じゅぷ……じゅぷ……じゅぷ……じゅぷ……。
地平線の彼方まで続く腐肉と蛆虫の海を、ハートをあしらった魔法のバトンを杖代わりに進む2人の少女がい
た。半袖のセーラー服に同色のスカーフ、ミニスカート、ロングブーツという格好で、それぞれ鮮やかな薔薇色と
桃色である。薔薇色の少女にはネコ、桃色の少女にはウサギの耳と尻尾が生えていて、胸には自分のカラーと
同色の鮮やかなリボンの華が咲いていた。腐肉と蛆虫の海にはミスマッチというか場違いである。
彼女たちは魔法少女ビブリオン、薔薇色の少女がのどか=ビブリオレッドローズ、桃色の少女が夕映=ビブリ
オピンクチューリップ、世界の危機を救うため、悪と戦う可憐なる魔法使いになった2人の少女。
しかし―――敗北した。
<黒の導>に敗れた2人の魔法少女は囚われ、そして力を封じられた。
ここは<黒の導>の「絶対空間防御」の内側の世界。地球数十個分の体積を持つ、悪夢と悪意で満ちた世界
に放り込まれたビブリオレッドローズとビブリオピンクチューリップは、どこかに元の世界に戻れる出口があるこ
とを信じ、それを求めて歩き始めた。しかし、その世界は余りに過酷で、地獄そのものだった。
前に進もうとする意思を挫こうとする世界、希望を絶望に塗り変えてしまう世界、それがこの世界の本質。
人間の負の感情を食らう、<黒の導>の世界。
決して「表」にしてはならない「裏」の世界。
侵蝕に対して抵抗力があるビブリオンの夕映やのどかでも、心が絶望で満ちてしまえばその瞬間、心の全て
を<黒の導>に食い尽くされてしまうだろう。そして、それはもう時間の問題だった。
この世界に入れられた彼女たちは、生きながらにして処刑されている最中なのだ
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
「はあ、はあ、はあ……のどか、少しだけ、待ってくださいです……」
夕映はぐったりと魔法のバトンに体重を預け、約10メートル前を行くのどかに、息の絶え絶えにそう訴えた。
口元には何回もの嘔吐の跡が残っており、汗が顎からぽたぽたと下に落ちている。
「ゆえー、大丈夫? こ、こっちまで来れそう?」
消耗が激しい相棒を気遣うのどかの声も既に力はなく、彼女の顔にも疲弊の色がありありと浮かび上がって
いる。顔色だけ見れば彼女も、今にも倒れそうな雰囲気である。しかし、夕映よりは元気だった。
彼女たちは魔法を封じられた状態で何キロメートルも、この地獄の如き腐肉と蛆虫の海を進み続けているの
だった。彼女たちも元はただの中学生、魔法が封じられれば戦う術などなく、体力も心も子供である。
一歩前に進むたびに足元から、肉が溶け崩れた腐汁と肉から染み出してきた膿汁が噴き出し、腐肉の塊が足
に食い付いているような激しい抵抗を受ける。腐肉はブーツに粘り付いて離そうとせず、何層にも纏わり付いて
足を鉛のように重くしていく。
それに加えて、呼吸するたびに鼻孔に流れ込んでくる腐肉の臭気、嫌でも目に飛び込んでくる無数に蠢く蛆
虫、肌を焦がすような高温の空気、腐肉への嫌悪感と汚辱感、切実な飢えと乾き、そして何より、進んでも進ん
でも全く変わらない景色―――それは少しずつ確実にビブリオンの心と体を苛んでいた。
「……やはり、この世界には、出口なんてないんです……私たちは……もう……ここから……」
夕映がぽつりと言った言葉に、のどかは殴られたような衝撃を受ける。
「まだ出口がないって決まったわけじゃないよ」
腐肉の海と蛆虫の大群の世界は、地平線の彼方まで続いている。
のどかをこれまで引っ張ってきてくれた夕映は、あまりに絶望的な状況に押し潰されかけていた。このままで
は敵の思惑通りに、この悪夢の世界に呑み込まれてしまう。
「まだできることがあるのに、諦めちゃだめ……ゆえっ! 足元!」
夕映の、ピンクのミニスカートからすらりと伸びている足に蛆虫が、白い山のように集まっていた。
夕映の生肉を求めているのか、それとも腐臭で満ちたこの世界で夕映の甘い香りに誘われたのか。腐汁で汚
れたピンクのブーツに寄り付いた蛆虫は、夕映の足をよじ登り始めて太ももに達する。
「ああ、イヤです! 私は……やめて………! あああっ!」
蛆虫の白い群は力尽きかけた魔法少女の周囲でうねり、夕映の小さい身体を覆い尽くさんばかりに数を増し
ながら、猛スピードでよじ登り始める。蛆虫の山は夕映の下半身を埋めるほどの大きさになり、コンクリートで固
められたように足が動かなくなった。夕映からパニックめいた悲鳴が上がる。
「のどか、助けてください……ああっ! いやですっ! やめて、やめてです!」
「ゆ、ゆえー、今助けに行くからっ!」
今は鈍器としてしか使えない魔法のバトンを持って、のどかは夕映を救うべく、じゅぷ、じゅぷ、と重い腐肉を
掻き分ける。しかし蛆虫の山は夕映を捕えたまま移動していき、距離が詰められない。
夕映の太ももの内側を蛆虫たちが這いずり、股間に冷たい腐汁と膿の感触が広がる。蛆虫たちは次々と侵入
を開始し、陰毛と絡み合いながら性器と股布の隙間にみっちりと詰まっていく。
「ああっ、こ、こんな……! けっ、汚らわしい……! 虫なんかに……は、あっ!」
膨らんだ股間に蟲が犇めき合い、おぞましい触感が性感帯を刺激して、尊厳を否定される甘い電流が走る。
「うっ……ふうっつ!」
ぞくっ、ぞくっ、と、刺激感じるたびに夕映は、人間としての自分が否定される気がする。
「はああっ……イヤ……違うです……こんなの……こんなのっ!」
下半身の奥に少しずつ溜まる汚辱の官能に、疲弊した肉体は悲鳴を上げながら喜び、上からは悲鳴の涙が、
下からは歓喜の愛液が分泌されてしまう。
「あ……はああっ! 入ってくる……そ、それだけは……!」
くにゅ、ぐにゅ、ぎちゅ、くちゅ、と粘膜を擦る甘い刺激が、内側に侵入しようとしている。
「のどかっ、のどか―――っ! あああっ!」
必死に手で蛆虫を振り払う夕映の背後から、しゅるしゅると2本の触手が伸びてくる。腐肉が付着した人間の
筋肉繊維で編まれたロープが夕映の両腕に巻き付いて、磔にされた基督のポーズに固定する。
筋肉繊維のロープの先は腐肉の海から出現した、目玉と口だらけの肉塊に繋がっていた。蛆虫塗れの肉山
の表面からはぼこぼこと沸騰するように大小様様な眼球が浮かび上がり、表面が裂けて生まれた口からは濁っ
た腐汁と奇形の舌がはみ出し、喉奥から目玉だらけの肉塊が込み上げて埋まり、別の場所が新たな口になる。
2つの肉塊は左右から、じり、じり、と夕映をサンドイッチにするように近づいていた。
「いやあああああああああっ!」
疲弊した身体を必死に捩って、何とか拘束を解こうとする夕映だが、手足は完全に固められていた。ビブリオ
ンに変身した状態なら簡単に引き千切れる触手も、本来の少女の力しかなくてはびくともしない。足を生め尽くし
た蛆虫の山は数をさらに増している。悪夢としか思えない光景に、夕映は錯乱めいた悲鳴を上げた。
「ゆえっ! ゆえーっ!」
磔にされたもう夕映、ビブリオピンクチューリップの姿は、処刑台にかけられた罪人の姿を思わせる。
必死に腐肉を掻き分けて進むのどかだったが、なぜか―――進んでも進んでも夕映に近づくことができない。
「私の世界は楽しんでもらえたかしら。ねえ、魔法少女ビブリオン―――?」
進んでも進んでも近づけない―――それは、そいつが最も得意とする、空間魔法。
ヨーロッパの巨大宗教団体が作った、禍そのものの顕現。
「くっ……<黒の導>!」
のどかは忌まわしげに巨大な敵の名を叫ぶと、目の前に本体ではない、幻の映像が現れる。
現れたのはエメラルドグリーンの髪をした少女で、顔は美人でもなく普通。純白のドレスを優雅に纏い、ガラス
の靴を履いていた。手には本体である無地の黒い本を持っていて、もう片手には1人の少年を抱いている。
彼女こそ今の<黒の導>―――前の適合者が滅んだ後に生まれ変わった、最後にして最高の適合者。
「夏美……! それに……ネギ先生……!?」
「そう呼ばれていた時もあったかしらね。何もできない愚図な女だった、あの頃、ね―――」
村上夏美はうっとりとして、のどか、そして夕映を嘲った。
「でも、私はもう昔とは違う。もう誰も私をバカにできない」
夏美はにやりと笑って足元を見る。
後ろを向いているので顔は見えないが、ネコの耳が生えた人間の首が転がっていた。
状況からして、夏美に殺されたのか。
「ちづね……前の<黒の導>の肉体が滅び、ついに終わりの鐘が鳴り響いた時に、私は変わった。惨めで無惨
な灰かぶり姫は、<導>の最高の適合者というシンデレラになって、そう、灰かぶり姫の復讐を遂行するの」
夏美の顔が邪悪に歪み、のどかを、そして拘束された夕映をじっと見据える。
そして、のどかを見たまま動かないネギを抱き寄せ、その唇を一気に奪った。
「―――!」
絶句するのどか。
「哀れねえ―――力も、友も、そして愛まで奪われて、貴女にはもう、何もないのよ。ビブリオレッドローズ、いい
え、宮崎のどか。貴女はそれでも、まだ戦おうというのかしら?」
「―――ねえ、本屋ちゃん?」
「………………!」
のどかの顔を見た夏美は満足げに微笑むと、静静と、最後の始まりを告げる言葉を吐き出した。
「さあ、終わりを始めましょう。最早永久に語られることなき数多の悲劇の、最後の1ページをね」
のどかの周りの腐肉がごぼごぼと動き出し、一斉に盛り上がり異形の怪物になり始める。
「ここは私の思い通りの世界。貴女たちの想うネギ先生の前で、心も肉体も汚濁に塗れ枯れ果てるがいい。そして」
夏美はにっこりと、あどけなく、純粋に、涎を垂らした口をぱっくりと開いた。
「ビブリオン、貴女たちの絶望を、食べさせてちょうだい―――」
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…………………