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543AMARIA -16-
 秋晴れの中、2人並んでサン・マルコ広場を歩く。
「平和だなぁ」
 歩きながら不意にそんな言葉が漏れた。
「何ですか、それ」
 隣の水無さんは、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「いや、なんていうか……ゆったりしている、というか」
 表現に困った。
 辺りを見回しても、皆が思い思いの時間を過ごしているように見えた。時間に追われて、これからを急いでいる人なんて1人も見かけられない。
「そうですね。時間がゆっくり流れているように感じますか?」
「あ、そうかも」
 言いたいことを悟ってくれたのか、上手い表現を見つけてくれた。
 きっと、ゆとりによって、今までの人生で体感していた標準の時間の速度よりも現在が遅いため、違和感―――流れの差異を感じさせているのだろう。
「観光でいらっしゃったお客様は、皆さんそう言っていますよ。だから、火星は時間の流れが遅いのか、なんてしょっちゅう訊かれます」
 もう1度、広場を見回してみた。
 僅かだが、色づいた葉が道に落ち、紅や黄、明るい色彩で広場全体を飾っている。木で彩りの役目を終えた葉は、今度は風に乗って空中で舞い、最後は地面を鮮やかに魅せていた。
 秋の足音が聞こえる。そして、やがては葉が全て落ちきる頃には冬が訪れるのだ。
 地面から目を上げると、翼を持つ獅子の像を見つける。
「そういえば、気になってたんだけど、あの像って何?」
 気がついたのは観光案内をしてもらった時だった。最初見つけた時は、ただの像だと思っていた。風景に溶け込んでいるから絵にはなると思って、写真を撮っていたくらいだ。
 しかし、こうして歩いていると、いくつもの同じ像が配置されていることがわかる。
「あの獅子の像ですか? あれは、旧約聖書に出てくる四頭の有翼動物の内の一頭で、福音史家であるマルコを表したものだと言われています」
 水無さんは、慣れた調子で解説を行う。彼女は、陸でも立派な水先案内人だった。
「実はこの街に多数点在していて、サン・マルコ広場だけでも14頭います。中でも、聖書を開いた獅子の姿は正義の化身と呼ばれ、その地の平和を護っています」
「じゃ、平和なのは、あの像が護ってくれているから、なのかも」
「あー、恥ずかしいセリフ禁止です! ……でも案外、そうなのかもしれませんね」
 叫んだかと思うと、急に穏やかな声になったことで、俺は微妙な変化を感じ取った。
544AMARIA -17-:2006/03/22(水) 02:27:06 ID:CVEuE/iu
「どうして?」
 広場の和やかな空気は相変わらずなのに、顔が自然と引き締まる。
「誰かが、護ってくれているからこの場所はこうして平和なんですよ、きっと。そして、―――このネオ・ヴェネツィアも、過去の誰かの犠牲があるからこうして今は平和なのかもしれません」
「犠牲?」
 この美しい街には似つかわしくない重い響きが感じられた。話す水無さんの顔にも、慎重さが見えてくる。
「『水の妖精』という歌劇を知ってますか?」
 いや、と首を横に振る。すると、水無さんはゆっくりとその内容を簡単に話してくれた。
 それはまだ地球でヴェネツィアが存在していた頃の話。
 1人の少女がいた。彼女は、水に侵されていく自分の大好きな街を護ろうとした。
 けれど、その願いは叶わずに終わる。
 歌劇では、最後に彼女の犠牲によって街は水没から免れて終わるのだが、現実はどうか。
「でも、街は再び生まれました。ここ、火星で」
 火星という新天地で、水の都は蘇った。
「だから、彼女の犠牲があって、地球と火星という場所は違うけれど、よく似た景色や懐かしい思い出を壊したくない―――悲しむ誰かを見たくない
―――再びそんな悲劇を起こさないように、好きだった街を護りたいという彼女の願いのお陰で、このネオ・ヴェネツィアは今もまだ平和を護られているんじゃないでしょうか……。私は、そんな気がしたんです」
 実際、毎年アクア・アルタが繰り返されても、150年以上もこの街は新たな水の都として未だに美しい姿を保っている。
 今は無き、水の街がここには在る。復元されたのは、街並みだけではない。イタリアやヴェネツィアの習慣も文化も受け継がれ、何よりもこの街を愛する人々の想いは永く受け継がれている。
「犠牲、ですか」
 全ての人が自分の思い通りに幸せになれないのと同じように、誰かの犠牲の上に成り立つ幸せが少なからず、ある。
 大義が大きければ大きいほど、成立するために生じるその犠牲は、増える。大義が世間に大きな影響を与えるものであれば、尊く、美しいと、賛美と称賛を受けるのだろう。
 無論、与えるものも意義も全てが真逆ならば、そこに在るのは1人が認める正義であっても、大衆の許さざる悪へと挿げ替えられてしまうのだ。
 犠牲は、深く、人の根本へと訴えかける。それ故、正義と意義が合致しないものであると、意味を成すことは無い。
「俺も―――そんな気がしますよ」
 虚構でも良い。ただ、想うだけでも、想うだけで彼女はそこにいて、もしかすると街を護っているのかもしれないのだ。
 なら、信じていたい。誰にも理解されず、報われない努力や健闘は悲しい。それらは僅かでも称えられることで、意味を成すのだから。
545AMARIA -18-:2006/03/22(水) 03:24:51 ID:CVEuE/iu
「熱いので気をつけてくださいね」
 差し出されたじゃがバターは、出来立てなのか空中に湯気を燻らせていた。それが何とも言えず、食欲を湧かせる。
「へぇ〜……」
 俺は受け取ったじゃがバターをまじまじと見つめた。
 ほくほくのじゃがいもの上に、バターがとろりと溶けている。今となっては地球では滅多に食べることの出来ない手作りの味だ。
「ふーっ……はふ、はふ」
 隣では、実に美味そうに水無さんがじゃがバターを頬張っていた。それを見ていると、何だかそれだけで満足してしまいそうだ。
「な、なんですかぁ……?」
 顔や口の周りに何かついているとでも思ったのか、必死にそこら中を触ったり、拭ってみたりする。
「いや、美味しそうに食べてるなって」
「だって、本当に美味しいんですよ。ここのじゃがバター」
 そう言われて、一口食べてみる。
「あ、美味い」
 素直に美味しかった。地球では売っていないこの味が、火星での新鮮な体験になった。
 写真を撮ることも忘れて、食べるのに夢中になってしまい、あとから食べ始めた俺の方が水無さんよりも早く食べ終わってしまった。仕方なく、食べてる彼女を撮ることにした。
「ええぇーっ、またですか〜?」
 口では、そんなことを言っているが、カメラの前では笑顔でしっかりとじゃがいもを箸で掴んでくれている。
「撮りますよー。ハイ、ジャンプ」
 今度は流石のウンディーネさんも困ったような顔で笑ってくれた。やっぱり、ハイジャックの方が良かったか?
 休憩を挟んで、俺の行きたいところ、ということで劇場へと案内をお願いした。
 途中、小道から広場へ。橋を渡って運河へ。見たことも無い景色が、幾重にも折り重なる風景。同じ街なのに、ひとつ小道へ入り込むだけで光と陰の具合で世界が変貌する。
 話によれば、この街には無数に入り組んだ水路と同じくらい、小道が存在しているらしい。
 誰も歩かないような暗い道や、小さくても人々の賑わいを見せる広場。そんなこの街特有の風景を幾つも経て、目的地を目指す。
 迷宮に迷い込んだと思ってしまうほど、複雑な地形。初めての土地でも迷わず帰れる、というのが特技の1つでもあったのだが、その自信は儚くも散った。
 対照的に、ウンディーネさんはいつまでも明るく、俺を先導してくれる。話は絶えることなく、軽快な足取りと同じくどんどんと進んでいった。
 やがて、目的地だったことも忘れかけた頃、無事にヴァローレ劇場へと辿り着いた。
 外観は、流石に劇場ってだけあって綺麗だった。
 石造りの重厚な劇場。歴史の重みを感じさせるような豪華な造りは、神殿や教会を髣髴させる。
 目の前に、いくつもの感動を生み出してきたその功績を誇るように、古城がそびえ立っていた。