動乱の世界エルハザード
第1話『軍靴の響き、衣擦れの音』
プロローグ
ここはエルハザード。
神秘と冒険の世界。
その広大無辺の大地を貫く悠久の《聖大河》。
世界を人類領域と異種族バグロムの領域に分つ自然の障壁。
そのほとり、人類側の一隅にその国はある。
ガナン公国。
人類世界の中心からもっとも遠ざかった辺境国家群の一つ。
エルハザード人類領域の対バグロム最前線。
全エルハザードをゆるがせた先の《大戦》においては、彼ら昆虫族の軍勢に占領された経験も持つ。
《大戦》集結とともに解放されてより、まもなく一年。
物語はこの国、この時より始まる。
「誰か!誰かある!?これは謀反ぞ!!!」
ガナン王宮大広間、《翠の間》。
その閑散とした空間に、絶叫にも似た男の叫びが響き渡った。
だがそれは、「ロシュタリア様式」と呼ばれる広大なアーチ型の天井に虚しく吸い込まれただけだった。
現ガナン王アルグ・サーイード・ガナンは、今まさにその地位を追われんとしていた。
兄の後を継いで王の冠を頭上に頂いてから、まだ二年を経ていない。
彼を玉座から引き摺り下ろした反逆者達は、彼が制定したロシュタリア式の軍装ではなく、それ以前の伝統的ガナン式軍装に身を包んでいた。
皆一様に若い。そして全員がガナン人――この国の人間である。
一方彼らに取り囲まれているアルグはロシュタリア人――この国の人間ではない。
「衛兵!衛兵はどうした!?」
冷たく光る無数の剣先を突きつけられながら、アルグは辺りかまわず喚き散らした。
が、ロシュタリア出身の王の身辺を絶えず警護しているはずのカシュク人衛兵は一人として駆けつけてこない。
「陛下、どうかお静かに」
反乱兵の輪の中から、指揮官と思われる将校が二人、囲みを割って姿を現わした。
彼らもまた若い。二十代半ばといったところであろう。
「いくら叫んでも無駄です」
二人のうち、細い目の男がうっすらした唇を開いた。口の端が微妙に歪められている。
「きッ貴様は……ッッ……!」
アルグは絨毯の端を握り締めて男を凝視した。その目に狼狽の色が混じる。
「レギンです、陛下。ご自分で兵卒にまで降格しておきながら、もうお忘れで?」
男の口振りには、王に対する敬意などといったものは微塵としてない。
「きッ貴様ッ!たかがガナン出の下級貴族の分際で王に刃を向けるなどッ!無礼であろう!」
アルグは必死に虚勢を張る。
が、レギンはそれを見透かしたかのように鼻の先でせせら笑った。
「そうそう、それですよ。あなたのそのガナンとガナン人を蔑む態度がいい加減腹に据えかねたのですよ」
レギンは広間を見回して、うんざりと言った顔をした。
もとは《燭台の間》と言う名であったそこは、アルグの命によりロシュタリア様式に改装され、名称も《翠の間》へと変更されていた。
そのために費やされた費用、労力は莫大なものである。その皺寄せは軍事費にも波及し、ガナンは隣国に領土の一部を奪われるまでに至った。
だが、アルグのこのロシュタリア文化に傾倒した政策には、それ以上の耐え難い何かを、この国の多くの人間は感じていた。
「同じロシュタリア人でも、前の王――貴方の兄君はもう少し理解のあるお方でした」
「貴様は!」
アルグはもう一人の反乱将校を睨み付けた。
レギンや他の兵卒達とは違う、貴公子然とした雰囲気を身に纏った美男である。
「貴様は知っておるぞ!ヌーイン家のラマールであろう!」
ヌーイン家はガナンでも有数の名家である。が、自身の出身であるロシュタリア人ばかりを重用し、ガナン貴族を宮廷より締め出したアルグの治世にあっては、例外ではいられなかった。
ヌーイン家の青年頭首は、無言で足元の中年男をじっと見下ろしている。
「貴様かッ!此度のことは貴様が企ておったのかッ!?」
「いえ、この度決起するに当たりまして、我らは外部より指導者をお招きした次第で」
黙したままのラマールに代わって、レギンが答えた。
その時、広間へと続く廊下の奥より、甲高い靴音が複数鳴り響いてきた。短い音の間隔はきびきびとした足早の歩調を示している。
反乱兵が突入した際に開け放たれたままの大扉をくぐって、二人の男が入ってきた。
一人はレギンやラマールと同じ将校服を身につけた長身の男。
右目を覆う眼帯と、左頬に走る深い縦傷が、無骨で剛直な印象を更に強めている。だが顔の作りそのものは悪くない。年齢は同僚達とさほど変わらないようだ。
傍に付き従っているのは副官らしい。上官より体躯は一回り小柄だが、年齢は二回りは上と思われる。揃って全身から、張り詰めた武人の空気を発散している。
「オットー、首尾は?」
レギンに問われ、アイパッチの男オットーは黙って頷いた。
「そうか、ではじきにこられるんだな」
それに応えるかのように、再度廊下の奥から靴音が響いてきた。
今度のものは一段と高く、ゆっくりとしている。
オットーは居並ぶ兵士達を顧み、すっと腕を横に振る。それを受けて副官が大声で号令を発した。
「整列!」
すぐさま兵士達は左右に展開し、二列に向かい合う。
できたての列の最奥に、影が浮かび上がった。
細身で中背の、まだかなり若いと思われる男の姿がそこにあった。簡素な衣服に身を固め、黒々とした髪は、正確に七・三に分けられている。
オットーが手を上げると、副官が再度引き締まった声を張り上げる。
「我らが指導者殿に敬礼!」
それに従い兵士達は一斉に右腕を斜め前方に伸ばし、踵を合わせる。鉄板の入った踵が合う、小気味の良い音が天井に反響する。
男は金縁の肩章で留められたマントを颯爽となびかせつつ、兵の列の間を通過して行く。
まるで気負った風はない。尋常でない雰囲気を帯びた鋭い目付きで前方を見据え、口元には不敵な笑みさえ浮かべている。
兵達は直立不動のまま男を見送る。
レギン、ラマール、オットー、三人の反乱将校達も男に向けて敬礼を送る。
彼らは、この男がこの国の人間ではない、否、この世界の人間ですらないことは承知していた。あまつさえこの男がかつて敵であったことも。
それを知りつつ、いや、それを知ればこそ、この男を指導者として迎え入れたのだ。
それほどまでに、この男が所有する強大な軍事力、情報、そして類希なる才能は魅力的であった。
男の出身は「地球」と言う。
その世界にいた頃から愛着している県立東雲高校男子用ブレザー制服の胸元には、「大バグロム帝国大元帥」を示す十字章が鈍い光沢を放っている。
その脇に輝く「ムシペール勲章」は、彼が《大戦》劈頭にこの国を占領した功によって、バグロムの女王ディーバから授与されたものだ。
男は床に這いつくばるこの国の王に一瞥をくれると、兵の列を振り返り、高々と手を掲げた。
彼の名は……
「兵士諸君!御苦労!」
――陣内克彦!
誰かこれの全文知らない?