天道総司は困惑していた。
少なくとも、まったく不本意な事に加賀美にも、ひよりにも
それと悟られてしまうほどにはあからさまに。
話しかけられても上の空。加賀美に対する対応がおざなりな
のはいつもの事だが、それ以前に心ここにあらずといった調子
で、アレでは本日のまかない料理、ひより特製茄子と生ハムの
冷製パスタの味も、わかっていないに違いない。
銀色のフォークをくるりと回してはいるものの、まるでパス
タをからめることは成功していない。パスタのすきまから白い
皿の底面がちらりと見えて、天道は大きくため息をついた。
最早味わう以前の問題だ。
そんな天道を目の当たりにして、当然のように加賀美もひよ
りも困惑していた。
天上天下、唯我独尊。世界は自分を中心に回っていると豪語
する天道でも、こんな表情をすることがあるものなのか。こん
なため息をつくような状況に陥るものなのか。
この珍しい機会を逃してなるものかと、加賀美はコーヒーを
運びながら、本人的にはチラチラと盗み見た。普段の天道なら
そのあからさまな視線に対し、うんざりとしたつめたい視線を
返すところだが、どうやらそれどころではないらしい。
テーブルに置かれたコーヒーには、さらさらと白い塩が加え
られた。
――そもそもお前、コーヒーはブラックで飲んでなかったか?
カウンターを見れば、矢張り驚きを隠せていないひよりが天
道の手の塩を見ている。加賀美同様注意したものかきめかねて
いるらしい。
「おい天道…」
意を決して、何をやっているんだと聞こうとした瞬間、天道
の携帯のアラームがなった。次の瞬間には其をつかんで外へ飛
び出し、テーブルの上には最早飲めなくなったコーヒーと、時
間内に食べ切れなかったパスタだけが残された。
「なんだ、あいつ?」
「…さあ…」
とりあえず、この後大雨がふるに違いない。
「なぁひより。今日傘もってきたか?」
「持ってきてない。」
残された二人は並んで空を見上げた。降るかな?と言う無言
の問いに、ひょいと肩をすくめたひよりの眼は、多分。と語っ
ている。
開けられたままの扉の外は、夏らしい紺碧の青空だ。
青銅色の門を開ける手間すらもどかしい。
乱暴に扱われたことへの不満を表すような鈍い金属音が、天
道家の庭に大きく響いた。石畳の上を数歩で走りぬけ、玄関の
扉に手をかければ、ノブは総司の心境とは裏腹に軽快な音と立
てて、その先への道を開けた。
鍵はかかっていない、と云う事は樹花は既に帰宅していると
云う事だ。
「樹花、樹花!!」
返事は無い。屋敷の中は静まり返り、だが確かに気配はして
いる。この声が届いていないとは考えられない。
「〜〜〜〜〜っ……」
と云う事は、最愛の妹は、総司の呼びかけを『無視している』
のだ。
反抗期? ――まさか!!
天道兄妹といえば近所でも知らないものは無い、評判の仲良
し兄妹だ。曰く、兄は妹を目に入れても痛くない、妹はあそこ
までおにいちゃん子では嫁に行くのが確実に3年は遅くなるだ
ろう。
両親を亡くしてからと云うもの、総司は樹花を誰よりも愛し、
樹花はその愛に育まれて素直に、健やかに成長した。この世の
どこを探そうとも、樹花を総司以上に愛しているものも、また
支えているものもいない。そしてそんな、守るべき樹花の存在
自体が、総司の安らぎであったこともまた事実なのだ。
天道樹花を喪った天道総司など、天道総司ではない。樹花を
守る為なら、総司はなんだってするだろう。
そんな最愛の妹が、彼の呼びかけを無視し続けている。
この絶望を、どう言い表せと云うのだろうか。
そもそもの事の起こりは、今朝にさかのぼる。
朝、事件直後の総司の姿といったら、先ほどは若干面白がっ
ていた悠長な加賀美ですら、『この機会に良く見ておこう』な
どと云う感情を抱く前に、「絶対に今日、渋谷隕石が又落ちて
来る!!」と叫んだに違いない程の落ち込みようだった。
茫然自失、顔面蒼白。作務衣姿で崩れるようにテーブルに手
をついた光景は、傍から見たら心臓発作でも起こした病人か、
死刑宣告をされた被告人か。
天道総司を、絶望の淵に叩き落したその出来事。
つまり、樹花が朝食を食べなかったのだ。
「…そんなバカな…」
毎朝、笑顔で自分の作った朝食を味わう樹花を見ることこそ
が、天道総司の一つの存在証明と云っても其れはけして過言で
はない。
兄の料理は妹の笑顔の為に、時間と技術と愛を込めて制作さ
れる。そしてその料理を樹花が「んーーーっ今日の料理も、
ぐーーー!」と笑顔で食べることは、総司にとっては只の日常
以上の意味を持つ。
平和の象徴。守るべきもの、そしてそれを自分の手で守って
いると云う証。どんなに殺伐とした戦いや、非現実的な現実が
やってきたとしても、樹花にはそれを知らないまま、何物にも
かえがたい幸福を手にしてほしいというのが、総司の願いだ。
そして勿論、それはこの手によって実現される未来だ。
要するに『風が吹けば桶屋』的に、樹花が朝食を食べないと
云う事は総司の描く未来の崩壊を意味するのだ。
そればかりではない。朝の元気な御挨拶、「お兄ちゃん、おっ
はよー☆」も無く、樹花は兄の手から逃げるように、顔すら合
わせずに家を飛び出ようとした。
「待て樹花、一体」
如何したんだ、とかけるはずだった声は途中で投げつけられた
鞄に遮られた。ひるんだ瞬間、素晴らしい瞬発力をもって、樹花
の姿は既に車道を駆けていた。
「樹花!!…っ、昼飯には戻ってこい!!」
情けないことに、世界の頂点に立つはずの男が、走り去る妹の
後姿に対して出来たのはそう呼びかける事だけだった。
「こんな、バカなことがあるはずが…」
天道総司はいまだかつて無いほど困惑しながら空を仰いだ。
傍の木からじいじいと鳴き続ける蝉の声も、彼の耳には届かな
かった。
閉められた扉は拒絶を表している。
それでも、あと一歩下がってしまえば後にあるのは奈落、と云
う状況の総司はその拒絶をあえて無視した。
間違いなく、気配は樹花の部屋の中からしている。
「…樹花、入るぞ」
小さくノックしながら告げるが、其れは了承を得るための行為
ではない。返事が来る前に扉を開いて中に入れば、樹花の居場所
はすぐにわかった。いくつものぬいぐるみに囲まれたベッドの上
で、不自然に丸まった布団が総司の気配に反応するように、びく
りと小さく動いた。
窓は大きく開けられ、パステルカラーのカーテンは風を含んで
大きく膨らむ。採光は十分、窓際にはエアープランツが飾られ、
その条件を見る限り部屋の中は十分に明るいはずなのに、どこか
影を含んでいるような気がしてならない。其れは総司の心境の表
れなのだろうか。
「…樹花。」
小さく、だが確かに相手には伝わるように声を出す。反応は無い。
「如何したんだ樹花。具合が悪いのか。」
「……」
反応の無い妹にゆっくりと近づく。部屋の隅に置かれたベッド
の上、更に壁際で布団に包まり樹花は沈黙を守っている。
何故、何が、どうして。
思いつくのは疑問の言葉ばかりだ。
何故俺を見ようとしない、何が原因で朝逃げたんだ、俺にも話
せないことなのか、どうして何も云ってくれないのか――
「…樹花・・・!」
ぎしり、と総司の重みでベットが軋んだ。樹花にとっての防壁
である布団をはごうと伸ばした手は、当然のようにそれを押さえ
た妹の力に拒まれる。天道が本気になれば、このささやかなシェ
ルターなど話にもならない。それでも嫌がる樹花に対し、無理強
いはしたく無かった。悟られないようにため息をこらえ、ベット
の端に腰掛けて布団に対面する。ベットから舞った埃が落ち着く
頃ようやく、黙った総司に対して樹花がポツリと、今日始めての
言葉を発した。
「…怒ってる」
布団の中、くぐもった声は確かにそういった。
「怒っていない。だからちゃんと説明するんだ。」
「怒ってるのはアタシだもん!!」
漸く開かれた唇は絞り出したように言葉を発した。それは悲鳴と
云ってもいいような泣き声だった。ばさり、と布団の中から現れ
た樹花の瞳は濡れている。
「樹花…」
「……」
じわり、と柘植櫛形の大きな瞳から、涙がぼろぼろとこぼれた。
「…お兄ちゃんの…」
それを合図に、張り詰めていた糸が切れたように、樹花が感情を
爆発させた。
「ばかぁああ!!」
ばさりばさりと布団や枕、ぬいぐるみを手当たり次第総司に投
げつける。その理由が解らないまま総司はその攻撃の全てを、甘
んじて受けた。避けることは容易い。だが、それでは樹花の怒り
を受け入れることにはならないのだ。
そんな兄の姿をみて、うなりながら樹花は兎のぬいぐるみを握っ
たままの手を下ろした。
「…もう、やだ…、……もうやだあぁ…」
体を折曲げて、肩を震わせる。追い詰められたように呟かれた
言葉を聞いても、それでもなお総司には何故樹花が泣いているの
か、何に対して怒っているのかが解らなかった。そんな自分がふ
がいない。
誰よりも妹を愛し、理解しているはずの兄が、涙の理由すらわ
からないなど、その高い自意識で許されることではない。記憶を
たどり、その理由を探し出す。ここ数日、その契機となりうる出
来事といえば…―――
「…プール、か?」
3日ほど前、結果として約束をしていたプールに一緒に行けな
かった。その後、家にいるように一方的に言いつけた。その日一
日は不満そうに膨れていたが、昨日一昨日は全くそんなそぶりを
見せなかった所為ですっかり失念していた。
「違う…そうだけど、ちがう。」
下を向いたまま、大きく左右に首を振った。肩に流れた髪がそ
れに揺れてぱさりと乱れた。
では、その後家に閉じ込めていたことと合わせた相乗効果か
――だが、そんな兄の考えを見透かしたように、樹花は首を振り
続けた。
「違う、そうだけど、違う、ちがうの―!」
「樹花、一人にしたのはすまなかった。だが―」
「そうじゃないの!!」
がばっと、顔を上げる。涙で揺れる瞳の中に映る困惑したまま
の姿は、総司自身ですら情けない、と以外に表現の仕様が無かった。
「アタシを、家に残して…誰のところに行ったの…?」
この妹の、たった一言に込められた思いを、何故気がつかなかっ
たのか。それを口にすること自体に躊躇いがあったのだろう。
それでもこらえ切れなかった、樹花のその心のうち。
『アタシではない、誰のところに行ったの?』
約束を守らなかったことも、そのあと家に一人にしたことも。
今までの二人なら其れは問題ですらなかった。離れていても、お
互いがお互いを思っていることを知っていたから、むしろその事
に誇りすら持っていられた。だが、樹花は気がついてしまったのだ。
離れていても平気だったのは、自分が一番だったからだという事を。
それは、今までと同じようにこれからも、一番が自分じゃなきゃ
嫌だと云うわがままだ。
今まで、樹花の一番は総司で、総司の一番は樹花だった。でも、
あの日「樹花のお兄ちゃん」は「樹花を置いて誰かのところに行っ
たのだ」と。そして、それがおそらくひよりのもとだと云う事を
樹花はなんとなく感じていた。
兄は自分のモノではない。今こうして手に握っている兎のぬい
ぐるみとは違うのだ。総司は総司の考えで行動し、樹花の知って
いる限りそれが間違っていたことなど無い。
でも、いやだ。
ひよりの事は好きだ。不器用だけど真っ直ぐな優しさや、独特の
空気、不機嫌な顔がふと笑顔になる瞬間。
――でも、大好きなのに、仲良くしたいのに、今は心のどこかで
おにいちゃんに近づいて欲しくないと思っている。おにいちゃんに
近づいて、アタシからおにいちゃんを奪う人なんて、いなくなって
しまえばいいのにと思っている…!!
一度気付いたら堰を切ったように、どろどろとした感情があふれ
出してしまった。目を閉じても耳をふさいでも、逃れることは出来
ない汚い独占欲に、子供みたいな勝手な思いに急き立てられる。
「やだぁ。お兄ちゃん、おにいちゃん…やだぁああ」
こんな自分は大嫌いなのに。そんなこと考えたくなんか無いのに。
だから見て欲しくないと思う反面、そんな醜さすらなりふり構わず
に、自分だけをこれからも見続けてくれるように願うことをやめら
れない。
そう願う自分がいることに気がついてしまったから、避けていた
のだ。気付いてほしくなくて、でも本当は気付いてほしくて、反抗
的な態度をとった。今までだったら気付かなかった感情に、知らず
知らずのうちに振り回されているのだ。
「お兄ちゃんは、アタシのお兄ちゃんだもん…」
好き、傍にいて、こんなアタシを見ないで、大嫌い、どうして傍
にいてくれないの、アタシだけを見て、他の誰も見ないで、アタシ
だけを思って、アタシのためだけに在って、大好きなの――
涙で掠れたそのたった一言は、樹花の自分でも収拾を付けられない、
混沌とした思いを全てはらんでいる。
その一言と、感情の詰まった涙をみて、総司は漸く気がついた。
妹は、こんなにも女だったのだ。
本人はまだ気がついていないのかもしれない。だが、今表面にで
たその感情は今まで知っていた兄を慕う妹の持つ感情ではない。そ
れは女が、愛しい男に対してもつ特有の独占欲だ。
「…樹花、樹花。頼む…泣かないで呉れ。」
「やぁだぁ…おにいちゃんのばか、ばか、ばかばかばかあぁぁ!」
痙攣したように震え続ける体を包み込むように抱きしめる。総司
の腕の中で、樹花は自分でも口にしている言葉の意味を解らないま
ま、嗚咽と共に感情を単語に載せて洩らしている。
その姿を目の前にして、総司の体に戦慄が走った。
小さな拳でどん、どんと叩かれる胸は痛くなどないはずなのに、
苦しくてたまらない。愛しくて、たまらない。
樹花の涙でぐしゃぐしゃになった顔に触れる。指でぬぐっても、
ぬぐってもあふれてくる涙を止めることは出来ない。抱きしめる
手に力を込めながら、次々零れ落ちる涙に口付ける。
「…お兄ちゃん、お兄ちゃん…おにいちゃん…」
「樹花…」
目蓋に、瞳に、額に、頬に。
ゆっくりとゆっくりと口唇で触れる。ぬいぐるみを握り締めたま
ま、胸を叩いてた手が呼応するように、ゆっくりと動いて総司のシ
ャツをつかんだ。込められた力は、その先を望む声にも聞こえる気
がした。
コレは悪魔のささやきだろうか。おばあちゃんが云った様に、時
として天使に聞こえる―否。逆だ。天使が、落ちようとしているの
だ。自分のもとに、一人の女として。
落して、いいものだろうか。この手の中に、落しても――この先
の行為が樹花を幸せにすると言い切ることができない――
脳裏によぎった考えはしかし、深く考察される隙も無いまま追い
払われた。
次の瞬間には、シャツを握り締めた小さな手に導かれるように、
樹花の口唇を深く犯した。
口唇を甘噛みし、歯列をなぞり、ぬめりとした唾液を交わす。初
めてのその感触に、樹花の体が硬くなる。それでも、その硬さはけ
して不快感を表すそれではない。その証拠に最初、戸惑っていた舌
はいつの間にかおずおずとだが、総司のそれに絡められてきた。ぎ
こちないその仕草が反面眩暈がするほどの快感を産む。自らを求め
る樹花に対し、ギリギリ必要な酸素を補給するだけの呼吸を許し、
しかし逆に言えばそれしか与えられない位、総司にも余裕がなくなっ
ている。
「…ん…うぅ……お、にぃ……くる、し……」
だが、揚がる吐息と、とろりとした瞳に制止力は皆無だ。
抱きしめていた体をゆっくりとシーツの上に横たわらせる。放心
しているのだろうか、吐息を洩らし、ぼんやりと総司を見つめる樹
花のふっくらとした口唇からつ、と唾液がこぼれている。其れは既
にどちらのものなのか判別がつかなかった。
22 :
名無しさん@ピンキー:2006/08/25(金) 03:21:48 ID:iyUAANCX
蟹影キボン
長い、最初の口唇と口唇の交わりからどれくらいたったのだろ
うか。顔中に口付けを落とした出来事が、もう随分と前の出来事に
思える。それを今度は樹花のその肢体全てを対象に繰り返した。く
たりと力が抜けて、肩で荒い呼吸を繰り返す樹花にその感覚を覚え
こませるように、指の一本一本、足先に至るまで。この体はすべて
自分のものだ。
小さな体をつぶさないように覆いかぶさり、それに惹かれるよう
に舌を這わせながら、頤から、首筋、鎖骨へ、胸元へと骨をたどる
ように下がってゆく。薄手の服が肌を多い、その先を拒むところま
で下って、流れるように行われた動作がとまった。
「…おにい、ちゃん…?」
感触が唐突に途切れたことに不安が生じたのか、そっと枕元から
声がした。樹花が総司の姿を視界に捉えようと上半身を起こそうと
した。
ちょうどいい、とばかりに布地の下に手をもぐりこませる。重ね
着をしているシフォン地のチュニックとキャミソールをまとめてた
くし上げた。
「え、やっ やだっ!」
その瞬間、快感から我に返り総司の手を止めようと振り上げられ
た手を逆に片手で束縛する。素早い動作で手首まで服をずりあげ、
スポーツブラに手をかける。その感触に樹花はひゅ、と大きく息を
飲み込んでちいさな胸が上ずった。
「やだってば!おにいちゃん、みないでっ」
普段、洗濯して見慣れているはずの水色のチェックプリントの下
着姿に、何故と自分でも戸惑うほどに劣情をかき乱されている。健
康的に日焼けした手足に対して、普段セーラー服に包まれている胴
体は驚くほどに白い。もっと、この体中を味わいたい。
「どうしてだ、もっと、体中に口付けたい。…それとも、樹花は俺
にそうされるのは嫌なのか?」
「ち、ちがうよ、そうじゃなくて…だ、だって…」
きょときょとと目線をそらしながら、数十秒。顔を真っ赤になが
ら伏せた目で、樹花は
「…恥ずかしい、よ……」
と消え入るような涙交じりの声で呟いた。樹花を泣かせる奴は絶
対に許さないと思っていたはずなのに、先ほどまでは泣かないで欲
しくて仕方なかったと云うのに、今はそれがたまらなく心地よい。
「何を云うんだ。樹花の体の事だったら、俺は黒子の位置だって全
部知っている」
「で、も…んんっ…!」
目の前に惜しげもなくさらされた小さな胸を、触れるか触れない
かの境界でその形をなぞれば、樹花が小さく微笑みを洩らした。
「や、…なんか、くすぐったい…」
「だけじゃないぞ」
「へ?……あ、きゃぅっ!!」
片手で愛撫してもあまる大きさの膨らみの頂点、鮮やかに色づいた
乳首に舌を這わせ歯を立てれば、それまでに無いほどの緊張が樹花の
体を走った。ぐ、っと弓なりに反った背中がシーツに沈む。
誰よりも樹花のことを――おそらく樹花よりも知っている総司でも、
その性感帯の箇所までは流石に把握していない。ならば定石どおりに
責めるのも一つの手だ。唾液を絡ませ、爪を立て、快感を与えながら
摘み、高みへと追い詰める。胸元以外にも、普段樹花がくすぐったが
る箇所を中心に攻め続ける。きゅっと力の入った眉は苦しそうではあ
るが、だがしかしそれ以上にその口から洩れる声にあるのはひたすら
に甘い、誘いを含んだかの様な響きだ。
「ん……っあ、あぁ…や、…は……あんっ…」
「気持ちいいか?」
「ぁ、 はっ…わか…んないっ…」
その反応を見れば聞くまでもないことをあえて聞く。
だがまだ、それを聞かれる羞恥による快感を知る段階には早いらし
い。樹花の体は総司の愛撫の一つ一つに素直に反応を返した。
愛撫の隙に体中至る所に残した跡を、もう一度最初からたどる。そ
の跡は樹花が反応した箇所に残した跡だ。それを樹花自身にも教え込
むように、繰り返し繰り返し口付ける。その跡は樹花が女になってゆ
く軌跡だ。
髪の毛が白いシーツの上に広がりながら一部、首元に汗でまとわり
ついている。汗でしっとりとした艶めかしい姿態には、総司が付けた
跡の他には下着が一枚だけ。先ほど脱がせたスポーツブラとそろいで、
チェックの模様。中央にアクセントのリボンがついている。キャラク
ターもののバックプリントではないにしても、子供っぽい。樹花には
よく似合っているがそろそろ、違うタイプのものを買ってやる時期な
のかもしれない。樹花はこれから、総司の手で女になってゆくのだから。
テニスで引き締められ、ほどよく肉のついた足の内側に手を這わせる。
下着の上からわざと焦らすように軽く触れた途端、半ば空ろだった瞳
が見開かれた。
「え、あ、だめだめだめっ」
とっさに両足を閉じ、両手で覆う。ぎゅ、と力をこめられた足の筋
肉がこわばっている。先ほどまで羞恥を忘れたかのように従順に受け
入れていただけに、その反応に面食らった総司がぽかんと樹花を見つ
める。
「樹花?」
「え、あ…その、…と、ちょっと待って、ちょっとまって!」
わたわたと手を振ったかと思うと、今度はすー、はー、と大きく深
呼吸を繰り返す。そのリアクションがあまりにもいつも通りの妹のも
ので、思わずこみ上げる笑いをこらえる。純潔を捧げると云う意味が
解っていないとも思えないが、しかしこれから行われる行為がどういっ
たものなのか、完璧に把握しているとは云いがたかった。
おしべとめしべが――より多少は知っているのだろうが、それでも
保険体育の教科書程度の知識しかない。そう育てたのは他でもない総
司だ。
まだ樹花は何も知らないのだ。それでも、兄である自分を受け入れ
る恐怖を、初めての感覚に乱れる辱めを耐えようとしている。
これでは――余りに可愛くて、歯止めがきかなくなる。このまま愛
してしまっては、壊しかねない。
ならば、とまだ深呼吸を続ける樹花の方に手をかけ、今日一番の優し
さでささやく。
「大丈夫だ樹花、怖がらなくていい」
快楽を、教え込む方が先かもしれない。
きょとんとした樹花の体を再びベッドに押し倒す。先ほどの深呼吸
で覚悟が出来たのか、今度は指がとどめられることは無かった。
布地の上からその形を捕らえるように触れる。つぷり、とした感触
の次に伝わったのは暖かい感覚と濡れた愛液だった。既に十分すぎる
ほどに身体は感じている。指を這わせるたびに、ぐちゅぐちゅと卑猥
な水音が響いた。
「ん、あ、…う、ぅ…気持ち…悪い…」
「ああ」
濡れた下着が肌に張り付いているその状態が落ち着かないのだろう。
もぞもぞと浮いた腰の隙間から素早く最後の一枚を剥ぎ取る。
「あっ…うー…やだ、やっぱ、見ちゃ駄目ぇ…っ」
「見なければいいのか?」
覚悟は出来ていても、羞恥心は容易く克服できるものではない。抵抗
こそしないものの、拗ねた様にそっぽを向く樹花に笑いかける。
今まで自分を含めた誰もが、見ることを許されなかったその身体の細
部までを見たいと云う欲求はこらえがたいものがあったが、それでもあ
えて目線は樹花の顔に合わせたまま愛撫を続けた。
「きゃぁっ…あ、…はぁっん、はうぅ…」
自分で触れたことすらないのだろう箇所を、直接刺激されて先ほどよ
りも一際その嬌声に甘い響きが上乗せされた。かくん、と足が伸びては
つま先が宙を蹴る。
まだ、足りない。
もっと、もっと――指の動きから快楽を教え込ませる。何も知らない
妹を、この手で女にして、乱れさせて、自分を求めさせる。瞳には涙が、
口元には唾液が、しっとりとした肌には汗が浮かび、媚を含んだ女の声
と耳に響く水音が部屋を支配する。
「ん、きゃぅうっ!あ、あぁ…っあん、あぅ…やだ、やだぁ へ、…変
な声でちゃうぅぅ…」
「いいんだ、それでいいんだ樹花。」
「や、やぁ…変だよ、やだ、あ あ あぁ、はっ ひあぁっ――」
襞の中をなでるように攻め続けているうちに、一際高い悲鳴にも似た
声と共に、びくんと体が揺れた。シーツをつかんだ手が小さく痙攣して
いる。
「ぁ…ふ…はぁ……ん、ん」
一度上り詰めて、まだ快感から戻りきっていない樹花を、休ませるこ
となく耳元に舌を這わせれば、すぐにその身体は熱を取り戻した。
総司の手も、樹花の太ももはおろかシーツまでが、すっかりと樹花が
感じた証拠として濡れてしまっている。――コレだけ濡れていれば大丈
夫だろうか。指先を、見せ付けるように舐めながらうつぶせになるよう
に命令する。
「…?な、んで?」
「今よりももっと気持ちよくしてやる、ほら」
「ん…」
知ったばかりの快楽と、達した直後に再び煽られた熱をもてあました
樹花は、疑問よりも先に総司の命令に従った。
シーツが皺を作るベットの上に、樹花の背中が浮かび上がる。
ずるり、と。
今までその存在すら樹花には教えなかった熱を、閉じられた足の間に
滑り込ませ、足の付け根、女が一番弱いその箇所へ押し付ける。
「ひっ……!!」
「腰をひいてはいけない、そう、まだそのまま―」
初めて知るその感覚と、生理的な恐怖から逃げようとする身体をおさ
え、肉芽を多少乱雑に愛撫するように腰を動かす。
「は、あ あぁ ああ ぁっ…!!」
がくがくと目の前の樹花の背中が揺れる。
粘膜が水音をからませながらこすりあう。擬似的な性交がもたらす快
楽は紛れも無い本物の熱さだ。本当は未だ犯していない身体を、犯して
いるような錯覚。
「…くっ」
何時の間にか、樹花に釣られるように総司の息も上がり始めていた。
「樹、花…樹花っ」
「や、あ、ああ ああ あ、あっ」
先ほどの愛撫で敏感になった所為で、どんどん樹花は激しく乱れてい
く。崩れ落ちそうになる身体を、後ろから引っ張るように腕をつかんで
支える。
「だめ、駄目駄目だめぇ…気持ち いいの 、さっきよりも、変に、
なっちゃ…の…っ」
内側から攻めるより前に、触られることによって得る快感を教え込ま
せる。其れは中毒性を持つアルコールに似ている。美酒の味を知った者
が、それに酔い、その喜びを忘れられずに再びそれを求めてしまうよう
に。その快楽を自分から求めるように。
「じゃあ、やめるか?」
少しも選択肢として考えていない言葉を、さも平気な様子で投げかけ
る。耳元でささやけば―
「っ!や、やめないでやめないで、もっと、おにいちゃんもっと、もっ
としてぇっ」
すがりつく様な声にぞくりとした感覚が、一気に背筋を走り抜けた。
一層高くなった嬌声にあわせたように樹花の身体が動いている。酔い
しれた身体は無意識に、総司の動きをむさぼろうとしているのだ。
すでに追い立てようとしているのか、追い立てられているのかさえ解
らない。
「あ、 あぁぁっ…へんだ、よぉ…!!まった、変になっちゃうよぉお…!!」
その絶頂を知らせる声が引き金となって、思考回路に線が引かれたよ
うに限界を迎える。びくり、びくりと小刻みに動く背中に白濁とした熱
を放った。
「あ、つい…おに、ちゃ…」
朦朧と、半ば意識を手放しかけながら力なく樹花の細い腕がシーツに
落ちては空中を探す。その手を引き寄せて、抱きしめた頃には先ほどま
での姿が嘘だったように、樹花はいとけない表情で眠りに落ちていた。
それでも先ほどまでの行為の証とばかりに、身体中に総司が付けた所
有印がちらばり、腕には痛々しい位の男の手の跡が残っていた。
それほどまでに、理性が飛んでしまっていたらしい。跡を残したこと
を申し訳ないと思う反面、そうさせたのは樹花に他ならないのだという
気もしている。
「俺は全てを司る男だ、全人類の未来は、俺が救っている…」
眠り続ける樹花への言葉なのか、それとも自らへの誓いの言葉なのか。
総司は樹花の身体を抱きしめながらささやいた。
「だが、俺の一番大切な人は今までも、これからも樹花だ…」
常に傍にいることが出来なくても。
どこへ行っても、どこで戦っても。
常にお前のことを思っている。お前の元に返ってくる。
そのささやきが届いたのだろうか。樹花の寝顔は微笑んでいた。
日光が差し込むダイニングルーム。部屋中に置かれた緑は鮮やかに、
朝一番に水を与えた所為か生き生きとあたりの空気を演出する。テーブ
ルの上に置かれた朝食は今日も完璧。いつもと同じようにコーヒーを入
れて、ソファに座りながら新聞を読んでいれば二階からぱたぱたと足音
が近づいてくる。
「おにいちゃん、おっはよー☆」
「ああ、おはよう」
朝一番の挨拶は飛び切りの笑顔でなくてはならない。そして樹花が一
日の始まりに食べる朝食は、当然のことながら
「んー、今日の厚焼き玉子も、ぐーーーっ!」
と評価されるような出来のものでなくてはならない。
「ああ、俺の樹花への愛がたっぷり入っているからな」
いつも通りに交わされるその会話に、微笑みながら新聞をたたむ。
コーヒーをおかわりしようと立ち上がると、真っ赤になった樹花の顔が
目に入った。
「…樹花?」
「あ、…いやっ、その」
ぱっと目をそらしてしばらく逡巡したあと、総司の様子を伺うように
向き直る。
「……へへ、お兄ちゃん。」
「ん?」
「あのね、ぇっと、…」
一寸こっちにきて、と手招きをする。パタパタと動くその手に導かれる
ように階段を上り近寄ると、大切なことを話す子供のように両手を口元に
当てて。
それは今まで総司が見てきたどれよりもとびっきりの笑顔で。
「お兄ちゃん、だいすきっ!」
と告げた。
――ああ、この天使を落す、以前に陥落していたのは全く、自分のほうだっ
たのだ。
【了】