ゆるゆると、いつもより私は少しだけまどろみながら、朝の訪れを知りました。
「……」
まだまだ人の声がする時間とは程遠い、朝日がわずかに差し込んでくる時間帯。
この時間帯にきっちりと起きることは、私の日課のようなものです。
……もっとも、昨日は色々と所用があったせいで今日は少し遅れてしまったのですが。
他の事にまで気を回して、騎士の本分を忘れるような事があってはそれこそ大問題です。
気をつけなくては。
「……ん……あう……」
隣でくうくうと眠る姫様を起こさないようにと、最大限注意を払ってベッドから足を降ろし、立ち上がる。
ちらりと振り返るといつもと全く変わらず、口をほんの少し開いて無邪気な顔で眠る姫様が目につきました。
――やっ……ぁん、あうぅっ……! と、とる……ひゃうううっ!!
「――っ!」
その顔を見た瞬間に、昨日の光景がフラッシュバックして、思わず私は頭を振ります。
ふう、と息を吐いて、誰も見ている人などいないのに私は平静を装うように、椅子に腰掛けて水を注ぐ。
こんな事ではいけません。
何よりもまず、私は姫様の騎士であるのですから。
……そう思っても、私にもあまりにも激しいものだった昨夜の記憶は、意識しないようにと思っても、
余計に私の思考に食い込んでくるのでした。
こういう事がつまり、『大人の階段をのぼる』という事なのでしょうか。
いずれこういう事が、平素から受け入れられるようになるのでしょうか。
いえ、今はとりあえず姫様のことです。
ぐるぐると頭を巡る不純な思考も、都合のいいことに姫様の事を考えると途端に静まり返ってくれます。
……恐らくは、姫様にとっても私と同じかそれ以上に、昨日のことは衝撃的だったはず。
ええ、そのはずです。
だからこそ、それに念を押しておくために、今日という日が必要なのですから。
「……さて」
思考が落ち着くと、いつの間にか飲み干していた水入れを置いて、私は立ち上がります。
今日の準備をするために。
空も幾分か白んで、朝日が完全に差し込んでくる頃。
私が大方の準備を終えて剣の手入れをしていると、後ろで気配がのろのろと動き出すのがわかりました。
一旦作業を打ち切って、後ろを振り向きます。
「お目覚めですか、姫」
「ん……おはよう、トルテ」
上半身だけ起こしながら、ごしごしと眠そうに目を擦って姫様は応えると、その場で勢いよくのびをし始めます。
ぽけっとしたその顔は、見ている方が不安になるほど惚けています。
ああ……そんなに窓に近づくと外から見えますから、不用意に近づかないでください。
「んっ……と」
私は作業に戻って没頭するフリをしながら、横目でちらちらと姫様の様子を窺います。
ひとしきり朝日を浴び終えると、きょろきょろと部屋の中を見回して、今度はぱたぱたと自分の着替えを引っ張り出してきます。。
本当ならその辺りにも口出ししたいところなのですが、さすがに妥協しました。
「……」
着替えを取って、ベッドに腰を落ち着けて――しかし、そこで姫様の動きは止まります。
内心どきどきとしながらも、私は次の動きを待ち続けます。
止まった姫様は周りをちらちらと窺ってから、後ろを向いている私に対して一言。
「トルテ。えと、その……」
「何でしょう」
「……下着、どこかな?」
来た。来ました。
内心でぐっと拳を握りながら、私は何食わぬ顔で後ろを振り返ります。
そこにはまるで「違うの、違うのよ」とでも言わんばかりの動揺した顔を見せている姫様。
まあ、昨日の事を考えれば当然のことでしょう。
こうならなかったら、姫様をのーぱんスタイリストとして本気で対処しなければなりませんでした。
「……ああ、あれですか」
本来なら、ここで下着を渡せば一件落着なのでしょう。
ですが……ですが。
私は心を捻じ切られるような痛みを感じながら、今まで生きてきた中で、恐らく最も残酷なことを口にします。
「あれなら、全て処分しました」
「……え?」
その場で凍りついたように動かなくなる姫様。
信じられない、といった風で口をぱくぱくとさせる姫様に私は思わず顔を顰めそうになりましたが、
なんとか平静を保って、平然と返します。
「昨日、所用で少し離れた時に。嫌がるものをいつまでも薦めていても、仕方ありませんので。
ああ、勿論路銀には足しておきましたので、ご心配なく」
「そ、そう」
もちろん、真っ赤な嘘です。
私が使わない知識を総動員して選んだ『女の子らしい下着』をそんな簡単に捨てられるはずがないではないですか。
しかしながら、もちろんそんな事を知らない姫様は言葉に詰まってしまいます。
私は内心の目論見を気取られないように、そして姫様に余計な事を言わせないようにと、いつも以上の鉄面皮を以って対処します。
そう、これが私の策。
昔から言うではないですか。
念には念を、鉄は熱いうちに打てと。
もし何らかの理由でまた再発したりした場合、今度はどうすればいいのか、さしもの私も分かりません。
ですから。
――姫様には誠に申し訳ありませんが、今日一日は敢えていつも通りの姿でいてもらいます。
そして、のーぱんという行為が、どれだけその御身にとって害のあることなのかを。
どれだけ恥ずかしいことなのかを。
その体に、直に刻み付けてあげるしかありません。
未熟な私では、これぐらいしか良い方法が思いつかないのです。
申し訳ありません、姫様。
「では、姫様。参りましょう」
「あ……え、えーと……」
退路はありません。
日が高く昇って、昼を過ぎる頃になると街路はいつも通りの喧騒を取り戻していた。
何もかも、いつも通り。
たった一つ、昨日とは打って変わって波風の立つ、酷くざわめき立つ人魚姫の心の中だけを除けば。
(う、ううっ……トルテの、いじわるっ)
知っているはずなのに。昨日あんな事をしたんだってこと。
いつも通りと言わんばかりの平坦な顔が、彼女にとっては酷く非情に見えた。
目覚めた時は何も感じなかったのに、服を着る時になって意識してしまった時から、その時から、
この人魚姫の見る世界は180度反転したように変わり果ててしまった。
昼下がりの街中の喧騒が、まるで彼女には別世界に迷い込んでしまったように孤独に思える。
腰の下の薄布一枚の感覚が、あまりにもか細く心もとない。
歩いていると、まるで周りにいる人間が自分のことをじろじろと見ているように感じられてしまって、
彼女は落ち着きなくちらちらと視線を走らせる。
普段は気にならない周りの会話が、どこか自分を揶揄しているように聞こえてしまって、耳が離せない。
(風……っ、風がっ……! だ、だめっ……)
捲くり上がった下半身を見られてしまうのではないかという恐怖で、背筋を冷たいものが駆け上る。
俯き気味の姿勢で、はあはあと息をつきながら、彼女は未知の感覚にただ震えるだけだった。
(昨日までは、何もなかったのに……!)
一夜の経験が彼女に、そのスカートの下に何があるのかを強烈すぎるほど刻んでしまった。
今では彼女は、そこに何があるのかを知っている。
どんな事になってしまうのかを、知っている。
それが具体的にどんな事を意味するのかを知らなくても、その場所をよく知らない誰か達の中で開放してしまうことを考えると、
それだけで左胸がばくばくと高鳴るほど、危険なまでの恥ずかしさをおぼえるのだった。
(う、ううっ……!)
風が吹き止んでも、彼女の成長途上である胸の内側を激しくかき鳴らす動悸は、壊れてしまいそうなほどの高速から、
せいぜい息苦しい程度の速さに移行したに過ぎない。
太ももの内側を撫でるような妖しい感覚が迸る錯覚が、彼女の神経を蝕んでいく。
生まれて初めて感じる、強烈な心細さ。
そして、彼女にそんな思いをもたらす、さらに大きな要因が一つ。
(トルテッ……! こんな時に、一体どこにいったの……?)
人々が行き交う中でたった一人。
無意識にスカートを押さえつけながら、エメーナは焦りと心細さと恥ずかしさと――多くの感情をないまぜにして、
何処に向かうのかも解らず、歩き続けていた。
――計画通り。
そんな事を決して思ってはいませんが、予想を外れない姫様の反応に、私は半ば安堵しながら、
いつでも飛び出せる距離を保って後を追っていきます。
これでもし平気な顔をしていたら、どうしようかと思うところでした。
私が姫様から離れることで、さらに反応は加速しているように見えます。
それはそうです、私だってそんな事していたら正気でいられるとは思えません。
普通なら姫様から決して見つからない場所にいようとすれば、それなりの距離を取らなくてはなりません。
しかし、さすがにそれはできません。
そもそも普段から、隙あらば姫様に触れようとする誰かや、下から覗き込もうとするエロガキを撃退しているのです。
いくらなんでもそこまで許容してしまうことは出来ません。
ですが。
「――お許しください」
そう小さく呟いて、私はしっかりと固定して被ったフードに手を添えます。
そう、これこそ『ルミラリンの雫』。
この世にある多くの神秘の一つである、被った者の姿を完全に消し去ってしまう妖精の秘宝。
……はっきり言って、貴重という言葉では表現できないこの秘宝をこんな事に使うなどバチ当たり以外の何物でもないのですが、
今回は事態が事態です。
何に謝っているかも定かではないまま、私はただ謝罪の言葉を添えて、姫様を巧妙に付回します。
ただこのフード、姿は消してくれても私がここにいるという事実そのものは消しようがありません。
見えないゆえにお構いなく進んでくる群集を、気を張って捌きながら、私は姫様の後を追います。
もちろん、その間に不埒者をあらゆる手段で撃退しておくのも忘れません。
ある者には足払いを掛け、またある者は腕を引いたり、亡霊の真似事をして追い返したり、財布を遠くに投げたり、
ズボンを引き摺り下ろしたり、ああ、何だか私も手段を選ばなくなってきました。
このフードは必要な時以外は使わないようにしないと、何だか段々毒されてしまいそうです。
姫様は相変わらず、その小さな体をさらに小さく縮こまらせて、ふるふると歩き続けています。
そんなに脅えると、余計周りの注目を集めることになるのですが。
とはいえ、そろそろ頃合かもしれません。
私も下手を打たないとは限りませんし、そろそろ出て行きましょう。
……そう思って足を早めようと思うと、急に質量のあるものが足元に引っかかります。
(……ん?)
不思議に思って足元を見ると、そこには私の靴にやんわりと噛み付いている、茶色い毛の犬がいました。
くいと軽く引っ張ると、ますます余計に食いついてきます。
何故こんなところでばれてしまったのかはともかく、これ以上許しているとさすがに見えない場所に噛み付いている犬の行動が不自然すぎます。
「ぐっ……!」
しかし、犬はこれで中々しぶとく、一旦振り払って距離を取っても執拗に私の足を追ってきます。
(……そうか。きっと姿が見えなくても、犬には臭いが分かるのですね)
……しかし、そんなに私は臭いでしょうか。
内心少しだけショックを受けながらも、何とか犬を振り切ろうとしますが、驚くほどの正確さで後を追ってきます。
このままでは、明らかに不自然です。
いや。……今の騒ぎで一瞬頭から離れてしまいましたが、それよりも、何よりも――
(ま……まずいっ!)
潜り抜けながら辺りを見回した私は、ようやくそこで事の重大さを理解しました。
先程まで頼りない足取りで歩いていた姫様が、どこを見回しても姿を見つけることができません。
私は内心で激しい焦りを感じながら、またもや後ろ足に引っかかる邪魔な感触を感じ、迷わず自分の靴をその場で脱ぎ捨てて、
フードを被りなおしながら走り出したのでした。
同刻。
はからずもトルテが犬に気を取られた瞬間に、人魚姫たるエメーナはどうしようもない不安に駆られて、
走り出してしまっていた。
もちろん、長く息は続かない。
彼女は見えないものから見えないどこかへと逃避した後、ぜいぜいと切れる息を整えていた。
その場所はさして元の場所と離れているとは言えなかったが、距離とはまた別の次元で、元いた彼女の場所とは遠い場所に近づいてしまっていた。
「はあッ、はぁっ……」
――即ち、表から裏へ。
複雑な入り組んだ裏路地は、明るい表の路地からは考えられないほど薄汚れていて、空気が違う。
彼女にとっては、これもまた未知の世界だった。
尤も、普段は彼女専門の妖精騎士であるトルテが、間違ってもそのような場所に行ってしまわないように、
最大限の気を使って彼女を誘導しているのだが。
しかし、そんな事は知りもしない人魚姫は、その境界線とも言える路地を踏み込んで、じりじりと裏路地へと踏み入っていくのだった。
彼女を奥に動かしているのは、人の多いところにはいたくないという彼女の羞恥心。
そして、こんな時でも残されている、彼女の好奇心である。
だが、普通の少女でも歩いているのには問題があるというのに。
歩いているのが、頬を紅潮させ、スカートを両手で押さえつけるようにして歩いてくるとびきりの美少女であるとすれば。
問題が起こってしまうのも、当然のことと言えた。
「ようお嬢ちゃん、こんなところを一人で、何やってるんだい?」
「ぇ……? あ、はい…ええ、と……」
もちろん彼女にとっては、人目を避けられる場所であればそこがどこでも構わなかった。
しかし人目を避ける為に入った場所で人に話しかけられるとは考えず、思わず彼女の声はうわずってしまう。
普段は簡単に出てくるような言葉が出てこず、おどおどとしていると、さらに後ろから長身の男が現れた。
「おい、何してるんだ?」
「ん? ……ああ、この子がちょっと、さ」
「…なるほどね」
何だろう、とエメーナはうろたえた頭の中で思案する。
普通に考えれば、親切をしてくれようと思って話しかけてくれたのかもしれない……だというのに。
(……いやな感じが、する……)
表で視線を気にしていたときは感じなかった、ねちねちと体を這い回るような執拗な視線。
彼女が今までおぼえのない、生々しい本物の恐怖があった。
(ここにいちゃ、いけないかもしれない……)
はっきりとは分からない。
分からないが、それでも何とはなしに鳴り響く警鐘に、彼女は従うことにした。
「あのっ、私、これで……!」
「ちょっと待てよ」
くるりと踵を返して走り去ろうとするエメーナの腕を、しかし最初に話しかけてきた男が掴んでしまう。
ごつごつとした力強い、それでいて薄汚れた手がしっかと握り締めて離さない。
さらには、まるで通せんぼをするように長身の男が出口――エメーナの正面の側に、まわり込んでしまっていた。
「あ、あのっ……!」
ここまで来てようやくエメーナは、はっきりとした危機感を理解した。
が、もう遅い。
ぐいぐいと引き離そうとするエメーナの体は、男がその腕を引っ張っただけで軽々と振り回され、
自ら飛び込むような形で男の胸へと落ちていく。
「何だ、自分から来てくれるのかよ? よっぽど男好きだぜ、こいつ」
「ち、違っ……んん、んっ?!」
反論しようとする可憐な唇を、さらに長身の男が両手で押さえつけてしまった。
エメーナはそのまま声を出すこともできずに、男に後ろから抱え込まれたまま、さらに奥へ奥へと引きずりこまれていく。
いくらもがいても、ぴくりとも動けない。
(や、や……っ! やぁ……っ!)
奥へと続く、昼なのに薄暗いその空間が、まるで自分を飲み込もうとする得体の知れないモノに見えて。
押さえ付けられているその状態に恐怖して、ただ彼女は知らずに涙をこぼしていた。
(――助けて。助けて、トルテ……ッ!)
思いは虚しく、ただ早鐘のように鳴る心臓に打ち消されて消えていく。
奥まで引きずりこまれると、もう邪魔がないと悟ったのか、今度は男達は彼女の体を思う存分、舐めまわすように見つめ始めた。
さらに、ごつごつとした手が次々と服越しに撫で回してくる。
彼女はただ不快感だけを感じて、その感触をやり過ごすことに専念していた。
「おい、見ろよ!」
正面にいる長身の男が声をあげる。
同時に、口を一文字に結んで耐えていただけのエメーナが、あっと一瞬声をあげることになった。
長身の男が捲りあげているのは、彼女の――。
「信じられねえ! こいつ、下に何にも穿いてねえぞ!」
「本当かよ。…何だお前、こんなエロい格好しやがって。期待してたってわけだ!」
(違う……違うっ……!!)
声に出さないまま彼女は必死に否定し、代わりのように体を動かして反応する。
しかし、まるで誘うように擦り合わせられる太ももは、いきり立った男達に対してはまるで逆効果だった。
暴れようとするが、あっさりと後ろから両手を掴まれて後ろ手に拘束されてしまう。
さらに強く、いやらしく這い回る男達の手は、とうとう彼女が身に纏う薄布も侵略し始めた。
「あ、やめっ……やめてっ……!」
「今さらおせえよ、期待してんだろ?!」
次々と押し寄せる手が、彼女の未熟な部分を次々と露にしていく。
(や、や……あ……っ)
その度に嫌悪感と、そして――彼女も未だ知らない、ほの暗い何かが湧き出すように零れてくる。
絶望的な状況の中で、暗く淀んだ麻薬のような何かが、彼女の芯をだんだんと蕩けさせていく。
その感覚すら彼女にとっては恐怖であったが、同時に縋りつくようなものは、もうそこにしか残っていなかった。
ただ、認めたくなかった。
それを認めてしまうことは、何かとてつもなく大きなものを、失ってしまうような気がして。
彼女は抵抗し続けた。しかし――
「ああ、もう我慢できねえ。俺が先でいいよな?!」
「おいおい……早すぎるだろ。もう少し、順序ってものがないか?」
「知るか!」
「はいはい、分かったよ。……じゃ、抑えとくから……頑張りな、お嬢ちゃん?」
「……っ!!」
下卑た笑いを浮かべて、長身の男が左手で自分のズボンに手を掛けながら、そろそろとエメーナのスカートを捲りあげてくる。
徐々に迫ってくる恐怖にいっそう彼女は脅えるが、後ろを抑えられてはどうしようもない。
(や、やだ……やだ、いや、イヤイヤッ……!)
思いも通じず、いよいよ男は勢いよく、そのスカートを乱暴に引き裂く――ところだった。
彼の背後から、闇を溶かすように現れた、銀色の刃物が無ければ。
「離れろ」
思わず声が硬くなります。
いつでも平静たれとは教わっているが、到底その教えは守れそうにもなかった。
集中していないと、私はいつ手首を返して切り裂いてしまうか分かりません。
二人の俗物と、一人の未熟者を。
「なっ……」
「今すぐ離れなさい。そして、帰れ」
「てめえっ……!」
今にも姫様に襲い掛かろうとしていた男が、振り返って激昂してきます。
もう少し言い方があったかもしれませんが、どうにもこうにも上手いこと思いつきません。
「ま、待て! やべえって、さすがに!」
「……くそッ……!」
後ろから姫様を押さえつけていた方の男が慌てて止めると、悪態をついて正面の男も走り去っていってしまいました。
……思わず、安堵のため息が出てきます。
寿命が縮む思いとは、このような事を言うのでしょうか。
「ぁ……あ……」
二人が闇の中に消えていくと、拘束されていた姫様がぺたんと、力が抜けたようにその場に座り込みました。
――まさか、こんな事になってしまうとは。
私の浅慮さに腹が立って、そんな事を感じるのも贅沢なんだと自分に言い聞かせます。
「姫――」
「トルテッ!!」
怒っているのかと一瞬思ってしまったほどの、大きな声。
その場で私を押し倒した姫様はしかし、その瞳に大粒の涙を溜め込んでいました。
「あぁ……う、ううっ……怖かった……怖かったよおっ……!」
「――申し訳、ありません」
それしか言う事が出来ずに、私はただ姫様の背に手を回します。
ぎゅっと頭を抱きかかえると、姫様はそのまま、嗚咽を漏らして泣き始めてしまったのでした。
――結局のところ、私の浅慮と不注意と未熟さがもたらした必然だと、言う他はありません。
どこか私もおかしかったのです。
そもそも姿を隠して一人の姫様を追おうという時点で、考えが浅はかだとしか言いようがありませんでした。
大事には至りませんでしたが、結果で物事を話すわけにはいきません。
これからは、気を抜かないようにしなくては。
「トルテ。次の街は、どんなところかなぁ?」
「どうでしょう。噂くらいはありますが、私も詳しくは」
一応甲斐あってというべきか、姫様はあれ以降、下着を穿いてくれるようになりました。
あんな経験をしてしまったのですから、当然と言えば当然なのですが。
今ではそれがずっと昔からの行為であるように、当たり前に下着を穿いてくれています。
――イマイチ私が見ると、あの時の不甲斐ない自分をその度に思い出すようで、複雑な気持ちになったりはするのですが。
まあ、私の気を引き締める意味でも、いい効果だと言えなくもありません。
とりあえず当初の目的は果たせたようで、私も一安心で太陽王国に向かうことができます。
――ただ。
この戦争、ただの異界との戦というだけではなく、想像以上に厄介なことになってしまっているようです。
今から太陽王国に向かったところで、果たして姫様の思うようにいくかどうか。
本当に、太陽王国が味方になれるかどうか。
――どちらにしても、私のやる事はただ一つ。
「じゃ、行こっか!」
「……はい」
頼りなくか細く、それでも私を救うこの姫様を、この命の続く限り守り通すことだけなのですが。
闇は夜に訪れるとは、限らない。
それをよく知ってはいても、夜以外にそういった行為をするのは未だに彼女は慣れなかった。
だから、今日も夜。寝静まった夜に、彼女は独り没頭する。
「はぁ……んっ、ふぁ……」
鮮やかな髪が、じっとりと汗ばんだ肌に吸い付く。
ふつふつと奥から湧き上がってくる、ほの暗い快感に身を委ねて、エメーナは指で自分を慰め続けた。
(……あんな、ことに、なったのに)
思い出すのは、いつでもその日のこと。
暗い世界に引きずり込まれて、絶望的な状況下で、不快感と嫌悪感が体の中を堂々巡りする、その感覚。
だというのに、彼女はそれに虜になっている。
体の奥からあふれ出してくる、背筋をぞくぞくと這い登るような快感が忘れられず、時が来るたびに思い出す。
もし、あの時。
もしあの時、下着を穿いていたりしたら、どうなっていたんだろう?
やっぱり、びりびりって引き裂かれて――
「ひぁっ……んっ……!」
軽く体中を電撃が走るようにして、エメーナはそれだけで軽い絶頂に達した。
それでも暗い欲望は止まるところを知らずに、彼女をさらに深くへ導こうとする。
彼女は自分が望むままに、指で自分の秘部を、思う存分に貪った。
自分が何をしているのかも、あまりよく分からないままに。
(止まらない……止まらないよおっ……)
彼女の問題は解決していない。
ただ、その手に持った爆弾を巧妙にすり替えられただけ。
彼女の内面を照らし出すかのような暗い明かりの中で、ただその快感に溺れ続けた。
疲れ果てて、泥のような闇に落ちてしまうまで。
〜おわり〜
次があれば多分、男×女書くと思う。誰かは未定。