750 :
巴縁薫:
心も身体も酷く虚ろだった。
辺りは真っ暗で何も見えない。
ただ、低くなり高くなる波の音だけははっきりと聞こえた。
(海・・・?)
大きく揺さぶられて、自分は流されているのかも知れない。
水の中にいる気はしない。予想に反して身体は熱い。
でも確かに波に揉まれている。
(品川なら帆立船が見えるはず。鎌倉なら帰りは八幡様に寄らなきゃ。)
けれど見えるはずの物も、そこまでの旅路も、何も目に映らなかった。
恐いとは思わなかった。ただぼんやりと波に身を委ねる。
ざざんざざんと揺り返す波の音を聞いていると、なぜか哀しい気持ちになった。
ざざんざざん・・・
(子供が泣いてる)
波の音がか、その合間に紛れるのか、はっきりとはしない。
でも確かだ。泣いている。その声が無性に自分を煽る。
ざざんざざん・・・
(どこにいるの?)
助けてあげなきゃ、大丈夫だよって言ってあげなきゃ、そう思うのに周りは何も見えない。
ただ、低くなり高くなるその声だけは確かに届いた。
ざざんざざん・・・
(どこ?)
ふと薫は自分が全く動けないでいることに初めて気が付いた。
その腰にしがみつく影にも。
ざざんざざん・・・・・さん、姉さん、姉さん
すぐ足元で縋りつくように泣きじゃくる小さな身体。
薫は咄嗟に腕を伸ばした。波に流されてしまう。
大きな熱いうねりが二人を飲み込もうとしていた。
「縁・・・!」
抱きしめた身体がびくりと震えた。