私はトイレを出てもう一度手を洗い、席に戻った。
結構長く居たのか、席に着いた直後に料理が運ばれてきた。
宴会でお刺身を並べる時に使いそうな大皿にはキャベツの山、その上に有頭海老のフライが2尾、どでんと乗っている。
中くらいの皿に載ったライスも大盛りだ。
どうみても花崎のデカ盛り屋です。本当に有り難う御座いました。
一方、彼のくいだおれ定食もボリュームが凄まじい。
大きな有頭海老のフライが1尾、それにたっぷりとソースの掛かったステーキとハンバーグが1つずつ。
これは凄い。ハンバーグは小振りに見えるが、厚みが2cmくらいある。
ごくり。
もしかしたら、私もイケるかも知れない。
これを食べて脂肪がお腹でなく胸に付けば、私は追加でハンバーグを頼んだのかも知れない。
「頂きます」「いただきます」
さっそく頂く。
海老フライはプリプリと歯応えが良く、カラっと挙がっていてとても美味しい。
私の父は海老フライを頭ごと食べるという意外と豪快な一面を持っているが、それは彼も同じだった。
「味は濃いけど、美味しいですね」
フランス料理店に似合いそうな彼も、やはり海老フライを頭ごと食べていた。
やはり、彼は私の父親なのだろうか?
会計を別々(にしようと私が決めた)に済ませて店を出る。
この後、関東には無い「いか焼き」のデラベッピンを食べた事は内緒だ。
「だからカガミ、そんなに喰うと牛になっぜ? ヒッヒッヒ」
「五月蠅い。人の幸せにケチつけるな」
「おめえの『幸せ』ってのは、随分安いモンだな」
バカマルコのこの一言に、いつも通りツッコんでやろうかと思ったが、何故かそれが出来なかった。
ペンダントの言葉には、重みがあった。
間.
桜園市の桜園市営住宅、3階のある一室にて。
学校から帰った宮河ひかげは、ランドセルを放り投げ、制服から部屋着に着替える。
ひかげの通う小学校は、公立にしては珍しく学生服が存在する。
それから、六畳間の住みに置かれたパソコンにOptionキーを押しながら電源を入れる。
起動時にOSを選択する小学生は、この街ではおそらくひかげくらいだろう。
彼女はとある理由で姉のひなたと2人きりで生活をしており、決して経済的余裕があるとは思えない状態だった。
その理由がとんでもないのだが、今回は割愛させて頂くとしよう。
低所得者向けの市営住宅在住とはいえ、宮河家にはパソコンがあった。
今のパソコンは2代目であり、ひなたがある日突然友人から貰って来たもの(らしい)かった。
その前のパソコンは何世代も前の代物で、専らひかげのプログラム練習用マシンとして機能していた。
現在、宮川家のパソコンは半ばひかげの管理下にある。
それは、Windowsユーザだったひなたが貰って来たパソコンが何故かMacであり、
使い方が分からなくなってしまったひなたはたった一度しか今のパソコンを使った事がない。
ひかげは「Unixが使えればそれで良い」という小学4年生らしかぬ台詞で管理権を見事手にし、
それ以来、ひかげは高速タイピングでひたすら怪しげなプログラムを何個も作っていた。
最初は趣味で始めたUnix。普通、小学生が手を出す代物では無かった。
が、宮河ひかげの隠れた能力は思わぬ所で開花し、
彼女が公開したソースは個人から国立研究所まで、あらゆる場面で応用されていた。
詰まるところ、宮河ひかげは所謂「スーパーキッズ」であった。
しかし、コンピュータに関する知識はハンパではなかったが、学校の成績はむしろ悪い方だった。
そんなひかげは、夕べプリントアウトした印刷物とじーっと睨めっこしていた。
それは、『朽網』(くさみ)と名乗る人物が書き込んだ、伊勢崎線高架橋崩壊事故現場の側にあった『大穴』についての書き込みだった。
実は、『朽網』という名前は鷲宮町に住む日下部という青年のハンドルネームであり、
ひかげもコンピュータを通して彼の事を知っていた。
実際、秋葉原や大宮で彼と何度か会っており、その旅に技術情報の交換を行っていた。
しかし、流石のひかげも『朽網』という珍妙なハンドルネームの由来が、彼の妹の本名に由来する事は知らなかった。
ひかげはわずか15分で削除されたこのログの文書に何度も目を通し、情報を片端から集めていた。
まずは事故現場である東武伊勢崎線新田(しんでん)〜蒲生(がもう)間の地理情報、
被災した車両の特徴、被害者の人数といった基本情報から、過去に起きた超常現象についてまで、
くまなく調べていた。
カタカタカタというキーボードを叩く音、カチカチとマウスをクリックする音が、
静かな2DKの住宅に響き渡る。
「うみゅ〜、なかなか見付からないわね」
一旦席を立ったひかげは、背の低い冷蔵庫から麦茶を取り出し、ごくりと飲みながらつぶやいた。
コップをすすいだ後、ひかげはふぅ、と一息つき、それから袢纏を身にまとう。
六畳間の座椅子に座り、段ボール箱に乗せられたパソコンを再び操作する。
2時間が経過した。
そろそろ埼玉大学のサーバをハッキングしようかしらと考えていたろ、
とあるサイトが表示された事でキーボードの動きがぴたりと止まった。
それは、事故現場の大穴とは無関係な、『星の石』に関するサイトだった。
単なる都市伝説だと思うが、あまりにも気になるので中を覗いてみる事にした。
その頃、同じく市営住宅の一室にて。
こちらでも、キーボードをせわしなく叩く音が、2DKの室内に響いていた。
真っ暗な部屋の中、画面のバックライトに照らされた青い顔が、ニヤリと怪しく笑う。
「さて、次は『ここ』ね」
そう言って彼女は、「run」とタイプした後、キーボードのenterキーを押下した。
ウィンドウが一つ開き、黒い画面に白い文字が一斉に走る。
そして────────。
450 :
久留里:2008/02/17(日) 02:28:46 ID:AoxudsDA
以上でございます。
そろそろ第三者視点に切り替わるかも知れません。
こなた・つかさ・かがみの三人の運命は如何に?
>>441 うぇるかむとぅーおーさかーー!!
でも、梅田(中心地)あたりじゃ、人はほとんど地下街にいるから、地上はけっこう閑散としてるんだよな。
452 :
kt:2008/02/17(日) 12:00:05 ID:eQMqMVsy
>294さん
>)ryって括弧の向き逆じゃね?
返事が遅くなってすいません、、、
え、とそうなんですか?「(ry」こっちなんですか…
でも僕は「)ry」の方が使いやすい感があるのでこっちを使って行こう
と思っています、すいません
>妄想屋(仮名)さん
こちらこそなんというか、、すいません…
次回はオリキャラ視点(うぃきつー)のエロでいこうかと思っていますが…
いいのだろうか?、、オリキャラと言ってもみゆきさんの分身だけど、、、
あと「鼻血)ry会☆」シリーズと今考えている
ゆたか&みなみ&オリキャラのちょい?暗めの話を組み合わせようと
模索中です…自分で自分の首を絞めていってるというww
それでは失礼しました、、頑張ります
ゲームのせいで勘違いされつつあるがみゆきさんは黒くないていうかむしろ白い方
ごきげんよう。特にかぶりがなければ投下します。
『4seasons』の続きです。
■かがみ→こなた
■柊ただおが捏造大車輪です
ただおファンの方ごめんなさい
■エロなしです
7レスになります。
§2
静かの海という言葉を最初に聞いたとき、“静か”が湛えられた海なのだと思った。
“静か”とは何かと問われたら困るけれど、そう思ってしまったのだから仕方がない。
言葉から受けるイメージなんて、どれも最初はそんな曖昧なものなんだと思う。
よくわからないけれど、なんだか白く濁ったもやのようなものが地平線まで満ちていて、
そこに落ちた人間は永遠に言葉を失ってしまう。そんな海を想像した。
それをお父さんに云ったら、笑いながら頭を撫でてくれた気がする。そんな記憶が
どこかにあった。
その思い出は過去の朧気な情景の中にあって、少しでも意識のフレームを外してしまうと、
たちまち無意識の薄闇に沈んでしまう。そんな記憶だった。
それは。
玲瓏と月明かりのこぼれ落ちる、濡れたような夜のことだった。
「そうか、“静か”で満ちた海か。うん、面白い。それに近いと思うよ。でもちょっとだけ違うんだ」
あれは、どれくらい前のことだっただろうか。
たしか家の増築前だったはずだから、小学校低学年のころだろう。居間の縁側から眺めた
風景に、今お父さんたちの寝室になっている部屋はなかった。でも、いつも私とつかさに優しく
してくれて、ずっと大好きだったおばあちゃんがいた覚えもない。だからたぶん、三年生くらいだ。
「あー、お姉ちゃんばっかずるいー。つかさも撫でてもらうのー」
ペタペタとまとわりついてくるつかさに、お父さんはにこにこと笑いながら云った。
「お父さんがかがみを褒めたのは、かがみが自分で考えて素敵なことを云ったからだよ。
つかさもなにか良いことを云ったら撫でてあげようね」
「え、あ、うーんとうーんと……。あ、お月様がずっとおんなじ顔をしてるのは、公転と自転が
一緒だからなんだよ?」
「……それって、さっきお父さんから教えてもらったことじゃん」
「あ、そ、そうだった」
ふにゃんと頬に手を当てて萎れるつかさに、お父さんが苦笑していたのを覚えている。
「仕方ないなー、ほら、わたしが撫で撫でしてあげる」
哀しそうにしているつかさを見ていられなくなって、私はつかさのそばに寄って頭を撫でたのだろう。
そうするとつかさは、途端に月よりもまん丸な笑顔を浮かべて「わーい、お姉ちゃん大好き」と
云ったはずだ。
そんなことは思い出すまでもなかった。あの頃私たちは、いつだってそうやって依存しあって
いたから。
「ほら、かがみ、みてごらん」
縁側の天体望遠鏡を弄っていたお父さんが私を呼んだ。
場所を入れ替わってレンズを覗くと、灰色の月が大きく映っていた。
「そこが静かの海だよ」
円形の月の中心点からやや右上の辺り。一際濃い色をした染みのような影にピントが合っていた。
「ここが海なの?」
よくわからなかった。海と聞いて思い浮かぶイメージは、青い水の満ちた水たまりのような
あれだったから。
水なんてないはずの月に海があるなんて信じられなかったし、ましてや静かの海といわれたら
余計にわからない。だから“静か”でたゆたう海などというものを想像してしまったのだけれど。
「そうだよ。海と云っても、僕たちが普段云う海とは違うんだ。隕石が衝突したりして、
玄武岩っていう黒い岩が露出している盆地を、海って呼んでいるだけなんだよ」
「じゃあ、水があるわけじゃないんだね」
「そうだよ。でもねかがみ、“静か”で満たされているのは本当だよ。月には大気がないから、
きっとその海はどんな音も飲み込んでしまうだろうね」
――そう、アポロの接地音もね。
お父さんは、どこか遠い目をしてそう云った。
「アポロって?」
不思議そうな顔をして訊ねるつかさと私に、お父さんは教えてくれた。
それはとても昔の物語。私たちが生まれるずっと前のこと。
人がどれだけ偉大なことをなし得るか。人の営みがどれだけ輝いて夜空を照らし出すことができるか。
それを示した人たちのことを。
アポロ11号が静かの海に降り立つまでの物語。
ニール・アームストロング。マイケル・コリンズ。エドウィン・オルドリン。ユーリ・ガガーリン。
フォン・ブラウン。コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー。
そしてライカ。あるいはクドリャフカ、ジュチュカ、リモンチク。犠牲にされたかわいそうな犬のこと。
そんな舌を噛みそうな名前たちも、お父さんの口から聞こえると、なぜだかよく知った人の名前
みたいに思えてくるのが不思議だった。
それはきっと、昔の友達のことを話すような、お父さんの優しい表情のせいだったのかもしれない。
つかさもちゃっかり確保したお父さんの膝の上で、目を丸くしてじっと聞き入っていた。
お月様に捧げられたススキがさわさわと揺れていた。鈴虫が思い出したように鳴く声が、
BGMのようにその場を満たしていたことを覚えている。
お父さんは、根っからの科学少年だった。当たり前だが私が知っているお父さんは、大人でかつ
人の親であるお父さんだけだ。だからお父さんの実際の少年時代のことは聞いた話でしかないし、
自分の父親に対して少年というのもおかしな話ではあるけれど。
でも、難しい科学理論を楽しそうに話し、鉱石ラジオとか真空管アンプとかを嬉しそうに組み立てる
お父さんは、少年のようにきらきらと瞳を輝かせるのだった。そんな人を大きくなった科学少年と
形容しても、きっと許されることだろう。
科学好きなお父さんだったけれど、がちがちに凝り固まった合理主義者というわけでもなかった。
それは、神社の一人娘だったお母さんと結婚する際、自ら神学校に通って神主の資格をとった
ことからもよくわかる。
何よりも人の心を大切にする人だった。
科学の言葉で、夢を語る人だった。
お父さんから、沢山の星の名前を教わった。遠いところにあるもの、近いところにあるもの。
光の等級や、スペクトル分析から導き出された元素組成。古来から人がその星に何をみて
きたのか、その願いや神話の話。位置が定まらない曖昧な素粒子や、それが導き出す
可能性の世界。そして、人はどうあるべきかとか、人はどうするべきかとか、そんな話も。
そんなことを真摯に子供と語れる人なのだ。
私は、そんなお父さんから理知的で真面目な性格を受け継いだ。
そしてつかさは、そのロマンティックでおおらかな性格を受け継いだのだろう。
今隣にある顔は、あの頃と比べると皺も増え、少し白髪も交じるようになっている。でも
その瞳の輝きはあのころと少しも変わらない。こんなにも複雑で先の見えない世界に対して、
あくまでも誠実に向き合ってきた。そんな正しさに支えられて、その眼差しはどこまでも
優しかった。
縁側に作った小さな祭壇にお団子とススキを捧げて、ぱんぱんと短拍手を打つ。
お月様も柏手でいいのかなとお母さんに聞いてみたら、「八百万だからご一緒よ」という
返事だった。
あのころお団子を作っていたのはお母さんだったけれど、今ではもうつかさの役割だ。
縁側に並んで腰掛けたお父さんと私、居間のテーブルにもたれかかったつかさと、その
正面でお祓い済みのお守りを袋につめているお母さん。中天にかかる満月は銀色の光を
地上になげかけていて、電灯も消した夜は少し青みがかって沈んでいる。リーリーと鳴く
鈴虫の音色は、昔も今も変わらない。
今年の中秋の名月は、十月もしばらく過ぎた頃だった。
「あんたたち、本当お月見好きだよねー」
台所から、まつりお姉ちゃんが声をかけてきた。縁側からはみえないけれど、ごそごそと
冷蔵庫をあさっているようだった。
「お姉ちゃんもどう? 楽しいよー」
にこにこと笑いながら、つかさが答えた。
「楽しいわけあるか。あれかなぁ。やっぱ七夕生まれだからかな? あんたたちが夜空
好きなのって」
ああ、そうかもしれない。たしかに誕生日と七夕を一緒に祝われる私たちにとって、見上げる
夜空はお馴染みのものだった。つかさと二人でいるとき、晴れた夜にはよく空を見上げては
星の名前を呼び合ったものだ。
そういえば――こなたの家に初めて泊まりにいったとき。
あの夜にも、流れ星をみつけたのはつかさだったっけ。あのときつかさはお祈りを三回
唱えようとして必死だった。私は、どうしたっけ。ああ、そうだ。
”流れ星が消えるまでにお祈り三回唱えるなんて現実的に無理”そんなことを云って
こなたに呆れられたんだ。
こなた。
懐かしいな、無邪気だったあのころ。初めてこなたの家にいって、子供のころから
こなたが過ごしてきたという部屋をみて、私は胸が一杯になっていた。柱の小さな傷も、
カーペットの染みも、壁紙に残ったセロハンテープの跡も、その全てがこなたの人生を語って
いるように感じられた。
「どうだ、二人とも。ちゃんと勉強は進んでいるかい?」
「うん、大丈夫。ちゃんと計画的にやってるわよ。つかさもね」
そう云って笑いかけると、つかさも笑いながらうなずいた。
「そうかそうか。かがみはいつも一人で抱え込んで頑張りすぎるから、少し心配していたよ。
でも、その分なら大丈夫そうだな」
「……う、読まれてるかも」
「つかさも。最近はすごくしっかりしてきたね」
「そうよ。最近私が起こさなくても一人で起きられるようになったのよ」
お母さんが云う。
「えへへ」
「ってつかさ? それ高校生が褒められて照れるようなことじゃないからな」
「はうっ」
固まったつかさを見て、みんなで笑った。
四人で色々なことを話した。学校のこと。進路のこと。最近のニュースのこと。哀しかったこと。
楽しかったこと。昔の思い出。少しだけ未来の話。そんな色々な由無しごと。
普段云えないようなことでも、自然に話し合うことができた。
月をみているから話せることもあるのだ。
お互いの顔をみていないから。月に語りかけるように話すことで、やっと伝えられることがある。
家族ではあっても、気軽には触れられない部分もあるから。
どれだけ親しくても、話せないことはあるから。
――たとえば、私の恋のこと。
それを告げたら、この人たちはどう思うだろう。
時々考えてきたことだった。
私は同性愛者というわけじゃないから、それを隠して生きていくことは可能だと思う。
けれど家族に対して自分のセクシャリティを隠し続けることに、私はずっと良心の呵責を
感じていた。性自認とか性的指向だとか、なんていうか、プロフィールの性別欄に記入が
必要なほど根本的な属性を隠したまま家族でいることが、すこしだけ後ろめたかった。
いつか、話さないといけないのだと思う。
お父さんはきっと、少し驚いて、それからちょっと考えて。それで多分「そうか」とうなずいて
受け入れるだろう。
科学少年でかつSFファンという人種は、そういうものだ。
なんといっても、五千万年後の人類の生活様式だとか、惑星を満たす巨大な原形質生物と
人間とのコミュニケーションだとか、中性子星の表面で発展してきた生命の文明史だとか、
そんなことばかり考えてきた人種だ。多少のセクシャリティの混乱など、なにほどのものでも
ないだろう。
けれどお母さんは違う。
これで存外に古式ゆかしい人だから。
柏手をうちながらお札をお守りに入れていく、お母さんを盗み見る。
きっと、自分の育て方が悪かったなどと思うに違いない。私がつかさとべったりひっついたまま
育っていったせいだとか。お父さんが難しいことを教え込んだりしたからだとか。
つきあってきた友達のせいだとか。男に愛想をつかすようなことをされたことがあったのかとか。
そんなはずもないのに。同性愛指向は変態性欲でもなければフェティッシュでもなく、
環境によらない生まれつきのセクシャリティなのだから。
それを説明するのはやはり気が重い。納得してくれるかどうか、まるで自信がない。
それでも、いつか話さないといけないだろう。それがずっと育ててきてくれた親への礼儀だと
思うから。
ふと会話がとぎれたところで、自然とみんなが月を見上げた。
大きくて丸い月が、ただ浮いている。
なんの意味もなく、理由も目的もなく、ただそこにあるということ。その事実が、なぜか
少しだけ怖かった。夜空は晴れ渡っていて、肉眼でも静かの海がよくみえる。
「38万4,400km、だったっけ?」
ぽつりと呟いた言葉に、お父さんがうなずいた。
38万4,400km、地球と月の平均距離。
その何もない距離を渡ったアポロの乗組員たちは、何を思っていただろう。
ただなにもない無の世界。
上下もなく左右もなく、その全てが真空の暗闇で、遙か遠くに月光と地球光だけが浮かんでいる。
無限とも思えるその間隙を、どうして渡ることができただろう。
こなたのことを考えている。
こなたと私の間に広がる、真空の間隙のことを考えている。
私たちは、きっと、地球と月のようなものなのだと思う。互いに重力を及ぼしあうけれど、
決して一つになることはできない。
互いに一番大事な人だけれど、夜空に一番大きく浮かぶけれど、決して行き来することは
できない。
ただお互いの周りをくるくると周り、慎重に裏側をかくして、同じ顔を見せ続けている。
その間隙を飛び越えるには、きっと私の心にもアポロが必要なのだ。失敗しても挫けず、
焦らず、何度でも挑戦して。全人類の夢を背負って。フロンティアに思いを馳せて。
そうしていつか遠い天体と私を繋ぐ、そんなアポロ。
でも、そんなことは不可能だ。
38万4,400km。まるで実感の沸かないその数値に、少しだけ眩暈がした。
リーリーと、BGMのように鈴虫が鳴いていた。
§3
十月も過ぎ、十一月にもなれば、もはや冬の跫音はすぐそこまで聞こえてきている。
私は、八ヶ月ぶりにスクールコートをクローゼットから出した。
クリーニング店の札を外しながら、ああ、このコートを着るのもこれが最後なんだなと、
少しだけ感傷的な気持ちになった。
最後に夏服を脱いだときも同じような気持ちになったけれど、きっとこの先何をするにも
“高校生活最後の”という言葉がつきまとっていくのだろう。
慌ただしかった二学期ももう半ばを過ぎて、受験、そして卒業という言葉が、実感をもって
せまってくるこの頃だった。
思えば二学期は本当にイベントごとの目白押しだった。
体育祭に修学旅行、それに文化祭。受験というこれまでの人生の山場を迎える時期に、
どうしてこうも学校行事が続くのか。修学旅行なんて、二年生のときにすませておけば
よかったのに。理事長だか校長だか知らないけれど、そんなカリキュラムを組んだ誰かを
心の中で罵った。
でも、楽しかった。
それだけは確かだった。
体育祭では僅差でB組に勝った。こなたとどっちが勝つかで賭けをして、見事に勝った私は、
一週間三つ編みで過ごすこなたを眺めて楽しんだ。
修学旅行ではこなたにつきあわされてアニメスタジオに行ったし、変な男に勘違いさせられて
呆然としたりもした。
あのときは本当に脱力する思いだった。
夜にホテルの前でという呼び出しの手紙をみつけた私は、てっきり男子から告白されるのだと
思い込み、一人でずっと思い悩んでいたのだ。
云うに云えない恋の辛さは、心からわかっていたから。
もしどこかの男が私に対して私と同じような想いを抱いているのだとしたら、その想いに
一体どうやって答えればいいのだろう。夜も眠れずに七転八倒し、隣に恋する人がいないことに
理不尽なほど腹を立て、自分が隠しているくせに、それに気づきもしない相手を逆恨みすらして。
私の中で吹き荒れた感情の嵐は、最終的に“男とつきあえばこなたのことを忘れられるかも”
なんていう馬鹿げた所までいきついていたのに。
その結末といったら――もはや思い出したくもない。
文化祭ではチアダンスを踊った。
ずっとこなたとクラスが別れていた私にとって、あの経験は何物にも換えがたい宝物になった。
こなたと一緒に行動して。こなたと一緒に何かを積み上げて。最初はできなかったことも、
話し合って、練習して、少しずつできるようになっていって。それは本当に楽しくて、
身体だけではなく心も一緒に踊りだしていた。
そうして、それが楽しかった分だけ、つかさやみゆきはずっとこなたとこういうことが
できたのだと思って、少しだけ嫉妬した。私はそんな自分を恥じたけれど、きっと二人とも
私が嫉妬していることに気づいていただろう。そして私がそれを恥じていることも十分
わかっていて、それを私がわかっていることもわかっている。
だから私は開き直って笑った。そんな自分も丸ごと受け入れて楽しんだ。
全部、大切な思い出としてこの胸に刻み込もう。
悩んだことも辛かったことも楽しかったことも。
この先何がおきて、わたしたちがどうなったとしても、決して忘れないように。今まで
生きてきた道を、決して見失わないように。
スクールコートに袖を通しながら、そんなことを思った。
久しぶりに着たコートからは、少しだけクリーニング屋の匂いがした。
つかさの部屋からドアを開ける音がしたので、私も一緒に部屋を出る。別に示し合わせた
わけじゃないけれど、つかさも私と同じようにコートを着ていた。
「あ、やっぱりお姉ちゃんも」
嬉しそうに顔をほころばせている。
「あんたもか。そろそろ制服だけじゃ寒いよね……って、こらつかさ」
「ふぇ?」
階段を降りようとしていたつかさに声をかけて立ち止まらせる。突っ立っていたつかさの
背中に回り込んで、首筋に手を伸ばした。
「もう、クリーニング屋の名札、つけっぱなしじゃないの」
「あう、や、やっちゃうとこだったよう……。お姉ちゃんありがとう」
「まったく」
しっかりしてきたように見えて、まだ時々抜けているつかさなのだった。
いつもの待ち合わせ場所では、先に来ていたみゆきが私たちを待っていた。おはようと
挨拶を交わして、つかさがみゆきの格好に眼を止める。
「ゆきちゃんも今日からコートだねー」
「ええ。お二人とご一緒ですね」
「こうなると、こなたのやつも一緒に着てくるか楽しみよね。あいつのことだから、寒い
と思っても面倒臭がってひっぱり出そうとしないかもなー」
「ふふ、そうですね。この間も着替えが面倒くさいからと、家からずっと制服の下に体操着を
着っぱなしだったそうです」
「あー、あったあったー。なんか満更じゃなかったみたいで、もうずっとこうしよっかな、
とか云ってたよ」
「年頃の女の子としてありえんな……」
そんな風にこなたを肴にして盛り上がっていたところで、後ろからくしゅんと可愛い声がした。
ふりむくと、いつのまにかきていたこなたが、鼻をこすりながらにらみつけていた。その隣で、
ゆたかちゃんが困ったように笑っている。
「あー、君たち、人がいないところで何を盛り上がってるかな?」
くしゃみはしていたけれど。
しっかりとスクールコートを着ていたから、寒くはないはずだった。
「ふむ、今日のお弁当当番はつかさか」
「うっさいな、ってか見た瞬間見破るなよ」
「いやいや、私だってわかるぜ。かがみのときは、もっとこうごちゃーってしてんもんな」
「あんたは毎日あやのに作ってもらってるくせに、偉そうなこというな!」
「あー、あやちゃんたち、タコさんウィンナー」
「うふふ、みさちゃん、ウィンナーがタコさんじゃないといつも一瞬がっかりするんだもん」
「あ、あやのぉ……そんなことばらすなよぉ……」
「あら、あやのさんたちもこなたさんも、今日は付け合わせがポテトサラダですね」
「おお、みゆきもだー。これはあれだね、ポテトサラダ三連星だね」
「意味がわからんわ」
「ポテトを踏み台にした!?」
「しねーよ」
やかましいことこの上ない。
最近のお昼はいつもこんな風だった。文化祭以降みんなが打ち解けてきたこともあるし、
私がもっとみさおたちに歩み寄ろうと働きかけたこともある。気がついたらお昼もみんなで
一緒に食べるようになっていたのだ。
いざ仲良くなってみれば、みんなまるで以前からそうであったようにぴったりと馴染んだ。
みさおとこなたはノリが合うのか、ぽんぽんと賑やかに、男の子みたいな言葉の応酬を
していることが多かった。みゆきとつかさはあやのとほんわかトライアングルを形成して、
周囲に癒しのオーラを投げかけていた。
どうして今までこうしなかったのだろう。
私とみさおだけを置き去りにして、ポテトサラダの味付けの話で盛り上がっている四人を
みながらそう思う。
みさおやあやのが、私ともっと距離を縮めたいと思っていることは、半ば気がついていた
はずだった。それを知っていて、どうして私はこなたの所にばかり入り浸っていられたのだろう。
五年連続で同じクラスという、ほとんどあり得ないほど強い縁がある二人を放っておいて。
きっと私は、ずっとこなたに捕らわれていたのだと思う。
あの日、桜の樹の下でこなたに会ってから。あの時から私はずっと、桜吹雪の下の異境を
彷徨っていたのだ。
一目みたときから気になって、一言話しただけで頭から離れなくなって、自分が受けた
不思議な感情に戸惑って、そんな思いを私に抱かせた女の子を、もっともっと知りたくて。
だから私は周りがみえないほどこなたにのめりこんでいったのだろう。そう、あの夏が
くるまでは。
春にこなたが好きだと気がついて、夏に覚悟を決めた。そうして私は初めて周りに眼を
向けることができたのだ。
どれだけ好きでも、世界は二人だけで完結しているわけじゃない。
お互いがお互いの周りを回っているだけにみえる地球と月だって、一緒に太陽という
より大きな物の周りを回っている。火星も、金星も、水星も、木星だってある。その全てが
お互いに重力を及ぼし合って、そうして一つの系を作り上げている。
一人の人を好きになるということは、その人に繋がる全ての人も受け入れることで、
その人が生きてきた人生も全て受け入れることなのだと思う。
そう思うことができたから、あの夏も無駄ではなかった。
渦中にあるときは辛くてきつくて、逃げ出したくなったけれど。
そう思うことができたから、あの夏も必要な夏だったのだ。
ふと眼があったみゆきが、ふわりと笑った。
それがなんだか、考えていること全てを見透かされているようで。
かなわないなと、心から思った。
※ ※ ※
そんな風に十一月もすぎていく。受験勉強もいよいよ佳境となり、クラスの雰囲気も
少しずつ張り詰めていき、寒さも本格的になり始めたころ。
こなたから掛かってきた電話に何気なく出た私は、続く言葉に驚きの声を上げた。
「かがみ。週末なんだけど……海を見たくはないかい?」
「――は?」
余りにも唐突なその言葉に、私は静かの海のことを思い出していた。
(つづく)
以上です。
ただおのSFオタク設定は特に意味がありません。趣味です。
だってSFとか、好きだからー!
強いて云えばそうじろうに負けないキャラの強さが欲しかったのです。
ちなみに秋のテーマは、
「でも、世界は二人だけで構成されているわけじゃないよ」(二条乃梨子さん談)
のようです。
それではありがとうございました。
>>462 リアルタイムGJ。
こなたとかがみを月と地球に例えるってのはなんだか不思議な感じがしました。
でも間違ってもいないような気がして。
毎回毎回、凄く楽しんで読ませていただいておりますぜ。
次も待ってますー
>>462 えーと。モーツァルトに嫉妬するサリエリってこんな感じでしたっけ?(自爆
不穏当な枕はさておいて(おくな)、そう持ってきましたか。
アニメ版のイベントを盛り込みながら関係を変化させていく描写の妙にうならされます。
彼女達の関係がどう変わっていくのか、引き続き見守りたいと思います。ぐっじょぶ。
GJ!
地球と月の距離に、何か幻想的なものを感じてしまいますね。
ただお父は地味ながら、穏やかな人柄に好感がもてます。
ご連絡事項
保管庫の party party ! は、いちおう自作です。
トリップを明示させていただきます。
>>462 ktkr!!相変わらずすごい表現力…!!!
とうとう冬ですね。続きも全力でwktkしてますっ!
ごめん、興奮のあまり色々間違えた…
メル欄…orz
468 :
ちび:2008/02/17(日) 14:40:55 ID:DgoSmlU9
こんにちは。
下手の横好きでまた書きましたので投下をさせていただきたいのですが。大丈夫でしょうか?
>>462 待ってました!
楽しみで楽しみで仕方なかったけど、いざ見ると鬱です(GJ的な意味で)
自分とはレベルが段違いだ。ただおに持たせた個性とか、俺には真似できないし。
とにかくGJ!次回作も楽しみにしております。
470 :
ちび:2008/02/17(日) 14:51:14 ID:DgoSmlU9
えっと、あと10分大丈夫そうだった投下します・・・。
471 :
ちび:2008/02/17(日) 15:01:17 ID:DgoSmlU9
えぇ〜、投下します。内容は自分の作ったもの「その手を掴んだ愛」の続きです。まぁ、どうということもないです。エロは無いです。
つかさとこなたの話です。
472 :
風(1/6):2008/02/17(日) 15:02:24 ID:DgoSmlU9
春が謳歌する花畑。穏やかな風が白、黄色、赤の色鮮やかに咲く花々の匂いを運んでいる。
一つのお弁当に向かい合ってつかさとこなたは女の子座りしている。
つかさ特製の卵巻きを口に入れるこなた。
「美味しい!!」
こなたはモグモグと軽快に賞味しながら、悦にひたった。
「えへへ。ホント?」
首をかしげてもう一度その返事を促す。こなたがニマリとする。それは誰にそうして貰うより嬉しい。
「良かったぁ!」
「うん。さすが未来のコックだね。つかさも食べなよ。」
こなたは箸でもう一つつまみ、少しうつむくと、にへらと笑って、頬を赤く染めて言う。
「…ほら、あ〜んして。」
辺りを見回すつかさ。地平線を花々を散りばめた緑と澄清の青が割っている。
つかさは思わず嬉しくて笑みがこぼれる。
まあるく開けた口をこなたにゆだねた。
かがみがつかさとこなたの交際を否定した夜、偶然にも二人が揃って見た夢の光景だった。
〜風〜
陰鬱な空合い、ややもすれば雲が泣き出しそうな、朝。電灯に照らされた教室。早々から登校していたみゆきは幾つかのことに驚いた。つかさとこなたが共に現れなかったこと、挨拶すらしなかったこと、それにこなたの頬にうっすらとアザがあったことだ。
「その、上手くはいかなかったんですね。」
二時間目と三時間目の中休み、こなたがみゆきの机にのたりともたれて「やな天気だねぇ」と切り出した話を早々に切り上げて、みゆきは訊いた。
「まあ、大体ご想像の通りかな。」
依然空模様を気にするように窓の向こうを眺めながら、こなたはみゆきと会話する。
「あ、あの…。」
みゆきはぎこちなく慎重に言葉を選んだ。
「その、かがみさんはかなり動揺したんですね。」
こなたは頷いて、頬を皮肉っぽくつり上げ頭を掻いた。視線は変わらずに窓の向こう。その姿はあまりにもの悲しい、とみゆきは思った。
「いや〜、つかさへの並々ならぬ愛を感じたよ…。」
みゆきは表情に困り、同情の色を残しながら苦笑いをした。
ぽつぽつと雨が降り始める。こなたはその降り始めの様を少し眺めてからみゆきに向き直った。物を斜に見た、でも勇気ある少年のような顔だ。
「昨日つかさと電話してね、かがみの提案にのる事にしたんだ。」
こなたはそう呟くように言ってから一息つく。
「お互い距離を置こうって。」
つかさは愛する彼女を気にしないで次の授業の準備を終えると教室を抜けていった。それにこなたも気にかける様子はない。
「1ヶ月、気持ちも距離を置く事にしたんだよ。かがみも突然の事だったし、時間が欲しいんだろうしね、」
まくしたてた言葉はみゆきにこなたが言っておかないといけない言葉だった。勢いでそれらを伝える。
「それに…、まぁそんなとこだよ。」
こなたはそう言って言葉を詰まらせた。みゆきは直視出来ず視線を落とす。
「そうですか…。」
473 :
風(2/6):2008/02/17(日) 15:03:12 ID:DgoSmlU9
こなたは立ち上がって背伸びをした。
「う〜ん!みゆきさん!別の話しようよぉ。あ、それとかがみの分のツッコミよろしく。」
見上げたみゆきの前にはにいつものにんまり顔で真っ直ぐ見つめ返すこなたがいた。
「ツッコミ、ですか?」
「ほらまずは話題、話題。」
みゆきはわたふたとしてから、かしこまった。
「は、はい!えぇ〜っと、来週は三回目の学力テストがありますね。泉さんは…」
おおぅ!そう来ましたか!?
「そうだね…。私、も〜少し勉強頑張らないとねぇ…。」
目元に陰ができて、肩を落とすこなた。一喜一憂を全身で表現するあたり、普段通りだ。みゆきは何時も通りの焦り方でつなぐ話題を探した。
「…そう言えば学力テストには志望校を書くところがありますが、泉さんはどうしているのですか?」
こなたはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「う〜んとね。決まって無いから適当だよ。一昨日の進路希望調査には東大、京大、○アニって書いた。」
人差し指を立て、普通の出来事のように話して歪んだ高校生っぷりをアピール。
さあツッコミたまえみゆきさん!
瞬時にみゆきの脳内がフル稼働した。
「もういっそマジ○カも書いとけよ。私、見放してやるから。」
こなたのみならず近辺のクラスメートの会話や、作業、読書まで止まった。
「ぬぁ!?みゆきさん!?」
みゆきは赤らめた顔を両手で覆ってうつむいた。指先にのった眼鏡だけが位置座標をかえない。
「あ、あの私なりにかがみさんをイメージしたのですが…。」
「き、器用だねみゆきさん…。」なんか今のかがみより毒なかった?
昼休み、日を通さない分厚い雲がいっそうの雨を校舎に落としている。
つかさはかがみのクラスでご飯を食べていた。
「でね、先生その脅迫状まがいに忙しくって宿題出してたの忘れてくれて、凄く助かったの!」
そう言ってつかさは自分で作った卵巻きをはむっと口に入れる。ふわりとほどけ、芳ばしい香りが甘味と共に広がる。凄く幸せ。
「随分たちの悪い悪戯ねぇ…。」
とあやのは眉を寄せ、みさおはケラケラと邪気無く笑って言った。
「でも、柊妹は柊姉と違って宿題忘れたりすんだな」
つかさは、えへへ、と恥ずかしく頬を指で撫でる。
「いや〜実に人間味があるじゃん?」
「そう言ってもらえると、ちょっと救われるかも…。」
つかさはみさおの方を向いて、はにかみながら微笑んだ。
「日下部、あんたさりげなく私を攻撃してるだろ。つかさ、こいつの方に流れてったら終わりよ。それにもう宿題忘れないようにって夏休み前にメモ帳買ったじゃない。あれはどうしたの?」
「あ、」
つかさはこの手の不意討ちに表情のテンプレートが用意できない。無表情に沈黙した。3人は反応待ち。つかさは頭をかきながら、縮こまって言った。
「えっと、鞄には入ってるから、今日からまた使うよぉ…。」
その肩にみさおの手がぽんとおかれた。つかさが見ると、みさおはわかるぞ、としみじみと同情の顔をしている。
「…心の友よ。」
「ど、どんだけぇ〜」
かがみもつかさと同じお弁当の卵巻きをつまみながら、二人の絡みに苦笑した。なんだろうか、とても愉快だった。
「あはは、ホントどんだけよぉ〜。」
つかさは顔を赤らめすっかり席に小さくなる。なんだか窮屈だけれど暖かかった。
474 :
風(3/6):2008/02/17(日) 15:04:01 ID:DgoSmlU9
この時、つかさもこなたも、そしてかがみも心にぽっかりと穴が空いていたが、それは度を超えて辛い事にはならなかった。
つかさはふと思う。
1ヶ月。あんな夜を過ごした私だから、それはとっても待ち遠しい。でもそう思うことはお姉ちゃんとの約束に反してしまう。だからおし殺さなくちゃいけない。
1ヶ月。近づく約束の日。まるで昨日見たドラマだ。
噴水、深夜12時…。現実はレポートをやるだけ…。
「つかさ?どうしたの?」
「あ、え、レポート?」
「レポートあるの?」
「うううん。無いよ。」
「…そう。」
何気ないように気遣っていたかがみの表情が少しだけ曇った。
夕方。雨はあがった。雲間から漏れ出した橙色が駅のホームを無表情に染めていた。こなたとみゆきはお互いの電車を待っている。
「さぁて、今日は帰ったら勉強してみよっかなあ〜、みゆきさんわかんないとこあったら電話するんでよろしくね〜。」
「もちろんです。頑張って下さいね。」
みゆきは本屋のビニール手提げを持っていて、中身の本はそこそこの大きさがある。
「今日は買い物に付き合っていただきありがとうございました。」
「いやいや、一般的な書店が萌え化し始めてるのわかって嬉しかったよ。やっぱり二次元の時代、来てるねコレ!」
こなたは手持ちの鞄を床において、両手を腰に不敵な笑みを浮かべた。
「ライトノベル等も深いテーマ性があったり、かなり本格的なものがありますよね。」
「いやいや、しかしみゆきさん、そんな分厚い本、しかも難しそうなのをよく読むよ。受験生なのにその余裕、さすが完璧超人。」
こなたは身振りをころりと変えて、自ら名付けたあだ名を片手を握りしめてひしひし噛みしめている。そんな彼女はみゆきから見ても可愛いかったりする。
「いえ、そんな。今注目が集まっていて読んでみたかったんです。」
「『ワープする宇宙』だっけ?それって物理の本でしょ?」
「えぇ、正確には近代物理全般の啓蒙書と言ったところでしょうか?私もまだ読んで無いのでわかりませんが、
私たちの生きる現実に五次元などの多次元があることを証明出来るかもしれない実験がまもなくスイスの実験装置LHCで始まるそうです。
その理論の提唱者がこの著者なんです。」
「五次元!?」
「一つは時間だと思うので正確には三次元プラス時間プラス一次元と言ったところでしょうか?」
「あ、頭がぁ〜頭がぁ〜!二次元だけでも奥が深いのに…。三次元プラス一次元ってどういう事?」
「えぇ〜、よくはわかりません、なので私なりの理解ですが…、
直線が一次元だとします。それをぱたりと垂直に倒すと、倒れる前のとを二辺に正方形の平面を作れますよね。」
「ふんふん…。」
「それが二次元、平面だとします。同じように正方形をぱたりと倒せば、倒す前のとで立方体に出来ますよね。」
「ふんふん…」
「それが三次元なら、多分それをぱたりと倒せば…」
「…どこへ?」
「よ、四次元方向に、です。」
「…(;´д`)」
475 :
風(4/6):2008/02/17(日) 15:04:38 ID:DgoSmlU9
「ま、まあっ実際には素粒子物理の標準モデルというものを掘り下げた時に生じる階層性問題というものの改善策の超対称性に有用な理論だとかだそうで、
私達は三次元プラス時間と言う環境から出られないはずなので…その、」
「あぁ!つまりラノベ的な展開は無しって事ね〜」
わかりやすく会話を砕いて楽しんだところで、ホームにこなたの乗る電車のアナウンスが流れ、みwikiは終了した。
「まぁそう言う事です。現実ですから…。」
こなたは鞄を持ち、電車の入り口の止まる場所に向かってたらたらと歩きながら言う。
「まぁねぇ、受験やら学祭やら、私も確かに時間に縛られてるよね。」
線路の段差に巨体を上下させながら電車が来る。強い風に長い髪は鬱陶しくなびいた。
「わわわっ…!」
みゆきは今日、言いたいことをずっと言わずにいた。
「じゃ、じゃあ私帰るね、今日はなんか、色々ありがとうね。」
ドアが開きこなたはみゆきに半分向きなおる。みゆきは長い陰をつくってうつむいている。こなたは列車の中に足を踏み入れようとした。
その時、
「待って下さい!」
「なっ…!?」
みゆきはおどおどとこなたを見つめる。
こなたは電車から離れ、みゆきを覗いた。
「…みゆき、さん?」
「わ、私は…」
戸惑いながら言葉を探す。
駅員が笛を鳴らし、ドアが閉まる。こなたは乗り過ごした。
「…このままでは良くない気がします。」
こなたの背景にある電車は、ゆっくり加速し轟音を耳に残して過ぎ去った。残響が引いていくと、みゆきはぽつりぽつりと話し出した。
「私達が四人でいられる時期はもう多くはありません。学祭の準備だってあります。三年生は学校も早く終わってしまいます…。だから・・・です。」
「…みゆきさん。」
違います、私が言いたいことと何かが。
みゆきにはそれを上手く伝える事が思い浮かばず、そのまま押し黙ってしまった。
みゆきさんがこんなに心配してくれてるのに気づけなかった。私、自分の事で精一杯だったんだね。
こなたは彼女に近づき静かに微笑んで、周りには溶け消える小さな声で話した。
「つかさがね、私を愛してるって言ってくれたんだ。」
みゆきの言葉へ精一杯の回答として、柔らかく、落ち着いた声で続ける。
「私ね、つかさにコクった日につかさの為に頑張ろうって誓ったのに、かがみに一発食らったらよく分からなくなっちゃったんだよ。
現実を見たっていうか、女の身でつかさにコクった側だったし、つかさの人生を本当に幸せにしてやれるのかなって…。」
変だなあ。まだ昨日の事なのにさ。ずっと昔みたい。
「でもつかさはその不安をわかってくれて、かがみもいるのに、耳元でそう言ってくれた。」
それは本当の思いをちゃんと伝え合う会話。みゆきは一生懸命に受け止めながらも、自分の言葉が見つからない。
「つかさはかがみの事も凄く愛してる。だから、真剣に向き合うためにこの提案に乗ったんだよ。
私も、もう迷ったりしないよ。1ヶ月位大したことだと思わない。」
その瞳はとても力強かった。その中にみゆきの心を吸い込んでしまいそうな程だった。
476 :
風(5/6):2008/02/17(日) 15:05:46 ID:DgoSmlU9
「…わかりました。」
「ありがとうみゆきさん。」
みゆきは自分の勇気を試す。高鳴る胸を抑えた。
「でも…、逃げてませんか…?」
「え?」
予期せぬ言葉にこなたは呆然とみゆきを見る。
「私にもよくわかりません。でも、これは違うのではないかと思うんです。」
「ははっ、バッドエンド選んじゃってるかな?」
みゆきは自分に悲しい気持ちにがこみ上げてることに気づいた。こなたの瞳にさっきの力強さが無くなっていたからだ。何か、悔しいような、寂しいような、怒りにも似た感情。
「そうじゃないんです!ただ、直接何かしないとどんな事でも伝わらないじゃないですか!」
「ま、まあ、方向性の違い…じゃないかな?」
雑踏が教室に一人でいる時のように聴覚を支配した。
「す…すみません。私、部外者なのに。」
「うううん、みゆきさんは親友だから部外者なわけないよ。私うじうじしてるよね。」
二人は話すべき事を失った。弱まる斜陽は二人を頼りなく照らしている。どちらの顔にも陰ができる。
「本当にすみません。」
「だ、だから謝らないでよ。」
みゆきの列車が来て再び、強くてみゆきをさらってしまいそうな程の風が吹き付けた。
髪を押さえながらこなたは言う。
「心配してくれる人がいるだけで、私、凄く嬉しいみたいだから。」
「泉さん。」
「なに?みゆきさん。」
「すみません、でも・・・私、これがどんな結末になるかは、泉さんにかかっていると思います。」
「うぅ、頑張ります…」
みゆきはこの電車に乗り過ごす事はなかった。
その代わり、後にこなたへ散々謝りのメールを送ったのだった。
あぅ…こなちゃんの事、意識しないように、意識すると、意識しちゃうよぅ…。
窓とベランダから差し込む穏やかな夕日に包まれた自分のベッドに、制服のまま倒れ込んで悩んでいるつかさ。かれこれこうして1時間動き出せずにいた。
…あ、名案かも。
つかさは早速上体を起こして、ポケットから携帯を取り出し、着うたを探す。液晶の明るさに西日は負けていない。
約束の日になったら、携帯の目覚ましが鳴るようにしよう。それを設定して、それまでは頑張ってこなちゃんの事忘れよう。
曲はあれがいい。
つかさは最近、ポップなジャケットについ衝動買いした、自分で見つけたお気に入りの外国のアーティストがいた。MIKA(ミーカ)という若い男性シンガーソングライターだ。
彼の曲「Happy Ending」をフルでダウンロードする。
この曲はまるで花吹雪が舞う結婚式場のように華やかで幸せに満ち溢れていながら、その歌詞は失恋を描いていて凄く寂しい。
最初つかさはハッピーウエディングの曲だと勘違いしていて、対訳を見て驚いたのだった。
これなら、きっとどう転んでも私を前に進めてくれるよね。
深夜零時、アラーム優先。
つかさはきっと眉を結んだ。
私、絶対頑張る。頑張っちゃう。
477 :
風(6/6):2008/02/17(日) 15:06:37 ID:DgoSmlU9
更に同時刻、陵桜の職員室。
「と、言うわけで、これから受験の最終追い込みが始まります。学祭も控えてますが、去年の実績を上回る合格者を出せるよう、教師一丸となって頑張りましょう。」
学年主任の先生がそう締めくくって今日の職員会議は終わった。
黒井ななこは私立の有名進学校の定めともいえる、この追い込みがあまり好きではなかった。
自分のクラスの生徒資料を真剣に読み直しているななこのところに進路指導の担当教員が来た。
「黒井先生、柊つかさ、いますよね。」
コーヒーを置いて椅子を回して振り返る。
「あ、はい。柊がどうかしましたか?」
進路担当は生徒達からウケのいい細身でハンサムな、スーツのよく似合う中年の男性だ。
毒舌な感じと、ひたむきに授業を追求する態度が人気の理由で、ななこも嫌いではない先生だったが、今年に入ってからの彼の態度はあまり好意的にはとれなかった。
「彼女の志望先ご存じですよね。」
「あ〜、あの子は料理学校に行きたいって言ってます。」
「専門学校なんて、もったいないですよ。彼女の成績なら、今からでも中堅のそこそこ、いえ、やる気さえ出させれば国立も視野に入る可能性、十分にあるんじゃないかと思うんですよ。」
ななこは眉をしかめた。
「でも、彼女、ホンマ料理大好きですし。それは本人が決める事だと思います。」
「軽く打診してみて貰えませんか。」
「あんまり気乗りはしません。」
「…出来ませんか?」
この学校、いや、私立は会社と言ってもいい。ここで自分より地位の高い教員がこの言葉を言ったのなら、「あなたはこの仕事を出来る有能な人間ですか?」を意味し、否定は仕事が出来ないと言う意味になる。
この進路担当も自分に与えられた職務上こんな風に言っているのだ。それでもこれが好意的になれない理由だった。
「…やってみますけど。」
「弱気ですね。大丈夫ですよ。以前授業を受け持ちましたけど柊さんはぽやっとしてて、ああいうのはのせやすいもんです。」
ななこは愕然とした。彼の毒舌ぶりがいつもと違う意味合いではたらいている。
ふざけんな、自分の勝手言い腐ってからに。
「…黒井先生。例の脅迫状の犯人、先生のクラスの生徒の可能性が出てきてるってご存じですか?」
「…な?」
「後で多分色々訊かれると思いますけど、先生がしっかりしないから受験に怯えた生徒がそういう暴挙に出るんじゃないですかね?
手綱、ちゃんと引き締めて下さい。じゃないと学園全体の問題になりますよ。」
考えたくない。この場から逃げたい。でももしそうだったら自分の原因だ。クラスを見放す事は絶対に出来ない。
「…わかりました。」
「本当にお忙しいのにすいません。では。」
ショックが大きくて、ななこは座り込んでしまった。
机の冷めたコーヒーを揺らしながら、思う。
こんなとき、自分に彼氏でもいたら泣きつけたんやろうけどなぁ…。
そうしてその冷めたく苦い液体を一気に飲みほした。
(いったんおしまい。)
478 :
ちび:2008/02/17(日) 15:07:33 ID:DgoSmlU9
終わりです。もっと色々読んで、色々考えて頑張りますのでご容赦下さい。
おじゃましました。
479 :
双子の兄:2008/02/17(日) 15:57:36 ID:FiczcdWz
他に投下予定がなかったら投下します。
『気付かなかった分岐点』
・『二人だけの交差点』の続き
・かがみ&つかさ、いのり&まつり
・非エロ(だと思います)
・甘?
晴れ渡る青空と、そこに浮かぶ太陽が私達を祝福しているような天気の日だった。特にこれと言った悩みなんて無
い私はその恩恵を素直に喜んで、一日のスタートを切って、そしてやはり太陽は私達を見守っているんだな、って思
えるほどに良い事が重なった。
会社では、上司がいきなりお昼を奢ってくれる、と言い出して遠慮なく美味しいと評判の、最寄りの豚カツ屋にてご
馳走になったし、社内に居る時に喉が渇いたから自販機でコーヒーを買ったら何故だかお釣りが五百円出て来たし、
帰りの電車は難無く座れる席を確保出来た。
そんな嬉しい出来事が立て続けに起こったのは、朝見たニュース番組の占いコーナーで私の星座が一位だっただ
けではなく、やはり、素晴らしいほどいい天気を私達にもたらしてくれた、あの太陽のお陰だと思う。日が暮れてからも
、爛々と輝く星達は楽しそうに瞬いていたし、その大海の中に堂々と浮かぶお月様は神々しい光を降ろしながら、太陽
に代わって私達を見守ってくれていた。
そんな素晴らしき一日に、私が不機嫌になるはずもなく、私はその対極の上機嫌で自宅に帰宅して、喜色を眼に見
えて示しながら「ただいま」と言った。時刻は七時くらい、私以外の家族は全員帰宅している時間帯だった。
けれど、私の素晴らしい一日の締めくくりとも言える、帰宅してからの自宅でのんびりと過ごす時間は素晴らしいま
までは終わってくれなかった。私の三人居る妹の中の、双子でもある妹達二人の様子が眼に見えて変だった事は、
一目見ても明らかだったから。
何やら訳ありの妹達を差し置いて、私だけ上機嫌でなんていられない。
今日を素晴らしい一日のままで終わらせる為に、私が一肌脱がないと。
気付かなかった分岐点
「ねえ、まつり?」
食卓の準備をお母さんとつかさが進めている中、私は手持無沙汰な様子でテレビを見ていたまつりを声を忍ばせな
がら呼んだ。手に持っていたポッキーを口に咥えたままのまつりは、私が小声で呼んだからか、眼を丸くしながらこち
らに首を回す。そして、一気にポッキーを完食すると、炬燵に収まったままの体を動かそうともせずに言った。
「どしたの、姉さん」
はあ、妹があんな状態だって言うのにまつりは心配もしないのかな、と嘆息しつつも、私はまつりの隣に腰掛けて、
耳に顔を近づけた。
眼だけで辺りを見回しながら、事の真相についてを聞いてみる。
「つかさとかがみ、どうしたの? 何か変な感じじゃない?」
私が帰って来てから、かがみには会ってないけど、つかさの様子は明らかにおかしかった。普通に話していたけれ
ど、何処か寂しそうにしていたし、かがみは? と聞いた途端に表情を曇らせた。これではかがみとの間で何かあっ
たとしか思えない。
滅多に喧嘩なんかしない二人だから、まさかとは思うけど。
「うーん、かがみは何となく具合悪そうだったけど」
「やっぱりね……これは、何かありそうね」
人差し指を顎に当てて、暫しの間黙考。最近あの子達が喧嘩するような事はあったか。
……ない。昨日まで、何時も通りに仲良くしてたし、不自然な個所も見受けられなかった。と言う事は、学校で何か
があった、そう考えるのが妥当だろう。それしか思い付かない。
「本人が大丈夫って言ってたし、大丈夫なんじゃないの?」
「まつりがどんな様子のかがみを見たか知らないけど、多分大丈夫じゃないよ、それ」
まつりの見た感じ、って言うのはあまり信用ならないし、此処は私もかがみと話をするべきだろうか。いや、何かあっ
たなら、あの子はあまり人と関わろうとしなくなるし、今行っても逆効果になりそう。なら、つかさに事情を聞いてみるの
が吉かな。
「よし、まつり、私達が一肌脱ぐよ」
私が握り拳を作って、力強く言うと、まつりはさも面倒臭そうに顔を歪めて見せた。一人の姉として、その反応はない
んじゃないか、と思う。まつりも少しはつかさの面倒をよく見ているかがみを見習って欲しい。姉としてなら、かがみの
方が良く出来てるし。
「まつり、昨日お風呂から上がった後、体重計に乗ってたじゃない?」
「……そ、それがどうかしたの?」
「私、偶然見ちゃったのよ。そしたら……」
「ストーップ!! ダメ、それ以上言ったら絶対ダメ!」
作戦大成功。昨日体重計に乗って蒼い顔をしてたからもしやと思ったんだけど、私が思っていた通り、ヤバめの体
重だったらしい。本当は詳細なんて知らなかったけど、上手く行って良かった。私は心の中でほくそ笑むと、まつりの
眼を見つめて、諭すように笑って見せた。
「……分かった、協力するよ。その代り、絶対言わないって約束してよね」
「それで良し。体重の事は心の中に留めといてあげる」
「姉さん、何か悪女みたい」
「気のせい気のせい。さ、作戦でも考えよ」
まつりの聞き捨てならない言葉は今の所はスルーしておいて、私も炬燵の中に身を入れた。人類の至福の時、下半
身に感じる暖かさに心地よさを覚えると、何だか眠気が襲ってくるようだった。でも、此処で寝る訳には行かない。
私はまつりのポッキーを一本貰うと、取り敢えず現時点で最善の策だと思える作戦をまつりに提示した。
「取り敢えず、つかさの話を聞いてみると良いと思うの。かがみは今は誰とも話したがらないと思うし、つかさならお母
さんを手伝ってるくらいだから、多分平気」
私の提案に、まつりはそうねー、と間延びした声でやる気無く同意した。
……体重を本当に突き止めてあげようか。
「じゃあ、つかさ呼んでくる。少しぐらいなら平気だろうし」
そう言い残して、私は台所へと向かった。炬燵に入ってた所為か、妙に寒い気がするのを我慢して更に寒い台所に
入る。そこには並んで料理をしているお母さんと、つかさの姿があった。
トントン、と心地良いリズムで鳴る包丁の音、コトコトと揺れている鍋の蓋。今日の晩御飯はなんだろう、と思いつつ
呼びかけてみる。
「つかさ? ちょっといい?」
つかさに近寄って、声を掛けるとつかさは驚いたように振り返った。どうやら私が此処に来ていた事に気付かなか
ったらしい。
「な、何? お姉ちゃん」
「んー、ちょっと話があって。お母さん、つかさ借りてっていい?」
お母さんは特に何も言わずに頷いた。お母さんとしてもつかさとかがみの様子のおかしさには気付いていたのかも
しれない。眼が合った時、そう感じた。子を心配する、優しい目。私が大好きな眼が"頼んだ"と言っているような気が
した。
私は一度微笑んでから、つかさをまつりが居る部屋へと連れて行った。戸惑っていたようだけど、素直に付いて来
てくれた。
「えと……お姉ちゃん達、どうしたの? なんだかすごく難しい顔してるよ」
つかさが炬燵に身を入れた時に発した言葉はそれだった。無理もないと思う。いきなり連れて来られたら、思い当た
る節があったとしても戸惑うとだろう。
私とまつりはお互いに顔を見合わせてから、同時につかさを見つめた。揺れる視線が私とまつりを捉えた後、虚空
を彷徨った。
「かがみと、何かあった?」
回りくどい言い方はせず、ストレートに、とはまつりとの間で生まれた自然な流れだった。つかさは正直だから、そう
言われれば話してくれるから。それに、自分ではどうしようもない、と考えているに違いない。私が帰って来た時のつ
かさの顔はそれを物語っていた。
「え、と、」
いきなりの事に驚いたのか、つかさの呂律が回っていない。私はつかさが落ち着くのをじっくり待つつもりだったん
だけど、まつりはせっかちだから、そんな事は考えていないようだった。
「別に全部話せって訳じゃないよ。少しで良いから、何があったのか話して欲しいだけ。姉としても、つかさ達が仲良く
してない所は見たくないから」
意外だった。なんだかんだ言って、ちゃんと気にしてたんじゃない。真剣な眼差しをつかさに向けて言ったまつりの
言葉は優しさに満ちていた気がした。
普段はそういう所をあまり見せない子だから、つかさも多少驚いているようだった。
「私達も手伝える事があったら手伝いたいから……ね?」
私がそう言うと、つかさは深く息を吐いてから、ぽつりぽつりと話し始めた。そして、その内容は私とまつりを驚愕さ
せるには充分過ぎる内容を持っていた。凡そ、"普通"で括れる内容ではなかった事は確かだったから。
「……告白したの」
「え?」
「は?」
暫し、時が止まった。私とまつりは揃って間の抜けた声を出して固まって、つかさはそんあ私達を交互に見比べると
恥ずかしそうな、気まずそうな顔をしてから俯いた。
私達が聞いたのは、かがみとつかさの間で何が起こったのか、という事。そしてつかさは言った。"告白"した。それ
は、かがみに? この状況で考えられる相手は、それ以外に無かった。
「それは、かがみに?」
先に沈黙を破ったのはまつりだった。私も確認したかった事をストレートに聞いてくれるまつりのこういう性格には正
直助けられる。私はどちらかと言うと石橋を叩いて渡るタイプだから、まつりみたいには出来ない。姉妹って言うのは
似てる所と似てない所が際立つものだ、と思った。
「……うん」
頷いた時のつかさの表情は翳っている所為で見えない。でも、普段とは違う、深刻そうな重みを持った声は、その悩
みの大きさを否応なしに私達に痛感させた。
だって、それは"駄目"な事だから。私達がつかさの行為を応援しても、それは無責任な答えにしかならない。世間
は許していないのだ。姉妹の間の恋愛など、世間は決して認めていない。近親相姦の関係の方よりはマシかもしれ
ない。それでも、同姓で同性の二人が結ばれるなんて、あってはならない事だ。私達を取り巻く世界が、それを肯定
している。
つかさは何も言わない。自分がやった事の大きさに押し潰されそうになっているのかもしれない。理屈ではなく、感
情の問題なのだから、そう易々と抑えられるものではない。だからこそ、愛情の炎が身を焼く苦しさを今まさに肌で感
じ取っているのだろう。
私には、何も言う事が出来なかった。そしてそれは、まつりもまた同様に。
「やっぱり、駄目だよね。家族だし、女の子同士なのに」
そう言ったつかさの言葉には自嘲気味な響きが混ざっていた。こんなつかさの姿、見たくない。何時も優しそうに
笑っていて、私達に心配を掛けて、花のような振る舞いをするつかさの表情が暗くなる所なんて見たくなかった。
……なのに。それなのに、私は言葉を紡ぎ出す事が出来なかった。
「それに、きっとお姉ちゃんも嫌だったんだと思う。私、その場だけで喜んで……結局落ち込んでる。当り前の事なの
に、拒絶されたからって」
きっと、かがみは告白された時にそれを受け入れたんだと思う。不器用ではあるけれど、かがみは優しいから。つか
さの想いを拒絶して、つかさを悲しめる事なんて出来なかったんだと、私は思った。そして、暫く考えた結果、つかさを
拒絶して今に至った。
どうやって声を掛けたら良いのか、そんな事は全く分からない。どんな言葉を使っても、この悩みを解決する事なん
て出来ないと思った。
「かがみ、はっきりとは言わなかったでしょ」
唐突に、まつりが言った。重い空気を感じさせない、軽い口調で。
「え?」
つかさが戸惑ったように聞き返す。私はそのやり取りを目で追いながら眺めているだけで、この会話に入り込む余
地なんて自分には無いような気がした。
「あいつ、例えば『やっぱり無理だった』とか『ごめん』とか、言ってなかったでしょ?」
つかさは暫くの間考え込んで、やがて頷いた。かがみが明確に拒絶の意を示した訳ではない。けど、それが分かっ
た所で何の解決になるだろう。何も解決出来ない。仮につかさとかがみが結ばれたとしても、その先に待ち構える未
来は幸せだけではないはず。それどころか辛い事の方が多いだろう。そんな未来に妹達を放り出すなんて、私には
出来ない。
「じゃあ、かがみも悩んでるんじゃない? だったら、思い切っちゃいなよ」
まつりの言葉は、私が言えなかった言葉。妹達を、先の分からない未来に放り出す言葉だった。何でそんな事が言
えるのか、とまつりと目を合わせた。まつりは、当然の事を言った、とばかりに平然とした顔をしている。自分が無責任
なだとは思っていない、そんな顔だった。
「だって、かがみの事を好きな気持ちを消せないなら、それこそ辛いよ。目先の事なんて考えないで、今を楽しく生き
た方が私は幸せだと思うけど」
「でも、その今が辛くなる時だって必ず来るじゃない。そんな事、無責任だと思う」
私の意見に、まつりは何を言ってるの、と言わんばかりに顔を顰めた。
「つかさ、かがみの事、本当に好きなんでしょ?」
まつりの問いに、つかさは遠慮がちに頷いた。紅潮している頬が、それがつかさの本心である事を肯定している。
「だってさ、姉さん。本当に好きなのに、それを伝えられないまま過ごして行くのって、幸せだと思う?」
「思わない……けど、それでも良い人がこの先見つかるかもしれない。だったら、その時まで耐えてそれから幸せに
なった方が」
「それこそ間違ってる」
私の言葉を遮って、まつりは言った。分かっていた。私が今言っている事なんて、正しいはずがないと。だから、こ
の後まつりから言われる事も、必然的に理解出来ていた。
「その方が、無責任だよ」
良い人が現れるのを待つなんて、なんて確率的な問題が浮かぶ希望だろう。それこそ、未来など全く分かりはしな
い。それどころか、届けたい想いを胸にしまい続けて、ずっと苦しむ人生だって有り得る。私は可愛い妹を暗い未来
に放り込みたくなんて、微塵も思ってない。
「……分かった。まつりの方が、正しいよ」
私が言うと、ありがと、とまつりは言った。普段は姉らしくないのに、こんな時にこんなに良い姉になるなんて。体裁
ばかり考えてつかさの感情を無視してる私よりも、まつりの方が姉らしい。何だか自分が小さく思えて、それから私は
口を噤んだ。
「姉さんの言い分も分かるけど、ね」
そう言って、まつりはつかさを見据えた。戸惑いに揺れる眼が、何かを決意したように止まる。まつりが優しく微笑み
ながら頷くと、つかさも同じように頷いた。
「うん、よし。頑張りなよ」
まつりが一言そう言うと、つかさは先ほどまでの暗い表情から一転、決意に溢れた光を眼に宿し、勢い良く立ち上が
った。この後の展開を、私達は見守るしかない。出来れば良い方向に向かって下さい、と私は此処からじゃ見えない
月に向かって祈った。
今日を最高の一日に終わらせる為に、そう願った。
「ありがとう、まつりお姉ちゃん!」
何時ものつかさ。けれどその表情は力強さが溢れている。何も力になれなくて、結局良い所を全部まつりに取られ
てしまった私は苦笑しながらつかさの姿を眺めていた。いざとなった時に、頼れないなんて、私は姉失格かもしれな
い。
そんな事を思いながら、人知れず落ち込んでいると、つかさの顔が今度はこちらに向いた。まつりに向けていたのと
同じ、花のように綺麗なつかさの笑顔。家族みんなが、このつかさの笑顔が大好きだ。でも、今の私にはそれを向け
られる資格なんて無い。何の力にもなれなかった私が。
「いのりお姉ちゃんも、ありがとう。心配掛けるかもだけど、今度は大丈夫だから」
その言葉が、つかさの笑顔が、私の鬱積を一気に吹き飛ばしてしまったかのようだった。
つかさも成長しているんだ。前のように、心配ばかりを掛ける子だったつかさの面影は霧のように霞んで見える。曇
りかけていた私の心中も、一陣の風が吹いただけで晴れ渡ってしまった。
「うん、どういたしまして。頑張ってね」
姉妹間の恋愛事を応援する日が来るなんて、考えもしなかった。それだけに不安だったけど、今は安心さえ出来る。
一層やる気を出したつかさが台所に向かって行くのを見て、そう思う。
これで私の仕事も終わり、か。結果は天命に任せるのみとなった。
「んじゃ、本格的な作戦を練りますか」
――そう思ったのも束の間。まつりの中ではこの件は完結していないらしい。つかさが部屋から出て行った時、まつ
りはそう言って姿勢を正した。最初の面倒くさそうな態度は何処へやら、こちらもやる気に満ちた表情。思わず、笑み
が唇から零れた。
「何で笑うの?」
怪訝な視線を私に遣って、まつりは尋ねて来る。
最初の態度と比べたら、やる気まんまんだったから。そう答えると、まつりは照れたような笑いを零し、頬を人差し指
で掻きながら言った。
「どんな形であれ、妹の恋は応援したいでしょ? それに、同じだし」
やっぱり、まつりも姉で、そして女の子なんだな、と私は思った。最後の言葉はよく分からなかったけど、考えていて
も仕方がないので気にしなかった。
つかさとお母さんが二人でやっているのだろう料理の音が小気味よく私の耳に届く。時間ももう無さそうだし、作戦を
考える時間は少なそうだ。私は、まつりが話す作戦の内容に耳を傾ける事にした。その内容に、驚愕するのは、もう
少し先になる。
夕食、かがみがやっと下に降りて来て、みんなに顔を見せた。まつりが言う通り、あまりいい状態ではないみたいで、
具合の悪そうな顔をしている。口々に心配の声を掛けていたけど、かがみは大丈夫の一点張りだった。終始、つかさ
も黙ったまま。何となく気まずい雰囲気だった。
そんな中、夕食に出された味噌汁を啜りながら私は考える。まつりが提案した作戦の内容はかなり異端なもので、
私は承諾を渋ったけど、丁度その時に夕食が完成していて、押されるがままに承諾してしまった。大体、私には出来
るかどうか分からないのに。
この先に自分がやらないとならない事を考えると、自然と溜息が出る。夕食は美味しかったけれど、この気まずさとこれからの事について考えるだけで途端に味気ない物に感じられた。ふと、作戦の提案者であるまつりに視線を向けてみる。何時もと同じように食を進めていた。
「ごちそうさま」
それから暫くして、かがみは席を立った。随分と時間を掛けて食べていたみたいで、かがみ以外の家族は全員食べ
終わっている。今はみんなでテレビに集中しているけど、頭の中はかがみへの心配で埋まっているに違いない。事実
、私がそうだ。
台所に自分が使った食器を持って行ったっきり、かがみは帰って来なかった。程なくしてお風呂場から物音が聞こえ
た所から、もうお風呂に入るらしい。シャワーの音が聞こえて来た時、それは確信に変わった。もう、テレビの音は耳
に入って来ない。シャワーの音がやけに耳に付いた。
「さて、私もお風呂、入って来ようかな」
まつりが腰を上げた。お風呂場からは未だに続くシャワーの音。お母さんとお父さん、勿論つかさも、驚いたように視
線をまつりに集中させた。それも当然の反応と言える。この年になって、姉妹と一緒にお風呂に入るなんて、誰もが
思っていなかっただろうから。
「今、お姉ちゃんが入ってるけど……」
「ちょっと、姉妹間での団欒を図ろうかと思って」
つかさが慌てながら尋ねた問いを、軽くあしらうまつり。そりゃあ、好きな人が他の人とお風呂に入るなんて、少しは
反感を持ってもおかしくない。
「たまには良いかもしれないねぇ」
「でしょ? さすがお父さん話が分かる!」
お父さんは何時も通りの柔和な笑みで。一緒にお風呂に入って何をするのかを聞いたら、きっと困るのだろうけど、
知らぬが仏って所かしら。
お母さんは全部悟っているのか、何も言わずに微笑んでいた。まつりは全員の顔を見てから、それじゃ、と言ってお
風呂場に向かった、作戦開始、私達は最後に眼が合った時、確かに心の中で同じ事を呟いていたと思う。同時に、私
はテレビのリモコンを取って、音量を少しだけ上げた。
「どうしたの?」
お母さんの問いには、少し聞きづらくて、と答えておいた。その時の私の顔は、とてつもなく動揺していた事だろう、
誰だって、これから私がやらないといけないことを考えたら同じようになるはず。それを平気で行えるまつりがどれだ
け凄いか、私は痛感した。
丁度良いぐらいの頃合いを見計らって、私はそれとなく洗面所の方に行ってみた。此処からでは見えないけど、何
やら聞こえる話し声。かがみとまつりは、もうお風呂から上がって洗面所に居るみたいだった。耳を澄ませると、会話
の内容が少しだけ聞こえて来た。
「なんであんな事したのよ……」
「お姉さんなりの慰め。喜びなさいよ?」
「迷惑だっての。しかもこんな……」
「気にしない気にしない。言ったでしょ、なるようになるって」
「それが意味分かんないんだけど」
「すぐに分かるわよ。じゃ、私はお先に失礼するから」
そんな会話が聞こえて来た後、洗面所からまつりがバスタオルを胸まで巻いた格好で出て来た。幾ら姉妹だからっ
て、もう少し気を使おうとか思わないのかしら。このままデリカシーを持てないような女にだけはなって欲しくない。
「どうだった?」
髪の毛を拭いているまつりに、尋ねてみる。丁度その時にかがみが出て来たので、軽い会釈をして、かがみが去る
までの間、私とまつりは余計な話をしなかった。作戦の事が知られたらかがみは余計な御世話と言うに決まっている。
もしかしたら、想像以上の怒りを表すかもしれない。
「んー、作戦は成功、この分だと問題ないね」
バスタオル姿のまま牛乳を飲むまつり。かがみの肌はお風呂に入ったから、と言うそれだけじゃない理由で赤くなっ
ていたし、まつりの言っている事も真実味を帯びていた。
早く着替えないと湯冷めするよ、と言おうと思ったけど、まつりの報告が何だか意味深だったので、私はそちらを尋
ねる事にした。
「具体的には?」
「あー、ほら、何て言うか、二人してすれ違ってる感じなのよ。かがみはつかさに振られたって言ってて、つかさは一
度は受け入れてくれたって言ってる。言ってる事が食い違ってるみたい」
だから、後一押し! そう言ってまつりは私に向かって親指を立てた。そんな事を聞かされたら、私が怖気づく訳に
はいかないじゃない。かがみもつかさが好きで、つかさもかがみが好きで、それなのに二人は互いの気持ちに気付か
ないまますれ違ってる。
まるで、二人しか居ない交差点なのに、お互いに気付かないまま歩を進めてしまっているような、そんな関係になっ
てしまっている。だから、私達が誘導してあげないと。このまま終わるなんて、私達だって後味が悪い。
次は私の番だ。私のキャラには似合わないと思うんだけど。
「お姉ちゃん、私、先にお風呂入っても良い?」
私がまつりに親指を立て返した時、つかさが丁度良いタイミングで入って来た。つかさはやる気を出しているみたい
だからそんなに心配するほどでは無いと思っていたんだけど、まつりが『念には念を』と言うので私もする事になった。
「良いよ」
私がそう言うと、つかさはありがとう、と言って洗面所の向こうに消えた。私の緊張も次第に高まる。まつりはどうやっ
てあんな事をしたのだろう。
「ま、まつりはどうやって……その、したの?」
「悪戯っぽくやっただけだよ。かがみの反応、中々面白かった」
平然と言ってのける妹。何処でそんな度胸が芽生えたのか。取り敢えず、これはまつりだから悪戯で済んだ訳で、
姉妹の中で一番の年長者である私がそんな事をしたら下手をすれば家族会議に発展してしまうかもしれない。よって
、まつりの言葉は私の参考にはならない。
「まあ、頑張ってね、姉さん」
それを最後に、まつりは二階の方へと去って行った。急に心細くなる私。けど、何時までも此処で呆けている訳には
いかない。私は一人で頷くと、椅子から立ち上がり、前もって用意して置いた着替えを手に持って洗面所へと向かっ
た。
お風呂場の中からはシャワーの音が響いていて、曇り硝子越しにつかさの小さな後ろ姿を見る事が出来る。シャワ
ーの音も手伝ってか、私が此処に居る事に気付いていないようだった。
私は手早く身に付けていた衣服を脱ぐと、バスタオルを素早い動作で体に巻いて、深く息を吸った。
「この年になって、妹と一緒にお風呂なんてね」
ふっと微笑んで、たまには良いのかも知れない、と私は思う。そして、その思いが消えない内に、洗面所とお風呂場
を隔てる扉に手を掛けて、開いた。
「……ふぇ?」
何処か抜けた声が、浴場に小さく響いた。
「たまには一緒も、良いでしょ?」
未だに眼をパチクリさせて状況を把握できないでいる可愛い妹に向かって微笑んであげると、つかさはみるみる内
に眼を大きくさせて、おまけに顔を熟れた林檎みたいに赤くした。そして、次には驚愕と困惑が入り混じった声。私は
それを苦笑しながら眺めるしかなかった。
「な、なな、何でお姉ちゃんがいるの?」
「んー、ほら、一緒に入ろうかと思って」
「だ、だってもう高校生だし、恥ずかしいよ……」
徐々に下がる声のトーン。そんなつかさの可愛らしい仕草を見て、私は腰を屈めるとつかさの頭をな撫でた。濡れ
た髪の毛が私の指に絡みつく。私とは違う、薄い紫色の髪の毛。けれど、かがみとは全く同じ色をした髪の毛。
辛い恋愛を選んだな、と今更ながらに思う。この子は純粋で、無垢で、綺麗な子だから、もしもかがみと結ばれたと
しても辛い出来事に直面するだろう。 純粋なほどに歪むのは容易くなる。
無垢だから、全てが綺麗に見える。
綺麗だから、汚れ易くなる。
そんなこの子が強く生きて行けるだろうか。かがみの助けがあったとしても、この子が強くなれるだろうか。
心配事は絶えず私の頭の中に浮かんでは消えて、その全てをすっきり解決する方法など輪郭すら思い浮かばな
かった。私は自然と暗い表情になっていたと思う。
断続的に響き続けるシャワーの音の中に聞こえたつかさの声は、私を心配してる声だったから。
「……お姉ちゃん?」
どうしたの、と水晶のように透き通って輝く眼が私を見つめている。自分の方が大変な状況なのに、私を心配してい
る。この子は何処まで優しいんだろう。その優しさは、どんな言葉を使っても言い表せそうになかった。それほど、途
方も無い優しさに思えたから。
「ううん、何でもない。ほら、今日は私が背中流してあげるから、ね?」
私がありったけの親愛を込めてそう言うと、つかさは天使のような微笑みを咲かせて、うんと言った。今なら分かる
気がした、かがみがつかさを好きになったその理由。
――つかさは、こんなにも沢山の魅力を持っている女性だった。
湯船の中、私とつかさが二人で浸かっている。立ち上る湯気が天井に張り付く水滴の重さを増やして、私達の元へ
と落とした。つかさの表情は全く窺う事が出来ない。見えるのは、何処か淫靡な印象を持たせる濡れた髪が掛かるう
なじ、真っ赤になった耳たぶくらい。そして、つかさが私を私だと認識する手段は触覚くらいのものだろう。
「や、やっぱり恥ずかしいね……」
そう言われると、私まで恥ずかしくなる。私達の体制は私がつかさを抱っこしているような感じで、浮力のお陰で多少
軽くなっているからなのか、私に体重を預けるつかさの姿は何だか赤ちゃんのようで、私はつかさが少しで楽になるよ
うに、と腕をお腹の辺りに回していた。
直に触れあう肌の感触が懐かしいような、もどかしいような。そんな妙な感覚は、やはりもどかしい、の方に寄ってい
る気がする。母親って、こんな感じなのだろうか。湯気が上って行く天井を眺めながら私は感慨に耽っていた。
「私、お姉ちゃんと上手く出来るかな……」
私が何か言う前に、つかさが不安げな声を漏らした。頭を垂れているので、水面と睨めっこをしているのだろう。
私はもう知っていたから。つかさとかがみの想いが通じれば必ず結ばれる事を。だから、通じるように、その言葉を
言い易くする為に、まつりはこの作戦を思いついた。
その時は知らなくても、薄々気付いていたのだと思う。かがみがつかさに寄せる思い――そして、つかさがかがみに
寄せる思いも。
私だって何時からか二人の中で何かが変わっているように思った時がある。
何も、不思議な事ではなかった。
「大丈夫。お姉ちゃん達が手伝ってあげるから……ね」
自分でも驚くほどに甘ったるい声が出た。耳元で囁かれたからか、つかさが小さく身を震わせたのが肌に直に伝
わってくる。
つかさは何も言わなかった。これが"手伝い"だと、そう理解しているのかもしれない。そして、私もこれが手伝いだ
と思ってる。問題なんて、無い。
つかさのお腹に回していた手を、肌を伝いながら上らせると、つかさが甘い吐息を漏らした。こんなに顕著な反応を
してくれると、私も止まらなくなってしまう。
何だか、自分でも分からないけれど手が止まらなくなっていた。いや、手だけじゃないか。
「……んっ……」
私がつかさの耳たぶを甘噛みすると、つかさは胸に感じている快感も相まって、小さな声を出した。熱っぽく、他人
の情欲を煽るような声。それを懸命に抑えているつかさの姿はやはり、綺麗と言うよりも可愛い、と形容する方が似合
っている。
次いで、後ろからつかさを抱き締めながら、鎖骨に舌を這わせると、今度は首を逸らして、更に甘い嬌声を上げた。
狭いお風呂場に、つかさの声が響く。ピチャ、とお湯が揺れる度、つかさの体が反応してくれる。私には、それが力に
なってあげられてるみたいに思えて、嬉しかった。
時間の経過が分からない。天井から滴る水滴が砂時計のように時を刻んでいるようだった。私の頭の中に、作戦の
事が残っていたのかどうか、それもあやふやだったけど、確かにつかさの力になれている、そう思うとそんな事はどう
でも良くなって。
時間と言う概念を忘却の彼方に置いてしまった私が漸くお風呂から上がった時、時刻は十時半をしめしていて、我
ながら長湯をしたと、呆れるほどだった。
けれど、私が風呂から出る間際、つかさが言った"ありがとう"と言う言葉が、何時までも私の頭の中に反響し続け、
何時までも満足感を与えてくれていた。
あとは、つかさとかがみ次第。頑張ってね。
「色んな意味で疲れた……」
洗面所で着替えを済ませて、適当に髪の毛を拭きながらまつりの部屋に行って、開口一番にその言葉を投げ出し
た。ベッドでは、漫画本を片手に寝転がっているまつりの姿。
私の姿を見ると、みるみる内に口元を歪めて見せた。
「あれ、姉さん、随分と長い時間お風呂に居たみたいだけど」
「分かってて言わないで。思い出すと恥ずかしくなるんだから」
「で、どうでした? つかさは」
「後は本人次第かな。多分、大丈夫だと思うけど」
「へえ……っと、つかさが上がって来たね」
部屋の外から階段が軋む音が聞こえて来る。時計を見ると、もう十一時に近い。
唐突に、まつりが部屋の電気を消した。視界が暗闇に包まれる。まつりが居る場所すら、全く見えなかった。
「なんで消すの?」
「邪魔しちゃ悪いからねー。私達はもう寝たって事で」
ああ、なるほど。そう言う事か。
まつりの言葉が私に全てを悟らせた。
あの作戦は、ただ想いが通じ易くなるように、と言う名目以外にももう一つの意味が込められていたらしい。
有効じゃない、とは言わないけど、他にもやりようがあったと思う。まつりが提案した時点で気付くべきだったのだろう
か。
「さて、耳を澄ましてみますか」
私は呆れたように嘆息して、明るみに出ればその眼を好奇の光に輝かせているであろう妹の姿を想像した。まった
く、この子はやはり自分が楽しくならなければいけないらしい。立派な事も言っていたのに、何だか興醒めした気分
だ。
「そう言えば、姉さん、体どう?」
まだ、何の音沙汰も無い。暗闇と静寂の二重奏が世界を包み込んでいるようなこの空間で、何かを思い出したよう
にまつりが聞いて来た。
「ちょっと熱いかな。あんな事した後だし」
「あはは、実はあたしも」
からからと笑う声。表情は分からない。完全な暗闇。何も見えず、見ようと頑張れば頑張る程にその闇は色を濃くし
ていくようだった。
「それが」
それがどうしたの、答えた後に続けるはずの二の句が、詰まった。
床に座っている私。まつりはベッドに座っていると思っていたけど、それはとんだ思い違いだった。私の手の上に、
暖かい感触があった。言うまでもない、この空間に居るのはまつりと私の一人だけ。他に私の手に更に手を重ねる事
が出来る人なんて、透明人間くらいしか有り得ない。
『あっ……ん』
心臓が飛び跳ねた。遠くから、こんな声が聞こえて来ては、驚いてしまうのも道理だ。
紛れも無く、この声はかがみの部屋から聞こえたもの。そしてそれが何を意味するのか分からないほど私はお子
様ではなかった。
「鎮めてもらおうと思って」
右に何があるか、左に何があるか、何も分からない世界で囁かれる。
何を、なんて陳腐な事は聞く事が出来ない。ただ、BGMになっている嬌声が、私を意味の分からない気持に高ぶら
せている。かがみの部屋では何が行われているのだろう、それを考える度に、何かが疼くのを感じた。知ってしまった
のだ、お風呂につかさと一緒に入った時に。
私が動揺してまつりに対する返答に固まっていると、途端に手から温もりが離れた。簡単に、本当に自然に、離れ
てしまった。次いで、ベッドに人が飛び込む音。
まつりが私から離れたんだと、そこで初めて理解していた。
「ジョーダン、よ。冗談」
けらけらと笑うまつりの声が聞こえた。
「あいつら、凄い事になってるみたいだねー」
何処か感心したように笑う、まつりの声が聞こえた。
「そう、ね」
歯切れの悪い、私の声が闇に響いた。
遠くから、淫靡な声が聞こえて来ている。
私は知ってしまっている。
まつりは熱くなっている、私と同じに。
まつりは子供みたいにはしゃいでいた。
私がこのBGMに耐えられなくなるまで、後何分?
カウントダウンが、始まる音がした。
今日が最高の一日で終わってくれるのかは、未だに分からずじまいのまま。
『どんな形であれ、妹の恋は応援したいでしょ? それに、“同じ”だし』
まつりが言った言葉に期待している私が、暗闇の中で揺れていた。
――end.
490 :
双子の兄:2008/02/17(日) 16:11:10 ID:FiczcdWz
投下完了!
ここまで読んで下さった方ありがとうございました。
まあ、これは前作のサイドみたいな感じで何だかフラグが立っちゃたりしてますが
この先の展開は脳内補完にお任せします。
これからは生殺しで定評を得ようかとw
それではこの辺で失礼します。
ちょっと次スレ立てに挑戦してみる
501ならこなたとかがみが、つかさとみゆきが、みなみとゆたかが、パティとひよりが、
あきらと白石がこうとやまとが、そうじろうとただおが結婚する
わかったよ普通に埋めるよ