――――そうしてまた空の上で、あたしたちははやてとリインフォースに会うんだ。
クリスマス・イブの夜。窓の外でしんしんと降りつもる雪を眺めていた。
はやてと、はやての守護騎士であるあたしたち四人はなにをするでもなく、居間で静かに佇んでいる。
「なんや、なんかもう足がぜんぜん動かせへんなー……」
もう、はやてには下半身の感覚がない。
それは終わりの兆候だった。別に闇の書の呪いでもなんでもない、人間であれば誰にでも平等に訪れる老いという終わり。
リインフォースが想いと力をはやてに残して空へと還ったあの日を転機にはじまった、新しい生活。
あたしたちははやての幸せをもとめながら、はやてはあたしたちの幸せをもとめながら、そうして過ごした長い日々。
あたしたちはこの世界で、このマスターのもとで、いくつ季節を越えたのだろう。
はやての結婚相手に嫉妬して一騒動起こしたこともあった。
はやての妊娠と出産の時には母体と赤ちゃんの容態に戦々恐々してまた一騒動。
生まれたその子が一番なついたのがはやてでもリインフォースUでもあたしでもなく、ザフィーラであったことが複雑だったり。
小さかったその子も、あっという間にあたしの身長を追い越していっぱしの男になってしまい。
シグナム曰く、どこに出しても恥ずかしくない自慢の弟子だというそいつも、やがてひとりの女の子と結婚して。
そうして生まれた孫娘も、もう成人。
「……そろそろ、寝よかな」
生まれた誰もが時の流れとともに育ち、老いて、死ぬ。
なのはもテスタロッサも、他のみんなもそれは同じことで。
「いやー、それにしても長生きしたなー私」
ひとり、またひとりと仲間が逝ってしまうなかを、はやては生きた。
「みんなのおかげやね」
穏やかに微笑む。遠い日々に想いを馳せながら。
はやての夫であった彼が逝った後、はやては息子家族から離れ、あたしたちと5人で暮らすことを選んだ。
「親友だった人も、夫も、みんな旅立ってしもーた。喪ったものは大きすぎて、私はほんとうにまいってたんよ。
でも、みんながいてくれた。みんなが私の側にいてくれた」
「そんなの、あたしだってそうだ。ひとりじゃ耐えられなかったから、はやての側にいたんだ」
つらかったのはあたしも同じだ。でも、はやてがいてくれたから、はやてがあたしたちを支えてくれたから、あたしたちはいま、こうしていられる。
「そやな。私たちは、いっしょに生きたんやね」
「たぶん、明日の朝やね」
目をつむって、大きく息をついて。自分の死期をはやては告げる。
みんな驚かなかった。黙って聞いていた。主と守護騎士という繋がりのせいだろうか、以前からなんとなく、彼女の死期を悟っていた。
主の死を、自分でも不思議なほどに静かな気持ちで受け入れていた。
「それでな、みんな。今夜は、みんなでいっしょに寝てみんか?」
ソファーとテーブルをどけて、居間へふとんを運んだ。
シグナムがはやてを抱き上げてふとんに降ろし、シャマルが掛布をかけてやる。
「それじゃあ、電気消しますよ」
シャマルの声と共に、明かりが消える。
暗闇の中、みんなで寝るということに、なんとなくふしぎな感じがする。電気がついてるとこんな感じにはならない。
ひとつの部屋の中で、時間と、空間と、空気を、みんなで一緒に共有しているような気もちになるから。
ぽつぽつと、みんなで他愛のない話をする。
それは静かな気持ちのまま、穏やかな気持ちのまま、楽しい気持ちになる、いつもどおりの会話だ。
いままでも、これからも、あたしたちはみんな変わらない。
変わらないままで、夜を過ごすのだ。
目を覚ましたのは朝方だった。
「あ、珍しなー。ヴィータ、今日はずいぶん早起きや。おはようさん」
「……おはよう、はやて」
みんなも既に起きていた。眠い目をこすりながらあいさつを返す。
見ればカーテンの隙間に曙光の空。別れの雪が窓を叩いている。
布団に座ったまま、シャマルのいれてくれたお茶をみんなで飲む。
ふう、と心地よさそうにはやてが息をつく。
「なんや、なんか眠くなってきたなぁ。さっき起きたばっかりやのに」
苦笑まじりの、はやての声。
「じゃあ、もう一度おやすみしちゃってください、はやてちゃん」
冗談まじりの、シャマルの声。
「ん、そーしよーかな」
身体を横たえて、布団をかけ直す。はやては大きく息を吐いて、目を閉じた。
「主」
「どしたん……? ザフィーラ」
「やり残したことは、ありませんか」
ちょっとだけ、考える仕草。
「……んーん。なんもあらへん」
眠たげな、返事。
「……では、ゆっくりとおやすみください」
「……ん、いままでありがとな、ザフィーラ、みんな。みんなも、おやすみなさい」
それはきっと、世界で一番思いのこもった、おやすみなさい。
葬儀が、終わって。
「さて、どうするかな……」
「解散でいいんじゃねーのか?」
思案するシグナムに、吐く息の白さを追いかけながら言った。
はやてを見送ったあたしたち。あとはもう、好きなときに眠るだけ。
適当に外をブラブラして、飽きたら勝手に空の上へと還るのだ。
そうしてまた空の上で、あたしたちは――――
結局、各自で思い思いに散ることになった。どーせ誰かに側にいてほしくなったらすぐに思念通話で呼べる。
最後は、自分だけの時間で自分の好きなように過ごす。
ちらちらと雪が静かに降っている。雪が降る前まで老人会のゲートボールを楽しんだ広場だ。ベンチに積もった雪を払いのけて腰を下ろした。
はやてを想う。
闇の書のコアを消し去ったクリスマス・イブの夜、あのときと同じ時間に自分の死期を告げ。
リインフォースが空へ還っていった雪の降るクリスマスの朝、あのときと同じ時間にその命を空へと還していった。
空を見上げて、瞼を閉じた。
顔にあたる、雪の冷たさの感触。これが春になると桜の花びらになり、夏には強い陽射しの感触に変わったものだった。
―――ああ、ほんとうに、ほんとうにたくさんの日々を過ごしたんだね、はやて。あたしたちは。
咲き誇る花びらを浴びて。星流れる夜空を見あげて。月明かりにかしずかれ。粉雪降りつもった銀一色の世界の中で。
あなたがあたしたちをこの世界に喚んでくれた。あなたがいたから、あたしは幸せだった。
ふりかえれば、それはひどいくらいに楽しさばかりにあふれていて、心のうちにあるおもいでは、とてもとても切ないんだ。
なのはやテスタロッサたちの、おかげだね。
騎士たちの、おかげだね。
あなたの、おかげだね。
ありがとう。あなたがあたしの主でいてくれて。ほんとうによかった――――
涙があふれる。
いつしかそこはもう既に公園ではなく、雪の静寂すらもかききえて、一面の霧。
立ち上がって歩いていく。涙をぬぐって心静かに霧の奥。
やがて意識はあいまいになり、地面を踏む感触も無くなって、自分という存在も自覚出来なくなってゆき――――
ゆめうつつのなかで、扉に手をかける。開けてみると見慣れた玄関。
疑問に思いながら靴を脱ぐ。つい習慣でただいま、と口に出してしまった。
「あら、ヴィータちゃん、おかえりなさい」
シャマルがひょいっと居間から顔だけを出す。
「え、シャマル……?」
「ん? どうしたのヴィータちゃん」
あれ? 自分は今、なにを疑問に思ったんだろう?
「あ、ああ、いや、なんでもない……」
「そう?」
エプロンを掛けながら、シャマルは台所ではやての隣に並んだ。
居間にはいつも通りのみんながいる。ザフィーラが床に寝そべっていて、シグナムとリインフォースが食器の配膳。
『マイスター、お鍋そろそろ危ないですよ』
「お、ほんまや。吹きこぼれそう」
リインフォースUははやてのふところで料理を手つだっている。
「あー、おかえりヴィータ。ちょーどいいところに帰ってきたなー。もうすぐできるから手洗ってテーブルに座ってるといいよー」
「あ、うん……」
言われるままに洗面所で手を洗う。水の感触が気持ちいい。なんとなく、気分もすっきりした。
蛇口を止める。料理の匂いがここまで届いていることに気づく。おいしそうだとすなおに思えるいい匂い。頬がほころぶ。
みんなテーブルについて、いただきます、の唱和。
相変わらずはやての料理はおいしい。満足。
なんでかな、はやての料理を食べるの、なんだか久しぶりな気がする。おかしいな、毎日食べているはずなのに。
でもまあいいや、と思う。この幸せの日常の中で、そんな些細なことはどうでもいい。
「リインフォース、食べないならそれくれ」
「口にものを入れたまま喋るな、それにこれは『まだ』食べないだけだ。主の料理はゆっくり味わいたいからな」
「まあまあヴィータ、おかわりはあるから、そんな焦らんでも大丈夫やよ」
「うん!」
「あ、ヴィータちゃん、口元よごれてるわよ」
「ヴィータ、こっちを向け。拭いてやる」
賑やかな風景。
はやてがあたしを見守るように微笑んでいる。あたしのいちばん大好きなはやての笑顔がここあるのは、みんながいるから。
――――はやてと生きてはやてを見送ったら、あとはあたしたちは好きなときに眠るだけだ。
そうしてまた空の上で、はやてとリインフォースに会う。
ああ、そうだ。あたしたちには、転生という名の永劫の呪縛はもうない。
解き放たれたあたしたちはあの空の上にいる。あの現実の続きを、あたしたちは生きている。
――――そっか。ほんなら、みんなでいっしょに生きようか――――