ageないほうがいいんじゃ
703 :
名無しさん@ピンキー:04/07/05 14:48 ID:oSho/5fP
1947年5月3日
敗戦後の9月、自ら謹慎するとして2年間国民の前に姿を見せなかった天皇が姿を現した。
だが、その姿は「御真影」として掲げられた写真にある姿ではなく、16〜7ほどの美しい少女だった。
GHQが用意した原稿が読み上げられ、その少女が天皇であることが説明された。
「私は敗戦という国難に心を痛め、皇祖神に平安を祈り続けた。飲まず、食わず、ひたすら祈り続け衰弱の極みの中夢を見た。枕元に皇祖神が顕れ、
この国難の時期を乗り切るために、私はお前と共にあろう。依代としてその身体を差し出せ、と。目を覚ますと、私はこのような姿になっていた」
そして、GHQにより次のような文書も同時に発表された。
「このような非科学的な事はあり得ないはずだが、我が合衆国の複数の医療機関に調査を行わせたが、彼女の遺伝子情報、血液、その他のあらゆる
データが裕仁氏のものと完全に一致する以上、彼女が裕仁氏であることを認めざるを得ない。神秘的な国には神秘的な事が起きるということだろう」
この少女が天皇であるということは、天照大神の来臨として、国民に受け入れられたのである。
そして、GHQの巧みな宣伝とリップサービスは、彼女の親米的振る舞いとともに国民の反米感情を根こそぎ懐柔させてしまったのである。