エロくない作品はこのスレに7

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354ロリコン:2007/10/21(日) 14:30:16 ID:CG0KnEML
投下させていただきます
関西弁が苦手な方はスルーしてください
携帯で書いているので、読みづらい箇所もあるかもしれません
ご了承下さい
一応、以前、投下した話の続きとなっております
が、期待されるような展開は全くないかと思われます
ぶっちゃけ、面白くないです
保守代わりの投下だと把握して頂ければと思っております
355ロリコン:2007/10/21(日) 14:30:57 ID:CG0KnEML
 ドンドンとドアが叩かれる音がする。
「みーずーはーらぁー!はよ、開けろー!」
 子供の声が狭い部屋に響く。
 光は、黙ってドアを開けた。そこには、金の頭と黒の頭が。
「遅いねん。このクズ!」
 金の頭、葵はそう吐き捨てると、光の脇をすり抜け、部屋の中へと入っていった。
 黒の頭、碧はというと、光にニコッと笑いかけ、小さな声でお邪魔しますと言ってから、靴を脱ぎ始めた。ちゃんと、脱いだ靴を並べることも忘れない。しかも、葵が脱ぎ散らかした靴まで並べている。
 あれから、この双子が光の部屋に遊びにくるようになった。
 二人が双子と知った時、光は驚いた。全く似ていない。天と地ぐらいの差がある。
 どのようにしたら、こんなに正反対な双子を育てられるのだろうか。真鍋さんに聞いてみたかったが、あの人と話すのは苦手なので止めておいた。
 葵は既にテレビの前を陣取り、ゲームを始めていた。投げ捨てられたボロボロのランドセルが部屋の隅に転がっている。
 碧は自分のランドセルを静かに降ろすと、部屋の隅に置いていた。葵のランドセルもその隣に並べなおしてから、ゲームに夢中になっている葵の傍にちょこんと座る。
 いやはや、全く似ていない。
356ロリコン:2007/10/21(日) 14:31:47 ID:CG0KnEML
「水原ー。ジュースー」
 目をテレビ画面に集中させたまま、葵がふてぶてしく言う。
 光は返事を返さずに冷蔵庫から冷えた炭酸ジュースを取り出した。
 視界の端で、部屋の中央に置いてある小さな卓袱台に碧がコップを用意してくれているのが見えた。
 碧にお礼を言い、コップにジュースを注ぐ。炭酸の泡が次々と踊りながら上まで登っては、パチパチと云いながら弾けて消えていく。
 葵はお礼も告げず、それが当たり前かのようにコップを手に取った。口へと運び、くぴくぴと飲んでいる。
 碧は光の隣に座り、こちらはやはりキチンとお礼を言ってから、同じようにくぴくぴと飲んでいた。
 飲んでいる仕草事態はすごく似ているんだけどなぁと、光はぼんやり思う。
 その時、ふと、葵に呼びかけられた。
 顔だけをそちらに向け、視線だけで、何だ?と問いかける。
「お前、彼女とか居らへんの?」
 葵の唐突な質問に光は思わず固まった。
 居るはずがない。できるわけがない。このコミュニケーション能力では。突然、何を言い出すのだ。このガキは。
「居ません」
 正直に答えた。一瞬、嘘をついてやろうとも考えたが、大学の授業とバイトでしか外出しないので、どうせバレる。
357ロリコン:2007/10/21(日) 14:32:30 ID:CG0KnEML
「ふーん」
 葵は、ニヤニヤと忍び笑いをしながら、ゲームを再開し始めた。
 絶対、馬鹿にされている。
「好きな人とかは居らんの?」
 碧が、こちらを見上げながら、可愛らしい声で尋ねてきた。
 テレビ画面では、葵の操るキャラクターが見事に壁に激突している。
「居ません」
 あえて言うならば碧だろうか。いや、怪しい意味ではなく。自分は断じてロリコンではない。
 碧は尚も光に尋ねてくる。
「初恋は?したこと、ある?」
「えぇ。それぐらいは」
「どんな人?」
 碧が目をキラキラさせながら、興味津々といった表情で見つめてくる。光は自分の頬が緩むのを感じた。あぁ、かわいい。
「幼稚園の先生でした」
「お前、年上が好みやったん!?」
 ゲームをやっていた葵が目を見開き気味にし、卓袱台越しに身を乗りだして、急に話に食いついてきた。
 光はその過剰な反応に驚いて、少し身を引きつつも答える。
「いえ、そういうわけでは」
 葵は睨みつけるように光のことをじっと見てくる。威嚇されている気がしないでもない。
 なぜ、葵がこのような行動をとるのか、光には全くわからない。理解したいとも思わない。が、居心地が悪い。
358ロリコン:2007/10/21(日) 14:33:18 ID:CG0KnEML
 もしかすると、熟女好きの変態だと思われているのだろうか?確かに、熟女は嫌いではないし、自分が変態ではないとは言い切れないかもしれない。
 しかし、光が熟女好きでも、変態でも、葵には直接関係ないはずだ。どうして、こんな目で見られなければならない。人の趣向に他人が口出ししないで欲しい。何を好きだろうと人の勝手だ。
 光のことをキモいと思うのなら、サッサとこの部屋を出て行けばいいのだ。碧を残して。
 暫く、この意味不明な睨み合いのようなものは続いた。光の目は始終泳いでいたが。
「葵って…」
 光がこの不毛な睨み合いにうんざりしかけた頃、天の助けとばかりに碧が口を開いた。
「お兄ちゃんのこと、ほんまに好きやねんなぁ」
 どこから、そのような結論が出てくるのか。
 いろんな意味で絶句する二人をよそに、碧はニコニコとそんな二人を眺めていた。

投下終わります
359名無しさん@ピンキー:2007/10/29(月) 23:01:43 ID:cuvGc7Qm
ボーイッシュスレから流れてきました。
以下の保管庫のフレーム内『SS』からSSページへ飛び、
リストの一番下の『うめねた』の続きです。
http://boyishpink.client.jp/frame.html

 ひょっとしたらもう来ないのではないか――というウィリアムの懸念をよそに、ロザリーは翌日もグラッドの元に姿を現した。
 だが、ほっと胸を撫で下ろすウィリアムとは対照的にグラッドの表情は渋い。
 ロザリーは静かに剣を構え、その日一日中、ほとんど休憩も取らずにひたすらグラッドと切り合った。
 その、ロザリーが今まで魅せた事の無い必死さに、自然グラッドの表情も真剣みを帯びる。
 幼馴染を待っているのだ――とロザリーは言った。
 グラッドはそんな口約束、と馬鹿にしたが、ロザリーにとってその約束がいかに大切か、いつしか理解するようになっていた。
 そうか、そんなに大切な約束なれば、死ぬ気で守れ。
 そう言ったグラッドの表情には、慈悲の欠片も無かったように思う。
 グラッドが勝つだろうと、ウィリアムは確信していた。確信してきた。
 だがここにきて、その確信がひどく揺らぐ。
 グラッドが真剣にロザリーを鍛えれば鍛えるほど、ロザリーが必死に剣を振れば振るほどに、二人の差が縮まっていくのが目に見えるようだった。

 その日、息を切らせ、汗だくになりながら交えた刃に、何の意味があったのかウィリアムには分からない。
 だがロザリーが剣を落とし、地面に崩れ落ちた時――初めて、グラッドはロザリーに敬意の視線を向けた。
 そして――その日以降、ロザリーはグラッドの元を訪れる事は無かった。
 しかしグラッドはすでにその事は了承済みと言った様子で、ただ決闘の日まで淡々と、今まで決闘のために訓練などした事も無かったのに、一心不乱に剣を振り続けた。

 時間は遅々として進まないようであり、飛ぶように過ぎるようであり、しかし一定の速度で規則正しく経過して行った。
 ロサリーと顔を合わせなくなって、随分と経ったように思う。
「強い相手と戦って――殺さずに勝つ方法を知ってるか?」
 決闘前夜の食事時に、唐突にグラッドが切り出した。 
 グラッドは既に食事を終え、下品にもテーブルに両足を投げ出している。
「いえ――存じません」
 正直に答えると、く、くくく、とグラッドが喉を鳴らして笑った。
「俺も知らねぇ」
 げらげらと、とうとう喉を反らして笑い出したグラッドの瞳に、ウィリアムは戦場の狂気を見出して戦慄した。
 聞かずにはいられない事がある。
「閣下。貴方はロザリーを――」
「腕の一本くらいなら――」
 がたん、と大げさに音を鳴らして立ち上がる。
「なくなったっていいやな」
 それは、自分自身の腕の事か、それともあの、ロザリーの細く、可愛らしい腕の事か――。
「明日は収穫祭だ。早めに寝とけよ」
 たんたんと音を鳴らして階段を上がって行くグラッドの後姿に、ウィリアムはそれ以上何も問う事が出来なかった。


***


 決闘当日。
 場所はジョエル邸の中庭に、全ての――誰一人余すことなく――村人が終結していた。
 普段は決闘になど興味も示さないジョエルおよびその妻まで、手に手を取り合ってじっと固唾を呑んでいる。
 介添え人もいない、小柄で、少年のようだが少女でしかないロザリーは、グラッドと対峙すると酷く弱々しく見える。
「似合ってるじゃねぇか――そそるねぇ」
 そう、グラッドが揶揄したロザリーの装いは、兵舎で傭兵が纏うような簡素で丈夫な皮製の服だった。
 ロザリーがウィリアムに助言をもらって選んだ物である。
「ロザリー! 無理だと思ったらすぐに降参するんだぞ! いいな!」
360名無しさん@ピンキー:2007/10/29(月) 23:02:24 ID:cuvGc7Qm
 遠くでジョエルが緊張で上ずった声を上げる。
 しかしロザリーは表情一つ変えずに、ひたとグラッドを見据えたまま動かなかった。
 その腰の――美しい炎の刃。
 フランベルジュ。
「それが君の武器?」
 ウィリアムの持つ重たそうなその剣は、鞘に収まっているため形状はわからなかった。
 だが、粗野なグラッドがふるうには、やや繊細すぎるように見える。
「知ってるかロズ」
 初めて、ロザリーの冷静な表情が動いた。
 ロズ――と、今、グラッドはそう呼んだか。
 幼少期からの友も疎遠になり、最早誰も呼ぶことのなくなったその愛称を――。
「その、フランベルジュの形状の理由だ――そいつは肉を抉り、組織を壊し、腱を絶ち、骨を抉る武器だ。綺麗だから――だからそれを選んだと言ったのを覚えてるか」
 グラッドの暗い、奈落のような瞳の奥で地獄の業火が揺れている。
 うやうやしくウィリアムが差し出したその剣。
 鞘から抜き去られた美しく波打つ刃――フランベルジュ。
「これが、戦場のフランベルジュだ。こんな剣を持つ奴にまともな奴はいねぇ。真性のサディストだよ。人を苦しめるための剣だ」
 そんな物で婚約者を切るのか、と野次が上がったが、グラッドは意に介さず、ただ獲物を見るような目つきでロザリーを見た。
 各が違う――と、一年前に思ったその瞳が、今ではそれ程恐ろしくない。
 嬉しかった。
 恐怖よりも歓喜で震える。
 グラッドが――あの、果物ナイフでロザリーを侮ったグラッドが、こんなにも真剣に――。

 知らず、笑顔がこぼれていた。
 愛しい、愛しい好敵手。早く、速くと急かされるように、ロザリーは剣を構えた。
 その気迫に、グラッドに対する野次さえ消える。
 固唾を呑んで見守る中、グラッドも静かに剣を構えた。
 ウィリアムの声が決闘の開始を告げる。
 それと同時に、双方共に獣のような咆哮を噴き上げた。
 
 喚声。
 火花。
 衝撃。

 ごうごうと、嵐のような風音が聞こえていた。
 それに混じって、ヒィン、ヒィンと、悲鳴の様な音がする。
 たたき付けるように振り下ろされたグラッドの剣をひらりとかわし、ロザリーはわざと大きく振りかぶった。
 みえみえだと言わんばかりにグラッドがロザリーの剣を止める。

 そして――。

 弾かれるままに、ロザリーは剣を手放した。

 あ、と――観衆が息を呑む。
 宙を舞った美しい白刃を――果たして見上げなかった者がいただろうか――。

 次の瞬間。
 グラッドが崩れ落ちていた。
 その、ロザリーの手に光る小さな、可愛らしい装飾の果物ナイフ。

 ザン、と鋭く、半ば根元までロザリーの剣が地面に突き刺さる。
 愕然と――だがどこか嬉々として見上げてくるグラッドの瞳に、ロザリーの苦渋に歪んだ表情が映りこんだ。
「――ごめん」
 ひたりと、崩れ落ちたグラッドの喉に突きつけたナイフから、ぽたりと鮮血が滴った。
 ロザリーの瞳から涙が溢れる。
 食いしばった歯の隙間からは、謝罪しか出てこない。
361名無しさん@ピンキー:2007/10/29(月) 23:03:02 ID:cuvGc7Qm
「泣くな」
 じわりと、グラッドのクロースアーマーから血液が滲み出る。
 傷口を強く抑えながら、グラッドは立ち上がってロザリーの涙を拭った。
「おまえの勝ちだ」
 医者を――と、ウィリアムが叫び、待機していた医者が飛んでくる。
 ひそひそと、村人達が囁きあう声が聞こえた。
 どうして子爵様が倒れたんだ。ロザリー様が負けたように見えたのに――と。
 そして誰かが、あのナイフで刺したんだ、と囁いた。
「惜しいなぁ、チクショウ」
「閣下! 手当てを――」
 駆け寄ってきたウィリアムを片手で制し、グラッドはロザリーが握り締めて離さない果物ナイフを、一本一本指を解くようにして引き剥がした。
 ロザリーの手と、グラッドの手と、果物ナイフの間で、すでに乾きはじめている血液がねちゃりと短く糸を引く。
「ごめん……ごめん」
 必死に嗚咽を押し殺し、小さく肩を震わせながらロザリーは繰り返した。
 卑怯なんじゃないのか――と、囁きあう声がする。
 誰あろう、ロザリー自身がその行為の汚さを理解していた。
 認めてくれたグラッドを。真剣に向き合ってぐれたグラッドを。ロザリーは裏切ったのだ。
 決闘は終わりだ、と、使用人の誰かが声を荒げて野次馬を追い払っている声がする。
 ぽん、とロザリーの頭に手を置いて、グラッドが青ざめた顔色のまま意地悪く微笑んだ。
「勝ちゃあいいんだよ。お嬢さん」
 ぐぅ、と呻いて、グラッドがその場に膝を着く。
 すぐさまウィリアムがその体を支え、使用人を呼んで静かにタンカに横たえた。
 騒ぐな、大丈夫だとグラッドが繰り返す。
 
 そうして、決闘が終った。
 ロザリーは自分自身を取り戻し、グラッドは大事には至らなかった腹の傷を抱えてあと数週間はこの村で過ごすと言う。
 ジョエルはもう、ロザリーを責めたり結婚を急かしたりはしなかった。
 そこまでフィリクスを信じるのなら、そこまでその約束が大切ならば、好きにすればいい、と言ってくれた父親に、しかりロザリーは微笑み返す事しかできなかった。
 よく、わからない。
 グラッドが好きだ。
 ウィリアムも好きだ。
 両親を安心させてあげたいと思う。
 それら全てを振り払い、我が侭を貫き通すほど――矜持を捨てて決闘を汚すほどに、幼い頃の口約束がそんなに尊い物なのか――。
 そんな事を思うようになったのはどうしてなのか、何よりも輝いて見えた約束が、今はひどく頼りなく感じる。

「お嬢様――お嬢様!」
 夜――そろそろ就寝しようかという時刻だ。
 ぼんやりと、手の平の治りかけた血豆を眺めていたロザリーは、廊下のはるか彼方から響いた金切り声に驚いて、自室からひょこりと顔を覗かせた。
 行儀悪く向こうからばたばたと走ってくるのは、ロザリーと歳の近い若々しいメイドである。
 はぁはぁと息を切らせて駆け寄ってきたメイドの手に、一通の手紙が握られていた。
 そして一言、
「フィリクス様から――」
 とロザリーに差し出す。
 疑いかけた約束に色が戻ったようだった。嬉しくて言葉も出ず、妙に畏まった印象の封筒をびりびりと乱暴に破く。
 取り出したのは――二つ折りになった一枚のカードだった。
「なんですって? ねぇ、なんて書いてあります?」
 うきうきと、メイドが瞳を輝かせてロザリーを見る。
 ロザリーは答えられなかった。
 震える唇から熱く湿った吐息がこぼれる。
「――結婚」
「え?」
「するってさ」
362名無しさん@ピンキー:2007/10/29(月) 23:03:46 ID:cuvGc7Qm
 笑って、ロザリーはメイドにカードを押し付けるなり駆け出した。
 お嬢様――と背後で叫ぶ声を振り切って外に飛び出す。
 よく晴れた夜だった。
 沢山の星が輝き、こうこうと輝く月が暗い夜道をはっきりと照らし出している。
 気がつけば、秋が終りかけていた。
 目的も無く、漠然と、ただ闇雲に走って、走って、走り疲れて、ロザリーはぜえぜえと息を切らせて暗い森の中に立ち尽くした。
 色づきかけた木々の葉が、夜風に拭かれて乾いた音を立てている。
 必ず迎えに来ると――そう、約束を交わした場所だった。
 触れるだけの口付けと共に、約束だ、と誓ったあの場所だった。
 どさりとその場に崩れ落ち、ぎゅっと肩を抱いてぎりぎりと奥歯を噛み締める。
「嘘吐き」
 約束したのに――信じていたのに――。
「うそつき、うそつき、うそつき――!」
 うわぁあぁ、と、叫ぶようにして泣き出した。
 途絶えた手紙。十年の歳月。
 ただひたすら、フィリクスの安否が心配だった。
 怪我をしてはいないか、病気をしてはいないか、命を落としてはいないかと思うばかりで、一度たりとも想いを疑った事などなかったのに――。
 思い出したように届いた手紙は、機械的な言葉で綴られた無機質な招待状。
 小説の一説が頭に浮かんだ。
 あの日、あの夕焼けの中、グラッドがそらんじて見せたあの言葉。
 ナイフを持ってこなかったことを、ロザリーは後悔した。
 泣いて、泣き喚いて、ぼんやりと座り込んだまま月を見上げる。
 どさり、と後ろ向きに地面に寝転がり、ロザリーは笑い出した。
 くすくすと肩を揺らし、体を丸めて声をあげ、いつしかげらげらと哄笑していた。
 悲しみと虚無感に満たされた笑い声が、森のそこかしこに息づく過去の思い出をひっつかみ、びりびりと破り去って行く。
 こんなものに。こんななんの形も無い不確かな物に、十年も――。
 耳障りな哄笑が収まると、森はしんと静まり返り、しかし夜の森特有の穏やかな喧騒に沈んでいった。
 空は相変わらず晴れていて、月はこうこうと輝いている。
 森も、月も、世界に存在するありとあらゆる存在が、まるでロザリーの存在を忘れ、無視しているようだった。

                               切らせていただきます
363名無しさん@ピンキー:2007/10/30(火) 01:55:57 ID:Ot9TYvhH
GJ!
こういうの好きだ。
緊張感と切なさがいいです。
364名無しさん@ピンキー:2007/10/30(火) 07:57:19 ID:7qWeHpgt
つ、続きを読まねば死んでしまう病がっ…
365GJ!:2007/11/05(月) 23:42:35 ID:u18QzBa0
>>362
(´;ω;`)ぶわっ
366ロザグラ:2007/11/12(月) 04:38:24 ID:MM2lZNTS
>>359より続きです

 深夜に屋敷を飛び出したロザリーを探して、使用人たちは村中を駆け回った。
 父であるジョエルは娘を愚弄されたとフィリクスに憤慨し、母はロザリーの心中を思ってさ
めざめと涙した。
 十年も想い、待ち続けた幼馴染に裏切られ、“馬鹿なこと”を考えてはいないかと、気がつけ
ば村中総出で探し回っていた。

 そして、明け方近く――ようやく空が白みかけた頃である。
 幼い頃によく、ロザリーがフィリクスと遊んだ森でロザリーは見つかった。
 冬の足音が聞こえる冷え切った森の中に、薄い寝巻き一枚で眠っている所をジョエルが見つ
け出したのだ。
 死人のように血の気を失ったその体に自身の上着を巻きつけて、ジョエルは父親としての怒
りと嘆きに涙さえ浮かべてロザリーを抱きしめた。
 死んだのならば仕方ない。
 遠い地で別の女を愛した事も、責められることではない。
 だが、それならば何故、招待状など送りつけてきた。
 ロザリーが待っている可能性を考えはしなかったのか。あるいは、待たせていることすら忘
れていたのか――。

 家に帰りつくなり、ロザリーは目を覚ます間もなく高熱を出した。
 ウィリアムが頻繁に見舞いに現れたが、グラッドは急用が出来たとかで一度も姿を見せる事
は無く、ジョエルは我が子の孤独を嘆いた。
 いつか、フィリクスが迎えに来た時に馬鹿にされないようにと剣の鍛錬に没頭し、年頃の女
友達とは疎遠になった。
 強くなりすぎたロザリーに打ち負かされる屈辱に耐えられず男友達もいなくなり、いいよる
男も全てその剣で跳ね除けてきたのだ。
 ドレスやアクセサリーに夢中になる年頃を、掛け替えの無い少女の時期を、ただひたすら、
十年間も、ただ一つの口約束に捧げてきたロザリーが、なぜ、ただ一枚の招待状で捨てられな
ければならない。
 ジョエルは慟哭した。

 熱が引き、辛うじて歩けるようになると、ロザリーは何かに追い立てられるように庭に出て、
一日中無心に剣を振り続けた。
 だがその真剣さはおよそ日課の鍛錬とは呼べず、ロザリーはまるで誰かを殺し続けているよ
うだった。

 そして、招待状が届いてから二週間が経った。
 血豆の上の血豆を潰し、目に見えてやつれたロザリーが一心不乱に剣を振る姿には、幼い頃
の甘い約束に浸る少女の面影もない。
 それでも、剣をおさめると前と変わらず、むしろ一層明るく振舞うロザリーに、家族のみな
らず使用人たちも涙を堪えずにはいられなかった。
「いい太刀筋だな」
 冬の訪れを感じさせる、白く冷えきった午後である。
 ひどく懐かしい呼びかけに、ひぅん、と、風を切る音を響かせてロザリーが踊った。
 ひたりと男の首筋に突きつけた愛剣は、美しく揺らめく炎。
「間合いの取り方もいい――まるでたけり狂う戦女神だ。そそるじゃねぇか。そんなにおまえ
を捨てた男が憎いか」
 唇を吊り上げ、歯をむき出して男が嗤う。
 冬の空の下にありながら、その男は相変わらず燃え上がるような熱気を纏っていた。
 ロアリーは心地よく乱れた呼吸を白く曇らせながらグラッドを睨み上げ、静かに剣を下ろし
て鞘に収めた。
 無邪気な輝きをなくした瞳で、ちろちろとくすぶる戦場の劫火を仰ぐ。
「誰を殺してた?」
「――自分」
 ひゅう、とグラッドが口笛を吹く。
367ロザグラ:2007/11/12(月) 04:38:58 ID:MM2lZNTS
「死にたいのか」
「殺したいんだ」
「自分をか?」
「前のね」
「いい女だった」
「もう死んだよ」
 くすりと、ロザリーがぎこちなく微笑んだ。
 グラッドを見上げて細めた目から、つ、と一筋涙が伝う。
「うずくまって泣こうとすると、君がちらついて涙が出ない。食事も喉を通らないのに、弱く
なるのが嫌で剣を振るのがやめられない」
 ぎゅっと剣のつかを握り締め、苦しげに眉をひそめるロザリーの姿に、グラッドは目を細め
て微笑んだ。
「もう、剣を振る理由もなくなっちゃったのに……守るものもなくなっちゃったのにさ…… 
馬鹿みたい。でも、じっとしてられないんだ。もう僕には剣しかない」
 ひく、ひく、と肩を揺らして、ロザリーが青白い頬を真っ赤に染める。
 思わず抱きしめようと伸ばされたグラッドの手を乱暴に振り払い、ロザリーはごしごしと涙
を拭って再び真っ直ぐにグラッドを睨み上げた。
「僕を買って」
 静かな、だがはっきりとした決意を孕んだ言葉に、グラッドから笑顔が消えた。
「子爵様なら、私兵を持ってるでしょ? 一番下っ端でいいから、僕を雇って。戦場にだって
行くよ。それだけで、君は僕を忘れていい。すれ違ったって無視していい」
「ロズ、おまえは――」
「僕は君より強いでしょ?」
 女なんだぞ、と――ひどく月並みな言葉を発しそうになったグラッドは、ロザリーのその言
葉に息さえ止めて沈黙した。
 どうして――ただ一言、妻にしろとそう言えば、グラッドは断らないことを知っていながら、
どうしてこの少女は――。
「君が僕にこれをくれたんだ。馬鹿みたいに子供の頃の口約束を信じて、花嫁修業もしないで
さ、約束以外何も無かった僕に、君は戦い方を教えてくれた」
 ――だから、君のために使わせて。
 その言葉が、どれ程激しい殺し文句か、ロザリーはきっと気付いていない。
 再び頬に伸ばされたグラッドの手を、ロザリーは振り払わなかった。
 息がかかるほど唇を近づけても、身じろぎ一つしない。
「俺のものになるってのがどういうことか――わかってるのか?」
「何でもするし、何をしてもいい」
「娼婦のように犯されてもか」
「恨まないよ」
「妻になれと命じられたらどうする」
「僕から剣を奪うの?」
 はッ――と。腹の底から吐き捨てるようにしてグラッドは嗤った。
 かがめていた腰を伸ばし、今正に重ねようとしていた唇を意地悪く吊り上げる。
「あぁ、ったく。胸糞わりぃな。なんだこりゃ。折角愛してやまねぇ戦場の女神を見つけたと
思ったら、女神は戦場しか見ちゃいねぇとくる。俺がどんなに焦がれてもお構い無しだ」
 芝居がかった調子で両手を挙げておどけて見せ、グラッドはロザリーに背を向けた。
「喜べウィリアム! 一緒に主を罵る仲間が増えたぞ!」
 グラッドの視線の先の木立の陰から、きょとんとしてウィリアムが姿を見せる。
 そしてかたわらのロザリーを見て、まさか、という表情でグラッドを睨んだ。
「表立って当主を守る護衛は容姿が重要なんだ。だから腰抜けでも顔のいいウィリアムを護衛
にしてる。だがさすがに護衛が腰抜け一人じゃ不安でな」
「――グラッド?」
「護衛として雇ってやる。これからは、俺のために剣を振れ。だがその前に、女として一仕事
してもらうぞ。ジョエルに話をつけてくる。その間に荷物を纏めておけ」
「グラ――」
「ウィリアム! ロズの荷造りを手伝ってやれ!」
 これ以上言葉を交わす気は無いとでも言うように、グラッドが鋭くロザリーを遮る。
 どこか怒りさえ伺える主君の背中を見送りながら、ロザリーは立ちすくんだ。
 駆け寄ってきたウィリアムに振り返り、グラッドの後ろ姿を指差す。
368ロザグラ:2007/11/12(月) 04:39:32 ID:MM2lZNTS
「あの……なんか、護衛として雇ってくれるって」
 下っ端でいいって言ったんだけど、と、ロザリーが眉をひそめると、あぁ、と、嘆くような
溜息を吐き、ウィリアムは重々しく手の平で瞼を覆った。
「ロザリー」
「うん」
「二度も、盛大に閣下をふりましたね」
 え、と声を漏らして見上げた先に、ウィリアムの複雑そうな笑顔があった。
 どういうことかと首を傾げるロザリーに、ウィリアムが脱力して首を振る。
「まったく、ここ二週間の閣下の努力を思うと泣けてくるやら笑えてくるやら――」
「あぁ……忙しかったんだってね」
「それはもう、戦場のように」
 ここにいないグラッドをからかうように、ウィリアムが笑った。
 そしてロザリーの背をそっと押し、行きましょうと促した。
「閣下は時間にルーズなくせに他人の時間には厳しいんです。急がないと私とまとめて無能扱
いされますよ」
 そう言えば、ウィリアムはいつも、なにかというと走っている印象があった。
 物静かな性格にそぐわないその印象は、グラッドに小突き回されているからなのか――。
「ねぇ、女として一仕事って言われたんだけど……」
 走り出したウィリアムを追いかけて、ロザリーも走り出す。
 しかしウィリアムは城に着けばわかりますよと答えるだけで、教えてくれようとはしなかった。
 十分後――ロザリーとウィリアムが丁度部屋に帰りついた時、屋敷を揺るがしたジョエルの
叫びは、やはり末代までの語り草となるのだった。


                  ***


 娘をよろしくお願いしますとか、娘をそんな危険な仕事につかせるわけにはいかんとか、そ
んなやり取りがあったかどうかはロザリーはわからない。
 だがジョエルは、ロザリーが家を出る事について反対も賛成もしていないようだった。
 どこか致し方ないと言うような、諦めを含んだ表情をしていたように思う。
 ロザリーは泣いて縋る母親と、唇を引き結んで抱き合った父の背中を抱きながら、必要最低
限の物だけを鞄に詰めて迎えの馬車に乗り込んだ。
 護衛は主君と同じ馬車に乗るものらしく、道中ロザリーはウィリアムとグラッドとずっと一
緒だったが、グラッドはむっつりと黙り込んでウィリアムともほとんど口をきかなかった。
 ただ、ウィリアムがほんのすこしでもロザリーに触れると、明らかに仕事の説明上必要だっ
たにも関わらず、グラッドは容赦なくウィリアムを蹴った。
 しかしグラッドがそんな行動を取ると決まって、わざとらしくロザリーに触るウィリアムも
負けてはいない。
 ロザリーとしては、二人のじゃれあいを眺めて笑えるような気分ではなかったのだが、二人
を見ていると気を張っているのが馬鹿らしく思えてくるのも事実である。

 便宜上護衛と呼んではいるが、実際は執事のような仕事が主だと言う。
 ロザリーはウィリアムの補佐的な――いうなれば執事代としての仕事をする事になるだろう
から、覚える事がたくさんありますよ、とウィリアムは意地悪な笑みを浮かべてロザリーを怯
えさせた。
 執事や執事代は普通、男がやるものなんじゃないのかと問うと、護衛だって普通は男しかや
りませんと切り返される。
 だから下っ端の兵士でいいって言ったのに、とロザリーが唇を尖らせると、グラッドがそん
なもったいねぇこと誰がするかと鋭く吼えた。
「大体なぁ、おまえは剣をもたせりゃそりゃ強えぇが、例えば寝込みを数人の男に襲われたら
ひとたまりもねぇんだぞ。おまえが隊に入った次の日にぼろぼろに犯されちまうことくらいわ
かれ馬鹿!」
369ロザグラ:2007/11/12(月) 04:40:47 ID:MM2lZNTS
「でも、君だって僕を娼婦みたいに犯すって言ったじゃないか」
 同じだよ、とロザリーが顔を顰めると、隣に座っていたウィリアムが唖然とし、直後に烈火
のごとくグラッドを罵った。
 さすがに自分の発言の下品さを理解はしていたのだろう。
 グラッドが必死に言い訳を募る姿は、珍しくも面白い。
 馬車での移動中は絶えずそんな雰囲気で、グラッドの領地に入る頃にはロザリーもすっかり
緊張がほぐれ、声を上げてげらげらと笑うようになっていた。
 ウィリアムとグラッドがロザリーに気を使ったわけではない。
 だからこそ、その自然な雰囲気が、ロザリーの強張った心を解していくようだった。

 城――と言う単語だけを聞いてロザリーが思い描いていたのは、御伽噺でお姫様が住んでい
るような、そんな繊細できらびやかなものだった。
 しかし実際グラッドの城を見てみれば、出てくる言葉は難攻不落の城塞だ。
「三代前の当主が作った城だそうだ。当事この辺りは国境が近くてな。もともと軍人だった曽
祖父がその防衛に一役かって子爵になったらしい」
「はぁ……なるほど。確かに、うん、守れそう……」
 城塞都市――と呼ぶのだろうか。
 高くそびえ立つ頑丈そうな隔壁のその向こうに町並みが広がっており、その家々のはるか彼
方に、どっしりとした石造りの、優美さの欠片もない城が建っている。
 少し高い位置にあるように見えるのは、土をもって丘を作ってあるのだろうか。
 どうやら掘りもあるらしい。
 生活する人々にも活気があり、平々凡々たる田舎町とも呼べない田舎村しか知らなかったロ
ザリーは、開いた口が塞がらなかった。
 こんど街を案内してあげますね、というウィリアムの口約束が、ついつい信用ならないと思
いつつも楽しみで仕方がない。

 先に降りたウィリアムに促されて馬車から降りるなり、ロザリーは鳴り響いたラッパの音に
面食らって硬直した。
「主が戻った事を城内の人間に知らせてるんです」
 そう、ウィリアムが耳打ちしても、あぁ、そう、と答えるばかりで固まった体はほぐれない。
 最後に馬車を降りたグラッドを振り仰ぎ、しかし相変わらず貴族然としていないグラッドに
なんとなく勇気付けられ、ロザリーはちらちらと送られてくる好奇の視線に内心びくびくと怯
えながらも毅然とした態度でグラッドに付き従った。
 グラッドはいつもと変わらないからいいとして、ロザリーが度肝を抜かれたのはウィリアム
の変わりようだった。
 いつもの温和な雰囲気はどこへやら、いかにも護衛で腹心ですと言わんばかりのその姿はも
はや別人である。
 これからは、毎日この完全無欠の騎士様と比べられて暮らすのか。
 そう思うとロザリーは心底からげんなりした。だから下っ端がいいと言ったのに――と心の
なかで恨み言を連ねるも、実際問題として他の兵士に輪姦されるのは嫌である。
 グラッドは城の中を、恐らく自室へと向かって真っ直ぐに突き進んだ。
 護衛と言うからにはやはり、有事にはすぐに主君の元に駆けつけられるように控えの間など
が用意されているのだろうか。
 それならば、ロザリーの部屋もグラッドの部屋のすぐ近くということになる。
 護衛が城で迷子になるなどと言う末代までの恥を晒さぬようにと、ロザリーは平静を装いな
がらも道順を覚えるのに必死だった。

 そして、優美な装飾の施された扉の前にたどり着く。
 たどり着くなり、グラッドは重苦しい弾息を吐いてちらとロザリーを見下ろした。
「入れ」
 短く命令して、さっさとまた歩き出してしまう。
 え、と思わず零して付いていこうとしたロザリーを、しかしウィリアムが静かに制した。
「どうぞ中へ。あとで様子を見に来ます」
「でも、あの……でも、護衛じゃ……」
 にこりと、ウィリアムがいつもどおりに微笑んで、がっしとロザリーの腕を掴んだ。
 そして、無情にもドアが開かれる。
 その扉の隙間から放り込まれるようにして室内に足を踏み入れ、ロザリーはたたらをふんで
ウィリアムに振り返った。
370ロザグラ:2007/11/12(月) 04:41:41 ID:MM2lZNTS
「そちらの令嬢がロザリー様です――あとは任せましたよ」
 明らかにロザリー以外の者に対して言葉を発し、ウィリアムがドアを閉める寸前、まるでグ
ラッドに対するような意地の悪い笑みでロザリーを見た。
「これがあなたの初仕事です――頑張ってくださいね」
 ばたん、と扉が閉まる。
 仕事って一体――と、改めて室内に視線を走らせると、三人の若い侍女とがっちり視線が交
差して、ロザリーはさっと青ざめた。
 その、侍女達の側にある――燃えるような緋色のドレス。
「見て、抜けるように肌が白くていらっしゃるわ」
「なんて綺麗なおぐしかしら。まるで輝く金糸のよう」
「お人形みたいに可愛らしいわ。飾りたくってうずうずしちゃう」
 しずしずと、しかし主君同様の図々しさで侍女達がロザリーに歩み寄り、有無を言わせぬ優
美さでロザリーを部屋の中央に引きずり出した。
 お化粧はどんな感じがよろしいかしら、バージンロードの花嫁よりも可憐にしろとの命令で
すわと、ロザリーを囲んで好き勝手に相談を始めた侍女たちに、ロザリーはたまらず悲鳴を上
げた。
「ちょ、ちょっと……まってよ! なにこれ、どういうこと?」
 きょとん、と目を丸くして、侍女達が顔を見合わせる。
 三人のその態度にまるで自分だけが何もわかっていないような印象を覚え、ロザリーはしど
ろもどろになった。
「あの、ぼ、僕はグラッド卿の護衛として雇われただけで……ど、どうして護衛がドレスだと
か……!」
「あら。半月後に開かれるご友人の結婚披露宴に着ていくために決まってますわ」
「十年の歳月が過ぎても薄れることのない、幼い日の男女の友情――憧れますわ。なんて素敵」
「その感動の再会を美しく飾る花にせよとのグラッド様の命令ですわ。見てくださいませこの
ドレス。この二週間、グラッド様ったらロザリー様を飾る宝石やドレスのことにかかりっきり
で、このドレスを脱がせる日が楽しみだなんて――」
 きゃぁ、と、三人がキンキンと甲高い悲鳴を上げて身もだえする。
 城につけばわかるとか、二度も盛大にグラッドをふったとかいうウィリアムの言葉が、今な
らばはっきりと理解できた。
 じりじりと後退するロザリーを、同じくじりじりと三人の侍女が追い詰める。
「さぁさぁ、そんな少年のようなお洋服、さっさとお脱ぎになってくださいませ」
「まずはお風呂で隅々まで綺麗にして差し上げますわ」
「半月後の披露宴までに、ドレスを着慣れていただかないといけませんからね。しばらくは護
衛なんてなさらないで、ダンスにでも興じていてくださいませ」
 うふふふ、と甘ったるい笑みを唇に乗せて、三人がロザリーの服に手をかける。
 まるで父ジョエルのように、ロザリーは城全体に響きわたる声量で絶叫した。

                            切らせていただきます
371名無しさん@ピンキー:2007/11/13(火) 02:25:20 ID:Q9lxJwzX
まあ、ほら、あれだ

GJ

先の展開をあれこれ考えてしまうが
だまって見てます
372名無しさん@ピンキー:2007/11/13(火) 06:30:12 ID:EXOtbbnW
いや、このまま予想どおりに…とは行かない気が

て訳で続き期待
373名無しさん@ピンキー:2007/11/16(金) 01:45:59 ID:O7dhhWns
予想範囲内だとあと一転二転しそうだが、この作者はそこから更に捻ってきそうで油断がならない。
GJを申し上げる。
374ロザグラ:2007/11/18(日) 22:54:59 ID:6CxYyp9E
 剣を振る時の足さばきは完璧なのに、ろくにダンスが踊れない。
 古い戦記の英雄の話は延々と続けられるのに、流行の服の話になると人形のように黙ってしまう。
 平民の少女にならばよくいるタイプだ。
 少年たちに混じって棒切れを振り回し、英雄ごっこではお姫様よりも騎士になりたがる。
 だがロザリーは、いかにど田舎の出身といえど、一応良家の子女である。
 すっかりロザリー付きの侍女として定着してしまったかしましい侍女三人組は、あらあら大
変とばかりに忙しく駆け回り、どうにかこうにかロザリーにダンスを教え込み、さらに歓談の
場で恥をかかないようにと、頻繁に上がるだろうことが予測される話題やら、披露宴に現れる
だろう貴族階級の名士やらを、ロザリーが泣こうが喚こうが逃げ出そうが徹底的に叩き込んだ。
 そんな調子で、瞬く間に二週間が経過する。
 その間ウィリアムは時々ロザリーの地獄の特訓の様子を見に来てくれたが、グラッドは披露
宴当日になるまでロザリーのドレス姿は見ないと心に決めているらしく、ロザリーが自室でく
つろいでいる時にしか姿を現さなかった。

 そして、フィリクスの結婚披露宴の前日――ロザリーは普段と変わらぬ少年の様な装いのま
ま、腰に剣を携えてグラッドとウィリアムと共に家紋入りの豪奢な馬車に乗り込んだ。
 フィリクスの結婚相手は、爵位は無いまでも有数の資産家であり、貴族たちにも広く顔が利
く商家の一人娘だと言う。
 グラッドも一度、間接的にではあるが取引をした事があるらしく、是非結婚を祝いたいとい
う旨を伝えた所、快く招待されることに成功したらしい。
 ロザリーに届いた招待状は、ジョエルが問答無用で暖炉に叩き込んで燃やしてしまったのだ。
「ベルク家の一人娘フロージア様と言えば、聡明で美しく、また人当たりも抜群である事で有
名です。伯爵からの求婚があったという話も聞きますが、ベルク家の当主クリスト氏は、結婚
相手は娘に選ばせるという主義らしく、身分違いとも言えるこの婚姻が成立しました」
「披露宴の規模もそこらの貴族よりはるかにでかい。招待された人間は貴族を含めて百人にも
のぼるそうだ――正直貴族でもねぇ田舎者のおまえが招待さるようなパーティーじゃねぇ」
「閣下!」
「事実だ」
 不機嫌そうに顔を顰めてそっぽを向いたグラッドに、ウィリアムがデリカシーがどうのとガ
ミガミ怒鳴った。
 人目がある所では実に従順な従者で頼もしい護衛のくせに、人目がないとまるでじゃれあう
幼馴染である。
「先ほど説明したとおり、ベルク家は地位よりも人物を見る人柄の方が多いんです。ですから、
爵位があろうとなかろうと、フィリクス様のご友人も多数招かれているはず。ロザリーに招待
状が届く事になんの不自然もありません」
「不自然しかねぇだろうが。アホかおまえ。フィリクスとか言ったか。結婚の約束を忘れてる
んだったらそれはそれで相当の猛者だが、覚えていながら招待状を送ったんならいかれてると
しか思えねぇ。舐めたまねしやがって――」
 静かに目を細めたグラッドの表情に、暗く影が落ちたように見えた。
 はっと息を詰めて瞠目したロザリーに気付かずに、グラッドが狡猾な獣のように唇に笑みを刻む。
「死ぬほど後悔させてやる」
「ッ――やめてよ!」
 爪が食い込むほどにきつく拳を握り締め、ロザリーは鋭く怒鳴ってグラッドを睨み据えた。
 窓の外を眺めていたグラッドが、目を見開いてロザリーを凝視する。
「なんだロズ……どうした」
「フィルは僕の親友なんだ。悪く言うの、やめてよ。それに結婚の約束は、僕が勝手に信じて、
勝手に待ってたんだ。フィルは何も悪くない」
「おいロズ。本気で言ってんのか? その親友とやらを待っておまえは十年も――」
「そんなのフィルには関係ないんだ! 僕はフィルを祝福するよ。フロージア様だっけ? 綺
麗な人なんでしょ? いい縁談じゃないか。僕なんかと――こんな、剣を振ることしか出来な
い野蛮なオトコオンナと結婚するより、その方がずっといい。誰だってわかるよそれくらい」
 だから、だからと唇を震わせて、ロザリーは腰の剣を握り締めた。
「もしもフィルに何かしたら、グラッドだって許さない!」
 しんと、馬車の中が静まりかえった。
 馬車を引く馬の足音さえ遠ざかってしまったように思える。
 唇をいびつにゆがめ、吐き捨てるように笑ったのはグラッドだった。
「――へぇ。許さねぇか。それでどうする。腰の剣で俺を切るのか? おまえのことなんざな
んとも思ってねぇ男のために、おまえに焦がれてやまねぇ男を切るってか」
375名無しさん@ピンキー:2007/11/18(日) 22:55:39 ID:6CxYyp9E
 そいつぁいい、とグラッドが大声を上げて笑い出した。
 閣下――と小さく、なだめるようにウィリアムが声を出す。
「いいさ。せいぜいお美しい友情を演じて来い。おまえの好きなようにすりゃいいさ。本当な
ら婚約者としてつれて来たかったが、その計画も流れたしな。ったく、新しい護衛はどこまで
も俺をこけにしやがる」
「こけになんか――!」
「ロザリー!」
 してないだろ、と怒鳴ろうとしたロザリーを、ウィリアムが鋭く制した。
 ぐっと言葉を飲み込んで沈黙し、唇を噛んで自身の両膝を睨む。
「日が暮れる頃にはベルク邸に到着します。閣下の護衛は私がいれば十分でしょう。ロザリー
は自由に行動してかまいません」
「僕だってグラッドの護衛だ。一緒にいる」
「主を切ると脅す護衛が何処にいる」
「閣下!」
 ウィリアムに怒鳴られ、今度はグラッドが黙り込む。
 忌々しげに舌打ちし、グラッドは再び頬杖を付いて窓の外に視線を投げた。
 そして一言、
「寝る」
 とだけ宣言して目を閉じる。
 それからベルク邸に到着するまで――否、到着してからも、グラッドとロザリーは一言も言
葉を交わさなかった。


                   ***


 ベルク邸に到着し、三人はそれぞれに客間をあてがわれたが、ウィリアムは護衛のためにグ
ラッドと同室に寝泊りすると言って部屋への案内を断った。
 それならば――とロザリーも同室で構わないと主張したが、護衛といえど婦人が男と同室に
眠るべきでは無いというウィリアムの言葉により、結局グラッド達の隣室に一人で滞在する事
になった。
 婦人だからどうのと言うのは建て前で、実際はグラッドとロザリーの仲裁にウィリアムが辟
易した結果である。
 たった一人で広々とした客間のベッドに腰を下ろし、ロザリーはそのままどさりと仰向けに
寝転がった。
 この屋敷のどこかに、フィリクスがいる。
 きっと背も凄く伸びただろう。成長したフィリクスは、ウィリアムのように美しく、頼りが
いがある青年に違いない。
 会いたいと思った。
 捨てられた事はわかっている。結婚の約束だって、きっともう覚えてなどいないのだろう。
 それでも、フィリクスはロザリーに招待状を贈ってくれた。会いに来てもいいと。迷惑では
無いと――そう伝えてくれたのだ。
 だが、それゆえに会いたくないとも思う。
 結婚の約束を覚えているかと訊ねたら、一体どんな顔をするだろう。
 こんな歳になって少年の様な服を着て、グラッドの護衛をしているロザリーを見たら、フィ
リクスはどう思うだろう。
 美しく聡明な結婚相手のフロージアと比べられ、ひどいものだと呆れられたりはしないだろうか。
 幻滅されたら――と思うと、ひどく辛い。
 嘘吐き――と罵りたい気持ちが欠片も無いわけではなかった。だがそれでも、十年も焦がれ
続けた親友に、あの誓いの口付けをくれたフィリクスに、一瞬でいいから会ってみたい。一言
でいいから何か言葉を交わしたい。
 騎士になったフィリクスを一目見たい。
 強くなったフィリクスと、一度でいいから剣を交えてみたい。
 ごろりとベッドに転がってうつ伏せになり、ロザリーは伸ばした両膝を引き寄せて顔をうずめた。

 こんな気持ちになるのが嫌だった
 だから、招待状を焼き捨てた父を責めもしなかったし、会いたいという気持ちを押さえ込も
うとひたすら剣を振っていたのだ。
376ロザグラ:2007/11/18(日) 22:56:42 ID:6CxYyp9E
 だけど連れて行ってやると――会わせてやると言われてしまったら、ロザリーはそれを拒絶
できるほどフィリクスを捨てきれてはいなかった。
 あの穏やかな田舎の、住みなれた家の、遊びなれた中庭で、確かにフィリクスに焦がれる自
分を切り殺したはずなのに――。
「女々しいやつ……」
 嫌になる。
 グラッドにもウィリアムにも、きっとひどく呆れられた。
「みっともない……」
 吐き捨てるように言って、ロザリーはフランベルジュを引っつかんで部屋を飛び出した。

 グラッドの城よりもはるかに優美で、ロザリーの家よりもずっと広い屋敷だった。だがごて
ごてと飾り立てているわけでもなく、それでいて施された彫刻や装飾ははっとするほど繊細で
上品だ。
 いい趣味をしていると、芸術に詳しくないロザリーでもそう思う。
 赤く燃えるひとけの無い裏庭にたどり着き、ロザリーは隅々まできちんと手入れの行き届い
た庭に溜息を吐いた。
 裏庭と呼ぶには抵抗がある、実に立派な庭園である。
 すらりと鞘から剣を抜き、ロザリーは沈みゆく夕陽にかざして目を細めた。
 夕陽の朱をうけてフランベルジュがきらきらと輝く。
 音が遠のいていく。
 無音の中、自分の音だけが鼓膜に響く。
 掲げた剣を振りぬくと、ひぃん、と澄んだ音がした。
 無心に――ただ無心に――。
「――ロズ?」
 無音の中に異音が混じる。
 間合いは二歩。
 踏み込んで、踏み込んで――ロザリーは音の主に切っ先を突きつけた。
 気配が驚いたように半歩下がる――グラッドではない。
 ようやく、ロザリーはまともに声の主を見た。
「失礼。人違いを――」
 したみたいだ、と――恐らく言おうとしたのだろう男の声が、突きつけた剣の先でかすれる
ように消えていった。
 身なりは上等。腰に下げた剣には、美しい少女を守るように交差した、二本の剣の紋章が入
っている。
 見た事のない紋章だった。ベルク家の家紋でない事も確かである。私兵ではない。
 だが、その鍛えられた体つきが、この青年が剣を振る者だと語っていた。ロザリーと同じよ
うに、どこかの貴族の護衛として雇われた者だろうか。
「――こちらこそ失礼を……剣を振るのに夢中で周りが見えなくて」
 すらりと腰の鞘に剣を戻し、ロザリーは笑って青年を見上げた。
 ごくりと、青年が息を呑む。
 容姿は悪くないほうだ。だが、美しいと呼べるほどでは無い。ずっとウィリアムを見ていた
せいで評価がからくなっているのかもしれないが、美しいと呼ぶよりは精悍と表現したい。
 だがその、鋭い視線の奥に輝く青い瞳だけは、宝石のように美しく輝いているようだった。
 自己紹介をすべきだろうかと、間抜けのように見つめあったまま思う。
 そういえば先ほど、この男はロザリーになんと呼びかけたのだったか――。
「……また、一人で剣の練習か?」
「――え?」
 唐突に、なんの脈絡もなく男が言った。
 感情を必死に押さえ込んでいるように、男が胸を震わせてロザリーを見下ろす。
「おまえんとこのピアノの先生、かんかんになって怒ってるぞ」
 一瞬、ロザリーは呆然となった。
 面影など、ほんの少しも見出せない。
 瞳の色の記憶さえ、かすれてしまって曖昧で――。
「――フィル?」
 それでも、ほとんど無意識に呟いていた。
 子供のように青年が笑う。
「ロズ! ロザリー! 信じられない! 来てくれたんだな!」
 大きく左右に両手を広げ、フィリクスは感極まったような声を上げてロザリーを思い切り抱
きしめた。
 背骨を折られそうなその力に、たまらずロザリーが悲鳴を上げる。
377ロザグラ:2007/11/18(日) 22:57:41 ID:6CxYyp9E
「痛いいたいいだだだだだ! 骨! 背骨! 軋んでる!」
「来てくれないと思ってた。いつ到着したんだ? もしロズが到着したら真っ先に私に知らせ
るようにと伝えておいたはずなのに」
 少年だと思われたか、とフィリクスが笑う。
 半ば突き飛ばすようにしてフィリクスの腕から抜け出して、ロザリーはぜぇぜぇと乱れた呼
吸を整えた。
 ごほん、とわざとらしく咳払いをし、改めてフィリクスを見る。
「久しぶり」
 面白そうにフィリクスが笑い、改まって言うと照れくさい、と鼻の頭をかいた。
「遠くから剣をふる音が聞こえてな。見に来たら見知らぬ少年が驚くほど綺麗に剣を振ってい
たから、ついつい近くまで寄って見入ってしまった。剣を突きつけられた時はあまりの気迫に
別人かと思ったよ。だけど見間違いじゃなかった」
「少年って……あのね! 僕はもう十九――」
「そんな装いなんだ。誰も貴婦人とは思わないだろう」
 それは確かにそうである。
 ロザリーが唇を尖らせて口をとざすと、フィリクスは声を上げて笑った。
「かわらないなロズ。背だってほとんど伸びてない」
「そ――そっちが伸びすぎたんじゃないか! 大きけりゃいいってもんじゃないだろ!」
 かっとなって怒鳴ると、とても堪えられないと言う風にフィリクスが腹を抱えて身を捩る。
 なんだか自分だけが子供のような気がしてきて、ロザリーは憮然として押し黙った。
「あぁ、すまない。怒ったか? そうだな。私が伸びすぎたんだ。友人にもよく言われるし、
服を仕立てるのにも苦労してる」
「私って……言うようになったんだね」
「一人称か? 学校に入ってすぐ矯正された。子供の頃の私の話し方は、粗野で野蛮だと先生
たちに不評でな」
「騎士になれたんだ……どんな仕事してるの?」
 え? と――怪訝そうな声を上げてフィリクスがロザリーを見下ろした。
 何か言いたげに口を開き、しかしどこか諦めを含んだ表情で首をふる。
「今はこの領土を治める伯爵様に仕えてるんだ。主な仕事は治安維持で派手な切合いなんかは
ないが、充実してる。おいで。話したいことがたくさんある。お茶を用意させよう」
 何か、悪い事を聞いただろうか。
 無理に明るさを装うように、フィリクスは駆け出さんばかりの勢いでロザリーに背を向けて
歩き出した。
 さぁ、と力強く促されて、ロザリーは少しの間躊躇して、しかし結局フィリクスの後をつい
て歩き出した。
 話したいことがたくさんある。それはロザリーも一緒だった。
 手紙がどうとか、結婚の約束がどうとか――そんなことはどうでもいい。フィリクスに会え
て、そして話が出来るのだ。
 下らない恨み言で、仲たがいをしたくはない。
「フィル」
「うん?」
「結婚おめでとう」
 一瞬、凍りついたような沈黙が走った。
 その沈黙にぎょっとして、少し先をあるくフィリクスの表情を見る。
「――ああ。ロズはもう結婚したんだろう? 先を越されたな。今日は夫と一緒に?」
 笑顔で振り向いたフィリクスの言葉に、こんどはロザリーが凍りついた。
 次の一歩を進もうとした足が上がらない。
 結局立ち止まってしまったロザリーを、フィリクスは怪訝そうに振り返った。
「……僕は独身だよ」
「――独身? だけどおまえは、もう十九に――」
 やはり――約束など覚えてもいないのか。
 そう思うとなにか妙に安心し、しかしロザリーは声が震えそうになるのを止められなかった。
 忘れているのならば、いい。
 フィリクスはロザリーを捨てたわけではないのだ。わざわざその約束を思い出させて、罪悪
感を与える必要もないだろう。
「結婚ね――誰ともしないことにしたんだ」
 赤く夕陽に照らされたフィリクスが、大きく目を見開いてロザリーを凝視した。
 きっとフィリクスからは逆光になって、ロザリーの表情もろくに見えてはいないだろう。
「それは……どうして……」
「これのせい」
378ロザグラ:2007/11/18(日) 22:58:23 ID:6CxYyp9E
 ぽん、と腰の剣を叩いてみせる。
 理解できないと言う風に、フィリクスは小さく首を振ってみせた。
「僕ね、僕より弱い人と結婚したくなくて、求婚してくる人をみーんな剣で返り討ちにしてた
んだ。そしたらさ、ほら、グラッド卿って子爵が急に招待しろとか無茶な事言ってきたでしょ? 
あの人に剣の腕をかわれてね。護衛として雇ってもらったんだ」
「護衛……? 護衛って――ロズが、グラッド子爵の?」
「うん。最初は求婚者の一人だったんだけど、一戦交えたら剣の腕見込まれちゃってさ。実は
ね、僕の招待状、お父様が間違って燃やしちゃってね。そしたらグラッド卿が、ベルク様とは
一度取引した事があるから――って、無理やり招待とりつけてくれてさ。それにひっついてき
たんだ。だから、僕が到着したって連絡が行かなかったんだと思う」
「いつから――」
 みるみる、フィリクスの表情が青ざめていく。
 それとも、すっかり夕陽が沈みきり、辺りが暗くなり始めたからそう見えるだけなのか――。
「グラッド卿に会ったのはほんの一年前だよ。正式に雇ってもらったのだって最近で――」
「だったらどうして――返事をくれなくなったんだ」
「――え?」
 ギリリと、フィリクスが奥歯を噛んでロザリーを睨んだ。
「返事って……なんのこと?」
「手紙の返事に決まってるだろう! 私は……おまえが、誰か他の男を愛したから……だから、
私の手紙が煩わしくなったのだと……だから――」
 意味が――よく、わからなかった。
 手紙なんて――。
「手紙なんてもう……何年もくれなかったじゃないか。学校を卒業して、誰か、どこかの騎士
様の弟子になって――僕はその先の君を一切知らない。騎士になれたかどうか不安で、怪我し
てないか、病気になったんじゃないか、戦場で死んじゃったんじゃないかって――」
「ロズ。おまえが何を言ってるのかわからない。手紙は毎月――この一年は月に何通も送った
じゃないか。一通でいいから返事をくれと――煩わしくなったのならそう言ってくれと――!」
「そんなの知らない。手紙なんか来てない。僕は受け取ってない」
「そんな馬鹿な! 私は確かに――」
「知らないって言ってるだろ!」
 はっと目を見開いて、フィリクスは唇を手の平で覆って絶句した。
「……受け取っていないのか」
 ごく静かに、フィリクスがそう尋ねる。
 ロザリーは涙を堪え、唇を噛んで頷いた。
「住所は……」
「変わってない」
「それじゃあどうして――!」
「やめてよ! もう、手紙なんてどうでもいいだろ! 君はフロージア様と結婚して、僕はグ
ラッド卿の護衛として生きて行く。それだけの事じゃないか。今更手紙がどうとか言ったって
なんの意味も無い」
「意味が無いだと! まさか覚えていないのか? 私たちはあの森で――!」
「――フィル? どうしたの大きな声を出して」
 愕然と息を呑んだロザリーの耳に、優しげでたおやかな女性の声が滑りこんだ。
 はっとしてフィリクスが顔を上げ、声の方を振り返る。
「フラウ……あぁ、いや……なんでも――」
 つやつやと輝く美しい黒髪を、たっぷりと腰まで伸ばした女性が、心配そうに首をかしげて
立っていた。
 フラウ――というのは間違いなく、フロージアの愛称だろう。
 この女性が、フィリクスの婚約者――。
 美しい女性だとウィリアムは言っていた。正しく、眼前の女はそれ以外に形容が見つからな
いほど美しい。
「だめじゃない。そんなに小さな男の子を怒鳴って――あら、やだごめんなさい。可愛らしい
女の子ね」
 申し訳無さそうに笑って、フロージアがロザリーを見る。
「紹介して? あなたのお友達ね」
「あぁ、彼女は――」
「グラッド子爵の護衛で参りました。ロザリーと申します」
 まぁ、とフロージアが口元に手を当てる。
「信じられないわ。こんなにかわいらしい女性が、戦場の鬼と名高いグラッド卿の護衛を?」
 戦場の鬼などと呼ばれていたのかと、ロザリーは内心吹き出した。
379ロザグラ:2007/11/18(日) 22:59:03 ID:6CxYyp9E
 実にお似合いのあだ名である。
「閣下は表立って連れ歩く護衛には、実力よりも容姿が重要だと――」
 まぁ、とまたフロージアが目を見開く。
 そしてくすくすと、それはそれは楽しそうに笑い出した。
「あの方は信頼している臣下ほど粗末に扱うと有名ですからね。その若さでグラッド卿からそ
んなにも信頼を買うなんて、余程お強くていらっしゃるのね」
 ふわりと、フロージアが柔らかく微笑んだ。
 その笑顔の優しさが、美しさが、ロザリーの心をずたずたに打ちのめす。
 かなうわけがない。
 あぁ――よかった、と思った。下らない嫉妬心がおこる余地もない程に、フロージアは美し
く聡明で、女のロザリーから見ても完璧な女性だった。
「すっかり日も落ちてしまいました。そろそろ部屋に戻らないと、護衛の怠慢だとグラッド卿
にどやされる」
 あらあら、噂どおりにお厳しい方なのね、とフロージアが困ったように眉をひそめた。
 実際は、今日一日は自由に行動していいとウィリアムに言われている。
「お二人の未来に幸多からん事を、心よりお祈り申し上げます」
 そう、堅苦しい礼をとり、ロザリーは二人に静かに背を向けた。
 ありがとう、と、幸福そうにフロージアが礼を言う。
「ロザリー様。今夜の晩餐は屋内でささやかな立食パーティーを用意していますから、もしよ
ろしければ、わたくしとも是非おしゃべりしてくださいね」
 立ち止まり、振り返った先でフロージアがふわりと笑う。
 喜んで――と半ばつられるようにしてロザリーも笑い、冗談でダンスにお誘いしますよとま
で言ってのけた。
 すっかり暗くなった庭にはいつの間にかかがり火が点り、様々な動物の形に刈り込まれた植
え込みを赤く照らし出していた。
 静かに裏庭を横切って屋敷の角を曲がり、少しずつ速度を上げて、最後には走り出す。
 走らなければ、叫びだしてしまいそうだった。
 フィリクスは手紙を出したと言い、ロザリーにはそれが届いていない。
 それどころか、なぜ返事をくれなかったとロザリーを責めさえした。
 痺れを切らせてロザリーが出した手紙もまた、フィリクスには届いていないのだ。
「ロザリー!」
 聞きなれた声が聞こえ、ロザリーは立ち止まって振り返った。
 心配そうな表情で、ウィリアムが駆け寄ってくる。
「どうしたんです? 血相変えて。裏庭で何か――」
「覚えてた」
「――え?」
「約束……フィルは覚えてて……手紙も、出してたって……でも、僕の所には届いてなくて、
僕の手紙もフィルには届いてなくて……!」
 息を切らせて捲くし立てるロザリーを、ウィリアムは落ち着くようにと優しく声をかけなが
ら肩を叩いた。
「順をおって話してください。フィリクス様に会ったんですね?」
 こくこくと頷き、それで、それでと繰り返す。
「……フロージア様……が、綺麗で……」
 フィリクスが約束を覚えていた。
 手紙も、フィリクスはずっと出していたと言う。
 だけど自分は手紙なんてしらなくて――。
「幸せそうで……」
 だから、なんだと言うのだろう。
 自分は手紙なんか知らないと主張して、それに何の意味があると言うのだろう。
「ロザリー?」
「……ごめん。なんでもない」
「ロザ――」
「でも、ちょっと……泣かせて」
 ぎゅうとウィリアムの胸にすがりつき、ロザリーは声を上げずに泣き出した。
 手紙の行方はわからない。
 だが、フィリクスが手紙を出し続けていたのは事実だろう。
 そしてフィリクスは、一向に返事をよこさないロザリーが、きっと誰かに恋をして結婚した
と思ったのだ。
 そしてそれでも、せめて親友として、結婚式に来て欲しい。
 そうして出された最後の手紙は――どういうわけかきちんとロザリーの元に届いたのだ。
380ロザグラ:2007/11/18(日) 23:00:00 ID:6CxYyp9E
 だったら、ロザリーは演じなければならない。
 フィリクスとの約束を忘れなければならない。待っていたなどと悟られてはならない。
 手紙が届いていようといなかろうと、全ての結果は変わらないと思い込ませなければならない。
「ロザリー。もし閣下に見られたら、私は決闘を申し込まれます」
「うん」
「この暗がりですと、明らかに成人男性と少年に見えるでしょうから、衆道家と間違われる危
険性もあります」
「うん」
「その場合、護衛二人にそういう趣味があると言う事で、必然的に閣下もそういう目でみられ
ますね」
「うん」
「決闘を申し込まれる価値はあるな」
 堪えきれずに、ロザリーは泣きながら思い切り吹き出した。
「もう! せっかく人が悲劇に浸ってるのに、笑わせないでよ!」
「私はいつも、閣下を陥れる事を第一に考えて行動してるんです。知らなかったんですか? 閣
下の悪評を流すためならなんだってします。あぁ閣下……そんな、意地悪しないで、もっと激
しくぅ」
「やめてぇ! 気持ち悪い! 死ぬ! 笑い死ぬ!」
 腹を抱えてげらげらと髪を振り乱し、ロザリーはやめてやめてと悲鳴を上げた。
 上手いもんでしょう、とウィリアムが胸を反らして自慢げに笑う。
「行きましょう。今夜は婚姻の前夜祭です。あなたのドレス姿を見れば閣下の機嫌も直るでし
ょうから、早いとこ着て見せてやってください。ダンスのステップは忘れてませんね?」
 たたん、と軽快にステップを取り、行きましょう、とウィリアムが走り出す。
 頬を湿らせる涙のあとをごしごしと拭い去り、ロザリーもまた、息を切らせて走り出した。


                               切らせていただきます
381名無しさん@ピンキー:2007/11/18(日) 23:56:14 ID:TRL8hlYU
うおう、予想外の展開。
犯人はフロージアか…? どう決着つくんだろう。
ロザリー・ウィリアムでくっつくに400円。
382名無しさん@ピンキー:2007/11/19(月) 04:31:25 ID:2FvEB8WD
お、続きが来てた!
次はどうくるのか、楽しみだ。
383名無しさん@ピンキー:2007/11/21(水) 00:42:37 ID:40RSi87n
最初は親父が犯人かと思ったが…そうすると招待状で本気で怒ってたのが分からなくなるから違うよな…。
とにかく続きが楽しみになる。次はいつごろかな。
384名無しさん@ピンキー:2007/11/24(土) 07:19:52 ID:oY/6uRsN
ほっしゅー
385名無しさん@ピンキー:2007/11/24(土) 13:37:57 ID:nwYJz4Qq
hosyu
386名無しさん@ピンキー:2007/11/27(火) 22:27:46 ID:qM8XIpdt
hosyu
387名無しさん@ピンキー:2007/11/28(水) 02:03:02 ID:/4tBKESx
ほしゅ
388名無しさん@ピンキー:2007/12/03(月) 17:56:08 ID:f285yMSt
保守する
389名無しさん@ピンキー:2007/12/12(水) 11:15:02 ID:goXfnyCf
ほしゅ
390ロザグラ:2007/12/20(木) 03:42:49 ID:C9FO1cik
 ドレス姿を見せてやればグラッドの機嫌は直る――というウィリアムの読みは、半分は
的中したが半分は大はずれという結果となった。
 炎と薔薇をモチーフにした飾り布をふんだんに使った緋色のドレスは、確かにロザリー
によく似合ったし、グラッドも最初はその姿にこの上なく満足していた。
 だが、いざ会場に向かうと言う段階になり、俺以外の男がこれを見るのが気に入らない
と文句を言い始めたのである。
「やっぱりおまえ、いつもの服に着替えて来い。その服は城に戻ってから改めて俺が脱がす」
 などととんでもない事を言い出したグラッドに、ウィリアムは渾身の力を込めた拳骨を
叩き込み、囚人でも扱うようにとっとと歩けと背後からせっついた。
 初めて会った頃は真剣を抜いて切り合うような二人の喧嘩をおろおろと止めたりもして
いたが、最近のロザリーは慣れっこになってしまい、実に冷静な物である。冷徹と言って
もいいかもしれない。
 主の背中を蹴るとは何事だと鬼の形相を浮かべたグラッドと、蹴られたくなかったら
君主らしく振舞えと嫌味ったらしい笑顔を浮かべるウィリアムの横を素通りし、
「喧嘩するのは構わないけど恥ずかしいから人目に付かない所でお願いね。連れと思われ
たくないから先に行ってるよ」
 と言い残してエスコートもつけずにつかつかと歩き出した。
 とてもドレスを着た貴婦人の歩き方ではないのが、どこか微笑ましい後姿である。
「畜生が。あの女に色目使う野郎がいやがったら手袋たたきつけてやる」
「閣下! ただでさえ、戦場の鬼が来てるって招待客が怯えてるんですから、これ以上
悪評を増やさないでください」
「腰抜け共が」
「こんな野蛮な男が主だなんて……」
 舌を出して吐き捨てるグラッドにあてつけるように、騎士の恥だとウィリアムが絶望し
てみせる。
 しかしはるか先をすたすたと進んで行くロザリーに一切立ち止まるつもりが無いとわか
るや否や、二人はすぐさま停戦協定を結んで慌ててロザリーの後を追いかけた。
 連れの婦人を一人で会場入りさせるなど、仮にも貴族であるグラッドや騎士である
ウィリアムからすれば末代までの恥である。

 舞踏会と言うものを、ロザリーは体験した事がなかった。
 知識としては一応、踊ったり食事をしたり歓談したりする場だと知っていたが、舞踏会
の雰囲気と言うものは想像する事しか出来ず、せいぜい親戚を招いて行う誕生パーティー
を更に豪華にしたような物だとしか考えていなかった。
 そして、その剣に生きてきた田舎者の貧困な想像力は、会場への入り口の前に立った
瞬間粉々に打ち砕かれた。
 招待客は百人にものぼる――と、そう言えばグラッドが言っていた事を思い出す。
 だが主催者側であるフロージアは、確かささやかな立食パーティーだと言ってはいなかったか――。
「なに固まってんだ! おら、手」
「へぁ?」
「侍女に教わったでしょう。ほら、その通りにすればいいんですよ」
「あ、あぁ……そ、そっか」
 田舎者が、とグラッドが嫌味を言ったが、しかりロザリーにはその嫌味を理解できる
だけの余裕を完全に失っていた。
 華やかな雰囲気に呑まれてしまう。
 あでやかなドレスに目がくらむ。
 楽しげに語らう声が、人々をダンスに誘う美しい音楽が、香水と酒の香りが、この会場
を満たす全てのものがロザリーの思考力を奪っていくようだった。
「これはこれは、おぉ、なんと久しい! グラッド卿!」
 そんな、真っ白なロザリーの頭の中に、会場によく通る声が飛び込んできて、ロザリー
はようやく失いかけていた視界を取り戻した。
 はっと視線を向けた先には、見事なあごひげをたくわえたいかにも貴族風の男が両手を
広げて立っていた。
 ワインを高く掲げ、まったく今夜はめでたいですなとカラカラ笑う。
 確か、侍女にくれぐれも注意しておくように――と言われた貴族の一人だ。
 とんでもない女好きで、確かフランク子爵と言ったか――。
「貴兄は戦場でしか踊らぬ男と聞いていたが、いやなかなかどうして、かしこまった装い
もよく似合う」
391ロザグラ:2007/12/20(木) 03:43:32 ID:C9FO1cik
 にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべながら歩み寄ってくるフランクから、グラッド
があからさまにロザリーを遠ざけた。
 半歩後ろに下がる形になったロザリーを、更にウィリアムが背後に庇う。
 その二人の様子に、フランクがおやおや、と心外そうに眉を上げた。
「そんなに警戒しなくとも、私もそれなりに命は惜しい。稀代の悪漢グラッド子爵がわざ
わざ連れて歩くような寵妾にまで手を出したりはせんよ――ところでお嬢さん、お名前を
伺ってもいいかな。おお、なんと、これは可愛らしい」
 手を出さない――と宣言した矢先に口説きにかかるとは、中々分厚い面の皮である。
 寵妾という言葉にむっとして前に出ようとしたロザリーを、しかし再びグラッドは静か
に制した。
「これは私の護衛です。ウィリアム同様存在しない者として扱っていただきたい」
 うぇ――と、妙な声が出そうになり、ロザリーは慌てて口をつぐんだ。
 まさかグラッドが敬語を使うとは思っていなかったのだ。
「護衛? またまたご冗談を! あぁいや、しかしなる程、主の寝所を守るにはなかなか
頼りがいがありそうですな」
「全く。主君の腹を果物ナイフで貫くような護衛ですからな。私も油断をしていると、
寝所を守る所かあっさり寝首をかかれかねない」
 とんとんと、グラッドがすっかり傷の塞がったわき腹を指で叩いてみせる。
 その言葉にフランクはぎょっとして、まじまじとロザリーを凝視した。
 そして、ごほんごほんと咳払いする。
「彼は過去に果物ナイフで刺された事があるんです――女性問題でね」
 急に態度を変えたフランクを不審に思ったロザリーに、ウィリアムがそっと耳打ちした。
 なるほど、と頷いて、わざとらしくフランクに笑いかけてやる。
 フランクは慌てて視線を逸らした。
「それにしても今回の婚礼、実に残念ですなぁ。あのお美しいフロージア嬢が、まさか
一介の騎士なんぞに嫁ぐとは……」
「貴兄も求婚していらしたとか」
「さすが、よくご存知でいらっしゃる! 私もあの方の夫になれるのであれば、全ての
恋人と手を切ってもかまわんとさえ思ったほどでしてな。しかしけんもほろろ……」
「貴兄と真剣に添い遂げたいという危険な思想の婦人が現れたら、ぜひとも早馬を頂きたい。
その瞬間貴兄の領地に攻め入ってその女性を奪い去って差し上げよう」
 わざと作ったさわやかな笑顔が、ロザリーには逆に恐ろしく見えた。明らかに本気である。
 しかしその本気に気付いていないのか、フランクはカラカラと喉をそらせて笑った。
「全く、貴兄が言うとどんな冗談も全て脅しに聞こえてくる。しかしあのフィリクスとか
いう若造――どんな手を使ってフロージア嬢に取り入ったのか……一説によるとあの大男、
力にものを言わせてフロージア嬢の純潔を奪い、半ば強引に婚姻を迫ったと聞きますぞ」
 急に声のトーンを低くして、フランクがグラッドに囁いた。
 かっと――堪えがたい激情がロザリーを捉えた。
 しかしウィリアムに視線で牽制され、足を踏み出すことも許されない。
「元々悪い噂の多かった男だ。ご存知か。あの男に思いを寄せた婦人が夜に寝所に忍んで
行き、口にするのもはばかられるような獣じみた情交を結んだ上で、全裸で室外につまみ
出されたらしい。頂くだけ頂いて後は――と言うやつですな。私も人の事は言えないが、
しかし婦人を部屋から放り出したりはいたしませんぞ。全く粗暴で感心できん男だ」
「でしょうな。貴兄はいつも、全裸で部屋を追われる側の人間だ」
「なんという切れ味! 全く貴兄の言葉はいつも私をずたずたに引き裂いてくださる」
 そっくり返って豪快に笑うフランクに、グラッドも愉快そうに笑ってみせる。
 ひどく白々しい光景だった。
 親友を侮辱された激昂が、脱力するようにしおしおと萎えていく。
 ロザリーの中に幻滅が満たされつつあった。
 グラッドの姿を見たくなくて、ついには俯いてしまったロザリーに、また、ウィリアム
がそっと耳打ちした。
「堪えて下さい。あとで事情を教えます」
「事情って――」
「しっ。黙って見ているのが一番いい」
 これは命令です――とまで釘を刺されてしまっては、ロザリーにはただ、俯いている
事しか出来なかった。
 情けなくて涙が出る。
 それでは――と、ようやくフランクが話を切り上げた。
392ロザグラ:2007/12/20(木) 03:44:06 ID:C9FO1cik
「なにはともあれ、決まってしまったものは仕方ない。負け犬は負け犬らしく、両者の
幸せな門出を妬みつつ新たな出会いを探すとしましょう」
「美しい花ほど、棘や毒で自身を守るものである事を肝に銘じておく事ですな。ご自慢の
護衛とて、寝屋の中まで守ってはくれますまい」
「毒に犯され突き刺されるのもまた一興。では失礼」
 きざったらしく一礼し、ついでとばかりにロザリーに片目を瞑ってみせてフランクは
くるりときびすを返した。
 人混みの中に誰かを発見し、嬉しそうに笑って歩み寄って行く。
 グラッドが忌々しげに舌打ちし、その後ろ姿を睨み付けた。
「存在自体がひわいな野郎だ。俺の女に色目使いやがって」
「君の女じゃない」
 意外そうに眉をあげ、グラッドがロザリーに振り返った。
「君の護衛だ」
「ロザリー……!」
「よせ、ウィリアム。いい」
 怒りと言うより諦めに近い溜息を吐いて、グラッドはすいとロザリーに手を伸ばした。
 身じろぎもせずに突っ立っているロザリーの髪を、くしゃくしゃと掻き乱す。
「そうだな。悪かった」
 それが、妙に癇に障った。
 ぱん、と音が出るほど乱暴に、グラッドの手を振り払う。
「ロザリー!」
 さすがにウィリアムが声を荒げた。
 近くにいた年配の婦人が、あらあら、と唇に笑みを刻んで離れていく。
「なんだよ、今の」
「なにがだ?」
「なんであんな奴と、あんな風に喋るんだよ……!」
 自分自身を侮辱されたことよりも、フィリクスを侮辱されたことよりも、そんな男を
相手に平然と会話を交わせるグラッドが嫌だった。
 剣を抜けとは言わない。
 決闘を申し込めなんて非常識な事も思わない。
 だったらどういう態度をとればよかったのだと聞かれても、ロザリーには答えられない。
 それでも、ただひたすら、なぜか無性に嫌だった。
 子供を見るような目で、グラッドが笑った。
「戦場の女神は、体裁を気にするお上品な紳士は嫌いか?」
 それじゃあ――と呟き、唇に笑みを刻んだまま目を細める。
「あの野郎を殴りつけて、宴席をぶち壊しにしてやろうか。剣を抜いて首をはねてやろう
か? 戦争が起こるぞ。困るだろうなぁ、おまえの幼馴染は。それが望みか? 復讐か?」
 戦場の愉悦に恍惚とするように、グラッドが獣のように唇を舐めた。
 圧倒的な悪意に射竦められ、ロザリーは下がりそうになる足を必死に押さえて唇を噛んだ。
 グラッドの瞳にどす黒い炎が宿る。
「おまえが言うとおりにしてやるとも。言ってみろ。ぶち壊しにしろってな。悲鳴が聞き
たいか? 血が見たいか? 絶望が見たいか。なんだって見せてやる」
「違う……なんだよ、それ、やめてよ……」
「言ってみろよ。壮快だぞ?」
「やめて……」
「剣の一振りだ。なんだったら演技でいい。俺とウィリアムが切りあうだけで祝いの席は
ぶち壊しだ」
「やめてよ! そんなんじゃない!」
 しん――と、音楽さえもその場から消え失せた。
 三人に――とりわけロザリーに視線が集中し、ひそひそと囁きあう声が会場中に広がって行く。
 にやにやと、グラッドがからかうようにロザリーを見下ろした。
 さぁ、どうすると言わんばかりのその顔に、しかしロザリーは青ざめて立ちすくむ
事しか出来なかった。
 視界の端でウィリアムが動いた。
 瞬間。
 ぱしゃん、と、水音が会場に響いた。
 同時に、きゃあ、と、どこかでささやかな悲鳴があがる。
 ロザリーは呆然と、ぽたぽたと滴る水滴を凝視した。
393ロザグラ:2007/12/20(木) 03:45:30 ID:C9FO1cik
「頭を冷やしなさいロザリー。あなたは閣下に雇われた護衛であって、対等な立場ではない。
閣下の御身を守る以外の目的で閣下に声を荒げるなど言語道断です」
 水を――ウィリアムに浴びせかけられたのだ。
 ぐっしょりと濡れた金髪が頬に張り付き、首筋を伝って流れた水がドレスの胸元を
濡らしている。
 ひどい、と誰かが囁いた。
 あれが冷血無比で有名な、グラッド子爵の懐刀ウィリアムか――。
「いつまで、そのみっともない姿をさらしているつもりです」
「あ……あ……」
「下がりなさい。今すぐに」
 鋭く命じられ、ロザリーはひどくぎこちない動きでグラッドに礼をとり、くるりときびす
を返してつかつかと歩き出した。
 せめて泣くまい、これ以上醜態を晒すまいと、しゃんと背筋を伸ばして会場を後にする。
 グラッドが部下の醜態と非礼をわびる口上を述べる声を背中に聞きながら、ロザリーは
堪えきれずに涙を零し、一目散に廊下を駆け出した。

 会場に音楽が戻り、ダンスが戻り、人々の話し声が戻るのに、ロザリーが会場を後に
してから三十秒とかからなかった。
 むしろ雑談にはより一層熱が入り、先ほどのウィリアムの行動が残酷だとか、それを
受けたロザリーの態度が毅然としていたとか、主君に声を荒げる護衛などとんでもない、
あの程度で済んで感謝すべきだと口々に言い合った。
 その様子に、グラッドが不服そうにウィリアムを睨み付ける。
「やってくれたな」
「忠実な護衛として当然の行動を取ったつもりですが?」
 あくまで飄々として、ウィリアムが答える。
 グラッドは忌々しげに悪態をついた。
「俺を巻き込んで悪者になりやがって。そんなに不敬仲間が大切か」
 もし、あのままウィリアムが何もしなければ、非は主君に声を荒げたロザリーにあった。
 そして、それを責めずに黙って受け入れれば、グラッドは心の広い主君の名誉を得る
ことになったのだ。
 それが、ウィリアムがロザリーに水を浴びせかけ、あまつさえ冷たい言葉で叱責して
退場させたせいで、祝いの場で可憐な少女に平然と恥をかかせる冷徹な主君の出来上がりである。
「私は閣下の評判を貶めるために護衛をやってるんです。絶好の機会だったので利用した
だけですよ」
「てめぇ、さっき悪評をこれ以上増やすなとかぬかしてなかったか」
「そんなことより、追いかけて慰めなくていいんですか? 心の隙間に付け入る好機に
見えますがね」
「――先を越された」
 眉間に深く皺を刻み、グラッドはぐいと酒を煽った。
 え、とウィリアムが聞き返す。
「フィリクスとか言う野郎だ。俺が謝罪の口上述べてる最中に無視して出て行きやがった。
あと、あのヒゲ面」
「非礼に非礼を返されたわけですか。自業自得ですね」
 ふん、とウィリアムが嫌味を言う。
 あんな風にロザリーを追い詰めたりするのが悪いのだ。
 正直に、おまえのために猫を被っているのだと言ってやれば済んだのに――。
394ロザグラ:2007/12/20(木) 03:46:07 ID:C9FO1cik
「でも、だったらなおさら早く追いかけるべきでは? 正妻にはなれないまでも、妾にと
言われたら頷くかもしれませんよ」
「それを今から見物しに行くんだよ」
「覗きですか……?」
「嫌なら来るな」
「いくら悪評を立てたいと言っても、戦場以外での殺人を見過ごすわけには行きません」
 このままグラッド一人を生かせたら、ロザリーかフィリクスか、あるいはその両方を
切り殺しかねない。
 背中に百人もの視線を感じながら、ウィリアムとグラッドは晩餐会場を後にした。


                 ***


 どこをどう走ったのか、よく覚えていない。
 とにかく人気のない所に行きたくて、ロザリーは一回の窓から飛び降りて、かがり火を
避けるようにして裏庭に向かった。
 そのまま少し走って美しく刈り込まれた生垣の陰で立ち止まり、ぐしぐしと涙を肘まで
ある手袋で拭う。
 は、は、と浅く短い息を吐き、ロザリーはその場にうずくまって泣き出した。
 グラッドは主君だ。
 自分で、グラッドの女ではないと。ただの護衛だと言い張ったのに。
 一番下っ端で構わないから雇ってくれと言ったのに、まるで変わらず友人のように接し
てくれるグラッドを、当たり前のように思っていた。
 ウィリアムのように公私を分けることも出来ず、公の場で主君を怒鳴り、集まる視線に
ロザリーは立ちすくむ事しか出来なかった。
 もし、あのまま何も無かったら、ウィリアムが叱責してくれなかったらと思うと寒気がする。
 その瞬間、自分はグラッドの護衛ではなく、側に置いて愛でるだけの人形になっていた
のだ。少なくとも、あの場にいた者は全員そう思う。
 なんて子供で、なんて愚かで、なんて見苦しい女だろう。
 頭から被った水と、冬の夜風のせいでいつの間にかカチカチと歯が鳴っていた。
 上着も羽織っていないドレス姿はひどく寒い。
 その肩に、硬質な布地が、ふわりとは言いがたい重さで巻きつけられた。
 暖かさにぎょっとして立ち上がり、生垣を背にして振り返る。
「頭に血が上ると闇雲に走り回る癖は健在か」
「フィ――」
「何故部屋に戻らなかった。私とほぼ同時にフランク卿がおまえを追って会場を出たんだ
ぞ。こんな暗がりに一人でいては、襲ってくれと言っているようなものだ」
 咎めるような口調だが、表情は柔らかく穏やかだった。
 年齢なんてほんのいくつかしか違わないのに、それが手の届かないほど大人に見える。
395ロザグラ:2007/12/20(木) 03:46:46 ID:C9FO1cik
「――君には関係ないだろ! ほっといてよ!」
 怒鳴って、ロザリーは肩に掛けられた上着を脱いで眼前の大男に押し付けた。
 驚いたように目を見開き、フィリクスが押し付けられた上着を受け取る。
 そして駆け出したロザリーの腕を、フィリクスは慌ててつかんで引き戻した。
「ロズ! 落ち着け、話を聞いてくれ」
「痛いな! はなしてよ! なんだよ、哀れみに来たわけ? フロージア様に慰めてこい
とでも言われたの? 僕が女だから。僕が子供だから!」
 子供じみた怒りだ。成長した幼馴染と昔から変わらない自分を比べて、劣等感に焦燥と
苛立ちが募る。
「どうしてそんなふうに思うんだ。私はただ、おまえが心配なだけだ」
 なだめるようなその声が、無性に癪に障った。
 どんなに渾身の力を込めても、がっちりと腕をつかんだフィリクスの手は離れない。
「来るんじゃなかった」
「ロ――」
「君になんか、会うんじゃなかった!」
 醜態をさらしてばかりだ。
 ウィリアムに呆れられ、グラッドを怒らせ、二人に恥をかかせてフィリクスや他の招待
客に哀れみをかっている。
 こんなつもりで来たんじゃない。
 女々しくて、惨めで、みっともなくて嫌になる。
「ほっといてよ……もう、関係ないだろ。花婿がこんなとこで何やってんだよ」
 ひく、ひく、と肩を揺らし、ロザリーはまた、めそめそと泣き出した。
 もう、たくさんだ。これ以上みっともない姿をフィリクスに見せたくない。
 ぐいと、掴まれた腕が静かに引かれ、ロザリーはよろめいた。
 その肩にもう一度、重たい男物の上着が巻きつけられる。
「おいで、少し歩こう」
 がっちりと腕をつかんでいたフィリクスの手が、あっけなくほどけた。
 身をひるがえそうとして視線を逸らし、しかしロザリーは逃げ出さずに踏みとどまった。
 ほっと、フィリクスが息を吐く。
 促されて、ロザリーはとぼとぼとフィリクスの隣を歩き出した。
 さくさくと、草を踏みしめて庭を歩く。
 ロザリーが人に見られたくない、と呟くと、フィリクスは人気のない道を選んで歩いてくれた。
 沈黙が妙に重い。
「……思い出すな」
 ふと、沈黙に耐えかねたようにフィリクスが口を開いた。
「昔、冬の湖に落ちた事があっただろう。その時も、こんなふうにおまえに上着を貸してやった」
 あぁ、と、ロザリーは呟いた。
 青い唇で真っ白な息を吐き出して、責めるようにフィリクスを睨む。
「湖を覗いてた僕を、君がふざけて後ろから突き飛ばしたんだよね」
「……そうだったか」
「僕のお父様に怒鳴られたの覚えてないの?」
「……今思い出した」
 気まずそうに、フィリクスが視線を逸らす。
 ふ、と、ロザリーは小さく吹き出した。
「ほんと、子供の頃は乱暴者だったのにさ。すぐに怒るし、自分から誘ったくせに一人で
歩いて行っちゃうし、僕が誰と遊んでてもお構いなしに引きずってくし」
「やめてくれ。子供の頃の自分を殺したくなってきた」
 あはは、と声を上げてロザリーが笑うと、フィリクスは力なく肩を落として嘆息した。
 少し、苛めすぎただろうか。
 ロザリーぼんやりと、どこか拗ねた様子のフィリクスを眺め、こみ上げてくる懐かしさ
に目を細めた。
「変わったよね、フィルは。背だって伸びて、力だって強くなって、穏やかで知的で、
まるで別人みたい」
「ロズ……」
「置いてかれちゃった気分だよ。僕ばっかり子供で、ドレスを着て大人しくしてることも
出来なくて、頭の中もからっぽ。胸もお尻も育たなかったし、女らしさのかけらもない」
「馬鹿を言うな! 自分を鏡で見た事がないのか!」
 急に、乱暴に肩を掴まれて、ロザリーはぎょっとして目を見開いた。
396ロザグラ:2007/12/20(木) 03:47:20 ID:C9FO1cik
「おまえが会場に現れた時、真っ先にフランク卿が飛んで行っただろう。あの方は好色だ
が、飛び切りの美女にしか興味を示さない事で有名だ。私だって、こんなに可憐な夫人を
見た事がない。広いホールのきらびやかな婦人の中で、おまえを目で追わずにいられる男
がどれだけいると思う」
 そりゃあ、と呟き、ロザリーはぎこちなく口元が歪むのを意識した。
「頭から水を引っ掛けられた婦人なんて、あの場じゃ僕しかいなかっただろうからね」
 一瞬、フィリクスは言葉を忘れて呆然とロザリーを見下ろした。
 そのフィリクスの瞳に自身の卑屈な苦笑いを見つけ、ロザリーは慌てて俯いた。
「その……フランク卿だけどさ。すごく感じ悪いんだ。嬉しそうに人の悪評喋ってさ。
まるで君が暴漢みたいなこと言うんだ」
「――婦人を、裸で放り出した話だろう」
「……なんだ、知ってたんだ」
「事実だからな」
 え、と、ロザリーは目を見開いた。
「騎士などをやっているとな、不倫目的の貴婦人からの誘いは多い。私は全て断ってきた
が、ある貴族の開いた夜会に招かれたおりに、あてがわれた部屋のベッドで半裸の夫人が
待っていた」
「い、いいよ! 説明しなくていい!」
「退室を願ったが、話を聞かずに服を脱ぎだしたので――」
「フィル!」
「放り出した」
 それきり、フィリクスは沈黙した。
 あれ、と、真っ赤になってそらした顔を再びフィリクスに向け、たっぷりと疑問を含ん
だ表情で首をかしげる。
「あの……それだけ?」
「いま思えば、私が部屋を出れば済んだ話なんだがな。動転してた。私がその婦人の誘い
を受け入れた事になっているだろうが、実際は何もしていない。申し訳無い事をしたので、
公然と否定はしていないが……」
「あの……じゃあ、なんでその……君がその人と、いたしちゃった事になってるの?」
「恐らく、恥をかかせた報復だろう。よくある話だ」
 都会は恐ろしいところである。
 ロザリーは表情をひきつらせた。
「でも……だったら、じゃあ……し、しちゃえばよかったのに。だってそうすれば、その
ご婦人だって恥をかかずにすんだし、フィルだってそんな噂流されなかったのに……」
「――結婚の約束があったんだ」
 ぎくりと、ロザリーは肩を強張らせた。
 フィリクスの顔が見られなくて、無意識に視線を逸らす。
「そ、そうなんだ。誠実なんだね。相手はフロージア様でしょ。そりゃそっか、相手が
あの人なら、他のご夫人なんて道端のカボチャだよね」
 あぁ、そうだな、とフィリクスが呟いた。
 顔を上げられないロザリーに、フィリクスの表情は分からない。
「手紙を……な、探していたんだ。届いていないならどこにあるのかと」
 唐突に、フィリクスが話題を変えた。
 他の話題を探していたロザリーは、安堵して顔を上げ、しかし直後にこの話題もまずい
事に気付いてうろたえた。
「そんなの、みつかるわけないじゃないか。ばかだな。だって、出しちゃった手紙なのに
さ、家の中なんて探したって――」
「おまえは、そう考えるのか」
 どこか呆れさえ含んだ口調で言われ、え、とロザリーは問い返した。
 だって、と口を開きかけ、その先の言葉をさがして口ごもる。
「私は……誰が、どこへやったのかと考える。私の周りの人間もそうだろう。私でも鈍い
方なんだ。手紙の返事が来なくなった時点で、私は疑うべきだった」
「疑うって……それじゃ……」
 みつかったの、と思わず聞いたロザリーに、フィリクスは静かに頷いた。
 一言、
「暖炉の中に」
 ロザリーは眉根を寄せ、愕然としてフィリクスを見た。
「騎士の称号を拝し、私はすぐにおまえを呼び寄せようとした。もちろん、両親にもその
事を伝えた。二人とも祝福してくれた。認めてくれたと思っていた」
 だが、と低く言葉をつなぎ、フィリクスは拳を握り締めた。
397ロザグラ:2007/12/20(木) 03:48:26 ID:C9FO1cik
 聞いてはいけない話だ。
 自分は、約束を忘れた事になっているのだ。この話を理解してはいけない。
「腹の中では、祝福などしていなかった。ただ、反対すれば私が抵抗すると知っていたの
だろう。母は下男を抱きこんで私の手紙を手に入れ、全て燃やしていた。手紙を託してい
た下男を問いただしたら、あっけなく白状したよ。良家の子女との婚姻が家のためになる
と、私のためでもあるのだと……」
 そうだ。
 貧民でない――と言うだけで、地位も名誉もない田舎娘なんぞと結婚するより、地位も
名誉もある聡明で美しい女性と結婚するほうが、家のためにもフィリクス本人のためにも
ずっといい。
 だから、祝福しに来たのだ。
 美しい婚約者を。
 騎士の称号を。
 誇れる仕事を。
「よく、わからないけどさ」
 青ざめた唇で真っ白な息を吐きながら、ロザリーは困ったように微笑んだ。
「君のお母様は、正しいと思うよ」
 フィリクスが表情を硬くする。
 その変化に気付かない振りをして、ロザリーは続けた。
「だってさ、幼馴染って言ったって、僕は一応女なわけでしょ? 独身の騎士様が故郷か
ら女を呼び寄せたりしたら、そりゃあ変な噂も立って女の人もよりつかなくなっちゃうじゃん」
「……そうか」
「鈍感だなぁ。普通に考えて、この状況だってまずいんだよ。結婚前夜の男がさ、薄暗い
裏庭で若い女と二人きりなんて……今すぐ会場に戻って婚約者の側にいるべきだと思うよ。
常識的に考えて」
「そうだな」
「だからほら、僕のことはもういいからさ。会場に戻りなよ。僕も部屋に戻って、暖炉に
あたってあったまるからさ」
「ロズ」
「うん?」
「グラッド卿やウィリアム様に、いつもあんな扱いを受けているのか?」
 ふいに、フィリクスの瞳から穏やかさが消えたように思えた。
 思い出したように風が吹き、水気を含んだロザリーの髪を氷のように冷やして行く。
「ううん。いつもはもっとずっと、凄く仲いいよ。でも、今回は特別。たくさん人が集ま
るところで、護衛が主君を怒鳴ったんだ。あれくらい、当たり前だよ」
「当たり前まえのように、あんな扱いを受けているのか」
「ちが……だから、普段はほんと、あんなんじゃないんだ。今回は僕が主君を怒鳴ったか
ら、だから――」
「いくら護衛といったって、おまえは女なんだぞ! それを、あんなふうに辱めるなど、
いくらなんでもやりすぎだ! 例えおまえが男でも、あそこまでやられて平然としていら
れる者などいない」
「それは、だって、咄嗟のことだったし……」
「ロズ。おまえは世界を知らない。夜会で婦人に声を荒げさせたら、それは男の責任だ。
怒らせるようなことをしておいて、相手の夫人を罰するなどありえないことだ」
「だから、僕はただの護衛で! 婦人とか、そういうくくりじゃないんだ! だいたい、
護衛の仕事だって無理言ってさせてもらってるんだし、それに――」
「ロズ!」
 グラッドを庇うような言葉を連ねるロザリーの肩を、咎めるようにフィリクスが掴んだ。
 ぎくりとして肩を竦めたロザリーを、フィリクスが真剣な目で睨む。
「――私のところに来い。私なら、おまえにあんな思いをさせたりしない」
 愕然と、ロザリーは目を見開いた。
 どくどくと、耳の奥で脈打つ音が聞こえる。これは、歓喜による胸の高鳴りか、あるい
は罪悪感による緊張か――。
「夕刻、おまえの振る剣を見た。覚えているかロズ。私が騎士になったら、私はおまえに
剣を教えると約束したんだ。だが、そんな必要は最早ない。その実力を私に貸してくれ。
また、一緒に剣を振ろう」
「……ばかな……冗談、やめてよ……」
 ぎこちなく微笑んで、ロザリーは静かに首を左右に振った。
「僕はグラッド卿の護衛だ……全部、あの人にもらったんだ。あの人は僕に戦い方を教え
てくれた。だから僕は、あの人に仕えるって……だから……」
398ロザグラ:2007/12/20(木) 03:49:00 ID:C9FO1cik
 頷いてしまえたら、どんなにいいだろう。
 また一緒に、昔のように、妻になんてなれなくても、親友としていられたら、どんなに
心満たされるだろう。
「――もし、おまえが望んでくれるなら……」
 ぐ、と、フィリクスがロザリーの肩を掴む手に力を込めた。
 その指が、緊張で震えているのが分かる。
「私は、騎士でなくても構わない」
 今度こそ、ロザリーは完全に言葉を失った。
 その、フィリクスの言葉の意味は――。
「おまえは、本当に――昔からどうしようもなく、嘘の下手な女だな」
 ひどく不器用に、フィリクスが笑った。
 寒さとは別の、だがそれよりも抑えられない震えが足元からロザリーを揺さぶる。
「待っていてくれたんだろう?」
「ちが――」
「十年も、手紙が途切れてからもずっと、私を信じていてくれたんだろう」
「やめてよ、フィル。だめだよそんなの、だめ――」
 力強い腕に抱きすくめられ、ロザリーは息を詰めた。
 泣くまいと、涙を堪えて唇を噛む。
「やりなおそう、ロズ」
 奪ってしまう――と、ただそう思った。
 美しい婚約者を。
 騎士の称号を。
 誇れる仕事を。
 十年かけてフィリクスが作り上げてきた物を。全て。なにもかも。
「……うそつき」
 こんなつもりで来たんじゃない。
 ただ、幸福なフィリクスに、自分も幸福だと伝えて安心させたかっただけなのに――。
「うそつき、うそつき、うそつき……!」
 ずっと待っていたのに。
 ずっと信じていたのに。
 うわぁぁん、と声を上げ、ロザリーはフィリクスの胸にすがり付いた。
「迎えに来るって言ったじゃないか! 会いに来るって言ったじゃないか!」
 結局、フィリクスの両親が村を出て街に移り住んだだけで、フィリクスは一度も村に
帰ってはこなかった。
 すまない、すまない、とフィリクスが耳元で繰り返す。
「結婚しよう……って、言ったじゃないかぁ……!」
「すまない……ロズ。すまない」
 抱き合っていた体をわずかに離し、フィリクスがふいに腰を屈めた。
 唇が触れそうになり、慌ててロザリーは顔を逸らす。その顔を、半ば無理やり上げさせ
られて、ロザリーはぎゅっと唇を噛んだ。
 その唇に重なった温もりに、ぎくりと体を竦ませる。
 ロザリーが唇を開くまで、フィリクスは根気よく、ついばむようにロザリーに口付けた。
「ん……んん……ふ……」
 くちゅりと、唾液が絡まる音がした。
 怯えるようにわずかに開いた唇に、フィリクスの舌が無遠慮に押し入ってくる。
 これは罪だ。裏切りだ。
 グラッドに対する裏切りだ。
 フロージアに対する裏切りだ。
 ロザリーはぼろぼろと涙を零しながら、どんどんとフィリクスの肩を叩いた。
 だけど一度受け入れてしまった舌は、ロザリーを逃がそうとはしない。
 どれくらいそうしていただろう。ようやくフィリクスが唇を離したころ、ロザリーの
涙はすっかり枯れ果てていた。
 ぐったりとフィリクスの腕に体重を預け、熱く濡れた唇を開く。

 パン、と、乾いた音が夜に響いた。

 立て続けに、皮膚と皮膚を打ち合わせる乾いた音が、植え込みの影から吐き出される。
 音と共に姿を表した無骨な影に、ロザリーは血の気を失い、呆然と立ち尽くした。
「見せ付けてくれるじゃねぇか。感動のクライマックスだ! 涙無しにはとてもじゃない
が見てられねぇ。覗きなんて低俗なまねして正解だった。こいつぁ一級の戯曲に勝る」
399ロザグラ:2007/12/20(木) 03:49:34 ID:C9FO1cik
 おどけた様子で喝采の声を上げながら、グラッドが脅すような笑みを浮かべて立って
いた。その瞳が、怒りとは違う感情に彩られ、責めるようにロザリーを睨む。
「グラ――」
「だけどな。フィリクス――つったか。でかいの」
 ふいと、ロザリーから視線を外し、グラッドが静かにフィリクスを見た。
 その背後に、どこか悲痛な表情でウィリアムが控えている。
「そいつは俺の女だ。俺の護衛だ。俺が見つけて、俺が育てて、請われて俺が受け入れた
女だ。俺が焦がれて、焦がれて、毎晩夢で犯しても手が出せねぇほど惚れた女だ」
 すいと、グラッドがウィリアムに手を差し出す。
 次の瞬間、ロザリーは瞠目した。
「一回捨てた女だろうが。それを拾った男から、その女を奪おうってんだ。筋は通しても
らうぜ、騎士様よ」
 見慣れた装飾の、美しい鞘がグラッドの手に握られていた。
 グラッドの手にあると、細身の剣がより一層小さく見える。
「剣で奪えと、そうおっしゃるのですか」
 はは、と、グラッドが声を上げて笑う。
「その女はな。自分より弱い男とは契りを結ばないんだそうだ。元を正せば、それも全部
おまえのためらしいがな。おかげで俺も、その女に手がだせねぇ」
 ちらとロザリーに視線をやり、グラッドは剣をロザリーに投げ渡した。しっくりと手に
馴染む、使い慣れたフランベルジュだ。
 胸に抱きこむように剣を受け取り、ロザリーは唇を噛んで首を左右に振った。
「戦え。決闘してみろ。その女を俺から奪う資格があるのは、その女を打ち負かせる者だけだ」
「馬鹿を言うな! ロザリーは女で、しかもドレスなんだぞ! 決闘なんて成り立つものか!」
「そう思うなら、剣を抜け。そんなに実力に差がありゃぁ、傷つけずに勝つことくらいで
きるだろう。もし、本当にロズがおまえに負けるような事があったら、俺はそんな弱い護
衛はいらねぇ。そんな弱い女に興味もねぇ。連れて行くなり、犯して捨てるなり好きにす
りゃいいさ」
 愕然と、ロザリーはグラッドを凝視した。
 いらない、という言葉が、信じられないほど痛い。
「どうする? 女相手に剣を振るのは騎士道とやらに反するか。それとも、女に打ち負か
されるのが怖いのか」
 なんなら――と、はじめて、グラッドがまともにロザリーを見た。
「わざと負けちまってもいい。甘んじて敗北を受け入れるような女も、俺はいらねぇ。後
始末は全部俺がしてやるさ。町を出る馬車も、支度金もくれてやる」
 さぁ、どうする――とばかりに、グラッドが口角を吊り上げた。
 わざと負けるという選択肢が存在する事すら、ロザリーは考え付かなかった。
 そうか、ただ、剣を落とせば、それで済んでしまうのか――。
 すらりと、フィリクスが剣を鞘から抜く澄んだ音が夜に響いた。ひゅぅ、と、グラッド
がいつものように口笛を吹く。
「抜け。ロザリー」
 グラッドがロザリーに命じた。
 かたかたと、胸に抱いた剣が震える。
「抜け」
 重ねて、グラッドが鋭く命じる。
 青い唇が白くなる程噛み締めて、ロザリーは鞘から剣を引き抜いた。
 かがり火の赤が反射して、夕日のようにフランベルジュが美しくきらめく。
「グラッド」
「――なんだ?」
「……ドレス、ありがとう」
 言って、ロザリーはドレスの裾を、腿半ばまで乱暴に引き裂いた。
「ロズ! 何を――!」
 思わず剣を降ろしたフィリクスの声を無視して、ひらひらと揺れる飾り布も引きちぎり、
腰を落として剣を構える。
 ウィリアムが前に出て、決闘の開始を告げ――瞬間、ロザリーはドレスの赤をひらめか
せてフィリクスに切りかかった。
 愕然と目を見開き、フィリクスがロザリーの剣を受けて後退する。
「十年だよ、フィル」
400ロザグラ:2007/12/20(木) 03:50:09 ID:C9FO1cik
 半ば呆然としてロザリーを見詰めるフィリクスに、ぎこちなく笑ってみせる。
「これが、僕の十年だ」
 すべて、この男のためだった。
 こんな形でさえ、フィリクスと剣を交えられる事が、笑い出したくなるほど嬉しい。
 フィリクスの瞳に、ようやく闘争の色が宿る。
 その色に、ロザリーは歓喜が体を満たすのを意識した。
 叫んで、ロザリーは白刃を振り下ろした。
 その剣を、やすやすとフィリクスが受ける。押しのけるように後方に弾き飛ばされ、
ロザリーはドレスに振り回されるようによろめいた。
 大きく、フィリクスが踏み込んでくる。
 踏みとどまり、フィリクスの剣を受け流し、ロザリーは泣き出した。
 なんて綺麗で、なんて真っ直ぐで、なんて力強い剣だろう。
 これは人を守る剣だ。グラッドの振るう、奪うための暴力とは違う。

 だが、弱い。

 絶望が、ロザリーの心に食らいついて離れなかった。
 人を傷つけまいとして振られる剣は、悲しいほどに無力だ。
 これに負けるのは簡単だ。お互いに、毛ほどの傷もつかずに勝負は終る。
 ただ、剣を落としさえすればいいのだ。
 なのにどうして――。
「どうして――どうして!」
 悲しみが苛立ちに、苛立ちが怒りに変わる。
 なぜ、腕を狙って切り付けない。
 なぜ、傷つけまいとするように剣を引く。
 茶番だ。こんなものは決闘ではない。こんなものは戦いではない。
「うわぁあぁあ!」
 踏み込み、ロザリーは容赦なくフィリクスの腕を切りつけた。
 だが、浅い。
 更に追い討ちをかけようと剣を振りかぶったロザリーの眼前に、白刃が割って入った。
ぎぃん、と鈍い音がして、ロザリーの剣が止められる――フィリクスのものではない。
「終わりですロザリー。あなたの勝ちだ」
 ウィリアムの声だった。
 腕を押さえてうずくまったフィリクスは、もう、剣を握ってはいない。
 呆然と、ロザリーは剣を降ろした。
「腕を。止血をしますから、医者を呼んで縫ってもらうといいでしょう。肉を抉られてい
るだけで傷は酷く残るでしょうが、今後も剣を振るのに支障はないはずです」
 ウィリアムが剣をしまい、フィリクスの側に膝をつく。
 白いシャツが真っ赤に染まり、腕を伝った血液がぱたぱたと地面に滴っていた。
 青ざめた顔で、フィリクスがロザリーを見上げる。
 あぁ、やはり――とロザリーは思った。
 やはり自分は、あの日、あの庭で、恋に焦がれる自分を切り殺していた。
 フィリクスに焦がれる心よりもはるかに強く、闘争の愉悦を奪われた怒りと虚無感が
ロザリーを揺さぶっている。
「弱いなぁ、フィルは……」
 ぽろぽろとこぼれる涙を止められず、しかしそれでも、ロザリーは昔のように笑って見せた。
「ロ――」
「ピアノやダンスの稽古ばっかりしてるから、全然剣が上達しないんだ。そんなんじゃ、
いつまでたっても僕に一勝もできないんだから」
 剣を振って血を払い、鞘を拾い上げて刀身を納める。
「幸せに。フィル。さよなら」
 フィリクスに背を向けて、ロザリーは静かに歩き出した。
 その肩をグラッドが軽く叩く。
「――よくやった。それでこそ、俺の女神だ」
 ぱん、と音を立ててその手を振り払い、しかしそれだけでロザリーはまた歩き出した。

 ロザリーが立ち去り、ウィリアムとグラッドが立ち去ってからも、フィリクスはしばら
くそこに座り込んでいた。
 ロザリーに切られた腕が、燃えるように熱く痛む。
401ロザグラ:2007/12/20(木) 03:50:43 ID:C9FO1cik
 ずっと、森での約束を想って生きていた。
 会いたい気持ちを抑えて騎士になるためにひたすら学び、同じ手紙を何度も読み返して
必死に剣を振ってきた。
 だが、ある日ふと、唐突に手紙の返事が途切れた。
 何があったのかと不安に思い、だが、それと同時に、ずっと恐れていた一つの可能性を
考えずにはいられなかった。
 誰か、他の男を愛したのではないかと。
 幼い日の約束が煩わしくなったのではと。
 そう思うと恐ろしくて、手紙の返事が来ない日が続けば続くほど、ロザリーに会いに
行く事が出来なくなっていった。
 フロージアに出会い、だが、それでもロザリーを想い続けたフィリクスを、フロージア
は平然と愛し続けてくれた。
 きっと、ロザリーは他の男を愛したのだろう。
 別の誰かと幸福になったのだろう。
 そして、フィリクスはフロージアを愛したのだ。
 ロザリーはずっと待っていたのに。フィリクスのことを疑いもせず、手紙などなくても
ずっと、待っていてくれたのに――。
「フィル。そこにいたのね」
 寒そうに声を震わせながら、白いドレスをひらめかせてフロージアがフィリクスの前に立った。
 困ったように首をかしげ、フィリクスの腕に視線をやってまぁ、と口元に手を当てる。
「大変。お医者様に見せないと」
「――裏切っていたのは私の方だ」
 抱き起こそうと屈んだフロージアに、フィリクスは震える声で囁いた。
 え、と、フロージアが動きを止める。
「フィル。あなた、泣いてるの?」
「信じていてくれたのに、信じられなかった。待っていてくれたのに、迎えに行く勇気も
なかった……!」
 あらあら、呟いて、フロージアがそっとフィリクスを抱き寄せる。
「そう。あの子が、あなたの言っていたロズだったのね」
 ロザリーと名乗ったから、わからなかったわ、とフロージアが溜息を吐く。
「その上私は……おまえまで、裏切って……わたしは……!」
「いいのよフィル。二番目だって構わないって、言ったじゃないの。一番好きな人が目の
前に現れたら、誰だってそっちを見るわ。私は、子供みたいに正直で、自分に嘘がつけな
いあなたが好きよ」
 だからほら、と促され、フィリクスはようやく立ち上がった。
 激痛が腕を焼く。
 幸福であると思っていた。迷惑でなければ、ロザリーが幸福に笑う姿を見てみたいと
思った。夫はどんな男か、子供はもういるのか、想像するたびに苦しくて、それでも
ロザリーの幸福を想像することが喜びだった。
 それが――ロザリーは戦場の鬼の護衛として現れた。
 剣に生きる事にしたのだと、手紙など受け取っていないと、ロザリーは平然と、さも
当然のように言ったのだ。
 憎かっただろうに。自分を裏切った男の幸福を目の前にして、唾を吐きかけたかっただ
ろうに、それでも、ロザリーは友人として、笑顔を見せてくれたのだ。
 自分は約束など覚えていないと。
 だから、なにも気にするなとでも言うように。
「奪い返す力も……私にはなかったんだ」
「そうね。奪うのは、守るよりもずっと大変ですものね」
 さらさらとした手袋で、フロージアがフィリクスの涙を拭う。
 でもね、と言い聞かせるように、フロージアは微笑んだ。
「奪おうとする男がいて、その男に奪われたいと本気で願ったら、女は力づくでも奪われ
にいくものよ」
「……私は、力ずくで跳ね除けられた」
 くすくすと、肩を揺らしてフロージアが笑う。
「ふられちゃったのね。頭がいい人。こんな最低の人でなし、普通の人なら愛すれば愛す
るほど傷ついてしまうわ」
「私は……! 私はただ……」
「優柔不断で、未練ったらしくて、諦めが悪くて、思い切りが悪くて、ひたすら頑固で、
我が侭で、さんざん人を振り回して傷つけるくせに、人を傷つけるのを怖がる臆病者」
402ロザグラ:2007/12/20(木) 03:51:17 ID:C9FO1cik
 ついと、豊かな黒髪を耳の後ろに流し、フロージアが優しく微笑んだ。
 そして、ほっそりとした指でフィリクスの傷を撫でる。
「いいきみ」
 ふふ、と、フロージアが笑う。
「言ったでしょう? あなたは騎士には向いていないわ。優しすぎるもの。それでも、故
郷にいる幼馴染に恥ずかしいからって、頑張って騎士になったのに、その人を裏切って、
逃げられて、ばかな男ね。ばかな人」
「フラウ……」
「グラッド卿は素敵な方よ。一途でまっすぐで、ひねくれ者でとても強い。約束を取り付
けるのは難しいけれど、守らなかった約束は一つもないというわ」
 あなたより、ずっと上級な男よ。優良株なんだから、と、フロージアはからかうように
フィリクスの耳に唇を寄せた。
「だからあなたは、罪悪感よりも嫉妬心に身を焼きなさい。うらやましいってダダをこね
るあなたを眺めて、私は毎日をすごすから」
「それじゃあまるで……私は道化師だ」
「あら、だってお姫様を助けにいって、そのお姫様に打ち負かされたんでしょう?」
「見ていたのか」
「女のかんよ」
 笑って、フロージアはフィリクスに口付けた。
 

               ***


 部屋に足を踏み入れるなり顔面めがけて飛んできた果物ナイフに、グラッドはさすがに
苦笑いも浮かばず閉口した。
 木製のドアに突き立った果物ナイフには、ロザリーの殺意がありありと見て取れる。
「俺は選択肢を与えたぞ」
 言って、グラッドは果物ナイフを引き抜いて後ろ手にドアを閉めた。
 ボロボロになった赤いドレスを纏ったまま、ベッドに身を伏せて泣いているロザリーに、
ゆっくりと歩み寄る。
「男より剣を取ったのはおまえだ。おまえが――俺を選んだんだ」
「君なんか選んでない」
 すぐさま、鋭い否定が入る。
 あぁ、そうかよとはき捨てて、グラッドは果物ナイフをもてあそびながら柔らかな
ベッドに腰を下ろした。
「フィルは僕を切るのを怖がってた……」
「あぁ、とんだ腰抜けだ」
「あんなふうにたきつけて! あんなふうに戦わせて! あんなふうに傷つけて! あん
なことしなくたって、僕は逃げたりしなかった。君に仕えるって決めたんだ! 裏切った
りしなかったのに!」
 叫んで身を起こしたロザリーは、グラッドの襟首を捻り上げて荒々しく食らいついた。
 涙で化粧の落ちた顔が滑稽で、思わずグラッドは吹き出してしまう。
 グラッドの瞳に映った自分の姿に気がついたのか、ロザリーは顔を真っ赤にして
グラッドの頬をひっぱたいた。
「出てってよ! もう! 君なんか嫌いだ! 大っ嫌いだ!」
 また、ベッドに顔をうずめて黙ってしまう。
 その、大きく開いたドレスから覗く白い肌に、グラッドは果物ナイフの切っ先を滑らせた。
 びくりと、ロザリーが肩を震わせる。
「動くなよ。傷がつくぞ」
 言って、グラッドは刃物の切っ先でドレスの肩紐部分を切り裂いた。
「――パーティー会場で、話しかけていたヒゲ面な。腕利きの護衛を雇ってから、やたら
と決闘沙汰を起こしてるんだ」
 シーツを掴んだままぴくりとも動かないロザリーの背に、再びナイフを滑らせる。
「決闘を挑んだり、挑まれるように相手を煽ったりと、やりかたは色々だがな。前々から、
俺とウィリアムに目をつけてやがる。俺達のどちらかに勝てば、そりゃあそれだけでたい
そうな名誉だからな。おまけに、俺に命令できる権利付きだ」
「……我慢してたの?」
「俺はあの手のゴシップは反吐が出るほど嫌いでな」
403ロザグラ
 ぶつん、と、もう片方の肩紐もナイフで切る。
 ドレスの背を編み上げる紐をナイフの切っ先で解きながら、グラッドはロザリーの
すべすべとした背中に唇を落とした。
 ぺろりと、舌を出して軽く舐める。
「やだ……」
「動くな」
 逃れようと身を捩ったロザリーを押さえつけ、紐の緩んだドレスの背を大きく開く。
 その、肌とドレスの隙間に指を滑りこませ、グラッドはすべすべとしたわき腹をなでさすった。
「あの男に唇を許しただろう」
「……酔っ払ってるの?」
 お酒のにおいがする、と、ロザリーが震える声で呟いた。
「そうだな。少し酔ってる」
「だから……僕を抱くの?」
 だから――には、繋がらないだろう、この場合、とグラッドは苦笑いを浮かべた。
「嫌か」
「……お好きに。閣下」
「は……これだよ。ひでぇ女だな、ったく」
 笑って、グラッドはロザリーから手を放した。
 その代わり、ベッドに突っ伏しているロザリーの手をとって、無理やり膝の上に抱え上げる。
 完全に怯えきり、今にも泣き出しそうな少女の顔があった。
 そんなにも恐ろしいなら、嫌だと、はっきり言えばいい。その方がずっと、投げやりに
差し出されるより奪いやすいと言うのに――。
「好きなだけ他の男にかまけりゃいいさ。好きなだけ剣を振り回せ。だがなロズ。俺は何
があろうとおまえを手放さねぇぞ。百人の男に傷つけられて、百戦の果てに戦に飽きたら、
剣を捨てて俺の妻になれ」
 ロザリーの震える唇に自らの唇を押し付け、グラッドはその幼い唇を味わうように
甘噛みし、緊張してがちがちに固まった舌を絡めるようにそっと誘い出した。
 こうやるんだと教えるように、根気よく、じっくりとロザリーの緊張をほぐしてやる。
「それまでは、これで我慢してやる。唇や指でおまえに触れても、純潔は奪わないと
誓ってやる。例えおまえが他の男で純潔を散らしても、俺はおまえが心から頷くまで決して
お前を汚さない」
 耳たぶ、頬、ほっそりとした首筋に、真っ直ぐに伸びた鎖骨。
 順々に舌を這わせて甘噛みし、グラッドはもう一度、ロザリーの唇に口付けた。
 

              ***


 翌日、フィリクスとフロージアの挙式は滞りなく行われ、二人はその足で、湖のはずれ
に建築したという二人の新居へと旅立っていった。
 招待客にはその後も酒や料理が振舞われ、ロザリーたちも、呼び集められた芸人たちが
自慢の芸を披露するのを楽しんで眺めていた。
 芸人など見た事がない田舎育ちのロザリーは瞳を輝かせてそれを喜び、ウィリアムと
グラッドはその姿をほのぼのと眺めながら、たまには遠出も悪くないなと頷きあった。
 ふと、一人の道化がロザリーに歩み寄り、おどけた調子で一輪の花を差し出した。
 そして、また飛び跳ねるようにして差って行く。
 注目を浴びて恥ずかしそうに顔を赤らめ、ロザリーは花を手にしたままおろおろと
グラッドたちのところにかけ戻った。
「どうした。もう見なくていいのか?」
 ゆったりと椅子に腰掛けながら、グラッドが笑う。
 うるさいな、どうでもいいだろ、とぼそぼそと呟きながら花をもてあそび、ふと、
ロザリーは花びらの中を覗き込んだ。
「……なんか入ってる」
 花びらの中に指を突っ込み、引っ張り出す。
 するとそれは小さく畳まれた紙切れで、ロザリーはこれでもかと言うほどなんども折ら
れた紙を苦労してもとの形に戻し、うわ、と呟いて後方の道化師に振り向いた。
「手紙だ」