんな物を読むような歳でもないから。捨ててしまおうかと思っていたから、ついでよ」
「……手作りなんだな」 
 パラパラとその本の頁をめくっていって、サズはそれを荷袋の中へと仕舞い込んだ。
 それを見て、シェリンカはこっそりと息を吐く。

「私としては、あの子に余計な話をされずに済むと思えば……良いのだけれど」
 彼女は、不機嫌さを現すようにして胸の前で両の腕を組んでいた。
 サズは既に葦毛の鞍へと荷物を掛け、フードを目深に被り込んでしまっている。
 夜陰を裂く月光も、その内を照らし出してはくれない。
 シェリンカが、後に続ける言葉に迷った。
「悪かった」
「え?」
「あんたのことを疑った」
 それきり、彼は黙り込む。

「ついて行くべきだったのかしら」
 青年の突然の出立については、彼女はしっかりと説明を受けてはいなかった。
 ただ、サズがここを出てゆくと言ったので、こうして見送りをしに来ていたのだ。
「いつも、こうなのよね。あの男は、なんでもかんでもぶち壊しにしてゆくのよ。平穏な人生を送りたい
 人間としては、いい迷惑」
「かもな」
 その同意が、前後のどちらに対してなされていたのかは、彼女には良くは分からなかった。
 分からないのは、この状況にしてもそうだ。
 自分たちにとって、こうなることが良かったのか、悪かったのか。

「フィニアと仲良くな」
「……どうか、ご健勝であらせられますよう」
 出立なのだと、シェリンカは心の中でもう一度繰り返した。
 自分は、今まで通りにしていれば良い。帰りを待つのに、それは不要なものではないのだから、と。
 流れは自体は変わらない。その中に在っては、変えられはしなかった。
 ただ、作られた支流の一つが離れて行ったことを、彼女は感じ取っていた。

 伏した顔を上げる頃には、馬蹄の響きは遠ざかり。
 後に残るのは、見慣れた夜空と静寂の都。
 鳴かぬセキレイが、長き尾を繰り返し振り続けるだけで、飛び立ちもせずにそこに留まり続けている。 
 南東からの風が吹く。
 珍しかった。この季節の風は、もっぱら北の山肌を滑り落ちてベルガへと流れ込んでくるのだ。
 大地を覆う黄砂は、その山の岩壁が風化して生まれた物だ。
 繰り返し繰り返し。長い歳月を経て降り積もった黄土の大地以外を、シェリンカは知らない。
 文献の中にある様々な土の差異を知る内に、果て無き空でさえも、ここと外の物とでは、全くの別物
 なのではないかとさえ思い始めていた。 

 招き入れたエトランジェが去ってゆく。異邦人が去ってゆく。
 何故だか、自らの失策を悔やむ気持ちも湧かなければ、青年の行いに幻滅することもなかった。
 ――自分は、外の世界の人間を見てみたかったのだ。
 それに気付き、シェリンカは踵を返した。風が止むよりも早く、踵を返した。
402火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:49:13 ID:CQwnfaBT

 葦毛の挙動は、明らかに鈍かった。
 恐らくは、ベルガの厩舎に繋がれている間に、一度も外へとは連れ出されてはいなかったのであろう。
「悪いことしちまったな」
 走っていればそれで幸せというわけでもないのだろうが、それでもサズは連銭葦毛の牡馬に詫びた。  
 葦毛は気にした風もない。耳をぴくりとぴくりと動かして、歩を刻むことに専念しているようであった。
「これから、どうするかな」
 時折凪となる風を受けて、進んでゆく。
 岩壁に囲まれた抜け道を過ぎ去り、彼らは境界を越えていった。

 周囲の草花が見知った背の高さになる頃に、それは訪れてきた。
 サズの周りを、見慣れぬ生き物が取り囲んでいる。
「狂い落ちって奴か」
 自らの迂闊さにほぞを噛み、手綱を操る腕に力を込めた。
 ギ・グの話に出ていた魔物であろう。
 大人の腰程の上背を持つ土色の肌の人影が、耳障りな声で以って吼え始めた。
 木々の合間を縫って、それに木霊を返すような叫びが応えてくる。
 
 腰元へと片腕を伸ばして、サズは舌打ちを飛ばしていた。
 そこに、彼が愛用していた剣はない。
 魔術の印を結びかけて、すぐにそれを放棄する。
 下手に触発するよりかは、ギ・グが苦手だと言っていた水源目指して逃げた方が得策だと判断した。
 馬首を巡らせ、一気に葦毛を駆けさせようとする。
 その後ろから、地を蹴りつける野獣の疾走する気配が近付いてきた。
 ざんと草を押し退ける、一際強い蹴り足の音にサズが振り向き身構える。

 再び地に降り立つまでに、二閃。
 胴と頭を泣き別れにした魔物が二匹。肺を潰されて倒れ伏したのが一匹。
「だからそっちは、崖だって言っただろうが」
「ギ・グ、あんた」 
 ぎぃと声を上げて飛び掛ってきた魔物を、顔の高さまでに来たところで拳の裏で打ち払い、撫で斬りに
 して、人狼が呆れたような声を掛けてきた。
 その銀の体毛が、見る間に青黒い鮮血に塗れてゆく。
「こっちだ。ついてこい」
 優に十以上の魔物を打ち倒してから、ギ・グは暗い森の中へと駆け出した。
 サズがそれに続く。背後では、遠巻きにしていた瞳の群れが吼え狂っていた。

「今日は運が良かったぜ。砂が吹いてきていたら、追いつけなかったなぁ」
 ざばざばと川の水を身体に浴びて、ギ・グは嬉しそうな声を上げていた。
 一頻り汚れを流し終えると、川岸へと戻りぶるると首から全身を震わせて水切りをする。
「ほれ、持って行け」
 サズが跳ね飛んできた飛沫に顔を顰めていたところに、それが投げ寄越されてきた。
「これは――?」
 剣に見えたそれの鞘を掴み、今度は首を捻る。
「餞別代りってところだな。遠慮せずに持って行け」
 ギ・グの言葉に、サズは少しの間だけ逡巡をみせたが、結局はそれを腰へと佩いてみせた。
 人狼の顔が歪む。満足気に笑っているように、サズには見えた。
「じゃあ、俺はこのまま散歩に行ってくる」
「ああ。ありがとう、ギ・グ。助かった」
「止めろ止めろ。ただでさえ寒いのに、風邪引いちまわあ。――じゃあ、またな」
 返事も待たずに、人狼は白い息を吐き散らして駆け去っていった。
「俺らも、行くか」
 葦毛の嘶きを耳に、青年は月明かりの照り返しに光る道を進んで行った。
403火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:50:04 ID:CQwnfaBT

 まだら模様の友人との散歩に勤しむ以外は、なにをするでもなく。
 ベルガを離れて以降、サズはボルドの城下町に滞在し続けていた。
 ベルガを離れて、既に三月が過ぎようとしていたが、足は動いてはくれなかった。
 フィニアへの未練と、過ごした時間の多くがそこにあったので、離れられずにいたのだ。
 場末一歩手前の酒場で、酒に溺れられるわけでもなく、怠惰な日々を繰り返す。
 
 なにをするべきかと、考えはしていた。
 それが巧く行かない。滲み出てくる虚脱感に、肩が無気力に落ちてゆくだけであった。
 体調も酷かった。
 床に就こうとすれば、過去の選択を悔いて寝付けず。漸く眠ることができても、目を覚ませば少女との
 日々を反芻して、惰眠を貪る……昼夜は逆転し、日を数えるのに苦労した。

 いつまで待てば良いのだろうかと。
 腐りゆく中で、いつしか彼はそれだけを考えるようになっていた。
「――?」
 昼を回り、六つ目の鐘が打ち鳴らされ、日差しが緩やかになる時間帯を過ぎて。
 宿の一室にて、サズはその異変に気が付いた。
 外で怒声と悲鳴が上がり、それが止むことなく続いている。
 もう何度となく読み返していた本を閉じ、それを仕舞って建てつけの悪い窓へと近付いた。
 
 初め、それはよくある喧嘩騒ぎの一つかと彼は思った。  
 だが、それにしては様子が可笑しい。
 人の騒ぐ声は妙に大きく、窓枠を奮わせんばかりに届いてきているし、立ち並ぶ家屋からは、次々に
 その住人たちが顔を出している。
 ある者は、必死の形相で走り去って行った。
 ある者は、一度通りに姿を見せたきりで、扉を閉ざし続けていた。
 サズは暫くの間、そんな城下町の様子を眺めていた。
「そうだ」
 葦毛が騒ぎに巻き込まれてはいないだろうか。
 そう思い、彼は部屋を出ることにした。

 異様であった。
 地鳴りの如く人々の声は続き、その数も増してゆくばかりであった。
 その内容は聞き取れずとも、切迫した雰囲気だけは嫌が応にも伝わってきている。
 不安に駆られ、サズは駆け出していた。
 駆けながら、何事が起きたのかと考えを巡らせる。
 天変地異? それにしては空は晴れ渡っており、風は穏やかなものだ。
 大火事? そんなものは、臭いで分かる。
 貧相な馬小屋に辿り着くと、そこに繋がれていた馬たちは怯え切っている様子であった。

「どうした?」
 つい、サズは声を掛けてしまっていた。
 葦毛が強く鼻を鳴らし、それに返してくる。
 こいつだけはいつものように落ち着き払っているだろうと、そうサズは思い込んでいたのに、今日に
 限っては様子が違っていた。
 前足の蹄が、二度三度と剥き出しの土を掻いた。早く乗れと言わんばかりに、たてがみが振られる。
 頷き、青年は馬装に手を伸ばした。

 城下町においては、馬を走らせても良い道は定められている。
 基本的に住人たちが頻繁に足を運ぶ場所での、馬による通行は認められていない。
 逆に言えば、騎乗を認められた道を好んで歩く人は多くなかった。
「なんだよ、これ」
 鞍上のサズが、呆気に取られて声を洩らした。
 その騎乗を許可された道が、人で溢れかえりそうになっていた。 
 数はそう多くはないが、道の交差する場所で団子になってしまっている。
 その上、ぶつかり合った人々が諍いを起こし始めたりもしている。
404火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:53:35 ID:CQwnfaBT

「一体、なにがあったんだ」
 怒号の中をゆく一人を捕まえて、サズは問い掛けた。
「東のロウジェルが、落とされたんだよ!」
「ロウジェルって……あの要塞がか?」
 それだけを言って走り去る男の背を見送る形で、彼は問い掛けを続けてしまっていた。 

 ロウジェル。
 ボルド王国がオーズロン連合に対して築き上げた、軍事的要衝にして領内最大の要塞。
 結盟戦争と呼ばれたその戦いにおいて、王国側と連合側による争奪が繰り返され、最も多く人の血が
 流された場所とされ、別名「血の監獄」とも呼ばれた、広域要塞の名がそれであった。
 両勢力の間で結ばれた不可侵条約による和平が成された後にも、そこには王国きっての錬兵が置かれ、
 絶えず東方諸勢力に対しての警戒が行われていたのだ。

 それが陥落したと、男は言っていたのだ。
 戦争。その二文字が脳裏を過ぎることで、サズは異様な町の有様に納得することができた。
「センソウ――?」
 口にしてみる。確かめるつもりでつぶやいてみる。
 納得ができたのは、そこまでであった。
 後のことは漠然としか分からない。大勢の人が死ぬ。町は焼かれ、城は落とされる。
 その程度のことしか、その言葉からは連想できない。

 舗装の行われていない路地には、もうもうとした土埃が立ち込め始めていた。
「……ふざけんな」
 嫌だった。壊されるのが嫌だった。蹂躙されるなんて許せなかった。奪われることは懲り懲りだった。
 汚されるなど真っ平だった。踏み入られて見過ごせる筈がなかった。嫌なのだと、はっきりと思えた。
「ふざけてるんじゃねぇっ!」
 サズが吼えて、葦毛が東へと向けて疾駆する。
 そちらにだけは、人の垣根も存在はしておらず、突き抜けるようにして人馬は進んで行った。

 ボルド王国新歴212年。連合歴118年。中央大陸歴792年。
 オーズロン連合からのボルド王国への侵攻が開始された。
 皮切りとなったのは、連合側の主要都市を抱えるキルヴァ公国からの、ロウジェル要塞に対する電撃戦。
 キルヴァ最大の戦力、複合兵装騎兵による強襲。
 それを王国側に許したのは、小規模な突入部隊の暗躍による破壊工作の成果が大きかった。
 生還を果たした若干名の兵卒たちは、口々にこう言っていた。
 ――獣人。巨漢の人狼に率いられた、獣の兵士たちが、夜の闇に乗じて上官たちを次々に殺していった。

 火と鉄に加え、魔獣・幻獣までもが戦線に姿を現したその戦いは、後に獣魔戦争と呼称された。
405火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:54:41 ID:CQwnfaBT

 出撃ラッパの音と共に、外周の門が開かれてゆく。
 ボルド王国が擁する緑槍騎士団がその威容を顕わにするよりも早く、要塞陥落の報が城下町へと広がり
 きっていたことが、王国側の平和ぼけっぷりを見事に現していた。
 かつては大陸を越えて列強の名を知らしめた雷宣魔術師団は、その姿を現していない。
 指揮系統の乱れどころか、王都への召集そのものが成されていなかった故の失態だ。
 勢いだけは立派に開け放たれた門も、そこを通過するべき兵の姿は、遥か後方の王城の傍近くにあり、
 要塞を落とした勢いに乗じてくるであろう敵兵を、むざむざと招き入れようとしているようであった。

 ボルドが保持する総兵力は、未だ近隣諸国の追随を許さない。
 だが、自国内での紛争の鎮圧にも慣れ、連合間での小競り合いを繰り返してきたキルヴァの兵士たちに
 比べて、彼らは実戦経験の面で大きく見劣りしていた。
 指揮系統を完全に破壊されていたとはいえ、豊富な兵装に守備兵器を備えるロウジェルの、短時間での
 陥落がそれを証明したのだ。

 結果、現在王国の将軍職にあった者たちばかりが憤激し、その他の軍籍にある者の士気は地に落ちた。
 ――オーズロンが戦争を仕掛けてきたところで、一番に矢面に立つのは自分たちではない。
 多くの者たちは、そんな風に考えていたのだ。実力と気概が少しなりともある人間は、既に要塞への
 赴任を命じられていたのだ。
 残っていたのは、同胞の死に檄を飛ばす意気すら持たない者たちが大多数であったのだ。
 兵も、それを預かる隊長職にある者も、国王バラム・ウォズル・ボルド四世の命を受けた将軍が、己の
 上官にはならぬようにと、祈り続けている有様であった。

 吹き鳴らされたラッパ音の意味など、サズには分かる筈もなかった。
 ただ、彼にとっては都合の良いことに、東の門が開け放たれていた。
 もし、封鎖されていたらどうするのかとか、王国の兵士たちと鉢合わせたらとか。
 そんなことは最初から考えてもいなかったので、彼はそこを一気に駆け抜けた。
 死人のように顔を青ざめさせていた門兵たちは、背後から響いてきた激しい馬蹄の音に、揃いも揃って
 肝を冷やしてしまい、結果、全身を硬直させたままで青年の背中を見送ることとなった。
「――お、おい。今の」
 その中の一人が我に返り、同僚へと声を掛けた。
 辺りには彼ら以外には人影はない。
 心細さから身を寄せ合い、駆け抜けた若者の話題を口にすることで、門兵たちは気を紛らわせていた。

 サズの考えていたことは、一つであった。
 ふざけたことを仕出かそうとする奴の、横面を張り倒す。
 それで足りなければ、とことんまでやり合うと決めてしまっていた。
 これから戦場になろうという原野に軽装単騎で踊り出すさまは、傍から見れば気狂いのそれだ。
 だが、そのくつわの操りぶりは見事なもので、彼は葦毛を街道から程近い高台へと走らせると、陽の
 光を背に近傍遠景を見渡していた。
 ロウジェルからボルドの王都へと伸ばされた大街道の傍には、畜産と農業を営む平民の家屋も数多く
 存在し、それが自然と寄り集まることで小さな集落を成していた。
 
 大まかな地理を確かめると、サズは東へと向かって行った。
 進めば、いつかは押し寄せてくる不届き者と遭遇することができるだろう。
 人家や水田、畜舎に農園の様子を馬上から覗きつつ、彼は進み続けた。
 久しぶりに思い切り手綱を取っていたので、息は簡単に乱れてしまっていたが、やはり走りそのものは
 軽快な動きを維持することができていた。

 葦毛の調子が良いのだ。以前から良馬だとはサズも思ってはいたが、その言葉すら物足りなく思えて
 くる程に、切れが良い。呼吸も、サズが合わさせているというよりは、互いに合わせている感じだ。
「お前もやる気か」
 勢い任せに乗ってきてくれていることが、嬉しく思えた。
 久しぶりのその感情と、頬を打つ風の感触が心地が良かった。
406火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:55:31 ID:CQwnfaBT

 人の叫び声を耳にして、サズは手綱を緩めた。
 ももの締め付けを緩めて腰を張る。葦毛は彼の思うとおりに、歩調を緩やかなものへと変えていった。
 悲鳴と怒号、そして断末魔の叫びが飛び交っていたのは、小農家が集ったと思しき集落の一角からで、
 サズはそこに自らが求めていたものを感じ取っていた。
 嗅ぎ慣れた臭い。一方的に打ち倒し、倒される気配。戦いではなく、虐殺の場の空気。
 迷わず、彼はそこに飛び込んでいった。

 無計画さを絵に描いたような道をゆき、木造の家屋を二つ過ぎると、辺りは濃い血臭に満たされていた。
 襲われる者と襲っている者の見分けは、簡単に付いた。
「――そうかよっ!」
 言いざまに、腰にしていた長剣が抜き放たれた。
 腰を抜かした老女へと覆いかぶさるようにしていた襲撃者の首が、水平に飛んでいった。
 首。縞模様の毛皮に覆われた、獣の首だ。
 一撃で頸部を横へと断ち割られた獣人が、平らな断面から赤い飛沫を噴水のように噴き上げた。
 馬首を軽く返し、サズは次の獲物を求めて刀身を肩へと預ける。
 知らず彼の口元には、笑みが浮かぶ。
 湧き上がり続けていた怒りをぶつけるには、それは最高の相手であったからだ。

 馬上からの攻撃に向くだけのリーチを、その剣は備えていた。
 肉厚な刃が生み出す破壊力は、突進の力と合わさると、鎧を着込んでいた獣人の胴すらも両断した。
 加えて、それはサズの技量を一切損なうことがなかった。
 軽いのだ。手にしたその時には既に感じはしていたが、ギ・グより渡されたその剣は、驚く程に軽量で、
 細剣のみを扱い続けていたサズの手に、即座に馴染むバランスを有していた。
 軽い。だがしかし、重い。繰り出される剣撃の威力は、やはり重量を伴う長剣のそれなのだ。
 明らかな魔法の品であった。
 サズはそれを、軽量化の魔術が施されていたとばかり思い込んでいたが、実際にはもっと高度な、彼が
 その効力の名称さえも知らぬ魔力が込められた品であったのだ。

 葦毛の駆けるに任せて、片付けられる相手を粗方片付けて。
 サズは残る獲物を殲滅する為に鞍から飛び降りた。
 家屋に侵入できずにいた熊の体を持つ獣人が、そこに突進してきた。
 他の獣人とは違い、手に武器は持っていない。代わりにと言うべきか、全身をスパイクの仕込まれた
 板金鎧に包んでいる。 
 ちらと周囲の状況に目をやり、サズはその突進を受け止める構えをみせた。
 獣人が勢いに乗る。乗ったので、サズは構えを解いた。
 解いて、自らが背にしていた家屋の窓枠に足を掛け、彼は垂直に跳んだ。
 青年の足元ぎりぎりを獣人が通り過ぎてゆく。逆手に握られた長剣が、板金と獣毛の間に潜り込む。
 ずぶりと厚い肉の中へと突き立てられた刀身が、獣人が突進する勢いで再び外へと姿を現した。

 遠巻きに、人々は青年の姿を眺めていた。
 遺骸に泣き付き、そこを離れなかった者。家族を伴い、逃げ惑っていた者。
 突然の事態と恐怖に、身動きすることができなかった者。
 その全てから浮いている青年の姿を、誰もが見つめていた。
 その中の一人が、ふらふらと畜舎の中へと歩いてゆく。
 そして再び彼が姿を現した時には、その手には干草を扱う為のフォークが握られていた。

「あんた……?」
 妻に声を掛けられた中年の男が、ごくりと唾を飲み下し、足を前へと踏み出した。
「い、いってくる。お前は、子供たちを守っていてくれ」
 男は虫も殺せないような大人しい性格で、そのお陰で家畜を扱うのにも色々と苦労していた。
 その男にとって、妻はその苦労を分かちあえる大切な人であった。
「俺も」
 特に男と仲が良かったわけでもない、牧童の青年が地面にへたり込ませていた腰を上げて言った。
 男たちは顔を見合わせて、頷いた。
 慣れない血の臭いと、隣人と化け物の死骸を前に、おかしくなってしまったのかも知れない。
 そんなことを考えながらも、彼らは一つの輪を作り、立ち上がり始めていた。
407火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:56:18 ID:CQwnfaBT

 長剣の横腹が戦斧の一撃を、微細な鉄と火を散らして受け止める。
 蹴り上げられたブーツの先端の金属片が、涎を垂らす顎先を天へと突き上げた。
 数えて、十と八。家屋へと入り込んでいた奴に出会い頭の突きをくれてやり、更に一を加え。
 サズは残る気配の元へと突き進んでいた。
 彼が斬り結んできた相手は話など通じぬ魔物たちだが、サズは自身の経験から、それを操る者が近くに
 いることを予想し、期待していた。
 脳裏を濁銀の人狼の姿が過ぎるが、それも構わないと思っていた。

 気配を追って集落の外れへと向かうと、それは遠ざかっていった。
 思わず、舌打ちが飛んだ。腰抜けの動きに苛々が募り、彼は葦毛を呼び寄せて再び鞍上へと座した。
「逃がすか!」
 土塊を巻き上げ、四肢をしならせ、まだら模様の馬体が腰抜けを追い立てた。
 逃げる後姿はすぐに見えてきた。白い。白い外套の後姿をサズは視界に捉えた。
 既視感を覚えた。白。白装束。白尽くめの男――フィニアを攫おうとした者たちの姿を、サズが思い出す。
「オーズロンのっ」
 上らせた呼称の意味を考えるよりも早く、彼は長剣を振るっていた。

 白い外套の男の手に目当ての物を見つけて、サズは大きく息を吐いた。
 細かな差異は分からなかったが、恐らくはギ・グやアズフが嵌めていた物と同じ、支配の指輪。
 ベルガとオーズロン。シェリンカの伝えてきた情報からその関係は知りえていたが、それが明確な形を
 持ってサズの目の前に突き付けられてきていた。
 戦争。それを仕掛けてきたのは、東からではなく、南からなのかと。
「国に変える……か。奪って、それで造るのが、変えるってことなのかよ」
 強く歯噛みをすることで、平静さが降りてきた。
 同時に、強い疲労感がやってくる。感情と動きを爆発させた反動に、サズは軽い眩暈を感じた。

 そのサズの下へ、再び獣の足音がやってきた。
 気配を隠すつもりなぞ、微塵も感じさせぬ躍動感に満ちた軍勢の気配に、彼の背筋が凍る。
「まずいな、流石に」
 今更になって自分の無謀さを自覚し、葦毛の手綱へと腕を伸ばした。
 そこで彼は、雄叫びの声を耳にして振り向いた。
 小さな地鳴りの音に続き、集落にいた人々の姿が目に飛び込んできた。
 その殆どは男性であったが、手に鋤や鍬などの農具を持っている。
 戦うつもりなのだと、サズは悟った。

 まずかった。不味過ぎた。
 これからやってくるであろう獣人の一団を引き付け、このままこの場を駆け去る算段を付けたところに、
 この展開は不味過ぎた。
 自分と集落の人々が真っ向からかかったところで、ここを目指してくる獣人たちを打ち破れる可能性は
 なかった。襲うことに夢中になっていた、無能な指揮官相手に不意を付けたからこその戦果を、先程
 までの自分と同じように頭に血を昇らせた男たちは、理解できはしないだろう。
 陽動などと思わずに逃げれば、自分は助かる。
 助かるが、それはしたくなかった。逃げればそこまでなのだ。
 失ってしまうのは、もう本当に嫌だった。

 打開の術を思い浮かべると共に、彼は決断した。
 どうせなにかを捨てなければいけないのならと。
 疎まれても、忌み嫌われても、自分が大事にしたい物を取ることに決めた。
「どの道、あいつらはボルドに雪崩れ込むつもりだろうしな」
 一番の理由をついでのように言ってみたのは、単なる当て付けであった。
 今から自分を罵るであろう人々への、せめてもの当てつけに過ぎなかった。
408火と闇の 第九幕:2009/03/03(火) 18:57:03 ID:CQwnfaBT

 大街道の上を、獣の行進が席巻する。
 サズはそれを確かめると、今一度、背後に迫る集落の人々へと叫んだ。
「そこで、見ていろ!」
 発された声に合わせるように、葦毛が棹立ちとなった。
 そして一声嘶き、たてがみを震わせて獣の一団に相対する。
 それで、雄叫びが止んだ。足並みの揃わぬ猛進も、勢いを失った。
「片付けてきてやる」
 手綱が引き絞られる。矢の如く、彼らは突き進んだ。

 二つ、サズにはやることがあった。
 一つは、炎を以って眼前の敵を焼き尽くすこと。
 剣を鞘へと収め、両手で素早く印を結ぶ。
 印術を行使するのに、複雑な呪文の詠唱は必要ない。
 代わりに必要とされるのは、正確に描かれる呪印と並外れた集中力。それが発動への大前提なのだ。
 宙空を走る指先に、赤い火花が追従する。
 サズが極限まで集中を成した時に起こる、彼特有の術式の展開現象だ。

 獣の一団の先頭の姿が、はっきりと視認できる距離になった。
「――原初の灯火、火の源流」
 一旦は組まれた発火の印が、あやとりを返すかの如くして刻み返される。
 基本的なものを中心に印術を習得していたサズの扱える、唯一の上位魔術。
 自身の特性を前提に組まれた、専用魔術――オリジナル・スペル。
 先頭を行く狗頭の獣人を、豹頭の獣人が追い抜く。
 街道を逸れて走る影は見受けられなかった。荒々しくも、見事な行軍だ。
 小さな赤い光点が、サズの前方へと産み出された。
 その光点を通して、サズが土埃を巻き上げる敵対者の姿を睨み付ける。
「――いでよ、獄炎!」
 呪と印が、完成した。 

 赤い光が膨張してゆく。
 未だそののどかさを保っていた平野が、紅に染まる。
 膨張した光が収束し、爆ぜた。爆ぜて炎の嵐を巻き起こし、大街道の上を突き抜けてゆく。
 そこからは、時間との勝負であった。
「逆巻く奔流、天への標」
 サズの指先が再度、印を結んでゆく。
 風を操る。それがもう一つのやるべきこと。
 獣人たちが、炎に呑まれる。断末魔の叫びを上げることも叶わず、逞しい鋼の如き肉体を瞬時にして
 煤の塊へと変えられてゆく。
「吹き抜けろ!」
 限界までに射程を引き伸ばされた魔術が、燃え広がる炎の中心で発動した。

 風が、天へと向けて渦巻く。炎を、熱気すらも従えて、細く長く統制された風が吹き上がり続ける。
 間近にあった青年と葦毛の姿が、光の中に赤く染め上げられて映し出された。
 赤い髪を隠していたフードが、後ろへと押し流される。
(上手くいったか) 
 安堵の息を洩らしてから、サズは口元を歪めた。
「こんなことばかり、出来てもな」
 一直線に作られた焦土の上には、焼け焦げた武具と黒い彫像の残骸だけが残されていた。
 そこに動いているものはない。精々、風に煽られた煤が焦土の上を転がる程度だ。
 
 サズが首を後方へと巡らせて、続けて馬首を返した。
 滑り出すようにして、葦毛が悠然と歩を刻む。彼はそれを、引きとめはしなかった。
 せめて、逃げるように立ち去ることは避けたかったからだ。
 なんと言われようと、大嫌いな石が飛んでこようと、やりたくてやったことなのだから、堂々として
 いたかった。それくらいは、格好を付けさせて欲しかった。
409火と闇の 第九幕

 視線が、青年の下へと殺到してきた。
(……なんだ?)
 慣れていると思っていた筈なのに、サズはその眼差しに圧倒されるものを感じていた。
 それは見たことのない、瞳であった。そして、全て同じ色合いに見える瞳の群れでもあった。
 敵意は、一切感じられない。しかし、好意的というには強すぎる視線の雨に、サズは悪寒を覚えた。
「文句がないのなら、道を開けてくれ」
 掻き分けてでも進もうと決めていた道が、その一言で左右に割れた。人の群れという名の道が割れた。
(なんだってんだっ!)
 反発するように、彼は手綱を強く手繰り寄せた。
 葦毛が棹立ちをし、そこから街道の脇道へと駆け込んでいった。

 気分が悪かった。
(いや……)
 少しだけ考えてみて、サズはその感想を訂正した。
「気味がわりぃ……気味が悪かったのか」
 暴徒のようであった人々の変わり様を、彼は薄気味の悪いものに感じていた。
 あんな目で見られるくらいなら、罵声を飛ばされた方が良かった気さえもしてくる。
 そんな恐ろしいものに思える輝きを、彼らはその目に灯していた。
「くそ――そういやあ、王都の兵はどうしてんだよ。国の一大事だろ」
 無理矢理に、彼は別のことを考えることにした。

 葦毛が向かってくれた脇道は藪の多い獣道に近い代物で、そこを通るのに苦心しているうちに、サズは
 なんとか先程の出来事を忘れられそうになっていた。
「ん? あれは……」
 暫く進むと、ゆらゆらと蠢く黒いなにかが視界へと入ってきて、彼は目を細めてそれを凝視した。
 黒い物は、布切れに見えた。その布の中心は白く、横には支えの棒が見えてきた。
 旗だ。風にたなびいているわけでもなかったので、はっきりと紋章まで見て取ることはできなかったが、
 それが旗の類であることだけは、サズにも分かった。
「ってことは、軍旗か?」
 戦争と旗。それを安直に繋げて、サズはその物体の正体を推測した。
 推測して、遅まきながらそれが意味することを理解した。

 黒は、ボルドの軍旗に用いられている色ではなかった。
 それをどこが用いてるかと問われても、サズはそれに答えを返すことはできなかったが、とにかくその
 旗は、ボルドの軍旗でないことだけは確かであったのだ。
 軍旗でなければ、それでも問題はなかった。
 しかしこの状況下で、サズにはそんな楽天的な考えを持ち続けることは不可能であった。
 軍旗だ。ボルドの物でなければ、それは敵対者のそれでしか有り得ないだろう。
 速やかに、彼は道を引き返していった。

「そういうことか」
 引き返す途中で、サズは気付いた。
 進んでいる間は分からなかったが、戻ってゆく途中には道が二手に分かれていたのだ。
 しかもその道の方角は、ボルドの王都のある方角に違いなかった。
 戦の定石など、サズには分からない。
 だが、オーズロンの兵士たちがボルドの裏を掻こうとしているのだけは、分かった。
 斥候の一つも放たずに、ボルドの軍が大街道へと迎撃に出れば、オーズロンの兵士たちとすれ違う形に
 なるだろう。そうなれば、どんな結果が待ち受けているのか。
 それくらいのことは、サズにも予想ができた。
「洒落になってねえぞっ」
 疲労にふらつく体を葦毛に預け、彼は藪の中で擦り傷を増やしていった。