「ミンナノ唄」熊耳武緒の唄・前編UPします。
申し訳ないのですが今回、内容の九割が前振りです。
なお、冒頭に引用した歌のタイトルが知りたい方は、メール欄を御覧下さい。
193 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:37:43 ID:oyoyFt7j
独りで行くのさ。人生は自分だけのものだから。
でも、授業料は時々高くつく。
成功する事もあれば、挫折する事もある。
来る年も来る年もやり続けて、やっと、そこから何かが生まれる。
修道士の様に道を進む者は、ブルースを来る年も来る年も歌い続ける。
人生は修行の場だ。馬鹿じゃない奴にとってはね。
でも、学ぶ事はとても苦しい。
すぐに「判った!」と思うんなら、そいつはただのマヌケだ。
試してはしくじる、失っては得る。そして、そこから何かが生まれる。
修道士の様に進む者が乗るのは鈍行列車。試してはしくじる、失っては得る。
陽の当たる場所に立つのは、そんなに簡単な事じゃない。
浅いようで深い事ばかり。払う授業料より安上がりで済むなんてありえない。
そして、そこから何かが生まれる。
修道士の様に進む者の行く道は、果てないハイウエイ。
ハイウエイは安上がりじゃいられない。
194 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:41:10 ID:oyoyFt7j
「あの人」と待ち合わせした店では、この曲が良くかかった。
香港のバーで、私は、怖いほど彼に引かれてゆくのを自覚した。
裏切られた事を知った時も、不思議と憎しみも悲しみも湧かなかった。
ただ、焼け付く様な怒りの裏に、再会への強い渇望だけが残った。
彼と私は、陰と陽、裏と表。どこか似通っていても、決して交わる事はない。
いやむしろ、まったく違うからこそ、私は彼に強く惹かれたのだろう。
もしも運命という物がこの世にあるのだとしたら、私達は運命がたがいようも無く結びあわされている。
そう、私の運命の人は「あの人」だった。
ずっとずっと、彼をこの手で捕まえられる事が出来るなら、死んでも良いと思っていた。
あの日。
サングラスの男。銃声。床に落ちたナイフ。私の叫び声。朱に染まった「あの人」。
血に滑る手で必死になり抱き起こした私に、彼は最後の一言を残した。
「…これで…タケオは一生…僕の事を忘れない。…僕の勝ちだ…僕はキミを手に入れたよ…」
その瞬間私は、捕まえるはずの人に捕らえられた事を知った。
あの日から、この曲が頭の中でずっと鳴り響いている。
…私の呪縛の唄は止まらない。
ーーーadagioーーー
武緒が第二小隊に復職したのは、11月の初頭だった。
「熊耳巡査部長、本日09:00より第二小隊に復帰いたします」
後藤に向かってさっそうと敬礼した武緒に、事件の面影は一切見られない。
強いて言うならまだ少し頬がこけているが、前と違う印象を受ける程でもなかった。
「はいはい。まぁ、あまり無理せんで、ボチボチやってくれ」
「お心使い感謝します。ですが、ご心配には及びません。今日から元通り職務を果たします」
熊耳は踵を返して隊長室を後にした。ドアが閉まってから、後藤がため息を付く。
「なあに?熊耳さんが復職したのに、ため息なんか付いちゃったりして」
しのぶが後藤を見やった。
「う〜ん…ハッキリとは言えないけど…ちょっと、ね」
「あらあら。熊耳さんが戻ると第二小隊も引き締まるでしょうし、彼女張り切ってるみたいじゃない」
(その張り切ってるのが不安材料なんだよな…。って言ってもしょうがないか)
195 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:42:58 ID:oyoyFt7j
後藤はデスクに足を乗せ、煙草をくわえた。しのぶの目を気にして火は付けない。
「…ま、いっか。ケ・セラ・セラ。成る様にしかならんわ…」
そんな後藤に、しのぶが無言で口にくわえた煙草を取り上げた。
武緒は第二小隊室の前で息を調えた。
この部屋に入るのも実に3ヶ月ぶりだ。扉を開けると、皆の拍手が武緒を温かく迎える。
瞬間喉元が熱くなったが、武緒は敬礼して挨拶をした。
「おはようみんな!また今日から御一緒します。よろしくね」
「熊耳巡査部長、復職おめでとうございます!今日からまた、色々とご教示くださいっ!」
堅苦しく敬礼した太田が、武緒に花束を渡す。その顔が真っ赤だ。
その花を受け取って、武緒は目頭が熱くなるのを懸命にこらえた。
きっと皆で恥ずかしがる太田を説得したのだろう。この花束を渡すのは太田しかいないと。
実際武緒も、復職する今日、気になっていたのは太田の事だった。
一見無骨で無神経に見えるが、その実、一番周囲の人間に対して敏感なのも太田だ。
ーーー犯罪者と行動を共にした元関係者。
この事実を潔癖な太田が受け入れてくれるかどうかが、少し怖かった。
(私のいる場所は、とてもあたたかい)武緒は思った。
皆の期待に答える為には、今まで通りの自分であらねばならない。
この後燃え上がる武緒によって、第二小隊の隊員は訓練のフルコースを味わうハメになるのであった。
全員久々の訓練でへばっていた。しかし、それはある意味嬉しい疲れでもあった。
第二小隊の誰もが、武緒の復帰を願い、信じていたのだ。
「はい、今日の訓練はこれにて終了。まだ勤務中ですものね、軽くしといたわ」
誰もが心の中で悲鳴を上げた。これで軽くだったら、今後どんなしごきが待っているのだろう。
やれやれと言った具合に退散する面々の後ろで、武緒が足を止めた。野明が気付いて振り返る。
「熊耳さん、どうしたんですかぁ?」
196 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:44:16 ID:oyoyFt7j
「ああ。…久し振りだから、ちょっと周りを見て来ても良いかしら?」
武緒をそっとしておこう、と皆は思った。
今までと変わらず、いや、今までよりももっと武緒は強くなった。
それでもやはり、久々のこの場所で、少し一人になりたいだろうと。
ーーーagitatoーーー
武緒は建て物の周りをゆっくり歩いた。
ここの埋め立て地は、刈っても刈っても様々な雑草がいつも生い茂る。
一番目立つのは、セイタカアワダチソウという草だ。
久しぶりに見る敷地に、胸が隠れるくらい草深く、セイタカアワダチソウが一斉に咲いていた。
風に揺れる花。ゆらり、ゆらり、ゆらりーーー。
武緒の足元から、地面が消えた気がした。
内海と行ったビクトリアピークには、当時、様々な花に混じってミモザが咲き乱れていた。
夜でも、まるで天に灯がともった様に周囲を照らす花だった。
セイタカアワダチソウとは、なんてミモザに似た花なのだろう。
その花の中に、武緒は内海の幻を見た。
黄色い花が武緒を取り囲んで笑っている。風にそよぐ花の中から、内海の声が聴こえる。
(…これで…タケオは一生…僕の事を忘れない。…僕の勝ちだ…僕はキミを手に入れたよ…)
武緒は自分でも気付かぬうちに叢に分け入り、一心不乱にその花をむしっていた。
その手を掴んだ者がいる。
振り返り、そこにひろみの顔を認めた武緒は、緋を注いだように赤くなった。
ーーー見られたくない場面を、人に見られた。
後ろめたさが押さえきれない怒りに変わり、その鉾先をひろみに向けてしまう。
「…離してちょうだい、山崎くん」
ひろみは無言で武緒の手を離した。そのまま何も言わない。
普段であれば、ひろみはそういう男だと判っているはずだった。
197 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:45:31 ID:oyoyFt7j
だが今の武緒にとって、それは無言の非難を受けている様にしか感じられなかった。
「何か言いたい事があるなら、言ったらどう?」
ひろみは、どうすべきか考えあぐねている様子だった。
「そういう所が苛々するわ…はっきり言いたい事を言ったらいいじゃないの!」
自分でも感情が昂っているのを感じる。これ以上、ここにいてはいけない。
職場とは、自分の感情を発露する場ではないのだ。
「…熊耳さん、命はひとつしかありません。たとえそれが、雑草の花であっても」
立ち去ろうと思っていた武緒に向かい、ひろみが話し掛けた。
ひろみに全く罪はないのに、鎮めようとしていた自分の感情が膨れ上がって暴発する。
「どうせ刈らなくちゃならないんだから、良いじゃない!それとも同情してるの?犯罪者から被害を被った私に…」
「熊耳さんらしくないですよ」
「私らしく?私らしいってどういう事かしら?」
パシン!と、これ見よがしにひろみの前で花を手折った。最悪な女だと自分でも思う。
だが、同時に妙な加虐心が湧いて来て、自分で自分を止められない。
(いけない!これ以上言ってはいけないわ!!)
「私は貴方のご家族じゃないわ。判ってる様な顔を…っ、しないで頂戴!」
ひろみの顔に明らかな動揺が走った。みるみる内に、その顔色が変わっていく。
「…御存じだった…んですか…」
力無く笑った。苦笑という文字を形にしたら、今のひろみの顔になるのかも知れない。
武緒は改めて自分が嫌になった。自分のどこに、この人を傷つける権利があると言うのだ。
この場にうずくまって泣きたくなったが、そんなみっともない真似は出来ない。
ひろみはまるで、そんな武緒の心の声を聞いたかのように言った。
「気にしないで下さい。…本当の事なんですから」
そんな優しい言葉さえ、ガラスの欠片の様に心に突き刺さる。耐えきれない、と武緒は思った。
「熊耳さん、人の心はいつか癒えます。…今は無理しない方がいい。言いたい事は、押さえないで吐き出して下さい。僕で良ければ聞きますから…」
その言葉は、ひろみの口から紡ぎ出されると、確かに重みと説得力があった。
198 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:46:54 ID:oyoyFt7j
だが、どうしろと言うのだ。
武緒自身ですら押さえ込み乗り越えたと思った感情が、こんな何でもない拍子に爆発しているのに。
何をしたいのか、どうすれば良いのか、自分でも見えない。見えないのだ。
溺れた人があがく様に、武緒はひろみのシャツにしがみついた。それでも泣けない自分に腹が立つ。
何を言いたいのかさえ判らないはずなのに、とっさに武緒は口走った。
「ねえ…じゃあ教えて。人をわかるってどういう事?…私にはわからなかったのよ。何もかもが」
ひろみは、見下ろした武緒の瞳の中に、果ての無い絶望を見た気がした。
ーーーallegro non troppoーーー
その夜は、武緒が第二小隊に復帰したお祝いとして、飲み会がセッティングされていた。
(行きたくない)と武緒は思った。今朝の出来事の後では余計に。
しかし、この飲み会は皆の好意である。無下に断る訳にいかない。
ましてや、完全復帰した、職務を全う出来る状態に戻ったと、この会に出席する事で皆にアピールせねばならない。
(先ほどの事は、単なるフラッシュ・バックよ。心療内科にも通って、最悪の状況は克服したんですもの。私は立ち直った。この先、あの様に取り乱す事はあり得ないわ)
武緒は自分に言い聞かせた。
居酒屋で飲み会が始まる。太田と進士は、残念ながら所用で参加出来なかった。
くじ引きで、武緒の隣は遊馬とひろみになる。よりにもよって。
どうしても、ひろみの顔を見れない。
ひろみの方も、こちらを気にしてはいるが、殊更に声をかけては来なかった。
ひろみを意識しながらも、向かいの後藤や野明、遊馬とばかり話をしてしまう。
だが後藤も今は居心地の悪い相手だった。まるで、全てを見透かされているように感じるのだ。
199 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:48:58 ID:oyoyFt7j
武緒は遊馬と話し込んだ。今話していて楽なのは、このどこか厭世的な青年だけだった。
適度に周囲に気を使い、自分が傷付かないよう一定の距離を置く男。
頭の回転は速いのに、どこか上手く立ち回る事が出来ない男。
全てが、内海とは真逆だ。
セーブしているつもりだったのに、武緒はつい盃を重ねた。
熱燗をおかわりしようとすると、ひろみがそっと声をかけて来る。
「熊耳さん、その辺でもう止めた方が…」
ひろみは純粋に心配してくれている。それは武緒にも判っていた。
判ってはいたが、今日ひろみが何を言っても、武緒には刺草のように勘に触る。
武緒は上手く答えられず、一瞬場の空気が凍った。
「まぁいいじゃん。今日はおたけさんの完全復帰記念なんだから、固い事言わないの」
遊馬がその場を取りなしてくれたのが嬉しかった。
どんちゃん騒ぎで二次会になだれ込み、酒宴が終わったのは0時過ぎだった。
ひろみは一次会の後半に『実は、僕はイシガキオニヒトデだったんです』と言い出し、限界と判断された後藤に介抱され、先に退出している。
野明、遊馬、武緒の3人は、タクシーに同乗した。
休職の間に野明の寮は部屋が埋まってしまい、武緒は職場から遠い寮に移っている。
野明よりも遊馬の方が、今武緒が住んでいる寮に近い。
その為、帰り道は野明→遊馬→武緒の順になった。
タクシーの中で、野明とたわいもない話をする。すぐ野明の女子寮についた。
「じゃあ、お疲れ様でした〜」
「また明日ね、泉さん」
タクシーの窓を開け、武緒が手を振る。
「あはは、熊耳さん嫌だなぁ。あたしと遊馬は、明日非番ですってば」
「あら。…じゃあ、明日はゆっくり休んでね」
「はい、おやすみなさい」
野明が屈託なく武緒におじぎした。そのままタクシーが走り出す。
しばらくして、助手席に座っていた遊馬の気分が悪くなった。
一騒動した後、結局遊馬は嘔吐感を耐えきれなくなり、二人はタクシーから降りた。
側溝で嘔吐する遊馬の背を撫で、武緒が懸命に介抱する。
(そういえば、篠原君はあまりお酒に強くなかったわね…)
200 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:50:19 ID:oyoyFt7j
自分に付き合わせて飲ませ過ぎてしまった事に罪悪感を感じ、武緒は傍にあった自動販売機から、お茶とアイソトニック飲料を買って来た。
「はい、篠原君。まず先にお茶を飲んで、もう一度吐きなさい。お腹に残ったアルコールを出せば、少しは楽になるはずだわ」
「…す…すいません、おたけさん…」
すっかりグロッキーな遊馬は、普段武緒には『熊耳さん』と呼んでいる事すら忘れている。
そのままお茶を一気に飲み干してから、遊馬はまた吐いた。すかさず背中をさする。
吐いた後にアイソトニック飲料を少しづつ飲み、しばらくして遊馬が落ち着いて来た。
「寒くない?大丈夫かしら」
「…少し、寒いです」
寒くなると言う事は、酩酊状態が悪化している可能性がある。救急車を呼ぶべきか武緒は迷った。
救急車で大事にするのも躊躇われるが、今は急いで体を温めなくてはいけない。
かといってどこか店に入るのは、遊馬の服が吐瀉物で汚れてしまっていて無理だ。
「…しかたないわ。篠原君、あそこのラブホテルに入りましょう。立てる?」
「立てますが…。ちょっと…ソレは、マズイんじゃないでしょうか…」
「命に変えられないでしょう。それともアナタ、この酩酊状態でセックス出来るの?」
(ミ、ミもフタもない事を…)遊馬は思った。
「篠原君、服脱いで」
部屋の中に入るなり、武緒は言い放った。遊馬が赤くなる。
「い、いやっ!おたけさんっ、そ、それはマズイでしょう。…いや、ちょっと嬉しかったりしますが…でも、しかしっ…!」
わたわたと手をばたつかせて、面白いほどうろたえる。
「?…何焦ってるの?その服急いで洗わないと、汚いし乾かないわ」
「ああっ!…なるほど、そうですねぇ…」
遊馬は目に見えてがっかりし、もそもそと服を脱ぐと武緒に渡した。
201 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:51:17 ID:oyoyFt7j
武緒が洗面器に入ったお湯と、ラブホテルのガウンを持って来る。
「はい、これ着て、足をお湯につけておいてね。少しは温かくなるはずよ。それから、少しづつアイソトニック飲料も飲む事。お酒が抜けて来るはずだから」
(いつもながら、行動に無駄が無いよなぁ…)と遊馬は感心した。
武緒はバスルームに入った。遊馬の服を洗う音がする。
「熊耳さーん、迷惑かけて申し訳ありませーん」
遊馬はバスルームに声をかけた。名前の呼び方が『熊耳さん』に戻っている。
「…別に今は職場じゃないんだし、おたけさんでいいわよー」
武緒はおかしかった。ここに入ってからの遊馬の言動が、何だか微笑ましい。
自分が急に歳を取った訳でもないのだが、篠原君は若いんだな、と素直に思った。
(彼は、ここに入った事で、何か起こると期待してるのかしら?)
では自分は?と考えてみたが、答えは出なかった。確かに一緒にいて楽な男ではあるが。
内海と初めてを経験した後、武緒と何度かそういう関係になった人もいた。
しかし結局、内海の事を忘れさせてくれる人はいなかった。多分一生いないのだろう。
ずっとこのまま引きずるのも愚かだが、どうすれば消し去れるのか今の武緒には判らない。
つらつら考えながら、武緒は服を洗い終えた。
バスルームを出ると、遊馬が頬杖を付きながらTVの深夜番組を見ていた。
「篠原君、お風呂のお湯張ったけど入れるかしら?」
「あ…はい。服洗ってくださって、ありがとうございます」
意外に遊馬がしっかりしているのが、武緒には不思議だった。
「…もう大丈夫なの?」
「ええ。さっき吐いて、すっかり楽になりましたからね」
「で、でも…さっき寒いって…。酩酊状態じゃなかったの?」
目をパチクリさせてから、ようやく遊馬は武緒の言っている意味に気付いた。
大きな音をさせて額を叩いてから、天井を見上げる。
「え〜っと…おたけさん。今日は何月何日でしたっけ?」
武緒も気付いた。今日は11月5日…夜は寒くて当たり前である。
二人は、顔を見合わせて笑い出した。
202 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:52:39 ID:oyoyFt7j
「お…俺バカだわ…。ちょっと…ちょっとだけ、期待しちゃいました…」
「あら…私が相手で良いのかしら…」
笑って武緒が返した。もちろん、冗談のつもりで。
ふと、遊馬の笑い声が止まった。見ると真顔になっている。
「…俺、風呂入って来ます」
遊馬が洗面器を持って立ち上がった。
「あの…嫌なら、俺が風呂入ってる間に、タクシー拾って帰って下さい」
そう呟いた遊馬の耳元が、赤く染まっている。
(…どうしよう)武緒はゆれた。
遊馬は嫌いじゃ無い。だが、職場の人間と性的な関係を結ぶのはルール違反だと思う。
しかし本音を言えば、人肌が恋しいという気持ちも確かにある。
誰かに抱き締められたい。触れられたい。熱を感じたい。
(嫌だ、酔ってるのかしら)武緒はため息をついて、ベットに寝転がった。
どうすべきなのだろう。流されるべきか、はね除けるべきか。
悩んでいるうちに、遊馬が風呂から上がった。とっさに跳ね起きた武緒を見て嬉しそうに笑う。
遊馬は武緒を抱きしめた。シャンプーや石鹸の香りに混じって、遊馬自身の香りがする。
「良かった…もう帰ったと思った…」
「ちょ…ちょっと、篠原君…」
武緒は遊馬の胸に手を着いて離れた。軽い目眩がする。息を調えて、武緒は言った。
「……待って。…私も…シャワー浴びて来るわ」
武緒は流された。
ーーーpassionatoーーー
シャワーを浴びながら、武緒はまだ迷っていた。我ながらとても正気の沙汰とは思えない。
間違った事をしているのは十分承知だ。なのに、自分の中の雌が遊馬を欲しがっている。
さっき抱きしめられて、息が詰まるかと思った。
遊馬の体臭は、遠い昔に嗅ぎ慣れた、内海の香りに似ていた。
203 :
ミンナノ唄:05/01/04 00:54:28 ID:oyoyFt7j
(…私って…最低だわ…)
遊馬に抱かれたい。今すぐにでも。
本当はあの時、性急に奪い取って欲しいと強く思った。
嗅ぎ慣れた香りと、知らない体に包まれて、自分の中の内海を消し去って欲しいと。
それは代償行為に過ぎない事も知っている。だが、どうしても欲しい。
武緒は、自分の欲望を酔いのせいにする事にした。
お互い酔っている。今夜だけの関係で終わらせれば良い。夜が明けたら忘れてしまおう。
(そう言えば、篠原君も納得するはずだわ。…篠原君の好きなのは、泉さんなんだもの)
武緒の良心が、ちくりと痛んだ。
バスタオル1枚で、武緒は部屋に戻った。
遊馬は、備え付けの冷蔵庫からアイソトニック飲料を出して、また飲んでいる。
武緒を見て、立ち上がって傍に来た。柔らかく抱きしめて、軽くキスをする。
「ん…篠原君、具合はもう大丈夫なの?」
「ええ…酔いがすっかりふっ飛びました」
遊馬が武緒を抱え上げてベッドに運んだ。そのまま静かに横たえる。
「本当に、良いんですか?」
胸のタオルに手をかけて、遊馬が確認して来た。
「…駄目だって言ったら…止めるのかしら?」
「いえ、無理です」
遊馬が勢い良く武緒の胸のタオルを解いた。いきなり胸を舌でなぞる。
「…ンっ!…ああん!…あ…篠原く…ん…」
「遊馬って呼んで下さい…武緒って呼んでも良いですか?」
そう言いながら、遊馬は武緒の胸を責め立てる。
「駄目ッ!…これは…んあっ!…今夜だけの…夢よ…っ!…」
そういう武緒の口を塞ぐ様に、遊馬がキスして来た。激しく舌を吸い上げ、歯列をなぞる。
久しぶりの刺激に、武緒は溺れそうになった。それと共に、不安がよぎる。
それは、肉体関係を結んだ事で、遊馬の気持ちがこちらに向いてしまうのではないか、という懸念だ。
若い子にはよくありがちな錯覚だが、今の自分達がそういう状態に陥るのは望ましくない。
(それを打破するには…)武緒は考えを巡らせた。