弥凪 祈深歌(やなぎ きみか)は年下の幼馴染の陽崎 流矢(ひざき りゅうや)の事が誰よりも好きだった。
だが其の思いが強ければ強いほどに自分に対する不満も大きかった。
どうして自分はこんなに背が高いのだろう。 こんなに高くちゃ流矢クンと一緒に歩けない
どうして自分はもう二年遅く生まれなかったのだろう。 そうすれば流矢クンと一緒の学年になれたのに。
どうして自分はこんなに引っ込み思案なのだろう。 お陰で流矢クンに私がどんなに好きなのかも伝えられない
どうして、どうして……そうすれば、そうすれば幼馴染の流矢クンともっと……。
祈深歌の心にとめどなく尽きることなく沸いてくるのは自分への不満。
そうして自虐的であるあまり祈深歌は自分の良い点すらも見えていなかった
確かに背丈は174と女性としてはかなりの長身であったが、其の分プロポーションも抜群だった。
顔だって十分美人であった。だから好意を抱き告白を試みた男子も何人も居た。
だが皆告げる前に祈深歌が脅えて逃げてしまった為想われてたことすら彼女は知らなかった。
2歳年上なのを気にしてるが、其のお陰で流矢に姉のように慕ってもらえた
引っ込み思案でもあったが、だからこそ流矢に何時も気遣ってもらえた
そうした事にすら気付けないほど自虐的であった。
特に身長に対するコンプレックスは大きかった。 ちなみに流矢の身長は163。
祈深歌にとってこの11センチ差はとてつもなく大きく感じられた
こんなに身長差があっては一緒に並んで歩くだけで流矢を傷つけてしまうのでは、そんな躊躇いの心が生じる。
本当は誰よりも好きで何時だって一緒に居たいくせに。
そのくせやっぱり一緒に居たくて、離れて見つめてるのを見つかって結局一緒に帰ってしまう。
一緒に並んで歩いてるとそれだけで幸せな気持になれる。
でも嬉しい反面膨らんでくるのはコンプレックスと自虐心。
一緒に並ぶと否応無く其の身長差を感じてしまうから。
陽崎 流矢に対し想いを寄せている女性が二人いた。
一人は先に述べた年上の幼馴染――弥凪 祈深歌。 もう一人はクラスメイトの三河 智依(みかわ ともえ)。
中学校の頃も同じ学校で、二年、三年の時は同じクラスだった事もあり最も気心の知れた仲同士であった。
共に過ごした二年間は智依の流矢に対する気持を友情から恋心へと昇華させるには十分だった。
だから高校でも同じ学校でしかも同じクラスになれことを知った時は天にも昇る心地であった。
だが、すぐ知ることになった。智依にとって大きな壁が、障害が、邪魔者が存在する事を。
中学の二年、三年の時には居なかった流矢の二つ年上の幼馴染――弥凪 祈深歌。
智依にとって祈深歌はとてつもなく目障りだった。
中学の頃、智依と流矢はいつも一緒だった。
お昼休みの時だって机を繋げて一緒に食べ、時には智依がお弁当を作ってあげてたほどだ。
だが高校に入り祈深歌が同じ学校に現れた途端に流矢は祈深歌にべったりになった。
祈深歌と流矢にしてみれば小学校から繰り返してきてた当たり前の事だったのだろう。
だが智依にしてみれば後からやってきて自分と流矢の二年間をあざ笑うかのように見えた。
悔しくて、憎くて、恨めしくて、妬ましくてしょうがなかった。 だが押さえた。
ココであからさまに気持をぶつけても多分悪い方向にしか働かない事が容易に想像できたから。
だから伺った。 何か自分が付入る隙が無いだろうかと。
そして気付いた。 祈深歌が自分の背の高さにコンプレックスを抱いている事を。
それが原因で心の内を明かせずにいることを。
このことを上手く使えば付け込む事が出来るのではないだろうか
そう思った智依は暫し熟考し、やがて行動に移す事にした。
「弥凪先輩。 ちょっと良いですか?」
ある日智依は祈深歌に声を掛けた。
「はい、なんでしょうか? えっと……」
「陽崎クンのクラスメイトの三河 智依と申します」
そう言って智依はにっこり微笑んだ。 そして続けた。
「お逢いした事ありませんでしたっけ? いつも陽崎クンと一緒に仲良くさせてもらってるんですけどね」
「そうですか。 流矢クンの……。 それで私に何の御用で?」
「ハイ、お聞きしたい事があるんです。 先輩と陽崎クンってどういう間柄なのかな、って」
「え、えっと……、その……幼馴染……です……」
祈深歌は消え入りそうな声で答えた。
「ふ〜ん、幼馴染ですか。 本当にそれだけですか?」
笑顔で尚も訊く智依。 だが其の仕草は訊くと言うより詰め寄るかのような異質な迫力があった。
「何が……仰りたいの?」
祈深歌は自分よりも頭一つ分程も小さな年下の少女の浮かべる不敵な笑みに思わず気圧され、力なく聞き返す。
「いえ、若しかしたらお付き合いしてるのかな〜なんて」
「な……! そ、そんな……」
智依の言葉に祈深歌は驚き思わず口ごもる。 そして智依は更に畳み掛けるように口を開く。
「そんなわけ有りませんよね〜。 だって先輩と陽崎クンじゃ一緒に歩いたって不釣合いですもんね」
「な、何が仰りたいの……?」
其の声にいくらか怒気が含まれてるかのようだった。
当然であろう。 あからさまにヒトのコンプレックスを付いてくるような挑発的な言動。
だが智依はそんな祈深歌にまるで怯む様子は無く尚も不敵な笑みを浮かべそして一枚の写真を取り出して見せた。
それは祈深歌と流矢が二人並んでいる所を撮ったもの。
「凄い身長差ですよね〜。 こんなんで街中歩いたら好奇の的でしょうね〜」
言われて押し黙る祈深歌。 そんな祈深歌に向かって尚も口を智依は開く。
「そんな好奇の視線で見つめられちゃ陽崎クンも可哀相ですよね〜」
押し黙り固まってしまった祈深歌に向かって智依はもう一枚の写真を取り出して見せた。
それは智依と流矢が中学三年の時、文化祭の後夜祭でフォークダンスを踊った時のもの。
並んで踊る二人の身長差はこぶし一つ分ほど。 勿論低いのは智依の方だ。
「どっちがより自然かなんて言うまでも有りませんよね」
返事は無い。 写真を見つめる其の顔は俯き、うなだれてるようでもあった。
「私の申したい事わかりますよね?」
尚も祈深歌は沈黙したままだ。
「分かりますよね? 先輩が陽崎クンを大事と思うならどうするのが一番いいのか」
そう言った智依の顔は勝利を確信し勝ち誇ってるかのようだった。 そして踵を返し立ち去る智依。
悠然と立ち去る智依とうなだれる祈深歌の二人は正に勝者と敗者のそれであった。
智依の言い放った言葉は確実に祈深歌の心に深く突き刺さり其の心を苛んだ。
言われた次の日から目に見えてはっきりと流矢を避け始めた。
だがそれは同時に流矢の心をも苛むことになった。
何故なら祈深歌が流矢を好いていたのと同じように、流矢もまた祈深歌を好いていたのだから。
そんな流矢の姿に智依も心が痛まない訳ではなかった。
だがそれよりも邪魔者が近づかなくなった事が嬉しく其の笑をかみ殺すのに必死だった。
だが、未だ足りなかった。 この程度では何時お互いの誤解が解けてもおかしくなかった。
現に未だ流矢の心の中には未練と、そして自分に何か落ち度があったのだろうか、仲直りできないだろうか
そんな想いで一杯だった。
だから智依は次の手を打つ事にした。
ある日の午後。
「ねぇ、陽崎クンお願いがあるんだけどいいかな?」
「いいぜ、俺に出来る事なら」
智依の言葉に流矢は笑顔で応える。
「あのね、放課後ちょっとでいいから付き合ってくれる? 実は校舎裏に落し物しちゃったみたいなんだ」
「校舎裏? そんな所になにを?」
「実はね栞落っことしちゃったんだ。 風にさらわれてぴゅ―って飛んでいっちゃって……」
「栞? そんな栞ぐらい……」
「とってもよく出来たお気に入りの押し花の栞なの……」
そう言った智依の沈んだ悲しそうなものだった。
「そうか……。 うん、分かったじゃぁ放課後に一緒に探しに行こう」
そして放課後、二人は裏庭へと向かう。 そして向かった先には二人の男女が居た。
一人は流矢が良く知る、そして心の中に秘めた思いを抱く女性――弥凪 祈深歌。
もう一人は流矢の知らない男。
だが祈深歌に負けないぐらいの長身で顔立ちも整っておりまるでモデルのようだった。
一体誰なんだあの男は――そんな事を流矢が考えてると智依が小さく囁きかけてきた。
「ねぇ、若しかしてコレって告白の場面に遭遇しちゃったのかな?」
告白――其の言葉を聞いた瞬間流矢の顔が引きつる。 そして其の変化を智依は見逃さなかった。
「二人共背が高くってまるでモデルみたいね。 そんな長身同士並んでると絵になるよね」
其の言葉に流矢はまるでハンマーで殴られたかのような衝撃を受ける。
「どっちから告白したんだろ? でもすごくお似合いよね。 そう思わない?」
その言葉を聞き終わるより先に流矢はその場を逃げ出すように駆け出していた。
其の顔は今にも泣き出しそうなほど、いや既に堪えきれなくなった涙が溢れ出していた。
すかさず其の後を追いかける智依。 智依もまた堪えていた。
だがそれは流矢のそれとは全く正反対で、嬉しくて笑い出したいのを必死で堪えてたのだった。
そう、あまりにも事が、謀ったことが思い通りに進んだ事が嬉しくって。
智依は調べ上げた。 祈深歌に対し恋心を抱いてる人間を。 其の中から選び出し告白するよう焚きつけた。
そして其の場面を流矢に目撃させる。
おそらく告白は間違い無く成就しない事は想像できた。
だが二人一緒であるところを見せればそれだけで十分な効果を得られる事も予想できた。
祈深歌が背の高さにコンプレックスを抱いてるように流矢も同じ様な悩みを抱いてるはずだ。
加えてここ数日間避けられてると感じさせる二人の間柄。
そんな所に
<二人共背が高くってまるでモデルみたいね。 そんな長身同士並んでると絵になるよね>
<どっちから告白したんだろ? でもすごくお似合いよね。 そう思わない?>
そんな言葉を聞かせれば脳内で勝手に一つの答えを組み立ててくれるだろう。
そして結果は予想通り。 おっと、未だことが全て完了したわけでない。
裏庭から十分に離れた事を確認した智依は追いかけるスピードを上げた。
そして流矢にしがみつくように捕まえる。 そして声色にありったけの演技を込める。
謝罪と哀願を含んだかのような色を載せそっと囁く。
「ゴメンね……。 私が裏庭になんて誘い出しちゃったばっかりに嫌な想いさせちゃって……」
「違う! ……違うよ。 三河は何も悪くなんか……」
そして流矢はそのまま泣き崩れた。
智依はそんな声を上げて泣きじゃくる流矢を優しく抱きしめる。
そして泣きじゃくる流矢からは見えない智依の顔には満面の笑顔が浮かんでいた。
勝利者としての余韻を噛締め喜びに浸る満面の笑顔が。