そんなミルラの声がエフラムの耳に届いたかどうかは分からない。
それでもミルラはエフラムが何事もなくこの場を切り抜けられる事を一心に願っていた。
だが、その願いは虚しく打ち砕かれる事になる。
エフラムとガーゴイルが対峙している中…ヒュッ、と風を切る音がし何かが飛来してきた。
「…!」
エフラムは逸早くそれに気付きそこから飛び退く。
そして、それはエフラムがいた場所の床を割り突き刺さった。そこには投擲攻撃が可能な手槍があった。
その突き立った手槍の矛がテラスから差し込む陽光で鈍く光る…まるでエフラムを嘲笑うかのように…。
エフラムはそれをちらりと見ただけですぐに部屋にいたガーゴイルとテラスに警戒する。
「まだ…いたようだな…。ならっ!」
言い終わるや否やエフラムは力強く床を蹴り、疾風の如くダッシュをかける。
槍を前面に構え、ガーゴイルの体の中心目がけて大きく振りかぶり…電光石火の早さで一思いに刺し貫く。
肉が切り裂かれる音、ガーゴイルの絶叫、再び起きる壁への衝撃音…それらが混じり合って部屋に大きく響いた。
エフラムの攻撃はガーゴイルの心臓を一突きにし、致命的な一撃を与えた。
ガーゴイルは呻き声を上げその体を小刻みに震わせ、必死にもがく。
その直後、ガラン!と音を立て槍を落とす。血が流れ続ける胸を両の手で押さえ苦痛にその醜悪な顔を歪ませる。
しかし、その流れる血が止まる事はない。寧ろその勢いは段々と増しているようだった。
「…………………。」
その光景をミルラは静かに見守る。
ミルラは血を流し倒れ伏すガーゴイルを見て何を思うのか…。
その落ち着いたような顔からは恐怖や畏怖の念は感じられないようだった。
「よし、次は…。」
ガーゴイルに必殺の一撃をくれてやったエフラムは警戒を解く事なくガーゴイルに近付く。
そして、胸に突き刺さったままの槍を引き抜こうと試みる。
エフラムが槍を引き抜こうとしたのと、もう一体のガーゴイルが飛び込んでくるのは殆ど同時だった。
どんな戦いであれ……戦いの中での『ほんの一瞬の隙』は命取りになる。その『ほんの一瞬の隙』は、エフラムが槍を引き抜こうとした時…。
ガーゴイルは既に事切れていたが、槍が突き刺さっていた箇所の肉は硬直し始めていた為に引き抜くのに若干の時間を要した。
「くっ!」
エフラムは小さく声を漏らすが、もう一体のガーゴイルは大きく翼を広げこちらに突進してくる。
そのガーゴイルは先のガーゴイルと違い紫色の不気味な体をしていた。
デスガーゴイル…ガーゴイルの上位種にあたる魔物で、その能力は全てにおいてガーゴイルを上回る。
勿論…その手にはあの鋭い槍がありエフラムへの狙いを確実に定め、突き出されていた。
「あっ!」
ミルラが思わず駆けだし、竜石の力を発動させようと石を強く握りしめる。
しかし、時既に遅し。ミルラがその場に近付く寸前に……。
エフラムは右へ退こうとしたが、間に合わなかった。
槍で串刺し、は免れたもののデスガーゴイルの巨体かエフラムを激しく突き飛ばす。
「ぐっ!…がはっ…く…ぅ……。」
吹っ飛ぶ勢いは全く落ちず、そのまま後ろにあった本棚へと激突した。
その拍子にエフラムは後頭部を強く打ち、力なく呻くとガクリとうなだれる。
「…おにいちゃん!」
エフラムが気を失ったのを見たミルラは驚愕の表情で大声を上げた。
そして、すぐに中断していた竜石の発動を再開した。
「私も…戦えます。おにいちゃんを…守る為に…!」
するとミルラの手の中にあった竜石が輝き始めた。
その光は次第に大きくなっていき、やがてミルラの体全体を包み込む。
何やら異変に気付いたデスガーゴイルはエフラムに追撃を重ねようとしたのを止め、ミルラの方へと飛んだ。
刹那、デスガーゴイルがその動きを止めた。
ミルラを包んでいた光が四散し、その下にあったものが姿を現したからだった。
そこにはミルラの人としての姿はなく…あったのは竜としての姿だった。「……………。」
黄色の強固な鱗に身を包みデスガーゴイルよりも大柄な体をしている。
これが竜人族の変身の力である。竜石さえあれば自分の意志でいつでも変身が可能なのだ。
竜に変身したミルラは唸り声を発し、その頭をデスガーゴイルの方へ向け鋭い眼光で睨む。
睨まれたデスガーゴイルは、今度は全く動じずに気合いを入れるかのように雄叫びを上げ再び襲いかかる。
………それがデスガーゴイルが放った最後の雄叫びとなった。
「グォォォォォォォォ!!」
ミルラは部屋全体を震わせる咆哮を発したかと思うと、その大きく開いた口から真っ赤な爆炎を吐いた。
当然、炎の到達範囲内の至近距離にいたデスガーゴイルは回避も出来ぬままに炎に灼き尽くされる。
その凄まじい高熱の炎に晒されデスガーゴイルの体はあっという間に黒こげと化す。
ミルラは黒こげになり崩れ落ちたデスガーゴイルを見た後、小さく炎を吐く。
そして、またもや光が発しミルラの竜の体を包んだ。
変身した時と同じような状態だったが、それは全く逆のものだった。
光が四散した時…そこにあったのは変身する前と同じくミルラの少女姿。
「…ふぅ…。…あ…おにいちゃん!」
デスガーゴイルを倒して安堵の息をつくミルラだったが、すぐにエフラムの側に近寄る。
エフラムは先の激突で気を失ったままだ。後頭部からは傷が出来ていたのか血が流れていた。
「おにいちゃん…?おにいちゃん!…大丈夫ですか…?」
ミルラはエフラムの体を揺らし声をかけるが返事はない。
と、そこに…。
「こ、これは…。一体何があったのですか…。」
突如として部屋に入ってきたのはエフラムと同じ緑髪で長髪の少女だった。
「エイリーク…。」
ミルラがその名を呼ぶと少女はそちらを向く。
「…あ、兄上っ!」
エイリークは手に持っていたレイピアを鞘に戻し、自分も倒れたエフラムの側に駆け寄る。
すぐに脈を取るなど様子を見ていたが、直にその切羽詰まった顔が和らぐ。
「エイリーク…おに……エフラムは…大丈夫ですか?」
「…大丈夫。命に別状はないわ。でも、すぐにちゃんとした手当てをしないと。」
ミルラの心配そうな様子を見てエイリークは安心させようと頭を優しく撫でてやる。
「とりあえず…兄上を運ばないといけませんね。」
エイリークは迅速な行動で兵を呼びつけ医務室や医師等の手配を済ませミルラと共にエフラムの搬送な付き添っていく。
(おにいちゃん…)
ミルラは心の中でエフラムに呼びかけ、その無事をひたすらにに祈る。
優しくも強くもある、自分が信じた只一人の男を…。