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138只今遠距離恋愛中
毎週金曜日は、鼎優治(かなえゆうじ)が心待ちにしていた日だ。夜になると、遠距離恋愛中の5つ年上の彼女、松永薫子がやって来るからだ。
その週の仕事が終ると、彼女は転勤先から、大学に通うために優治が一人暮しているアパートまで、車をかっとばして来る。そして優治は二人分の夕食の用意をして待つ。
彼女は職場では仕事ができる女で通っている。しかし……

それはまだ、優治が高校生の頃だった。
とある土曜の昼、下校途中の優治が近所の公園を通りかかった時だった。ベンチ前にスーツ姿の若い女の人が倒れていた。化粧っ気のない顔には細く弧を描く眉、肩にかかる長い髪も染めもパーマもない、黒いストレートだ。
「あの、大丈夫ですか?」
心配になって声をかけると、彼女は大きめの目を半開きにして一言、
「……おなか……、すいた……」
それが二人の出会いだった。ロマンもへったくれもありはしない。
なんとか起こしてベンチに座らせると、慌てて近くのコンビニでレトルトのお粥――空腹で荒れた胃を考えての事だ――と惣菜を買ってくる。優治がコンビニでチンしたそれを、彼女は猛然と食べだした。
途中での追加分も含めて五杯分のご飯とそれに見合うおかずを平らげて、やっと彼女の腹の虫は治まった。
ようやく人心地ついた彼女は、行き倒れの訳を説明した。曰く、仕事が忙しくてしばらくは会社に泊り込みで、ロクにご飯も食べてない、と。
なんとか歩けるようになりはしたものの、ふらつく彼女が心配で、優治は彼女――松永薫子と名乗った――を送って行った。いやまあ、下心がないと言えば嘘になるが。
公園からすぐの彼女のアパート――部屋2つに台所とユニットバス――は、一言で言えばゴミ溜めだった。
床一面覆う、食いかけのスナック菓子や飲みかけのペットボトルと、脱ぎ散らかした服。台所には洗ってない皿や茶碗と、レトルト食品の空容器――双方とも腐臭を漂わせている――が山積みとなり。いたる所に埃が積り、万年床の煎餅布団はジメッと湿ってしていた。
「あの〜、松永さん。本当にここに住んでいるんですか?」
念の為確認した。いや、表札は「松永薫子」だし、彼女の鍵でドアは開いた――ぐったりしている薫子に代わって開けたのは優治だ――し、彼女の部屋だと言うことは間違いないが。
「うん〜。そうだよぉ」
彼女は、気だるそうに答えて、ゴミの隙間を器用に歩きながら部屋に入る。
「折角来たんだから、入りなよ」
いくらなんでも、それは無防備では? というか、女として人として、こんな部屋に初対面の男――いくら少年とはいえ――を入れるのに抵抗はないんだろうか?
「あ、その辺のゴミをどけて適当に……、あ、いいや、布団の上に座ってていいよ」
そう言いつつ、家主は先に布団の上にドカッと座る。ちなみに胡座だ。ミニではなくともスカート姿の女性がやるべきではないような……。
辺りを見れば、下着もそのまんま放置してある。優治はあわててそれから目を逸らす。
「あの、今日は散らかってるようなので、失礼します」
「ん〜。別に〜。いっつもこんな感じだよ?」
恐ろしい事を、さらっと言う。
優治の家は両親が共働きだったので、幸いな事に小さい頃から家事一般が得意で、そして困ったことに、人並み以上の親切心を持ち合わせていた。
会って間もない相手の部屋を、いきなり掃除をする非礼は承知していたが、この部屋はそんな礼儀なんぞは超越した場所だ。
彼は部屋の片付けを提案し、彼女は二つ返事で承諾した。眠いので手伝えない、という条件付で。
かくして、夕暮れまでには床を埋め尽くすゴミとレトルトの空容器は分別されてゴミ袋に詰められ、茶碗は綺麗に洗われ、衣類は洗濯されて干され、積もった埃は一層された。
ちなみにその間、彼女は着替えもせずにそのままの格好で寝ていた。
他人に部屋の片付けをさせて平気で眠る図太さ故か、彼女は掃除機の音すらものともせずに、眠り続けてたりする。
139只今遠距離恋愛中:2006/03/12(日) 00:06:57 ID:7p8HluiV
日暮れが近づいてから、ようやく薫子は目を覚まして開口一番、
「あれ? ……ここどこ?」
キョロキョロと見まわすが、すぐにはそこが自分の部屋だとは理解できなかったようだった。
「うっわーっ。ここ、ホントにあたしの部屋ぁ? 嘘みたい」
感心して、部屋を一通り見てまわる。ユニットバスもトイレもすっかり綺麗になっていたりする。
「うーん。こりゃすごい……、まるで別の部屋みたい……」
と、台所にある湯気を立てている鍋釜に気付く。
「あ、お口に合うかどうか判りませんが、とりあえず夕食作っておきました」
「うっわぁ。ありがとぉ」
鍋の蓋をとり、
「あ、肉じゃがね。好物なんだぁ〜。あれ? 材料ってどしたの?」
冷蔵庫には、すでに食物の残骸と化したものしか残ってなかったはずだ。
「オレが買ってきました」
「お金は?」
「オレが出しましたけど」
「え、それじゃ悪いよ。ちょっと待ってて」
部屋に戻ると、座卓の上に置いてあったバッグから財布を取り出し、一万円を取り出す。
「はい、材料費。おつりは掃除代って事で」
「え、いいですよ。オレ、別にそんなつもりじゃ……」
「こーら。大人に対してそんな遠慮はしない。キミはそれだけのことをしたんだから」
そう、諭すように万札を握らせる。
「あと、一緒にご飯食べていってよ」
「え、でも……」
「ね、お願い。一人じゃ寂しいからさぁ」
年上の綺麗なお姉さんにそう言われたら、悪い気はしない。そうして一緒に食卓を囲みながら、話題は自然に互いの事になる。
優治は近くに住む高校生で、両親が共働きで小さい頃から家事をしていた事を話した。
薫子は高卒後一人暮しを始めたOLで、雑貨を扱う小さな商社に勤めていた。小さい会社なので職種が分かれきっておらず、彼女は営業から在庫管理、仕入れ先の選定まで一通りこなしていた。
その結果として仕事が忙しくなり、元々家事が苦手なのもあって、こんな惨状は珍しくないそうだ。
「ね、アルバイト代わりに、時々家事をしてくれないかな?」
彼女はそう提案した。
このまま彼女を放っておいたら、そのうち病気になりかねない。かくして彼は、その親切心から週に一二回、彼女の様子を見に来て一緒に夕食を摂る事になった。
そうして、二人の交際が始まった。

優治が薫子のもう一つの面、有能なOLとしての面を見るのは付き合ってから暫くたってからだった。
少し遠出して買物に出かけた彼が、偶然街中で薫子と出会ったのだ。
「あら、ユージ」
同僚の女性と一緒にいた薫子は、普段とは違って髪をきちんとセットし、化粧もして表情も凛々しく、いかにも年上の女性に見えた。普段家にいる時ははだらしなく、全然そうは見えないのだが。
「あ、薫子サン」
「え? ひょっとして、この子が噂の彼? 家事万能で薫子の生命線の」
事情を聞いているらしい彼女の同僚が、好奇心に目を輝かせる。
優治は喫茶店に入って少し薫子らと話をした。もっぱら同僚の質問攻めだったが。
その間の薫子の態度は、外見どおりハキハキとしゃべり、キリッとした大人のものだった。
「ねえ、薫子って一部の隙もないキャリアウーマンみたいな感じだけど、家でもそうなの?」
かなり親しげな同僚も、家での彼女の姿は知らないらしい。ということは優治は恐らく、彼女が気を抜いて甘えられる、数少ない相手の一人ということだ。優治は適当に誤魔化して答えつつ、それに気付いた。
以来、二人の関係は現在まで続く。
途中、薫子は転勤で街を離れる事があったが、二人の関係はそのまま遠距離恋愛となった。彼女がしょっちゅう車で優治を迎えに来てはデートをし、また――相変らず――家事をやってもらったりした。
やがて優治が地元ではない大学に受かり、一人暮しをするようになると、今度は薫子が彼の元へ通うようになった。金曜の夜に来て土日を共に過ごし、日曜の夕方に帰るのだ。
優治の家に行くからといって、普通の遠距離恋愛の交際になったわけではない。相変らず家事が苦手な薫子は、来る時に1週間分の洗濯物を持ち、帰りに洗ってもらった洗濯物とタッパーに詰めた料理を持ち返るのである。
140只今遠距離恋愛中:2006/03/12(日) 00:10:12 ID:7p8HluiV
そうして今、彼女がやって来る時間になったのだ。
大抵9時を過ぎていて夕食には遅いのだが、優治は軽く腹に入れて薫子を待ち、一緒に夕食をすごすことにしていた。
しかし今日はやけに遅い。ぼんやりとTVのバラエティー番組を眺めながら、優治はそう思った。
薫子は毎週金曜は7時までに仕事を切り上げ、その後車をかっとばす事2時間。いつもは9時、遅くても10時には着くのだが、もうそろそろ11時だ。遅れる時はいつも、9時頃には電話があるはずだが……。
そうして待つことしばし、やがて向かいのパーキングに車が停まる音がした。あの乱暴な車の停め方は聞きなれた薫子のものだ。
やがてドアのチャイムが鳴り、続いてガチャガチャと鍵を開ける音。
「たっだいまぁ」
いつもの脱力したような、優治への甘えが篭った声とともに、薫子が入って来た。彼女は「今晩は」ではなく「ただいま」という。
「ユージ、遅くなってごめぇん」
入ってくるなり、薫子は手を合わせて謝る。
「あ、気にしないでよ。お疲れ様、薫子さん。ちょっと待っててね。今、ご飯温めなおすから」
そういう優治に、
「あ、いいのいいの。……実は済ませてきたから」
と薫子。
優治としては、ちょっと不満である。薫子さんが、彼の料理をいつも美味しそうに――というかまともな食事をしないための半ば飢餓状態で――食べてくれるるのが、楽しみだったのに。
「じつはさ、ちょっと急な用事ができて、朝までにこっちを出て戻らなきゃならないのよ」
薫子は、優治に手を合わせる。そういう理由ならしかたない。
「別に怒ってないですよ。薫子サン」
「ありがと。ほんと、家事が苦手なあたしが、今まで病気らしい病気もせずに、健康に過ごせたのは、ユージのおかげだから。いっつも感謝ているわ」
改まってそう言われると、ちょっと恥ずい。照れ隠しに話題を逸らす。
「でも、そりゃ随分忙しいじゃないか。なら、いっその事、今日はそのまま向こうにいれば良かったのに」
今までに何度か、仕事が忙しくて金曜に来れずに土曜に来た事もある。
「だってぇ。折角の金曜でしょ? どうしてもユージといたいから、こっちに戻って来たんだもん」
年上という事を、つい忘れそうになる甘えっぷりでそう答え、薫子は身体を摺り寄せてくる。
「な、何ですか? 薫子サン」
「ね、しよ? ユージ」
薫子さんはたまにこういう積極的なことがある。ストレスが溜まっているとか、生理周期の影響とか、TVとかで恋愛映画を見たとか。
それにしても、今日のは積極的というか性急な気がする。いつもは夕食を食べて、少しのんびりして、多少のアルコールが入ってから切り出すのに。
「じゃあ、シャワー浴びてくるから……」
「そんな事より、今すぐしようよ」
本気で性急だ。こんな事は初めてだ。
「戻る前に、ね?」
惚れた女(ひと)から、寸暇を惜しんで求められるってのは男妙に尽きるわけだが……。そう思っていると、そのまま体重をかけられて、一気に押し倒される。
「かか、薫子さん……」
薫子は年上で、優治の初体験の相手で、いろいろと手ほどきをしてくれた相手だ。大抵は彼女にリードされる事になるのだが、こう強引なのも珍しい。
「ね、いいでしょ。ユージ。遠く離れた所にいたわけなんだしさ」
年上とは思えないくらい、可愛らしくねだってくる。
優治もこの1周間、毎日メールをやりとりし、薫子に逢いたい気持ちを高まらせてきたのだ。いやなわけはない。
そして、二人は肌を交えた。今日は、いつにもまして激しく濃厚だった。
普段よりも積極的にリードして、優治の身体を優しく情熱的に愛撫する。そしてゴムもつけず――安全日だとか――に優治を受け入れ、激しく喘ぎ、よがり、さらにはいつもはあまりやらないようなプレイすらした。
薫子は何度も何度も優治を求め、果てるとシャワーを浴びて一休みした後、さらに求めてくる。
その間、薫子は何度も「ユージ、大好き。愛してる」と繰り返し語りかける。優治も「オレも……、オレも愛してるよ。薫子サン……」と答え、口付けを交わす。
優治がいつしか記憶も定かでなくなり、ぐったりと疲れた頃、ようやく薫子は優治を開放してくれた。
「ユージ、大好き」そう薫子が呟くのを聞きながら、優治の意識は闇に沈んでいった。
141只今遠距離恋愛中:2006/03/12(日) 00:12:47 ID:7p8HluiV
気がつくと朝だった。すでに日は高い。電話のベルが、うるさく鳴っている。
布団の隣に、薫子さんの姿はない。浴室にも気配はない。見れば、卓袱台の上の昨日の夕食にも手をつけていない。
いつもの薫子なら、どんなに急いでいても優治の料理を食べるチャンスを逃がすはずはないのに、これは珍しい。
あいかわらす、電話は鳴り続けている。優治は、これ以上相手を待たせるのも失礼だし、薫子さんがいないならということで、パンツも履かずに電話に出た。
相手は警察だった。
薫子さんの乗った車が事故に遭い、彼女は運ばれた先の病院で息を引き取った、ということだった。
何度も確認したが、それは疑い様のない事実だった。持ち物にあった連絡先に、優治の電話番号があったというのだ。
ガツンと殴られたような衝撃を受け、目の前が真っ暗になり電話の声が急に遠のいた。気がつくと、とっくに電話の着れた受話器を持ったまま、呆然とその場に座りこんでいた。
涙が止めどもなく流れ、泣きじゃくり、嗚咽を漏らした。
最愛の人を、最も親しい人を、総てを許せる人を、自らの半身にも等しい人を、永遠に失ってしまった。二度とあの笑顔を、声を、温もりを、心を感じることができなくなってしまった。
そのまま崩れてしまいそうな優治の心を、その奥底で、確かな、温かい、しっかりとしたものが支えていた。
それは決して揺るがぬ、なにものにも勝る、強く確かな彼女の愛。
なぜなら、警察の伝えた薫子の死亡時刻は昨夜の11時前。彼女は、それでも優治のところにやって来てくれたのだ。

そう、それは十万億土の彼方からの、究極の遠距離恋愛。

<了>