エピローグ 1 〜悩める柊、アンゼロットに諭される顛末〜
あわただしい一夜が明けた午前九時。
結局、真夜中から夜が明けるまで一睡もできず、柊蓮司は眠ることなく、この時間
を迎えた。マンションのベランダに出て、手すりに寄りかかりながら秋葉原の街並み
をなんとなく眺める。柊の背後、ガラス戸の向こうでは、姉の京子が大学へ行くため
の身支度を始めたところだった。
朝、やけに早起きだった京子が、ベルに貸し与えた寝室を訪ね、そしてすぐさま戻っ
てきたときの顔が、やけに印象的なのを覚えている。。
「蓮司。ベルちゃん、帰っちゃった ? 」
いつもと変わらぬさばさばとした口調は、いつもとまったく変わらず。
「ん・・・ああ、姉貴が起きるよりも早く、な。バタバタして悪かったってよ」
「ふーん。そう」
それじゃ、しょうがないから大学行こうかな、と京子がぽつりと呟く。
真夜中、柊が京子を起こさないように、ベルの寝室を片付け、布団をたたみ、貸し与
えたパジャマをたたんで、いかにも「お世話になりました」という感じの偽装工作をして
いたことなど、当然彼女は知る由もない。
「さて、と。じゃあ、私大学行って来るから。昼は勝手になんか食べて。夜も・・・勝手に
なんか食べといて」
「おー」
適当すぎる京子の発言に、いつもなら持ち前のツッコミを入れるところだが、なんと
いうかそんな気にもなれず。
「まだ寝ぼけてんの ? シャキッとしなさいよー」
愛用のスニーカーの踵を踏みつけながら、捨て台詞のように京子が言った。
(・・・姉貴はすげーな)
柊はこんなとき、姉・京子を尊敬する。
二十年近くも一緒に育った姉弟だ。姉の性格も、どんな人間かもわかっている。
寂しくないはずがないのだ。気に入らない相手はとことん無視できる、さばけすぎた
性格だが、一度気に入った相手はとことん好きになれる姉なのだ。
たった一日。たった一晩。
いや、それどころか、ほんの三、四時間しか顔を合わせていない相手なのに ?
(そんなのクソくらえだっての)
京子の気持ちを、想いを、もしも疑うヤツがいたら、走っていって蹴りを食らわしてや
るぜ、と柊は思う。始めから、ベル=フライなんて女の子はウチに来ませんでしたよ、
とでも言いたげな涼しい顔の裏で、京子がどんな想いでいるのかなんて、考えたくも
なかった。
(・・・つえーよな・・・)
溜息をつき、苦笑いをしながら頭をぼりぼりと掻く。
それにひきかえ俺ときたら・・・と自嘲の笑みを浮かべながら、灰色のくすんだ空を
見上げた。
「ひ〜らぎさ〜ん。わたくしという者がありながら別の女と逃避行に走ったひ〜らぎれ
んじさ〜ん。う・ら・ぎ・り・も・の・のひ〜らぎれんじさ〜ん」
異常に近くで(お約束の拡声器もなしで)、いつものあの声が唐突に聞こえる。
マンションの下から・・・?
いぶかしんで、ベランダから下を覗きこんだ柊の目に、三つの黄色い球体のような
ものが飛び込んでくる。
安全第一。
黄色の球体に書かれた文字が、そう読めた。
するするするっ、と清掃業者用のゴンドラが引き上げられてきて、柊のいるベランダ
のところでぴたりと泊まる。
黄色いプラスチックの保護帽をちょこんと頭にかぶせたアンゼロットが立ち、その左
右には、作業用のつなぎを着込んだ保護帽の男たちが控えている。当然のように顔
上半面を隠すマスクを着用しているので、いうまでもなくロンギヌス隊員であろう。
「さあ、柊さん。申し開きがあるのなら言って御覧なさい」
目が笑ってない。昨日、秋葉原の街でベルに侮辱された挙句、柊がベルと一緒に
逃げ出した(少なくともアンゼロットはそう思っているようだ)ことを、まだ根に持ってい
るらしかった。
「・・・いや・・・なにも言うことはねえよ・・・悪かったな・・・・・・」
なんというか、いつもの柊らしくないことに気づいてか、
「柊さん・・・ ? 」
さしものアンゼロットも眉根を寄せ、心配そうにその顔を覗き込む。それほど、柊の面
持ちは沈鬱なものだったのだ。しばらくその顔を見つめていたアンゼロットが、
「・・・・・・世話の焼ける方ですわね、柊さんは」
やれやれ、と言いながら指を一つパチンと鳴らす。
アンゼロットのスナップを合図にゴンドラがゆっくりと上昇していき、その足場がベラ
ンダの手すりの辺りまで届くと、
「そちらに飛び移りますから、しっかりと受け止めてくださいね、柊さんっ !! 」
あろうことか、アンゼロットがベランダの手すりに足をかけた。
「・・・・・・っ !! おい、危ねぇぞアンゼロ・・・・・・」
「とうっ ! 」
柊の制止の言葉も聞かず、ボディプレスを敢行するプロレスラーのように。
アンゼロットの、柊をめがけてのダイビング。
「あぶ・・・どわぁっ !! 」
自分に向かってジャンプをしてきたアンゼロットを受け止めようとするが、いかんせん
あまりにも不意を打つ行動。左右に控えたロンギヌスが止める間もなく、アンゼロット
が柊の胸元に体当たりを食らわした。受け止めきれず、その勢いに体勢を崩す。
仰向けにひっくり返った柊の腹の上に馬乗りになったアンゼロットが、
「きゃんっ !? もう、柊さんっ !? 受け止めなさいって言ったでしょう !? 」
あまりといえばあんまりな文句を垂れた。
「無茶苦茶言うなーーーーっ !? 」
ご近所の迷惑を顧みないほどの大声でツッコミを入れる柊をまじまじと見つめたアン
ゼロットが次の瞬間、にこっ、と満面の微笑を浮かべ。
「・・・いいツッコミですわ。それでこそ柊さん」
してやったり、という顔をして見せた。底意地の悪いその顔をしばし睨みつけていた
柊が、何ごとかに気づいてはっとした表情となり、次いで溜息とともに苦笑を漏らす。
「・・・すまねぇな。らしくなかったぜ、落ち込むなんてよ」
「まったくですわ。このわたくしに余計な気を遣わせるなんて、なんて困ったちゃんな
のかしら、柊さんは」
いつの間にか、アンゼロット同様にベランダを飛び越えてきたロンギヌスたちが、彼
女が立ち上がるのに手を貸すと、すかさずどこからか取り出した羽根ぼうきで服につ
いた埃を払い、安全帽を外して乱れた髪をブラッシング。
「たまには、わたくしがお茶をいただいてもよろしいでしょう ? 」
悪戯っぽく柊に笑いかけるアンゼロットに、どこか吹っ切れた顔になった柊が、「しょ
うがねえな」とそれを承諾する。
アンゼロットをリビングに通して、待たせること数分。
人数分の湯のみが湯気を立てるお盆を手にして、柊がキッチンから戻ってきた。
「ほらよ。紅茶じゃねえけど文句は言うなよ」
「あら、心外ですわ。わたくし、洋の東西でお茶の差別はしませんわよ」
木製のコースターごと湯飲みを受け取り、アンゼロットが口を尖らせた。
やっぱり、それがお茶であれば普段の習慣がそうさせるのだろうか。立ち昇る湯気
に顔を寄せ、その香気を嗅いでいるアンゼロットであった。
ぞ、ずずずぞ。
「・・・・ほぉう・・・・・・」
じんわりと熱いお茶を堪能している様が、なんというかお上品に紅茶を嗜む姿よりも
しっくりくる、と言ったらきっとへそを曲げるだろうな・・・そう思う。
ちろり、と片目を開けたアンゼロットが、
「柊さん・・・いま、なにかとても失礼なことを考えませんでしたか ? 」
ぴしりと釘を刺した。
「いや、別に」
「顔が笑ってますわよ」
本気で睨まれた。もう一口、お茶で唇を湿らせてから、
「・・・それで。昨日はあれからどうなさったんですか」
アンゼロットが本題を切り出した。
「ん・・・あの後は、一緒にエリスんちで飯食って、みんなと別れてから家帰って」
「誰も柊さんの一日の生活など気にしてはいません ! 大魔王ベール=ゼファーと、あ
れからどうなったかを聞いてるんですよ !? 」
「だから、飯食って、家に帰ってきたんだっつーの。ベルと一緒に」
当たり前のことを話すようにけろりと答える柊に、アンゼロットが口をあんぐりと開け
た。目が点になり、次の瞬間、わなわなと震えだす。
「柊さん ・・・? それはいったいどういうことですの ・・・? 」
口の端がひくつき、こめかみに「怒りマーク」を浮き立たせながら、アンゼロット。
まあ、当然か、と柊は思う。
世界の守護者として裏界からの侵略者には毅然とした態度で臨み、世界を救うため
ならいかなる犠牲もいとわないと言われるアンゼロットに、「大魔王ベール=ゼファー
と一緒に晩御飯食べて、マンションにつれて帰りました」などといったら、こんな反応は
まだ大人しいものなのだろう。まして、自分が頻繁に任務を(強制的に)与えている、
歴戦のウィザードの所業であるとすれば、正気を疑われたとしてもしょうがない。
「あの後・・・って、お前と別れた後だけどよ。ベルのヤツ、いまは魔王を休業してるか
ら、ここでの面倒をしばらく見てくれって俺に言ってきたんだよ」
「・・・・・・はあ ? なんですって ? 」
「それからくれはも合流して、まあ、もともと俺たちはエリスに夕食呼ばれてたから、そ
の流れというかなんというか。ベルも一緒に晩飯食いたいって言うから、エリスのマン
ションに連れてった」
人差し指をこめかみに当て、頭痛に耐えるジェスチャーをするアンゼロット。
「・・・続きを聞きたいとも思いませんが、聞きましょうか。それからどうなさったと ? 」
「まあ、一人ぐらい増えてもどうってことないってエリスが言うもんだから、一緒に飯を
食った、と。で、お土産にマドレーヌ貰って、くれはと別れて、さ。泊まるとこ世話しろ、
なんてベルが言うもんだから、しかたなくウチに連れて帰った・・・・ってとこかな」
柊の話が進むにつれて、みるみる顔を高潮させていくアンゼロット。
おそらくそれは、柊の取った行動に対しての憤懣の表明だ。
「見損ないましたわ、柊さん !! よ、よりにもよって、かの大魔王ベール=ゼファーと、そ
んな和気あいあい、イチャイチャと、なにをなさってるんですの !? 」
至極真っ当な怒りをぶつけてくるアンゼロット。
お茶が入ったままの湯飲みを投げつけてこないだけ、まだ冷静だな・・・不思議と落
ち着いて、柊はそんなことを考える。
「それで、一晩泊めてやって、さぞかしベール=ゼファーはバカンスを満喫して帰った
んでしょうねっ ! エリスさんのマドレーヌのほかに、柊さんはどんなお土産を持たせて
あげたのかしらっ !? 」
ここまでアンゼロットがヒステリックになるのも珍しいな、と柊は思う。
普段はこんな感情の表し方をしないはずなのに、と。
「いやいや、待て、落ち着けアンゼロット」
「これが落ち着いていられますかっ !? 」
「だから聞けって。結局ベルはウチには泊まらなかったし、ましてや土産なんて持たせ
てねーよ・・・ゆうべ・・・まあ、いろいろあって、俺は結局ベルと戦う羽目になった」
「・・・戦う・・・・・・ ? 」
頷く柊の目を見つめ、それがその場しのぎのごまかしや嘘でないことを瞬時に理解
したのか、ようやくアンゼロットが愁眉を開く。
「驚きましたわ。ベール=ゼファーと戦って、柊さんが今こうしている、ということは、彼
女を撃破し裏界に追い返した、という風に理解してよろしいんですね ? 」
ころりと機嫌を直すアンゼロット。
それも当然であろう。
おそらく、昨日現れたベール=ゼファーはもちろん本体などではなく、現し身に過ぎ
ないのだろうが、それでも、彼女を撃退したことには違いない。魔王が写し身を滅ぼさ
れれば、たとえそれがどれほどちっぽけな力で創りあげたものであっても、裏界に隠
れている本体に少なからぬ影響を与える。
すなわち昨夜の柊の勝利は、わずかな期間に過ぎないかもしれないが、裏界で最
も危険な魔王がファー・ジ・アースに介入する機会を削いだことになるはずだった。
「んもう、柊さんったら人が悪いですわ。それなら、大金星じゃありませんか。昨日の
無礼な振る舞いは、特別に大目に見て差し上げます」
すっかりご機嫌になったアンゼロットが、そこではた、と気づいた。
浮かぬ顔の柊。さきほどまでの冴えないツッコミ。
人類側の局地的勝利を勝ち得たとは思えない、憂鬱な表情の魔剣使い・・・。
「柊さん・・・なにかあったんじゃありませんか・・・ ? 本当にらしくありませんわよ ? 」
「なんだよ。ホントに心配してるみたいな顔しやがって」
カチン。
アンゼロットの顔が途端に不機嫌なものに逆戻りする。
わたくしだって心配ぐらいします、とほっぺたを膨らませてつーん、と横を向いた。
「はは、そりゃ悪かった。・・・お前も慣れないことすんなよ ? 」
「柊さん、本当に怒りますわよ」
湯飲みをぎゅっと両手で握り締め、上目遣いでアンゼロットが拗ねたように柊を見遣
る。柊が口を開きかけ、なにか言いあぐねるように言葉を飲み込んだ。
「・・・なんです ? 」
「ああ、なんて言ったらいいかと思ってな・・・うーん・・・うまく言えねえけど・・・ベルに
悪いことしたな、っていうのが一番近いんだろうな」
「悪いこと、ですって・・・ ? 」
アンゼロットの瞳が、再び危険な色を帯びる。
「エミュレイターを撃退するたびに、その相手に気を遣うなんて馬鹿な話がありますか。
ご自分の命を危険にさらして、世界の命運までもかけて戦わなければいけない敵に、
どうして悪いことをした、なんて思うんですか」
口調がどこか柊を責めるようなものになるのは止むを得まい。
それでも。それでもなお。柊は、ベルに対して済まないことをしてしまった、と悔いが
残っているのだ。
「俺だって、そういう意味じゃ敵には容赦はしねえよ。お前の言うとおりだ。誰がなん
と言おうと、ベルは裏界の大魔王でエミュレイターだ。それは変わらないし、俺だって
そこんところを間違うほど馬鹿じゃない」
「それではなぜ・・・」
「・・・俺は、さ」
そこで柊が言葉を切って。しばらく、じっくりと言葉を吟味しているようであった。
「・・・たぶんベルの誇り・・・みたいなものを傷つけちまったんだと思う」
「誇り、ですって ? 」
「相手がどんなに相容れない敵で、人間じゃない魔王であっても、踏み越えちゃいけ
ねえ領域ってもんがあるだろ。敵だから、そいつの誇りみたいなもんをないがしろに
していいなんて道理はないはずだ・・・でも俺は、昨夜その最後の一線を、気づかず
に踏み越えちまったらしいんだ」
柊には珍しい長広舌だった。それを黙りこくって、どことなく不満げに聞いているアン
ゼロットである。
「・・・だから、後味が悪くてな。たぶん俺がいつもと違って見えるのは、そのせいかも
しれねえ」
「甘いですわ。柊さんは」
「そうか。やっぱり甘いかな」
自嘲気味なほろ苦い苦笑を浮かべる柊に、ベタ甘ですわ、とアンゼロットが言う。
甘さは優しさだ。時としてそれは弱さだ。
魔王相手に同情にも似た感情を抱くことがどれほど愚かな行為であることか。
世界を守護する者としては、けっして認めてはいけない類いの感情である。
自分たちが支えている世界は、それほど軽いものではない。エミュレイターによって
もたらされる災厄は、文字通り世界の危機を引き起こすものなのだ。
何十億の生命を救うために一つの生命を切り捨てる選択をしなければならない時、
それを選べる厳しさが、わたくしの強さです、とアンゼロットはきつい口調で言い切っ
た。
「俺はたぶん・・・これからもずっと甘いことを言い続けるぞ。お前には悪いけどな」
これだけはきっぱりと、柊は言う。
「・・・そんなことをいちいち聞いていたら、世界の守護者は務まりませんわ」
皮肉げにアンゼロットがすまし顔をする。
柊の甘さと弱さを否定しながらも、否定しきれない自分がいることを、アンゼロットは
絶対おくびにも出さなかった。
たしかに彼女の厳しさと強さは、世界を救うことができる。
だが、逆を返せば、アンゼロットは世界を救うこと「しか」できないのだ。
柊の優しさと弱さは、世界を救うために紆余曲折を経なければならない。時間をかけ
なければならない。常に危険を孕み、苦渋に満ちた戦いを強いられねばならない。
だが、そのかわり、柊が世界を救うことができたとき、あと一つ「犠牲になるはずだっ
た生命」をも、彼は救うことができるのだ。
タイトロープの上を歩くように。薄氷の上を踏むように。
それでも、柊蓮司はその愚直なまでの甘さと優しさで、「世界」と「もうひとつの小さな
生命」を救い続けてきたのだ。
自分にはできないことだ、と認めるのがなんとなく悔しいので、絶対にアンゼロットは
柊を褒めてなどやらない、と思っている。そのかわり、いざ世界が危機に見舞われた
時には、真っ先に柊蓮司を駆り出してやるのだ。
彼女も本当は救ってやりたい一つの生命を、柊が救ってくれることを心のどこかで
願いながら。
と、その時。
ピピピピピピピピッ ! ピピピピピピピピッ !
唐突に、柊家のリビングにけたたましい電子音が響き渡る。
アンゼロットの背後に控えたロンギヌスの一人が、作業用つなぎの胸ポケットから、
0-PHONEを取り出し耳に当てた。アンゼロット宮殿からのエマージェンシー・コールだ
と、それを知る者は知っている。
通話を開始して数秒。ロンギヌス隊員の顔がみるみる青褪めていくのが、仮面の上
からでも見て取れた。柊とアンゼロットに、極度の緊張が走る。
「秋葉原方面に向かってエミュレイター反応が複数接近中とのことです ! 到達予測時
間は二十分後 ! 反応は・・・・・・・・」
顔を上げたロンギヌスの声は、ひどく震えていた。
「反応は・・・すべて、魔王級・・・・・・ !! 」
(エピローグ1・5〜2へ)
エピローグ 1・5 〜大魔王の帰還、そして次なるゲームのこと〜
※※※
「・・・ル・・・ベル・・・大魔王ベル・・・」
どこかで私を呼ぶ声がする。
意識はいまだ混濁し、どこか夢の中の出来事のような感覚が拭い切れない。
・・・ファー・ジ・アースで柊蓮司に現し身が滅ぼされて、意識が本体へと戻ってきた
ばかりの私は、いまだ完全に覚醒し切れずにいるのだ。
「・・・大魔王ベル・・・」
・・・ったく。リオンね。なんの用なのよ。あんたも裏界の魔王なら察してよ・・・。
結構だるいのよ、これ。これ以上私の安眠を妨げるようなら、あんたの長ったらしい
スカートちょん切ってやるんだから・・・zzz・・・zzz・・・
「・・・・・・・大魔王ベル・・・・・・・・・××××が丸見えですよ」
「dt`*}>?_~=!5Z@[/;]〜〜〜〜ッッッ !! 」
ななななんてこというのよアンタはっ !? 大人しそうな顔していまなんてッ !?
死人も目を覚ますわッ !!
「ちょっと、リオン !! 」
がばっ、と跳ね起き、膝をぎゅっと締め、スカートを思わず押さえつけてしまう私。
「・・・・・・うそ」
「当ったり前よッ ! すました顔でなんてこと言うのッ !? 」
「聞こえませんでしたか・・・? ではもう一度・・・」
「いらないわよ ! やめなさいってゆーのッ ! 」
もう、なんなのよ ! せめて自分のホームグラウンドでぐらい、アドバンテージ取らせ
なさいよ、もうっ !! 最近じゃウィザードどもばかりか、リオンにまでなんかからかわれ
てる気がするんだけどっ !?
「それでッ !? いったいなんの用なのッ !? 」
「・・・ひどくうなされていましたのでつい。いえ、うなされていたというよりは・・・」
そこで言葉を切るリオン。眠たげな瞳が私からそらされ、言いにくそうに黙り込む。
「・・・ああ・・・私の口からはとても・・・」
「なによッ ! 気になるじゃないッ !? 言いなさいよッ !? 」
くっ・・・完全にペース握られてる。
秘密めかした喋り方あってのリオンだけど、実際に自分がされるとイライラするわ。
「ファー・ジ・アースでは・・・随分お愉しみのご様子で・・・それはもう送り込んだ現し身
と同じように・・・あられもなく・・・(もごもご)」
「あ、あわわわわわわっ」
放っておいたらどこまでしゃべり続けるかわからないわねっ。手でリオンの口をふさ
いで、私は無理矢理彼女を黙らせる。
「・・・っ、ぷはっ。・・・それで、大魔王ベル・・・ ? 首尾のほうは如何でしたか・・・ ? 」
たいして興味もなさそうに、リオンが尋ねる。今回の一件に関しては、例の書物を見
なかったのだろうか。・・・まあ、リオンは今回に関しては門外漢というか、最初っから
懐疑的だったから。私が「適当に」、「思いつき」の計画を立案してファー・ジ・アースに
遊びに行った・・・くらいにしか思っていないようだったし。
ま、半分はリオンの思ってる通りなんだけど、ね・・・。
「首尾は・・・うん・・・まあ、ゲームは私の完敗かしら・・・。でも、すッごい収穫があった
から差し引きゼロ。・・・ううん、どっちかっていうと、ちょっとプラス、かしらね」
にんまり、笑みが漏れてしまう。柊蓮司との逢瀬(そうよ、なにか文句ある ? )を経験
した私が確信したこと。
それは、この世界で私が一番強く結ばれているのが柊蓮司だったということ。
それは時にはゲームの相手だったり、殺意を抱く対象だったりもするけれど、私がこ
んなにも強い感情を抱くことのできる存在なんて、柊蓮司以外にはありえない。
大魔王である私に恋愛なんて感情が存在するはずもないけれど、この想いの強さは
誓って本物よ。
恋愛なんて甘ったるい感情は、赤羽くれはにまかせるわ。でも、あの娘が柊蓮司を
想うのと同様に、ううん、それ以上に、私の想いは強くて本物なの。
想いのベクトルは、限りなく真逆かもしれないけどね。
「・・・・嬉しそうですね・・・大魔王ベル・・・・」
「・・・・・・そうかしら ? 」
くふん、とほくそ笑む私を、不思議そうにリオンが見つめる。
いまだ、けだるさと熱を残した身体を起こし、私はリオンが腰掛けた椅子へと歩みだ
す。椅子の背もたれのところに立ち、私はリオンの背後から彼女の細い首に腕を回し
た。熱量など持たぬかのように見える青白い肌が、さあっ、と薄い桃色に染まっていく
のがよくわかる。
「・・・大魔王ベル・・・また・・・お戯れを・・・」
リオンの言葉なんて無視して、私はその長い黒髪を指先でかきあげる。
あらわになった耳元に囁くように、
「・・・ねえ・・・リオン・・・ちょっとプラス、ってさっきは私言ったけど、本当はファー・ジ・
アースに心残りがあるのよね・・・」
「・・・心・・・くふん・・・の・・・こり・・・ ? 」
耳に吐息をかけられて甘い声を漏らしつつ、リオンが問い返してくる。
そう。心残り。それは、あの月匣の中での戦いのときのこと。
柊蓮司が私にしてみせたあの表情。
あの、なんだか私を気遣うような、ばつの悪そうな、そんな感じの憂い顔。あんな、
しけた顔した柊蓮司なんてお呼びじゃないわ、って思ったわよ。ゲームの相手に同情
されたような気がして、実はあのとき、私すごく傷ついたのよ ?
だから、ゲームの競争相手に気遣うような真似を柊蓮司にさせないために、ちょっと
小細工をしてきたの・・・。
裏界へ帰還する途中、裏界全土にばら撒いてきた流言飛語が、そろそろ功を奏して
くるはずだわ・・・・。
「ねえ・・・リオン。しばらくの間、ファー・ジ・アースに出かけるのはおあずけだけど、せ
めて私のコンパクトで、あちらの騒動を愉しむことにしましょう・・・ ? 」
「・・・・・大魔王ベル・・・もう・・・次のゲームを始めたのですか・・・ ? 」
リオンの問いにくすりと笑い。
「あら、そんな言われ方は心外だわ。私が舞台に立たないんですもの、こんなものは
せいぜい前座よ。でも、次に私が遊びを思いつくまでのつなぎくらいにはなるかもしれ
ないわね」
魔法のコンパクトを開く。映し出される秋葉原の街並み。私の施した仕掛けが起動
するのを少し心待ちにしながら、
(柊蓮司・・・次に私が遊びに行くまでは、物足りないかもしれないけど、その娘たちの
相手をよろしくね・・・ ? )
私は、遥かファー・ジ・アースの好敵手に心の中で呼びかけた・・・・・・。
エピローグ 2 〜本当のエピローグ・柊蓮司、大魔王への気遣いを後悔する顛末〜
複数体の魔王級エミュレイターが秋葉原目指して接近中である、とのロンギヌスの
報告は、美少女らしからぬ四文字言葉での罵倒の文句を、アンゼロットの口から吐か
せしめるに、十分な脅威をもってもたらせれた。
・・・難しい言葉を使うまでもない。
唐突な魔王の出現に、アンゼロットがお決まりの「ガッデム ! 」を口走ったと、つまり
そういうことである。
「秋葉原駅を中心とした、半径十キロ以内に住む付近住民たちを避難させなさい ! 名
目ですって !? そんなものご自分でお考えなさい !! 近郊のウィザードたちはもちろん、
絶滅社にも応援の要請を出すのを忘れないように ! ロンギヌス部隊 !? 当然出動です
わっ ! 総動員ですからねっ !? 」
なぜか黒電話の形をした0-PHONEに怒鳴り散らすアンゼロット。
相手はおそらく、宮殿常駐の下僕の一人であろう。
「まったくもう ! あんなに浮き足立つなんて思いませんでしたわ ! 最近、入隊審査の
基準がゆるいんじゃなくて !? 」
ガッチャン、と乱暴に受話器を叩きつける。相も変わらず作業着姿のロンギヌスが、
執事のように優雅な一礼をして、お盆の上の黒電話を引っ込めた。
振り返ったときは、さすがに世界の守護者としての威厳と真摯さを秘めた力強い瞳
で、アンゼロットは柊に頷いてみせる。無限の意志を込めて固く引き結ばれた唇が、
「柊さん。もちろん貴方も来てくださいますわね」
そんな台詞をつむぎだす。
当然、柊がそれを断るはずもなく。
「あったりまえだ。魔王が何体も一度に現れるなんて只事じゃねえ。言われなくても、
行くつもりだぜ ! 」
打てば響くような返事で立ち上がると、
「場所は !? 大方の位置は確認できてるんだろうッ !? 」
叫ぶように言った。
「ええ。おそらく魔王群が出現すると予測されるポイントは、秋葉原電気街付近。ここ
から遠くありませんわね」
アンゼロットの言葉に力強く頷いた柊が、勢い良くマンションを飛び出した。
全力疾走しながら、息も切らさず。
ものの数分で、秋葉原のメインストリートに柊は立っていた。
平日も買い物客や観光客で賑やかな秋葉原の街が、アンゼロットの強引な戒厳令
が敷かれたために、ひどく閑散として人影もない。
いや、言い換えよう。
ウィザードとおぼしき者たちしか、いない。
「ひーらぎー ! こっち、こっちだよー ! 」
自分を呼ぶ声に振り返ると、そこにはくれはの姿があった。その横に、すでに月衣
からガンナーズブルームを取り出して、臨戦態勢の緋室灯の姿も見える。
「おう、お前らにも応援の依頼があったのか」
二人に近づきながら、自身の月衣から魔剣を引き抜く。
こちらも不意の戦闘に備えられるように、こくり、と真剣な表情で頷いたくれはが、お
なじみの破魔弓を装着し、慣れた手つきで護符を装填していく。
「なんか、詳しい情報聞いてるか、灯 ? 」
無表情だが、さすがに緊張の面持ちを隠せない灯が、
「・・・絶滅社のエージェントからの情報・・・配備されたロンギヌスたちの通信連絡から
統合して考えると・・・接近中の魔王は四体・・・か、それ以上・・・」
固い声音でそう言った。
「四体だと !? 」
「はわわっ !? それ以上ってどーゆーことッ !? 」
「・・・現在、秋葉原来襲が確実とされている固体が四体・・・ということ。世界各地で、
魔王級のエミュレイターの出現が確認されている・・・最悪、すべての固体の目標地
点が同じである、と言うケースもアンゼロットたちは想定しているらしい・・・」
ごくり・・・・。
さすがの柊蓮司も緊張を禁じ得ない。これだけ多数の魔王が同時に行動を開始す
るなんて、「あの」土星での宝玉を巡る攻防以来と言える。
自宅マンションでロンギヌスが言っていた、到達時間まではあとほんのわずか。
周囲の空気が極度の緊張感でぴりぴりとしている。
ざわり。
道路を封鎖していたロンギヌス部隊の一角がざわめいた。
彼らのどよめきに振り返った柊たちは、遥か彼方の上空、きらりと一瞬なにかが光る
のを目撃した。
ずどんッ !!
あっ、と思う間もなく、空に輝く光点が一直線に、柊たちの立つ道路めがけて降って
くる。
「うおおっ !? 」
「はわーーーーーっ !? 」
「・・・・・・・・ッ !! 」
もうもうと煙を上げるアスファルト。道路を砕き、粉塵を巻き上げ、遥か彼方から飛来
したものが、ウィザードたちの見守る中、ゆっくりと立ち上がり、周囲をぐるりと見回し
た。風に乗って響くのは、涼やかに凛と響く鈴の音色。
「雰囲気わっるう〜〜い ! なあにぃ〜 ? むさくるしい連中ばっかり集まっちゃって !
このあたし、“超公”パールちゃんには相応しくな〜いッ !! 」
ざわっ !!
どよめきがひときわ大きく、周囲を席巻する。
・・・“超公”パールと名乗る魔王となれば、それは“東方王国の王女”パール=クー
ルに他ならない !! おそらくは、大魔王ベール=ゼファーに次ぐ裏界の実力者。かつて
は金色の魔王をライバル視していたというから、その実力も相当なものであるに違い
ない。
気丈そうな少女の外見。金色の髪を左右で留めた飾り紐に鈴がチャームポイント。
ゆっくりと自分を取り巻くウィザードたちを睥睨する姿は、まさに彼女も女王を名乗る
に相応しい威容に満ちている。
その視線が、周囲をぐるりと二、三度往復したところで、ある一点にぴたりと止まる。
視線の先に・・・・・・柊蓮司がいた。
彼我の距離、およそ十メートル。その距離を、スキップ一つで一気に縮める。
柊が魔剣を構え、攻撃に備える。くれはと灯が慌てて距離を置き、魔王めがけて攻
撃を仕掛けようとした瞬間。
「あんたが柊蓮司 ? ・・・ふーん・・・まあまあイイ男じゃない。付き合ってあげてもいい
かもね」
・・・・・・・・。
「な、なにいぃぃぃぃっ !? 」
ちょこん、と柊のすぐ真ん前に立ち、下からじろじろ値踏みするように。
気の強そうな吊り目が満足そうに和らぐ。
「率直に言うわ。この、偉くて強くて可愛いあたしが、アンタと付き合ってあげる ! 」
自信満々、相手が拒絶することなど考えもしないし許さない、といった風情である。
「はわわわわっ !? 」
くれはが情けない悲鳴を上げて、おろおろとあっちを向いたりこっちを向いたり。
ガンナーズブルームを構えた灯は、その姿勢のまま硬直しているようで。
「なんだそりゃ !? い、いったい何が起きて・・・」
「うろたえないでよ。あたしと付き合う男が情けない 」
いつの間にか、「付き合ってあげてもいい」から「付き合う男」にランクアップ。
唖然とウィザードたちが見守る中で、再び上空にきらりと輝くものがあり・・・
どごんッ !!
別の飛来物が、もうひとつのクレーターをアスファルトに穿つ。
ひび割れた道路に悠然と立つのは、美しくも峻厳な、短めの髪を後ろに丁寧に撫で
つけた一人の女性。物々しい甲冑に身を包んだ高潔な美女である。
「得がたき地上の宝よ・・・汝が・・・柊蓮司・・・わらわの名は“女公爵”モーリー=グレ
イ。わが財宝と引き換えにしても・・・汝が欲しい・・・」
がちゃがちゃと甲冑を鳴らしながら、二人目の魔王が近づいてくる。実に物騒な発言
に、隣で事の成り行きに呆然としていたくれはが、わなわなと震えだす。
「ひーらぎぃ・・・いったいこれはどーゆーこと・・・・ ? 」
「知るかッ !! 俺の方が聞きてえよッ !! 」
「・・・柊蓮司・・・とうとう裏界にまでその魔手を・・・ ? 」
「人聞きの悪いこと言うなッ !? とうとう、とか魔手、とか、いままで俺をどんな目で見て
やがっ・・・・」
ばこんッ !!
三度、大地をえぐる落下音。
「今度はなんだーーーーーーっ !? 」
砂煙が、中心に立つ人影を避けるように晴れていく。まるで、彼の者を無粋に汚す
ことを我から恐れるように。
「・・・細かいことは言いっこなしさ。ねえ、柊蓮司・・・ボクに付き合うといいよ」
不敵な笑みを浮かべて立つのは、豪奢な騎兵服に身を包んだ男装の麗人。
「なんだッ !? なにもんだお前ッ !? 」
「おやおや、このボクを知らないなんて言わせないよ。・・・っと、そうか、土星ではニア
ミスだったんだね・・・それじゃあ、改めて。ボクの名前はカミーユ=カイムン。裏界で
は“詐術長官”の名で知られているよ・・・もう、ボクのことは覚えてくれたかい ? それ
じゃあ、呼んでみて。愛しい想いを込めて、カミーユ・・・って」
「知るかッ !! なんだお前らッ !! なにが狙いだ、言ってみろッ !! 」
あまりにも大惨事。あまりにも前代未聞。いまだかつてない悲喜劇の予感に、極限
までテンパった柊蓮司が絶叫する。
「だから、さっきから言ってるじゃない。あたしが付き合ってあげるって言ってるの」
「わ、わらわも負けてはいないぞ。・・・な、汝にならば、わらわの大切な・・・その・・・
財宝だけではなく・・・その・・・・を・・・・あげても・・・よい」
「それはさておき、これから柊クンはボクとデートだよ。ショッピングなんかどうだろう ?
男物の服を選ぶのは得意なんだ。ボクの見立てた服を、キミに着てもらえたらいいな」
三者三様、思い思いのアプローチを仕掛ける魔王たち。
別の意味で大混乱に陥った秋葉原対エミュレイター戦線を、四度目の爆音が襲う。
「またかーーーーーーーーっ !? 」
「おっ、渦中の女たらし、稀代のジゴロ、ウィザードも魔王もお構いなしの手当たりしだ
いっ、ちゅうやつやなぁ。よ、このスケコマシ ! 」
髪をアップにまとめたジージャン姿。眼鏡の奥で好奇心いっぱいの瞳をきらきら輝か
せた女性。耳に鉛筆を挟み、手にはマイクをしっかりと握り締め。
「いきなり出てきてなんだお前ッ !? おい、どうせこいつもお前らの仲間だろうがッ !? 」
「彼女は“告発者”の二つ名で呼ばれる裏界の男爵さ。・・・まさかキミまで来ていたと
はね、ファルファルロウ」
カミーユの呼びかけに答えて、
「はいな。スクープの匂いぷんぷんしますやん ? このネタ、ゲットせな“告発者”の名が
泣きますわ」
胡散臭い関西弁で答えるファルファルロウ。
「ほな、柊蓮司はん ? 意中の女性だけでは飽き足らず、魔王にまで手ェ出しはったん
は、どういう経緯で ? 」
柊の顔にマイクを突きつけ、レポーターまがいのインタビューを開始する。
「待て待て待てッ !! ひでぇゴシップだな、オイ !! ・・・・・・って、なんだ、お前らのその目
つきはッ !? 」
じとーーーーー。
唇を尖らせながら、くれはが柊を横目で見ている。
剣呑な光をたたえた瞳で、灯が睨む。
いつの間にやら、二人の背後に停車したリムジン型の箒からアンゼロットが降りてき
ていて、
「柊さ〜ん ? ツンロリとかボクっ娘とか、いったいどこのギャルゲーですか〜 ? 」
こめかみに青筋を立てながら皮肉を吐いた。
「ギャルゲーとか言うなッ !? おい、お前ら !? 俺になんか恨みでもあるのかッ !? 」
ひどくたじろぐ柊に、
「往生際悪すぎや、柊はん。昨夜かて、あの大魔王ベール=ゼファーと一緒に夜のア
キバを歩いてはったそうやないですか」
と、ファルファルロウがダメ押しの一言。
「違うッつーの ! ・・・・・・あ、いや、歩いてたのは本当だけどよ・・・いや、だから、誤解
招く言い方すんなっ !! 」
場の緊張感が急速に損なわれていき、周囲を固めるウィザードたちの中には、この
寸劇に失笑し始めるものも出る始末である。
「俺たち、帰ってもいいんじゃないか ? 」「下がる男に関わると俺たちまでネタにされる
ぜ」「世界の危機かと思ったらただの痴話喧嘩じゃねーのか」等々。
「う・・・う・・・・うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ !? 」
きびすを返して走り出す様はまさしく脱兎のごとく。
「あ、コラ ! 逃げるな、ひーらぎーーーーーッ !! 」
くれはが怒りと嫉妬のない混ぜになった怒声を上げる。
美少女ウィザードと美少女魔王の混成軍から逃れ得た柊の脚力は、まさしく超人的
と言えるものだった。
「あーーーっ !? このパールちゃんから逃げるなんてどういうことよーーーッ !? 」
「・・・手に入れてみせる・・・汝はわらわのもの・・・・ !! 」
「追いかけっこ、ボクは苦手なんだけどな。でも、逃がしはしないよ ? 」
三人の魔王が同時に地を蹴った。アスファルトが柔土のようにひしゃげ、壮絶な地
鳴りが秋葉原の街を揺れに揺らす。その背中を見送りながら、くれはが「バカひーら
ぎ・・・」と呟き、アンゼロットが集められたウィザードたちに向かって、パンパンと手を
鳴らしながら、「はいはい、撤収撤収。あとのことは柊さんに任せて帰りましょう」と追
い返す。月衣にガンナーズブルームを格納した灯が、「・・・茶番」と呟くと、波が引くよ
うにウィザードたちが帰還を開始し始めた・・・・・・。
※※※
走る。逃げる。角を曲がり、塀を乗り越え、跳び、また走る。
逃げる男の名は柊蓮司。
秋葉原の街を、三人の美少女魔王の愛の告白から逃れるべく失踪する、罪作りな
男であった。
どこへ逃げるべきかも、わかってはいない。すべてが誤解のもとに巻き起こされた悲
喜劇である。
「くっそ〜・・・なんだってんだ・・・ちくしょう〜・・・」
走りながら愚痴をこぼす。なんの因果でこんな目に・・・と我が身の運命を呪うしかな
い。はたから見れば、美少女たちに追いかけられてなんてもったいない、と言われる
かもしれないが、それを僥倖と感じる節操のなさとは無縁の男でもある。
《あははっ、お愉しみかしら柊蓮司 ? 》
耳元で、“あの”声がする。柊にとってもっとも馴染みの深い、あの魔王の声が。
「ベル !? まさかこの騒動の原因はお前か !? ・・・ってゆーか、どこにいやがる !? 」
立ち止まり、周囲を見回す。
すると、ぶーーーん・・・と、蟲の羽音がして、柊の目の前を蠅が一匹。
まるで蠅をモチーフにしたキャラクター商品のように、ファンシーなデザイン。
大きさは手のひらサイズで、羽根には髑髏をかたどった紋章があしらわれている。
大魔王ベール=ゼファーの魂の欠片、“悪魔の蠅“と呼ばれる魔導具である。
この蠅が知覚するものはベルも知覚することができるとされ、絶好の監視道具として
彼女が好んで使うアイテムであった。
「おい、ベル !! どうせお前がなんかやらかしたんだろうッ !? 白状しやがれッ !! 」
《失礼ね。柊蓮司に現し身を滅ぼされたおかげで、裏界の宮殿で静養中の私に、いっ
たいなにができるって言うのよ》
「嘘つけッ ! このタイミングでお前が現れたってことは、お前が後ろで糸引いてるんだ
ろーがッ!? 」
根拠こそないがその確信はある。
この一件、黒幕はベール=ゼファーである、と。
《・・・私、なにもしてないわよ》
「・・・・・・本当か ? 」
《ただ、帰る途中で、“大魔王すら篭絡できなかった柊蓮司を落とすものがいたら、そ
れはベール=ゼファーですら成しえなかった偉業を遂げた実力者と認められる”って
噂を裏界中にばらまいただけよ ? 》
「やっぱりお前じゃねえかーーーーーーーッ !! 」
秋葉原の街中に柊の声が木霊する。
結果として、ベルの流した噂がこの事態を引き起こした。
本気で柊を篭絡しようとするものもいれば、事態をただ愉しむために参戦した魔王も
いるだろう。どっちにしても、柊蓮司にとってはただただ迷惑なだけの話。
「お前、こんなくだらねぇことよくもしてくれやがって、どういうつもりだよッ !? 」
《・・・時間稼ぎよ。私がファー・ジ・アースに再び干渉できるようになるまでの、ね。直
接、世界に危機は迫ることはないでしょうけど、これだけの魔王が出現すれば、少な
からず世界結界にほころびが生じる。・・・常識と言う壁に出現を阻まれていた、力の
弱いエミュレイターたちにも、現世に現れるチャンス・・・ってわけ》
大魔王の声音。自らの遠大な計画の一端を語る、世界の敵の表情が垣間見えた。
けっして、柊蓮司には自分の胸の内を悟られないようにしよう、とベルは思う。
柊蓮司にとっては強大な敵であり、ゲームの好敵手であり続けなければならないか
ら。そのためには・・・柊蓮司にもっと私を見続けさせるには、私は常に大魔王でいな
ければならないのだ、と。
案の定、さっきまでコミカルだった柊の表情が、“歴戦のウィザード”の顔になる。
「ベル・・・お前、またなんか企んでるな・・・ ? 」
《さあ、なにかしらね・・・ ? でも、柊蓮司。ここで私とお喋りしてる余裕なんてあるのか
しら・・・ ? 》
背後から破壊音が迫る。数は三つ。足音と言うには大きすぎる、魔王たちの接近の
印であった。
「く・・・・もう追いついてきやがったッ !? おい、ベル !! 今度会ったら覚えとけよ !? 」
捨て台詞を残して走り去る柊を、悪魔の蠅は追いかけることはしなかった。
続けて風のように、三つのの影が通り過ぎる。魔王たちは、ちっぽけな蠅の姿など
一顧だにしなかった・・・
※※※
裏界では、大魔王ベール=ゼファーが魔法のコンパクトを静かに閉じていた。
あの魔王たちに、柊蓮司を篭絡することは不可能と確信していたからこそ、これ以
上の観劇は無駄だと思ったのであろうか。
自分の椅子に戻るベルの姿を横目で見ながら、リオン=グンタが尋ねる。
「もう・・・よろしいのですか・・・大魔王ベル・・・ ? 」
「いいのよ。どうせあの娘たちには無理だってわかってるもの。アンタの書物にもそう
書いてあるんでしょ ? 」
つまらなそうに欠伸をしたベルが、腰掛けた椅子に座ると静かに目を閉じる。
「少し・・・休むわ・・・・・・」
「お休みなさい・・・大魔王ベル・・・」
声をかけるまでもなく、静かな寝息が聞こえてきた。
リオンは思う。
ベルは、気づいていないのだろうか、と。
世界を手中にするための彼女のゲームに、いつしかもうひとつの動機が加わってい
ることに。
(世界争奪の計画をいくつも思い描きながら、そのアイデアをいつも私に、嬉しそうに
話す時の貴女は・・・)
まるで、デートコースを一生懸命選ぶ少女のようですよ・・・と。
決して口にはできない言葉をリオンは飲み込んだ。
デートの舞台はファー・ジ・アースのすべてであり、その趣向を凝らしたデートに付き
あわされる柊蓮司には同情を禁じ得ない。
「新しいゲームを・・・思いついたのよ・・・」
振り返るリオンが微かな苦笑を漏らした。どうやら寝言のようだ。夢の中でも、ベル
は次の「デート」の準備に余念がないようで。
「よい夢を・・・大魔王ベル・・・」
大魔王の寝顔が、いかにも愉しげな微笑の形を造り上げていた・・・・・・。
(GAME OVER)