【垢舐め(1)】
照明灯が、ちらちらと明滅している。
真夜中の公園――
「さあ、今夜は、この公園にしましょう」
歌うように楽しげに言いながら、少女が、公園に入って来た。
おかっぱの髪に、地味な銀縁めがね。セーラー服姿で、中学生のようだ。
「どうしたの? 早くいらっしゃい」
足を止めて振り返り、手招きをする。
公園の入口で、少女の「連れ」が、立ち止まっていた。
コンビニで売られているような白いビニールのレインコート姿。
雨でもないのにフードをすっぽりかぶり、うつむいているのは、顔を隠したいのだろうか。
背格好はセーラー服の少女と同じくらい。
コートの裾から華奢な素脚が伸び、足元は、裸足だ。
あるいは、コートの下は何も身に着けていないのかもしれない。
「……あの……、この公園は……」
レインコート姿の「連れ」が、言葉を発した。年若い少女の、かぼそい声。
セーラー服の少女は、微笑みながら小首をかしげ、
「あら、知っているところ?」
「……あたしの家の、近所です……」
「まあ、そうだったの」
セーラー服の少女は大仰に感心したそぶりで、公園を見回した。
ブランコと、滑り台と、公衆トイレ。どこにでもあるような、小さな公園。
【続く】
【垢舐め(2)】
「じゃあ、子供の頃のあなたは、よくここで遊んだのかしら?」
「…………」
答えないでいる「連れ」を振り返り、セーラー服の少女は、にっこりとする。
「近所の人に見つからないか心配? 大丈夫よ。こんな時間に、誰も公園に遊びには来ないわ」
「…………、でも……」
「おなかが空いてるんじゃないの? ここが嫌なら、きょうは『ご飯抜き』で帰るわよ。私だって眠いもの」
セーラー服の少女は言うと、わざとらしく、あくびをしてみせた。
「…………」
レインコートの「少女」――少なくとも、その声は――は、なおもためらっていたが、
「どうするの? 帰る? おなか空いたの、我慢できる?」
セーラー服の少女に笑顔のまま迫られ、おずおずと、公園に足を踏み入れた。
くすくすと笑って、セーラー服の少女は、
「子供の頃の話をしたのは、意地悪すぎたかしら。あなたは、もう『元のあなた』ではないのにね」
口調は無邪気だが、残酷な言葉だった――レインコートの「少女」にとっては。
二人の少女――ひとりは「少女らしきモノ」だが――は、狭い公園を横切り、公衆トイレの前に立った。
トイレは入口が一ヶ所だけで、男女兼用で造られているようだ。
「さあ、コートを預るわ。おなかいっぱい『食べて』いらっしゃい」
セーラー服の少女が言うと、コート姿の「少女」は、うつむいたまま、
「……コートを着ていっては、ダメですか……?」
「ダメよ。その格好で床を這い回ったら、コートが汚れちゃうでしょう?」
セーラー服の少女は微笑む。
「汚れた服の人を、家に入れたくないもの。それとも、うちの外でコートを脱ぐ? 車がいっぱい通るけど」
【続く】
【垢舐め(3)】
「……いえ、それは……」
「いっそ自分の家に帰って、いまの『変わり果てた姿』を家族に見てもらう? 私はそれでも構わないのよ」
「…………」
レインコートの「少女」は観念したように、コートの前ボタンを外し始めた。
公衆トイレに入って正面に、洗面台と、鏡があった。
そこに映った自分の姿に、コートを脱いで入って来た「少女」は、「ひっ……!」と、息を呑む。
子供の頃から何度も利用したトイレなのに、鏡があることを忘れていたのだ。
ごわごわの紅い髪。
濡れ光った黄色い肌には、ところどころ薄茶色の斑点がある。
とはいえ、人間の面影を、すっかり失ったわけではない。
怯えたように揺らぐ瞳も。緊張にふくらんだ小鼻も、震えている唇も。
華奢な体つきのわりに、つんと上向きの形のいい乳房も。
縦長の小さな臍も、桃のように丸い裸の尻も、ほっそりした長い脚も。
かたちだけは、全て「人間」であったときのまま。
それでも、ぬらぬらした粘液に覆われた肌の質感は、もはや「少女」が人間ではないことを示していた。
衣服を身に着けて肌が乾くことは苦痛であり、レインコートしか着ていなかったのは、そのためだ。
「少女」は鏡から目をそむけ、トイレの奥へ進んだ。
ツンと鼻をつく匂いに、思わず、つばを飲み込む。
小便器が二つと、個室が一つという小さなトイレだった。小便器はいずれも「床置き式」だ。
床や壁も含めて、汚れが目立つということはないが、それほど清潔でもないことは漂う匂いでわかる。
だが、その匂いを「香ばしい」ものに感じて、「少女」はもう一度、ごくりとつばを飲み込んだ。
【続く】
【垢舐め(4)】
そんな自分がおぞましく、ぶるりと身震いし――しかし、もはや抗えなかった。「食欲」に。
「少女」は――それに似たカタチをしたものは――、片方の小便器の前で、四つんばいになった。
節水の名のもとに洗浄水の量を抑えられている小便器は、底に黄色い垢のようなものがこびりついていた。
「少女」は、それに顔を近づけて、舌を伸ばす。
その舌は、人間ではあり得ないほど長く伸び、れろりと、便器の垢を舐めとった。
「ん……、あふ……」
息を荒くしながら、何度も何度も丹念に、便器の垢を舐め上げる。
次第に便器は、白い輝きを取り戻していく。
全裸で、公衆トイレに四つんばいになり、便器を舐める「少女」――いや。
その浅ましい姿は、すでに「人外」のものであった。
《垢舐め》と、セーラー服の少女は「それ」を呼んだ。
おかっぱ頭に眼鏡の、その少女こそ、いま便器を舐めている「それ」を《垢舐め》に変えた当人だった。
彼女は、自らを《魔女》と呼んだ。
その言葉が真実であることは、《垢舐め》自身の姿が証明していた。
「はふ……、んく……」
舌を動かし続けながら、《垢舐め》は手を伸ばし、便器の底の目皿を取り除いた。
その下から現れた排水口に、さらに長く伸ばした舌を、差し入れる。
うねうねとのたうちながら、舌は蛇のように、排水管の中へ潜り込んだ。
その内側に溜まった尿石を、舐め取ろうとしているのだ。
尿石――尿中のリン酸塩やカルシウム塩、尿酸などが、空気に触れて変質し、堆積したものである。
配管の内部に付着したそれは、強烈な刺激臭を発する赤茶色の塊になっている。
それが《垢舐め》にとっては、何よりの「ご馳走」だった。人間の食物は受けつけない体なのだ。
【続く】
【垢舐め(5)】
「んふっ……、んふっ……、んふっ……」
舌先ですくい取った尿石を、《垢舐め》は舌を縮めて、口に運ぶ。
そしてまた舌を伸ばし、尿石をすくい取る。
明日以降、この小便器の利用者は、以前より排水の流れがよくなっていることに気づくだろう。
配管の詰まりの元凶となる尿石を、全て《垢舐め》が舐め取ってしまうからだ。
自分が裸でいることも。
公衆トイレの床で四つんばいになっていることも。
口にしているものが、便器に付着した汚物であることも。
自分が「人間」であるならば、そのような行為をするはずがないことも。
全てを意識の外に置き、《垢舐め》は舌を動かし続けた。
やがて――
舌が届く限りは舐めつくし、尿石をすくえなくなって、《垢舐め》は、便器の前を離れた。
「んく……、あふぅ……」
荒い息をして、ぺたりと横座りになる。
もう一つの小便器も、「食欲」をそそる匂いを放っているけれど……
子供の頃、この公園のトイレを、よく利用した。
でも、男の人が使う小便器は、なんだか怖いものに思えて、近づけなかった。それなのに。
いまは、その小便器に舌を這わせて、こびりついた汚物を貪り食らっている。
――どうして、あたし、こんなこと……
こみ上げる感情を抑えられず、
「……ああっ!」
《垢舐め》は声を上げ、両手で顔を覆って、泣き出した。
【続く】
【垢舐め(6)】
「どうしたの?」
声をかけられて、《垢舐め》は、顔を上げた。
セーラー服の少女が――《魔女》が、目の前に立っていた。
「もう、許して!」
《垢舐め》は、叫んだ。
「どうして、こんな……あたしが、あなたに何をしたって言うの!?」
「何もしていないと言いたいの?」
《魔女》は、微笑みながら聞き返す。
「あなたが純粋に無関心でいたなら許せたけど。でも、そうじゃなかったでしょう?」
「あたしは、何も……!」
「俗人のくせに、私に哀れみの目を向けたわ。学校のトイレで、私が便器に顔を押しつけられていたとき」
「…………」
《垢舐め》は目を見張る。唇が、震える。
――あたしが助けなかったから……?
――彼女がイジメられている現場を見たのに、黙って逃げたから、怨んでいるの……?
「あの四人は、調子に乗りすぎたのよ。私が《魔女》だとも知らずにね。莫迦な人たち」
くすくす笑って、《魔女》は言った。
「机に落書きされたって、私には痛くもない。机なんて学校の備品だもの。
教科書を隠されても困らない。中学の勉強はレベルが低すぎて、私には必要ない。
後ろから蹴飛ばされたって、怒りはしないわ。動物がじゃれつくようなものだから。
でも、この私の顔を、俗人どもの排泄物で汚れた便器に押しつけたのは、許せない」
《垢舐め》が舐め上げたばかりの小便器に、視線を向ける。
【続く】
【垢舐め(7)】
「だからお返しに、あの子たちの姿を『便器』に変えて、学校の男子トイレに設置してあげたわ」
《魔女》は、《垢舐め》に微笑みかけた。
「私をイジメる相談以外は、男の子とエッチする話しか、しないような人たちだもの。
毎日、男の子たちのオチンチンを眺めて暮らせて、幸せでしょうね」
「……あたしは、どうして……?」
目を潤ませて、たずねる《垢舐め》に、《魔女》はおどけたように目を丸くする。
「あなたも『便器』のほうがよかったかしら? せっかく美人だから、その面影を残してあげたのに」
「元に戻して!」
《垢舐め》は叫んだ。《魔女》ににじり寄り、その手をつかんで、
「お願いだから! 《魔女》のあなたを尊敬するし、何でも言うことを聞く! だから、人間に戻して……!」
「そうね。姿だけは、戻してあげようかしら」
にっこりと微笑み、《魔女》は言った。
「人間の姿にして、もちろん制服も着せてあげて、私と一緒に学校に通ってもらおうかな」
「それじゃあ……」
希望に表情を輝かせた《垢舐め》に、《魔女》は、笑顔のまま告げる。
「でも、《垢舐め》であることに変わりはないのよ。食事は学校のトイレでしてもらうことになるわ」
「…………、そんな……」
言葉を失う《垢舐め》の頭を、《魔女》は愛しげに撫でた。愛玩動物(ペット)を慈しむように。
「さあ、便器はあと二つ残っているわ。個室のほうもあるからね。おなかいっぱい『食事』してちょうだい」
《垢舐め》は唇を震わせ、《魔女》の顔を見上げていたが――やがて。
全てをあきらめたか、食欲に屈したのか。
再び四つんばいになると、もう一つの小便器を舐め始めた。
【終わり】