(23)
『おみそ』にされたような煮え切らない気持ちを食べることで紛らわそうと自販機ブースにやってきたヒメジ。キャンディバーやポテトチップ等の小袋が並んだ機械の前で思案している。そこへスーツ姿の背の高い男がやってきた。
「失礼…」
彼はそう言ってヒメジの後ろを横切るとドリンク・ディスペンサーのボタンを選び始めたが、数秒してのち、その男が固まったのがハッキリ分かった。
ヒメジはチラリと男の横顔を見る…。男も横目でヒメジを見ると眉をひそめた。
互いにゆっくりと顔を向き合わせる…。
「あ〜〜〜〜〜〜っ」
「ぷ、プリンセス…?」
一年数か月振りの再会であった。
(24)
立ち話もなんだからと、ヒメジとマックスウェルは空いている席に並んで座った。
「あ、あ、あ、あの時は『宿題』…やっていただいて、ありがとうございました…でありんす」
頬を紅らめて完全にあがっているヒメジ。
「で、どうだったの?」
「え?、あ、『A』を貰ったでありんす…」
苦笑して更に頬を紅らめる…。
「そいつは良かった…」
彼も彼でこんなところであの『じゃじゃ馬』と会うなんて想定外もいいところだった、正直困惑していた。
「あの君が…ここに居るなんてねぇ〜」
素直に感想を言う。
「へへ…」
大きな図体で照れ笑い…。
「あ、あの、ミスター・マックスウェルは…何でここに?」
「『マック』でいいよ、職場じゃみんなそう呼んでる…」
ヒメジはただ照れている…。
「ここへは次の任務のために同乗させてもらってるんだ…」
もちろん嘘である。例のひまわり達とのミーティングに参加していたのだから…。
彼は3人とヒメジの関係をまだ知らなかったから当然である。
「さっきはなんか偉く仏頂面していたけど?」
「な、なんでもないんでありんす…、ただ…」
「ただ?」
「ただ、仲間外れが寂しかったんでありんすよ…」
「え?」
「仲間の3人だけが…なんか『任務』を与えられたみたいなんでありんす…」
(はは〜ん…そういうことか…)
「そりゃ仕方ないな…仕事なんてそういうもんだ…割り切らないと…そんなことはこの先しょっちゅう起こる」
(俺なんかだいたい独りだけど…)
「さって っと、もう寝ておかないと…明日大変だぞ?」
「そ、そうでありんすね…」
二人は立ち上がるとそれぞれの席の方向に分かれる。
「あ、また会えて嬉しかった でありんす…」
ヒメジは笑って彼に伝えた。
「僕もだ…(Vサインを作って敬礼のしぐさをする)、お休みプリンセス!」
「おやすみなさいでありんす…」
(25)
旅客キャビンは既に照明が落とされていた。各自ほとんどが眠りについている。
あざみはiPodのメニューから、これを聞けば必ず眠れるという「モーツアルトの弦楽協奏曲プレイリスト」を選ぶと、それらを聞きながらブランケットに包まって横になった。
が…、なかなか寝付けない。
そこへヒメジが先ほどとは打って変わって恍惚の表情で戻ってきた。
あざみは片目を開けてそれを見届けながら(なんにしても機嫌が戻ったんなら良いやね〜)と思った。
続けて少し腰をふらつかせながらしきみが戻ってきた…
(以外に早かったな? ナナフシ…ひょっとして淡泊?)等と下世話な想像を脹らます。
しきみがけだるそうにしてシートに腰を掛けると、あざみは意地悪く
「おつかれ〜」
といった。
「何がよ?!」
背を向けて寝てるあざみに少々尖った口調で聞き返す。
「あ、いや…何となく」
(げ〜 良くなかったんだワ やっぱ…)そう内心で呟き、思わず舌を出すあざみ。
「おやすみなさ〜い」
あざみは腫れものには触るまい…そう思って眠ることに傾注した。
(26)
ひまわり達を乗せたB-707は定刻通り西部標準時0930にエドワーズ空軍基地に着陸した。
長い事タキシングしたあと大型機専用格納庫に収納され、そこへタラップが接続する。
「君達3人は先に降りてくれ、下で私の部下が待っている」
アンダーソンがこれから別行動となるひまわり達に段取りの再確認をしに席まで来て言った。
「分かりました」
しきみが代表して返答をすると、あざみとひまわりにアイコンタクトをする。
「ヒメジ…悪いけど、ここでサヨナラするわ…」
そう言って右手を差し出した。
「気にしないで良いでありんす…頑張ってくるでありんすよ!」
そう言ってしきみと握手するとみんなにウインクして見せた。
マックスウェルの一言が効果的だったようである。
ひまわりとあざみもそこに手を乗せた。
「外で見送るでありんす…」そう言うと、ヒメジはひまわりの荷物を掴んだ。
事のやり取りを1ブロック向こうで韓国軍の幼年将校たちが怪訝そうに見ている…。まるで『どうしてあの日系人将校たちが特別扱いなんだ?』とでも言いたげだった。
あざみはその中のイ・ビョンボン似のナンパ野郎に向けて軽くウインクしてやった。
タラップを降りると、カリフォルニア・ハイウェイパトロールのカワサキ・ポリス1000 4台に囲まれた白いフォードエクスプローラーが3台並び、要員たちの乗車を待ち構えている。
しきみ達は真ん中の1台にアンダーソンと供に乗車、先頭の車両にはナナフシが既に乗り込んでいた。
最後尾の1台にマックスウェルが乗り込もうとしたとき、彼は車両の窓越しにタラップの前で寂しそうに立って見送っているヒメジをしばし見つめた…。
3人が彼女のクラスメートなら、まだ10代の子供たちを作戦に使うって事になる…。
そんな話はMからは聞いていなかった。
全ての要員が乗り終えると、やがて車列は静かに格納庫の外へ流れ出て行った。
車内の助手席に座ったアンダーソンはフォルダから紙片を取り出すとそれを見ながら携帯を操作している。
「こちらアンダーソン…子猫は餌にありついた。繰り返す…」
「子猫は餌にありついた。X Day-6 0947 継続! 以上!」
それだけ言うと電話を切る。ルームミラー越しにひまわり達を見るとニコリと笑った。
X Dayダッシュ6…つまりマイナス6…、作戦決行まであと六日という意味だった。
(27-1)
ブダペスト郊外、ドゥナ・イポイ国立公園近郊にある旧邸。
エドナはその二階の窓のない一室に軟禁状態にあった。
ここへきて既に1ヶ月以上は経っている…。それも恐らくだが、彼女には既に曜日の感覚がなくなってきている。
テロリスト?なんだか判らない連中に拉致され、ここに連れてこられたが、今のところ丁寧な扱いだった。
だが食事を差し入れに来る男達には何を聞いても『言葉が分らない』の一点張りで何も答えてくれない。
食事や睡眠、衣類のクリーニングに入浴までさせてはくれるが、いい加減憔悴しきっていた。このままでは気が変になりそうだ…。
こんなことになるのが分かっていたら、父親の言うとおり祖国で大人しく暮らしているべきだった…。今更ではあるが、そう反省する彼女だった…。
もう長い事太陽を見ていない…。
だが、それも今夜までだった…もちろん今の彼女がそれを知るすべはなかったが…。
「遅いぞ、ジェームス…」
別ルートで邸内に侵入した黒いジャンパースーツ姿のジェームス・マックスウェル中佐は遅れてきたパートナーに言う…。
いつものことだが同じファーストネームの相棒をそう呼ぶのは違和感がありまくりだった。
「すまん、ちょっと寄り道をした…」
同じくジャンパースーツ姿の相棒は愛用のワルサーPPKにサイレンサーを嵌めながら適当なことを言う。毎度のことだった。
「首尾は?…」
相棒は左手の超小型無線スイッチを見せる、青いパイロットランプが微かに点滅していた。
「OK…」
(行くぞ)っと合図で告げると二人はそれぞれ別々の方角に静かに、そして素早く移動した。
(27-2)
マックスウェルは二階に続く階段を用心深く上がる。一人の見張りがドアの前でハンガリー版PLAYBOYを眺めてニヤついていた。AK47は膝に乗せたままだ。
プシュン!という静かな破裂音と同時に中佐が放った9mmパラベラム弾がその男のこめかみを直撃する。
周りに気を配りながら男の死体が転がる部屋の前まで進み、男のひざからAK47を取り上げるとマガジンを抜いてヌードピンナップのページ上に静かに置きPLAYBOYを閉じた。
慎重にドアを開け、彼はしゃがんで中を窺う…。
(クリア!)
エドナは食事の時間でもないのに、誰が入ってきたのか不安げに彼の方を見た。
「静かに」
そういうと彼女の傍に忍びより、自分は英国諜報部員であることを告げた。
「じきに『騎兵隊』が来ます…暫くお待ちを…」
そういうと、ヘッドセットのマイクを掴み
「ジェームス! ターゲットを確保…オールクリアだ…」
と告げる…。
数秒も経たない間に、遠く爆発音が鳴ると邸内の電灯がすべて消えた。相棒がブレーカーに仕掛けたC4がさく裂したのだ。
『なんだ?〜〜〜〜』
『停電だ〜停電っ〜〜〜』
男達が騒ぎだしたかと思うと正門の鉄柵をぶち破り装甲車が突入し、邸外に待機していたハンガリー警察の特殊部隊に扮したMI-6の支援チームがなだれ込んできた。
バリバリバリっという銃声がところどころで5〜6分程続いたかと思うと次々に『クリア!』の声が発せられる。
死に物狂いで階段を掛けがってきたテロリストの一人が、エドナの部屋のドアを蹴破ってMP5Kを乱射し始めたが、すぐさまマックスウェルの連射を頭部に食らって即死した。
それでも彼は、ドアに向かってベレッタM92Fを構えたまま膝まづき待機の姿勢を崩さない。
エドナがベッドの下にうつ伏せになって耳を塞いで震えている。
そこへ相棒が駆けつけてきた。
「マック!無事か?」
「ここだ!」
そう叫ぶと初めて銃口を下げた。相棒は床に倒れているテロリストのMP5Kを拾い上げ、男の死体を改め部屋に入ってくるとマックスウェルを見て左の眉を吊り上げながらいう。
「やっこさん、腹にTNTを巻いていた…お見事…Double OH Five…」
頭を狙ったのはこういう場合テロリストを相手にする時の鉄則だった。
相棒に肩を叩かれ、ふ〜っと一息つくと、マックスウェルは立ち上がり銃をホルスターに収めた。
「だけどまぁ…楽だったな…」
そう言うと相棒はベッドの下を覗き込んで手を差し伸べる。
「済みましたよ、お嬢さん」
エドナは大きな目を白黒させてそこから頭を出した。
(28)
ロンドンのMI-6本部、オペレーションルームでは偵察衛星から送られてくる赤外線ライブ映像で一部始終を観察していたMが満足げにスクリーンを眺めていた。
「ミスター・タナー 至急、内務大臣にお知らせして…。『作戦成功』と…」
傍らの男が軽く頷くと部屋を出て行った。
映像では一人の男が女性を抱きかかえるようにして部屋を出る映像が映し出されていた。
「相変わらずね…ジェームス…」
そう言って微笑むと彼女も部屋を出た。
(29)
数日後、トルコ東部のとあるイギリス領事館。
屋上のヘリポートに一機のベル206Bジェットレンジャーが着陸する。
海兵隊員がドアを開くと中から若い女性が飛び出してきた。
「エドナ!」
「お父様〜!」
久方ぶりの親娘の再会であった。
「心配掛けてごめんなさいお父様…私、凄く怖かったワ!」
そう言って父親の胸の中で涙ぐむ…。
「もう、いいんだエドナ…、済んだことだ…」
そう言って娘を抱きかかえながらゴスコフは向き直り
「大使閣下、領事閣下…この度は本当に…何とお礼を述べてよいやら…全く言葉が見つかりません。ご助力いただいたお国の方々に暮々もこのゴスコフが感謝をしていたとお伝えください」
「承知いたしました、大統領閣下…」
全く何もしていないトルコ駐在英国大使は罰が悪そうに答える。ヘリを降りながら、思わず噴き出しそうになるのを我慢するマックスウェル…。
「さて、エドナ…、早速だが、今回の件で お前にも少しは『責任』をとってもらうぞ、いいね」
「はい、お父様…私ができることなら…
(30)
数日後、霞の里。男性教員宿舎。
ハヤトはうつ伏せになった武蔵坊の上に覆いかぶさり、彼女の尻の肉の間に潜り込ませた『己の分身』で彼女の気持ちの良い肉壺を楽しんでいた。
つけっぱなしのTVではワールドニュースが流れている。
「万里小路君ぅ〜ん、イイ、イイわぁ〜〜凄くイイのぉ〜」
股間からクッチャクッチャと音をさせて恍惚の表情を見せる武蔵坊…。
ハヤトは(ミサちゃんはやっぱバックからが一番だな〜)などと考えながら腰を振り続ける。
「今日は…な、中で出していいわ…」
(んなこと〜聞くまで黙ってろよ〜)とは言え性欲処理のsexだから、そういうムードのなさは致し方なかった。
そろそろ込み上がってくるなぁ〜っと思った時、それまで気にも留めていなかったTVの画像が目に飛び込んできた…。
「ひ、ひまわり?」
「え?」
思わず武蔵坊も向き直る。
『今日、パルティメニスタン共和国のゴスコフ大統領がチェコを表敬訪問しました。体調不良のため同行できない夫人の代わりを務めるのは御令嬢のエドナさんで、プラハ市民は大歓声でお二人の訪問を歓迎している模様です…』
「違うじゃな〜い。驚かさないでよ〜」
画面では伝統ある市民会館のテラスから観衆に向かって手を振るゴスコフ大統領とそのエドナ嬢の映像がアップで映し出されていた。髪の色を除けば、背格好から顔かたちがひまわりそっくりだ…。とその時だった…
「え?、あ、あざみ?」
ハヤトはさらに驚く…。
令嬢の傍らにぴったりと寄り添うようにして立つ女性護衛官の姿を見たとき思わずそう叫んだ。ブルガリ6012Bのサングラスにディオールの黒のスーツとストッキング…、他でもない、スカートが膝上20cm位のミニ仕立てなのが、何よりも『あざみ』の個性を物語っていた。
「え〜、そんなわけないじゃない〜人違いよ〜」
情事を中断され不服そうにしている武蔵坊。
確かにサングラスのせいで顔は判らない、だが仕草やその姿勢で間違いなくそうだと彼は思った…。自分の抱いた女である。自信があった。
「あいつら一体何してんだ…」
武蔵坊に挿入している事も忘れ、ハヤトは一人語散た…。
果せるかな彼は間違っていなかった。二人はまさにひまわりとあざみなのである。
(31)
プラハ。旧王宮にある迎賓館に向けヴァルタヴァ川にかかるマーネス橋を黒のロールスロイスが儀仗警官の乗るドゥカティに先導されて走っている。
「なかなかの演技力じゃないかね?ライト少尉…」
見るからに顔を強張らせて緊張してるひまわりに向け、ゴスコフが流暢な英語で話しかける。
「は、はい閣下!…光栄です…。で、ですが…油断なさらぬよう…、その、会話はロシア語でお願いいたします…」
車内では少々大きすぎる声でひまわりは答えた。かなり緊張している様子だ。
「ワッハッハッ…、そうであったな…申し訳ない…」
彼はこのシチュエーションを半ば楽しんでいる様子だった。
そのやり取りを聞いて前の座席で笑うあざみ。左耳にはめたイヤホンには『〜〜を通過…』と逐次SPからの報告が入る。
「間もなく到着いたします。閣下」
あざみはパーティション越しに後部のゴスコフ達に向けて綺麗なロシア語で伝えた。
ロシア語と中国語はあざみの十八番だった。
旧王宮内の大統領官邸の隣にある迎賓館の車寄せには既にチェコの大統領夫妻が出迎えていた。
「ようこそいらっしゃいました。閣下…」
「こちらこそ、手厚いご歓迎に感謝いたします。閣下…」
ひまわりは支障なく上流階級式礼節を披露し、大統領夫人に丁寧に迎えられた。先ほどの車内とは大違いである。
あざみはその姿を眼を離さず観察し(やっぱこの子…多重人格だわ…)そう脳内で呟いた。
手短な挨拶を交えたあと、大統領夫妻はゴスコフ親娘を官邸に迎え入れた。
あざみ達護衛官もそれに続いた。
だが、彼女らが職務を遂行できるのはそこまでで、貴賓室から奥には入れなかった。
ひまわりを見送ると、あざみは『頑張れ!』そう言って励ました…。
(32)
プラハ郊外。人気のない路地裏に青色のフォルクスワーゲンT2バンが停まっていた。
その後部荷台に設けられた通信ブースで一人のアラブ人が苦虫を噛み潰したような顔で思索を巡らしている。
この男、ムバラク・ナジムはエドナ拉致チームの責任者だったが、自分がアジトを離れた僅かの時間にMI-6の連中に踏み込まれ、彼女を奪還されるという『大失態』を演じてしまっていた。
通信機の相手はその失態について容赦のない叱責をしている。
『ナジム…貴様のミスは本来なら銃殺刑に値するものだ…。すなわち次回また失敗すれば、お前とお前の家族はみな死ぬ、解かるか?』
「は、はい…、熟知しております…主宰殿…」
『幸いにも、ゴスコフは今プラハに居る…しかも側近に我々の協力者を携えてな…』
『その者が逐一報告を入れてくれているというのだ、この好条件を生かすも殺すも貴様の裁量にかかっている。今度はしくじるでないぞ…』
「はい、ご期待を裏切るような真似は絶対に致しません…」
冷や汗が頬を伝う…。
『補充の要員は今朝ケルンから陸路そちらに向かった。合流次第速やかに実行に移すのだ…』
「了解いたしました…」
そういうと通信は切断された。
ナジムは一息大きくつくと、眼にメラメラと復讐の炎を燃やした…。
命を落とした弟と幼なじみの仇はきっととってみせる…そう、彼の神に誓うのだった。
(33)
ミュンヘン。BND(ドイツ連邦情報庁)情報収集分析センター。
衛星通信モニターチームが慌ただしくなってきた。
主任分析官のシュナイダーはセンタースクリーンに『例の回線』に関わる周波特定プログラムの出力を転送する。
「ミスターアンダーソン、そちらの興味ある『例の回線』が開いたぞ…、そっちにモニターをつないだ…確認できるか?」
ウィーンのアメリカ大使館。
その地下にある情報指令センターではアンダーソン以下、今回のオペレーションに携わるメンバーが任務に就いている。しきみとナナフシもそこに居た。
BNDの専用機材を持ち込み、その操作を任されているのは他でもなくナナフシだ…。
彼はセットアップ終了の合図をアンダーソンに送る…。
「シュナイダー…今届いたぞ…(照合プログラムのアウトプットを待つ)」
「…ああ、間違いない。北朝鮮製通信衛星Mk1の特徴に一致した…」
テロリスト達が年間百万ドル前後の『使用料』を払って北朝鮮の軍事通信衛星を利用しているのは最近のトレンドだった。
質の悪い暗号化システムのおかげで内容がほぼ丸裸にされているため、西側はわざと放置していた。
幾つかの端末機の固有デコードパターンが把握できており、それを使用している限りターゲットの位置特定が可能になっている。ただしそのパターンが『生きている』のは端末と衛星の間だけになる…。
端末機の情報が不明な通話相手の位置特定には今一つ『細工』が必要だった。
ディスプレイには東ヨーロッパの地図上に、大きく赤い円が点滅して現れる…。
その円は徐々に小さくなるとプラハ郊外で赤い点になった。
アンダーソンはしきみの顔を見つめるとニヤリと笑いウインクをした。
しきみもほくそ笑む。
「OK〜、現在位置を特定した。今後も観察を怠らんでくれ…以上」
そう言って電話を切った。
「さぁて、いよいよだ…」
(34-1)
その日は、朝からゴスコフ大統領がチェコ陸軍士官学校の閲兵式に、エドナ令嬢が午後から市内の養護福祉施設の子供たちを訪れる公式日程だった。
「お父様、行ってらっしゃいませ…」
ひまわりは丁寧に『父親』を送り出す。傍らにはぴたりと『ウィンタース護衛官』が寄り添っている。
ゴスコフのロールスロイスを見送るとひまわりは澄ました顔で言う。
「ウインタース少尉…、たまには同世代の女同士、お茶でもご一緒していただけなくて?」
少し離れた所に立つ男性護衛官は振り向くとあざみに向かって頷いた。
「ええ、喜んで…」
あざみはそういうとひまわりの後に続き奥に向かう。
ひまわり…いやエドナに割り当てられた部屋に入るやいなや、あざみはクローゼットのルイ・ヴィトン製ラージトランクを開け、ブローニングを取り出すとマガジン2本と一緒にひまわりに投げる。
ひまわりはベッドの上に脚を乗せるとスカートを託し上げ、太股にホルスターを巻きあざみの投げてよこした銃をそこに滑り込ませる。
「いい、それは万一失敗した時の護身用だからね、段取り通りなら捨てるんだよ」
「了解…」
あざみはひまわりの返事に頷くと(はいこれ)とばかり極薄防弾チョッキを渡す。
ひまわりは急いでブラウスを脱ぐとブラジャー一枚になった上半身にそれを被せようとする…。
「ちょっと待って!」
あざみは(それが先…)とばかりにベッドの上に置いたブラジャーを顎で示す。
ひまわりは(いっけない…)とばかり今つけているブラを外しそれに付け替え、改めて防弾チョッキを被る。
「9mmや38口径くらいなら至近距離でも大丈夫…よく出来てるよね…」
あざみはそう言って自分もブラウスを脱いだ。
「急いで…『彼女』が来るワ…」
ひまわりが戸の向こうの気配を悟って言った。
あざみは頷くと、同じチョッキを着込んですぐまたブラウスの袖に腕を通した。
(34-2)
コンコンっとノックがする。
「どなた?」ひまわりが言うと
「リトヴィネンコです…」
ドアの向こうで応えがあった。
「あぁ〜ナターシャね?どうぞ、入って」
いかにも公人の令嬢っといった声で入室を促した。
「失礼します…」
あざみとひまわりは先ほどまでの、慌ただしさの気配も見せずにテラスの前のテーブルで紅茶を飲んでいる。
「ナターシャ…こちらは新しい私の護衛官でイギリス海軍のウインタース少尉…」
あざみが軽く会釈する。
「少尉…こちらは祖国の『国家警察局々長』のミセス・リトビネンコ…」
「よろしく…少尉…」
「女性だてらに『やり手』で通ってますのよ」
皮肉っぽくひまわりが言う。まるで10年前からの旧知の仲といった風だ。演技が真に迫っていた。
「エドナお嬢様…早速ですが、コースの確認を…」
ひまわりは差し出された書類を手にしながら
「いやぁね…いつものように『エドナ』でいいのよ…」
そう言って暫く眺めた。目的地までのコースがプラハ市内の地図に書かれている。
「そうねぇ〜どうだったかしら…ちょっと見てくれない?」
紙片をあざみに渡す。
「間違いありません…」
あざみはそう言って彼女に返した。
「あなたも一緒に来てくれるんでしょう?」
既に返事は判っている質問をあえてするひまわり…。
「いえ、私はちょっと局の者と2〜3電話で打ち合わせする用事がございますので…」
「あら、そうなの…残念だわ…」
そう言って彼女の顔を見上げると笑った。
「それでは…失礼いたします…」
リトヴィネンコが退室してドアが閉じられると
(調子に乗りすぎでしょ〜)とばかり、あざみはひまわりを小突いた。
ゴスコフの側近でさえ全く気が付かない…。
トルコでの2日間、エドナ本人につきっきりで取材した成果だった。
(35)
軽く昼食を済ませた後、ひまわりは車寄せに滑り込んできたメルセデスに乗り込む。助手席に乗り込むあざみ。それを挟むようにして停まっているチェコ警護隊のジープと、シークレットサービスのBMW530にもそれぞれ警護官が乗り込む。
見送りに出たリトヴィネンコだけがそこに残った。
あざみがジャケットの襟にあるマイクに向け『出発して』というと、車列が静かに動き出した。
3台の車が門を出るのを見届けたあと、リトヴィネンコは携帯を取り出すと通話履歴から番号を選びそこに掛けた。
「今出たワ…そう、コースは3番目…間違えないでね…」
そういうと電話を切った。
次の瞬間背中に覚えた感触で彼女の顔が強張った…。
彼女には経験からそこへ突きつけられているのは拳銃であることがすぐ分かったのだ。
言われるまま手を上げて頭にのせると、さらに別の男が2人現れて彼女の右手から携帯を奪った。
「パルティメニスタン政府の要請であなたの身柄を拘束する…」
男はそういうとCIAの身分証明書を見せた。左手に手錠が嵌められる…。
リトヴィネンコは体中の血の気が消失するのを感じた…。
男社会で遮二無二働いてここまで築き上げてきた彼女のキャリアは、たった今、終焉を迎えた。
(36)
ひまわり達を乗せたメルセデス他2台はヴァルタヴァ川に沿った車道を順調に走行していた。
「来た…」
あざみがいち早く気づく…。ひまわりが眼をやるころにはボルボの大型トラックが前を走るBMWの横腹に突っ込んでいた。
轟音を上げながらBMWのボンネットに乗り上げるとそのままガードレールを破壊して停止した。
メルセデスもその脇に滑り込むようにして止める。そこしか行き場がなかった。
そこへ2台のアウディが飛び込んでくると、UZIやMP5を携えたアラブ人達が次々とそれらを乱射しながら降りてきた。
各車から護衛官が出て来るが次々となぎ倒される。あざみは助手席から降り、ひまわりを後部座席から引っ張りだす。
背後はヴァルタヴァ川…逃げ場はなかった。
ほとんどの護衛官が倒されたところで、もはやこれまでとあざみは手を上げて立ち上がった。
「ひまわり!」
あざみが促すと、彼女は太股のホルスターを外し、ガードレール越しにそれを川に投げ込んだ。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
「何してる!早く連れてこい!その女もだ!」
眼を文字通り『目玉焼き』のように見開いてナジムがアウディの運転席から身を乗り出して怒鳴る。
男達はひまわりとあざみを荒々しく抱えて車に押し込むと、けたたましいホイールスピンの音と供に2台のアウディが走り去っていく。
プラハ警察のBMW320が数台到着する頃、血まみれになっていた護衛官達が次々と起き出した。死んだふりも命がけだ…。
ボンネットをグシャグシャにされたBMWの運転席で、衝突で受けた鈍痛に耐えながら護衛官は無線機のマイクを手にする。
「こちら『王立劇団』…。作戦成功…」
(37)
世界中のメディアが色めきたった。
『今日の午後、普段ならば静寂で古式ゆかしい歴史ある街ここプラハにおいて、想像を絶する拉致事件が発生しました』
レポーターの声に乗せて、偶然居合わせた旅行者の撮影したと思しきホームビデオ映像が被される。
『…大胆なことに犯人グループは昼日中にゴスコフ大統領の御令嬢が乗る車を襲撃し、令嬢と一名の護衛官を連れ去ったのです』
現場には11名の護衛官が射殺体で残され、連れ去られた2名はエドナさんとその専属だった女性警護官とみられ、いずれも現在消息不明という事態です…プラハ警察当局は…』
街のラーメン屋『草喜軒』でTVを見ていたハヤトは唖然となって箸が止まった。
『アルジャジーラの報道では、いずれのテロ組織も犯行声明を上げておらず、この拉致事件へのイスラム原理主義者の関与については否定的見解ですが…』
「あれが…あざみとひまわりなら…」
ハヤトは目が回るのを感じた…(大変だぁ〜〜〜)
まだ1/3も食べていないラーメンを残し、ハヤトは慌てて店を出た。
釣銭を受け取らずに店を出たハヤトの様子を怪訝そうにして店主がTVを見上げる…。
『喧騒冷めやらぬここプラハからCNNのジェフリー・ハンターがお伝えいたしました…』
(38)
プラハ郊外にある再開発予定地には、近く取り壊される予定のビルが立ち並んでいる。東西冷戦時代の遺物ばかりで既に耐用年数もとうに過ぎ、まさに廃墟…であった。
その誰も居ない『ゴースト・タウン』に40ft海上コンテナをけん引する1台のスカニアR143トレーラーが現れる、暫く走ると角に立っている10階建てのビルの前で静かに停止した。
コンテナの中は明るい照明がつけられており、そこに先ほど襲撃に使われたアウディが2台並んでいる…。
先頭の後部座席ではひまわりがブルブルと震えて涙を流していた。あざみが肩を抱くようにして寄り添っている。隣に大男がAK47を突きつけていた。
「お父様ぁ〜〜〜」
そういうと声を上げて泣き出した。もちろん演技である。
「あなた達!いったい何者なの?私達をどうするつもりです?」
あざみも半泣き顔を装って『虚勢を張る女護衛官』を演じる。
運転席のナジムは振り返りもせず、人差し指を立てた右手を後席から見える位置に突きだす。
「…今度…何か言ったら…お前は殺して川に捨てるぞ…」
そう言って凄んだ。
スキンヘッドのトレーラーの運転手は、工事現場特有の大きな扉が開けられ中の男が手引きするのに従い、その中に向けて再び車を動かした。
トレーラーが止まると、そこでコンテナの扉が開放された。
二台のアウディは次々にバックでそこを降りる。荷物を下ろしたトレーラーは再びどこかに向けて走り去った。
荒々しく降ろされたひまわりとあざみは抱き合って怯えた女を演じながら男達の人数をカウントしそれぞれの特徴を記憶する。
停められた車の場所、さらにもう一台青いフォルクスワーゲンT2を確認、今入った扉が南の道路に面し、先に降りた男達がこれから向かう建物との間の距離を測る…。
「女を監禁しろ!」
「いや待て!、そいつらは別々にしておけ…こいつは地下室だ!」
ナジムはそう言ってあざみをUZIの銃身で指した。
「やめて〜〜〜ひとりはイヤ〜〜〜〜」
ひまわりは泣き叫んだが、これも演技でむしろ別々に監禁される方が都合が良かった。
「黙れぇ!(傍らの部下に向かい)さっさと連れていくんだ!」
またも両目を見開いてナジムが怒鳴った。二人は彼に『目玉焼き』という暗号名を付した。
「私は『主宰』殿に連絡を入れる…」
そう言って青いバンに向かって歩き出した。
あざみとひまわりはそれを見届けると、二人して静かにほくそ笑んだ。
(39)
志能備学園校長室。晩飯のラーメンを食いそびれたハヤトが、やつがしらに直談判にやってきていた。もちろん今からチェコに出向こうという魂胆だ…。
「なりませぬ…」
「それが確かにひまわりさんやあざみさんだという確たる証拠もない上に…第一、シロウト同然の貴方に、一体何ができるというのです?」
「んがぁぁぁぁ〜! 言いにくい事をハッキリと言ってくれちゃっても〜〜〜〜〜っ」
やつがしらの言い分は非の打ちどころがない。
「それにです…、お金もない貴方が…どうして航空券を購入できますか?」
「だ、だからぁ〜」
当然、校長に借りるかボーナスの前借りを願い出るつもりだった。
「彼女等は海外研修に出たときから、もう学園とは手が切れたのです…例え一時的にせよ…」
「これからは何が起ころうと、我々は手を出せません…。全ては彼女等自らの力で乗り越えなければならぬのです」
「それが、この志能備学園の教育方針…お解かりですね?万里小路先生ぇ」
「は〜ぃ…わかりましたよぅ もぉ…」
ガックリと項垂れてハヤトは校長室を出た。
「もちろん…貴方のお気持ちは充分に理解できますよ…」
やつがしらは彼が出た後で そう一人語散るとプーアール茶を一口啜った…。
(40)
ウィーン。アメリカ大使館。
「信号が入りました…」
ヘッドセットに手を添えながら、慎重に装置を扱いナナフシが言った。
「現在位置…特定…再開発区です…」
次の瞬間フロアー正面のメインスクリーンにその場所がポイントされた地図が映し出された。
アンダーソンは受話器をとる。
「私だ…、支援チームを送れ…」
しきみも同行したい気持に駆られる…だがここはウィーン…プラハは200km北だった。
「そう焦るな…君の出番は じき訪れる…」
アンダーソンは見透かしたように言うとしきみの顔を見上げて微笑み、コーヒーを一口啜った。
(41)
ハヤトは自室に戻ると、学生時代に作った赤いパスポートを探し、やっとの思いで引き出しの奥からそれを見つける。
卒業旅行で使ったきり、新しいイミグレーションスタンプは押されていない。
ベッドの上に貯金通帳も置かれていた。
「こんなんじゃ〜とてもいけないよなぁ〜」
残高は\53,675-と印字されていた…。じきに公共料金の引き落としがあるからこれに手をつけるわけにいかなかった。
情けなかった…。
ため息とともに後ろ手に頭をかかえてベッドにひっくり返る。
そこに(コンコン)とノックがした…。
「ハヤト…、入るぞ?」
武智だった…。
「どぉ〜ぞ〜」
ぶっきら棒にハヤトが答える前に既に彼は入ってきていた。
武智は手にした書類袋をハヤトの顔の上に投げる。
「ぶわっ・・・・な、何だよ?もう〜」
起き上って鼻を押さえながら怒った。
「それが必要なんだろう?ワザワザ持ってきてやったんだ感謝しろ…」
「え?ええ?」
慌てて袋の中を見ると(はっ!)として中の物をベッドに広げた。
オーストリア航空と書かれたボーディングパスにパスポート、ホテルのバウチャーなど旅行に必要な資料一式だった。
「OS52便、明日一番のウィーン直行だ…11時間で着く…」
「絶対に寝過ごすなよ…」
毎朝の特訓に突き合わされている彼だったが、ハヤトの遅刻癖には辟易していた。
立ち去ろうとする武智の背中に向かってハヤトが問う
「こ、こんなもんどうしたんだ? そ、それに俺…金なんかないぞ?」
「気にするな…」
「それに〜これは何だ?」
ハヤトは入っていたパスポートを掴み見せて言った。
(パスポートくらい持ってるぞ?)
「いちいち察しの悪い奴だな…」
そういうと天を仰いだ。
「偽造パスポートに決まってるだろうが?」
「そのパスポートナンバーの1,4,7桁目の組み合わせはイミグレーションの時に『別のデータベース』に照合に行く番号だ…」
(はぁ?)
「それだけ言えば解かろうが?」
そう言い残して帰って行った…。
(42)
プラハのアメリカ大使館では、テロリストの内通者として逮捕されたリトヴィネンコ『前』国家警察局々長が尋問を受けている。
彼女は先ほど怒れる大統領と謁見したばかりでスッカリ憔悴しきっていた。
彼の叱責が原因ではない。
傍らで『裏切り者』と悪態をついたエドナの姿を見たからであった…。
あの『影武者』をそれと見抜けなかった己の粗忽さを恨んだ…。
「君から聞き出したいことなど…何一つないんだ…」
正面に座る尋問担当のCIA局員が冷たい視線を投げて言った。
「君が協力すれば…我が国の証人保護計画の恩恵が受けられる かもしれない…」
「だが…、何もしなければ君は一生祖国の刑務所を出られない…間違いなく…」
「刑務所がふさわしいのはゴスコフの方よ!」
いきなり爆発したかのように怒鳴った…。
「あの男こそ!『独裁者』じゃないの 彼さえいなければ我が民族が冷や飯を食べさせることもなくなるのよ!」
マジックミラーの向こうではその様子をゴスコフが眺めている…。
気の毒に…そういう表情だった。冷や飯だと?
だったら何故君が国家警察局長の地位を得られたというのだ?
これ以上見るべきものはない…そう判断したゴスコフは観察室を出る。
残された二人の『Double OH』要員が語り合う。
「どうやら…彼女の協力は得られそうもないな…」
マックスウェルがそう呟くと、荒れ狂うリトヴィネンコを腕組みして見つめている相棒も頷いた。
「さぁて、それじゃぁ〜そろそろ準備にかかるとするか…」
相棒が彼の肩を叩くと(行くぞ)と合図してドアノブを握った。
使用する『機材』の関係で、二人は一旦ドイツに入国せねばならない。
計画では彼女にテロリストのリーダーを呼び出させ、アジトの指揮系統が手薄になった頃を見計らって作戦決行の予定だった…。
だが、この程度の『捩れ』は大したことではなかった。
(43-1)
カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン。すなわち合衆国海兵隊第1海兵師団の本拠地である。
敷地内を小紫ことケン・タナカ少尉と大隊付きの偵察隊評価担当の海兵中佐が並んで歩いている。
小紫は海軍のサンディブラウンの夏服に将校帽を被り、中佐は砂漠用迷彩服に略帽姿である。
大柄の中佐の横で細身な小紫…まるで親子のような感じに見えた。
「朝早くからご苦労、ミスター・タナカ」
「いえ、早起きは苦になりません、中佐(Sir)…」
中佐は、このハキハキと返答する若造を一目で気に入った。
「ブートキャンプではうちの教官を2人もノシたそうだな…」
「申し訳ありませんでした…」
「はは、何を言うか…私は褒めてるんだぞ?少尉…」
「恐れ入ります…」
小紫は中佐とは眼を合わさず、横に並んでるM1HAエイブラムス戦車の車列に眼を奪われながら返答する。アカデミーを出たばかりの少尉を演じては居ても、心根にはまだ『少年』が残っていた。
昔、プラモデルで作った、この角ばった特徴的な砲塔のMBTを実車で見るのは初めてだった。(かっこいい〜)そう心中で呟く。
「サンディエゴからワザワザSEALsの君に来てもらったのには、臨時にうちの『スカウト』どもを見てやって貰いたかったからだが…」
「はい、そう聞いてます…」
スカウト…つまり偵察隊要員の事だ。海兵隊の偵察隊というのは『腕に覚えある』選り抜きの連中が集まる、いわばエリート集団である。
M1戦車の車列が途切れる場所に、6人の海兵隊員が休めの姿勢で並んで待っていた。
(43-2)
中佐と小紫をみとめた一等兵曹が叫ぶ。
「気を〜つけ〜っ!」
「K中隊第二小隊第3分隊っ6名!命令により出頭いたしましたぁ!」
「やすめぇ!」
中佐が言うと(ざっ)っと従った。足並みが完璧に揃っている。
「紹介しよう! 彼は(小紫を見やる)今日から一週間、君らの特別訓練の指導に当たるSEALsのタナカ少尉だ、任務のため来られなくなったクーパー中尉の代行である…」
一同、各々が小紫を見て噴き出しそうになる…。
(このガキが?俺達を鍛えるだと?)
そういう表情だった。その反応を見た中佐が別の意味でにやけた…。
だから海兵隊員は『チ○ポ頭』とか言われるんだよ、と…。
小紫は分隊長の前に歩み寄ると彼の右胸の名前を見ながら言う。
「ガルニア…兵曹?…何か言いたいらしいな」
「いいぇ…その、少尉殿が…あまりにも…」
兵曹は眼で嘲笑する…。
「ガキっぽい…か?」
彼は眼で(そうだよオチビのNIPちゃん…)と答えた。
小紫は再び一歩下がると、顔色一つ変えずに言う。
「戦場で生き残るために必要なこと…それは『眼に見えない敵』をいかに正確かつ迅速に把握できるかである…」
「諸君にその能力があるか見せて貰う…」
6人は白けた顔で『演説』を聞いている。
「この中で、私をKOした者に…今日のディナーをご馳走しよう」
「そのかわり、私が勝てば諸君にはこれからフル装備で基地内を10周してもらう」
「無論分隊責任でだ、ただし…いきなりでは気の毒だから、ハンデをやろう…」
「…誰でもいい、指一本でも私に触れられたら君らの勝ちとする…」
一同、唖然として彼を見つめる…。
(何言ってやがる…頭オカシイんじゃねぇの?かこのイエローは…)
ガルニアはまたもニヤける。
中佐は首を振って(あ〜ぁ…少尉を怒らせたな…)と呆れた。
(43-3)
「んじゃ、遠慮なくいきますかね!」
そういうとガルニアが殴りかかろうと腕を振り被った…
「貰ったぜ!」っと思った瞬間、小紫の顔面を捉えた筈の拳が空振りになる…。
「えええええええ?」
小紫は彼の頭上をおおよそ3m程跳ね上がり、そのまま上空でクルリと後転するとM1戦車の主砲の上に『スタンっ』と立った。
「え?ええええええ〜」
思いっきりの空振りでバランスを崩したガルニアはM1戦車の方に向き直る。が、既に小紫はそこに居なかった。
次の瞬間 背中のある部分に小紫の拳が突かれると、全身に痺れるような衝撃を感じ、身体が言うことをきかなくなった。
「はい、君は死んだ…」
背後から彼の首に肘を巻き付け、奪った銃剣を突きつけると小紫は耳元でそう囁やいた。
実戦だったらもうガルニアの首は切りつけられ鮮血が吹き出している筈だ。
そこへ黒人の伍長が小紫の背中に隙あり!とばかり踵蹴りを試みると、クルリと反転した小紫がガルニアの顔をそこへ向ける。
慌てるがもう遅い、伍長は(兵曹を殺してしまう)と悟ったが、小紫は少しずらせてガルニアの首の付け根でそれを受けた。
ガルニアはその衝撃で失神しその場にへたり込む…。
前後して小紫はガルニアの肩越しに、右手で伍長の足首を掴み、左手をつま先にそえるとそれをグルッっと回した。
伍長は簡単に背骨を軸に空中を一回転し、そのまま激しく地面に顔面を叩きつけ気絶した。
小紫は残りの者たちに向き直ると、空から降ってきた将校帽を見もせずに左手で受け取り、また被りなおした。
この間10秒もない。彼は汗一つかかず、瞬時に音もなく大男2人を片づけた。
「次は誰?」
残りの4人は、(昼飯の時間までに基地内をフル装備で10周し終えるだろうか?)と考えるのが関の山で、固唾を飲んで先程と同じ『休め』の姿勢のまま立っているだけだった。
「すっっ げ〜ぇぇぇ 『マトリックス』みてぇだ…」
ニューメキシコ出身の三等兵曹が眼を丸くして感想を漏らすと、隣の同僚に後頭部をひっぱたかれた。
「よ〜し、それまで」
中佐がゲームセットを宣言する。
「二人が目を覚ましたら全員装備を取ってこい…今から基地内10周だ!…解散!」
ウンザリするような表情の分隊員を後に、中佐について歩き小紫が言う。
「2人だけだったから1/3の3周にマケてあげましょうよ…」
「構わん!いい薬になる…」
そう言って中佐が笑った。
(44)
地中海。フランス海軍原子力空母シャルル・ド・ゴール。
艦上に4機のラファールMが爆装を整えて待機中だ…。
現大統領から再びNATOの実力部隊に参画することになったフランスも今回の秘密作戦に参加している。
艦長は通信士官から電文を受け取ると傍らの提督にそれを見せる。
「ようし…『上空待機命令』発令だ…」
それを受けて艦長が管制室に命令を伝える。
既にカタパルトに装着されたラファールMは甲板士官の合図でフルスロットルにすると瞬く間に甲板を滑るようにして発進していった。
同じ時刻、パキスタン沖のアラビア海でもアメリカ海軍のF/A-18F(通称ライノ)が、そしてトルコのコンヤ空軍基地ではアメリカ空軍のF-15Eとドイツ空軍のトーネードが同じように進空していた。
(45-1)
あざみは殺風景な地下室の真ん中に、背凭れの外側に両腕を後ろ手に縛られ、両足首を椅子の脚に縛りつけられた状態にされている。
時計の針は既に深夜1時を回っていた。そろそろ作戦開始の時刻である。
拉致されて既に半日近く経つのだが、まだ尋問も拷問も受けていない…。段取りの悪い連中だと彼女は思った。
時間の使い方がまるで成っていなかった。おそらく場当たり的なプランなんだろう。
見張りは一人、正面の壁を背にし、椅子に腰を掛けて彼女を見張っていた。AK47が傍の壁に立てかけてあるが、その手にはしっかりと拳銃が握られていた。
恐らくドアの向こうにも一人、居る筈だった。
テロリスト…といっても士気は低そうだ…それが証拠に この見張りは度々『船を漕いでいる』。隙だらけだった。
あざみはスーツの袖に仕込んであったステンレス製の『紐鑢』で、先ほどから慎重に手首の縄を切断しにかかっていた。
間もなくすると縄は数本の糸だけで繋がる頼りない状態になった。
「んンっ」
あざみが咳払いをすると、見張りは頭を振って半眼になっていた眼をしばたたかせ意識を戻した。
「ちょっとぉ…お兄さん…頼みたいことがあるんだけどぉ…」
あざみは苦手のペルシャ語でそこの『髭モジャ』男に話しかける…。
「なんだ?…」
「ちょっと寒いんだけど…靴下直してくんない?」
左の太股を顎で示す。ガーターベルトのクリップが外れ膝のあたりまでずり落ちていた。
もちろん外したのはあざみ自身だ…。
「ちぇ…」
舌打ちをすると男は拳銃をズボンの腹に挿しあざみの前に膝まづいた。
彼女はわざと股を開いて、黒いレースの下着がよく見えるようにした。
男はニヤニヤしながらそこに手を入れて、ショーツのクロッチ部分の前でのたくっていたリボンを取るとその先のクリップに靴下を噛ませた。
ついでとばかりに太股の内側を揉みしだく…。
その間、じーっとあざみを見つめて反応を観察している。
あざみも『満更でもないわよぉ〜』っといった風に笑う。
「へ、オマエさん…言葉、わかんだな…」
「そうよぉ…」
次の瞬間あざみの手刀が男の喉に飛ぶ。
呼吸を失って男がひるむ…あざみはすぐさま男の顎と後頭部を掴み、思いっきりグルッっと捻る。
『グキ』っという鈍い音をたてて首の骨が折れると『髭モジャ』はあっさりと息絶えた。
(45-2)
「私とやりたいってか?…百年早いんだよねぇ…」
そう悪態をつくと素早く脚の縄を解き、男の拳銃を奪う。
「何よコレ〜…せめてグロッグくらい買ってもらいなさいよぉ〜」
銃が粗悪な北朝鮮製68式だと知ると不満を口にした。暫く外の見張りの動向を窺う…
そいつも寝ているのだろう…誰も来ないと判断するとあざみは部屋を見回す。
素早く両足のパンプスを脱ぎ、左右それぞれの『かまぼこ型』のヒール部分を90度捻って外し、中から折りたたみ式のヘッドセットと小型無線機を取り出して装着した。再びパンプスを元の『プレタ』に組み立て直しながら、ひまわりに呼び掛けてみた…。
「こちら『子猫2』…、ステップ1終了…そっちはどう?」
「『子猫1』了解…、現在ステップ2進行中…」
ひまわりの返答にひとまず安心するとあざみは靴を履きなおし、ドアの向こうの見張りを片づけにかかった…。
同じころ、ひまわりは既に音もなく見張り2人を処理し、廊下にある出窓から外に伝い出てシュタっと外の地面に飛び降りていた。
そして目標の青いバンに向かって急いだ。外の見張りは誰もいなかった。
「なんて杜撰なのかしら…」
思わず感想を漏らす(これなら訓練の方が厳しい)そう思った…。
「なあに?独り言ぉ?」
あざみが現れた。タイミングがピッタリだった。
二人は眼で合図するとあざみが慎重にバンの中を覗く…。
(クリア!)そう『ハンド・サイン』で伝えると、ひまわりが静かにバンの後部ドアを開けた。
二人は乗り込むとそれぞれブラウスの胸元からブラジャーに手を突っ込んでツールを取り出す。ひまわりは薄い4cm角のアルミ箔のようなものをそこから取り出すと噛みちぎって中からチップを取り出した。
『プラクティス…何分だったっけ?』
『平均2分18秒です…』
あざみが聞き、ひまわりがそう答えると彼女は腕の時計を見た。
「じゃ、目標2分フラットね!」
そう言うと、ピックのような形をした超小型ドライバーを使って通信装置の裏ぶたを開けにかかった。
あざみが手際よく左から3枚目のプリント基板を抜き出すと、そこに付いた小さなスロットからマイクロメモリーカードのようなものを抜き、ひまわりに渡す。
既に待機していたひまわりが先程ブラジャーから取り出したチップを渡すとあざみはそれに差し替えた。
そして元通りに裏蓋を閉じる。
「1分47秒…」
あざみが勝ち誇ったように笑う。
プラクティスで手を抜いていたわけではない、手順を間違えなく覚えるのを優先したためである。素早くできてもチップを逆に挿入したのでは意味がないのだから…。
「行きますよぉ!」
ひまわりはそういうと、また改めて(連中から奪った)コルト・ガバメントの装弾を確認し車外に出た。
あざみが(イイナーそれ)っといった目線をひまわりの銃に送った…。
(46)
ドイツ・チェコ国境上空。漆黒の闇を2機のMH-60Gがプラハ再開発区に向けて飛んでいる。ドレスデンで拾った2人の要員を乗せ、今まさにひまわり達を回収するために向かっていたのだった。
「これで何回目〜〜〜?」
大声で相棒が問うた。
「さぁ〜ね…いちいち数えてないからなぁ〜〜〜」
マックスウェルが手にしたM4カービンを調整しながらやはり大声で答える。
奴と組んだ回数なんかのことよりも、とにかく彼女達が心配だった…。
まだ20歳にも満たない『子供』を作戦に使っている…その罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
(47)
胸騒ぎがして眼が覚めたナジムはひまわりの居る筈の部屋に向かうと廊下に倒れている2人の部下を見つけて血の気が退いた…。
確かめるまでもなく部屋はもぬけの殻だった。
またしても『目玉焼き』になってトランシーバーで部下に呼び掛けるとあらん限りの悪態をつき罵った。
自分だって寝ていたくせに…。
「うぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜っ」
ナジムは気が狂ったように喚くと天井に向けてUZIの引き金を引いた。
『バリリリリリリリっ』
空気を劈く銃声が闇夜に響きわたると、蜂の巣をつついたような騒ぎでテロリスト達は眼を覚ました。
ひまわりとあざみは瞬間(しまった)っと思った。これでは屋上でマックスウェル達を待機できない。
「計画変更(plan-B)!」
あざみがそういうとひまわりはコクリと頷いた。
駐車してあるアウディに乗り込む…思った通りキーは挿しっぱなしだった…。
せめてバイザーの裏にでも隠せよと…あざみは苦笑いする。
後部座席にひまわりがAK47を2丁抱えて乗り込むとあざみはエンジンを掛けて出口に向かって走らせた。
「うぉのれぇぇぇぇぇぇ!」
走りだした銀のアウディを見つけると、それに向けてUZIの引き金を引くナジムだったが弾が出ない。
先ほどのヒステリー行為で全弾撃ち尽していたからだ。間抜けもいいとこだった…。
改めてAK47で撃ち始めるころには、今まさに車は外に出ようと門に衝突せんとしていた。
「何をしているぅぅぅ!〜追え!、追うのだぁぁぁぁ!」
2階から叫んで指示を送る。間抜けな部下達が慌てて、残っている白いアウディに乗り込む。
一度の衝突では門は開かなかった。あざみはバックするともう一度試みようとする。
「あざみちゃん待って」
そう、言い終わるか終わらないうちにひまわりがAK47を構えると門枠を繋いでいるチェーンを狙い撃って破壊した。
今度は軽くぶつけるだけで門が開いた。右のヘッドライトが壊れる。
僅か2〜3秒遅れてテロリストの車が続いて出た…。
「ちぇ…追いつかれちゃうよ…」
あざみはまずい流れになったことを感じる…。
(48)
「中佐〜、予定の場所に『子猫』が居ません!」
副操縦士が叫ぶ。
「マック!見ろあそこだ!」
サイドドアーを全開放し、むき出しになったデッキから身を乗り出して相棒が下を指差す。そこに2台のアウディがジグザグに走っているのが見えた。後ろの白い方からは火花が放たれている。銃撃しているのだ。
「彼女等を援護するぞ!」
マックスウェルはパイロットに指示を送るが、当分は無理だ。高い建物がある所では高度を落とせない…。
『頑張れ…』
彼は心中でそう 呟いた。
(49)
一人、現場に残されたナジムは、上空を飛び去っていくヘリの姿を虚ろな目で追っていた。
やがて跪いて崩れ落ちる…。『これでもう終りだ…』そう思うと頭を掻きむしって半狂乱になった。
4〜5分ほど放心状態でいると、やがて拳銃を手にし、静かにこめかみに当てる…。
ダメだ…引き金を引けない…。
『そうだ、まだ終わったと決まったわけではない…間抜けだが、キャンプで寝食を共にしてきた仲間達だ…見事に2人を連れ帰るかも知れないではないか…』
そう、前向きに考えなおすと『とにかく報告だ…』そう思ってバンに向かった。
(50)
ウィーン。アメリカ大使館…。
昨日から睡眠を取らずにナナフシはモニターを睨んでいた。彼の面前にコーヒーの入った紙コップがつきだされる。しきみが微笑んで立っていた。
「あぁ…すまない。ありがとう」
彼が一口啜ると、装置が「ピー」っと鳴り衛星回線が開かれた事を告げる。
慌てて座りなおすとナナフシは慎重に確認作業に入る。
ひまわり達が命がけで成し遂げた成果だ。慎重に確認したかった…。
「やった…」彼は里を出て初めて日本語で呟いた。
「成功です!」
それを聞いてアンダーソンは席から跳ねるように立ち上がると受話器を取り、ナナフシに座標送れと手で合図する。
「提督!成功です。相手の座標が分りました。今各機に送信中です」
後はペンタゴンに任せたとばかり電話を切ると しきみ達に向き直りウインクをした。
理屈は簡単だった。
ちょうど携帯電話のSIMと同じような働きをするチップに、デジタル化する音声信号に紛れて『マーキング』をプロトコルヘッダーに書き込むプログラムを組み込ませ、それをひまわり達の手で連中の端末に仕掛けたのだった。
『マーク』は衛星の回線接続装置には当然音声を運ぶパケットのデータと解釈されるから、そのまま相手の端末機にも送られる。
後はその『マーク』を受け取った受信機側が、再びそれを乗せたパケットを衛星に戻すのをモニターするだけだ。
IBMフェデラルシステムズの協力でCIAのデジタル兵器開発部門が生み出した傑作だった。
(51)
「スネイク・ワン、こちらイーグル・ネスト…荷物は届いたか?」
「イーグル・ネスト、スネイク・ワン受信完了。現在『飼い犬』に『喰わせて』いるところだ…」
アラビア海の空母CVN-69ドワイト・デービット・アイゼンハワーから飛んだF/A-18Fライノのエビエーターが答える…
「ターゲットには君らが最も近い、これより『フェーズ2』を開始せよ」
「了〜解、イーグル・ネスト…」
通信が切れるとエビエーターはインターコムに切り替え後席のRIOに告げる。
「ジャック!聞こえたろ。フランス野郎どもはお帰りあそばしたと〜」
最も遠いラファールMのエレメントは帰還したという意味だった。
RIOは笑いながらJDAM弾の全てにGPSデーターがアップロードされたことを確認した…。
(52)
『ナジム…貴様には本当に失望させられたぞ…』
無線機の向こう側でコメカミに血管を浮かび上がらせて憤怒する『主宰』の顔が頭に浮かんだ…。
「け、結論をお急ぎにならないでください…。部下が二人を捕らえ戻ってくるやもしれません…」
この状況では精一杯の弁明だった。
『貴様のその楽観的な思考回路が今回ばかりか前回の、そのまた前回の、そのまた…』
『…いや、とにかくお前の失態全ての源泉だということが解かっておらぬようだな?…』
「・・・・」
『まぁ何にしてもだ…、部下が戻り次第 アジトで待機していろ…迎えを寄こしてやるワ…』
「…解かりました…、し、しかし万が一事態が好転した場合には…」
『くどい!…』
「・・・」
『それからナジム…』
「は、はいっ」
『今使用してる通信装置は処分しておけ…解かったな…』
この言葉は重かった…、連絡はしない…ということは『もうお前は用無しだ』という意味だった。
「わ、わかりました…」
返事も返さずに相手は回線を閉じた…。
ナジムは暫くフォルクスワーゲンT2バンの床に座り込むと、虚ろな眼で通信機を見上げた…。
万事休す…。そう思うと頭を抱え込んで大声で喚き散らす。
ひとしきり騒いだ後、やおらフォルスターからトカレフを抜くと(バンっ!)っと一発通信機に放つ…。
こうなったら地獄の果てまで逃げ切ってやる…。そう思うのだった。
(53)
「バシュ!」
弾丸が命中し鈍い破裂音を上げて後輪のタイヤがバーストした。前輪駆動車だからまだ走れるがとてもスピードは上がらない。
「あざみちゃん!もう弾切れっ!」 後席で応戦していたひまわりがガバメントを投げ捨てて叫ぶ。
「クソっ!」
あざみは瞬時に考え、MH-60Gが近づけ易そうな場所で、かつ階数の低い建物を探すと素早くそれを見つけ、ステアリングを左に切って、飲食店か何かだったと思しき3階建ての廃屋に正面から突っ込んだ。
車は中のショーケースやらテーブルやらのガラクタに乗り上げて止まると、うまい具合に穴だらけの天井の下にキャビンをポジショニングできた。
「ここの屋上から拾って貰いましょ〜!」
あざみはサンルーフを開けると、運転席に備え付けの発煙筒をひまわりに渡し、先に行くように言って拳銃を手にする。
ひまわりは発煙筒を口に咥え、素早くサンルーフから車の上に乗り出す、手を差し伸べてあざみを引き上げると二人は天井裏を経由して2階に辿り着き、すぐに階段へ急いだ。
逃げながらあざみは判断のまずかった事を悔やむ。逃げ切れてこその現場離脱だったのだ。
ここでは地上支援チームの援護は期待できない…。
「居たぞ〜、上だ〜、上に行ったぞ〜」
テロリスト達がペルシャ語で喚き散らしている。
上空にMH-60Gの爆音が迫ってきた。これなら発煙筒は不要だった…。
屋上の出入り口にひまわり達を発見し、マックスウェルが叫ぶ。
「居たぞぉ!あそこだ〜」
間髪入れず、備え付けのM60D機銃のボルトを引いて相棒が待機する。
ヘリの起こす爆音と強風の中、二人が駆け寄ってくる。そこへ敵の銃弾が降り注ぐと上空からマックスウェル達も援護する。相棒は険しい顔でテロリスト達に向けてM61Dを連射した。
コンクリートの破片やその粉塵が夥しく舞い上がる…。
無造作に置かれたドラム缶や木箱の陰であざみも拳銃で応戦する。粗悪な北朝鮮製68式は弾が左に逸れる癖を持っていた。
「ひまわりっ!弾があるうちに早く行って〜」
あざみが絶叫すると、ひまわりは寄ってきたMH-60Gブラックホークの特徴的な大きなタイヤを剥き出しにした主脚に『えぃっ』っとばかり飛びついた。
「つかまれ〜」
マックスウェルが彼女の腕をつかみ引き上げると、テイルローターの僅か1〜2メートル上をロケット弾がかすめて隣のビルに命中した。
(まずい)彼がそう思うと、相棒がパイロットに叫ぶ。
「スティンガーだ!〜〜〜〜、早く出せ〜〜〜」
あざみを残してMH-60Gは素早く連中の視界から退避する。仕方がなかった…。
「あざみちゃ〜〜〜〜〜〜〜ん!」
ひまわりが泣きながら叫ぶ。
下では事態を受け入れたあざみが笑って見上げていた。すでに両腕を上げて『降参』の意思表示を敵に示している。
「ひまわり…元気でね…、ハヤト先生に伝えて『愛してる』って…」
ヘッドセットに彼女の最後の声が日本語で伝わった。2つ目のセンテンスには力がこもっていた…
「いやぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜あ ざ み ち ゃ〜〜〜〜ん〜〜〜〜〜っ!」
泣き喚くひまわりを抱きしめてあざみを見やるマックスウェル…今はどうしようもなかった…。
(54)
ひまわり等の乗ったMH-60Gは今、充分な広さをもった空き地に着陸するところだった。
既にプラハ警察や、CIAのセダン、SWATのバンなど様々な機関の車両がひしめいている。再開発区が騒然としている。
マックスウェルが地上の支援チームに、あざみが残された建物を包囲するように様に既に命令してあったが、間に合わなかった。現場には追跡に使われた白いアウディが乗り捨ててあり、連中の足取りはつかめなかったと報告が入った。
「クソ! 一体どこに消えやがったってんだ!」
柄にもなく悪態をつく彼の肩に手を置いて『もう一人のジェ−ムス』がなだめる。
ヘリがドスンと着地する、次の瞬間、ひまわりは飛び降りると一目散に駆けだした。
「おいっ!君っ!」
マックスウェルが叫び、追いかけようとするが『相棒』がその腕をつかんだ。
ひまわりは(ごめんなさい!)っと言って警官からドゥカティ・ストリートファイターを奪うとミラーに掛けてあるヘルメットを被り、スターターを蹴飛っばして1.1リッター2シリンダーエンジンを始動させる。
高回転のまま乱暴にクラッチを繋ぎ、左足を軸にしてターンさせると、彼女は激しくウィリーさせて発進し闇の中に消えていった。
「好きにさせてやろう…」
そういうと憂いを湛えた眼で彼女を見送った。
(55)
アフガニスタン…。遠く北方にトルクメニスタン共和国を望む高地。人里離れたその山脈に『主宰』の本拠地が隠されていた。辺り一面に天然の牧草が生え、4〜50頭のヤギ達が呑気にそれを啄んでいる。
女達が井戸から水をくみ出し、朝食の支度に勤しんでいた。
その傍らでは子供たちがヤギ相手に無邪気に遊んでいる…。
『主宰』は天然の洞窟を利用してここに地下基地を築き、そこで暮らしていた。
単なるアジトではない。100人からなるテロリスト達の養成施設でもあった。
みな家族とここで暮らしていた。
ナジムとの不愉快なやり取りの後、イライラして寝付けなかった『主宰』は気分を変えるために外に出てきていた。
明けたばかりの朝…太陽がまぶしい…、今日もいい天気になりそうだった。
傍を5歳ぐらいの男の子がイッパシのテロリストを気取り、機関銃に見立てた木の枝で彼を撃つマネをする。
『わ〜やられたぁ〜』っといって『主宰』は撃たれた真似をすると、男の子はキャッキャと笑う。
しゃがんで男の子の頭を笑いながら撫でている時だった…。遠く『ひゅ〜〜〜〜〜』っと口笛を吹く様な音が近づいてくるのに気がついた。
悪い予感に(はっ)として立ち上がった時には、彼はもう『この世』の存在ではなくなった…。
(56)
ロンドン。MI-6のオペレーションセンター。
標準時で午前1時を過ぎていた。
イギリスの偵察衛星が西側各国の情報機関へ配信している映像が、今センタースクリーンに映し出されている。
まだ現地は明方のため赤外線映像だが、角度の関係でそこに居る人物達の姿形が手に取るように分かった。女、子供達が居ることも全て判かっていた。
Mは顔色一つ変えないでその映像を睨んでいる。
次の瞬間、4機のF/A-18Fがそれぞれ4発づつ投下したJDAM弾が着弾する瞬間が訪れると画像は激しい爆発の閃光でホワイトアウト状態になる。
暫くすると映像が復活し、夥しい破壊の惨状を伝えてきた…。
そこにあった山腹の草原は『大きなクレータ』に変わっていた。
生存者らしき者はどこにも見えなかった…。
ヤギの半身らしき『肉塊』が転がっているのが見える…。
『主よ、汝が過てる子羊を許し給え…』
Mはそう胸の内で呟くと踵を返し仮眠をとるために自分の執務室に向かった…。
23分後、さらにF-15Eとトーネードが『バンカーバスター弾』で止めを刺すことになっていた。
(57)
ウィーンではロンドンと同じ映像をしきみやナナフシ達が見つめていた。作戦は大成功に終わった…。
だが手放しで喜べるような画像ではない…。作戦は女子供にも容赦がなかった…。
ただ『テロリストと一緒に暮らしていた』それだけの理由で大勢の罪もない人間が死んだのだ…。
「慣れておけ…。これが『実戦』だ…」
アンダーソンがスクリーンから眼を離せないで居る二人の肩を叩き、そう言った。
後方で分析官が受話器を抑えて彼を呼ぶ。
アンダーソンが向き直って(こっちに回せ)と合図し、受話器を取った。
しきみは振り向くと、彼の表情から『良くない知らせ』だとハッキリ悟った…。
「そうか…、了解した…」
そう言って電話を置くと、両手をコンソールに突いたまま俯く…。
暫くしてしきみ達の方に顔をあげて言う…。
「ウインタース少尉が脱出に失敗した…」
しきみとナナフシは言葉が見つからなかった。
(58)
ひまわり達がヘリを降りた、ちょうど反対側の森林公園のフェンスに沿った道路に、スカニアR143トレーラーが待機している。運転席に座ったナジムがステアリング・ホイールの上に両腕を組み突っ伏していた。闇夜に二つの『目玉焼き』が光っている。
一度は逃げようと思っていた彼だったが、部下達から2人のうち護衛官を捕まえたと連絡を受け、その前に『一仕事』試みるつもりだった。
既に『主宰』はこの世には居ないという事実を知らなかった彼は、一縷の望みをかけて『名誉挽回』の策を練っていたのだった。
トレーラーの下に隠されたマンホールの蓋が開く。そこから浅黒い顔の男が注意深く周囲を見渡す。トレーラーのフェンダーの陰で待っていたスキンヘッドの男が合図を送ると、男はそこを這いあがってきた。
サイドミラーに写ったナジムに向け、スキンヘッドが合図する。男が次々と現れると最後の一人があざみを後ろから追いたてるようにして上がってきた。あざみの腹にはC4が巻きつけてあった。逃げたら無線起爆装置でドカン…それで終わりだ。
車を降りたナジムは、あざみの細い首を掴むと、あらん限りの力で彼女をコンテナに押しつける。苦しみで顔が歪む。
「きさまぁ〜〜〜。よくもこの俺の顔に泥を塗ってくれたなぁぁぁぁぁ〜」
減らず口を叩き返したいが苦しくて声が出ない…。
「兄弟の恨みは貴様で晴らす…。だが、今一つお前には聞きたいことがあるんでな…」
まだ殺さない…そういう意味だった。
(59)
ハヤトは本当にこれからヨーロッパに行くのか?っといった軽装で、成田国際空港のチェックインカウンターに並んでいた。
平日、しかも旅行シーズンではないので空港は空いていた。
「お荷物は?」
「い、いえ…ありません、これだけ…」
彼は手荷物を見せると預け入れの物はないとカウンターの女性に告げた。
彼女は訝しげに微かに首を捻ったが、テキパキと端末を叩き、左手にある専用ディスペンサーにボーディングチケットを吐き出させる。一緒に吐き出されたバゲージクレームのタグはそのままゴミ箱に投げ捨てられた。
「第一ターミナル南ウィングのこのゲート番号になります。出発時刻30分前までには搭乗ゲートにいらしてください」
「あ、ありがとう…」
型どおりの説明を受け、ハヤトは引き攣った笑顔を返すとすぐさまゲートに向かった。
何しろ5年ぶりくらいの成田だったので手順を思い出すのに一苦労だ…。
案の定、持っていたエビアンのペットボトルをセキュリティで没収されて苦笑いする羽目に陥った。入口の注意書きをしっかり読んでいればいいだけの話である…。
「ったく、これで生徒に『一般教養』を教えてるってんだから笑っちゃうよ…」
ハヤトは悪態をつくとイミグレーション・フロアーに急いだ。
(60)
ひまわりはまるでGPライダーのようにドゥカティを飛ばす。霞の里に来るまでバイクに触ったこともなかった少女が、今やこの警察仕様のイタリア製怪物バイクを自由自在に駆っているのだから驚きである。しかも完璧に…。
彼女は碁盤の目のような再開発区を縫うように走り、瞬く間にあざみを見失った現場に辿り着いた。その土地勘も驚異的だった。
「Policie」と大きく書かれてるバイクを降りて荒々しくこちらに近づいてくるピンクのスカートを履いた女を見て、現場警備についていたSWAT隊員が警戒感を強めて眺めている。
「君!彼女は良いんだ…通してやってくれ…」
既に顔見知りのCIA局員が警官に告げた。
「ご苦労様です…現場保存は?」
「完璧だ…誰も入れてないよ…じきに『CSI』がくる…」
CSIとは科学捜査チームにフォーカスした有名なTVドラマの事だ。
「すみません…着替えたいんですけど、なんかありますか?」
ひまわりはバイクに跨ってる間、パールピンクのショーツとガーターベルトを剥き出しで走っていて、いい加減ウンザリしていた。
恥ずかしいのではなく、迎え来る疾風を股間と脚で受けて凍える思いだったからだ。
4月とはいえプラハの夜はまだまだ寒い。
「おい君!(傍らのSWAT要員を呼び寄せる)」
「少尉に、なにか服を貸してあげてくれ…」
警官は頷くと彼女をSWAT隊のバンに案内した。
その途中思い出したように彼女は変装用のカラーコンタクトを外しポケットに入れた。
(61)
ウィーン、アメリカ大使館…。作戦成功でチームは一時解散となり、必要最低限の要員だけを残しオペレーションルームは静寂が支配している。
しきみとナナフシはまだ席に座ったままだ…。
「ミスター・サイトウ…少しでいいから今の内に寝ておいた方が良くてよ…これから長丁場になるワ」
しきみは英語で彼の『芸名』を口にして優しく言った。
「わかった…そうする…」
彼は素直に従って立ち上がる。ここ24時間ろくに眠っていなかった。
「何かあったら…直ぐ起こしてくれ…」
そう言って部屋を出た。
奥のコマンダーズ・ルームから微かにアンダーソンの声が漏れていた。
何やら電話の相手に喚いているらしい。
しきみは少しその様子を気にしながら、早くも『あざみ救出作戦』に関し、自分なりにいろいろと思索を巡らしていた。
(62)
成田空港の第一ターミナル南ウィング。
ボーディングまでの時間、ハヤトは何もすることがなくまだ誰も居ない待合ブースのTVの正面に陣取ってNHKを見ていた。料理番組で口やかましいおばさんが何やら料理を作っている。すると(ポーン、ポーン)っというチャイム音に続いて画面上部にテロップが流れた。
『プラハ誘拐事件。人質のパルティメニスタン大統領令嬢エドナさんを無事保護。犯人グループは1名を除き全員射殺』
と繰り返し2回流れた。
「や、やった〜〜〜〜」
思わず立ちあがって叫ぶ。
ハヤトは安堵した。
愛するひまわりは無事なのだ…、だが待てよ…。
あざみはどうなったんだろう?一緒に助け出されたんだろうか?…。
2分後に料理番組が打ち切られ、報道センターのアナウンサーが映る画面に切り替わった。
(63)
ひまわりはSWATのバンの中で警官の用意してくれた黒のジャンパースーツに着替えた。
『マイアミバイス』で主人公が愛用してたのと同じアッパーバレル式のホルスターを下げると、同じく貸してくれた拳銃を手に取った。
あざみの愛用しているものと同じSIGのP220だった…。
暫く銃を眺めながらあざみの顔を思い浮かべ、物思いに耽りかけるが(はっ)っとして我に返り、マガジンと装弾を確認するとハンマーを軽くコックさせてセーフティを掛ける。
ひまわりは目線を遠くに見つめながら、ホルスターに銃を収め、しっかりとホックを掛けた。
感傷に浸るにはまだ早い。今はするべき事をするだけだ…。
以前の涙もろい彼女はすっかり影を潜めていた。
ひまわりは改めて決意を決めるとマガジン4本を手にしてバンを降りた。
ちょうどそこに『科学分析チーム』が到着してきた。
ひまわりは許可を取り、立ち合せて貰うことにした。
東の空が微かに白んでいた。もう直ぐ夜が明ける…。
(64)
成田国際空港。プレミアム/ビジネスクラスの搭乗が終わり、ハヤトはソファーを立つと改札ゲートに向かった。可愛らしい顔の係員がハヤトのチケットをレジストレーションマシンに潜らせて座席番号の入った半券を返してくれる。
搭乗口で中年のキャビンアテンダントがその紙片を見て
綺麗な日本語で(こちらです)と笑顔で通路を教えてくれた。
いそいそと中に急ぐと、ハヤトは身体が固まった…。
(んな、まさかぁ〜)ハヤトは笑いながらそんなことがあるわけがないと否定する。
だが、どうしてもそれが『確実にそうではない』ことを確かめずにはいられずに、次々と押し寄せる後続の客達に詫びを入れながら、ビジネスクラスのデッキに戻る。
やはり、勘は正しかった。
「つ、つきよ姫ぇぇ〜〜〜〜〜〜ぇっ????」
いつもとは違う服装でいたからすぐに気がつかなかったが、何といっても味噌汁の香りがハヤトにそれを気付かせたのだ…。
「 公 衆 の 面 前 で … 」
「 大 き な 声 を 上 げ る で な い … 」
そう呟くと、CAから持ってこさせたお湯の入った紙コップに茶色い粉末を入れて割りばしでかき混ぜる。
「な、なんでお前がぁ、ここにいんだよ…?」
つきよ姫は頭に黒のバンダナを巻き、巧みに耳の形を隠している。スタートレックのMrスポックが映画でそんな風にしていたのを思い出した…。
一緒に温泉に浸かったときのバスタオル姿を除けば、大仰な着物姿以外の彼女を見るのは初めてだった。
薄紫のタンクトップに白のジャケットを羽織り、黒いスウェードのミニスカートから伸びた綺麗な生脚の先にシルバーのミュールをひっかけていた。
「 一 度 、 ビ ジ ネ ス ク ラ ス の 機 内 食 を … 」
「 食 し て み た い と 思 っ て い た の で な … 」
そう言って味噌汁を啜るのだった…。
それを聞くとバカらしくなってハヤトは自分の席に引き返した。
「 ん 〜 た ま に は イ ン ス タ ン ト も 良 い … 」
そのやり取りを反対側のビジネスクラスのシートで新聞を広げながら窺っている男がいた。
他でもない武智吾郎である。
(65)
あざみは目隠しをされたまま車から降ろされると、またしてもどこかの地下室に連れ込まれた。
トレーラーにはおおよそ30分ほど揺られていたろうか?それから別のクルマに乗り換え、さらに同じくらい走った。
だが正確な時間と車のスピードが分らなかったために全く居場所の手掛かりになる情報が揃わなかった。
目隠しをされたまま、あざみは両手両足を縛られ、壁に「大の字」に貼り付けにされた。
何も見えないため不安感が募る。
やがて男達は立ち去ると鉄の扉が閉まるような音が聞こえた。続いて、明らかに施錠していると思しき音がすると、それを最後に静寂が訪れた。
(アタシ、どうなっちゃうんだろ…?)
そう思うと、あざみは正直に『恐怖感』を受け入れた…。
着ている服には、もう脱出用のツールは何も残っていなかった…。
物凄く水が飲みたい…。
(66)
手掛かりを求め、科学分析チームのメンバーが注意深く現場を探っている。
ひまわり達が監禁されていた廃屋にも同じ対応がなされている筈だった。
だが、ひまわりには『あざみが最後に居た』この場所が最優先だった。
なぜならあざみの事だ、絶対に何かの痕跡を残しておいてくれていることは間違いないからだった。
ひまわりはあの製薬会社の『空母』に侵入したときのことを思い出した…。あざみが先行して侵入し、彼女がリセットしたドアの暗号ナンバーを言い当てたのは他ならぬ自分だった。あのとき以来、彼女とは何でも以心伝心だった。
「ライト少尉!」
ひまわりを呼ぶ声の方に足早で向かう。
「これを…」
係官が指差す地面には、恐らくパンプスの先でなぞって書いたのだろう、『->』と矢印がハッキリ書かれていた。
その示す先に下水道につながっているマンホールの蓋が見えた…。
現場捜索開始から4時間…。やっと『目的のモノ』を発見した。
ひまわりはしゃがみ込んで暫く矢印を見つめていたが、係官に撮影を願うと立ちあがり、ポケットから情報部員だけが持ち歩くことが可能なノキア製高性能携帯電話を取り出した。
(67-1)
『ピリピリピリ〜〜〜〜』っという耳障りな音でしきみは眼を覚ました。
(いっけない…)つい眠ってしまっていた…。
時計の針はウィーン標準時で05:21を示していた。
ちなみにオーストリアとチェコに時差はない。
携帯の受話ボタンを押すと聞き覚えのある声が流れてきた。
『しきみさん!ひまわりです!』
「(しょうがないわねぇ〜とばかりに)this is Mitsui speaking…」と応じた。
ひまわりは(ああ、しまった〜)とばかりに『英語モード』に切り替えた。
『現場で手掛かりを発見しました…あざ…いえ、ウィンタース少尉が現場にサインを残してくれて、連中は恐らく下水道を使って脱出したと考えられます…』
「ちょっと待って」
しきみは色めき立って、モニターにプラハ再開発区の地図を表示させ、さらにそこからマンホールをルックアップするように操作をする。
「今確認したわ…半径6キロ以内に…ざっとみて300個はある…」
ひまわりが続ける。
『今、アメリカの衛星はここをモニターできるんですよね?だったらウィンタース少尉が消えた時刻、ここら一体の画像をかき集めれば、マンホールの位置に近い場所に停車してる車両や家屋の存在が軒並み洗い出せませんか?』
それを聞いてしきみは一気に眼が覚めた。
車両どころか上手くすれば連中の姿が映ってる映像だって見つかるかも知れなかった…。
「言いたいことは解かったわ!(流石よひまわり…)」
『よろしくお願いします…』
ひまわりはそういうと電話を切った。