「それでですね、そのあと―――」
「ねぇ、灯里ちゃん。もしかして、その人のこと好きになっちゃった?」
「ほ、へ? ……ええっ、と……アリシアさん、そうなんでしょうか……?」
「だって、その人のことを話してる灯里ちゃん、何だか凄く楽しそうなんだもの」
「そ、そうですか……?」
「そんなに恥ずかしがらないでいいのよ。誰かを好きになるのは素敵なことなんだから」
「……はひ。私、もしかすると―――好きなのかもしれません」
―――貴方に、惹かれる私がいます。楽しくて、楽しくて、ずっと、この夢の中にいたい。
「でも、気をつけてね」
「何をですか?」
「誰かに、先を越されないように」
―――また、考えてる。
頭を振って、すぐに思考を切り替えた。
気がつくと、ぼーっとしていたみたいだ。
すぐに切り替え、今まで定まらなかった分を一気に揺れ動く視線は、同じく揺れて映る風景画像を歪んで見せる。
いつ来ても、人の往来が絶えないネオ・ヴェネツィアの中心街。
観光客で賑わうこの場所の中、人通りに紛れるように身を潜めて目を泳がせる。
―――やっぱり、そう簡単には……。
思わず、溜め息を吐く。
作戦を変更して、人混みの流れから1歩身を引き、壁に寄りかかった。今日はよく晴れた日で、人間観察をするにはもってこいだったが、再び目を走らせる。
しかし、目標は依然発見できず、顔を上げる。
そこには、『ため息橋』があった。
牢獄と裁判所を繋ぐ橋は、いつもと変わらない構えでそこにあった。陽光を浴び、小さな窓を着飾っている。
誰が通るかわからない橋は、そこからしか見ることのできないものを見せてくれるはず。そして囚人の誰もがネオ・ヴェネツィアの美しい街並みに、感嘆し、嘆きの溜め息を洩らすという。
そこからしか見られない景色が何をもたらすのかはわからない。今の私もきっと同じ。この行動が何を意味し、何をもたらすのか。
それでも、私にしか見ることのできない―――この先の未来の風景を、見るために。
―――少し、囚人さんの気持ちがわかった気がします。
頭が空っぽになると、別のことが他所からやってきて新しいことをまた考える。それが日常の生活の中で繰り返されること。
なのに、頭には新しいことがなかなかやってこない。ここ数日、いつも同じことばかり考えている自分。
また、溜め息を吐く。『ため息橋』の前で溜め息を吐くなんて、可笑しすぎる。
そうして、空を見上げた瞬間だった。
「あなた、水無灯里さん?」
声を掛けられて、視線を忙しなく戻す。
目の前に、1人のウンディーネが立っていた。見覚えの無い制服だった。長い黒髪が風に靡く。
―――綺麗な人……。
端正な顔立ちに見惚れ、数秒の間が生まれた。そこで彼女に首を傾げられて、ようやく正気を取り戻す。
「は、はひ。そうですけど……」
恐る恐る目を合わせると、容赦の無い瞳が真っ直ぐに、見つめ返してきた。濁りも汚れも知らない、そんな双眸。
「先月の月刊ウンディーネの特集記事、拝見させてもらったわ。インタビュー、噛み噛みだったみたいで」
そこで柔らかく微笑む。
「でも、どうして……?」
「大したことじゃないんだけど、ちょっとね。溜め息なんて吐いて、何か考えごと?」
本当に、大したことじゃないという表れなのか。僅かに躊躇ってから訊いてきた。
「そうなんです……」
こっちも迷いながら、言葉を吐き出す。もう、自分だけでは処理しきれないほどに大きく膨れ上がっていた。
「私で良かったら、聞くけど―――ああ、無理にとは言わないわ。実はこれ、癖みたいなものなのよ……おばあちゃん譲りっていうか」
心一杯に広がって、苦しさが増している。1秒でも早く、楽になりたくて仕方ない。そこに颯爽と、女神が舞い降りたような救われる気分。今なら、
「お気遣い、ありがとうございます。じゃあ、ちょっとだけ―――」
深層に秘めようとしていた想いさえ語り尽くし、夢に浸かれることが出来そうだった。