マスターの思わぬ変化に、リリスは気づいていない。そしてそれは幸いだった。
人間界では想像もできぬような姿かたちをした化け物、その一部に人間そっくりの顔があらわれている。
その顔は柔和さが前面に押し出されるがしかし、隠しきれない老獪さと好色さが皺の隙間にただよっている。
摩天楼に鎮座するマファイアのドンのようであり、
孫を送り迎えする温厚な紳士のようであり、
広大な地下室に女体を監禁する性的交錯者のようでもあり、
つまり魅力的であった。
力士の脂肪のように堅太りしたマスターの全身に一点、知性が浮かび上がる。
それは言いようもなく詩的であった。
「さて」
と一言、マスターは舌なめずりをして人面を硬直させた。
さきほど「存在」が降臨した時ほどではないが、ある種の気の流れが部屋を支配しだした。
「この姿をあまりここではしたくはないのだが」
最高の舞台の終焉に始まるスタンディングオベーション。
その雨後の筍(たけのこ)のように沸き立つ大気の喝采。
「仕方ない」
じょじょに人面は持ち上がっている。
否、流れ出でる溶岩のように人面の「周り」がめくれはじめている。
あまりのスピードのため人面が持ち上がっているようにみえる。
「いそ、、、ガ、、、ないト、、、」
どんどんどんどん、めくれていく。
どんどんどんどん、たれていく。
ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク
もういまやマスターは人面を残し、そこから下はパレットの絵の具のようにドロドロのかたまりに成り果てていた。
そして、さらに大気は震えだす。
部屋全体がズドン、ズドン、と大きく二回揺れ、壁や天井からその組織がバラバラとはがれる。
しばらく、そして静寂。
おびただしい塵芥がおさまるころ、一つの影があった。
異形の化け物の姿ではなく、その影は人型であった。
やがて現れる真実。
そこにはまさしく仕立てのいいスーツを着た老紳士が一人、立っていた。
いまにも紅茶でもすすりそうな、柔和な顔が。
「さて」