【涼宮ハルヒ】谷川流 the 46章【学校を出よう!】

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820 ◆LeyXT4003g
>>58 :トンデモ発想とそれをSSに仕上げられる才能ウラヤマシス。
原作改変とはいえ、論理ぶっとんだキワモノネタのくせに、ごく当たり前のように文章を書けるセンスが素晴らしいな。
描写といいモノローグといい、長文でも気持ちよく流れにのめり込める文章とはこうした文章のことなのだろう。
前半、九曜が突然歌っているというトンデモない佐々木団に比べ、後半、いつも通りのハルヒ団の展開で失速気味なのが残念だった。
電飾に受けた。長門や周防なら、ボーカルとギターとベースを一人でやってしまいそうな気もするがな。

>>220 :愁嘆場にしてはおとなしすぎないかい?
おめでたくもSOS団大学編が始まるかと思いきやだ。これはこれで悔しいが泣ける。
だが、きびきびした文体に影響されてかキョンが淡々と悟りすぎてる感があり、ハルヒの諦めが早かったり、
何より他3人の態度がいつも通り過ぎる。この様子じゃ嘘っぽいなと思ったのに本当にキョンが死ぬ話である。
それに、キョンが死ぬ理由もテキトー過ぎる上、ハルヒの能力が無くなればその力の影響のあったものがナシになるという解釈は……。
仮に百歩譲るにしたって、それまでまともな人間だったキョンの肉体が急速に腐敗するのはそれこそ都市伝説だろう。秘孔でも突かれたのかね。

>>234 :中途半端ながら、即興作品として評価。
バッドエンドを救う続編を書くと辻褄合わせに力点が置かれる自己満足なSSとなってしまう場合もあるのだが、そういった感なく
SOS団大学編へ繋げるナイス作品。これを即興で書けるとは。
「こんなこともあろうかと」(by 長門・朝比奈・古泉)的なご都合主義であり、告白したのにハーレムパターンだったり婚姻届が出てきたりと
ネタも中途半端ではあるが、上記作になかったキョンの人間らしさ(往生際の悪さ)が補完されてるのがいい。
長門は接続解除されても能力は残るのだったけか?

>>287>>307 :二次創作として読む側の身になって。
ざっと見て、長いだけで退屈そうなので、パス。
ハルヒシリーズに求めるものが俺とは違うのだろう、きっと。

>>331 :二次創作は個性あってこそその存在価値がある。
原作を把握しながらも、自分のスタイルをしっかり持って二次創作を書ける人らしいな。
ただのファンとしてSSを書こうとすると、原作を読めば読むほど、アニメにはまればはまるほど、テンションやキャラクターに拘束されてしまい、
結果、いつもながらのプロット、誰でも一度は思いつくようなストーリーになりがちで、自分なりの味が出せなくなってしまう。
豚肉とジャガイモと人参を見たらカレーか肉じゃが以外思いつかない書き手に見習ってほしいものだ。
ま、原作関係なく思いついたネタにキャラクターだけ合わせてるだけかもしれんが。

>>351 :キャラいじめネタは明るく楽しく。
いつの間に橘の個性は必死な勧誘員になってしまったのだろうか。
キョンと佐々木のシニカル達観コンビに手玉にとられるのはもはやパターン。面白いからいいのだが。
しかしそのツケは結局主人公たるキョンに回ってくる。キョンとともに苦難を乗り越えて行くスレが立ちそうだ。
ところでトリップはつけるべきだったな、書き手を識別するために。

>>393 :実は佐々木は少女趣味?
漫才を思わせるノリを絡めながら本題に入っていく流れは非常に楽しい。
その雰囲気を話し方を変えることで払拭しシリアスへ切り替えるキャラクタライズド合理的方法も秀逸。
だが、告白の文句が夢見る少女の甘美で浅いイメージで、知性と教養ある佐々木っぽくないと思ってしまうのは、
元ネタがあってそれを俺が知らないだけだろうか?
さらに、それほど大仰に輝ける存在になり得るのか我らが主人公殿は、という月並みな疑問もあったりする。
821名無しさん@ピンキー:2007/04/27(金) 18:46:44 ID:cCR0sEVB
ウザッ
822 ◆LeyXT4003g :2007/04/27(金) 19:02:06 ID:EL+GAcly
>>433 :キョンに女を犯させるのは大変。
佐々木閉鎖空間内で彼女を弄ぶネタ自体は以前から出ていたが、きちんと仕上げたものをここで見るのは初めてだ。
このSSを読めばわかることだが、このネタを書くためには、キョンが常識的フラグブレイカーらしからぬ積極的で非道な行動をとらねばならないのだ。
キョンにそうした行動をとらせた時点で、陵辱される橘がいくら泣きわめこうが、勝手に場所使用された佐々木が怒り心頭に発しようが、
読者にとりそこは原作と異なる(=リアリティのない)世界となり、コミカルタッチに読めてしまう。
これを避けるためにはキョンを相当に追いつめねばならないが、そのためには長い前置きが必要になる。
そうした「言い訳」を背負わない本作なのだから、あっさり奴隷と化す橘の対応(と本番描写)のご都合主義的ワンパターンさも、ほぼ必然の結果だろう。
原作の文句をなぞる箇所において、おそらく作者の意図しない笑いがあるのが、少々慰めになるだろうか。
このネタでシリアスなSSを書くには、経緯をすっ飛ばして佐々木閉鎖空間で橘を犯「している」キョンから描くか、本格的な鬼畜の道に入るかしかない?

>>544 :キョンがわざとらしいカマトト。
キョンは果たして恋(自身あるいはハルヒの感感)を「恋」だと認識しているのかを考えてみた。以下考察。
結論を言えば『憂鬱』のラストにおいて既に認識しているはずだ。では何故彼はそれを用いて自身もしくはハルヒの態度を説明しないのか。
原作では、いくつかの二次創作にあるような、
「答え」(自身あるいはハルヒの恋愛感情)を薄々知っているくせにカマトトぶって逃げを打っている様子は、字面だけなら、ほぼ無い。
一見、不思議を求める同人として嫌々ながら協力する、不器用でシニカルながら面倒見のいいお人好しの態度に過ぎない。
すなわち読者にとっては、キョンは見たもの感じたものを、「答え」を交えず、自分が常識と信ずる価値観(フィルター)を通して
感覚的に描写しているのみに「も」思えるのである。
しかし、先に述べた通り彼は結論を既に出しているのだから、やはり彼は無知を装っている嫌味な人間に過ぎないのだろうか?
一つの解釈だが、彼にとって「答え」とはいわば、財布の中にあるカネでなく、山内千代が隠していた臍繰であり、
常ならぬ一大事にのみ取り出され、その日が来ない限り封印しているものではないだろうか。
ハルヒと一緒に日常世界にある非日常を楽しんでいる限り、そしてハルヒから「答え」を求められない限り。
だが臍繰であるから、身内に発見されたり、泥棒にかっさらわれる可能性もある。
それは、無自覚の神を自覚させ神の能力を引き出すことができるが非常に危なっかしいという彼の「切り札」に隠喩されているのでは?
思えば恋愛とは、この世界に「神が在られる」ことにある日突然に驚愕し感動するのとほぼ同じ、
つまり「キョンがいる」「ハルヒがいる」ことがこの上なく素晴らしい事だと気付くことであり……。
以上、ほとんど作品と関係のない考察となってしまって申し訳ない。
感想としては、キョン語り自体は他の職人と比べ少々ぎこちない。不要なものを切りつめる努力をしてみては。俺が書くのも変な話だが。

>>560 :ひねりなさいひねりなさい!
ネタ自体はありがち。だがオチのアイデアは上手い。ハルヒにビデオを見せるやり方に、もうひとひねり欲しかった。

>>661 :文章のうまさはこのスレでもピカイチ!
文章は素晴らしい。惜しむらくは、それが重大な欠陥であるのだが、突っ込みどころが多すぎる。
原作にない設定を持ち込むためには相応の言い訳(必然性やリアリティや伏線)が必要だ。
例えばキョンが、逃げ出したハルヒを捕まえたり、さほどの逡巡なくハルヒにキスするのはご愛敬だとしても、
しごくあっさりとハルヒとミヨキチの恋心を悟っていたり(時間が経っているならともかく1年生3月らしい)、都合2度目の閉鎖空間を前もって予期している。
しかもハルヒのほうもそんなキョンの期待に応えて『証人喚問』の場という個人的場当たり的な意図で閉鎖空間を自在に「使って」しまっている。
閉鎖空間を都合の良い道具として扱うこのへんの発想は、他の二次創作作品の影響だろうか?
また、そのハルヒの空間内でキョンがミヨキチと最初から二人きりになれるのもヘンである。
(キョンあるいはミヨキチ側の閉鎖空間だとか本当にキョンの夢だとかなら輪をかけて酷い)
何度も書くようだが文章は非常に巧い。一コマ一コマ絵はすんげ〜神なのにストーリーが無理矢理すぎて引いてしまう同人誌を読んだような気分だ。
もったいないとはこのことだな。

前回の反省を踏まえ。