「―――ここから出るよ、バルディッシュ」
その声に迷いの色はない。
かつて渇望していたしあわせから背を向けて、フェイトは私という戦斧を執る。
「ザンバーフォーム、いける?」
私を掲げ、ささやくように問うた。
是非もない。この身は、彼女の信頼に応える刃である。
《Yes、Sir》
「いい子だ」
フェイトの衣服が弾ける。新たに黒色のバリアジャケットが展開される。
両手に柄を握り、右足を踏みだす。身体を捻り、斧の刀身を左後方に置く。
変形開始。トリガーワード、『Zamber form』。
《Zamber―――》
「どこに行くんですか? フェイト」
《―――》
主人の力になるためのデバイスとして、それはあってはならないことだったが。
コマンドは、私の狼狽によって中断された。
女性の声だった。
かつて静かに姿を消した、プレシア・テスタロッサの使い魔。
フェイトの育ての母であり、私をこの世に生み出した母である彼女の姿がそこに在った。
「みんなが、待っているところに」
構えを解いて、フェイトはリニスと対峙する。
迷うことのない即答。リニスの姿を前にしても、彼女の決意は揺らがない。
夢を踏み越える覚悟をもって、ただ、現をまっすぐに見据えている。
だからこそ、この不可解を前に、私は迷っていた。
―――なぜ、あなたがここにいる?
「フェイト。ここには、私たちがいます」
「わたしは、ここにはいられないんだ、リニス」
リニスの言葉を、フェイトはまっすぐに斬り捨てる。
この世界(ユメ)は既に、ユメの主たるフェイトに否定されている。
アリシアが消えてしまったように、プレシアももう消えてしまっているはず。当然、リニスもそうでなければいけない。
なぜ、リニスの姿はここにあるままなのか。リニスの存在をここに留めている要因は何なのか。
リニスが口を開く。悲しげに眉根をよせた表情で。
「プレシアは、あなたを愛しています」
「―――うん」
「わたしも、あなたと一緒にいたいです」
「―――うん」
「それでも、フェイトは行くんですか」
「――――――うん」
フェイトは、リニスをしっかり見据えた。
答えを、返す。
「―――もう、前から決めていることなんだ」
「わたしを愛してくれているひとがいる」
「わたしと一緒にいたいって言ってくれているひとがいる」
「母さんから受け継いで。あなたから教わった魔法の力を」
「その人たちのために使いながら、わたしはこの世界で生きていくんだって―――」
目尻に涙をためながら、大きく息を吸い込んで。
「―――リニスなら、わたしがそう誓ったことを、きっとほめてくれるよね?」
「――――」
一瞬、言葉をつまらせた後。
「―――はい。誇らしいです」
リニスは花咲くような笑みを浮かべた。
よろこびの、微笑みだった。
―――ああ、そうか。
リニスの笑顔が私を満たした。迷いが晴れた。
いま、わかった。誰がリニスをここに繋ぎ止めていたのか。
私が彼女を繋ぎ止めていた。
あなたに、フェイトを会わせたかった。
たしかにフェイトは、母親に愛されることはなかったけれど。
母に捨てられた孤独も、存在を否定された絶望も乗り越えて。しあわせを待つのではなく、しあわせを目指しながら生きている。
あなたにとって娘にも等しい愛弟子は、私の主人は、こんなにも強くなったのだと自慢してやりたかったのだ。
そしてもうひとつ。
―――たとえ、ここにいるあなたが、夢の中の虚構であるのだとしても。
「リニス、わたしは行くね」
《Zamber form》
「はい、いってらっしゃい」
あなたに託されたあの想い。
『道に迷ったとき、願いを貫くための力。
道が暗闇に閉ざされたとき、ひとすじの閃光となってフェイトの手にあり、闇を切り裂く刃であること』
それはいまもここにあるのだと。
いまもここに、変わらず在るのだと。
カートリッジ、ロード。変形完了、出力リミッター解除。魔力刃生成。
―――フルドライブモード、起動。
「それがあなたのあたらしい力なのね、バルディッシュ」
私は、生みの母たるあなたに、私自身を誇りたかったのだ―――
フェイトが大剣を構えると同時に、リニスの身体が光となって透けていく。
「お元気で」
魔法陣を展開。雷光の煌めきが聖堂を満たした。
「―――疾風、迅雷!」
主の叫びに呼応する。紫電が刀身を駆けめぐる。
大剣を担ぐように振りかぶり、フェイトはそっと、瞑目した。
過去の痛みは、心の中に静かに融かして。
《Sprite Zamber》
「スプライトザンバー!」
強くなったフェイト。強くなった私。
フェイトのみちしるべであり続けたかった、あなたが果たすことが出来なかった、その悔いが。
せめて、私たちの姿で晴れますように。
―――Bye, good-bye our mother―――
光刃が、世界を斬り裂いた。