パタ、パタ
健康サンダルの静かな足音が吹き抜けの、シャフト下層に響く。
通路に並ぶ試験管の数々。
無頭児、巨頭児、腰の部分で繋がった双生児のホルマリン漬けの大小の
試験管が並ぶ。彼らの沈黙に息苦しさを覚える閉塞感。
不老不死――アンチエイジング・ラボラトリー
ここはメンデル研究センター、本日までのモルモット達の残骸、
研究用標本保管庫である。
甲殻類・軟体類の標本。巨大ないかのような生物が翼をはためかせ、
真下を横切る白衣に健康サンダルというラフな格好の茶髪の青年に
目をぎょろりと向ける。
どうやら生きているようである。
巨大な吹きぬきに装飾のように吊り下げられたホルマリン漬けの試験管が
並ぶ通路を抜けると、J・HIBIKIとネームプレートの挿された研究室の
一角にあたる。
左列試験管の列は、ガラスが砕け落ち、ケーブルがむき出しになった研究列。
清掃の手が足りないのか、試験台にうっすらと埃を被る銀のプレートには
「G・デュランダル」の文字が光る。
デュランダル・シリーズの名残、こちらは胎児程度の大きさの試験管が並び、
上層には脊髄だけ、脳幹のみ、臓器が小さな容器に収められている。
右列に並ぶ培養槽ラインは、成人がすっぽり入れそうな大きな容器がならび、
こちらは幾分綺麗に手入れされているが、培養液も満たされておらず
中は空である。
「ヒビキ・マキシマム・シリーズ」
こちらのラインはまだ生きているようで、時折紅いランプが灯り
生命維持装置の無事を主張する
シャフト中心部、エレベータホールへ向かうそのライン末端に、
ポコポコと培養液の水泡音を立て、3歳児ほどに育った幼児がたゆたう。
培養槽の大きさ、ケーブルをまとめるシールの古び具合から、
本来なら既に成人までこの槽で成長する予定だったのが、
どのような問題からか、成長が止まっているようである。
ガラス管に手をすり、軽く小突きながら、横切ろうとすると、
幼児の重たそうな瞼がうっすらと細く開き、紅い瞳がちらりと、
あきれたようにわき見するようであった。
「また、僕を責めるような目で。
病状の進行具合が予想以上に早くて、ストック分使い切っちゃったんだ。
今夜の分がない。君はわかってるだろ。
彼女には言っちゃだめだよ。これしか方法がないんだ。
ラクスの生命維持装置監視、お願いね」
そして禁じられた聖域、シャフト最下層へと堕ちるエレベータ用、
白磁の扉の脇に手を翳す。
1年前、MSのコンソールを高速で叩き、大戦を終戦に導いた青年の手と
瞳に薄暗い光がスクロール反射する。
認証確認が終わり、紫の瞳が標本たちの漂う宙を映し、エレベーターに
乗り込むと扉が音もなく閉じられていく。
C.E.75
ラグランジュ・ポイントL4宙域――宇宙開発創始の時より宗主国、
各連合の支配下にあった宙域ではあるが、「ユニウス条約」締結以降、
プラントの影響を受け、独立の気運が立ち込める。
それに伴い、帳簿に残らない不正な武器輸出入も増大、連合、プラント、
オーブとも、水際での阻止を目指し、大規模な哨戒網をはる。
しかしうねる地雷鎖をも易々と潜るかのように進行するかのように
キラリと反射光が一筋。
かつて『禁断の聖域』といわれたコロニーを目前にして、突如輸送船が現れる。ミラージュ・コロイドにて偽装していたのであろう。
あたかも定期便かのような手際のよさで、コロニーのハッチが開き、
港に国籍不明船が入港していく。
コロニー『メンデル』
C.E.30年前期と比較的初期に建設されたこのコロニーは、世界中より
優れた研究者が集結し、遺伝子工学、新薬開発のメッカと呼ばれた。
C.E.68年突如襲ったバイオハザードにより噴出した原因不明の赤色、
緑色の多量のヘドロはガンマ線の大量放射により除去、
コロニー空気も消毒済みである。学研都市の中央に円座する白い巨塔は、
未だその輝きを鈍らせず、高く聳える。
コロニー天井を支えるメインシャフトは、厳重なゲートをくぐり内部へと
踏み込むと、巨大な高度遺伝生殖医療研究所の研究センター
であったことがわかる。
研究資金、コロニー維持費も底を付き、コーディネイター出産を
一大産業としていたG.A.R.M.R&D社
(Genetic Advanced Reproductive Medical Research Development)は倒産、
メンデルは以後無人廃棄コロニーへと化したとは表向きであった。
巡礼者のように半無重力のタラップから静かに降り立つ人々。
人々、といってよいのだろうか。
疲れきった表情の介添人の手を借り、よろりと足を引きずり、
あるいは漂いかける車椅子に座ろうとする者達は、
みな頭からすっぽりと白いシーツを被る。
常人なら夢魔に襲われ、おぞましさに目をそむけてしまうだろう、
異形の者たちの一団であった。
「オーライ、オーライッ、ストーップ!降ろすぞ!」
象のような分厚い皮膚に覆われた巨体を、コンテナから吊り降ろす。
ふわふわと浮きながら踏み出そうとするその太い足は硬く、大きな爪が生える。
しかしその目は、顔は確かに人である。
赤い鶏冠を頭に生やし、スーツを着込んだ者が、無事旅を終えた安堵の
喜びを露に雄叫びを発する。
「別に恥ずかしがることはありません。
ここでは、普通ですよ。さあ、そんなシーツなど脱いで。
外は気持ちがいいですよ」
数人の白衣を着たスタッフ達が、尻から生える太い尻尾にぐるぐると
巻かれたシーツを解くのを手伝う光景が見られる。
「皆さん、ご無事でご到着、お待ちしてました。いらっしゃい。
お帰りなさい、故郷メンデルへ」
白衣の前ボタンを締めることができなかったのだろう、風船を
膨らませたような腹に、はちきれそうなワイシャツのボタン、
首には蝶ネクタイ、チョビヒゲにレンズの分厚い丸メガネをかけた
気のよさそうな中年の男と、同じくビン底メガネをかけた、
そばかすだらけのお下げの女学生が、タラップに立ち、迎えいれる。
「皆さん、本当に運がよろしい!
明日の午後は、中央広場でラクスさまが小コンサートをなさるんですよ!
よかったら、外に出て楽しんでください。
ここは本国のように、見つかれば檻に入れられて、
衛生局で即射殺なんてことはありません。
お部屋も用意しております、さあご案内いたします。
明日はドクター・ヤマトの回診がありますよ!もう安心してください」
――お還りなさい、黄昏の子供たち。お還りなさい、
生誕の時より七苦を定められ迷う魂たち、安息の地へ――
「ヴバーッ、パオーン!」
地上へと続く通路の幅を占領するかのようにのしのしと歩く象が、
鼻を高く跳ね上げる。側には巨象を恐れる様子もなく寄り添い、
灰色の腹をさする品のよさそうな初老の女性。
「まああなたったら、そんなに楽しそうにされるのは何年ぶりのことかしら」
「パオンパオン」と小さく歌うように鳴く。
「まぁ、ラクス様の歌声が?わたしにはさっぱり聞こえませんが」
「本当だ。なんかやさしい歌声が聴こえる……ラクスさま?」
紅い髪のお下げのフラン・バーシコ研修生が、カルテを片手に首を傾げる。
「いえ、ラクスさまはお休みです。――それは」
――それは。それはこのメンデルの守護女神、
オリジナル・ラクス、ティファレト様の歌声――
遺伝子病――キメラ症。
遺伝的に異なる細胞系列を複数有する個体。古くギリシャ神話に出てくる、
ライオンの頭とヤギの体と竜の尾をもち、口からは火を吹くという
獣の名である。
ナチュラルよりも優れていると豪語するプラント上層部が
ひた隠しする異形の存在の患者達。
古くはキメラ遺伝子を組み込み、形態形成異常を伴った
常染色体劣性遺伝病を克服したキメラマウスがコーディネイター誕生の発端と
言われている。
しかしα-ジストログリカンを強化し、本来なら正常ではない活性を持つ
タンパク質生成を持続させることにより、特定糖蛋白質をさらに強化。
コーディネイターがナチュラルなら火傷、皮膚呼吸も出来ず死亡するような
熱傷を帯びても、平然としているのはこの強化遺伝子があるからである。
しかし遺伝子操作による恩恵は、福音ばかりではなかった。
獣化因子による暴走。爬虫類時代の脳への帰還、俗に言う
『ポール・マクリーンの脳の三層構造説』、先祖返り現象である。
※うんちく
大脳皮質は6層構造になっており、古皮質(爬虫類脳)(reptilian brain)
旧皮質(旧哺乳類脳)(paleomammalian brain)、新皮質(新哺乳類脳)
(neomam-malian brain)の順番で下から重なり合う。
旧皮質と古皮質をまとめて大脳辺縁系と呼ぶ。
古皮質(爬虫類脳=脳幹)(reptilian brain)
進化の時間的過程において最も古い年代に発生した脳器官であり、
自律神経系の中枢である脳幹と大脳基底核より成り立つ。
自己保全の目的の為に機能する脳の構造部位であり、呼吸や血圧調整などの
基本的な生命活動維持を調整する生理的欲求生理機能を担う。
フロイト・モデルでは動物的本能を司るエス(イド)に相当する。
コーディネイターの身体的能力を高めるため、この未知の分野を特化し、
情報を詰め込むよう遺伝子を改良したため、誤ってはるか古い魚、
両生類、爬虫類の記憶を呼び起こし、獣化現象をヒトの体に
もたらしたのである。
ラクス・クライン前プラント最高評議会議長。
第二次C.E.大戦、メサイア攻防後の混乱期、連合・オーブ・
プラントを和平協定へと平和の道を示した功労者である。
議長の座についたのはわずか数ヶ月のことであった。
無理がたたったのか、議会演説後突如倒れ、その後、彼女の消息は
ぷつりと絶たれ、1年が経とうとしていた。
シャフト上層、特別病室。
病院特有の白い天井、壁、床はすべてコテージ風の木目調に改装されている。
キャッキャッという乳児の楽しげな笑い声が、病室から漏れる。
薄いピンクのネグリジェを着たラクスが、薄い金髪の産毛の生えた赤子を
抱き、温かな陽光の射す窓辺で身体を揺らす。
長くふわふわと豊かであったピンクの髪はぷつりと短く耳元まで
切られており、白く細い腕は痩せこけ、歌姫と呼ばれた頃の
人形のような美しさは見る影もない。
――静かなこの○に貴方を待ってるの
あのとき忘れた微笑みを取りに来て
あれから少しだけ時○が過ぎて
想い出が優しくなったね
星の降る場所で
貴方が○っていることを
いつも願ってた
今遠くても ま○会えるよね――
宇宙港からバスで運ばれてきた異形の者たちの列が蟻のように
数列に別れ、それぞれのコテージの棟に吸い込まれていく。
ここメンデルは町そのものが病棟なのである。
「ぁだっ、ろーっ!!」
ラクスの胸に抱かれた赤子が、体を捻り手を伸ばす。
半開きのままであった扉から入ってきた白衣の青年が、脇にかかえた
端末をテーブルに置くのを、気配で感じたのだろう。
窓辺の痩せた青白い顔に、頬をほのかに薄紅く蒸気させた患者に近寄り、
折れそうに細い腕から赤子を受け取る。
赤子の背中をとんとんと慣れた手つきであやしながら、ラクスの手を
支えようとするが、ピアノの鍵盤に見立て、窓を軽やかに叩きはじめる。
「ラクス、寝てなきゃ」
「今日はとても気分がいいんですの。キラもおつかれさま。
スタッフの皆さんも大変でしたでしょうね。
今日の便は沢山の方がいらっしゃったんですもの。
もうお荷物解かれておちついたかしら。
明日のコンサート、成功するといいんですけど。
皆さん、来ていただけるかしら。寝ていられませんわ。」
「みんな楽しみにしてるよ。
ミルトンさんなんか、もうはり切っちゃって。
ネクタイを新調したそうだよ」
まあっと腕で両手を祈るかのように組む。
プラント市民を魅了した愛らしさは、失われていない。
事情を知らぬものであれば、ただ少し痩せたとしか思えないだろう。
「だから、明日に備えて今日は寝て」
「そうも言ってられませんの。キラ、レイが、さっき立ったの」
「え?そうなの?」
「はい。レイ、お父さまに見せてあげて」
キラが乳児を、ラクスの病院用ベッドに降ろすと、ごろりと
うつ伏せ寝の状態になるが、ふるふると手足が震えているようである。
「んーーーっ!だぁっ!」
ラクスの白い手を支えに、会心の雄叫びと同時に、得意げに
胸を張りながら赤子が小さな二本の足で立つ。
と、同時にとすんと尻餅をつく。
「ほらっね」
「え……今の立ったって言うの?」
「キラぁ。ちゃんと見てました?ね、レイはなんでも出来るんですよ」
哺乳瓶を咥えさせると、チュッチュと勢い良く飲んでいく。
「レイが生まれてきてから、毎日が驚きの連続ですわ」
遠く先を見据えるかのような深海色の瞳が閉じられ、ベッドへと腰掛けていく。
キラがレイを抱き上げ、側のベビーベッドへと寝かしつける。
注射針から数適薬液を垂らし、空気を抜く。
「ラクス」
いつものようにラクスが右手で短くなった髪をかき上げ、くるりと
うなじを見せる。
パッチをめくりドレーンパイプ口から、薬液を注入していく。
「このお薬……」
ぎりっ。
表情を滅多に露にしないラクスが、奥歯をかみ締めたかのようである。
ドレーンが設置された頚椎には、注射の痛みは全くない。
こんなに胸がずきずきする想いを覚えるとは、いつ想像したであろう。
「このお薬、入手がとても大変なのでしょう。
精製作業も他のスタッフさんが数人がかりでされて。
その人数、カノン開発研究へ回してください。
わたくしはもうお薬はいりません。
わたくし一人を救うことよりも。多くの人を救うことを優先してください」
この異常によく効く薬。まるで悪くなった臓器を切り取り、
代わりにクローン体から取り上げ、移植されたような新鮮な精力が沸く。
ラクス自身のためにだけにつくられた薬。
「あの力は――いつか必要になります。
また人は過ちを繰り返し、憎しみあい、哀しみの連鎖へ陥るでしょう。
この大きな力。使わなければいいのですが。必要です」
注射器を片付け、ラクスを寝かせながら、キラが答える。
「今載せてるカノンAIは、そんなに簡単に壊れないよ。
情報処理負荷能力も今のところ問題ないしね。
僕達がやきもきしても始まらないよ、
地上の事は地上の人達にまかせないと。カガリもがんばっているし。」
「そうですね。信頼しないと」
――でもまた再び業火に焼かれる時代がくるでしょう――
皮肉なことにデュランラル前議長、パトリック・ザラ
前プラント最高評議会議長が辿った「神の審判――リヴァイアサン」思想。
人類最大の抑止力を創作し、争いになる種を芽生えから摘む。
神が打ち破られるまでの間のつかの間の平和を。偽りの神であっても。
これが、ラクスの今のかすかな希望である。
キラ。わたくしは、今を生きたい。今あなたやレイ、
スタッフさん達に囲まれている今が幸せ。
まだ、下の培養槽で寝ているマクシミリアンも。
数十年後になれば、この病気が解明され人類の手で克服されているとしても、
明日には生きていないことがわかっていても、この病魔と一緒に、
この瞬間を生きていきたい」
「ラクス。不吉なこと言わないで、君はすぐに元気になる。
メンデルの薬はよく効いているよ。
この調子なら、君はずっと元気に生きていける。
僕もレイもあの子もずっと一緒にね。でも彼は外に出る気がない」
「あの子は。もうすぐ、生まれてきそうな気がするの。今夜にも」
「それはちょっと……製作されたの僕と同じぐらい古いのに、
ずっとあの様子なのに?今夜ってことはないよ」
「まあ。キラお父さまったら、まるであの子が生まれてくるのを
そんな面倒そうに。わかってませんわね。ね、レイ」
電動ベッドの横に置かれたベビーベッドを揺らす。
このたわいない一秒一秒が、彼らにとっての最大の幸福であった。
今夜もどうやら研究室に缶詰の予定であろう、ズボンから
腹の肉をはみ出させたポール・スミス博士が顕微鏡を覗き、助手のフランが、
カタカタと端末を叩く。
昼間はひしめき合うほどの研究者が出入りするこのシャフトではあるが、
多くのものが到着した新しい患者を回る臨床医師としての役目に
借り出されたようである。
「チューチュッ」
足元の小さなゲージに白いマウス。どうやら餌が足りないと
言っているようである。
机のひまわりの種を、ゲージに挿しながらも、画面から目を離さない。
注射針を突き刺しながらも、かたや別の実験用モルモットに情を
入れてしまい、つい自分のペットにしてしまう学生も多い。
彼女もその例外ではなかったのだろう。
おもむろに、スミスが語りかける。
「フランさん。コーディネイターの繁栄の発端、ご存知ですか」
教授に対してはなはだ失礼な態度ではあるが、手をやすめずに
面倒臭そうに返事をする。
「そりゃー知ってますよ。ジョージ・グレンの活躍に、
うらやましがったナチュラルがこぞって自分の子供の遺伝子改良して
生まれたのが、第一世ですよね」
はぁっと、深いため息をつくとチョビ髭がふわふわと揺れる。
「元々は、人類にこんな軋轢をもたらす技術じゃなかったんですがね。
クローン技術に、テロメラーゼT-ループの活性制御研究。
悪性腫瘍の進化戦略「テロメア・クライシス」、
遺伝子発現制御因子「ジーンセレクター」
癌や動脈硬化、早老病の解明、
病気の患者さん達を救うための研究だったんですがねぇ」
医薬品業社、医学医薬会も、発症した病状に対して外的手術、
痛みを抑える、生存率を高めることに主眼がおかれていた。
遺伝子段階から病を克服する。これが、新しいM&C社主導の
遺伝子工学研究である。
そして宇宙コロニーの建設ラッシュ。
「私達の故郷、プラントのあるL5は安定度の高い宙域だったんですが、
有害紫外線が強くてね。
放射能汚染に強い強化人間が必要だったんですよ。
実のところ、健康なのにコーディネイト技術なんて怪しいものを
試そうだなんて、有力氏族の末端、たまたまできの悪い子息達が
一発逆転を狙って自分の受精卵に手を加えたのが発端です」
フランの手が止まり、ビン底めがねを指で上げる。
「それいくらなんでも酷いんじゃないですか?
確かにうちの親、ばかでしたけど、それはナチュラルだからで」
ちょび髭をひっぱりながら、またため息をつく。
「そのコーディネイターの優性、ってデータはどこから出てますか、
フランさん。この傲慢さの結果がさきの二度の大戦。
ナチュラルは自分たちより強化されたコーディネイターを生存を
脅かす天敵と必要以上に恐れ、コーディネイターは、優性遺伝子を
引き継いだ子孫繁栄の鉤となるナチュラルとコーディネイターの
ハーフに対して『戯れの子』と蔑む。
人類ってのは、とことんばかな種族ですよ」
「そうですかぁ?向こうが悪いと思いますけど、教授」
「だいたいね、コーディネイターの演算能力が本物だったとしたなら、
遺伝病の克服も可能だったかもしれません。
この数十年、戦争などにかまけていた罰ですよ。
まったく無駄に時間を過ごしてしまったものです」
「そんなうまく計算したように、物事はうまくいきませんって、教授」
存外達観したかのような、この学生の言動に、笑いがこみ上げる。
正面巨大なモニターを兼ねたガラス向こう下、培養槽の合間から
手をふる白衣の青年。
「ヤマト博士、またあんな所で油売って。
次世代自立型有機コンピュータ、カノン研究チーム主任に、
ラクスさまの付き添い。なんか余裕しゃくしゃくですよね」
「まあ、ラクスさまの容態も落ち着いてることですし。」
「一時はどうなるかと、メンデルスタッフ一同青ざめるほど
容態ひどかったですもんね。
でも、この調子なららくちんで5年は持ちますね、
またプラントのために歌ってもらわないと。
明日の小コンサートなんて生ですよ!
わたし、メンデルに来てこんなぜいたくできるなんて
思いもしませんでしたよ」
プルプル。医局からの呼び出し音が鳴る。
「いけないっ忘れた、当直当番。
スミス博士、わたし一般病棟、見てきます。あとお願いします」
「はいはい、ミルトンさんによろしくね」
マウスのゲージをぶら下げ、ばたばたとお下げの助手が、
研究室を出て行くのと入れ替わりに、下の研究室から上がってきた
キラが、入ってくる。
「スミス博士、『彼』の様子は?」
机にもたれ掛り、コーヒーをすすりながら教授に問う。
「あいかわらず。ラクスさまとは思念で会話しているようですが。
私達にはなんとも。人口胎盤の剥がれぐあいからしてそろそろなんですが、
そろそろがここ数年続いたものですから。
本人に生まれる気がないんですから、どうしようもない。
このままステンですかね」
肩をすくめる。マキシマム・シリーズ最期の作品である。
いや、作品として残されていた培養槽は十数体はあった。
しかし、大半はアポトーシス(自然自殺)をおこし、自然解体が
なされるわけもなく死体が培養槽に浮かんでいる状態であった。
出荷可能状態であった、数体はラクスがメンデルに到着してまもなく
出産ラッシュを引き起こし、各地の温かい養親に迎えられいった。
最期に残ったこの幼児は、演算上は、すでに成人しているはずが、
自ら成長を調整し、ラクス以外の者には端末での会話にも応じない。
しかし頭脳はマザー・コンピュータとリンクさせ、時折自律的に
何らかの演算を行っているようである。
「白衣が板についてきましたね、ドクター・ヤマト。
軍服より、パイロットスーツよりあなたに似合ってますよ、
なによりお父上の面影がある!天才、ヒビキ博士のね」
「僕は、僕を造った人を親となんて認めてませんよ、今でもね。
――お願いしていたユーレン・ヒビキの論文データファイル解読、
できました?」
「ええ、あらかた。クライオニクス人体冷凍保存技術は完成しています。
昔、臨床実験も満足いくまでやりましたしね。
善良な市民の方々からはまた非難されるんでしょうが。
でもこんなもの一体何に?まさかラクスさまに?
ラクスさまはこの様子でしたら心配されずとも、うんと長生きされますよ」
「うん……そうだね。万一の事があったとしても、ラクスは
こんな技術使うのは反対だろうし。でも、とりあえず、ね」
ポール・スミス博士が、昔を懐かしむかのような目をしながら、
めがねを吹く。
「この非人道的な標本の数々、一般の人はどうしても嫌悪感を
覚えるものですが、あなたはすぐになじまれましたね」
「ええ、ここで生まれましたから。このホルマリン漬けの誰かの小脳も。
兄弟みたいなものだと、逆に親しみを覚えます。
でも、血はやっぱり苦手ですよ。この前の犬の出産だって」
「そういえば、立ち会われた後、貧血で倒れられたそうですね、
二度の大戦に参加され、撃墜王と呼ばれたあなたが」
ふっふっと、腹を揺らして笑う。
ビン底めがねの丸いレンズを低い鼻にかけなおす。
「うん。ラクスは平気で、母犬の世話をしていたけど。
情けないけど、MSパイロットは、案外人の死を直接見ないから。
怪我する時は、もう時既に遅しってことだし。
僕達コーディネイターは、次世代への踏み台でしかありません。
いわば失敗作ですね」
「ま、そういわずに。確かにナチュラルより寿命も短いし、
50歳まで生きられれば大往生です。
そのせいか、結果を急ぎたがる傾向にありますね。
先の大戦などまさにのらりくらりとかわすナチュラルに痺れを切らし、
そんな子供っぽさにつけこまれたんでしょうね」
「僕達なんかより、レイのほうが神の領域に近い。
――不老不死、『永遠の命』なんてものに挑むから!」
「まぁまぁ、大切なスポンサーを悪くいっちゃいけませんよ」
背伸びがてらにくるりと事務椅子をキラの方向へ向ける。
「正直、あなたがラクスさまをお連れしてメンデルに来られた時は、
大変でしたよ」
「あなたが受入反対派の急先鋒でしたよね」
「そうでしたな。メンデルの子が復讐にきたと。
何代もの研究者が人生をかけて築き上げてきた研究成果を、
このシャフトごと壊されてしまうかと。
夜もおちおちと眠れませんでしたよ」
「ええ。僕もそのつもりできました。
でも、ラクスはこの研究所の薬がないと、もう立つことも出来ないから」
「ラクスさまは、お強い。わたしたちが予測した死期を越えて、
生きていらっしゃる。
あのお姿を拝見して、どれだけのものが救われているか。
病魔に冒されているものも、健康な私達もね。
廃棄されかけていた『レイ』が試験管から生まれてきたのも、
ラクスさまが語りかけてくださったおかげ」
「ええ。」
「ラクスさまは」
「髄液が効いて、ぐっすり眠っている。次のストックの用意をしなきゃ」
「その件ですが……やはり我々では無碍もなく断られてしまいまして……
強制的にカテーテルケーブルを挿入することも、マザーコンピュータが拒否。
ご気分を其処ねさせて主電源落とされてしまって、先ほども復旧活動を。
申し訳ない」
「そう……仕方ないね。また僕が直接お願いするしかないのかな」
目前のモニターに、うっすらと浮かんでいくピンクの波打つ豊かな髪。
巨大な培養槽にケーブルが何本もうねり浮かぶ球体の試験管。
穏やかに笑みをたたえ閉じられた瞼が薄く開き、深海色の瞳が開いていく。
白い裸体をくねせ、くすくすとどこからか小さな笑い声が聞こえてゆく。
男であるなら、このモニターの淫乱な残像は目を釘付けにされるだろう。
だが、キラの瞳はモニター越し、段下の培養槽ラインへとゆっくり歩み寄る、
ベビーカーを押す短いピンクの頭髪の女性のほうへ集中する。
「ラクスッ!」
研究室から飛び出し、非常階段を飛び降りる。
培養槽ラインへと息を切らして走っていく。
青白い、痩せこけた頬に穏やかな笑顔が広がる。
「キラ、此処にいらっしゃったのですか」
「ラクスッ、寝てなきゃ」
「レイがね、教えてくれたの。弟が産まれるって。
さあ、いらっしゃい。お母さまのお胸に」
ラクスの細い手がガラス管に差し伸べされる。
シュウシュウと培養槽の人口胎盤へと繋がれていたケーブルから
白い煙が吹く。だらだらと、培養液が、容器から溢れ出していく。
ゼェゼェと息を切らし、腹を上下させながら駆けつけたスミスが
悲鳴を上げる。
「いけませんっ!培養液が!外気に触れると腐乱してしまいますっ!」
「大丈夫ですよ、博士」
――ガシュ!!――
培養槽の重い蓋が開いていく。
「ずっと待ってたのですよ、マクシミリアン、ずっと」
吹き抜けの墓場に、元気な――3歳児の産声が響きわたる。
今日はイベント毎が多い。
大量の患者受け入れ、コールドスリープの試験、レイが立ち、
マグシミリが産まれた。
産湯など新生児の世話はすべてスタッフに任せてラクスを寝かせ、
さすがのキラも疲労を感じずにはいられない。
しかしこれは自分にしかやれない仕事である。
念のため採血用の太い注射器を片手に、シャフトの地下、
奈落の底のような深さへ続く最下層へとおりる。
エレベータを降りると、薄紅い予備電源が微かに灯り、水面に反射する。
そこはまるで穏やかな湖底のようであった。
培養液はまるで湖水のように澄んでおり、浅瀬を数歩歩けば、
数十メートルほどの深さに飲み込まれそうである。
浅瀬にかけられた細い橋を渡り、細く出っ張ったコンソール台に手をおく。
「ラクス……ラクス・ティファレト。出てきて」
キラの事務的な呼びかけに、数十本の管が連なり挿入された卵のような
球体のガラス試験管が浮かびあがる。
反射するガラス面の中にはピンク色の長い髪をたゆたわせた
、――16歳のアーク・エンジェルで出会った頃の少女、
しかしキラの知る彼女よりかなり巨乳なラクスが、宙を浮かんでいた。
カタカタとキーボードを叩くと、卵型の試験管の中の一本の管が、
少女の背中へと移動する。腰椎穿刺を試みる針が突如、パシッと弾かれる。
バシュッバシュッバシュッ!
更に、少女の胸、額、頭部、下腹部に挿し込まれていた管全てが
弾かれていく。
するりと、卵色の試験管がスライドしていき、キラの佇む浅橋へと、
ピンクの髪を漂わせながら、イルカのように泳いでくる。
手術台のような浮き浅橋に、白い手がかけられると、
キラが脇に両手を入れ、コーディネイターの腕力で、いともたやすく
浅橋へと引き上げる。
冷たいようで、澄んだ培養液の湖は手をいれるとじわりと体温の温かさで
心地よい。
豊かな胸を左右に振り、尻を上げながら肢体に絡む水滴を振るい落とす。
溶液で濡れた、ピンクの長髪がふわりとカールし、桜色の乳首を隠す。
深海色の瞳を瞬きさせながら、水面から浅橋へと腰掛ける。
「背中を出して」
裸体をさらけ出しているのにも関わらず、相変わらずキラの声は
事務的である。
『プロトタイプには優しくて、本物のわたくしには冷たいのね。
まるで物あつかい。確かにわたくし達は同位体ですが、
むしろあの子のほうが』
頭に直接響くかのような、柔らかな声。口も動かしているようだが、
表情筋が使われていないので、話す事が辛いようである。
「黙って。君はみんなのラクス。僕のラクスじゃない」
『ではわたくしのパーツを代替に欲しいあなたは。
言ってください。キラ、あなたのラクス・ティファレトと』
「――ティファレト。君を傷つけているのはわかっている。
でもこうしないと、彼女は今夜ももたないんだ」
淡々と諭しながら、髄液採液用の太い注射器を点検する。
『外の世界のわたくしはもう骨と皮だけの生ける屍。抱いても
辛いだけでしょう。
でも本当のわたくしはこんなに生命に満ち溢れている』
「さっさと済ませよう。因果律解析が止まってしまう。
それに君の肺は重力に弱い。あまり溶液の外に出ないほうがいい」
『分析解析など、他のわたくしの脳で十分ですわ。
わたくしの体を本当に心配してくださるのなら、あなたが来てください。
わたくしの世界へ。いつものように。服を脱いで』
白い腕が白衣にからみつく。キラの唇に白い指があてられる。
柔らかな裸体を抱き、豊かな乳の谷間に手を入れると、
ラクスの腕が首にまきつけられてくる。
互いに引き寄せられるかのように唇が重なる。
くちゅっちゅっ……ちゅッ…ぱっ
むき出しの鋼の湖底に、卑猥な水音がこだまする。
キラの手が、二つの肉塊をつまむように、愛撫していく。
白衣を脱ぎながらさらに、ラクスの顎を支え舌をのど奥まで突っ込みながら、
わき目で注射器を確認する。
乳房から臍、下腹部へとキラの手がすべるように移動する。
『ぁあああんっ――』
ラクスの肢体が跳ね上がり、弓のように反り返るのを見計らって
うつ伏せにさせるところが――
ぬるりとラクスの肢体がキラの腕から擦り落ち、支えようと乳から
腰へと腕を回そうとするキラの首に巻きついた白い腕にすさまじい力が入る。
ボチャッと大きな水しぶきが上がり、浅橋から二つの人影が消える。
溶液の中で絡みつくラクスの白い肢体。
深海色の瞳に吸い込まれそうになりながら、さらに舌を奥深くに
挿し入れながら、絡みつける。
しばらくすると、パシャパシャと水面に浮かび上がる茶毛の頭。
息継ぎをハァハァとしながら、浅橋に手をかけようとする。
追って、ピンク色の髪が水面に広がり、あきれた顔で、乳房を
押し付けながらキラに背後から抱きつく。
『肺に溶液が満たされれば、自然と呼吸できますのに』
「うん……魚じゃないからね。やっぱり慣れないよ。服がじゃまで……」
『素粒子分解すればよいのですわ』
さっと服が溶けていき、絡み合った裸体が湖の底へ沈んでいく。
豊かな乳房を吸い上げ、揉み上げる。
――ぅっ……ぁはあっ……ぁ……あっ……――
喘ぎ声はラクスそのものである。
出会った頃そのままのあどけない表情が、しだいに熱気を帯びて
女の顔に変化していく。
白い肢体に、ピンクの髪が藻のように絡みつき、白蛇のようにくねらせる。
ぷっくりと勃ちあがった乳首を転がしていたキラの手が、臍、
くねる腰を沿い、無毛の一筋へと移動する。
もちもちとした大陰唇をかきわけ、クリトリスを乱暴に捻る。
――ァアアアアッ!!!!……――
ラクスの高い悲鳴が、培養液の中に響きわたる。
人差し指と中指をぐりぐりと中へ入れ、掻き回す。
――ィヤぁっ……やぁっ……――
膣に力がこめられ、収縮をするたびに、コポコポと気泡が鳴り、
いやらしい体液がラクスの下腹部から垂れていき、周囲へと流れていく。
逃れようとする腰をしっかりキラの腕がつかみ、ぐいと自身の上体を
持ち上げると、自身に手をかける。
しびれを切らしたラクスの脚が、キラの腰に絡みつく。
――……おねがいです、挿れて……ください……っ!――
「変だね、君はすべての因果律を解析し、世界を導く存在なのに、
こんな事がすきなの?」
――……それは……――
「……ラクスと僕が繋がっている時、君も感じていたんでしょ。
なのにどうして直接僕と繋がりたいと思うの?」
腰に絡んでいた右脚を解かせると、高く持ち上げ、大陰唇をねろねろと
舐め回すようにキラ自身の先端を沿わせる。
――それは……――
数度上下させた後、容赦なくずぼりと亀頭をラクスに挿入する。
ぐりぐりと腰を回して確認し、再生しかけの処女膜をぶち抜く。
破れ傷を負ったであろう膣襞を浮き出た血管で再度傷つけていく。
高速のピストンに、くねくねと腰を動かすラクスに、
今度はいきなり自身を引き抜く。
――ぁっ!!そんな!
勝手に腰が動いてしまいますのっ!アアアアッ!!!――
培養液の中で、弓反りになるラクスの肢体。
足首をつかむと浅瀬のほうへと引きずるように移動していく。
――やぁっ!!そっちはいやぁっ!――
「そうだね。君が主導権を握れないもの」
浮上し、浅瀬の砂地へ――しかし顔面は培養液に沈む程度の水面。
ラクスが呼吸できるようにすれすれの水面肢体を叩きつけるように上に乗る。
体重がかからないように気をつけながら、両手首を砂地に押し付ける。
ガンッガンッ、ヌプッズブッ!!
まるで鋼鉄のように熱する自身を、ラクスの中に叩きつける。
疼きに苦悶するかのように横を向き、耐える表情のラクスを無視し、
何かに取り憑かれたかのように、ピストン運動を繰り返す。
病床に伏すラクスが健常体であった頃の数倍はある乳房が、
水面から乳首をのぞかせぷるぷると振るえ、培養液に漂う。
ガッ!!
子宮口を突きぬくような衝撃に、ラクスの脳がショートする。
――ゃあっ!!熱いっ!!『キラ』を感じるっ!変っ!
わたくし、熱いんですのぉっ!!――
喘ぎとともに、膣がぎゅうっとしまり、キラを攻め立てる。
横一文字に腰を動かし、子宮そのものを破壊するかのように、えぐり突く。
――……もう、わたくしは……わたくしは……っ!!!!!――
ドピュッツドピュッドピュッ!!!!
規則正しく膣の中へ射出していく。
ぐったりと白目を剥いたラクスから萎えた自身をズボリ引き抜くと、
白濁の体液がコポコポと気泡と共にラクスの白い股から培養液へと
流れ広がる。
頭をかかえこむかのように、立ち、脚を引きずりながら浅橋に向かう。
白目を剥き、肢体をぴくぴくと痙攣させながら、しかし幸せそうに
微笑んでいるかのようである。
目をそむけて、ラクスの肢体を片手でひっくり返し、白い背をむけさせる。
「……ごめん」
採血用の太い注射針が、白い皮膚に吸い込まれていく。
よく行き届いた手入れをされた緑の芝生が広がる中央広場。
グランドピアノがおかれ、椅子が数列こじんまりとならんでいる。
眩いネオン、コンサートを彩る花火、オペラ仕立ての舞台装置、
プラントでは当たり前のように準備されていたものは一切なく、
ただ、ピアノだけである。
会場入り口、と大層なものではなくドリンク類を用意した長机の付近に、
白衣を着た医者、看護士達が普段はなかなか見せることのない心からの
穏やかな表情でスタッフが集い、歓談する。
「ようこそ。いらっしゃい、みなさん。気分が悪くなれば遠慮なく
途中退席してくださいね」
馬のような長い首を傾げ、しかし体はタキシードをびしりと
着こなした患者から、小さな花束を受け取る。
「ありがとう。まあ、、ミルトンさん!よくお越しくださいました!」
鼻からりっぱな一角が生え、太い四足でのしのしとラクスの前へと歩む。
胴体との括れの部分に、紐ネクタイが結ばれていなければ、
野生の獣が動物園から逃走したものとしか思えない。
広場をしかしかばとしか見えない。
「ええ、主人が今日を楽しみにずっと待っておりまして、
そのせいか体調も今まで一番、調子がよいようなんですよ」
「ガーッ」
「主人が『ラクスさまとこんなに間近にお話できるとは、光栄の極み』と
申しておりますわ」
「ミルトン夫人、あなたも今日はゆっくりされてくださいね」
隣にぴったりと寄り添い、ラクスの体がふらつくのを支えるキラの胸には
口から涎を垂らしたレイ。乳児の小さな手がラクスの花束に伸びる。
「まあ、レイったら。お花が好きなのね」
花束より1本、ピンク色の花を抜き、乳児の手に握らせると
キャッツキャと喜ぶ。
「いいの?ぐずったりしないかなぁ。
泣き出したらテントのほうへ隔離するから君は気にしないでね」
「レイはお利口さんですもの。
お歌がつまんない時は、控え室のほうで、スタッフさんたちに
見てもらってください」
レイと呼ばれた赤子、の小さな頭には、柔らかな金髪のうぶ毛。
あどけない表情はどこかあのミネルバ、フェイス、レイ・ザ・バレルを
思い立たせるが、クローンであった彼の沈みこんだ瞳の面影はなく
希望に満ちあふれている。
数列の椅子にまばらに座る異形の人影。
芝生に直接座っている獣のほうが多いようである。
やがてピアノの演奏と共に、慈愛に満ちた柔らかな歌声が広場を包み込む。
――いつから微笑みは○んなに儚くて
一つの間違いで壊れてしまうから
大切なものだけを○にかえて
遠い空越えて行く強さで――
ピアノの音を聞く一対の夫婦。夫が、妻に感謝の言葉を述べる。
「ガーッ」
「あなた、わたしも幸せでした。
でもね、あなたがどんな姿になろうと私はちっとも気にしてないんですよ」
「フガーッ」
「痛いのは、もう耐えらえれないんですね。この激痛さえなければ」
「ガオーッ」
「そうね。なんども一緒に話し合ったことですもの。
あなたの気が変わればよいと思ったのに」
カリッとガラス管を割る小さな音が、妻の手の中で響く。
ころりと小指程度の大きさの先が割られたガラス管が芝生に転がる。
どさりと音がする。
ピアノの音が途切れ、鍵盤に置くラクスの細い指がふるえる。
「続けてください。主人はきっと、まだ聴いています」
芝生で気持ちよさそうに伸びる一頭の象の首を撫でながら、老妻が
ラクスへと微笑む。
震え、こらえるかのような嗚咽交じりの歌声が、再びやさしく広場を
包んでいく。
――星の○る場所へ
想いを貴方に届けたい
いつも側にいる
その冷たさを○きしめるから
今遠くてもきっと会えるね――
異常に耐久性を引き上げられた、たんぱく質が突然崩壊、アポトーシス、
再生を繰り返し、歪な形となったDNA鎖の螺旋急に解れ、
遺伝子情報が書き換えられ、先祖がえりを起こす。
獣の本能によりショック死を起こすほどの激痛にも耐えるが、
ヒトへ戻る時の激痛は悶え死ぬ者が多い。
劇薬に近いほどの濃度の薬も途中で利かなくなる。
持続する痛みはやがて生きる気力も奪っていく。
コンサートが終わり、人影のまばらになった広場で、数人のスタッフが
片付けをしている。
自殺したミルトン氏の老妻が、スミスとキラに付き添われている。
老妻が、ぽつぽつと話していく。
「主人が、どうせなら自分の最期はラクスさまの歌声を聴きながら
逝きたいって。
せっかくのコンサートでしたのに、わがままを通してしまって
ごめんなさいね」
「でも、なんでこんな物!」
「本国で配布された安楽死剤は、効き目がきつ過ぎたり、ゆるすぎたり。
のた打ち回って死ぬんですもの。
ここで処方されたお薬で、こんなに安らかに逝くことができました。
本当にありがとうございます」
「まさかスミス先生が!?」
「いえ、スミス先生だけでなく、他の先生達も処方してくださいます。
どうぞ、お責めにならないでください……ヤマト先生、ごめんなさい。
先生は一日でも、一秒でも長く生きてくださいっておっしゃったけれど
……もう私達十分生きたんです。本当にいい人生でした」
穏やかに、冷静に話していたミルトン未亡人が、いきなりワッと泣き出す。
キラは自分が泣かせてしまったかのような、ばつの悪さに――下を向く。
「ピッ、ピッ」
静かな病室に心電図の測定音がこだまする。
酸素吸入器を口元につけられたラクスのベッドの側には、2人用
ベビーカーが置かれ乳幼児がこちらもすやすやとやすらかな吐息をはく。
コンサートを終えたその深夜、ラクスの容態は急激に悪化したのである。
メンデル・スタッフには予期せぬ病状悪化であり、
ばたばたと走り、大声で確認しあう医者、看護士達。
キラにはなんとなく、こうなる運命が待ち構えていることが分かっていた。
恐らくラクス本人は、正確な時間帯まで予測して。
スタッフ達が、病室から引くのを見計らう。
鋭い紅い目をした3歳児が、ベビーベッドの中から檄を飛ばす。
「だぁあっ!だぁだぁ(始めよう、この機を逃すと次はもうない)」
ラクスの薄い胸につけられた器具を外し、心電図モニターの電源を切る。
「ああ、そうだね、始めよう。
ごめんね、ラクス。君の気持ちを踏みにじるつもりはないんだよ、
でも僕達遺されるほうは、あきらめきれないんだ」
キラがラクスのやせ細った肢体を抱きかかえ、歩き始めると、二人用
ベビーカーが、自動運転で父の後を追う。
「生まれてきてすぐで申し訳ないけど、協力してもらうよ」
「ばぁっ(もちろんだ)まーばぁーばーぃぅあー
(母上の生体データ解析はこちらで終えた)」
「じゃあ、量子コンピュータの制御もお願いね」
「だぁーっ!だぁだぁっぅえぃやっ
(おまえも俺も共犯だな、すやすや寝ていやがるがレイも幇助犯だ)」
「おまえじゃありません、お父さんと呼びなさいっ」
――世をも世にあるものをも愛してはなりません。
もしだれでも世を愛しているなら(Tヨハネ2章15節)――
エレベータの象牙色の扉が開くと、親子は準備された研究室へと向かう。
歪な家族の物語がまた、始まっていく。