「にわも一緒に行けたら良かったのにな、八重ちゃん」
真紀子がそう話しかけると、八重はにっこり笑って答える。
「大丈夫です。近いからまたいつでも行けますよ、って話しましたから」
「そうじゃね。電車で三駅、送迎バスで20分じゃったね」
多汰美がパンフレットとホームの電光掲示板を見比べながら、時間を計算する。
「片道40分くらいじゃけえ、近い、近い。いつでも行けるね」
「ええ。にわちゃんも気にしないで楽しんできてって言ってましたから。ちゃんとどんな所か
帰ったら話をするって約束しましたし」
そうこうしているうちに、電車がホームに滑り込んできた。四人はそれぞれの旅行鞄を手に
電車へと乗り込んだ。
真紀子は電車の窓から外の風景を眺めながら、晴れてよかったな、と思う。二日前のクリス
マスイブに平年より幾分早い初雪が降り、一時期交通機関が麻痺したり転んで怪我をした人が
続出するなどのニュースが最近の最も大きな出来事だったから。幸い雪も一日だけで、今日は
こうして無事旅行ができる。七瀬家としての初めての家族旅行だから、何事もなく過ごせたら
いいなと思いつつ、八重とおしゃべりに興じる左隣の多汰美を見る。
そういえば最近あまり多汰美を甘えさせてやれていなかった、と真紀子は軽くため息をつく。
自分の気持ちの整理がつくまで待ってほしい、と告げてから一ヶ月半以上が過ぎた。その間、
期末試験や学校や家での日々の細々としたことに忙殺されてしまい、多汰美との関係をやや
うやむやにしてしまったきらいがある。今日の旅行は四人全員で過ごすことが多くなるだろう
けれど、少しでも多く多汰美と一緒にいる時間を取ろう、と決めて目的の駅に降りた。
駅に着いてからしばらくして、送迎バスがやってきた。四人がバスに乗り込んであたりを見る
と、思ったよりお客さんは少なかった。そのことについて多汰美が尋ねると、六十がらみの
運転手のおじさんは、このあいだの雪でキャンセルが何件か出てしまいましてね、と苦笑いし
上り電車から降りた宿泊客をバスへと案内しに出向いていった。
バスが発車してからしばらくすると、徐々に民家が減り、あたりは山と畑ばかりの風景が広が
るばかり。どこに連れて行かれるのやら、と真紀子と多汰美がやや不安に思っているうちに、
だんだんとやや古風な建物のおみやげ店や食事処が見えてきた。「せたざわ街道」と書かれた
通りには年配の夫婦や若い女性のグループが散策をしている姿が目に入った。
「いかにもひなびた温泉街って感じでいいのよ、ここは」
と幸江が通路を挟んで座っていた真紀子と多汰美に説明する。やがてバスは今日宿泊する予定
のホテルに到着した。
チェックインの手続きをしてくるから、と幸江と八重はフロントに向かった。真紀子と多汰美
はロビーのソファに並んで腰掛ける。
「楽しみじゃね、温泉。レストランで食事っていうのも初めてじゃし。あ、でも四人一緒の
部屋で寝るのは、にわちゃんの家で何度かあったから初めてじゃないね」
「せやな。でもまあ、人の家とホテルとはまた違うから」
二人がホテルのパンフレットを広げながら、散策の予定を話していると、幸江と八重が戻って
きた。
「あ、部屋どこですか。上のほう、それともロビーに近いところですか?」
真紀子が幸江に尋ねると、複雑な顔をした幸江から部屋のキーを見せられた。数は、二つ。
「このあいだの雪がこのへんではかなり酷かったらしいのよ。泊まる予定だった和室は風で
ガラスが何枚も割れて畳まで傷んだんですって。そのかわり洋室のある階は無事だったから、
そのお詫びにデラックスルームを二部屋使ってくださいって」
「私とお母さんは二階の201号室を使いますから、真紀子さんと多汰美さんは三階の301号室を
使ってください」
八重から部屋の鍵を渡された真紀子は、目の前が暗くなりそうなほどの心の中の動揺を気取ら
れないようにと顔を引き締めて八重に返事をした。
「ありがと。あ、こういう所って内線電話で話できるんやから、ちょっとくらい離れとっても
大丈夫やて。むしろ、いつも通りに近いんちゃう?」
「ふふっ、そうですね。じゃあ荷物を片付けてから……そうですね、四時にロビーに集まりま
しょう」
「うん、分かった。四時じゃね。いまから二十分くらいあとじゃね」
多汰美は時計をちらりと見てから八重に返事をした。
エレベーターの途中で七瀬母娘と別れてから、真紀子は深いため息をついた。
まさか多汰美と二人きりにさせられるとは、予想もしなかった。いや、向こうは実の親子で、
こちらは友達同士、傍目から見れば部屋をそう分けるのは当然だ。しかし、誰にも言えないが
自分と多汰美は友達同士というより恋人同士と言った方が近い関係だ。二人だけで夜を過ごす
のは、ものすごく問題があるのではなかろうか。ちらりと多汰美の顔を見遣ると、にこにこと
無邪気に微笑みながら自分の顔を見ている。
(こっちの気も知らんで、呑気やなあ……。)
真紀子は恨めしそうに手許のキーに一度、目を落とす。エレベーターを降りてから近くの案内
板で部屋の場所を確かめ、多汰美と一緒に301号室へと向かった。
301号室は三階の一番奥の部屋にあった。鍵を開けて中に入ると、角部屋の利点を生かして
大きく窓が取られており、とても広々と感じられる。多汰美がベランダに駆け寄って外を眺め
ると、下には清流が流れていた。
「なーマキちー、下、川流れとるよ。あ、向こうに遊歩道もあるよ。あそこ歩けるみたい」
はしゃぐ多汰美とは反対に、真紀子は手荷物をテーブルに置いた後、セミダブルの大きなベッ
ドにぐったりと倒れこんだ。人の重みでベッドのスプリングがかなり軋んだらしい。多汰美が
驚いて部屋のほうを振り返る。
「マキちー、……どしたんよ?」
「…し、心臓に悪い……」
「バスに酔ったん? マキちー、車酔いしたっけ?」
部屋の中に戻った多汰美が、ベッドにうつぶせになった真紀子の背中をさする。
「車酔いやのうて…、その、今日多汰美と二人っきりというのが……きつい」
「どうして。私、マキちーと二人だけになれて嬉しいんじゃけど」
多汰美はテーブルに備え付けてあるティーバッグを取り出して、急須に入れてお湯を注ぐ。
「いや、その、……うん」
真紀子はベッドにぐったりと沈み込んで言葉を濁す。最近はかなり収まりを見せているが、
付き合い始めてからしばらくの間、二人きりになったときの多汰美の真紀子へのべったりぶり
はすごいものがあった。どこまで本気か分からないが、キスより上の関係をやたらと求めて
くるのだから。二度ほど同じ布団で一緒に寝たが、よく自分でも我慢しきれたものだ、と己の
禁欲具合に感心するほどだ。「気持ちの整理がつくまで待ってくれ」と多汰美には言ったもの
の、いざこう二人きりにされるとあっさりと動揺してしまう。電車の中では甘えさせてやり
たい、と思ったがこうも己に余裕がないとそれも無理なのではないか。自分の情けなさに深く
ため息をつきつつ、真紀子は多汰美の淹れてくれたお茶を受け取って喉を潤した。
「マキちー、一緒の部屋がいやなほど私のこと嫌い?」
やや不安げな顔をした多汰美に上目遣いで見つめられて真紀子は焦る。
「そ、そんなことあらへん。ただ……、今晩我慢しきれるかと思うてなあ」
「そんなん、我慢せんでもいいんじゃよ。私はマキちーにいつ狼になられても一向に構わんの
じゃけえ」
ハイエナに言われたないわ、の言葉を飲み込んで、自分に懐く多汰美の髪を撫でながら真紀子
は思考をめぐらせる。
多汰美はかわいい。どことなく猫を思わせるような愛らしい容姿も、人懐こい性格も、動物
にも人にも愛されるやさしさも、すべてが愛おしい存在だ。それとは分かりにくいがそっと
空気のように包み込む彼女の優しさに、自分はどれだけ助けられてきただろう。自分が同性
ながらも彼女に惹かれたのは、その点だ。彼女のことが好きなのだから、多汰美を抱くのは
簡単なのかもしれない。なのに、自分が気持ちに整理をつけられないのはなぜなのだろう。
「なんで、多汰美はそんなに私に抱かれたいんや」
どこまで本気で言っているだろう。そう思いながら真紀子は多汰美に訊ねる。
「マキちーだけのものになりたいけえ。それじゃいかん?」
多汰美の言葉に、真紀子は即答ができなかった。口調はいつものように軽いが、真紀子を上目
遣いに見る彼女の目は決して笑っていなかったから。
――――もう、自分たちの間に「友達」の逃げ道はない。二度目のキスをしたときからそれは
二人とも分かっていたのだ。いまの問答も、単なる確認作業でしかなかったのかもしれない。
真紀子は目を閉じて、大きく息を吐いた。
「…分かった。今日の夜は期待しとけ」
彼女の心に嘘はない。ならば、自分も彼女の気持ちに精一杯応えよう。真紀子はそう決意して
自分の二の腕に体を寄せる多汰美を抱き寄せた。
事前に約束したとおりロビーに真紀子と多汰美が行くと、ホテルの浴衣に着替えた八重がバス
タオルなどの入浴道具を抱えてソファに座っていた。
「八重ちゃん、散歩行かんの?」
多汰美が八重に尋ねると、八重は苦笑して答えた。
「お母さんが、お風呂に入りたいって言うんですよ。申し訳ないんですけど、散歩はお二人で
行ってもらえませんか。…お母さん、一人にさせておけないし」
「そっか。おばさん、お風呂好きじゃもんねえ。じゃあ、私らは夕食まで散歩に行ってくる
けえ、酔わんように気をつけてね」
八重は半分諦めの入った笑みを浮かべつつ多汰美を見る。八重の母、幸江はお風呂がケタ外れ
に好きだ。以前皆で銭湯に行ったときも、いちばん湯船に浸かっているのが長かったのは幸江
だった。私が監視していないと何をするか分かりませんから、と付け加えて八重は大浴場に
向かった。
「じゃ、どこに行く?」
「さっき向こう側に遊歩道があるのが見えたんよ。あそこに行きたい」
真紀子はそれならそこに行こう、と返事をして玄関に向かう。風除室ではフロント係の女性が
手荷物を運ぶためのワゴンを整理していた。
「あの、すいません。遊歩道ってどう行けばいいですか?」
「それなら、出口を出て右に曲がってまっすぐ行った所に橋がありますから。その橋を渡れば
遊歩道に出られますよ」
真紀子が礼を言ってから出口に向かうと、女性が二人を呼び止める。最近は天気が荒れやすい
から用心のために傘を持っていった方がいいですよ、と貸出用の傘を一本手渡され、真紀子は
再びフロント係の女性に礼を言って傘を受け取り外に出た。
教えてもらったとおりに道をたどると、簡単な舗装だけがされた駐車場の隣に細い下りの坂道
があり、そこを見下ろすと石造りの小さな橋が架かっていた。車が一台通れるかどうかという
ほどの小さな橋を渡ってそばの石段を降りると、遊歩道の入口になっていた。多汰美が上流の
方を見遣ると、山には雪が残っているが遊歩道にはほとんど雪が残っていなかった。
「向こうの方まで歩けるみたいじゃね。1kmくらい向こうに滝があるってパンフレットに書い
てあるけえ、そこまで行ってもいい?」
「ええよ。でも多汰美、今日は走ったらあかんで。あそこと違って道幅は狭いし、地面が濡れ
とるからな。危ないで」
真紀子が手袋をはめた手をこすり合わせながら、多汰美に注意する。マキちーはまるで私の
お母さんみたいじゃねえ、と多汰美はくすくす笑いながら軽い足取りで上流に向かって歩き
出した。真紀子は黙ってその後についていく。ふだんは八重、景子と一緒に四人で行動する
ことが多いけれど、時折ジョギングや散歩と称して多汰美のジョギングコースである遊歩道を
歩いたりベンチに掛けて話したりするのがいつもの二人のデートだ。自分の吐く息があたりに
白く拡散するのを見ながら、デートができてよかったと真紀子は思う。自分は景子のように
相手に堂々と甘えたり好意を素直にぶつけたりはできない。二人だけのときに少しだけ甘え
させるのが精一杯の愛情表現だ。今日は二人きりになれるとは思えなかったから、いつもの
デートコースどおりに多汰美と過ごせるのは望外の喜びだった。滝に早く着くともったいない
気がして、わざと真紀子はいつもよりゆっくりと歩く。
多汰美はゆっくりと後ろをついてくる真紀子をちらりちらりと見ながら歩く。真紀子は風景を
楽しんでいるのだろうと判断して彼女のペースに合わせて歩を進める。
数日前の雪がわずかに残る木々を眺めながら、多汰美は考える。自分との関係のことになると
言動が慎重な真紀子が自分を抱くと言い切ったからには、彼女は大きな覚悟をしたのだろう。
自分は真紀子に告白されたときから、彼女に抱かれることを望んでいた。けれど元々は異性愛
者の真紀子に自分を抱いてほしいと要求してきたのは、自分が思っている以上に負担だったの
ではないかという後悔が頭をかすめる。真紀子がもとから八重に甘える景子のような行動を
取ってきたのならば話は別だ。でも、実際はそうではない。自分も彼女と同じくらいの覚悟、
もしくは犠牲を払わなければ真紀子を手に入れられない気がする。それならば、どうすれば
よいのだろう――――?
やがて、二人の耳に水が激しく落ちる音が届く。目的の滝が近いらしい。二人は足を同時に
止めたが先に歩き出したのは、真紀子だった。
「多汰美、滝に着いたで。どうした、寒いんか?」
空を見上げると鉛色の雲が広がっている。寒がりの多汰美にとって雪が残るほどの寒い場所は
堪えたのだろうかと真紀子はコートの上から肩や背中をさすって足を止めた多汰美の体を案じ
る。多汰美は顔を微かに赤く染めて、大丈夫じゃよと一言残し、滝へと急ぐ。
真紀子はいつも自分は多汰美を甘えさせてやれない、と言うけれど、こんなふうにいつも自分
を気遣ってくれる。そのたびに自分の胸は高鳴るのだ。大きな覚悟とは言えないかもしれない
けれど、真紀子には前から言いたかったことがある。せめて今はそれを伝えたい。決心をした
多汰美の足音は、いつものランニングのステップのごとく規則的で力強いリズムを刻んだ。
「さすがに、こんだけ冷え込むと、滝を見に来るような人は少ないな。みんな街道のほうに
行っとるんやろか」
「そうじゃね」
二人があたりを見回すと、川の流れの音と滝の音だけが周りを包んでいる。人は自分たちしか
いない。まるであのときの再現のよう、と先に漏らしたのはどちらだったか。
「マキちー」
「ん…なんや」
滝壺のそばのやや大きな岩の上に立った多汰美が、遊歩道の上に立つ真紀子に話しかける。
「私なあ、ひとつだけ後悔しとることがあるんよ」
「なにをいな?」
もしかしたら『後悔』とは「自分を抱いてほしい」と言ったことに関してだろうか。多汰美が
それを嫌がるのであれば、自分はさっきの発言を撤回するのにやぶさかではない。いくら好き
な相手だからといって、いつでも身を許せるというものでもないだろう。彼女が何を言っても
今日の自分はそれを素直に受け止めるまでだ。真紀子は多汰美の次の言葉を待つ。
「私、いつもマキちーに甘えとるけえ」
「…それやったら、私が甘えさせたいと思うてやっとることや。気にするな」
「それだけじゃのうて…その、あんなあ」
岩から落ちたら困ると手を差し伸べる真紀子の手をとって、下に降りた多汰美は濡れた石畳に
ややバランスを崩して真紀子の体にすがるように身を寄せる。真紀子は多汰美を怪我をさせ
まいと両腕と胸でしっかりと受け止めて抱き寄せる。預かった傘が真紀子の手から滑り落ちる
音がかすかに川岸に響いた。
「何を後悔することがあるんや。…いま誰もおらんから、言うてみ」
「ひとつだけ……私な、先にマキちーに好きって言いたかった」
「ああ」
「風邪引いたとき、ずっと考えとったんよ。マキちーのこと好きじゃけど、好きって言ったら
困らせると思って……。結局、マキちーが先に言ってくれたけえ、楽になったけど、……いつ
も私、甘えてばっかり」
多汰美は真紀子の肩口に顔をうずめる。
「…多汰美は誰とでもキスできるか?」
「できんよ。――――好きな人としか」
「それやったら、私も後悔しとることがあるで。多汰美はノリでキスできるんかと思っとった
から、派手なことせんと驚かんかと思うて口移しでキスしてしもうたし。…あれ、多汰美は
初めてやってんな」
「…うん」
「もうちょっと考えてすればよかったなあ……。やっぱり雰囲気とか大事やから。ごめん」
「いいんよ。二回目のでおつりが来るけえ」
「そうか。…もう後悔しとることはないんか?」
「もうないよ。こうして一緒にいられるだけで、嬉しいけえ…マキちーは私を選んで後悔して
ない?」
真紀子は己の肩口に顔を寄せる多汰美の髪を撫でながら、一言二言囁く。激しい水音でかき
消されたかと思ったが、多汰美の耳にはその言葉ははっきりと届いた。
――――私も初めてキスしたのは多汰美やから。多汰美以外とは誰ともせえへん。
夕方になったからか、ひどく冷え込んできた。これでは多汰美がまた寒がるではないかと思っ
て、真紀子は多汰美を強く抱き寄せて空を見上げる。鉛色をした空からは、はらりはらりと
花びらが舞うように雪が降ってきた。
「…フロントの人の言うこと聞いといてよかったな。雪やで、多汰美」
真紀子の言葉につられて多汰美も空を見上げる。上に広がるのは鉛色の空と、それとは対照的
なほどの白い雪。眺めているうちに、自分の体が真紀子と一緒に天に吸い込まれていくような
錯覚を覚えた。このまま二人、ずっと一緒にいられたら――――。いつか二人で一緒に見た
秋空を思い出しながら、多汰美は真紀子にその身を預けて目を閉じた。
「寒くなってきたな。温泉に入って温まらんと」
しばらくしてお互いの体温だけでは耐え切れないと判断した真紀子が、さっき落とした傘を
拾いなおして二人の頭上にさした。
「うん。ご飯の前に一回お風呂入った方がいいね。…八重ちゃんだけにおばさんの監視させる
のも酷じゃけえ」
真紀子と多汰美はやや小さめのビニール傘に身を寄せながらもと来た道を辿りなおしてホテル
に戻った。
二人が浴衣に着替えて大浴場に行くと、八重とロビーで別れてから一時間以上経っていたが、
八重も幸江ものんびりと湯船に浸かっていた。そういえば温泉に行きたいと最初に言い出して
ハガキを書いたのは八重だった。結局この二人は似たもの親子なんだなあ、と真紀子と多汰美
は顔を見合わせて笑い、檜風呂にゆっくりと浸かって冷え切った体を温めなおした。
夕食をとってから、八重と三人で二階の部屋で一緒にテレビを見たり、ゲームコーナーでエア
ホッケーやシューティング・ゲームで遊んだあと、もう一回お風呂に入ってくると言う八重と
別れて真紀子と多汰美は三階の部屋に戻った。
しばらくはテレビを見たりお茶を飲んで話をしたりしてくつろいでいたが、時計の針がいつも
の寝る時間に近づくにつれて二人を包む空気が重くなる。
(やっぱり、多汰美は私に誘われたいと思っとるやろな。)
意を決した真紀子が、ベッドで隣に腰掛けている多汰美に切り出した。
「多汰美。約束どおり『布団の中でしかできん続き』するけど、電気消してええ?」
もっといい誘い文句を考えつけなかったのかと心の中で舌打ちしつつ、多汰美の左手をとる。
多汰美は真っ赤になりながらも黙ってぎこちなくうなずき、ベッドの中に潜り込んだ。真紀子
はナイトテーブルに付いているスイッチを調節して部屋の電気を消し、間接照明のスタンドを
点けた。
「多汰美、こっち向いて。多汰美の顔が見たい」
真紀子に諭されて、多汰美は体を起こしなおす。真紀子は多汰美の髪をやさしく撫でてから、
髪の毛を留めているヘアピンを一本ずつ、ゆっくりと外していく。四本全て外し終わった後、
真紀子は眼鏡を外してヘアピンと一緒にベッドの隣のナイトテーブルの上に置いた。
「…狼は怖くないか?」
多汰美をゆるやかに抱きしめながら、真紀子はなるべく穏やかな声で多汰美に訊く。
「大丈夫じゃよ。私ずっと、マキちーとこうしたいって思っとったけえ……」
多汰美は真紀子を抱き返して、真紀子の瞳を見つめる。もう、二人とも目に迷いは無かった。
そのことを確かめると、二人は目を閉じて唇を重ね合わせる。一度唇を離すと、多汰美はにっ
こりと微笑んで告げた。
「これで、五回めじゃねえ」
真紀子が苦笑いしてやり返す。
「もう、何回でも、数えきれんくらいしてやるから」
真紀子は再び多汰美を抱いて唇を重ねる。初めてのキスがやや強引だったのが心の中でずっと
引っ掛かっていたが、もう遠慮することはない。今度はゆっくりと唇を舐め上げて感触を味
わってから舌を挿しいれる。多汰美も先程の真紀子の言葉で意を汲んだらしく、挿しいれら
れた舌に怯えることなく自分の口内を貪る真紀子の舌の動きに応える。何度も何度も繰り返さ
れる接吻。真紀子の唇を受け入れるたびに、多汰美は想像していた以上の強い快感を覚える。
自分が愛する人に本気で求められるというのは、まるで天国にいるような気持ちだ、と。
何度も唇を重ねるにつれて、徐々に多汰美は真紀子に覆いかぶさられる体勢になった。体勢が
変わったのに合わせて、真紀子は唇をおとがいや首筋に押し当てはじめた。左腕は多汰美を
抱きながら、右手で首筋や肩をなでさする。
「マキちー……」
「ん…どした? してほしいことでも、されたらいやなことでも、なんでも言え。初めてや
からな。上手にできなんだら、ごめん」
「私も初めてじゃけえ、なんにも分からんよ。…もう一回キスして」
多汰美の言葉を聞いてから、真紀子は髪を梳くように何度も撫で、それから口づける。愛しい
人、望むことならなんでもきいてやりたい。真紀子は頭の半分でそう思いながらも、もう半分
の意識は多汰美の全てがほしいという欲が支配していた。けれどいまはまだ、多汰美の望む
とおりに。多汰美を甘えさせるいつもの調子で、真紀子は顔に接吻を繰り返し、頭や肩を撫で
つづける。
多汰美は真紀子に抱かれながら、背中をそっと抱き寄せる。扱いが上手じゃない、甘えさせて
やれないといつも口にするけれど、真紀子は二人きりになるといつでもやさしい。それだけ
でもものすごく贅沢な思いをさせてもらっているのに、いまの真紀子はそれにも増してやさ
しい。触れられたところからとろけてしまいそうな感覚を覚えながら、多汰美は真紀子の口
づけに応じる。
何度も真紀子に触れられているうちに、多汰美の浴衣が着崩れてきた。照明は最低限の明るさ
に調節してあるが、それでも胸元の白い肌ははっきりと確認できる。真紀子が顔を赤くして
襟元を揃えなおすと、多汰美が真紀子を抱き寄せて、そっと耳打ちする。
「――――マキちー、キスだけでいいん?」
「…正直言うと、我慢できん」
真紀子が多汰美の顔を見ると、潤んだ瞳で自分を見つめてくる。その瞳に魅入られるように
吸い込まれた拍子に真紀子の緊張の糸にぷつりと切れ目が入った。その綻びからは、多汰美の
全てが欲しいという欲が奔流のような勢いで溢れ出し、真紀子の全身にあっと言う間に浸透
する。
気が付いたときには、両手は多汰美の浴衣の帯を解きにかかっていた。
「多汰美…もう止められんから……」
一言呻くように漏らした後、あとは全身を駆け巡る欲求に従って帯を外して抜き取り、浴衣を
脱がせにかかる。乱暴ではないが、迷わずに力強く自分を求めてくる真紀子にやや驚きつつも
真紀子の欲求の奔流に呑まれるように、多汰美は体を浮かせて真紀子の動きに協力する。多汰
美の浴衣を脱がせたあと、真紀子も自分の浴衣を脱ぎ捨てて今度は多汰美のブラのホックを
外して奪い、一緒に床下へと払い落とす。
今まで服で守られていた体が一度に外気にさらされ、多汰美は身を固くする。いままでさん
ざん誘ってきたことも何度も一緒にお風呂に入ったことがあるのも頭では理解できているが、
いざそのときが来ると激しい羞恥心が沸き起こってくる。腕で隠した胸に意識を向けると、
両方の突起が固く膨らんで腕の皮膚を押し上げているのがはっきりと分かる。自分の体が真紀
子を受け入れるのを待っているという事実を改めて多汰美は認識し、恥ずかしさで顔と体を
シーツで隠そうとする。
真紀子は上半身をねじって身を隠そうとする多汰美の動きを許すまいと強引に抱き寄せて、頭
を自分側に向けて再び唇に口づける。頭の中にわずかに残った理性が多汰美が嫌がらないかと
恐れるが、自分の腕に直接伝わる肌の温かさと柔らかさの前にはもう抑えきれない。抵抗され
ないのをいいことに後ろ手で自分のブラを外して脱ぎ落とし、その勢いのまま多汰美の乳房へ
と左手を這わせる。中央の方は腕で隠されているので、下からそっと持ち上げるように触れ、
ゆっくりと刺激する。もっと全体を触りたいのを我慢し、多汰美が許してくれるまで待つつも
りで真紀子は撫でるような力加減で刺激しつづける。
「…あっ……はぁ……っ、や……マキ、ちー……」
緊張が徐々に解けてきた多汰美は少しずつ声を漏らす。浴衣を脱がされたときには驚いたが、
ここまできても決して乱暴なことを自分にしないように振舞うのは、いつも自分に誠実な彼女
の姿と同じだ。
――――いつも真紀子が欲しいと思っていた。いま、その彼女が手に入っている。もっと彼女
が欲しい。もっと、もっと。
多汰美は自分の体を守っていた腕を解いて、すべてを許すように真紀子の背中を抱き寄せて
告げる。
「もう……いいよ、私、マキちーのものになりたい……」
もう自分を想う真紀子の心は痛いほど伝わった。今度は自分がすべてを彼女に捧げたい。心を
決めた多汰美は真紀子の左手を取って、自分の右胸の中央へと導いた。
真紀子は導かれた胸にじっくりと触れる。肌は温泉から上がったばかりのせいかしっとりと
自分の手に吸い付いてくる。軽く押すと程よく筋肉の付いた乳房の弾力が伝わってきた。
ここで、完全に真紀子の中に残っていた理性の糸は完全に切れた。
もう頭を、体を支配するのは多汰美のすべてを欲しがる狼か虎のような感情だけ。真紀子は
もう何度目かわからない口づけを交わしてから舌を首筋に這わせ、乳房へと降下させる。一度
軽く胸にキスをしてから、真紀子は多汰美の尖りきった突起を舐め上げた。
「……あ…っ、…マキ、ちー、マキちー……っ」
右胸は真紀子の左手に、左胸は真紀子の唇に支配され、もう多汰美には目を固く閉じて全身に
走る快感に体を任せることしかできない。腰のあたりに真紀子の長い黒髪がかかっているのが
分かる。いまはその髪のさらさらとした感触すら自分を抱く彼女の腕のようだ。何度か真紀子
に抱かれるところを想像して自慰をしたことがあるが、本物の真紀子が与えるのはその何倍
もの悦びだ。もっと真紀子に近付きたくて、もっと真紀子に自分を与えたくて、多汰美は目を
固く瞑ったまま手探りで彼女の艶やかな髪と頭を撫で続ける。
真紀子は何度も多汰美の胸を貪るように味わい続けていたが、心の奥底から新たな強い欲が
沸き起こり、頭の中をうるさいほどに刺激する。
――――もっと多汰美が欲しい。すべてを呑みこんで、ひとつになりたい。
自分を支えていた右手を多汰美の腰から放し、人差し指と中指を下腹部へと滑らせる。触れた
布地を軽く引っ張って促すと、多汰美は真紀子の意図を察し、頭を抱き寄せていた腕の力を
解いて、腰を浮かせた。胸から離れるのは惜しいが、いまはそれを我慢して真紀子は多汰美の
ショーツを脱がせ、ついで自分の下着も脱いでベッドの下へと落とす。自分のショーツを脱ぐ
ときにやっと己の体に神経がいったが、自分の秘所は全く刺激を与えていないのに濡れそぼっ
ていた。
(なんもせんでも、こんなんなるなんて……。)
真紀子は感情だけでなく肉体も多汰美を欲しがっていることに驚き、ある種の感動にも似た
喜びを覚えた。
「多汰美」
「…うん」
「多汰美の初めてのもの、全部もらうから。そのかわり、私のも全部やるから」
真紀子の声が多汰美の体に甘く響く。
「うん。…マキちーに全部…、持っていってほしい」
真紀子は多汰美の言葉を確認すると、右手の指を秘所へとあてがう。多汰美の秘所も既に濡れ
そぼり、真紀子を受け入れる準備を終えていた。真紀子はじっくりと花弁を刺激する。秘所が
指の刺激を受けて立てる湿った音が二人の情欲にますます火を点ける。最初は軽く触れるよう
な力加減だったが、二人ともそれだけでは満足できない。真紀子はこじ開けるように左手で
多汰美の脚を広げ、右手の指で秘所を開き、多汰美のいちばん敏感な部分を確かめる。おそる
おそる舌を伸ばして陰核を舐め上げると、多汰美は悲鳴にも似た声を上げて体を跳ねて反応
する。その反応を見ながら微妙な加減で舌を動かし、さらなる刺激を与え続ける。
「…あ、あぁ……っ! マキ…ちー、だめ…じゃよ、ふ…ぁ…っ」
ここまできてしまっては、もう真紀子も止められない。口で刺激を与えながら、右手を濡れ
そぼる入口にあてがい、くすぐるように、ときには回すように刺激する。多汰美はもう口では
抗う言葉も何も出せず、ただただ喘ぎ声しか発せられない。シーツを握り締め、意識が飛ば
ないようにと真紀子のことだけを考え続ける。だんだん途切れがちになる喘ぎ声と、ひくつく
入口。多汰美が達するのも近いと判断した真紀子は、最後の行動に出た。
口を秘所から放して一旦体を起こし、左腕で多汰美の体を抱き寄せる。触れた背中は汗をかく
ほど熱を持っていた。いまからすることは、もしかしたら多汰美が思っているよりも荒っぽい
ことになるかもしれない。それを紛らわせるかのように真紀子は乳房に吸い付き、突起を刺激
する。
「多汰美、ここの力抜いて…」
一度秘所から手を放し、注意を引き付ける。多汰美がくたりと軽く脚の力を抜くのを確認した
後、右の掌を秘所全体に当て、リズミカルに刺激する。
「…痛かったら、言うんやで」
一言だけ言い残してから真紀子は中指を深く秘所の中央に挿しいれた。
多汰美は自分の中を侵入してきた異物に驚く。痛みを与えないように、けれど進むことを決
して止めずに自分を侵す真紀子の指。しかし、多汰美をいちばん驚かせたのは、初めてなのに
まるで受け入れるのが当たり前であるかのようにスムーズにそれを受け入れる自分の体。
真紀子の指は何度か後戻りと侵入を繰り返す。そのたびごとに、多汰美の全身をこれまでに
経験したことがない痺れるような快感が襲う。
胸を刺激する唇、陰核を刺激する右手。真紀子の指が自分を貫いた瞬間、多汰美の頭は真っ白
になった。
「……あ、あぁ……ぁっ! …マキ…ちー、マキちー、…マ、キ……っ!!」
多汰美は最後に真紀子の名前を叫んで、果てた。
真紀子はゆっくりと指を抜いてから、ぐったりとベッドに沈んだ多汰美を抱き寄せた。自分の
名前を最後に呼んだ後何も言えずに体を横たえる多汰美の髪を、真紀子は胸元で何度も撫で
続けて目覚めるのを待つ。
時計を見ていないので具体的な時間は分からないが、しばらくして多汰美は目を覚ました。
「マキちー…私……寝とった?」
「ああ」
「いまなあ…夢見とったんよ」
「…そうか。どんな夢やった?」
真紀子が問うと、多汰美は真紀子の胸に顔をうずめて答える。
「マキちーの心臓の音だけ聞こえてなあ…、夕方に一緒に見た空が見えた。なんかなあ、自分
が見とったんか、マキちーが見とったんか、よう分からんのじゃけど、……うん、空が見えた
んよ」
「そうか」
真紀子は多汰美の髪をやさしく撫でる。それに応えて、多汰美は一言告げた。
「マキちー、……好きじゃよ」
「私もや。ずっとおるから。どこにも行かんから」
「…うん。おやすみ、マキちー。」
「おやすみ、多汰美。」
それから二人は、眠りに落ちた。
<エピローグ>
――――真紀子は、夢を見た。
場所ははっきり分からない。目の前には川が流れている。天を見上げれば、鮮やかな青空。
前も、どこかでこんな風景を見たような。緑広がる向こう岸を眺めていると、後ろから自分を
呼ぶ声がする。
『マキちー、もう帰る時間じゃよ。なあ、またおでん作ってくれる?』
『たまご、たくさん入れればええんやろ』
振り返ると、いちばん愛しい少女がそこには立っていた。
――――いつでも帰るのは、あなたのところ。
おしまい。
長杉w
>>酸性温泉氏
キィィトゥアァァァ−−−(゚∀゚)−−−!!!!!
(;´Д`)ハァハァハァハァ カ、カワエエ…
激しく…激しくGJ!!!!!!
『た…隊長!奴は…奴は我が軍の攻撃が効きません!それどころか…我が軍の損耗率90%越えました!
隊の殆どが萌え死にました!』
『くそう…酸性の温泉は化け物か…?』
…訳わかりませんが、酸性温泉氏、超GJ×千です!
>>705 禿げしくグッジョブです!
二人の違う話も読んでみたいな
どちらもすごく(・∀・)イイ!
746 :
酸性温泉:05/01/06 21:48:45 ID:Bqu+fdEh
後半を少し加筆したバージョンをサイトにアップしました。よろしかったら
どうぞ。↓
ttp://acidspa.nobody.jp/ss10.htm >741
orz<ゴメンナサイ
>742-743 >745
ありがとうございます。素人が書いた11作はとりあえずここで打ち止めです。
エロいのの手持ち札がもう切れましたのでw
保守
748 :
名無しさん@ピンキー:05/01/11 03:49:47 ID:p3wqoWNJ
しゅらしゅしゅしゅ
保守
750 :
名無しさん@ピンキー:05/01/19 12:57:05 ID:usUyjL3b
しゅ
751 :
名無しさん@ピンキー:05/01/24 03:41:26 ID:069/f05J
ほしゅしゅ
保守
職人さん щ(゚Д゚щ)カモォォォン
754 :
酸性温泉:05/02/03 22:01:23 ID:cFBiCCnR
場つなぎに>721-740の番外編を投下します。
初心に戻ってにわ×八重です。
《約束》
道星高校の生徒たちが期末試験という名の枷から開放された、十二月上旬のある日のこと。
八重、真紀子、多汰美が学校から帰ると、茶の間では八重の母の幸江が喜色満面の笑みで封筒
を眺めていた。
「お母さん、ただいま。…なにそれ」
八重が幸江に持っている封筒を渡されて見てみると、『七瀬八重様』と宛名書きがされた書留
だった。
「八重ちゃん、どしたん? 中は何が入っとるん?」
多汰美に封筒の中身を尋ねられて、八重は開封済みの封筒から書類を取り出した。
「えっと…、『タウンながおり』からですね。あ、温泉旅行が当たりました!」
「そうよ。瀬田沢温泉のペア宿泊券。真紀子ちゃんも多汰美ちゃんも一緒に行きましょうね。
初めての家族旅行だから、楽しみだわ」
家族旅行と聞いて八重たちは三人とも嬉しくなった。毎日一緒に過ごすのも大事だけれど、特
別な行事を一緒に過ごすというのも大事だし、楽しみなものだ。
「なあ、八重ちゃん。瀬田沢温泉ってどのへんなん?」
「このへんの地理はまだ疎くてなあ」
真紀子と多汰美が同封されたパンフレットの地図を見ながら、温泉はどんなところかなあ、と
楽しげに話をする。八重はそんな二人を横目に見つつ、幸江に相談を持ち掛けた。
「ねえ、お母さん。にわちゃんも誘っていい?」
「そう思って、さっきもう二十六日の土曜にホテルに五人で泊まるって予約したわよ。あなた
たちも冬休みの方がいいでしょうし、私も一月だと町内会の用事や新年会が詰まってるのよ。
だから八重、潦さんにも遠慮なく来てねって伝えてちょうだい」
「うん。お母さん、ありがとう」
八重は幸江に礼を言った後二階へと駆け上がり、自室に入ってから景子へ携帯電話を掛けた。
きっと景子も喜んでくれるだろう、と期待をして。
*
雑誌を買いに出掛けた多汰美が夕方家に戻ると、玄関には景子の靴があった。今日は一度家に
帰ってから七瀬家を訪れると帰り道で話していたので、きっと自分が出掛けている間に来たの
だろう。八重から旅行に誘われれば景子のことだ、すっ飛んで来たに違いないと多汰美は噴き
出しそうになるのをこらえながら居間に入る。だが中を覗くと、こたつに入った真紀子しか
いなかった。
「ただいま。あれ、にわちゃんは?」
「にわは八重ちゃんと一緒に二階に行ったで」
鳩のななせを膝に乗せて文庫本を読んでいた真紀子が返事をする。多汰美はこたつの上に買っ
てきた雑誌を置いて、真紀子のはす向かいに座った。
「にわちゃん、飛んできたじゃろ?」
くすくす笑いながら多汰美が真紀子に尋ねる。
「いや、にわのやつ、行けんのやて」
「八重ちゃんが誘ったのに?」
多汰美が驚いて重ねて尋ねるので、真紀子は景子の家の事情を説明した。
「…そっか。それじゃあ、仕方ないね」
多汰美は組んだ手の上に軽くあごを乗せてため息をつく。自分たちにとって景子は大切な友人
だ。多汰美ができることなら一緒に行きたかったね、と真紀子に同意を求めると、真紀子は
文庫本に目を落としながら、小声で答えた。
「せやな。…まあ、にわもがっかりしとるやろうから、今二人だけにさせとるんやけど」
「ふうん。信頼しとるんじゃねえ」
多汰美が真紀子の顔を下から覗き込んで少し意地悪く笑う。
「八重ちゃんになんかあったら、ここの家の敷居は二度と跨がせんだけや」
からかわれてややムッとした真紀子がやり返すと、それを意にも止めずに多汰美もけろりと
言い返した。
「まるでマキちー、花嫁の父親みたい」
「多汰美!」
半ば呆れ、半ば怒った真紀子の声に驚いたななせが膝から飛び立ち、多汰美の頭の上に移動
した。そのままななせは頭の上に居座るかと思ったが、せわしなくばたばたと髪の毛の上を
動き回っている。
「あ、ななせ。八重ちゃんのところに行きたいんじゃね?」
多汰美が訊くと、ななせは返事ができない代わりにおとなしく多汰美の頭の上に鎮座した。
「じゃ、私ななせを二階に連れて行くけえ。…ごめんね、その……このあいだの『にわの気
持ちもよく分かる』って…あれ思い出したけえ、あの、気を悪くしたら……マキちー、ごめん
ね!」
多汰美は置いた雑誌をひったくるように掴んで、ななせを頭に抱えて二階へと駆け上がって
いった。それを呆然と見送った後、真紀子は顔を真っ赤にしてこたつ布団の上に突っ伏した。
「…多汰美のアホ、あんな恥ずかしい告白思い出させるな。…いや、その前に突っ込む所は
『花嫁の父親』か? ああ、もうっ……」
*
「――――残念です。でも、法事じゃ仕方がないですね」
しょげかえった八重が右隣に座っている景子の肩に寄り掛かる。八重は期待して電話を掛けた
が、二十六日は景子の親戚の家の法事が入っているから旅行は無理だ、という景子の返事。
景子も旅行には一緒に行きたかった。けれど法事はずっと以前から決まっていたことだったし、
法事のある家は景子の両親がよく世話になった家なので、いつもは忙しい景子の両親も揃って
出席するほどの大事な用事なのだ。両親思いの景子がわがままを通してまで旅行に行けるはず
がないのは、八重もよく分かっている。それでも。
「…にわちゃんと一緒に温泉に行きたかったです」
景子を困らせたくはなかった。でも、八重は温泉には前々から行きたかった。好きな人と行け
たら、その楽しみは何倍にもなると思っていただけに、八重の落胆は大きかった。
「七瀬」
景子は自分の肩に寄りかかる八重に視線を落とす。あまり自分の前でがっかりする姿を見せた
ことがない八重が、気落ちした言葉を吐いている。自分たちでは致し方のないことだと自分も
八重も重々承知していることは頭では分かっているが、景子は八重を落胆させたことに対する
罪悪感を感じていた。
「七瀬…ごめんね」
景子には謝ることしか思いつけなかった。そっと八重の右手を握り、天井を仰ぎ見て静かに
大きく息を吐く。
「私こそ、無理を言ってごめんなさい」
八重は景子の左手を握り返す。そのつもりは毛頭ないのに、景子を責めるようなことを言って
しまった。景子はいつでも八重にやさしい。自分が責めるようなことを言えば、反撃するより
も落ち込むことになるのは分かっている。でも、どうして自分はこんなに一緒に旅行に行け
ないことにがっかりしているのだろう、と八重は改めて考え込む。
景子とはいつも一緒にいるし、泊まるということなら、二人きりで夜を過ごしたこともある。
温泉だって今度近くにスパがオープンするのだから、これだって一緒に行こうと思えばなん
とかなるのだ。それでは、どこにここまでがっかりする理由があるのだろう?
「七瀬…えーと、鳩の方の『ななせ』だけど」
景子は我ながらややこしい名付けをしたものだと思いつつ、八重に話を切り出す。
「ななせは、旅行のときどうするの? 瀬田沢は近いけど、七瀬の家は車がないし、行くと
したら電車になるわよね。車ならこの子賢いから連れて行っても大丈夫だろうけど、電車や
ホテルには連れて入れないんじゃない?」
「あっ、そうですね。ななせは……、ななせも行けませんね」
自分の話だと分かるのだろうか、ななせは八重が自分の名前を口にした後、軽く首を上げて
飛び立ち、八重の膝の上に止まる。
「ななせも……行けないんですね」
八重は自分の言葉をもう一度反芻するように繰り返す。そして一言、そうか、と呟いた。
八重が景子に旅行に行けないと言われてがっかりした理由。それは、七瀬家が揃って行くはず
の『家族旅行』なのに『家族』が欠けてしまうから。確かに自分たちは元は赤の他人だった
かもしれない。けれど、真紀子と多汰美は良い友達、そして姉妹になってくれた。景子は姉妹
とは少し形が違うけれど、自分や七瀬家を助けてくれる大切な家族になってくれた。ななせも
元は違う飼い主のもとにいただろうが、いまでは立派な七瀬家の一員だ。八重は父を亡くして
から家族旅行というものをしたことがなかった。――――だから、景子と行きたかったのだ。
「八重ちゃん、入ってもいい? ななせを連れてきたんじゃけど」
襖の向こうから多汰美の声がする。景子は静かに八重の手を握っていた左手を離して膝の上に
置き、多汰美に沈んだ顔を見せまいと目を固く瞑って顔の筋肉に力を入れた。
「あ、はい。どうぞ」
八重が返事をすると、軽い音を立てて襖が開いた。次に響くのは、ばささ、とななせが多汰美
の頭から羽ばたく音。ななせは八重と景子の前に着地すると、そのままぺたりと床に座り込ん
だ。
「じゃあ八重ちゃん、ななせ置いていくけえ」
多汰美はそう言い残して、襖を閉めて部屋から出て行った。この寒いのにどこを走ってきたの
か、顔が上気していたが、と景子は不思議に思いながら、畳の上に目を落とす。ななせは餌を
ねだるでもなく、誰かの頭の上に居座るでもなく、おとなしく床に座っている。
この八重が飼っている鳩の「ななせ」という名前は景子が付けたものだ。ななせは元は台湾
から迷い込んできた飼い鳩だ。怪我をして野良の状態だったのを七瀬家で面倒を見たのが縁で
八重のペットとなった。
八重は自分の膝の上に居座るずんぐりとした灰色の鳩の背を撫でる。
(あなたも、私の家族なんですよ。)
そう思いながら。
八重の母、幸江はもちろん自分を大事に育ててくれた。真紀子と多汰美はそれまで静かだった
七瀬家に楽しさと賑やかさをもたらしてくれた。母娘二人の生活に大きな不満は感じなかった
けれど、家族が何倍にもなったいまの生活は、何物にも変えがたい貴重なものだと八重はしみ
じみ思う。そして、自分の隣にいてくれる、この人の存在も。
「……あの、さ。この子は七瀬が旅行に行っている間、私が預かるから」
景子はななせの背を撫でる八重の右手の上に軽く手を重ねて提案した。
「にわちゃん……」
「法事は家から近いところのお寺だし、せいぜい二、三時間くらいだって言われたから。その
くらいなら、ななせを一人にしても大丈夫だと思う。この子、私の家にも何度か来て慣れてる
だろうから」
「ええ」
「だから、七瀬も安心して旅行に行けばいいのよ。青野と由崎も一緒に旅行に行くの、初めて
じゃない? ななせは…この子は、私が面倒を見るから。七瀬やおばさんより信用されてない
かもしれないけど、私もこの子の家族のつもりだから」
照れ笑いを浮かべて自分を見る景子の顔を見て、八重は目頭が熱くなった。景子も自分と同じ
ことを考えてくれていた。それだけのことだけれど、それはとても八重にとって意味が大きい
ことだった。
「ななせ、分かった?」
景子が軽く指でななせの背をつつくと、返事がわりだろう。ななせは八重の膝から飛び立ち、
景子の頭の上に居座った。ななせは気を許した人間の頭の上にしか座らないのだ。
「分かったみたいね。じゃ、七瀬。私の分も『家族旅行』に行ってきてね」
景子はななせを頭から下ろして膝に座らせなおし、八重の右手をとる。
「…はい、ありがとうございます」
ハンカチで涙を拭う八重のこめかみのあたりに景子の右手が触れる。髪を指で梳くように軽く
撫で、そのまま髪を持ち上げて景子は八重の頬にキスをした。
「八重、泣かないで。私、……八重に泣かれたら、どうしていいか分からない」
「にわちゃん……ごめんなさい。でも私、悲しいんじゃないんです。嬉しいんです」
自分をそっと包みこむ腕に抱かれながら、八重は景子の胸に顔をうずめる。景子はめったな
ことでは八重を名前で呼ばない。いつも「七瀬」と苗字で呼ぶ。わざわざ景子が名前で呼んで
くれた意味は、いまの二人には十分通じ合った。
――――この人は、私の恋人であり、親友であり、家族なのだ、と。
ようやく八重の気持ちが落ち着いた頃、景子がこっそり呟いた。
「…でも、この子、結構重くなったわね。七瀬が旅行に行っている間、餌やらなくてもいいん
じゃないかしら」
「そんなこと言うと、にわちゃん、またななせに突っつかれますよ」
景子の腕の中で安心しきった八重が、微笑を浮かべて返事をする。
「大丈夫。ちゃんと餌は好きなの買っとくからね、ななせ」
景子が左手で撫でると、ななせは嬉しそうにクルル、と鳴いた。
*
明日は期末試験明けで学校は休みなので、今日も景子は七瀬家に泊まることになった。
いつもどおり夕食と入浴を済ませた後、四人でテレビを見たりトランプをしたりして過ごす。
真紀子と多汰美は八重が思ったよりも落ち込んでいないことに心の中で安堵しつつ、景子の
分まで自分たちが八重と一緒に温泉に入ってくるよ、と笑いながら景子をからかった。
ゲームが終わったあと八重と景子は、八重の部屋に戻る。
夕方に多汰美が新製品の綿棒を何本か譲ってくれたので、八重が景子の耳掃除をすることに
した。八重が布団の上に正座をして、景子はその膝の上に頭を乗せて横になる。
「動いちゃだめですよ」
「うん」
景子は母親の言いつけを聞く幼稚園児のように返事をした。自分が困っているときは進んで
助けてくれる景子だが、ときどきやけに小さな妹のように見えるときがあるのだから、八重
にはおかしくて仕方がない。小さな子を見守る母親のような微笑を浮かべて、八重は景子の
耳を丁寧に掃除する。
「ねえ、七瀬」
「はい、なんですか。痛かったら言って下さいね」
「…ありがとう」
「まだ終わってないですよ、にわちゃん」
八重がにっこり微笑んで、最後の仕上げにかかる。何か言葉が続くだろうかと思ったが、景子
はそのままおとなしくなったので、八重も黙って景子の耳の掃除を続けた。
「おみやげは何がいいですか」
右耳の掃除を終えた後、八重が話を振る。
「んー…なんでもいい。あ、七瀬の浴衣の写真さえデジカメで撮ってきてくれれば、それで
いいから」
しれっとした顔で八重の質問に答えて、景子は向きを変えて再び横になる。
制服姿も私服もパジャマも見られていて、一緒にお風呂にも入ったことがあるのだから裸も
見られているのに、どうしてそこまでこだわるのかな、と八重は小首を傾げつつ左耳を掃除
する。そういえば夏に景子をおいて真紀子、多汰美と三人でプールに行ったときも、八重の
水着姿が見たかったと数日ごねていたことを思い出し、八重は苦笑した。
「わかりました。真紀子さんか多汰美さんに撮ってもらいますから」
「うん。温泉、どんな所か教えてね」
「はい」
ちょうど耳の掃除も終わり、八重が肩を叩いて促すと景子はゆっくりと体を起こした。眠気が
差しているのか、目が少しとろんとしている。
「いつか、一緒に行こう」
「はい。また、懸賞出しますから」
八重が嬉しそうにそう言うと、景子はかぶりを振った。喜んでくれると思ったのに、と景子の
反応をいぶかしむと、景子は右手でそっと八重の手を包みこむ。
「いいの、もう懸賞は出さなくて。いつか、……そうね、アルバイトでもして、自分のお金が
持てるようになったら、そしたらそのお金で七瀬と一緒に行きたい」
また運を使って七瀬が成長を削ってしまったらいやだから、と付け加えて景子は笑う。さっき
まで眠そうだった目もしっかりとした光を持ち直して八重を見つめている。
八重は景子の言葉に胸を熱くして、景子の右手を握り返す。
「はい。行きましょう。……いつか、二人で」
「うん」
景子は八重の右手をとりなおして持ち上げて片膝をつき、姫君に忠誠を誓う騎士よろしく八重
の手の甲にキスをした。
「――――約束する。私はずっと、七瀬と一緒だから」
おしまい。
766 :
酸性温泉:05/02/03 22:20:30 ID:cFBiCCnR
>>766 キタ━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━!!!
甘ーい、甘すぎるよ2人とも。
(*´∀`)b GJ!!
769 :
酸性温泉:05/02/06 21:33:11 ID:SeEyr1RK
>767-768
ありがとうございます。ああ、やっぱりにわ×八重は好きだと再確認。
真紀子×多汰美も好きなのですが。
ただ、これから当分エロいのは書く予定がないので、巣
>>656に帰ります。
多汰美×真紀子のエロでも書けたらまた来ます(無理)。
ふたつのスピカは百合的にも結構良さげな題材だと思うんだけど…見ないね。
圭×アスミ×マリカとか良さげなんだけど
マリカ×アスミだといいな。
桐生が激しく邪魔だが。
桐生と離していたマリカっぽい子はマリカとは別のクローンだということでいいのだろうか。
そうならば、桐生はその子とくっつけばいいんだ。