「……ったく、ウェンディの奴……」
隔離施設の廊下を、ノーヴェはブツブツと呟きながら歩いていた。
ノーヴェは両手で洗濯篭を抱えている。篭の中身は彼女や彼女の姉妹達が着ていた衣類だ。
入浴する際にノーヴェ達が脱いだ服や下着は、後で決まった当番が全員分をまとめて洗濯室に持っていき
洗濯する事になっている。
これも彼女達が受講している更正プログラムの一環であり、将来的に外の世界で生きていく彼女達が身に
つけておかねばならない基本的な技能(というほど大袈裟なものでもないが)の一つだった。
が、どこの世界にも『覚えの悪い者』或いは『覚えが良過ぎる者』はいて、時々自分の番を忘れたり
忘れたフリをしたりする。そんな時は誰かが皺寄せを食う訳で、今回それを受ける事になったのが
ノーヴェだった。
「あの野郎、後でぶっ飛ばしてやる……」
ちなみにウェンディがどちらの人種なのかは、本人の名誉の為に伏せさせて頂く。
そうこうしている内にノーヴェは洗濯室に到着した。
洗濯といっても板を片手に手洗いする訳ではない。機械の中に投げ込んでスイッチを押せば、後は彼女の
与り知らぬところで全ての工程が進んでいく。
ノーヴェは一休みする事無く大型洗濯機の蓋を開けると、手早く篭の中身を移し変えていく。
「……あ」
小さな声を上げ、ノーヴェが手を止める。一枚の下着が指に引っかかったからだ。
ノーヴェは自分の指先を見つめる。
飾り気の無い白のショーツ。
施設からの支給品であり、姉妹は全員がこれと同じものを着用している。無論ノーヴェが今身に着けて
いるのも同じデザインだ。
だが他の姉妹のそれと比べてサイズが小さなそれは、記された名前を確認するまでもなく誰のものなのか
わかった。
だから、彼女の手は止まってしまった。
「チンク姉……」
誰も居ない洗濯室でノーヴェは一人ショーツの持ち主の名を呟く。
元"ナンバーズ"5番・チンク。
稼動暦十年以上を誇る隔離施設組一番の年長者であり、かつてはノーヴェの教育も担当していた。強さと
優しさを兼ね備えた彼女はノーヴェにとって正しく憧れの存在だった。
教育が終了してからもノーヴェは暇さえあればチンクと共に過ごした。
その慕いようは時に『普通の姉妹以上』だと他の姉妹から揶揄された事もあった。
別に構わないと思った。
だって自分は彼女の事が大好きだったから。からかわれても構わないくらい彼女と一緒に居たかったから。
彼女を好きでダメな理由なんて何一つないと思っていたから。
自分の感情を何と呼ぶのか知ったのは、この施設で更正プログラムを受けるようになってしばらく経って
からの事。
それは彼女にとって初めての恋であり……同時に、初めての失恋でもあった。
「あれ、ノーヴェじゃないか……こんなところでどうしたんだい?」
「う、うわあっ!?」
不意に背後から声をかけられ、ノーヴェの意識は現実に引き戻された。
慌てて篭の中身を洗濯機にぶちまけ、滅茶苦茶にボタンを押して走り出す。
背後で自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、それでも足は止めなかった。
意味を成さない言葉を言い訳のように羅列しながら、ノーヴェは全速力で自室への道を駆けた。
◆
部屋に戻って鍵をかけると、ノーヴェはふらふらとベッドに倒れ込んだ。
「……なにやってんだ、アタシ」
誰にとも無く呟いた。
自分は何もやましい事はしていない。逃げる必要などどこにもなかった。
それでもあの場を離れたのは、きっと自分の心の内を誰にも覗かせたくなかったからだろう。そう、
誰にも……
ゴロンとベッドの上で転がり大の字になる。
そこで初めて自分の手に握られたままの白い布の存在に気がついた。
「チンク……姉……」
もう一度、ノーヴェはゆっくりと呟いた。
よほどの大声を出さない限り外に音が漏れる事はないだろうが、無意識の内に少し声のトーンが下がった。
仮にチンクに自分の想いを伝えても、報われる可能性は限りなくゼロに近い。
なぜなら男は女と恋に落ち、女は男と愛を育むのが彼女が学んだこの世界の摂理だからだ。自分達の
創造主である"ドクター"ジェイル・スカリエッティとノーヴェの姉であるナンバーズ1番、ウーノの関係も
おそらくそうだったのだろう、と今になってノーヴェは思う。そして、チンクとあの男も……
その男――ゼスト・グランガイツの事をノーヴェはよく知っている。
彼の能力、性格、来歴、個人情報、細かな癖……全てチンクがノーヴェに教えてくれた事だ。
二人きりの時、チンクはよくノーヴェに彼の話をした。当時のノーヴェにはなぜチンクがこれほど
彼の事を話すのかわからなかった。ロストロギア"レリック"を巡って一応の同盟関係にあったとはいえ彼が
自分達に対して好意を持っていなかったのはノーヴェも気づいていたし、何より彼は他ならぬチンクの
右眼を奪った男なのだ。
自分から光を奪った男の事が憎くないのか?
何度もノーヴェはチンクに訊こうとした。しかし訊けなかった。
ゼストの話をする時のチンクの左眼が、あまりに優しくて。
彼女の前でゼストを悪く言う事が、どうしても出来なかった。
ゼスト・グランガイツは既にこの世にはいない。
『JS事件』と呼ばれるようになったあの一連の戦いの終盤、地上本部に乗り込んだ彼は管理局の騎士に
よって討たれたという。
この施設に入ってしばらくして、ギンガからチンクに彼が使用していたデバイスが手渡された。
本来の姿は無骨な槍だったそれは今は武器としての能力を全て消去され、待機形態が解除される事は
二度と無い。
ただの指輪になったそのデバイスをチンクは大切に持ち続けている。
薬指に填めるには大きすぎる、と彼女は寂しそうに笑っていた。
その言葉に秘められた意味を知ったのも最近の事だ。
きっとチンクは今はもういないゼスト・グランガイツをこれからも愛し続けるだろう。
その事実は姉妹である事よりも、同姓である事よりも高い壁となって自分とチンクの前に立ち塞がる。
「チンク姉……」
三度呟き、ノーヴェはいつの間にかきつく握り締めていた掌を開いた。
くしゃくしゃになった白いショーツが、まるで彼女の心を投影しているかのように掌の中でじっとこちらを
見つめ返していた。
どうしようもなく悲しくなって、ノーヴェは視線を逸らした。今までは悲しい事やつらい事があっても
チンクがいてくれた。彼女はいつも小さな体でノーヴェを抱き締め、いつまでも髪を撫でてくれた。
けれど今回だけはチンクを頼るわけにはいかない。
今彼女の姿を見たら、声を聞いたら、肌に触れたら。自分は耐えられなくなってしまう。胸に秘めた
想いを残らず吐き出してしまう。だがチンクは自分の想いには応えられない。断るしかない。優しい
彼女は心を痛めるに違いない。姉妹の関係も変わってしまう。おそらくは悪い方向に、そして決して以前の
ようには戻らない。いい事なんて、何も無いのだ。
だからこんな事を考えるのはもう止めよう。
昂る自分に言い聞かせ、ノーヴェは起き上がり洗濯室に戻ろうとする。
その時、ノーヴェの脳裏に電光のようにある考えが浮かんだ。
即座に馬鹿馬鹿しいと一蹴するが、その思いつきは抗い難い魔性の魅力を持って彼女の心を包む。
逡巡した後、ノーヴェはゆっくりとショーツを持った手を顔に近づけた。
鼻先数センチまで近づけた時、ノーヴェの鼻腔に僅かな匂いが流れ込んだ。
「……あ」
チンクの、匂いがした。
戦闘機人は体内に埋め込まれた機械によって知覚器官が強化されている。
本来は毒ガスなどを感知する為に強化されたノーヴェの嗅覚は、まるでそこに本人がいるかのように
明瞭にチンクを感じ取った。
「チンク姉……チンク姉……」
ショーツを顔に押し当て、鼻で一杯に息を吸い込んだ。
傍目から見ればどう見ても"変態"の誹りは免れない様な行為だ。ノーヴェ自身もきっと他人が今の自分と
同じ事をしている場面に遭遇すればその人物に嫌悪感を抱くだろう。
だが、構わなかった。
この心の痛みが埋まるのなら、少々の汚名は喜んで被る。
チンクを感じる手段がこれしかないのであれば、迷わずそれを実行するまでだ。
「……ぁ……」
体が疼いているのがわかった。
愛しい人と一つになったような錯覚に陥った肉体は、精神に先んじて乱れていた。
熱病に冒されたかのような朦朧とした意識で、ノーヴェは指先を股間へと伸ばす。
片手はショーツを顔に押し付けたまま、もう片方の手を寝巻き代わりのショートパンツの中に突っ込んだ。
チンクと"お揃い"のショーツ越しに秘裂をなぞると、確かな湿り気を感じた。
「ん……はぁ……っ」
すぐさま隙間から指を入れ、濡れそぼった秘裂を直に刺激する。
自慰の経験はほとんどないと言っていい。
更正プログラムで性教育の講義を受けた際、ほんの少し興味を持ってこうやって擦った事があったが、
あまりの気持ち良さと同時に湧き出してくる奇妙な罪悪感に恐れを抱いてすぐに指を外してしまった。
今も罪悪感は胸を締め付けている。
大好きな姉を汚しているような気がして、心の何処かが指を動かすのを止めさせようとしている。
けれど同時に、背筋から駆け上がってくるそれ以上の快感に体は完全に支配されていた。
「……んっ」
ノーヴェは舌を伸ばし、ショーツの先端部分に這わせる。
感じ取ったのは僅かな塩味だった。だがこれがチンクの味なのだと思うと、まるで芳醇な果実のジュースを
飲んだかのように体は悦びで打ち震える。
「ぁはっ……チンクねえ……おいひい……」
ショーツに染み込んだチンクのエキスを全て吸収しようとするかのようにノーヴェは激しく舌を絡ませ
ショーツを舐めしゃぶる。
下半身もまた舌の動きに刺激されたかのように強く疼き、指の動きも激しさを増してゆく。
初めは撫でるだけだった指は第二関節まですっぽりと秘裂の中に埋まっていた。覚えた知識を引っ張り
出しながら手探りで陰核を探し当て指で摘むと、それだけで意識が吹き飛びそうになるぐらいの快感が
ノーヴェの中で弾けた。
「っ……はぁっ……ぁんっ……」
やがて慣れぬ自慰ながら本能で終わりが近いのを感じ取り、ノーヴェの息遣いが荒さを増してゆく。
脳裏にチンクの姿を想い描きながら、体が求めるままに指が膣中を踊る。
「チンクねえ……チンクねえっ!!」
一際強い指の動きと共にノーヴェがチンクの名を叫ぶ。
同時に絶頂を迎えた体がびくん、と大きく跳ねた。
「……はぁっ」
しばらくは呼吸も忘れ、生まれて初めての快感に酔う。
何とか意識を少し取り戻した所で大きく息を吐いた。
そのまま何度か深呼吸を繰り返し精神と肉体を落ち着かせる。
「……くっ……うっ……」
嗚咽が漏れた。
肉体から熱が去ると同時に目を背けていた罪悪感が一斉にノーヴェを責め苛み、彼女は自分で自分を
壊してしまいたいほどの激しい自己嫌悪に襲われた。
「うぅ……アタシ……アタシはっ……!!」
自分も、気分も、何もかもが最低だった。
拭おうとしても後から後から涙が溢れて止まらなかった。
チンクは自分を一人前にする為、長い時間をかけてノーヴェを教育してくれたのだ。
それなのに自分は今、そのチンクの下着で自慰行為をするという変態行為を犯してしまった。
愛する姉を幾重もの意味で裏切ってしまった気がして、ノーヴェは何時までも泣き続けた。
この日から、彼女の心は長く深いトンネルの中を彷徨う事になる。
その先にある答えを求めて……