みはるかす景色は単色であり、そこには飢えと乾きというアクセントが加えられていた。
別な表現をするならば、絶望というカンバスに欠乏という色が彩(いろど)られているようで、
つまりさみしかった。
立つ影は微塵も見られず、すべてが破滅への欲望をたずさえていた。
今見ている景色、それが全ての答えであった。
地獄の最下層。そう呼ばれる場所。
その表現は少しおかしいように感じるかもしれない。
地獄とは多大なる苦しみが漂うだけの一つの世界ではないのか。
だが本来地獄とは幾層にも分かれており、下層に沈むほど瘴気(しょうき)は濃くなってゆく。
そしてこの第九圏、つまり最下層「コキュートス」は
よほどの大霊位のものしか存在することが許されていない。
そこに魔王の城は鎮座する。
そう、万魔殿(パンデモニウム)である。
その、一室。
漆黒のなめらかな生地に覆われた長椅子に、一つの裸体が横たわっていた。
よくみれば腰元はかろうじて下着でかくされているが
その豊満な肉体はおよそエロスを隠しきれない、香りと色彩を保っていた。
一瞥(いちべつ)しただけでは、ただ眠りについているようにしかみえない。
一人の紳士でも通りかかったならば、寝息をたてるこの淑女は
シルクの一つでもかけられていたにちがいない。
しかし残念なことに、ここは地獄なのである。
「ふふふ、、、『キミ』との約束をやぶるとこだったよ」
闇から溶け出したかのような声は、そのまま息を吐いて止まった。
わずかな光の屈折により浮かんだその顔は
鋭利で用心深く、それはよく訓練された狩猟犬にも似ていた。
気配だけがゆっくりと移動する。
光はその気配におびえるかのように、時折にしかその顔を浮かび上がらせなかった。
やがて気配は長椅子に近づき、しばらく立ち止まった。
「『キミ』の花嫁さんは、、、扇動的すぎる」
そういって気配だけで笑い、腰を下ろした。
長椅子もそれを快く迎えた。
「この」
と、指を一本立て、温かい肉体に近づける。
くちびるを軽くなぞり、あそぶ。
そして少しだけ粘膜にさしこみ、跡を残しつつ下に。
鎖骨をゆっくりと描き、また下へ流れて、しばらく谷間で往復する。
やがて両方の指先を山頂に押し当て、静かに沈める。
びくん
差出した両手はそのままなめらかなカーブをさがり、外側に張り出していく。
そして角度を汚さないまま内側にすぼみ、細く、細くなっていく。
手はこのカーブの連続を何度もさすりあげた。
美の神が作り出した大傑作。
曲線が曲線であるだけでどうしてこんなにも刺激的であるのか。
「この、からだ」
頂上までしぼりきるように乳房をつかみ、突起をつまみつつヘソにくちづけをする。
比類なき香気がただよってくる。
この「からだ」から発せられる、魔神すらをも魅了するエロス。
その誘惑に負けてしまいそうになる。
気配、ベルゼバブは、記憶すらない『母』という存在をこの匂いから感じていた。
そして甘えるように何度もお腹に顔をこすりつけ、つぶやいた。
「おまえを、、、俺のものにしたい、、、」