嫉妬・三角関係・修羅場系総合SSスレ あの女49も!

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982俺と素直クールとツンデレと
「ほんとにありがとう! 恩に着る!」
 そういうと、奴は俺の両手を握りしめてぶんぶん振った。
 手を痛いほど握りしめてくれて、おまけに顔はゆるみっぱなしだ。
 奴は下級生の女から大人気、サッカー部のフォワード。
 学業も並で、顔は浅黒く精悍。
 普段なら俺に寄りつきもしないくせに、と意地悪なことを思ったが、すぐに気持ちが萎えた。
 美那(みな)が現れると、俺のことを忘れたかのように、奴は美那のところにすっ飛んでいったからだ。
 奴と美那がにこやかに話してるのをみて、寂しいような悲しいような、なにかこみ上げるものがあった。
ゆえに俺は表情に出さないように顔をうつむけて、自分の席に戻る。
「へー、ついに喜多口くん、及川にオッケーもらったんだ?」
「なんでも、藤沢くんに紹介してもらったんだって」
「えー? 藤沢くん、及川のこと好きじゃなかったの?」
「単なる幼なじみなんでしょ? 好きだったら紹介しないじゃない」
 誰かのその言葉に同意の声が密やかにあがった。
 それを聞いて俺は泣きたい気分にになった。
 好きな女を他人に紹介してしまう馬鹿がここにいますってわめきたくなったが、我慢した。
 その荒れ狂ったやるせない感情を、ため息にして長々と吐き出す。
 そこに声がかかった。美那だった。
「浩介、今日、私、少し遅くなるから」
 美那がそういうと、その視線が奴に流される。奴が露骨ににやついた。
「わかった。おばさんに言っておく。理由、部活にしとくけどいいよな?」
「ありがと。じゃあ、喜多口くん、行きましょ」
 胸にわき上がる何かを必死で抑圧し、作った笑顔と作った平静さは、形ばかりの感謝の言葉で返される。
 思わず美那の背中を目で追いそうになるのを渾身の力で押さえ込んで、読みもしない教科書を広げる。
 どちらにせよ、何をしたって、どういう奇跡があっても、俺と美那は交わらない線だ。
 だから、……だから美那と奴がくっつくので、なんの問題も……ない……はず……なんだ。
 熱くなる目の奥をなんとかこらえる。目の前がぼやけた。
 急いで目をこすり、それでもあふれそうになって目を押さえて下を向く。
 泣いてはいけない。好きだったなんて知られてはいけない。愛してるなんて気取らせてはいけない。
 静かにゆっくりと息を吐いて、胸の中の何かを外に出した。
 その動作で、俺の心が収まり、悲しみに満ちた。……でもこれでいい。
 ……できれば、この美那が好きだって気持ちをえぐり取って捨ててしまえればありがたい。
 次の時間のチャイムが鳴り始める。周囲が席につき始める。
 それがこんなにありがたく感じたことはかつて無かった。
983俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 13:46:41 ID:GnVyr5qa
 俺は藤沢浩介。高校二年。黒縁眼鏡をかけて、ひょろっとした体格の、冴えない男子高校生。
 及川美那は、幼なじみだが、こちらは快活で明るいクラスのリーダー的な存在だ。
 顔もかなり綺麗でスタイルも良く、小学校の時から、つきあう男に不自由したことはない。
 俺がいつからこんな気持ちを美那に感じてしまうようになったのかは、はっきりしない。
 ただわかるのは、たとえ幼なじみでも俺達は恋人としては釣り合わないってことだ。
 そもそも俺は美那に男としてすら見られていないだろう。
 時々美那が俺の部屋に来るのも、俺のできあがったノートや課題、ゲーム機や本が目当てなだけだ。
 それなのに、俺一人、馬鹿みたいに美那を気にしている。
 そんなことをしておいて、美那を紹介してくれという男共の橋渡しもしてやってる有様だ。
 自分でも馬鹿だと思うが、告白して何もかもぶち壊れるのは、もっといやだった。
 だから俺はこの思いを、忘れることが出来るそのときまで、自分の中だけに留めていようと思った。
 その誓いに、俺の胸が締め付けられるような痛さで抗議する。
 そんな軟弱さを呪いながら、俺はやっと顔をあげた。
 この痛みで心が失血死すれば、楽になれるような気がしたからだ。
 ふと何気なく横を向く。二つのまっ黒く美しい瞳と出会った。
 瞳の持ち主は宇崎沙羅という女生徒だった。クラスの女子の中からは孤立気味だがこれには、理由がある。
 美那とはちがった種類の、整いすぎて冷たいくらいの美貌がまず一つ。
 胸も大きくスタイルもいいが背が高すぎて、しかも姿勢がいいため、威圧感があることが二つ目。
 そして帰国子女で何事もはっきり言って、空気を読まなければいけない状況をしばしばぶち壊す癖が三つ目。
 好感が持てる女だけど、今の俺の表情について、空気をぶち壊して聞かれるのはごめんだった。
 目をそらし、顔を隠すように俺はうつむいた。

 ありがたいことに、それきり何も起こらず、その日の授業はすべて終わっていった。
 そう、俺は思いこんでいた。
 覆されたのは最後のチャイムが鳴り終わった後だった。
984俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 13:50:33 ID:GnVyr5qa
 授業から解放されたざわめきも小さくなり、部活のかけ声があちこちで始まった頃、俺達は屋上にいた。
 宇崎が俺をここまで連れだしたのだ。
「で、用って?」
「ふむ。なぜ君は、好きな女を他人に紹介して、それで泣いているのだ?」
 何もする気が起きなくて言われるままついてきた俺に、宇崎が仏頂面をいささかも崩さず尋ねた。
 だが能面のような表情とうらはらに、内容は鉈のように俺の心をまっぷたつにした。
 人は単刀直入すぎる言葉を投げかけられると、フリーズするらしい。
 何か言おうと口を動かそうとしたが、出たのは意味のない「あ」の音のみ。
「質問の意味が分からないか? 藤沢、君は及川に強い好意を持っていたはずだ。
なのに、どうして及川と喜多口の間を取り持ってやって、それでなぜ泣くのだ?」
 何も言えない俺に、宇崎は質問が分からなかったと誤解して追い打ちをかけた。
 だがそのストレートな質問が、焼けただれた心に突き刺さったがゆえに、フリーズは解けた
「……好きじゃない」
 俺の言葉に、宇崎は長身の俺よりほんの少しだけ低い位置で、頭をかしげた。
「俺は、美那を好きじゃない。……だから泣いてなんかいない」
「そうか」
 宇崎は、なぜか俺の、精一杯の強がりに満ちた言葉を否定しなかった。
 ただ真剣な顔で頷いただけだった。
「ならば、良かった。君がそう言うなら、私も安心できる」
 心の奥底からこみ上げてくるものが、宇崎の妙な返答で動きを止めた。
「へ?」
「……繰り返して聞くが、藤沢、君は及川のことを好きではないのだな? 愛していないのだな?
ただの、仲がいい幼なじみなのだな?」
 そういいながら宇崎は俺を見据えて、問いつめるように顔を近づけてきた。すごく迫力に満ちていた。
「あ、ああ。……そうだよ」
 そのとき、俺は気圧されていたのだと思う。胸が痛みながらも、肯定の回答はするりと口を滑り出た。
「……良かった。……本当に良かった。……だったら、言える……」
 宇崎が目を閉じて深呼吸をした。その顔がなぜか不安げで……そして奇妙に俺の心を騒がせた。
985俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 13:52:56 ID:GnVyr5qa
「藤沢……私は、君のことが好きだ。……君が及川の事を好きでないのなら、どうか……私とつきあって欲しい」
 その顔は相変わらず無表情だった。そのはずだった。なのに、その黒瞳は美しいきらめきを発して、俺を射抜いた。
 そして俺は二度目のフリーズをした。単刀直入過ぎても予想外過ぎても、俺の心はハングアップするらしい。
 好きだという言葉と、宇崎の目が俺の脳裏で渦を巻く。
「……その、だめだろうか?」
 呆けていた頭が元に戻ったが、結論が出るはずもなく。俺は呆然と突っ立っているしか無かった。
 そんな、俺に宇崎が突然頭を下げた。
「……すまない。君が……悲しさを押し殺すために、……心に決着をつけるために、そう言ったのはわかっていた。
 君が、及川のことを好きなのは、良くわかる。私だって、君のことが好きだから。同じ立場だからよくわかる」
 頭をあげた宇崎の目が思い詰めた光を放っていた。
「でも君自身が及川なんて好きじゃないって言ってくれたから、……すごくうれしくなって……すまない。
 だけど、一つだけ……。同じ思いを持つ友人として、一つだけ」
 宇崎の顔は、やっぱり表情を変えてなかったのに、なのに、その顔がとても優しい感じになった。
「失恋したら、泣いていいと思う。……泣いた方が、早く立ち直れる……」
 そして、俺は三度目のフリーズを起こした。
 気がつくと、目の奥から熱い何かが止めどもなくあふれ出し、頬を伝い、顎からしたたっていた。
「あ……、どうして……、俺……」
 言葉も心も裏切って、涙は流れ落ちる。
 視界がうるみ、体が震えだし、声がかすれて、……次に漏れたのは、声。
 そして息がどうしようもなくしゃくりあげるようになって、俺は……たぶん……とてもひさしぶりに……声をあげて泣いた。

 どのくらい経ったのか、俺にはわからない。
 顔も袖も心もぐしゃぐしゃになって、それでも宇崎はずっと側にいてくれて、俺はようやく涙が収まってきて。
「ありがとう、宇崎」
 かすれた声で俺は礼を言った。宇崎は慰めの言葉を掛けてくれたわけでもなく、抱きしめてくれた訳でもない。
 でもそんなことよりも、ただ何も言わず側にいてくれた、その心が俺には伝わった。
 そして俺を心配そうに見る宇崎の顔が、今はなぜかとても綺麗に見えた。
 だから、言うべき事はわかっていた。同じ思いを分かち合っていたのだから。
「宇崎」
「うん?」
「……俺は……俺の心は……まだ美那にひかれている部分がある。でもそれでもよければ……俺からも……その」
 宇崎の表情がこんなに変わるのを見たのは初めてだった。それは恐怖にも驚きにもにた表情だった。
 彼女は無表情の下に、優しくて熱い心を隠していたんだとわかった。
「……つきあって欲しい」
 それは俺が先ほど味わった気分だと思う。彼女はフリーズしていた。でも目に涙が盛り上がっていた。
 きっとダムは決壊し、心のもやもやしたものが押し流されてしまうだろう。
 一筋の水滴が流れ落ちた。
「……宇崎、これからよろしく」
 俺は頭を下げた。

 そして俺達は二人して、ぐしゃぐしゃになった。
986俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 13:53:52 ID:GnVyr5qa
 その日、俺達は一緒に帰りながら、いろいろとしゃべった。
 夕日に映える宇崎の顔は、とても輝いていた。それを好ましく思う自分に、俺は苦笑した。
 美那の事を思い詰めていたのに、もう俺は宇崎に心を移しかけているらしい。
 だが、心の片隅のそんな声にも関わらず、宇崎は魅力的だった。
 彼女のまっすぐさと優しさが、俺の心にしみた。心からの笑顔が、まぶしかった。俺の視線に照れる仕草が可愛かった。
 どうして彼女を無機質な女だと思っていたのか、過去の自分の感じ方が、まったく腑に落ちなかった。
「じゃあ、また明日!」
「ああ、明日な!」
 夕日の中を去っていく彼女に、どうしようもなく寂しい気分を感じて、俺はそんな自分自身にもう一度苦笑いを噛みしめた。


 次の日から俺達の生活は変わった。
 昼休みになると、俺達は目の合図で、屋上に上がった。
 涼風に吹かれながら、俺は彼女の作ってきた弁当を食べて、そんな俺を見て彼女は笑った。
 放課後は、二人であちこちうろつき、休日はデートで、いろんなところを遊び回った。
 美那のことが気にならなかった、というのは嘘になる。
 だけど、日に日に美那よりも……沙羅のことが大きくなっていった。
 時間と沙羅が、俺を変えていった。
 そしてそんな俺と沙羅の変化を、周囲が気付かない筈もなく、いつしか俺達は新カップルとしてクラスの噂になってきていた。
987俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 13:55:29 ID:GnVyr5qa
 その日、俺は沙羅と次の休日の予定を決めるべくファーストフード店で粘り、海に行くことで合意した。
 そのため少し遅めに帰宅して、夕食を食べ、自室にあがった。
 いつものごとく、マグカップに茶を満たし、扉を足で開けて入ると、そこに女の姿があった。
「美那!」
「こんばんわ、お邪魔してるから」
 俺の驚きの叫びにも動じず、美那は俺の部屋で漫画を読んでいた。
 わりと久しぶりだった。彼女は時々ベランダを乗り越え、俺の部屋に無断進入する。
 俺は彼女の部屋には小学校5年以降は行っていない。彼女に来るなと言われたからだ。
 彼女が俺の部屋に来るときの目当ては、俺のノートとか課題、もしくは漫画かゲームだ。
 しかし最近俺はデートに金をつぎ込んで、漫画は買っていなかった。試験はもう少し先だ。
「どうしたんだ? 新しい漫画は買ってないよ?」
「そんなことはどうでもいいの」
 なにやら機嫌が悪いらしい。切って捨てるような口調に、俺は肩をすくめて椅子に座った。
 こういうときは放っておくのが一番というのは、長年のつきあいから来る知恵だ。
 俺は美那に背中を向けて机に向かうと、勉強をはじめた。沙羅と同じ大学に行くためには少々頑張る必要があるからだ。
 しばらく鉛筆が走る音だけが室内に満ちた。俺は美那が居るにも関わらず勉強に集中していた。
 そのことを自分でおかしいことだと思わなかった。……その変化を指摘したのは美那だった。
「珍しいじゃない。私が居るのに勉強に集中して」
「……あ? そういやそうだ」
 確かにそうだなと思いつつも、俺は勉強を続けた。
「ふーん、宇崎さんに遊んでもらってることがそんなにうれしいの?」
 脈絡無く美那の口から沙羅の名前が出て、俺は思わず美那に振り返った。
「な、なにが?」
「勘違いは早く気付いた方が、後々苦しまなくて済むよ」
「どういう意味だよ?」
 俺の問いに美那が嫌な笑いを口に浮かべた。
「浩介と宇崎さんって全然似合ってないよ。宇崎さんにふさわしい人が来たら、浩介なんてあっという間にバイバイだよ?」
 美那のしゃべった内容よりも、その口調に嫌なものを感じて、俺は顔をしかめた。
「美那は沙羅を知らないからそんなことを言うんだよ。……それに沙羅が他の人を好き成ったとしても、それでも沙羅がくれたものの価値は変わらないから」
 何が、美那の逆鱗に触れたのかわからなかった。ただ、俺の言葉とともに美那が恐ろしい目つきをしたのは確かだ。
「ふーん、浩介って鈍いね。……宇崎さんが浩介の事、うざいって噂してるの知らないの?」
「え? 嘘だろ?」
「本人に向かって聞こえるように言うわけ無いでしょ。浩介は鈍感なんだから、早く気付いて、身を引いてあげないと」
 正直、美那の言葉に現実味が薄かった。
「まあ、振られたら、あたしが遊んであげてもいいよ。でも早く現実を見つめて再出発しないとね。宇崎さんは浩介にはもったいなさ過ぎるから」
 それだけを言うと、美那は窓から出ていった。
988俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 13:57:40 ID:GnVyr5qa
「というような話を聞いてさ、……その俺のうっとおしいと思うところ、……直すようにするから……」
「誰から聞いた?」
「え? あ、いや、小耳に挟んだだけで」
「言って欲しい。 私は冤罪を晴らさなければならなくなった」
 昼休み、中庭で沙羅の弁当をわけてもらって食べながら、俺は意を決して、尋ねた。
 だが、俺の言葉は、沙羅の瞳に劇的な変化をもたらした。
 いつもは、きれいで感情の読みにくいその目が、今日は珍しく高温の青い炎を燃やし始めていた。
「あ、その、間違いだったら気にしなくていいから」
「それは間違いなんかじゃない。浩介を侮辱し、私をおとしめる、卑劣な悪意だ」
 その迫力に、俺は少し焦った。
 なんとか話を打ち切りたくて、俺は沙羅が作った弁当のおかずを口に放り込む。
 絶妙な味が口に広がり、心から、おかずの味を賞賛できた。
「うーん、しかし、これ、ほんとにおいしいよな。どうやって作ったんだ?」
「……ふふっ」
 少しだけ沙羅の迫力が和らいで、俺は心の中でほっと安堵のため息をつく。
「それは母の直伝なんだ。……ところで、その話、及川じゃないのか?」
 雪解けで現れた地面のように、かすかな笑顔が浮かんで、俺が油断したところに、鋭い推理の刃が突き立った。
 盛大にむせこみ、口を押さえて咳をする。眼前に茶が入った水筒の蓋が差し出されて、それを急いで飲んだ。
「なるほど……」
 沙羅がうなずく。
「げほっ……はぁはぁ……。さ、沙羅、あのさ、あくまでもそういう噂を聞いたって話だからね」
「私は、浩介の事を、クラスの人間と話したりはない」
「え?」
 沙羅の目が、俺の顔を見据えた。
「浩介に思いを受け取ってもらったことは、私の大事な宝物だ。……暇つぶしの話で揶揄されたり、からかわれたりしたくない。
だから、つきあっているのかと聞かれれば、肯定の返事はするが、詳しい話は一切しない」
 沙羅の黒くそして限りなく澄んだ瞳が、俺の心の中にしみ通っていった。
「だからこそ、わかる。その話は悪質なデマなんだ。私を、なによりも浩介をおとしめようとする許せないものだ」
「……沙羅、俺は沙羅が俺のことをうっとおしいと思ってないことがわかっただけでいいんだ。
……沙羅が影でそんなことを言うはずがないって思ってたんだけどね。……ごめん、俺が沙羅を信じていなかったのが悪いよ」
「浩介!」
 いつも抑揚に乏しい沙羅の声が、少しだけ高くなった。
「もうこの話は、よそう。せっかくの沙羅の美味しいお弁当がもったいないよ」
「でも!」
「誰かを疑うより、今、俺は沙羅と楽しい時間を過ごしたい。……な?」
 俺はこの時、たぶん吹っ切れた笑顔を作れたと思う。沙羅のまっすぐさが……とても愛おしかったから。
 でも……沙羅の背後、その向こうの校舎の隅にこっちを見ていたような美那らしい影がいたことは、口に出さなかった。
 美那は、奴と……喜多口とうまくやっているはず。美那に、デマを飛ばす理由がない。
 かすかに涌いた疑念を、俺はその事を思い起こして封じた。
989俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 14:00:21 ID:GnVyr5qa
「では、開票します!」
 数日後のロングホームルーム、退屈な時間。文化祭なんて、俺には関係なかった。
 ましてやクラス代表文化祭実行委員選挙、そんなものは別世界の話。
 立候補なんかとんでもないし、男共に他薦される様子もない。
 今回の生け贄は、バレー部の太田というのがもっぱらの観測だ。
 なんてったって、奴は成績優秀、バレー部のアタッカー、そして親分肌で仕切るのが好きでもある。
 予想通り、男子代表委員開票で、さっそく太田の名前が3回呼ばれた。
 これは決まりだなって思ったところ、不意に俺の名前が告げられた。
「藤沢君」
 男子共が低くどよめいて、俺に視線を集めた。しかし当人の俺にも事情はわからない。
 俺も投票したのは太田だ。
「続いて、……藤沢君」
 さらにどよめきが流れる。沙羅が少し驚いた目をして、俺に視線を向けてきた。
 俺は沙羅にさっぱりわからないという意味で、首を横に振った。
「次……藤沢君」
 そのときになって、俺と男子生徒の多くは女子共が俺をうかがっているのに気づき始めていた。
 やがて開票結果で俺の票数が太田を常に上回り始め、男子生徒達が当惑を抑えきれずに私語を始める。
「以上、結果は藤沢君23票、太田君19票……」
 呆然としている俺の目の前で、開票は女子代表委員に移った。
「以上、結果は、及川さん38票……」
 愕然と振り向いた俺と、沙羅の視線の先で、美那は立ち上がって、優雅な振る舞いで全員に一礼した。
990俺と素直クールとツンデレと:2008/06/15(日) 14:02:06 ID:GnVyr5qa
「図ったな」
「まあね。浩介だとなにかと便利だし、気心がしれてるから、頼みやすいしね。……でも投票してくれた女子達には、浩介からもありがとうって言っておくのよ」
 ホームルーム終了後、苦り切った顔で、俺は美那の席の前に立っていた。
 いつものごとく、美那は俺の困惑などどこ吹く風という態度で悠然と席に座ったままだった。
「……俺にだって用事はいろいろあるんだけど?」
「宇崎さんとデートとか? だめ。前に言ったでしょ。浩介と宇崎さんは似合わないって」
「……あのな」
「私は、浩介のためを思って言っているの。宇崎さんのためでもあるのよ?」
「……俺達の問題だろ? そりゃ、釣り合ってないかも知れないけどさ」
 俺のその言葉で美那はその日初めて俺に笑顔を向けた。
 かつてあれほど欲していた彼女の笑顔は、いまはなにか不吉の兆候のように思われた。
 俺は自分がはっきりと変わってしまったのを自覚した。
 美那の何かに小さなうとましさを感じたのだ。それが何かを、表現することは出来なかったが。
「わかってるじゃない。なら、潔く身を引いたら? 宇崎さんもほんと、趣味悪いんだから」
 美那の言葉と共に、綺麗で魅力的なはずの彼女の笑顔が、何か急に生理的不快感を感じるものになる。
 突然、得体の知れない熱さが俺の心を占めた。怒りだと気付いたのは言葉を叩きつけてからだった。
「沙羅を悪く言うなっ! 美那は喜多口と楽しくやってればいいだろう?」
 心を突き上げる熱さのまま、俺は自席に大股で戻った。
 そして荷物を鞄に投げ入れると、そのまま走り出しかねない勢いで教室を出て、校門をくぐった。
 そんな俺を追いかけて走ってくる足音があった。その足音が後ろで止まる。
「謝れっ! 沙羅に謝れ!」
「……? 済まなかった」
「えっ? 沙羅?」
 振り返った先で、沙羅がかすかに笑っていた。それで心を縛っていた怒りが急速に溶けて消えた。
「あ、うわ、……ごめん! 沙羅、ほんとにごめん!」
 恥ずかしさで頬がほてる。それがさらに恥ずかしくて、俺は何度も頭を下げた。
「大丈夫。気にしていないから。というか、嬉しい」
 頭を下げ続ける俺の手を、沙羅がつかんで引いた。
「正直、浩介が及川のことを、まだ好きじゃないかって思っていた。文化祭の準備で、浩介が私のことを忘れてしまうのじゃないかって思ってしまった」
「……ごめん、その、美那のことは、……もう話したくない」
「そうだな。……でも、私も文化祭、手伝うことにする。浩介と一緒なら、きっと準備だって楽しい」
「うん、ありがとう」
 そう言う沙羅のかすかな、目尻が少し下がるだけのかすかな笑顔が、なぜかいつもに増してまぶしく見えて、俺はまた顔が熱くなった。
 我ながら、怒ったり謝ったり照れたり、忙しい男だと思った。