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384ある宰相2/8:2010/01/15(金) 15:44:15 ID:s+v4MJ7Z
「つかれたー」
 神子召喚の最高責任者ユージウス・レピーベラは断りもなく執務室に入ってくると、勢
いよく長椅子へ突っ伏した。
「なんだよあの計算式。やってもやっても終わらねぇ。つか四代前の宮廷魔術師団、能な
しの集まりだろありゃ。安定悪いし余分なもん加えすぎ。しかも美しくない。けっきょく
最初から構築する羽目になったじゃねぇかよ。徹夜もうやだ」
「陛下の御為だ、しっかり励め」
 ユージウスが押しかけてきたことで仕事の手を休め、ディディアネは香りよい茶と王宮
料理人おすすめの焼き菓子を楽しんだ。
「うおっ、冷てぇぞ宰相殿。幼馴染みをもっとねぎらえや。そこの女官、私にも同じもん
を」
 ふてぶてしくもディディアネの執務室に居座り茶菓子を喰らう男。
(さしたる才のない奴であれば王宮どころか国から叩きだしたものを)
 残念なことに、水晶王陛下に次ぐ魔力保持者なのだ。立場としては宰相のディディアネ
が上だが、しかしすべての局面でユージウスがはるかに凌ぐ。
 魔力。
 それこそが絶対の価値基準。

 
 ディディアネは魔力を一欠片も持たずに生まれた。
 大陸の民のほとんどが大なり小なり魔力を有する中で、それは稀にあり得ること。
 不具の子は終生蔑まれる身を余儀なくされるはずだった。
 赤子のうちに森へ棄てられたディディアネを拾った奇特な老女が、ひとりでも生きてい
けるようにと知りうるすべてを教えこんでくれたから、いまの女宰相ディディアネ・ヴィッ
スリンがある。
「なあディー」
 養育者の死後、森を出た七歳のディディアネは遺された紹介状を胸に水晶国の王都、王
立学校初等部へ。そこで知りあったのがユージウス・レピーベラ。
(あの頃から自信家でやかましい奴だったが)
 ともに学んだのは二巡年。
 ディディアネはあっさり初等部の学業を修め終え、奨学金付きの特別進学を許可される。
 レピーベラは魔術の才を伸ばすため王立魔術院の門をくぐり、道は分かれた。
 まさか王宮で、宰相と筆頭魔術師として再会するとは思わなかった。
「なあって」
「いきなり顔を近づけるな、驚いたではないか」
「そろそろディディアネ・ヴィッスリン・レピーベラになんね?」
「わたくしに侯爵家の名を授けてどうする。おまえもバドミリオも養子が欲しければおの
れの一門をあたれ」
「あのやろうっ……!」
 女官に大人気の甘く整っているらしい顔を歪め、ユージウスは不機嫌にうなった。
385ある宰相3/8:2010/01/15(金) 15:46:21 ID:s+v4MJ7Z
 大陸では魔力が低いとなにかにつけ不利に働く。
 肩身は狭く、結婚をいやがられ、出世もできず、日陰暮らしとなるのだ。魔力なしと判
定されたディディアネを好きこのんで口説こうとする輩はいない。
 かつて二巡年ばかり同じ学舎で過ごし、現在は王宮勤めであるという共通項だけで名家
の名をくれてやろうと言う二人はつまり、ディディアネを高く評価しているのか、とてつ
もない慈悲の持ち主なのか。
(初等部の頃から仲がよかったな、レピーベラとバドミリオ)
 はじめて会ったその日から火花を散らし、二言目には胸ぐらをつかみ合い、頭突きと蹴
りの応酬を繰りひろげたほど。
 喧嘩するほど仲がいい。
 その実例をディディアネは知った。
「アンの戯言を真に受けるんじゃねぇぞ、ディー」
 この男はときどき猫になる。
 獲物を探して貪欲に光っているような目、ディディアネの頬に顔を寄せてこすりつけ、
唇の端をぺろりと舐めてきたりするところなど、その辺りの猫とまったく変わらない。
「私のディー……」
「む、ロロッシュ君、時間か。どけレピーベラ、わたくしはこれから会議だ」
 迎えの文官が扉のところで所在なげに佇んでいた。
 ずっしりとのし掛かる身体を押しやり、乱れた衣服を手早く直すと、ディディアネは宰
相の威厳をまとい、王宮に巣くう狐狸妖怪どもと化かし合うべく議場へと乗り込んだ。
386ある宰相4/8:2010/01/15(金) 15:47:57 ID:s+v4MJ7Z
 よわい五百年の氷蜥蜴、ヌフ・ヌーヴーニの火薔薇を八本、神聖山脈の頂に輝く緑の金
剛石、暗黒樹の怪鳥ミッテとミーダンの風切り羽。
 神子召喚に必要不可欠とされた神秘の魔具。
「みごとだバドミリオ。困難な使命、よくぞ果たしてくれた」 
 常人ならば十回死んでもなお一つたりとて物にできない品々を、彼が率いる一隊は三巡
月を留守にしただけで、すべて入手してしまった。
(北方大湿原地帯へは馬を休まず走らせても半巡年はかかるのだがな……魔術師団の助力
もあろうが、水晶王の騎士とは凄まじいものだ)
「近く水晶王陛下から直々にお褒めの言葉を賜るであろう」
「身に余る光栄にございます、宰相閣下」
「それまでは疲れた身体、存分に癒すがいい」
 アンフィルダ・バドミリオ。
 王立学校初等部でユージウスともども知り合い別れ、これまた王宮で再会した男。
 初等部で二巡年を過ごし王国軍士官学校へ編入、武術と魔術を駆使する近衛騎士として
史上最年少で隊長位を拝命した。
(史上初の女宰相、史上最高の魔術師、史上最年少の近衛騎士隊長、か)
 その国は史上最強の水晶王が治めている。


 十四の時、最優秀の成績で王立学校大学部を卒業したディディアネだったが、一件たり
とも職の誘いはなく、これは在野の研究者として極めるべきだろうと準備を進めていた矢
先、王宮の使いが訪れ、第十三妃の御子の教育係として召し上げられた。
 後宮で拝謁した第八王子は青白く虚弱で、あきらかに毒物の摂取からくる不調だと見抜
いたディディアネは、徹底的に周辺人物を洗いたてた。
 はっきりいって十三番目の妃ともなると権力はないに等しい。後宮の暗部から子を庇う
ことに懸命であった妃には、ろくな人材を招くことができなかったのだろう、そこへディ
ディアネが引っかかったのは双方ともに幸運だった。
 健康を取り戻した第八王子は生来の聡明さに加え、魔術の技と武芸を磨き、すばらしい
青年へと成長する。
 大事に大事に、誠心誠意お仕えしたディディアネは、成人の儀に誇らしく立ち会ったも
のだ。
 あれやこれやがあって三巡年前、玉座とはほど遠い場所にいた第八王子が水晶王として
登極。新しく宰相として指名されたのがディディアネだ。
 その後を追うようにユージウス・レピーベラ、アンフィルダ・バドミリオが相次いで抜
擢され、現在に至る。
387ある宰相5/8:2010/01/15(金) 15:49:49 ID:s+v4MJ7Z
 椅子に腰かけ上品な仕草で茶器を傾けているアンフィルダが、
「ずいぶんと機嫌がよいですね」
 いつもより若干、書類をめくるのが早いことで気づいたらしい。
「神子様がお心深くお優しい陛下に似合いの方であればいいと考えていただけだ、バドミ
リオ。かの伯爵が招いた占者は当代一との評判でな、わたくしとて期待がある」
 男女の魔力保有量が均衡していると懐胎しやすい。
 さらに水晶王との相性がよければ国として大歓迎だが、果たして。
「……水晶王陛下を聖人のごとく敬えるのはあなただけですよ」
「なにか?」
「いいえ。ところでディディアネ、わたしが城を空けているあいだ、ユージウスがここに
通い詰めていたそうですが、あの魔術狂いに配慮は無用ですよ。邪魔をするばかりの者な
ど摘み出しておやりなさい」
(ほんとうに仲がいいな、こやつら)
 印を押した書類を秘書官に渡しながらディディアネは感心する。 
 バドミリオ子爵の第二子と、レピーベラ侯爵の弟。どちらも名門貴族であり、兄に何事
かあれば家を継ぐ身。同い年で幼馴染みかつ王宮でずば抜けた出世ぶりを見せあうとなれ
ば意識するのも仕方がないのか。
「麗しきディディアネ」
 この男はときどき変になる。
 資料が欲しくなり気分転換もかねて秘書室へ向かおうとしていたディディアネを背後か
ら抱きすくめ、遍歴楽師が歌う恋愛詩のような文句をささやきだしたアンフィルダ。
 どこぞの姫君に捧げるべきを、宰相に誓ってどうする。
「わが両の手は海原をしてすすげぬ罪に染まれど、あなたへの愛はもっとも甘美で悩まし
き罪。ディディアネ、わが貴婦人」
「バドミリオ」
「なんでしょう」
「チルセ・ガトゥド子爵令嬢から、不運にもすれ違いが続いている近衛騎士隊長に会わせ
てもらえまいかという嘆願を非公式で受け取った。ジャクリフ男爵夫人は直接ここへ足を
運ばれ、バドミリオ子爵の二番目の息子を捕獲する許可を求めておいでだ。両方に承諾の
返事をしてもよいか?」
 ディディアネの耳朶を食んでいたアンフィルダは、女官の熱い視線を集める冷ややかに
整っているらしい顔に笑みを浮かべると、お手本のような一礼をして宰相の執務室を退出
した。
388ある宰相6/8:2010/01/15(金) 15:51:35 ID:s+v4MJ7Z
 そうして儀式当日。
 王宮では水晶王以外の魔術は制限されているため、王立魔術院は星の塔での神子召喚と
あいなった。
 四代前の女王の御世、異界人の召喚を試みたとき、応じたのはたおやかな婦人であった
という。水晶国の魔術の発展に貢献し、ふいに行方をくらましたとか。
(よもや男の神子様だったりしないであろうな……)
 いまさらな不安がディディアネの脳裏をよぎった。
 水晶王ご臨席の中、夜更けからはじまり、怪しげな格好の人々が怪しげな呪文を唱えつ
つ怪しげに蠢くこと三刻半。
 数種の香木と数百の薬草を焚きしめた、怪しい匂いが充満する空間での怪しい儀式はつ
いに頂点を極めた。
 床に描かれた巨大な魔術陣があわい光を放つ。

 と、瞬きひとつのあいだに、それは出現した。


(これが神子様か)
 丸みのある豊かな輪郭は、まぎれもない女性。
 肩を流れ背を覆い腰までとどく御髪は闇という闇を集めたように黒い。
 お召しの衣服も夜を紡いで織りあげたかのような黒さだ。
 抜き身の剣をたずさえて、その刀身も黒。
 神子、などという物々しい響きから聖神殿にたむろする白くて繊細そうな連中に似てい
るのではとの想像を裏切る、いっそ禍々しいまでの力強さ。
 不敵な輝きをたたえた闇色の双眸をまっすぐに定めてくるこの威圧感、覇気。
(陛下に似ている)
 素直にそう思った。
 神子の眼差しの先にいる、水晶王その人に。

 食い入るように見つめ合う男と女は、それだけで悟るものがあったらしい。
 水晶王が立ちあがり神子をうながす。
 神子は差し伸べられた手を躊躇なく取る。
 二人の口元には獰猛ともとれる笑みが刻まれていた。

 刹那のうちにかき消えた二人の姿を惜しみ、しばらくじっと動かないでいたディディア
ネは、唇を締めつけ、両手をぐっと握り、精根を使い果たして倒れ伏す魔術師たちに近づ
くと、おもむろに幼馴染みの背中を踏みつけた。
「よくやったレピーベラ」
 ディディアネの心臓は破れそうなほどに高鳴っていた。
(陛下、陛下、おめでとうございます)
 叫びながら走り回りたい気持ちを抑えかね、アンフィルダが適当なところで制止するま
で、ディディアネは歓喜のままにユージウスを蹴り転がした。
389ある宰相7/8:2010/01/15(金) 15:54:23 ID:s+v4MJ7Z
 水晶王と異界の神子が寝所にこもって一日目。
 王宮の廊下をぴょんぴょん跳ねて移動しているのを女官長に見つかり叱られる。
「あんな可愛いことをして、ただでさえ多い信望者をさらに増やしてどうなさいます」
 女官長の諫言はディディアネにとって難解だ。


 二日目。
 後宮の、正妃だけが使用できる白葡萄の間を開く。
 黒葡萄の間に改称。


 三日目。
 ディディアネの仕事量は飛躍的に増えたが、幸せにうっとり蕩けた状態でかたっぱしか
ら処理しまくり、まったく問題はなかった。
 宮廷医から一巡月は安静をと言い渡されているユージウスは、土気色のご面相で長椅子
に横たわり、せめて医務室へとすすめても頑として動かない。
「ディーが笑ってるなんてはじめてだ……ずっと見てぇ……」
 くぐもった声でぼそぼそ訴えていたが、ディディアネは水晶王付きの侍従からあがって
くる報告書を読みこむのに没頭し、聞いていなかった。


 四日目。
 アンフィルダが執務室を頻繁に訪れ、ユージウスの様子をうかがっている。
 普段は衝突の絶えない二人が静かなもので、親友とはよいものだとディディアネはたい
そう感銘を受けた。
「あなたの色香にあてられた不埒者が襲ってこないとも限りませんからね」
 黒いレースの大量追加発注とドレスの図案集に心を奪われていたディディアネに、その
言葉は届かなかった。
390ある宰相8/8:2010/01/15(金) 15:56:12 ID:s+v4MJ7Z
 五日目、水晶王と神子はそろって朝議に現れた。
 二人の溶けあった雰囲気がディディアネには嬉しくてたまらない。
「我が名はエク・オドー・アサルルヒ、<闇に咲く花>という。これより世話になる」
 玲瓏とした声音で神子は告げ、重臣たちはうやうやしく上体を折り頭を下げた。
 水晶妃の誕生である。
「そなた、宰相。あれなる王を育てた母にして姉よ」
 水晶妃の信じられない呼びかけに息を呑んで水晶王の尊容を仰ぎ見ると、この世の誰よ
りも秀でた造作のかんばせがゆるりと頷く。
(陛下、ああ陛下……!)
「そなたに感謝を。いずれ王のごとく我とも遊んでおくれ」
「喜んで、水晶妃陛下」  
 情けないことだが、感極まってわななくディディアネではそれだけを口にするのが精一
杯だった。
(王……いや、王子殿下との遊び。覚えていてくださったか)
 稽古の息抜きがてら、王宮の隠し通路をくまなく調べあげて罠を仕掛けたり。
 食後の菓子を賭けて貴族の弱みをいくつ掴めるか競いあい。
 おたがい考え抜いた拷問方法を生きたまま捕らえた暗殺者に試すという他愛のない実験
に夢中になった夜。
 無能な王族の優雅な排除とその実践といった、さまざまな課題を設けては果敢に挑んだ
楽しき日々よ。
 第八王子がすべての面でディディアネを上回ったとき、水晶王として即位する。
(水晶妃陛下のお望みとあらば、不肖ディディアネ・ヴィッスリン、いかなる遊びでも全
身全霊をもってお相手させていただきます)
 居並ぶ大臣たちの顔がみるみる青ざめていくのも知らず、ディディアネは決意を噛みし
めながら水晶王と水晶妃へ永遠の忠誠を誓うのだった。


 魔王と恐れられる王がいる。
 数多の魔術師を束ね、血染めの騎士団を率い、のちに剣神と呼ばれる妃を娶った。
 かの国を支えるは、知略によって名をあげた美貌の女宰相。


おわり
******

読んでくれてありがとう
391名無しさん@ピンキー:2010/01/16(土) 02:24:14 ID:U1oQN5fW
秀でたって
出っぱったって意味じゃない?
392名無しさん@ピンキー:2010/01/17(日) 19:23:28 ID:zbi6fWBn
すぐれた、抜きんでたって意味でしょ
出っぱったなんて聞いたことないなぁ
393名無しさん@ピンキー:2010/01/17(日) 19:36:14 ID:4QKOiwPD
投下乙
好きな世界観
394名無しさん@ピンキー:2010/01/18(月) 00:31:42 ID:jvQY01eh
額が秀でるって言い方はある
395名無しさん@ピンキー:2010/01/18(月) 02:41:35 ID:9TNtQxYo
秀でた造作、だと
鼻とかアゴとかのパーツが出っぱってると読めなくもない

でも普通は前後の文脈で
きれいな目、綺麗な鼻…ということが言いたいということを分からない人はいないから
問題はない
396名無しさん@ピンキー:2010/01/27(水) 12:53:24 ID:oFt1LEBD
保守
397名無しさん@ピンキー:2010/02/03(水) 20:23:24 ID:XjXxkJn2
保守
398 ◆yRHN5vQ/OI :2010/02/08(月) 23:59:28 ID:l99u1n4s
ある日の風景―バレンタイン―


注意書き

ちょっとフライング、バレンタインネタ
表記は迷ったが、バカ×バカ
2レス

息抜きにどうぞ
399ある日の風景―バレンタイン―1/2:2010/02/09(火) 00:01:42 ID:l99u1n4s
「ま、マズイ以外の感想は受け付けない!」

 ひょっとして、それを言うなら「ウマイ以外の感想は受け付けない」では無かろうか。
叩き付けられるようにして机の上に振り下ろされた小振りの紙袋に目を遣りつつ、彼は目の前の
人物に向かって心の中で突っ込みを入れた。
「言っとくけど、これはアンタへの日頃の感謝を形にしただけであって、断じて本命とかじゃないん
だからね!」
初っ端の台詞をリアルで突っ込むべきかを決めかね、半ば呆然と見上げて黙考していた彼に対し、
発言者も言うだけ言ってそっぽを向いた為、流れゆく無言の時間がイタズラに長くなるにつれて
彼女はちら、と彼に視線を送るようになり、更に彼が苦悩するが故に沈黙を貫いていると、
彼の方を向く度に妙にそわそわとした態度をあからさまにし始め、仕舞いには、
「早く開けなさいよっ」
と、怒鳴った。
今、ここで?
彼は三度見返し、次いで眼鏡のブリッジを押さえながら教室内に視点を移した。
今日はバレンタインデー。
男にとってチョコレートが貰えるか否かで幸せな日とも空白な日ともなり得る、凄まじくその境界が
明確になる日――。
その明暗がはっきりと出る空気が一緒くたになるこの教室その他諸々の場所は、既に混沌と
呼ぶに相応しい様相を呈していた。
先ほど、「チョコレートもらっちゃったぜっ」と教室に入るなり叫んだ本日の天国便チケットを
手にした男は、厳かな雰囲気を纏った連中に自ら飛び込み手荒い祝福を浴びた後、彼の斜め
前の席でだらしなく緩む表情を隠そうともせずに包みを抱えて間抜け面を晒し、聖者モドキらに
舌打ちされている。
幸せな奴だ、と彼は独りごちたばかりだった。
「それとも何、……いらないって言うの?」
「〜〜っ 待て!」
泣かれるのは困る。
急落した声のトーンに何かヤバイ展開になりそうな空気を感じて咄嗟に叫び、続く言葉を三秒間
吟味した後、
「……いる。…もらう」
彼は周囲に目を配りながら憮然と答えた。
400ある日の風景―バレンタイン―2/2:2010/02/09(火) 00:04:08 ID:sbFSzT0L
男には時として袂を分かとうとも、同性の仲間よりも異性の他人を選ばなければならない事もある。
中々に周囲の耳目を集めてしまった以上、囃されるのは覚悟の上での返事だった。
「何よ、最初っから素直にそう言えばいいのに!」
少女は一転して表情を輝かせ、先ほどの表情が演技だと思えるくらいに鼻息荒く、高慢ちきに
宣った。
彼は諦めて読んでいた文庫本を机の中に仕舞い、目下のやたらと煌びやかな赤い包みへと
手を伸ばした。
彼がその繊細な包みの開封に手間取っている間(何しろ、ちょっとでも雑な扱いをすると烈火の
如く怒るので)、目の前で眉間に皺を寄せながら髪を撫でたり、何やら口を出したそうにしていた
小柄なツインテールの少女は、はらりと包装を取り払った途端、目に見えて息を呑んだ。
その光景を目の端に捉えながら、彼は小箱の蓋を開ける。
小さな化粧箱に収められた丸い塊は、トリュフと呼ばれる物だった。
シンプルなココアで覆われたものから上部にチョコレートの線が描かれたもの、刻んだココナツ
やホワイトチョコレートでコーティングされたものなどそれぞれ工夫が凝らされており、見た瞬間に
思わず感嘆の声が漏れた。
「……ウマそうだな」
「でしょう? この私が三ヵ月も前から準備して完成させたんだから、マズイはずが無いわ!」
「三ヵ月も前って秘伝のタレじゃあるまいし、腹壊したりってことは……?」
「違うわよっ! 三ヵ月って言うのは、お菓子の本で何を作るのかを悩んだり、試作して何をあげるか
を決めるまでの総合的な期間の話で……って、あ、…な、な、何言わせるのよ! 早く感想聞かせ
なさいよっ」
怒鳴られるのにも慣れたもので、言われずともその結わえた髪がピョコピョコ揺れている間に、
彼はココアの塗された一粒を摘んでいた。
じわりとココアの苦味が舌に広がり、噛むと風味が爆ぜてチョコレート独特の甘ったるい香りが
鼻から抜けてゆく。
「……ふむ」
「ど、どうなの……?」
彼は今一度、自分へ問うた。
「マズイ」


眼鏡が飛んだ。


(おそまつ)
401名無しさん@ピンキー:2010/02/10(水) 12:12:20 ID:8/pXLJUg
>>399
危ないw人前で噴くところだったww

どっちのバカも可愛かったです、GJ
402名無しさん@ピンキー:2010/02/15(月) 12:12:58 ID:YQ1zovtL
酒保
403名無しさん@ピンキー:2010/02/15(月) 22:34:41 ID:gXMgYRGJ
>>399
すまん、今読んでお茶噴いたw
404名無しさん@ピンキー:2010/02/18(木) 15:52:16 ID:C6nw289g
圧縮きそう…
405名無しさん@ピンキー:2010/02/21(日) 21:17:13 ID:fNsMIRYj
心配だから保守しておこう
406名無しさん@ピンキー:2010/02/26(金) 10:22:17 ID:0f1sTliK
>>399
いまさらだがGJ!味噌汁フイタw
いいなあ甘いなあ
407名無しさん@ピンキー:2010/02/28(日) 13:16:24 ID:Qf2azykf
緊急ほしゅ
408名無しさん@ピンキー:2010/03/03(水) 15:11:59 ID:bPmlKnWg
409名無しさん@ピンキー:2010/03/06(土) 23:56:45 ID:ODI6xuTP
796
410名無しさん@ピンキー:2010/03/13(土) 00:33:45 ID:PdfkjVNT
軍板で触れられてるの見てきました
◆ZES.k1SA.I氏スゲーw
生粋のエロパロ民なのに気付かなかった…
再開して欲しいな
411とけないで(1レス消費):2010/03/13(土) 02:22:06 ID:yTorTdKi




肌に刺すような空気を感じながら、静まり返った住宅街を歩く。
私のはいているブーツの音だけがカツカツと響き、街灯が私と彼を仄かに照らしている。

「あ…雪だ」
「……本当」

彼の声に見上げると、白く綿毛のような雪が黒く染まった空を舞っていた。
毛糸で包まれた右手を宙へと伸ばすと、雪はそこへ静かに着陸し小さな水溜まりとなり、やがて消えた。
何度かそんな事を繰り返していると、しばらく黙っていた彼に

「寒いし、そろそろ帰ろ。な?」

と言われて、そのまま自宅まで連行されてしまった。
途中、あまりに強引な気がして一言物申そうと彼の横顔をちらりと見ると、
無言ながら話かけるなオーラを放っていたので、恐くて何も言えなかった。





先程まで着ていた上着を脱ぎこたつに入ると、その心地好い温もりに急に睡魔が襲ってきた。

「なぁ…まだ怒ってんの?」

彼が私の両肩に手を乗せてきた。私が下を向いたまま黙っているので、機嫌を損ねていると思っているようだ。
ふと彼の手の重みが両肩から消えたと思った次の瞬間、私は首にとても細く少しひやりとした何かを感じた。

「え?」

咄嗟に両手で掴み、目の高さまで持ち上げた。それは繊細にデザインされたネックレスだった。
部屋の明かりに照らされ、小指の先サイズの雪の結晶がキラキラと光る。
訳が分からず彼の方を向くと、そこには満面の笑みを浮かべる彼がいた。

「誕生日おめでとう、ミホ。どうしても一番先に渡したくってさ…本当に悪かったよ」

彼の言葉に視線を壁にかけた時計へと移す。ちょうど夜の十二時を数秒過ぎたところだ。

「あ…ありがとう、アキト。私こそ、ごめんね」

サプライズに嬉しくなり、思わず彼に抱きついた。
服越しでも彼の心臓が私のと同じようにと、はやく脈を打っているのが分かった。
彼がさらに強く抱き締めてきた。

「これ、ずっと大事にするから…」
「そうしてくれると嬉しい。次は何がいい?」
「もう〜気が早すぎるよ…」


そう言いながら、次は指輪がいいなと思ったのは、彼には内緒だ。





End.
412名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 22:58:19 ID:RSEQ8aeo
保守
413名無しさん@ピンキー:2010/03/31(水) 23:19:44 ID:NdanLUE8
保守
414名無しさん@ピンキー:2010/04/13(火) 00:58:49 ID:ISO9/hLS
保守
415名無しさん@ピンキー:2010/04/24(土) 22:47:20 ID:Ja2/Mmjr
age
416名無しさん@ピンキー:2010/05/04(火) 14:59:24 ID:pCDEWTi2
自動音声に何とか萌えてみたいが、記憶が曖昧
そのまま適当に書いた。保守ついでにどうぞ

お電話ありがと〜。
こちらは、七色猫の再配達受付センターですよ?
本日の営業は終了しちゃったので、音声案内になっちゃうけど、私の質問に優しく答えてね?
まず、伝票番号をプッシュしてほしいな? あ、急がなくて良いよ。ゆっくり、確実にね。
「○」
うん、えーと、確認しま〜す。

で、良いかな? 良かったら1を、修正するなら2を、優しくプッシュしてね?
「1」
もう、せっかちさんなんだから。

じゃあ、次にお届け希望日を4桁でよろしく! 出来れば、すぐに会いたいなぁ。
「0506」
ありがと。確認するね?
5月6日
で、良い? 良かったら1を、修正するなら2を、じゃあ今度はもっと優しく、プッシュして?
「1」
長押しし過ぎ。もう、優しいにも程があるんだから。

次に、ご希望の時間帯を訊いちゃいます。
1:午前中、2:12〜14時、3:14〜16時、4:16〜18時、5:18〜20時、6:20〜21時、全部でこの6つの中から選んでね?
じゃ、入力お願い。
「6」
確認します。
6の、20〜21時
それでも良い? 良かったら1を、修正するなら2を……もしくは、他に何かあるなら3を押してね?
「3」
でも、ダメだよ? あなたの為だけに深夜配達なんて…してみたいけど。
もう一度、1か2で答えて下さ〜い?
「1」
今一瞬、また3を押そうとしなかった? ふふ。ひょっとして、すぐ調子に乗るタイプ?

最後に、受取人つまりあなたの家の、電話番号を教えて?
「●」
繰り返します。

なの? 良かったら1を、修正するなら2を押してね? ちょっとドキドキしながら、待ってる。
「1」
承りました。あなたは一体どんな人かな? …楽しみ。

じゃあ、これで用事が済んだ人は1を、他に再配達を希望する欲張りさんは2を、プッシュ!
「3」
入力が確認出来ないよ……本当は、もっと私とお話がしたいのかな?
嬉しいけど、ダメだよ? ね? もう一度、1か2。
「3」
もう…しつこいと嫌われるよ? 私はそんなあなたが、少し気になっちゃうけど。
けど、これ以上別のボタン押したら、もう受付しないよ? さあ、1か2を押して?
「1」
ふふ…お電話、ありがとう。お荷物しっかり届けるから、今度はちゃんと受け取ってね?
じゃあ、また不在通知を見つけたら、かけてきて? ばいばい?

ぷつん。つーっ、つーっ、つーっ。
「3」
「3」
「3!」

417名無しさん@ピンキー:2010/05/05(水) 01:34:07 ID:U/TH1hoU
かわいい
418名無しさん@ピンキー:2010/06/01(火) 21:53:51 ID:UHmochjk
保守
419名無しさん@ピンキー:2010/06/13(日) 00:52:48 ID:LrVlbIfg
保守
420名無しさん@ピンキー:2010/07/05(月) 00:35:42 ID:aqZFot59
これだけ過疎っても落ちない。
ある意味すごいと思ったが、規制で書き込めない人が多いのかな。
421名無しさん@ピンキー:2010/07/17(土) 10:03:21 ID:gD2PK4rf
保守
422逆転裁判(0/8):2010/07/31(土) 00:23:19 ID:SaESJG9b
逆転裁判スレとキャラスレに投下したSSのエピローグ的な話。
エロくない上にどこにも救いがなくなったので、こちらを間借り。
423逆転裁判(1/8):2010/07/31(土) 00:23:59 ID:SaESJG9b
 見舞いの手土産に何を持っていこうか散々迷い、まずは白と黄色の可愛らしい花束を
選んで、そこで色気より食い気の少女には食べられるものの方が喜ばれるだろうと思い
至り、籠に各種フルーツが入ったセットを手にし、ふと冷蔵庫を見たらちんまりした
チョコレートケーキがあってああそういえば二人とも甘いものが好きだったなと思い出し
ゼリーとマジパンを載せたケーキをふたつ買い求め。
 病院の売店レジで会計を済ませる段になって、御剣怜侍は自分の手が二本しかないのに
気がついた。
「ム」
 眉間にヒビを入れる御剣に、店員が気を利かせて大きなレジ袋を用意してくれたから
いいものの、そうでなければ御剣は大いに困ったことだろう。荷物持ちに便利な刑事は
今日は同行していない。
 片手に花束を抱え、もう片方の手にはかさかさ鳴るレジ袋を提げ。御剣は病院の廊下を
歩く。淡いクリーム色の壁へ、窓から差し込む陽光が模様を描く。何かに似ている、と
考え、考え──(ああ。そうか)
 鯨幕だ。
 父親の葬儀で、十歳だった御剣は、こんな模様の前でずっと座っていた。
 午後の浅い陽光と。窓に規則正しく嵌められた鉄格子のつくる影のなか、御剣は表札の
ない病室の前で足を止めその扉をノックした。
 中の話し声が潜まり、ドアがほんの僅か開いて。
「あ! みつるぎ検事さん!」
 ドアの向こう側から見上げてくる春美へ、ぎこちなく笑いかける。
「まあ、おみまいに来てくださったのですか?」
「うム。もっと早くに顔を出せれば良かったのだが……すまない」
「そんな! どうぞお入りになってください──真宵さま、みつるぎ検事が来てください
ましたよ!」
「ホント?!」
 おみやげもたくさん持って、とはしゃぐ春美に輪を掛け明るい声が響く。
「うわあ、いらっしゃい、みつるぎさん!」
「……ああ」
 ベッドに身を起こし屈託なく笑う真宵へと手土産を見せ、御剣は考える。
 自分は、今、この少女に“普段通り”接していられているだろうか。と。
 ケーキにはしゃぐ真宵、花束を受け取り手際良く花瓶に生ける春美。何も変わらない
ように見える。真宵が髪を切り、ベッドに横になっている以外は。春美の笑顔に痛々しい
明るさが混じる以外には。
 視線が。制御できない。「ケーキ、ふたつしかないですよ?」と首を傾げる真宵へそれ
はキミたち二人への土産だから、と答えながら、御剣はついソコを見てしまう。毛布の
下。にこにこ笑う真宵の、腹。“今のところ”なだらかな曲線しか見受けられない部位を
見てしまう。
 不意に。ノックが響いた。
 春美がびくんと身を竦ませ、「綾里真宵さん。検温ですよ」きびきびした看護士の姿に
ほうっと息を吐く。
「では、わたくし、くだものを切ってまいりますね」
 よいしょと持ち上げる春美から、御剣が果物籠を取り上げる。目をぱちぱちさせる春美
へ、「私も手伝おう」
「まあ! お客さまに、そんなことはさせられません!」
「いいから。それに、ここにいたら看護士さんの邪魔になる」
 御剣の言葉に、三十手前くらいの看護士は明るく相槌を打ち、「十分くらいで終わり
ますよ」と声を掛けてくれた。
 やたらと恐縮する春美と共に、給湯室へ向かう。そこまで荷物を運んでしまうと、御剣
にはやることが無い。何しろりんごの皮を剥けば残る実より皮の方が分厚くなる不器用
ぶりだ。というわけで、御剣は春美が持参のぺティナイフでりんごの皮をくるくる剥く
様を横で眺めていて、「みつるぎ検事さん」
424逆転裁判(2/8):2010/07/31(土) 00:24:35 ID:SaESJG9b
 沈黙を破ったのは春美だった。
「本日は、真宵さまのおみまいに来てくださって、ありがとうございます」
 いや、と、御剣は呟き。「キミもだ。春美くん」
 春美は答えない。ナイフを握る手が微かに震えている。
「キミと、真宵くん。二人の、お見舞いだ」
 春美は無言のまま、りんごの皮剥きを続けている。ぷちんと、ひとつづきになっていた
皮が切れて、流しに落ちる。春美はぱちぱち目を瞬かせ、「切れてしまいました」と、
くしゃりと笑った。御剣はどう答えればいいのか分からなかったので、気にしなくても
いい、とだけ言った。
 御剣は呼吸を整え、「春美くん。真宵くんは、」
 そこから先が出てこなくて絶句する。聞きたいことはたったひとつなのに、「四ヶ月
です」
「――」
「もうすぐ四ヶ月です。真宵さまも、赤ちゃんも、お元気です」
 明るい声だった。
 痛ましいほどに、弾んだ声だった。
 御剣は、ゆっくりと、息を吐いて──この質問を小学生の春美に対して行ってもよい
ものかどうかを判別できぬまま、問う。
「真宵くんは、産むのか」
「はい」
 迷いのない、即答。
 ──真宵と春美が被害者となった、監禁事件。そこで何があったのか、検事である御剣
は知っていた。そこで 本 当 は な に が あ っ た の か 、綾里の事件に関わった経験
のある御剣は、他のどの検事よりも理解していた。
 にこにこ笑う真宵。しあわせそうな真宵。――壊され、幸福を感じることしかできなく
なった、綾里真宵の残骸。
 せめて想い人であった成歩堂龍一の子であれば良かったのだが──そんな風に考えて
いる自分に気づいて、嫌になる。誰の子であっても真宵が犯され孕まされたことには違い
ないのに──ああでも、成歩堂の子なら、真宵は喜ぶだろうか──ほんとうのほんとうに
喜んだかもしれない──「男の子がいいです」
 え、と、聞き返す声は、我ながら間の抜けたものだった。
 春美は繰り返す。「男の子が、いいです」
「そ、そうか。うム」
 何が“そうか”でなにが“うム”なのか自分でも分からぬまま相槌を打ち。「だって」
春美の、暗く沈んだ瞳に言葉を失う。「女の子は、倉院の里にとられてしまいます」
「な、に?」
 春美のちいさな身体がぐらぐら揺れる。声も虚ろにぐらぐら響く。
「真宵さまは、もう、家元のおつとめが、できません」それはそうだ──あんな状態では
──「わたくしも、もう、里には戻れません」――そんなことはない、と言ってやりた
かった。けれど言えない。彼女のせいではないと言うしか出来ない──「だから、」

「綾里には、供子さまの血をひく、女の子が必要なのです」

 春美の目は。がらんどうで、乾いていた。
「男の子だったらとられません。男の子だったら、綾里には男の子は必要ないから、綾里
がほしいのは霊力のある女の子だから、男の子ならずっと真宵さまが育てていけます。
わたくしも、いっしょうけんめいお手伝いします。だから──でないと──!」
「春美くん!」
 咄嗟にぺティナイフを叩き落とす。春美の柔らかな肌ならあっさり傷つけてしまえる
刃物が、流しに跳ねて。
425逆転裁判(3/8):2010/07/31(土) 00:25:42 ID:SaESJG9b
「あ」
 それで。春美が決壊する。
「だって──真宵さまには、もうほかになにも、わたくしも、真宵さまのおそばにいては
いけないのに、けど、真宵さま、真宵さまにはもう──ちっ、千尋さまも、舞子さまも、
なるほど、くん、も、――わたくしたちさえいなければ──でも、わたくしがいなく
なったら真宵さまはひとりに! わたくしは真宵さまを苦しめるだけなのに、だから、男
の子、真宵さまの大事な──だいじな──!」
 ぼろり。と。一粒だけ、虚ろな瞳から涙が零れて。
「真宵さまああッ! わたくしさえっ! わたくしたちさえいなければあっ! ごめん
なさいごめんなさい──!」
 甲高く迸る謝罪に、鈍い音が混じる。それが何かを理解した瞬間、御剣の背筋が凍る。
春美がその細い腕をステンレスの流し台に叩きつけた音だった。音は続く。声も続く。
御剣が春美を羽交い締めにし自傷は止むが、金切り声はどんどん高くなる。春美の幼い
行動に御剣は驚き──(違うだろう!)――違う。これが、春美本来の年齢なのだ。酷く
傷ついた少女が陥って当然の狂乱なのだ。暴れる春美の拳が、御剣を打つ。けれどヒトの
肉を殴っている方が流し台を殴るよりは痛みが少ないだろうと──少なくあって欲しいと
願い、必死で抱きかかえる。
 ぱたぱたと足音が近づき、「どうしました!」厳しい顔つきの看護士が給湯室に入り、
御剣と、泣き喚く春美を見て。
「――先生を呼んできます。もう少し押さえていて下さい」
 御剣は、頷く。
 看護士は、医師を連れてすぐに戻ってきた。てきぱきと看護士が御剣から春美を奪い、
医師が装束の左袖をまくりあげ。
 そこに。多数の、青紫の注射痕を見つけ。御剣は呻く。
 医師は微かに眉を動かしただけで何も言わず、反対側の袖をまくり、肘うらの注射痕が
まだ少ないのを確認してから、注射を打つ。ひくん、と痛みからか春美が震え。静かに、
しゃくりあげる。
「さ、春美ちゃん、お部屋、戻ろうね?」
 抱きあげた看護士の言葉に、春美がかくんと頷く。単に鎮静剤が効力を発揮しただけ
かもしれないが、とりあえずこれ以上自分で自分を傷つける心配はないだろう。
 御剣が足元に目を落とす。
 半ばまで剥かれたりんごが、床に転がっていた。


『どうしてまだ巌徒海慈は捕まらないんだい?』
 御剣が友人と最後に交わしたのは、そんな会話だった。
 あれは病院のロビーだっただろうか。廊下、それとも病院以外の場所。あれは昼だった
ろうか、夜だったろうか?
『なあ、御剣』
 昏い目をした友人。成歩堂龍一と最後に会ったのは、何時、何処だっただろう?


「どうしてまだ巌徒海慈は捕まらないんだい?」
 成歩堂の言葉に嘲りの色を嗅ぎ取り、御剣は不快げに眉をしかめた。怒鳴りつけない
のは、彼が巌徒の犯罪の被害者だったからだ。被害者がいつまで経っても事件を解決でき
ない司法に対し不満をぶつけるのは当然のことだったからだ。だが、二度目の、同じ問い
のなかにはあからさまな嘲弄が含まれていて、元々丈夫ではない堪忍袋の緒が切れた。
「バカにするな! キサマ、警察も検事局もナニもしていないとでも言うつもりか!」
「へえ、違うの?」
「な──!」
426逆転裁判(4/8):2010/07/31(土) 00:26:33 ID:SaESJG9b
 そこで殴りつけなかったのは、御剣の自制心がかろうじて機能したのと、顔を背け
「分かってるよ」と呟く成歩堂の姿に、怒りの行き先を見失わされたからだ。
「ぼくも、ニュースくらいは見るよ。検事局、大変なんだろ」
 重苦しい沈黙が漂う。“大変”なのは、何も検事局に限った話ではなかった。かつて
地方警察局長の地位にあった巌徒海慈が、法曹界各所にバラ撒いた告発文書──虚実と
確かな証拠をとりまぜた、司法の不正を示唆する文書は、法曹界に混乱を起こしていた。
汚職、不正捜査、事件自体のもみ消し。告発対象は警察局内に留まらず検事局、裁判所
にも及んだ。
 四十年を捜査官として、警察官としての最後の二年を警察局長として生きてきて、
しかも自身でも証拠の捏造や隠蔽といった不正捜査を行ってきた巌徒だ。他人の不正を
知り得る機会も多かっただろう。それを、あらいざらいどころか脚色までつけてブチ
撒けたのだ。
 どれが真実なのか。
 どれがウソなのか。
 法曹界は混乱の極みにあり、上の混乱は現場捜査にまで悪影響を及ぼしていた。

 そう。被害者を散々傷つけて解放した誘拐犯を野放しにするほどに。

 御剣自身も無傷ではいられなかった。むしろ、突き上げの酷い部類に入るだろう。二年
前、師と仰いでいた検事が証拠の捏造と殺人罪で裁かれたあのとき、弟子であった御剣も
厳しい査問にかけられた。二年前の御剣への追及は、中心人物であった巌徒海慈が殺人罪
で逮捕されたこと、査問対象である御剣が失踪したことでウヤムヤになったが、今度は
そうもいかないらしい。否、二年前に棚上げになった問題があるからこそ。批判しやすい
部分があったからこそ、御剣が槍玉にあがるのだ。
 誰も泥なぞ被りたくない。
 ヒトリを叩いていれば、その間、自分は安全圏にいられる。
 スケープ・ゴート。
 ──そしてこの山羊はまっさらな白というわけでもなかったのだ。
「御剣」
「ム」
「やせたな、オマエ」
「……キサマに、言われたくはない」
 成歩堂が笑う。空疎な笑いだと思った。
「――法で」
 ぽつりと。成歩堂が、呟く。
「法が、アイツらを裁けないなら」
 ぐずりと。喉元にせり上がる、無形の吐き気。御剣は瞠目する。眼前のコレはダレかと
目を凝らす。
「法廷以外の場所で裁くしかないよな──?」
 暗い。淀む声。暗い場所を見つめる淀んだ眼差し。
「成歩堂、キサマ、ナニを」
「アイツはさ、」声は、暗く沈んで──沈み過ぎて、かえって晴れやかだった。「とっ
捕まえて死刑にすればいいんだけど。ちなみの方はそうもいかないよな。何しろもう
死んでるし」
「成歩堂、ナニをする気だ!」
 沈黙。
「決まってるだろ」静かな。それはそれは静かな。「裁き、だよ」
 ――待て。と。御剣は、止めたのだ。
 警察に、検事局に任せろと。法の裁きに任せろと。どちらでも成歩堂の翻意には至らぬ
と知り。最後に、御剣は言った。
427逆転裁判(5/8):2010/07/31(土) 00:28:18 ID:SaESJG9b
「真宵くんを、置いていくつもりか」
 沈黙。沈黙。「アイツらは」――冷ややかな、憤怒。「アイツらが、真宵ちゃんを
滅茶苦茶にした」
 赦せるわけがないだろう?
 激情。押さえに押さえて却って均された感情。
「だからといって、真宵くんをヒトリにするつもりか?!」
「はみちゃんがいるよ」
「そうだが──いや、そうではない! 普通の状態ならまだしも、真宵くんは、」
 その先を言い損ね。御剣は眉間のヒビを深くする。
 成歩堂はそんな御剣をじっと見て。
「ぼくの子どもじゃないから」
 信じられない台詞を、吐いた。
 御剣は唖然とし、「今、何を言った」「真宵ちゃんのおなかの子はぼくの子じゃ」
 今度は、自制が効かなかった。
「そんなこと」
 痛む拳をかかえてぜいぜい息する御剣と、片頬を腫らし口内に指を突っ込んで欠けた歯
を取り出す成歩堂。かたや怒りに震え、かたや感情の抜け落ちた様子で向かい合う。
「そんなコト、誰に分かる!」
「分かるさ」
「DNA検査でもしたのか?! していないだろう! していたとしても、キサマ、それ
でも」
「寝てないから」
 奇妙な。有り得ない。あるはずがない、言い訳とすれば最悪の台詞が聞こえた。
「ぼくは、真宵ちゃんと、セックスしていない」
 詰れなかったのは。こちらを見る成歩堂の、目が、表情が、乾いて、澱んで。
「勃たなかったんだよ」
「な、に」
「勃たなかったんだよ──なあ分かるか御剣。好きな女の子がさ、すっぱだかで、キス
して、もっとすごいコトもしてきて、大好きだって言ってくるんだぞ? なのにこっちは
──好きなのに、応えたいのに、──ああ分かってたよもう壊れてたって。それでも応え
たくて、でも駄目で。そのうちその子が『ごめんね』って『あたしじゃダメでごめんね』
って──!」
 声が、感情を帯びる。怒りと、自己嫌悪。
「情けないよな? オトコとして、サイテーだよな?」
 仕方がないと思った。監禁、薬物投与、脅迫、強制された性行為──異常な状況下での
勃起不全は、もう、どうしようもないことだと。
「なのに」
 ――なのに。成歩堂の告白は、予測を上回り。
「犯されるのを見て、興奮したよ」
 声は、もう、無感情とは程遠い。自分が受けた苦痛を屈辱を。真宵に与えられた苦痛を
絶望を眼前に蘇らせて、わななく。
「目の前で、アイツに、ちなみに、真宵ちゃんが、犯されて──喘いでいるのに! 信じ
られるか?! 勃起したんだよ、ぼくは! 真宵ちゃんが犯されてるのに、口では止めろ
って言いながら──そして、最後は、ゴドーさんだ! 真宵ちゃんはぐちゃぐちゃで
疲れてふらふらで──嬉しそうに、それで、嬉しそうに、『なるほどくん』って──!」
 ぶつり。と。
 告解が。途切れる。
「真宵ちゃんのおなかの子は、十中八九ゴドーさんの子だよ。アイツは年齢のコトがある
し……まあ、絶対ない、とは、言いきれないけどね」
 元気な年寄りだよね、と笑う調子は。冷え冷えとした平坦さで満ちていた。
428逆転裁判(6/8):2010/07/31(土) 00:29:26 ID:SaESJG9b
 御剣は、何と言えば良かったのだろう? 待て、と。警察を、検事局を。この国の司法
を信じろと言えば良かったのだろうか。
「ぼくは、ぼくなりのやり方でアイツらを裁くさ」
 その。痛みは、悔恨は。
 真宵を置いていく理由にはならないと、言えば良かったのだろうか?
「じゃあな、御剣。――真宵ちゃんと、はみちゃんを、よろしくな」

 御剣怜侍は、成歩堂龍一を止められなかった。
 だから、御剣はまだ此処にいる。

 春美を彼女の病室まで見送ってのち。真宵に一人で会う気力が足りず、査問会の時間が
迫ったのを言い訳に、御剣は病院の受付に剥きかけのフルーツと帰る旨の伝言を託し、
病院を出る。日差しは傾き始めている。もうすぐ夕暮れだ。
 懐から携帯電話を取り出し電源を入れ、留守録を確認する。
 一件。
 かけてきたのは──心臓がごとごと言い出す。着信の名前は見慣れたもの。糸鋸圭介。
携帯の履歴にうんざりするほど並ぶ、部下の名前。強張る指を叱咤しボタンを操作する。
メッセージを再生。
『御剣検事ッスか?! イトノコギリッス!』そんなこと見れば分かる、この電話の用件
を、早く、早く、『――で見つかった遺体が、』早く。『ガント局ちょ──巌徒海慈の
モノと、確認が取れたッス』
 携帯が、握力に耐えかね軋んだ。
 身元の確認に、日数を必要とした遺体。身元を示す所持品が、なかったからだ。
 身元の確認を困難にするほどに、徹底的に、けれど完全に隠すほどではない、そんな
具合に“破壊”されていたからだ。
 今日は署に泊まるからいつでも来て欲しい。糸鋸のメッセージはそう伝えて終わる。
 御剣は、終了のボタンを押す。
「バカが」呟く。
「戻らない気か──真宵くんを、置いていく気か」
 ここにいない、踏み越えてしまった友人の名を、呟いた。


 この邂逅が何時のことだったのか。夜のことか、昼のことか。何処であったのか。誰が
望んだものなのか。当事者以外には、誰も知らない。

 追い詰められたのは女。容貌だけなら愛らしく清純そのもの、汗と汚れがべったり貼り
つく衣装は相応しくない。
 だが、女は笑っていた。恐怖が、眼前の“死”が怖ろしくて、却って笑いが止まらない
という風だった。
 追い詰めたのは男。かつて胸元に誇らしげに輝いていたひまわりのバッジは、もう何処
にもない。あるのは、この国では一般人の所持が禁じられている凶器。銃。ヒトを殺す
道具だけ。
 男は薄く笑っていた。感情がぐるぐると渦巻いて、それ以上の表情を作ることが出来な
かった。
「終わりだよ」
 低く、男が囁く。「随分、長く追いかけたけど。もう、終わりだ」
「ふ…ふふ、いいのかしら? このカラダは、綾里の、」「関係ないね」
 がちん、と、銃の安全装置が外される。
「別に。そこまで驚くコトじゃないだろ? オマエだってアイツを見捨てて逃げた。目的
のために他を犠牲にするのが、そんなに珍しいって?」
429逆転裁判(7/8):2010/07/31(土) 00:30:48 ID:SaESJG9b
 女は顔色を失う。
 生前“美柳ちなみ”の名で呼ばれた彼女は、死者だった。他人の身体を乗っ取ることで
かろうじて存在しているモノだった。今依り代としているのは、遠い親戚にあたる女だ。
名前は、知らない。“綾里”の姓といくばくかの霊力を持つという以外には、ちなみは
彼女のことを何も知らない。
 だが、男は違ったはずだ。
 死者であるちなみを追うため、霊媒を生業とする倉院の里へ協力を求めた彼は、依り代
の女を知っていた。言葉を交わした、“家元様”を奪われ怒りに燃える彼女に、彼は自分
も同じ気持ちだと頷いたことさえあった。
 それを。
「成歩堂…龍一ィッ!」
 恐怖と怒りで天使のかんばせを引き攣らせるちなみに、成歩堂は表情ひとつ変えず銃口
を向ける。
 もう、二度目だ。失敗はしない。余裕さえある。
 これでおしまい。
 終わり。そうしたら、これで、
「これが、真宵ちゃんを傷つけたオマエたちへの罰だ」
 もう一度、やり直す。
「――」
「――?」
 命乞いが。罵声が。あるはずの声が、無い。
「――な」
 ちなみは。哂っていた。
「ふ、ふふ……っ、ははっ! “真宵を傷つけた罰”! つまり、アンタは真宵のために
アタシを殺すってわけね!」
「そうだよ」
 ひたり。笑声が止み。「ウソね」
 ちなみは。恐れる、というより。嘲る、というより。何か、ひとつ、腑に落ちたという
顔をしていた。
 ああ、と、かたちよい唇が動く。
 そう。コレが“逃げる”ってコトだったわけ。
「何を、」
「アンタが殺すのは真宵のためじゃない。アンタの、ためでしょ?」
 に、と、朱い唇が弧を描く。「裁き? 罰? ハ、笑わせないでよ。アンタは、アンタ
が“そう”したいから“そう”してるだけでしょ?」
 一拍。
「アタシたちと、おんなじじゃない」
「違う!」
 否定。哄笑。「ああそうね──アンタは、アタシたちより酷いわよね!」
「何を──」
「違うっていうなら、教えてよ。ねえ、成歩堂龍一」
 どうして、と、ちなみは問う。「これが“裁き”だ“罰”だって言うのなら──なんで
アンタ、巌徒海慈を殺すのを、あんなに楽しんだの?」
 楽しんだ。呆然と成歩堂がオウム返しに呟き、「違う」
「へえ、違うの?」
「違う! ぼくは真宵ちゃんのために──!」
 狂笑が、弾ける。
「ええ、ええ! 信じてあげてもよろしくてよ、“弁護士さま”?! さっきアタシに
聞かせたこと、全部そっくりそのまま綾里真宵にも伝えられたらね!」
 成歩堂の顔色が変わる。
430逆転裁判(8/8):2010/07/31(土) 00:31:56 ID:SaESJG9b
「どうしたのよ“弁護士さま”! あんなにイキイキ語ってらっしゃったじゃないの! 
巌徒海慈がどんな風に死んだか、どれだけ時間がかかったか──下手に鍛えてたから
苦しいのが長引いた、とか、どれだけみじめな末路だったかとか! クソだの小便だの
洩らしてクソみじめに死んでいったの、とか!」
「止めろ」
「アタシが、巌徒海慈と同じように、どれだけみじめに苦しんで死ぬか、」
「やめろ」
「アンタが殺すのをどれだけ楽しんだか、全部! アンタが“復讐”するために捨てた、
綾里真宵に、全部!」
「やめろおおおッ!」
 銃口が跳ねあがる。
 引き金に指がかかる。
 撃鉄が、起こされる。
 ちなみは、動けなかった。動かなかった。
 冷ややかに、嘲るように、──復讐の完遂を、祝うように。成歩堂を見て。
「“ようこそ”」
 ――彼女にとっての何度目かの、今度こその、完全な“死”の瞬間。

「“ようこそ、コッチ側へ──成歩堂龍一”」

 霊媒のチカラを持たぬが故に捨てられた女は、確かに死者の言葉を語った。


 そして、静寂。


 綾里真宵は歌を歌っていた。ヒーローものの長寿シリーズ・トノサマンの初代テーマ
ソングだ。
「へーいわーをーまもーるぞー、ぶーちーこーろーせー」
 情操教育には些か不適切な歌詞を口ずさみながら、胸に抱く赤子をあやす。その表情は
穏やかで、幸福そのものだ。だって赤ちゃんも真宵も健康そのものだし、病院のお医者
さんは右も左も分からない真宵に色々教えてくれるし、看護士さんはみんな親切だし、
春美はなにくれとなく世話を焼いてくれるし──その春美がさきほど血相を変えて病室を
飛び出したことを。真宵が赤子を抱く時は傍にいてくれる看護士が「なにも心配しなくて
いいですからね」と言い残してやはり病室を出たことを。真宵はもう覚えていない。
「あ」
 赤子がまばたきしたような気がして、真宵は目を凝らす。この子はなかなか目を開けて
くれなくて、目玉が溶けてしまうんじゃないかと──お医者さんには笑われたが、真宵は
気が気じゃなかったのだ。
 真宵は微笑む。
 幸せそうに。母性に満ちて。
「だいじょうぶだよ」
 ――その言葉は、誰に対してか。胸に抱く吾子にか。病室のドアの向こうで半狂乱に
なって叫ぶ春美にか──やめて。やめて。もう真宵さまからなにもとっていかないで──
それとも。これから目にするモノを予見する、綾里真宵の、最後のカケラにか。
 ドアが開く。
 赤子の目が開く。
 真宵は微笑む。
「大丈夫」

 ――“なるほどくん”は、最後にはいつだって助けに来てくれるんだから!
431名無しさん@ピンキー:2010/07/31(土) 00:33:20 ID:SaESJG9b
投下終了。480kb越えたのでスレ立て挑戦してきます
432名無しさん@ピンキー:2010/07/31(土) 00:38:56 ID:SaESJG9b
433名無しさん@ピンキー
才能がもったいない