ここにいるぞお
ここにもいるお
何か栄養分欲しいな
白鳥隆士が鳴滝荘に帰ると、廊下に水無月まひるがボーッと立っていた。
その近くにはメイドのタチバナが姿勢正しく立っている。
「あの、どうかしたんですか? 朝美ちゃんに用なのかな」
肩下げ鞄に片手を添えながら、尋ねてみる。
くるりと振り返った無表情の二人にちょっとビクッとする白鳥。
それに構わず、まひるがポツリと言葉を零す。
「……その予定だったが、朝美も姉様もいない」
「どうやら外出されているようです」
ボーっとした感じの無表情のまひる。
キリッとした感じの無表情のタチバナ。
二人に口々に言われた白鳥は、ちょっと言葉が返せない。
無表情の人の相手って難しいな、と思っていると。
「……残念だが、出直すとする」
「……朝美様と沙夜子様によろしくお伝えください」
淡々と告げるまひると、ぺこりと頭を下げるタチバナ。
しかしまひるは、タチバナの言葉を聞いて身体の向きを変える。
「無用だ」
「ですが」
「無用だ」
「……そうですか。ではそのようにお願いします」
再び白鳥に向き直り頭を下げるタチバナ。白鳥も慌てて返礼する。
すたすたと狭い廊下を歩き始めた二人は、避けた白鳥の横を通っていく。
二人が通り過ぎた頃、ようやく白鳥は相手のペースから復帰した。
「あの」
少し勇気を振り絞るような声色で、声をかける。
「二人はすぐ帰ってくるかも知れないし、もう少し待ってみてもいいんじゃないかな」
二人の足がピタリと止まった。ソックスとタイツに包まれた足が同時に踵を返す。
「迷惑をかけることになる」
「そんなことないよ。朝美ちゃんの友達なら、僕も友達になりたいし」
「……お嬢様、ここはご好意に甘えては」
白鳥の言葉に少し反応し、タチバナが言葉を添える。
少し考えたような沈黙が続いたあと、まひるは淡々と告げた。
「そうか。では世話になる」
☆
引き止めてみたものの、白鳥は困っていた。鳴滝荘の面々は全員出払っていたのだ。
大家さんのテリトリーで共用スペースの台所は、勝手に使うのが憚られる。
それに、無表情な二人と向かい合って座ると面接みたいな空気になりそうで怖かった。
少し迷った後、白鳥は二人を自分の部屋に案内することにした。
「ここなら、朝美ちゃんたちが必ず前を通る場所だから。どうぞ」
そう言って、主に赤坂早紀の吶喊によってくたびれた扉を開き、半身になって二人を招く。
ただいまーっと、と改めて言う白鳥の後ろで、二人はまだ棒立ちになっていた。
「タチバナ」
「はい」
「男の部屋に招かれてしまったな」
「はい」
「初めてのことだ。少し戸惑っている」
「私もです。お嬢様」
まひるとタチバナ、無表情の二人が、無表情のまま淡々と言葉の応酬をする。
部屋が片付いたままなことに安堵した白鳥は(たまに桃乃がいたり散らかしたりする)、
二人がまだ扉の前で立ち止まっていることを知って、鞄を下ろしながら小首を傾げた。
「不思議に思っているようだ」
「そうですね」
「どう思う」
「朝美お嬢様の御友人ですし、信頼してよろしいかと」
「ふむ……」
片や無表情とはいえ、年齢的には思春期な中学二年生の女の子。
片や無表情とはいえ、心の奥にはピュアな部分を残しているメイドさん。
無表情の中に潜む二人の困惑はいかばかりか、白鳥にわかるはずもない。
「それに朝美お嬢様も大変懐かれているようです」
「朝美はみんなに優しい。だが、そうだな」
軽く瞑目し、まひるが白鳥の部屋に入る。
それに続いて、タチバナも部屋に入ってきた。
立ち止まっていたかと思うと、急に動き出してきた二人に、ついビックリしてしまう。
まるで一時停止していたビデオの映像が何もしないのに急に動き出したかのようだった。
ともあれ部屋に入ってくれた以上、白鳥は落ち着いてもてなしをはじめる。
勝手知ったる自分の部屋だったし、この部屋への来客の頻度がかなり高かったこともある。
自分の部屋に来た来客への応対は、それなりに手馴れていた。
「それじゃあ、適当に座ってて。お茶を淹れてくるから」
何も乗っていないテーブルを軽く手で示すと、白鳥は台所に向かおうとした。
それを、タチバナがスッと押し留めるように手を上げて制する。
「お茶の用意は私が。お二人はここでお待ちください」
「でも、ええと、僕がお招きしてるんですし」
「お気遣いありがとうございます。ですがここは私にお任せください」
水を打つようにピシャリと言われると、それ以上反論する気にはなれなかった。
部屋に入って早々、部屋を出ることになったタチバナがまひるに頭を下げる。
「ではお嬢様、失礼いたします」
「うむ」
まひるが短く答えると、タチバナは扉から歩いて出て――いかなくて、その場でシュッと消えた。
突然のイリュージョンに目を丸くした白鳥だが、まひるが立ったままなのに気付いて立ち直る。
自分がまだ立っていることが原因だと思った白鳥は、畳の上に座りながら相手に着席を促した。
「それじゃ、改めて。座って座って」
「……ああ。そうさせてもらう」
座布団がないため座る場所がわからなかったが、まひるはとりあえずテーブルの前に座る。
テーブルを挟んだ部屋の扉側にまひるが、奥側に白鳥が着席し、向かい合う。
そして、とたんに沈黙が訪れた。
☆
まいったなぁ。一体何を話そう。白鳥は突然つまずいた。
自分のテリトリー内なので落ち着いてはいるが、どうすればいいか考え付かない。
お茶の準備をしながら考える予定だったのだが、それはメイドさんに覆されてしまった。
とりあえず、時間稼ぎをすることにする。
「ちょっとゴメンね。鞄の整理だけさせて」
「うむ」
コクリと肯くまひるに安心すると、白鳥は持ち帰った鞄を整理しながら、考えを巡らせた。
まひるは少し白鳥の動きを目で追っていたが、特に珍しい動きがあるわけでもない。
興味が尽きると、視線を部屋に泳がせた。
あまりモノが無い部屋のなかで、立てかけられた大きなスケッチブックが目に付く。
「絵を描くのか」
ぽつりと言った言葉に、あれこれ考えていた白鳥は気付くのが遅れた。
軽くスケッチブックへ視線を向けるまひるに、ようやく問いかけの内容を理解する。
「えっと……? ああ、うん。美術っていうか、デザインの専門学校に通ってるんだ」
まひるは彫刻家の父親を持ち、芸術の都に留学していた経験もある。
朝美の近くに僅かでも芸術があることに親近感を感じ、まひるは白鳥の絵に興味を示した。
「見てもいいか」
「えっと、うん。どうぞ」
まだ短い付き合いの相手、それも常時無表情な少女を相手にし、少し恥ずかしい気持ちになる。
けれど芸術は他人の目に触れてはじめて意味を持つもの。絵本も同じだと思い、要求を受け入れる。
まひるがスケッチブックを開くと、そこには慣れ親しんだ絵画とは違う種類の絵が描かれていた。
静かな部屋の中に、パラ……パラ……とスケッチブックをめくる音が断続的に響く。
無表情なまひるの目に自分の絵が晒されている白鳥は、沈黙にあてられて緊張していった。
ノックの音が響き、タチバナが紅茶を二人分、白鳥とまひるの前に丁寧に置く。
タチバナが自分の分の紅茶を用意していなかったことに気付き、白鳥が声をかけようとする。
だが開かれた口は、タチバナがまひるにかけた言葉によって動きを止めた。
「お嬢様、それは?」
「シラトリが書いた絵だ。見させて貰っている」
「これは……。お嬢様、最初からお願いできますか」
「もう見た」
「お嬢様」
「わかった」
「では白鳥様、私も拝見させていただきます」
「は、はい。どうぞ」
少しキリッとした感じが増したタチバナが言い、まひるがページを最初まで戻す。
そして無表情の二人の前で、また一枚一枚めくられていくページ。観客が倍になった。緊張も。
静かな部屋の中に、パラ……パラ……とスケッチブックをめくる音が断続的に響く。
口の中がカラカラになった白鳥は、上品な香気が漂う紅茶を少しずつ消費しながら水分を補った。
「あ、美味しい」
白鳥がぽつりと感想を言ってみたが無反応だった。観賞に集中しているせいだろうが少し寂しい。
朝美どころか誰も帰って来ない鳴滝荘の一室で、ようやく永遠に続くかと思われた時間が終わる。
まひるはパタンとスケッチブックを閉じると、少し吟味するように瞑目してから感想を述べた。
「随分とディフォルメされている絵柄だな。こういった絵柄はあまり馴染みがない」
海外に留学して芸術の本場の名所名跡美術館巡りをした芸術家の娘であるまひる。
彼女には絵本用にディフォルメされた白鳥の絵柄は、かなり独創的なモノとして捕らえられた。
中には人物のスケッチなど、慣れ親しんだ種類の絵も幾つかはあったのだが、主題ではないらしい。
「僕は、その、絵本作家になるのが夢なんだ」
「日本のコミックなどに少し近いですね。お嬢様は海外生活が長かったため馴染みがないのでしょう」
タチバナの注釈に、白鳥はなるほどと思う。
そして随分と目が肥えた人に見せてしまったと知って、気恥ずかしい思いが増した。
「そうか。それでは評価するのは難しいが……温かい絵だ。嫌いじゃない」
「大変よろしいと思います」
相変わらずの無表情だが、読んだ感想は二人ともポジティブな内容で、白鳥がびっくりする。
まひるには絵の持つ優しげな雰囲気が、タチバナには絵柄の可愛らしさが好感に繋がっていた。
「ありがとう。嬉しいよ」
慣れない相手からの意外な賛辞に、赤面して照れてしまう白鳥。
そんな仕草をする乙女座の少年は童顔も手伝ってやたら幼く見えてしまう。
恥ずかしさを誤魔化すために紅茶に手をつけると、残り少なかった器がカラになった。
ソーサーに戻すと、タチバナがスッと音も無く動いてティーポットから紅茶を注ぐ。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
白鳥の感謝の言葉に、軽く会釈で返すタチバナ。
畳敷きの部屋でメイドさんが膝立ちになって注ぐ紅茶というのも珍しい。
温かいうちに一口飲んだ白鳥は、改めて感想を言うことにした。
「とっても美味しいです」
「ありがとうございます」
キリッとしたままで再び会釈をするタチバナ。
紅茶の腕を褒められることなど、当然のことなのかもしれない。
そんなことを考えていた白鳥は、ふと思い出したことがあった。
「タチバナさんの分はないんですか?」
「私は結構です。メイドですので」
「でも、今は僕の部屋のお客さんなわけですし」
「お気遣いだけで充分です」
水を打つような冷徹さで告げられた言葉に、白鳥が口をつぐむ。
二人の様子を見ていたまひるは、横から口を挟むことにした。
「タチバナ。自分の分も用意しろ」
「……は」
「私たちは客だ。シラトリの言い分は正しい」
「……わかりました。では、ついでに紅茶を取り替えて参ります。お注ぎ致しますか?」
「うむ」
短く答えたまひるのカップに紅茶を注ぎ足し、タチバナがシュッと消える。
その余韻が部屋から消えると、笑顔を浮かべた白鳥が口を開いた。
「ありがとう、まひるちゃん」
「礼は不要だ。シラトリの言い分は正しい」
紅茶に口を付けながら、まひるは思った。久々に優しい時間を過ごしていると。
学校では級友たちに上手く馴染めず、遊び相手といえば朝美たちくらいしかいない。
そんなまひるにとって、他者とこれだけ長く穏やかな時間を過ごすのは珍しいことだった。
シラトリか。改めて、名前を心の中に刻みこむ。
音を立てずにティーカップをソーサーに戻す。
まひるにとって当たり前のその仕草は、白鳥にはひどく上品なものに見えた。
そういえば、まひるちゃんってお金持ちの家のお嬢様なんだったっけ、と思い出す。
すると、白鳥の中に眠る作家魂が少しずつ刺激されてきた。
絵本や物語に、お姫様やお嬢様はつきもの。
まひるちゃんの雰囲気を少しでも描き取れれば、プラスになるかもしれない。
そう思った白鳥は、思ったままを口に出す。
「ねえ、まひるちゃん。デッサンのモデルになってもらっていいかな」
少しだけ、まひるの瞳が大きく開かれた気がした。
ちょっとビックリした様子のまひるが問い返す。
「急だな。どうした、シラトリ」
「うん。なんだか仕草がお嬢様って感じだったから。身近にそういう人がいないし、
スケッチできたら何かプラスになるような気がしたんだ。お願いできないかな」
どこか正気を疑うようなまひるの言葉に、白鳥が説明する。
それを聞いたまひるは、少し考えて、首をひねった。
「姉様がいる」
「沙夜子さんとも少し雰囲気が違うって言うか……ダメかな?」
唐突なお願いをしてしまったことに気付いて、白鳥が苦笑しながら尋ねる。
再びまひるは少し考え、相変わらずの無表情で淡々と口を開いた。
「ダメということはないが……問題がある」
「えっと、どんな?」
白鳥の追求に、まひるは思い出す。白鳥が描いていたスケッチ。
そこに描かれたキャラクターやモデルの人物は、決まって――
「私は笑顔を作れない。モデルには相応しくないように思う」
優しい絵には、優しい笑顔が似合っていた。
そのため、笑顔をうまく作れないまひるは申し出を断っていた。
まひるが少しだけ感じている劣等感が刺激され、小さな声で呟く。
「私も朝美のように笑えればいいのだがな……」
軽いため息混じりの消え入りそうな声。
それを白鳥は穏やかな声で掬いあげた。
「……まひるちゃんは、朝美ちゃんの笑顔、好き?」
「ああ」
「僕も好きだよ。見てるこっちが元気になるような明るい笑顔だよね」
まひるの竹を割ったような即答に、白鳥も笑顔を返す。
その笑顔は、朝美のものとはまた違う穏やかな雰囲気を湛えていた。
やはり笑顔とはいいものだ。まひるがぽつりと心の中で思う。
「それで、デッサンモデルのことだけど、笑顔を作れなくても全然構わないよ。
必要があれば、こっちでアレンジできるから。改めて、モデルお願いできないかな」
自分の分のティーカップと中身を新しくしたティーポットを持って、タチバナが戻ってくる。
白鳥のことを無表情に見つめていたまひるは、少し考えてから首を縦に振った。
「わかった。では朝美が来るまでモデルになろう」
静かに佇むように座り、じっと動かないまひる。
スケッチブックを開き、真剣な瞳で描画に勤しむ白鳥。
張り詰めた静寂が支配する和室の中に、黒炭の滑る音だけが響く。
それは絵本作家の卵が行うスケッチであっても、芸術の雰囲気を漂わせる静寂だった。
静寂が包む和室の中、キリッと正座したメイドさんがティーカップに口をつける。
せっかく自分の分の紅茶も用意したのに、紅茶を飲むのはタチバナだけになっていた。
内心少し残念に思いながら、相変わらずの硬質の無表情で白鳥とまひるを見つめる。
白鳥とまひる。どちらも真剣に、画家とモデルを勤めている。
いつものどかな鳴滝荘の中で行うには少し変わった光景だったが、不快感はない。
新しい芸術が産まれていく時の静寂は、水無月家で慣れ親しんだものだった。
はじめて見る組み合わせの二人が作り出している静寂。
それを観察し、吟味し、味わうようにして、タチバナは静かにティーカップを傾けた。
「ただいまーー!!」
「ただいま……」
デッサンを開始してから、どれくらいがたっただろうか。
タチバナが二杯目の紅茶を半分ほど飲んだ頃、元気な声が響いてきた。
その声に反応して、まひるの身体がピクンと跳ねる。
その様子を見て、白鳥も手を止めた。
「帰って来たみたいだね。ありがとう。もう大丈夫だから」
「途中じゃないのか」
「だいたい描けてるし、残りは思い出しながらでも描けるから」
「そうか。タチバナ」
少しだけそわそわした感じで、まひるが立ち上がる。
それに従ったメイドさんは、白鳥の方を向いてペコリと頭を下げる。
「はい。白鳥様。紅茶はご挨拶を済ませたら片付けますので」
「あ、はい。わかりました。紅茶美味しかったです。ご馳走様でした」
答えながら、白鳥も立ち上がる。折角なのでお出迎えをしようと思った。
ぞろぞろと三人で部屋を後にすると、玄関から続く廊下で黒崎親子と鉢合わせる。
「あー、まひるちゃんだー! タチバナさんも!」
「お帰りなさいませ。朝美様、沙夜子様」
「朝美、遊ぶ」
「おかえり、朝美ちゃん、沙夜子さん」
珍しい組み合わせでの出迎えに、手を口に当ててビックリする朝美。
ぼーっとしたままの沙夜子は、その隣で「ごはん……」と呟いている。
「ごめんね、えっと、待たせちゃった?」
「気にしない。こっちが勝手に来た」
てててっと小走りに駆けてくる朝美に、少し照れながらまひるが答える。
マフラーで口元を隠した友達に、朝美はホッとして笑顔を返した。
「良かったー! それじゃあ、これから遊ぼ? 何して遊ぼっか」
「前みたいにボールで遊ぶ」
「わかったよ。中庭だから、あんまり強く投げないようにしようね」
朝美とまひるの二人が仲良く廊下を歩き去り、タチバナがペコリと一礼してそれに続く。
手を振って二人を送り出した白鳥は、涙目でおんぶをせがむ沙夜子に困り顔で苦笑した。
結局おんぶさせられることになった白鳥が、ため息をつきながら部屋に戻る。
すると既に紅茶セットは綺麗に片付けられていた。テーブルも拭かれて綺麗になっている。
タチバナの手際に驚いた白鳥は、気を取り直して座り、描き途中のスケッチブックを開いた。
まだ夕焼けには遠い青空の下、大きなボールが宙を舞う。
一度弾んだボールを両手でキャッチした朝美は、まひるに尋ねた。
「まひるちゃん、待ってるあいだ退屈じゃなかったー?」
「いや。そんなことはない」
朝美が投げ返したボールが、一度弾んでまひるに帰ってくる。
メイドたちと違ってちゃんとボール遊びになることが、まひるには嬉しかった。
「シラトリの絵を見ていた」
「あー、おにーちゃんの絵を見せてもらってたんだー」
お喋りをしながらの単調なボール遊びが、まひるにはとても楽しい。
いつもにこにこの朝美も、楽しそうにボールを投げ返す。
「それと、絵のモデルをしていた」
「わー! まひるちゃんの絵かー! 見たいなぁ、まひるちゃん綺麗だもん」
「そんなことない」
短く答えたまひるがボールを投げ返そうと腕を振り上げたとき、玄関から声が響く。
「たっだいまー!!」
「帰ったぜーい」
桃乃の灰原の帰宅の声に、朝美が声のほうを振り返った。
それと同時に、まひるが放ったボールが宙を舞う。
「おかえりなさーい!! んにっ!!」
地面で一回跳ねたボールは、下から朝美の横顔に当たる。
威力は全然無かったが、ボールに押された小柄な身体はこてんと倒れてしまった。
「! 朝美、大丈夫か」
「あはは、失敗失敗」
珍しく慌てて掻けてきたまひるに、朝美が笑顔を返した。
「すまない。止められなかった」
「私の不注意だよー。よそ見しちゃダメだよね」
まひるの手を取って立ち上がり、パタパタと汚れをはたく。
中庭に面した場所まで歩いてきた桃乃と灰原も、朝美の転倒に気付いて声をかけてきた。
「うおお、朝美、大丈夫かー?」
「どっか怪我してない? 梢ちゃんに救急箱用意して貰う?」
流星ジョニーがピコピコと曖昧に慌て、桃乃が的確な質問を伴った心配をする。
まひるも真剣に自分を見つめてくる中で、朝美は慌てて元気ぶりをアピールした。
「全然大丈夫だよ。しりもちついちゃっただけだもん」
「本当に大丈夫か? 我慢してないか?」
「うんっ。ほら、どこも擦りむいたりしてないでしょ?」
朝美の様子にみんな安心し、まひるに挨拶してから灰原と桃乃がそれぞれの部屋に戻っていく。
結局ボール遊びはそれをきっかけに中断し、朝美と沙夜子が暮らす部屋に向かうことになった。
「ただいまー」
「ただいまですー」
ガラガラとスライド式の扉を開き、買い物袋を提げた梢と珠美が帰宅する。
それを出迎えたのは、キッチンで作業をしていたタチバナだった。
「おかえりなさいませ」
「あ、タチバナさん。いらっしゃい」
「鳴滝荘の前にあんなデッカイ車止めるなですー」
「た、珠美ちゃん……」
ぷんすか怒る珠美を、どこ吹く風で受け流すタチバナ。
困り顔で取り成す梢に、ぶーぶー言いながら珠美が矛を収める。
梢は苦笑すると、改めてタチバナに尋ねた。
「何かお探しですか?」
「いえ、お嬢様方に冷たいお飲み物を用意するところです。少々冷蔵庫を間借り致しました」
「でしたらコップが必要ですね。あと氷も。プリンと水羊羹買ってきましたから、用意しますね」
「それでしたら、沙夜子様には熱い緑茶をお出ししましょう」
買い物袋を下ろし、タチバナを手伝う梢。
ずっと自分が使っていたテリトリーだけあって、その手際はタチバナにも劣らない。
準備を済ませたタチバナがキッチンを後にすると、珠美が甘えた声を出した。
「私たちも晩御飯の用意の前にお茶するです〜。たい焼きも買ってきたことですし〜」
「うん。もうちょっと待ってね。白鳥さんにもたい焼きとお茶を届けてくるから」
「わかりましたです〜。梢ちゃんのお茶を用意して待ってますです〜」
内心渋々だが、珠美はさりげなく早く帰ってくるように促して、笑顔で梢を送り出した。
朝美と沙夜子とまひるがお茶をしている縁側の手前、白鳥の部屋の前に梢が立つ。
たい焼きと緑茶が乗った盆を片腕で下から支えると、コンコンとノックをした。
「白鳥さん」
「……………………はーい」
少し愛嬌のある声で呼びかけると、しばらく沈黙が続いてから返事が返ってくる。
扉をそっと開けると、部屋の奥で白鳥がスケッチブックに向かっていた。
差し入れを良くする梢は、白鳥が作業中に部屋に入ることも多い。
いつものように静かに部屋に入ると、そっとお茶とたい焼きをテーブルの上に乗せた。
「……学校の宿題をなさってるんですか?」
「ん……ううん。今日は違うんだ」
珍しく梢を見ずに答える白鳥。随分と集中しているらしい。
邪魔をしてはいけないと思った梢が腰を浮かそうとすると、不意に声をかけられた。
「あ、待って、梢ちゃん」
「え、あ、はい」
すとんと膝を畳につく制服の上にエプロンをつけた梢を、白鳥がじっと見つめる。
いつもと違う観察するような視線を受けた梢は、思わずお盆を身体を隠すように抱えた。
白鳥は少し考えこむような表情で、じーーっと梢を観察した後、ハッとして表情を改める。
「あ、ゴメンね梢ちゃん。もういいよ。お茶とたい焼き、ありがとう。後で食べるね」
「そんな、どういたしまして。それじゃ、夕食の準備ができたらお呼びしますね」
「うん。ありがとう。それまでにはこっちも終わってると思うから」
恐縮して手を振る梢が、ぱたぱたと足早に部屋を後にする。
それを手を振りながら笑顔で見送ると、白鳥は真剣な表情に戻って作業に没頭した。
白鳥が作業を終えたのは、用意された熱々のお茶が人肌程度に冷えた頃だった。
腕を突っ張るようにスケッチブックを身体から離して広げ、全体を改めて見改める。
少し角度を変えたりして観察した後、白鳥は満足した笑顔を浮かべた。
「せっかく熱いお茶持ってきてくれたのに、悪いことしちゃったかな」
しんなりしたぬるいたい焼きを一口食べ、これまたぬるい緑茶で流しこむ。
いざ食べ物を入れてみると、自分がお腹がすいていたことに気付かされた。
空きっ腹に、たい焼きの容赦ない甘味がよく響く。
ただ、晩御飯も近いだろうからと考え、残りは食べずに置いておくことにした。
内職のダンボールがひしめく部屋に、お茶とお菓子の匂いが甘く漂っている。
ボール遊びで身体を温めた朝美とまひるはジュースを、沙夜子は温かいお茶を飲んでいる。
タチバナもそこに加わり、四人の女性がひしめいていた。
「そっかー、今日は一緒にご飯食べられないんだ……」
「すまない朝美。今日は家で食べる約束があるんだ」
「ううん。仕方ないよ。おじーちゃんと夕ちゃんさんによろしくね」
「わかった。伝えておく。今度は朝美と姉様も一緒にウチでご飯食べる」
「うんっ」
名残惜しそうな朝美だったが、まひると約束を交わすと笑顔になる。
帰宅と見送り。全員で部屋を後にすると、扉を閉ざすと同時に白鳥の部屋の扉が開いた。
スケッチブック片手に姿を現した童顔の青年は、黒崎家御一行を見て表情を緩める。
「良かった」
にこっと笑い、白い靴下を履いた足でスタスタとまひるの前に行く。
真っ直ぐに自分を見上げてくる無感動な瞳に、白鳥は物怖じすることなく微笑んだ。
「絵が描けたんだ。せっかくだから、見てもらおうと思って」
「それって、まひるちゃんがモデルの? 見たい見たい!」
「見たい見たい」
白鳥の言葉に真っ先に朝美が興味を示し、沙夜子がぼーっとした口調でそれに続く。
絵のモデルになったことが多いため、まひるは特に恥ずかしがることはなかった。
密かに興味を寄せてるタチバナが見守るなか、スケッチブックが開かれる。
そこには、上品に座る水無月まひるの姿が描かれていた。
「わー、すごーい! 白鳥おにーちゃん絵上手〜! まひるちゃん綺麗〜!」
目を丸くしてベタ褒めする朝美、じっと絵を見つめるタチバナ。
沙夜子は一人、くんくんと白鳥の口元を嗅いで、ふらふらと白鳥の部屋の中に消えていく。
きょとんとした白鳥が視線を戻すと、まひるが穴が開きかねないほどにじっと絵をみつめていた。
「シラトリ、これ」
絵から視線を逸らさずに、まひるが呟くように尋ねる。
その絵に描かれていたのは、自分が知らない自分だった。
背筋を伸ばして姿勢良く座り、品のある薄い微笑みを浮かべている姿。
その表情はまるで
「なんだか、少しお母さんみたいだね〜」
朝美を見守るときのまひるの姉、黒崎沙夜子の浮かべる微笑みのようだった。
先ほど、差し入れに来た梢を観察したりして、みんなの笑顔を思い出していた白鳥は、
朝美が感想を抱いたとおり、沙夜子の笑顔をモチーフにしてまひるの笑顔を描いていた。
描いた白鳥も納得のいくハマり具合で、やはり二人はお嬢様で、姉妹なんだな、と思わされた。
白鳥は笑顔になれないことにコンプレックスを感じていたまひるの言葉を聞いて、
少しでも参考になればと、絵の中のまひるを笑顔にさせていた。
朝美のような天真爛漫な笑顔とは違ったが、それでも少しでも力になれればいいと思う。
「…………」
薄い、しかし温かみのある笑みを浮かべている絵の自分を、まひるが指でなぞる。
見ていて嬉しい気持ちになる朝美や、その他の面々とは違った笑みだが、嫌ではなかった。
また、疎遠だった姉との繋がりを感じられることも嬉しい。
沙夜子が時折朝美に向ける笑顔に、まひるは時の流れの隔たりと、羨ましさを感じていた。
その垣根を少しでも飛び越えられたような気持ちを、この絵を見ていると抱くことが出来る。
いつかこんな笑顔を浮かべられたらいい。そう、素直に思うことができた。
「……いい絵ですね。お嬢様」
「タチバナ。……ああ、そうだな」
「よかった」
絵を見ながら交わしあう二人の感想に、白鳥が笑顔を浮かべる。
よほど会心の出来だったのだろう。その笑顔はどこか自信を感じさせた。
「シラトリ。この絵が欲しい。譲ってくれないか」
「うん。いいよ。切り取るから待っててね」
「大丈夫だ。タチバナ」
「はっ」
ピッと小さな音がして、ぱらりとスケッチブックから一枚の紙が離れる。
ナイフで綺麗に切り離された断面は、そのまま額縁に収められそうなほど精密なものだった。
相変わらずの凄腕メイドさんのトンデモスキルに白鳥が冷や汗をかきながら苦笑する。
「確かに受け取った。感謝する。朝美、また遊ぼう」
「うん! 約束だよ、まひるちゃん!」
貰った絵を折り曲げずに持つまひるに、朝美が元気に別れの挨拶をする。
ここまで元気に送り出されると、別れの寂しさよりも次ぎに会う楽しみが勝ってくるから不思議だった。
リムジンのシートに座りながら、やっぱり朝美はいい笑顔をする、とまひるは思う。
そしてチラリと絵を見て、朝美と同じ笑顔が浮かべられなくても落ちこむ必要はないのだと思った。
水無月家の大きな屋敷の中、夕食後の団欒の席で、まひるは白鳥に貰った絵を家族に見せた。
無表情な中にも少し嬉しげな娘の様子に、丑三と夕も笑顔を浮かべる。
丑三は高名な画家に肖像画を描かせようと、少々空気を読まない発言をして杖を足の甲に受けたりした。
それでも成長の記録は残したいらしく、夕も朝美と一緒に、と言いながら誘いの言葉をかける。
朝美と一緒ならとまひるは少し乗り気になったが、同じくらい白鳥にも描いて欲しいと思っていた。
一緒にモデルになれずとも、白鳥の描いた朝美や沙夜子の絵と、自分が描かれた絵を並べてみたいと思う。
「温かみのある、いい絵ですね、まひるさん」
にこにこと笑顔を浮かべる年齢不詳の若さを保つ母に、まひるはコクリと頷く。
じっと絵を見つめるその横顔を眺めていた夕は、その表情の変化に瞳を丸くし、微笑んだ。
まるで絵に描かれた表情を映したように、まひるが小さな小さな微笑みを浮かべていたのだ。
「あらあら、今日はお赤飯にするべきだったかもしれませんね〜」
「!? なにを言ってるんだ夕ちゃん! ええいタチバナ説明しろ!!」
クスクス笑う夕の大袈裟な言葉に、敏感に反応した丑三が慌てふためいて声を張り上げる。
それを眺めるまひるの顔はいつもの無表情だったが、内面には小さな変化が訪れていた、のかもしれない。おしまい。
以上です。ありがとうございました。
連投規制引っかかるの怖くて前書きなしですみません。
ずっと昔に書いてたの掘り起こして纏めてみました。
保守みたいなものということで。まひる可愛いよまひる。ノシ
まひるちゃんの可愛さに萌え死んだ
久しぶり投下来たああああああ マジで乙!
久しぶりの投下GJ!
ぬくぬくしたいい雰囲気でした!
やっぱいいなぁ・・・
ほしゅ
保守
815 :
名無しさん@ピンキー:2010/06/06(日) 14:12:13 ID:JHSk09YV
このスレは残すべき
久々の投下堪能したぜありがとさん
保守
ほ
保守
hosyuxtu
自分以外に保守してくれる人がいるとなんか安心する
822 :
名無しさん@ピンキー:2010/09/03(金) 16:30:44 ID:GCZncceY
みっちゃん
新作のネタが思いつかない
保守
825 :
名無しさん@ピンキー:2010/10/02(土) 19:08:53 ID:Z2r/zlXw
わ
826 :
名無しさん@ピンキー:2010/10/03(日) 18:19:52 ID:Y8//aMJK
エロール翼は現役○学生みっちゃんに手を出したのだろうか
ベッドで脱がしたあたりでみっちゃんが気絶してしまうに400アスモデ
気絶したみっちゃんを美味しくいただきますた
エロールはその辺案外と紳士だと思う。彼女が二十歳になるまでプラトニック貫きます、みたいな。
逆にやっちゃったのが隆士たん。
>>829 そういや、あのエピローグって本編の何年後なんだろう?
>>830 まひるが14から19歳になってるから5年後?
>>831 5年後だとするとあの四つ子はたぶん3〜4歳だろうから、梢が18〜19歳で産んだ計算に……。
うん、やっちまったんだろうね、隆士ちゃん。
なぜか梢ぽんよりちんこ立たせてはずかしそうに股間を抑えてる隆士たんの方が可愛く見える
隆士たんのボデーはふにふにすべすべ男の娘してるんだろうな。
隆子×梢
早紀以外どんな組み合わせでも隆士は受け
異論は認めない
早紀ちゃんは受けだと思う。
普段気丈な分えっちの時は隆ちゃんにかわいがられてとろけまくり。
>>836-837 お前ら本当によく分かってるな
しかしなぜ最近こんなによく伸びてるんだこのスレはw
>>832 きっとその場のノリでやっちゃって以来、毎晩梢ちゃんがお願いするからつい・・・で気がついたら妊娠、ってパターンだと思う。
梢ちゃんはああ見えてえっちに対しては積極的だと思う。
>>839 でもパンツ見られたくらいで気絶しちゃうんだぜ
>>840 チュウしたり一緒に寝たりすればすぐ改善されるさ
まあ梢ちゃんは誘い受けですから
隆ちゃんをソノ気にさせるなんて朝飯前です
843 :
名無しさん@ピンキー:2010/10/20(水) 20:14:12 ID:P/btLPdM
丑三お祖父様のお年玉
844 :
名無しさん@ピンキー:2010/10/21(木) 15:43:00 ID:71Z0GJOU
朝美は間違いなく貯金するだろう
お年玉ってレベルじゃない金額→朝美遠慮する→せめてほしいものは→
お母さんに水ようかん→朝美にプリン…あと水ようかん
一方梢は梅干水羊羹と梅干プリンを手作りして待ってます
的な展開を妄想…