「…クーガー!」
青く澄み渡った晴れ晴れとした空の下、その戦いは起こっていた。
そんな時、突如として戦場の空に少女の鋭い声が響く。
地上にいたスナイパーがこちらを狙い、矢を放った所だった。
「!」
クーガーと呼ばれた竜騎士が、飛竜を駆り自分へと向かってくる矢を槍で弾き飛ばし翻す。
その矢はいとも簡単に真っ二つに折れ、地へと落ちて行く。
間髪入れず飛竜の手綱を掴み直し、その下で弓を構えていたスナイパーに突撃をかける。
その突撃は風を悠々と切り、まるで自身が一陣の風のようでもあるかに見えた。
攻撃を外し焦るスナイパーは急ぎ次の矢を番えるが、それは遅すぎた。
「そこか!」
クーガーが叫びながら手に持つ槍を力強く振ると、その槍は深々とスナイパーの胸に突き刺さる。
明らかに致命傷と取れるその突きを受けたスナイパーは、何とか体勢を保とうとするが無駄な足掻きでしかなかった。
「うっ……ぐ…ぁ…。」
呻き声を上げ、ガクリと膝をつき……そのまま力なく倒れていく。
そして、そのスナイパーはピクリとも動かなくなり絶命した事を示していた。
「クーガー!大丈夫だった?アキオスが突然鳴き始めるから…。」
その直後、たった今スナイパーを倒したクーガーの元に1騎の天馬騎士が寄って来る。
先程、クーガーに注意を呼びかける声を送った主だった。
「姫、か。…助かった、礼を言う。」
「何言ってるの。私達は仲間じゃない、仲間を助けるのは当然の事でしょ?」
クーガーに姫と呼ばれているこの天馬騎士の少女の名はターナ。
彼女はフレリア王国王子ヒーニアスの妹であり王女でもあった。
ターナは戦場に咲く一輪の花のような微笑みをクーガーに向けていた。
「そうだったな。……やはり俺が前に言った通りか。」
「えっ?」
クーガーの一言にターナは不思議そうに首を傾げた。
そんな彼女の髪を、さわさわと流れる風が靡かせている。
髪が顔にかかり擽ったそうにしていたが、然して気にする程のものでもなかったようだ。
「いや、前にゲネルーガや姫のアキオス…だったか?こいつらが敵や味方の事を分かっている、と言っただろう?」
「そういえば…そうよね。今もそんな感じだったわ。」
ターナが納得するかのように頷く。
「俺達も…こいつらに負けないくらい頑張っていかないとな。」
「ふふ…頑張る事に勝ち負けなんてないわよ、クーガー。…じゃあ、また後でね。」
そう言うとターナはアキオスに一声かけると急旋回し残存している敵兵達へと向かっていった。
疾風怒濤の言葉に相応しい勢いで、ターナは次々を並居る敵兵を槍で打ち倒していく。
その様子を見ていたクーガーは相変わらずか、といった顔だったがすぐに自分も逆方向の敵兵の中に突っ込んでいった。
「待たせたな…覚悟っ!」
………1人の犠牲者もなく戦闘は無事、勝利に終わる。
時は既に夕刻を過ぎたばかりで、夕闇から完全なる闇へと変わろうとしていた。
闇を払う灯火が辺りを照らし、昼間の明るさまでとはいかないがそれでも十分な明るさだった。
皆々はその疲れを取る為のんびりと寝たり食料を摂っていたりしていた。
ちょっとした賑わいを見せる場から離れたテントの側にいたクーガーは手に持っていたカップを置く。
「ふぅ…。」
一息ついたクーガーは、槍を取り出すと槍の手入れを始める。
今日の戦いで何十人もの敵を貫いた槍は、血にまみれその痕を残していた。
この先も、この槍は戦いが続く限り幾多の敵の血を吸う事になるだろう。
「……………。」
クーガーは槍を布切れで拭きながら今日の戦いの最中、ターナと話していた事を思い出す。
ターナは誰にでも優しく、王女という立場でありながら自分のようなしがない一兵にもその優しさをかけてくれている。
普通には信じられないような事だが、クーガーにとってはそれが何処か心地よいものだった。
「…………いかんいかん…。」
うつつに浮かれそうになったクーガーはすぐに引き戻し、槍の手入れを続ける。
暫くして槍は血糊が落ち、大分綺麗になっていた。
それでもまだ、汚れや血臭が残っていたのだが…。
ふと、そこでクーガーは近くに小さな川があった事に気付く。
今、テントを張っている場所から少しだけ離れた所に川が流れていたのだった。
「丁度いいな…川で綺麗さっぱり洗い落とすか。…と、その前に…。」
クーガーは、何かを思い出したように立ち上がるとテントの反対側へ向かおうとした。
すると、そこに背後から誰かの声がかかる。
「クーガー。」
「ん?」
クーガーが振り返ると、そこにはターナが立っていた。
「姫。」
「こんな所でどうしたの?」
ターナは、手にクーガーと同じくカップを持っていた。
そのカップからは湯気が立っており、仄かに珈琲の良い香りが漂う。
「槍の…手入れをしていた所だ。」
「あら?そうなの?私もさっきしていたんだけど…。」
そう言ってターナはカップを近くにあった樽の上に置き、自分の槍をちらりと見せる。
その槍は、やはりクーガーの槍と同じく僅かに血糊が残っていた。
「…流石に拭くだけじゃままならないからな。水洗いでもしようかと思っていたんだが。」
「水洗い……でも水には限りがあるわよ?」
「その心配はない。この近くには川があるからな。」
クーガーは親指を立て、背後を後ろ手に指差す。
その先は鬱蒼と立ち並ぶ木々が覆っており、その中に狭いものではあるが獣道が顔を覗かせていた。
決して通りやすいとは言えないが、少々我慢すれば通れない事もない…そんな道だった。
「あそこから行けるのね?」
「そうだ。さっき、ここに降りる前に見ていたからな。」
ターナが聞いてくるのに即答するとクーガーは再びその先へ向かおうとする。
「何処に行くの?」
その場を離れようとするクーガーに、ターナが後ろから声をかけてくる。
「……ゲネルーガの餌をまだやってないんだ。」
「あっ、そうなんだ…ごめんね。私も丁度アキオスに餌をあげようかと思ってたの。良かったら一緒に行かない?」
ターナは両手を合わせポンと叩くと、クーガーの隣に並ぶ。
「あぁ、俺は別に構わないが。」
「ありがとう、クーガー。」
「…じゃあ、行くか。」
クーガーはターナが向ける笑顔に、顔が思わず綻びそうになるのを抑え踵を返した。
2人が着いた先は軍の武器や道具を一手に預かっている輸送隊の馬車だった。
そこでは1人の少女が忙しなくあちこちを動き回り、預かり物の整頓をしていた。
「えっと、キルソード5本はこっちで…キラーランスはあっちの…。」
「…ちょっと、いいか?」
クーガーは、武器を手にぶつぶつ言っていた彼女に声をかける。
「えっ?あっ!」
ガシャン!ガラガラッ!
不意に声をかけられ、驚いた少女はその手にあったキルソードを離してしまった。
キルソードは刃と刃が響き合い、耳障りな音を立てながら地面に落ちる。
「……すまない。」
クーガーは何とも言えない顔で少女に謝る。
その横でターナがあらら、といった顔で見ていた。
「あちゃ……またやっちゃいました…。もう…私ってばドジばっかり…。」
「いきなり声をかけてしまって悪かった。手伝おう。」
「あ、私も手伝うわ。」
クーガーとターナが同時に手を伸ばし、1本のキルソードを掴もうとする。
そこで2人の手が偶然にも重なった。
「あっ…。」
「む。」
咄嗟に手を退く2人。クーガーは特に変わった様子は無かったが、ターナは少しだけ照れているようであった。
「あ…ご、ごめんね。ちょっとタイミングが良すぎちゃったね。」
「…これくらいの事、気にしなくていい。」
クーガーは、いつものようにきっぱりと言う。
しかし、内心ではこういう事がよくあるのは気のせいか…?等と思っていたりしていた。
それから3人で落ちたキルソードを全て回収しクーガーがお詫びに、とついでに整頓も手伝っていた。
「わざわざありがとうございました。」
整頓が終わった後、少女がぺこりと頭を下げる。
その時、三つに編んだ少女の髪が一緒に振られていた。
「いや、あれは俺が悪かったからな。」
「クーガー?これからちょっと気を付けないといけないわね?」
ターナは、クーガーを少し意地悪そうな顔で見ながら言う。
「分かっている…善処はする。」
クーガーは薄らと苦笑いをしていたが、それも少しの間だけだった。
次の瞬間に、いつも通りの顔になると少女に話しかけようとした。
と、その前に少女がおずおずと割って入って来る。
「あの…それで、お2人は何か御用でもありましたか?」
「私はアキオスの…天馬の餌を貰いに。」
「…俺はゲネルーガのだがな。」
2人は一斉にここに来た旨を伝えた。
よくよく、タイミングが合ってしまうものである。
「あ、そうだったんですか?それでしたらちゃんと用意してありますよ。」
そう言うと少女は馬車に颯爽と乗り込み……すぐに両手にバケツを1つずつ持って降りてきた。
その足取りはややふらつきがあったが、心配する程のものではなかった。
少女が手に持つ片方のバケツには野菜が入っていて、もう片方のバケツには肉が入っているのが見える。
輸送隊では武器や道具等だけではなく、食料なんかも扱っていたのだった。
「よ…っと。はい、今晩の分ですよ。」
少女がドン、とバケツを置き額を拭いながら2人に言う。
「新鮮な野菜っていいわね。ありがとう。」
「…さて、早速持っていってやるとするか。」
クーガーは、ひょいっと難なく肉入りのバケツを持ち上げターナを待つ。
そして、ターナもそれに続こうとバケツを待ち上げようとした。
「よい……あっ。」
「………ついでだ、持ってやる。」
そこにクーガーが横から空いた方の手を伸ばし、野菜入りのバケツを軽々と持ち上げる。
「ありがとう…クーガー。」
「礼を言われる程の事じゃない。気にするな、姫。」
その様子を見ていた少女が、ははぁ…と言った顔をしていた。
しかし、野暮ったい真似はしないようにしたのか思うだけに留める。
「じゃあ、またね。」
ターナが声をかけた後に、2人は踵を返しそこから立ち去る。
そんな2人に、少女は軽く手を振りながら静かに見送っていた。
輸送隊の馬車があった所から少し離れた場所に…。
そこには真っ白な体毛をしていてその体毛と同じ色の翼を持った天馬がいた。
その隣には赤黒く日に焼けた強固な鱗を身に纏う、見れば凄む形相の飛竜がいる。
天馬アキオス、飛竜ゲネルーガ。ターナとクーガーの良き相棒である。
2匹はそれぞれの主人が来た事にすぐ反応を示し、嬉しそうに嘶く。
「アキオス、待たせちゃってごめんね。」
「今晩もよく食って明日に備えろ。アキオスもな。」
クーガーが、2匹の目の前にバケツを置くと顔を突っ込んで食べ始めた。
アキオスはゆっくりと落ち着いてもそもそと野菜を食べている。
それに反してゲネルーガは豪快な食いっぷりでその肉にがぶりつく。
まるで静と動、と言えるべく正反対な食べ様だった。
「沢山食べて明日も頑張ろうね。」
ターナは、それを見て満足そうにしながらアキオスの前にしゃがむ。
足元のアキオスが未だ食べ続ける中、そっと頭を撫でてやる。
「…姫、そろそろ行くか?」
ゲネルーガの食いっぷりに、いつもの調子である事を確認したクーガーがターナに声をかける。
「え?……あっ、槍の事ね?ええ、分かったわ。」
言葉を返すターナは、立ち上がると小さく背伸びをする。
そして、槍を取り出し少し眺めると元に戻す。
「ここの所、連戦だったもんね…。洗うと凄く綺麗になると思うわ。」
「確かに……まぁすぐに、またこんな風になるだろうな。」
クーガーはそう言って通って来た道へ戻ろうとする。
それに続き、ターナが足早に付いていく。
ここから戻っていき、さっきクーガー達がいたテントの後ろに行けばそこから森に入れる。
そこまでの時間は、そうそうかかる事はなかった。
2人が帰ってきた時、賑わいは治まり静かになっていて残っていたのは数人だけだった。
「…誰だ?」
突然、明かりが灯りその光が2人を照らす。
2人は灯火の届かない暗闇の中にいたので、向こうからはよく見えなかったのだ。
眩しさに一時、目を晦ますがすぐに慣れる。
「何だ、クーガーにターナか。」
そこにいたのはこの軍の指揮官であるエフラムだった。
エフラムは近くまで来ると槍を地に突き刺し柄を覆うように手を置く。
「あら?今はエフラムが見張り当番なの?」
「そういう事だ。まぁ次はクーガー…お前なんだが。」
ターナに返しつつクーガーに視線を向ける。
「そうか、なら交代だな。王子は休んでくれていい。」
「この辺にあまり賊はいないらしいが……用心にこした事はない。見張り、頼んだぞ。」
そう言ってエフラムは欠伸を漏らすと、踵を返し自分のテントへ戻っていく。