24 :
ポン:
彼女はたいてい俺と同じ列車に乗っている。
行きも、帰りも、俺は彼女と同じ列車に乗っている。
通学列車の君
『ご乗車ありがとうございました、新川。新川でございます』
「やばっ!」ちんたら自転車をこいできたのが悪かったのか、駅の階段を全力でかけ上がったとき、ホームには5両編成のディーゼルカーが舞い込んできていた。
俺は息を切らしながら、つい今しがた列車が到着したばかりのホームをひたすら駆ける。
列車全ての扉が開いてるにもかかわらずそれらを無視し、俺は後から二両目の後部扉へとひた走った。
やっとの思いで俺は二両目の後部扉から列車に飛び乗る。
ギリギリセーフ、俺が乗り込んだ次の瞬間、全てのドアは閉まってしまった。
「間に合ったぁ……」
別にドアさえ選ばなければどうって事無いのだが。
それでも俺はほとんど毎日、このドアから列車に乗っている。
車内にはディーゼルエンジンの爆音が響き渡り、列車は高架の線路を街の中心部方面へと滑り出し始める。
(今日はいるかな……)
すし詰め状態の車内デッキを見回す。
(よかった……いた)
それは他校のブレザーを着た犬獣人の少女だった。
栗色のふわふわした髪の毛とスカートから顔を出す同じ毛質の尻尾。垂れた犬耳。可愛らしい顔。いつも通りの通った高い声。
自分が高校に受かってから―――つまりこの列車に乗り始めてからもう1年になるが、
それまで(遅刻などの例外を除いて)彼女はいつも同じ列車に乗り合わせて、このデッキにいた。
そして、それまでいつもまちまちだった乗車位置が、いつしか常に彼女と同じデッキを選ぶようになっていた。
(まあ、どうせ俺には縁がないだろうけど)
そう心で呟きながら、俺は揺れる列車に身を任せた。
列車は二つ三つの駅に停車するとすぐに終点へとたどり着いた。
『ご乗車ありがとうございました。札幌、札幌でございます』
列車は金切り声を立てて停止し、都市圏に場違いなローカル線用のディーゼルカーのドアが開く。
ディーゼルの煙と轟音に溢れたホームはすでに反対のホームに着く予定の特急の客がちらほらと見える。
「さぁて、今日も一日頑張りますかぁ」親父臭い一言を発し、俺は高架ホームの階段を下りて、改札を通る。
自動改札をぬければ、そこはターミナル駅然とした空間が広がっていた。
こうして俺の一日は始まっていくのだ。
25 :
ポン:2008/08/18(月) 18:06:13 ID:RbhD8RhC
*
「ふぅ…………」駅ビルの中に存在する本屋で、俺は立ち読みをしていた。
時刻は午後六時。そろそろ外も日が傾いてきた頃だろう。俺は読んでいた本を棚に戻して、書店の中にあるエレベーターへと向かった。
書棚の林をぬけ、やっとエレベーターのある箇所までたどり着いた時、すでにエレベーターの前には先客がいた。
「……いつもの子だ」
通学列車の少女だった。
ふわふわの髪を指先で巻きとり、垂れ下がった耳と尻尾が時たまぴくぴくと動かせてエレベーターを待っている。
そして、申し訳なさそうに俺は彼女の隣に立った。
面倒な事にエレベーターは書店のある五階から最も離れた一階で止まったままであり、うんともすんとも動かない。
やがて彼女が俺の方に首を捻らせて、じっとこっちを見てくる。俺は一瞬視線を合わせてしまったが、すぐに下を向いた。
いつも同じ列車に乗っている、しかも同じデッキに乗っている人間だとわかっているのかどうかはわからないが、とにかく俺としてはかなり気まずかった。
一分近く経っただろうか、リンロン、と心地よい音を伴ってやっとエレベーターがやってきた。
だが、余計気まずい事にエレベーターの中は無人だった。
俺はさっさとエレベーター乗り込んで一階のボタンを押し、彼女が入ってきたのを確認して『閉』ボタンを押すと、階数表示の電光板に目をやった。
彼女は俺に視線を送るのをやめていたが、それでもこちらに注意が行っている。と言った様子だった。
ものの数十秒でエレベーターは一階へと辿りつく。
その瞬間俺は足早に改札へと向かって行った。もうこれ以上気まずい想いはしたくない。
駅ビルのショッピングモールを抜けて、改札口が見えた時、俺は改札の異変に気づいた。
「ずいぶん人が多いな……」そう思いながらも、改札口へ足を進める。
今日は大したイベントもない平日だ。それでこれほど改札がごった返すような事と言えば。俺は嫌な予想を抱く。
そして列車の時刻とホームを知らせる電光掲示板に目を映すと、その予想は見事に当たっていた。
『学園都市線は沿線での置き石事故のため一時全線不通となっております』
その一文が通学路線の電光掲示板の全ての箇所を空しくループし続けていた。
「置き石とか……ふざけんなよ」俺は毒づいて、近くのベンチの開いている箇所に腰を下ろす。
しばらく一人ごちに電光掲示板の列車案内を延々と見ているうちに、特急の到着を告げるアナウンスの直後に隣のおっさんが立ち上がって、改札へと消えて行った。
電光掲示板は本州行きの寝台列車の到着を示し、さらにいくつもの普通列車の案内が着いては消える。俺は他にやる事もないので、それらをただただ目で追う。
ふと、先ほどまでおっさんが座っていた位置を見ると、そこには知っている顔があった。
栗色のふわふわの髪に、ぴくぴく動く犬耳。
いつもの、通学列車の彼女。
26 :
ポン:2008/08/18(月) 18:06:47 ID:RbhD8RhC
俺はすぐに目線を電光掲示板に戻した。いつの間にか四番線の普通列車が出ており、一番下のラインに区間快速が新しく食い込んでいる。
「あの……」彼女が言った。「汽車、直りませんね」
彼女が誰に対して言ったのか、俺は一瞬考えたが、すぐに相手はおそらく自分だ。と気づく。
が、もし単なる俺の自意識過剰だとしたら、ここで答えれば盛大な自爆だろう。
あえて自爆を気にせずに答えるか、保身のために答えないか。俺の脳内評議会の意見は真っ二つに割れる。
電光掲示板は今度は一番線の快速が出て、一番下のラインに普通列車が食い込んでいた。
右の議席に座った答える派と、左の議席に座った答えない派が乱闘寸前の空気をかもしながら意見を次々に戦わせる。
アナウンスはまだ通学路線が復旧しない事を告げた。
そして、脳内評議会で赤くて三倍な議長が下した決断は…………
「そ……そうですね」
俺はうわずった声で答えた。
ほら、あの子不思議そうな目で見てるぜ。
見ろよ。この俺の自爆っぷり。
素晴らしく自意識過剰なバカがここに一人いるよ。
「やっと、答えてくれましたね」犬耳の少女は笑いながら、俺に言う。
どうも、自意識過剰ってわけでもなかったようだ。
*
「あ、北斗星行っちゃった」俺は相も変わらず、今さっき本州行きの寝台列車の表示が消えた電光掲示板を凝視している。
「本当だ」隣に座った犬耳少女が電光掲示板に目を向けた。
どうやらかなりダイヤが混乱しているらしく、俺達の乗る列車はまだ復旧していなかった。
雑踏と、話し声と、アナウンスと、階上のホームからの列車の通過音が支配する空間で、彼女は消え入りそうな声で呟いた。
「…………名前、なんて言うんですか?」
俺は、恥ずかしさから顔をうつむかせる彼女に向かって言う。
「……新内志人(しんない・ゆきと)です」俺もつられて上ずった声で答えた。
「私は……」消え入りそうな声がまた呟いた。「近文千尋(ちかふみ・ちひろ)って言います」
うつむいたままの千尋の顔は、もう真っ赤に染まっていた。
「ずっと、行きの列車で私と同じデッキに乗ってますよね……」
千尋の言葉が不意打ちで俺を攻撃してくる。
「あ、あれはあそこのデッキが一番階段が近くて、降りやすいからで、」俺は反射的に必死に否定しようとする。
が、それは仁徳天皇陵並みに盛大な墓穴を掘る行為だった。
「……別に否定しなくてもいいんですよ」まだうつむいたままの千尋は、尻尾をぱたぱた振りながら答えた。「私も…………ですから」
「え?」雑踏が邪魔して、千尋の声はよく聞こえなかった。
「何でもないです」
千尋はやっと顔をあげて、また電光掲示板の方を向いた。
「ホワイトアロー、出ちゃいましたね」
千尋の頬は、それでも赤く染まっていた。
27 :
ポン:2008/08/18(月) 18:07:57 ID:RbhD8RhC
何分経ったろうか、幾本かの列車が電光掲示板から消え去った頃、急に千尋は俺の手を引いて立ち上がった。
「もう汽車に乗りましょうか」千尋は短く言う。
「いや、まだ出な」「乗れはします」
千尋のどこか切羽詰ったような迫力に、俺はすごすごと彼女の後に続いて自動改札に定期券を通した。
そのまま千尋は俺の手を引いて階段を駆け昇り、停車している通学路線のディーゼルカーに乗る。
そして手を引いたまま列車のトイレに入り、トイレに鍵をかけた。
「何を……」「志人くんが悪いんですよ」
俺は何がなんだかわからなかった。千尋が列車のトイレに俺を引きずりこんで、俺が悪いって…………
「私……いつからなのかはわからないんですけど、いつの間にか同じデッキのあなたの事好きになってたんです」
千尋から出てきたのは予想外の言葉だった。
「ずっとデッキに立ってるの見てると、何もして無くても胸がきゅん、ってなって。発情期なんかになったりしたら……」
「それに今日は発情の日だったからただでさえむらむらしてたのに、志人と会って余計むらむらしてきて、
志人くんが声をかけてきてくれて、幸せな気分になったらいっぺんに体がほわーってなって、それでそのまま火照ってきちゃって、
話してるだけでも子宮がきゅんきゅんってなって、全然もう抑えられなくて」
千尋が言葉を吐き出していくに連れて、千尋の尻尾の振りかたは徐々に早くなっていく。
「……だから私が一生責任とりますから、赤ちゃんできてもいいですから、淫乱なメス犬とかケダモノとか思っても十分ですから」
千尋は据わった、しかし潤んだ目で睨みながら言い放った。
「……あなたと交尾します」