女性の求めをエロカッコ良く押しとどめろ!2制止目

このエントリーをはてなブックマークに追加
399319 ◆lHiWUhvoBo
 
 「ようやく――逢えた――」

 その男は微笑んでいた。後背は濁流が氾濫する大河、前面は10万を越す敵の大軍。それでも男は、微笑んでいた。
男はただしっかりと前を見て、笑っていた。だがその対象は土煙を上げ迫る騎兵では無い。抜けるような蒼空でも無い。
眼前に広がる荒野でもない。その曇り無き黒瞳はただ――堪え切れず眼前に顕現した――『私』の姿だけを写していた。

 「相変わらず――奇麗なまま――だな」

 あの時と変わらぬ、少年のような無垢な笑みが『私』を迎える。二人きりで過ごした刻は逢瀬と呼ぶには短すぎ、
邂逅と呼ぶには長過ぎた。亡国の将軍の家系に連なるこの男は、成人した後に幾多の戦場を駆け巡り、無敗を誇る
勲しを打ち立てた。この男の向かう所に、敵う者など居なかった。なのに――今、こうして一人で死のうとしている。

 「何故、河を渡らなかったのだ、籍! まだ…刻はある。生き延びたければ…!」
 「もう、ここで良い。俺がそう、決めた」

 幼き頃のこの男の言葉を思い出す。『字なぞ己が名を書ければそれでいい! 剣など一人しか相手が出来ない!
僕は大軍を相手にする方法を学びたい! 』私はその大言壮語に腹を立てて――今思えばそれが間違いの元だ――
顕現したのだ。顕現した私に驚かなかったこの男の器は大きかった。今と同じく、怪力乱神の類と看做すでも無く、
ただ真直ぐに私の姿だけを見ていた。私の持つ剣を眼前に突き付けられて『自身の死を宣告されて』も、だ。

 「……河を渡れ、籍。生き延びて、捲土重来を目指すのだ。……ただ一度きりのこの敗北は恥では無い! 」
 「15年前に、項氏と共に滅秦の志を立て出陣した、故郷の江南の子弟を八千人も失って、か? 御免被る」
 「何故だ? 何故、頑(かたく)なに美しくあろうとする?! 戦人(いくさびと)には潔さなど薬にもなら…ンぅッ! 」

 男は音も立てず近寄り、剣を構えた私を抱き締め、私の唇を…奪った。抵抗しようと思えば出来る筈、と言う声が頭の
どこかで小さく訴えていたが無視を決め込んだ。カチカチと互いの歯が打ち鳴らされる音が、互いのその手の行為の
経験の無さを物語っていた。それでも互いの舌を貪り、甘美な唾液を味わう。 剣を持っていた腕から力が抜け、落として
しまう。まだ抱え込まれたままの空いた手を、男の背に回す。そう…私は望んでいたのだろう。男の想いを受け取る事を。
どちらともなく唇を離してしまう。透明な唾液が糸を引いてしまうのが恥ずかしい。それでも、言葉として確かめねば。

 「…皇帝の三千人の後宮に手を付けず…童貞を貫いたのは…こう言う事だった、のか…? 」
 「勇おし者よ、と自然に称えられるようになれば逢えると聞いた。その果てに『覇王』などと綽名を貰ったに過ぎん…」

 そんなものは基(もと)より要らなかった、と、どこか拗ねた子供っぽい顔が堪らない。乱戦の中、冑が脱げたのであろう。
短く刈り込まれた黒髪の頭が露出していたのでつい、撫でてしまう。…もう、手を伸ばさねば届かなくなってしまったが。 

 「もう俺は、あの時の孺子(じゅし)の籍では無い。羽と言う字(あざな)を持つ、齢三十一の大人だ。だから…」

 ガシャ、と私の腰当の留金が外され、地に堕ちた。下穿きに太く武骨な指がそっと添えられる。指が…震えていた。
無理をしおってからに…。いいだろう。未だ女を知らぬ『覇王』よ。貴様の最初にして最後の女になるのも悪くは無い。
せめて…優しくしてくれ。
400319 ◆lHiWUhvoBo :2008/05/21(水) 03:36:54 ID:ermBycHh
 
 「で、だから何だと言う…の…ムぅん! 」」

 女の甲冑を外すのは男には簡単だった。各部に装飾を尽くした豪華かつ華美な物だが、実用性に富んでいる。
留金に、皮帯を外せば双乳の形に膨らんだ胸甲が外れ、背甲も同時に落ちる。先程外した腰当に当たり、澄んだ
金属音が 荒野に響く。一枚の金属板で出来た鎧など、男は見た事など無かった。男の知っている鎧と言えば、
自らが着ている、鋼や鉄、青銅の小片に穴を空け、紐を通して編んだ板を組み合わせた、至極簡素なものだ。

 「ン…んふぅ…ン…っ」

 左手で女の柔らかな尻の感触を衣服越しに愉しみながら、今度は肩甲をそっと外して行く。抵抗は…無い。
羽飾りの付いた冑を外そうとして、男は漸(ようや)く気付いた。…外すには接吻を止めなければならない事に。
 止めたくなどは無かった。あの少年の日より恋焦がれ、『いずれは戦場にて見(まみ)える事もあろう』と
言う言葉を信じ、ただひたすら駆け抜けて来た。その言葉通り戦場で逢えた時に、言葉を交わした事もある。
しかしこうして両の腕(かいな)に抱く事は一度とて無かった。男は潔(いさぎよ)く決心して、名残惜しげに
唇を離した。 とうとう女の顎の皮紐の留金を外し、冑に手を掛けようすると、女が拒み、自身で脱いで見せた。

 「……されるがままと言うのも存外に風情が無い。どうした? どこか面妖な所でも見つけたか? 」

 艶やかな黒髪に新緑の碧眼、透き通るような白い肌が、男の目を焼いた。幼きあの日に、しっかと心に刻んだ
その姿に比すれば、世俗の女性など、どうして相手が出来ようか? ……出来るわけがない。格が違い過ぎる。
女の気高さに己の萎える心を無理矢理に押さえ、男はもう一度女を抱き寄せる。愚かなる幼き日の男は女の正体を
残酷にも尋ねていたのだ。

           女は静かに言った。「自分は『喪門神(しにがみ)』である」と。

 戦場にて勇名を馳せ、果敢無(はかな)く散りし勇者を連れて行くのが己の役目だ、と女の口より直に聞いた。
その日より以前に増して熱烈に戦場に出る事を望み、己に出来る限りの手段を尽くし、不平を金輪際漏らさず、
一の敵も万の敵も殺し尽くせる術を学んだ。その上で男は戦場を同志たちと駆け、斬撃、打撃の限りを尽くし
敵と戦い、『殺される』事を望んだ。もう一度…己の蒙昧を戒めた『喪門神』に逢い、その手に抱く事を夢見た。
 無知蒙昧を克服した己を見て欲しいが余りに、大敵、秦を打ち倒した後に故郷に帰ると言う愚行をやらかしたのも…
全てはこの時のためだ。勿論、共に戦い抜いた江南の同志達の晴れ姿を、故郷の父兄に見せると言う目的も在ったが。

 「この後は如何するのだ、籍よ? ただ抱いている…だけか? 」

 男は我に還った。己に残された刻は僅か。ならば…! 秦の邯鄲の都にて入手し、顔を赤らめながら閲覧した房中術の
限りを 尽くさなければならぬと一人合点する。男は女の下裳を捲(まく)り上げ右手指で股座のあたりにそっと、触れる。
…粘つく感触が男を驚かせる。なんと秘所が…濡れていた。男の知識の外にある現象に動転し、そのまま匂いを嗅いで
しまう。脳髄の奥が痺れ、獣欲が沸き上がる。急に抗いだした『喪門神』の勢いに押され、女を抱えていた左手の力をふと
弛めると、 勢い良く頬を張られてしまった。

 「匂いなど嗅ぐな! 想う漢に抱かれていれば、こうもなろう…! …どこまで辱めれば気が済む? 」

 涙を零しながら恥じ入る『喪門神』の目尻に男は唇を付け、溜まる涙を吸った。急に『喪門神』の抵抗が止む。
男の悪戯を責める心と愛しく思う心がない交ぜになったその視線と表情が、雷光の如く鮮烈に、男の心を鋭く射抜く。
401319 ◆lHiWUhvoBo :2008/05/21(水) 03:37:35 ID:ermBycHh
 
 「…己の非を認める気に為ったか? 」

 己の今迄見て来た、女の凛々しい姿など何処の借りてきた猫だ、と男は胸の奥が痛む程切なく思う。可憐だった。
何も辱めた訳では無い。男は実技の経験などさらさら無く、記録でしか『房事』の遣り方を弁えては居なかった。
 初めて恋焦がれた女性(にょしょう)――人では無いのだが――を胸に抱き、心の赴くままに接吻を交わした。
その先の事など思慮の外だ。つい男の覇業の原動力とも言える『好奇心から生ずる探究心』が軽く頭(こうべ)を
擡(もた)げたとしても、誰がそれを責める事が出来ようか? いや、男自身にしかそれは責められまい。

 「女性の涙とは、存外に塩辛く無いものなのだな…」

 高鳴る胸の動悸が、耳の奥から聞こえて来る。息が荒く為って来る。『喪門神』の抵抗が男の征服欲を程良く
刺激する。もっと、困惑する顔が見たい。相手は人では無い者。遙かに気高く『喪門神』と名乗る、女の形を
しただけの者、人を超えし者なのだ。人の身では手を触れる事さえ許されぬと言う者なのに、今、男の腕の中で
なすがままに弄ばれている。

 「…抜かせ…! 孺子(じゅし)の癖に…ッ?!」

 急に顔を赤らめた『喪門神』の見ている先を釣られて見ると、己の分身である猛り狂った陽物が鋼の小片を
編んで作られた鎧を軽々と盛り上げ、『喪門神』の下腹を突付いていた。男は素早く己が鎧の直垂の部分を捲り上げ、
襟に差し込む。男の下袴はすでに大天幕を形(かたち)作っていた。大天幕の高さは『喪門神』の肩をすっぽりと
覆い尽す、金属製の肩当の長さに等しい。

 「此処はもう子供では無いぞ? 『喪門神』よ」
 「そ、その…ようだな? 」
 「ぅおっ…! 」

 下袴の上から軽く握られただけだが、男は疼痛を感じてしまう。いや、余り痛くは無いのだが、そのむず痒さに
身悶えする。まだ握られて居たいと思ったが、『喪門神』は動転して右手を離してしまおうとする。男はその手を
捉え、グリグリと己の陽物を下袴越しに押し付ける。恥らいで叫び出したいのを堪えている『喪門神』の、唇を噛み
叫びを押し止めている様は、男の持前の悪戯心を刺激する。もっともっと、困らせて遣りたく為るのだ。

 「……堅くて……熱いな……」

 熱っぽい息が、男の耳に吹き込まれた。男はこれここに至るまで、天下万民のために木石たらんと努めて来た。
今、人に戻り、そして獣と成り果てても、滅秦からの男の行いの全てを知る部下達は、鬼籍に居る者を含めても
誰も責めはしないだろう。男は『喪門神』の体から薫る香りを胸一杯に吸い込んだ。脳髄の芯まで痺れるような
甘い体臭に酔い痴れると、意を決して下袴の紐に手を掛け『喪門神』の右手を離させると、ついに己の大天幕の
太い肉支柱を露出させた。臍(へそ)まで届きそうなそれを一目見て、超大さに目を丸くした『喪門神』はさらに
頬を赤らめて勢い良く顔を背けるが、ちらちらと横目で見遣っている。…男の逸物の天辺、亀頭粘膜の綺麗な桃色は
自慰の経験すら皆無である事を自ずから示していた。

 「そのような大きな肉塊を……私の小さなここに…容れると言うか? 羽よ?」

 掠(かす)れた熱情を帯びた声で、『喪門神』は男の眼を己が女陰に向けさせる。そして、右手の指二本で、薄桃色の
扉に縁取られた門を開いて見せた。蜜液がねっとり糸を引く様が生々しい。男の小指の先ほどの長さを持つ、薄紅色の
突起の皮が剥け、ふるふると震えている。男が見惚れ、固唾を飲み込む様を愉快げに哂う『喪門神』の両脚は、露出の
興奮に震えていた。そして、『喪門神』の『門』と男の『鍵』が触れ合おうとした時――男はそっと、女の身体から離れた。
402319 ◆lHiWUhvoBo :2008/05/21(水) 03:38:58 ID:ermBycHh
  
 「――ああ、我が本懐、ここに遂げたり――」
 「籍――何故、止める」

 潔(いさぎよ)く男は逸物を下袴に仕舞い、捲り上げた鎧を直し『喪門神』に微笑んだ。興奮冷めやらぬ顔の『喪門神』の
体を強く抱き締め、耳に息を吹き込むように囁いた。くすぐったさに身を固くした『喪門神』が、男の言葉にはっ、と形の良い
眼を見開いた。それから、生まれた鋭い眼光は何故か堪えきれぬ欲情に蕩けてしまう。なんと嬉し涙まで流す始末だった。

 「ふと――思った。ここまで守った男の操(みさお)だ。このまま守り通し、死んで見せるのも悪く無い、とな」
 「――籍――そなた――」
 「穢れなき我が魂と志――想い――を、貴女に捧げよう。これぞ我が最後なり! 俺の死、とくと見届けィ、『喪門神』よ!」 

 長大な鋼の剣を素振りし、哄笑する男の姿を見て、身繕いを済ませた『喪門神』が目蓋を腫らしながらも微笑んでいた――が、
男の背後に現れた人影に顔を引き攣らせる。ふと振り向いた男の逞しい首筋に、白く、鋭く光る2本の牙が深く突き刺さっていた。
男の首より溢れ出る血潮を喉を鳴らし、飲み込み、すすり続けるその者に、『喪門神』は神速を以って、憤怒の形相で斬りかかる。

 「なんと――何という事をする、呪われし不死者風情がッ!」
 「羽は、羽は渡さぬ! 神々の享楽の玩具になどさせるものか! ならば妾の眷属にして、永遠の生をともに生きさせる! 」
 「虞姫…か…? 」
 「そうよ……主(ぬし)が毎晩毎夜、妾が夜行をせぬように、民に犠牲が出ぬようにと宿直(とのい)をしておった、虞ぞ…? 」

 しゃにむに斬りかかる『喪門神』をせせら哂い、男の首から牙を抜き、男を横抱きにして女妖は跳び離れる。血の気を徐々に
失いつつある男の頬を、皇(すべら)かな繊手がいとおしげに撫でさする。あと半刻待てば、男は完全に女妖の眷属と成り果てる。
生血を求める、人では無い、鬼の眷属に。永遠に齢を取らぬ、時の罪人に。――誰もが憧れて已(や)まぬ不死者へ転生するのだ。

 「羽よ、妾と共に行こうぞ…。楚人…いや、世の諸人(もろびと)が主の志を知らず、主に背いても…妾だけは…主を…」
 「籍を……離せィ! この女怪(にょかい)! 籍は…籍は…」

 男の血は、女妖がこれまでに終ぞ喰らった無い芳醇さだった。男の首筋から流れ出る血潮にねっとりと優しく舌を這わせる様は、
それを見ているものが『人』であったならば、妖艶さや歎美さよりも、一種の神々しさや畏敬を、見るものに与える光景だった。
我が子を慈しむ母の姿が、そこにあった。

 「主を篭絡しようとして、見事に篭絡されたわ…。夜毎、妾が房事を迫っても…主は頑として一度も応えてもくれなんだ…」
 「『私』だけの、ものだぁっ!」
 「ぐ、ヌぅっ! 」

 追う『喪門神』から跳び回り、回避し続ける虞姫はついに『喪門神』の剣に右肩を割られ、男の身体を思わず取り落としてしまう。
その機を逃さず『喪門神』は男の身体を奪い返す。迷わずその場で膝枕をすると、首筋を検(あらた)め、呻く男の頬に気付(きつ)けの
ために数回、平手打ちをする。男の首筋の傷跡は醜い傷を残して塞がり、幾多の戦場を往来し、日に焼けた肌が総じて透き通るが如く
蒼白くなりつつある。……不死者へと変ずる兆候が漸(ようや)く現れたのだ。
403319 ◆lHiWUhvoBo :2008/05/21(水) 03:40:04 ID:ermBycHh
  
 『喪門神』の眼に、男を守れなかった無念さと、男を奪われた嫉妬からの悔しさによる涙が生まれ、幾粒も幾粒も男の顔に零れ落ちた。
男が弱々しげに手を伸ばし、もう泣くな、とばかりに『喪門神』の涙を拭く。

 「籍……籍…! 気を確かに持て! 籍、私が解るか、籍」
 「ああ、俺が恋焦がれた『喪門神』だ。嗚呼――泣き顔も綺麗なのだな、貴女は」
 「……羽! 立(た)つるならば疾(と)く立て! 呆(ほう)けて居るな! もうじき主の追手『人ども』の軍勢が来…る? 」
 「せ…き…? 」

 よろよろと男は身を起こし、鋼の剣を大地に突き立て杖として、立ち上がった。その顔は晴れやかに二人の『女』に向かい微笑んでいた。
男の聴覚がまだ確かであるならば、あと百を数えぬうちに軍勢の先頭は男の姿を捉える。その前に、言って置かなければならぬ事がある――。

 「虞姫よ……悪いが、俺は、人のままで、ここで死にたい。…お前が知っていてくれる、俺のままでな…」
 「何を抜かすか! あれ位の軍勢、妾が一度(ひとたび)舞を舞(も)うたならば…」
 「そして眷属をただ増やせば……人の世に寄り沿うて生きる事が出来なくなり、やがてお前は死ぬ。……それでは俺が困るのだ」
 「諸人などもう要らぬ! 妾は、主さえ居れば良い! 歩けぬのなら抱き抱えて逃げてやるぞ、羽! 」

 首を大きく左右に振って、男は虞姫に近づき、その撫肩に手を置き、細い背に手を回して優しく抱いた。まるで慈父のような、抱擁だった。
虞姫は男を見上げた。あの日の、輝く陽光に弱った自分を飽くまで気遣い、戦車に乗せた漢の中の漢、理想の大丈夫が、そこに微笑んで居た。

 「…俺が何を望み、何を志し、そして何を守ろうとして、何を成そうとしたか…お前にずっと覚えて置いて欲しい。…漢の『あ奴』は
  きっと俺を後世の笑い者に貶めるだろう。それは死んだ人間には抗弁出来ぬ事よ。しかし、永久(とわ)に生きるお前ならば…」
 「妾の眷属となった不死の主(ぬし)自らが、奴らを妾とともに闇で誅戮(ちゅうりく)すれば済む話であろうが! だから往くぞ! 」
 「そのような女々しい真似が武人に出来るか。――追手に呂馬童がいた。あいつに幼少の借りを返さないとな――だから、往けない」
 「羽ぅ…」
 「生きろ。もし後に人間の王朝が思い上がっていたら、思うがままに引っ掻き回してやるといい。…人の進歩には『脅威』が必要だからな」

 男はうなだれる虞姫を離し、屈みこんで微笑みかけてから、重々しくわざと咳払いをしてみせる『喪門神』に向かい男は顔を引き締める。
その様子に『喪門神』は見惚れてしまう。澄んだ水面を思わせる落ち着きと、冴え冴えとした刃の輝きを思わせる男の中の男、『覇王』の
名が相応しい威容を誇っていた。――彼は人の身でありながら、修養をすれば数年もせずに仙境に至れる素養を持った『逸材』だ。古の聖帝、
堯・舜と同じ眼を持つ者と民に語られた男は、不死者に堕ちようとする今にあっても雄雄しく、凛々しくあった。

 「貴女に一つ、聞きたい事がある」
 「……申してみよ、籍」
 「自裁――自決でも、貴女は俺の魂を、勇おし者として迎え入れてくれるか? 」
 「愚問だな。自らの所業を思い出せ。……この女怪を、これまで封じていただけでも釣りが来る」
 「そうか。ならば悔いは無い。……『覇王』と呼ばれた俺の死に様、とくと見届けよ」

 それだけ言うと、男は二人に背を向けて、鋼の剣を片手に、一歩一歩踏みしめるようにして土煙へと歩いていった。堂々と、万余の軍勢など
何ぞ敵するものぞ、と。その後…男は追手の前で自ら首を刎(は)ね、首に掛けられていた万戸侯の褒賞のために五体を裂かれた。されど不思議に、
その首は満足げに笑い、何故かその身体は妙に軽かったと言う。――その後、『覇王』を滅した陣営に属した軍師の一人は急に仙人を目指すと言い、
致仕し、世を捨てた。その時、暇乞いをした、少女と見紛うばかりの彼の白皙の美貌を見たものは、何故か嫉妬と怒りに彩られていたと言う。