【そして、選んだ、道、のどか 〜エロパロ革命コシギンチャク〜(前編)】
それは蒸し暑い夏の日だった。一か月分のバイト代を銀行から引き下ろした俺は、
左手にタオルを持ち、汗を拭きながら秋葉の裏通りにあるショップへと向かっていた。
「ぜぇぜぇ暑ちいなぁ」
とはいえ、引き返す訳にはいかない。今日は等身大“りりかちゃん人形”の発売日なのだ。
今日買わないと、売り切れて一ヶ月入荷待ちなんてことにもなりかねない。それだけは避け
ねば、うおおおおおーーーーーーっ!!
俺は路地裏を曲がった。途端、背筋に悪寒が走った。人相の悪い5、6名の男達が
ヘラヘラしながらこちらを見つめていた。
「やばい・・・・・・!」
俺はとっさに走り出した。最近ヲタク仲間の間で、ヲタク狩りに合った奴の話を
思い出したからである。しかし―――
俺は地面に蹴躓づいてすっ転んでしまった。地面スレスレになった俺の顔の横をシャーッと
スケボーが追い越して、戻ってきた。
「おいおい、兄ちゃんよ。何逃げてんだよ」
「俺達のこと悪い奴とでも思ってんのか?え?」
「まだ何もしてねーだろーがよ!おい」
「まだしてないってだけでこれからするけどナー、けけけ」
俺は恐怖にふるえながら起き上がった。まずい、コイツらモノホンのヲタク狩りだ。
何て運が悪いんだ、俺。
見ると、倒れた反動で身体から外れたリュックサックから買ったアニメ雑誌の山が
飛び出していた。
「ん、何だよこれ」
ギャングの一人が、俺のリュックをつまみ上げ、中から俺の大事な雑誌を引き抜いた。
「何々・・・ニュータイピング、アニメージュノン・・・?」
「おいおい、見ろよお前ら」
「きめーーっ、こいつアニメ雑誌なんか買ってやんのー」
「モノホンのヲタクだぜ、こいつ。ぎゃはははははははっっ」
俺は恥ずかしさのあまり、耳たぶが真っ赤になるのを感じた。通りすがる通行人は、
俺に哀れんだ目を向けるだけで素通りしていく。きっと警察呼んでくれることもないだろう。
「しかし臭ぇなぁ、この本。生ゴミは片付けちまおうぜ?」
「おう、へっへっへっ」
何を血迷ったかギャング達は俺のアニメ雑誌をビリビリに引き裂き、千切り、路地に
バラ撒いた。
「な、何するんだ君たちは。やめろ」
ニヤついていたギャングの目が突如鋭い目つきになった。
「・・・あ?何か言ったかおめー。」
「聞こえなかったんだけどよおー、もう一度言ってくれねぇかなあぁ!」
ギャングが声を張り上げる。
「やめろと言ってるんだ」
語感とは裏腹に、俺の声はユスリ蚊の羽音のように小さかった。
「・・・・・・あ?やめろだと」
「てめぇ、まだ自分の置かれた立場が分かってねぇらしーな!?」
「やっちまおうぜ」
次の瞬間、俺は腹を抱えて地面に倒れこんだ。ギャングの一人が俺の腹に
強烈なボディブローをかましたのである。
「が、がはっ・・・・・・」
さすがにこの一発で胃液を吐くほど軟ではないけど、でもやっぱ痛い。
しかしそれでことは終わらなかった。別のギャングが俺の肩口にカカト落としを
食わせたのである。
「うああぁあーーっ・・・・・・や、やめろ・・・・・・やめろよぉ〜」
俺は情けない声を上げた。
「やめて下さい・・・だろ?」
そう言ってギャングは俺の顔を靴の裏で思い切り蹴飛ばした。俺の身体は
ゴムマリのように道端に転がった。
「ごほっ、ごほっ。や・・・・・・・やめてくれ、やめて・・・・・・やめ、やめ・・・・・・て下さ・・・・・・い」
俺はかろうじて声を振り絞った。
だが、奴らはその攻撃の手を緩めることはなかった。倒れている哀れな俺にギャング達は、
寄ってたかって蹴りを浴びせ続けた。
「コラ!臭ぇんだよ、ヲタクはよぉー」
「おめーみたいなキモイのと同じ空気吸ってると思うと、マジで吐き気がしてくるぜ」
「さっさと死んで、社会から永遠に消えちまえ!」
「顔洗えよ」
ト、 , ---- 、
H /::(/、^^, :゙i
(( (ヨb |::l,,・ ・,,{:K〉 ))
\`l:ト、(フ_ノ:」/
゙、 ヾ〃 /
〉(@u@;)|
まさに集団リンチ、俗に言う私刑というやつである。俺は2本の手で顔とキンタマを
守りながら、必死に哀願するしかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」
・・・・・・。
・・・・・・。・・・・・・。
・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・。
そうして何十分たっただろうか?いや、実際には数分だったのかもしれないが、俺には
とても長く感じられたのだ。とにかく急に奴らの蹴りが止んだのだ。
「え・・・・・・!?」
おっかなびっくり顔を上げると、ギャングどもが上から侮蔑を込めた表情を浮かべて、
上から見下ろしていた。
「そろそろ、許してやるよ。その代わり・・・・・・」
ギャングはうすら笑いを浮かべ、胸元からジャックナイフを素早く取り出し、俺の首元に
当てた。
「ひっ・・・」
「金、貸してくんね?」
奴らに金を貸すということは、金を支払うのと同義だ。どうせ2度と会うこともない
だろうし、会ったら会ったで、返済に応じるような連中とも思えない。しかしだとして
も、この状況下でのこちらの拒否権は事実上ないに等しかった。俺は断腸の思いで、
泣く泣く財布を手渡した。
せめて、資金を財布とポケットに2分割でもしとけば良かったと後悔したが、今とな
っては後の祭りだった。
「ひぃー、ふぅー、みぃー。・・・・・・・・・おい、すげぇこいつ、27万も持ってんぜ!」
「だはははっ、ゲーセンで使いまくっても1週間はかかんな」
「おいおい、ゲーセンなんてみみっちい事言ってねーでこの際風俗にでも行こうぜ」
「おっそりゃいいな、俺童貞だしぃー」
「ぎゃははっ、だっせー、おめ、まだ童貞だったのかよ!そこで無様にぶっ倒れてる
キモヲタと一緒じゃねーかよっ!」
「おいやめてくれよ、そいつと違って彼女ぐらいいるさ、今夏中にはキメルぜ。
だから、その前に・・・」
「やめとけやめとけ、風俗なんて。今度俺の知り合いの女回してやるから」
他愛ない雑談をしながら奴らは俺のサイフから27万ごっそりと抜き出した。
俺はためらいがちに哀願した。
「あ、あの・・・・・・せめて半分ぐらいは残してくれませんか?・・・・・・その・・・・・・
この一ヶ月一生懸命働いて稼いだお金なので」
連中がギロリと睨む。
「あ、何言ってんだおめ?小銭残してやっただけでも有り難く思えや」
「す、すいません・・・・・・調子に乗りすぎました・・・・・・」
悔し涙が出そうになるのを俺は歯を食いしばって堪えた。腰巾着に手をあて、
結局今日も使えなかった自分の小ささを呪いながら・・・・・・
そして全て諦めかけていたその時―――
「待ちなさいっ!」
凛とした声が響き渡り、ギャング達がハッと顔を上げた。次の瞬間、
ギャングの一人の身体が吹き飛び、通りの隅にあったゴミ箱に頭を突っ込んだ。
「・・・・・・!」
ギャングを吹っ飛ばしたのはなんと、制服の少女だった。長い前髪がさらりと風になびく。
しかもその制服は―――シングルジャケットにベスト、ボックスプリーツのスカート―――
(俺の)地元の“麻帆良学園”のものに違いなかった。そんな、この場にはある意味そぐわしく
ない少女が、制服に発育状態の良い肉体を包み、両こぶしを前に構えて、背筋をきりっと伸ばして
怯むことなく立っていたのだ。
「なんだこのクソ尼、犯られてぇのか?」
「んなことして、ただで済むと思ってんじゃーねだろうな!」
ギャング達は少女に一斉に襲い掛かった。
背も高くなく、腕も細い少女。体格の差は明らかだった。俺はすぐにでも訪れるであろう、
痛々しい光景を想像して思わず目を閉じた。しかし―――!
「ぐはぁっ!」
投げ飛ばされたのはギャングの方だった。
「な・・・! な・・・!」
焦るギャング達。
「さぁっ、あなた達も同じ目に遭いたいの!?」
少女の澄んだ声が冴え渡る。通行人たちもさっきとは打って変わり、ガヤガヤと集まって
きていた。やはりヲタクが襲われているのと、少女が襲われているのとでは、人々の反応も
違うというものだ。だが、その時の俺には『男女逆差別ダヨ』と苦笑する余裕もなかった。
ただただ目の前にいる凛々しい少女―――華奢な身体でギャング達と渡り合うそれは、大河
ドラマの大名の姫君がピシっと鉢巻をして、襷がけで薙ぎ刀の訓練をする場面を思い出さ
せる―――に見惚れ、圧倒されてしまっていたのだ。
「うおおおおーーーっ。萌えぇぇええええーーーーっっ!」
と大声で絶叫したかった俺だが、止めといた。さすがにこの群集の中でそんなことを
叫ぶ程、無分別ではないのだ。美談が奇談に終わってしまいかねない。ここはせっかく
助けに来てくれた―――しかも見るからにヲタクファッションの俺に―――女神の顔を
たてよう。
「ちっ・・・ヅラかるぜ」
さすがに形勢不利と見たのか、ギャング達は俺に金を返して去っていった。
「フン、おとといきなさいよーだ!」
少女は立ち去るギャング達にあっかんべーをしている。そして俺の方に向き直った。
「大丈夫ですかー?ケガはありませんかーー?」
さっきとは打って変わった間延びした声。これが素の彼女なのだろうか?今あらためて
見ると、どこかおどおどして内気な印象を受けた。心なしか瞼が腫れており、やや眠たげ
な印象すら受ける。大きな黒い瞳は情感をにじませながら潤んでいる。俺はその瞳に見入ら
れただけで、ジーンと痺れにも似た心地に襲われるのだった。だが。
この少女が2人の男を打ち倒した男とはとうてい思えないような・・・・・・俺は夢を見て
いるのだろうか?それともエロゲのやり過ぎで、二次元と現実の区別がつかなくなって
しまったのだろうか。はん、まさかね。
とにかく俺は差し出された手を取った。白くて繊細な手と、油ぎっていて埃まみれの
手が対照的なシルエットをかもしだしていたが、まぁそんなことはどうでもいい。深く
考えると鬱になりそだし。
「か、かかか・・・・・・かたじけない」
俺は緊張のあまり、場違いな礼が思わず口から出た。ありゃ、これじゃ俺の方がおど
おどしてるじゃないか。ま、俺は筋金入りのヲタなんだから、ある意味しょうがない。
「あたっ」
彼女の手を取って、立ち上がろうとした瞬間、俺は前方につんのめり、彼女と一緒に
倒れてしまった。どうやら先程の恐怖のあまり、腰が抜けてしまったらしい。情けない。
こんな美少女の前で。まぁ失禁してないだけマシか。もしイイ年してお漏らしなんかして
たら、それこそ自殺するしかなかっただろう。ていうかその場合、助けられないで、ボコ
られて金取られた方がまだましかも。フツーに。
「ご、ごめん。・・・・・・ここ、腰が・・・」
「・・・え・・・・・・・あ・・・・・・」
「うひぃっ!?」
なんと俺は彼女を下にして覆いかぶさってしまっていた。はやく彼女の上からどいて
あげたいが、腰が引きつってなかなか態勢を変えれらない。
「はうっ」
しどろもどろする俺の目の前に、どうして良いか分からないといった表情の、少女の
顔があった。彼女の鼻息が頬にかかる。こそばゆい。シャンプーにコロンに、何やら
甘い匂いがむんむんして鼻息がつまりそうだ。彼女の白い頬は、ほんのりと桜色に上気
していた。おそらく、俺の頬もそんな感じだろう。
(ドクン、ドクン・・・)
生まれたからこのかた―――朝のラッシュの満員電車の中以外では―――年頃の
女の子とここまで密着したことのない俺の心臓は疾風のように高鳴っていた。間近で見ると
余計な肉などなさそうな、つるりと引き締まった体つきの少女だ。乱闘を演じたとは思えない
ほど華奢なようだが、制服のサイズが小さいのか、形の良い乳房がベストの布ごしに、はち
きれんばかりの“女”を主張していた。ああ、こんな娘が、青空の下で両手を上に伸ばして
後屈運動する姿を、前から横から穴のあくほど眺めてみたいものである。と余計な妄想が
次から次へとーーーっ。俺のバカーっ。
ああまずい。このままじゃこの高鳴る心臓の音が聞かれてしまう。ていうか・・・
・・・重ねあった胸から彼女の鼓動が伝わってきている。ってことはもうとっくに・・・
・・・あちゃーっ
「はっ・・・・・・!!」
俺はそれよりも他のもっとはるかに重大なことに気付いた。か、下半身がっ・・・・・・!
「「「ムクムク、ムクッ、ムクムクーーーーッッ!!」」」
意識した瞬間、俺の息子は怒号を打ったように脈打ち、猛り狂い、ヘリウムガスを
注入した気球の200倍のスピードで膨張を開始した。何でこんなとこばっか元気なんだw
俺の股間は互いの夏服の薄布腰に、彼女の肉づきのよい太腿のあたりをグイグイと
圧迫していた。
「あ、あうぅ・・・・・・」
さすがの彼女も泣き出しそうな顔になってきた。助けた相手に襲われたらそりゃあ
ショックやろ。眼にうっすら涙を浮かべ、肩を小刻みに震わせている。
「ごめん! ごめん! わざとじゃないんだ、マジで!!」
『マジで』何て慣れない若者言葉を使いながら―――後でビジュアル系の友人にその
話をしたら、『マジで』何て今さら若者言葉でも何でもないよと一笑に付された訳だ
が―――俺はさんざん痛めつけられた腕にムチ打って、力を込め、地面を打って、彼女
の上からやっとのことで抜け出した。離れる間際に、少女の身体から甘酸っぱい体臭が
たちのぼった。女性の汗の匂いだ。俺は思わず鼻を啜った。
バタンQ。俺は今度は仰向けに転がった。そして目を閉じ、脂汗をかきながら、
言い訳した。
「ぜぇっ、ぜぇっ・・・・・・ごめんホントに腰が抜けてたんだ。わざとじゃ、ないっすよ!」
またおかしな語尾になる俺。
「あ・・・・・・はは、はい。」
この頃には立ち止まっている通行人も再び歩き出していた。一件落着と見たのだろう。
まったく、ここにケガ人がいるのに、完全放置かよ!これが可愛い女の子だったら奴ら
我先にと手を差し伸べるに違いない、と毒づいていただろうな。普段の俺なら。だが、
今は―――
それから俺たちは1分程見つめ合っていた。俺は地面に無様に転がりながら・・・男達を
コテンパンにのしたその割には内気そうな謎の少女に見入っていた。そして彼女のほうも、
地面に肘をつき、上半身だけやや起こした格好のまま、不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
「「「パッパッパッーーーーッッ!!」」」
目の前に若い男が乗った原チャが目の前でクラクションを鳴らしたので―――若い男と
言っても先程のギャング達とは違い、サラリーマソ風の風貌だった―――俺と彼女は同時
に我に返った。彼女はぱっと飛びのき、俺もなんとか這って道の端まで移動した。
「ったく昼間っからこんなとこでいちゃついてんじゃねー! バカップルが」
捨てゼリフを残し、原チャに乗った男は向こうへ去っていた。おそらく買い物客なの
だろう。千代田区周辺は、道が狭い上に、駐車場も少ないので、車よりもバイクが使わ
れることが多い。原チャ以外にも、単車やビッグスクーターの路上駐車が多いところ
なのだ。新宿から品川に至るまで、山の手沿線というところは。その男は、後に俺達に
重大な関わりを持つことになるのだが、その時の俺達には知る由もなかった。
原チャを見送った後、彼女は俺のほうに向き直った。彼女は中腰だった。直立姿勢だと、
地面にほとんど転がった状態の俺を見下すような形になり、俺に失礼だとか、まぁその
へんの些細な理由で気遣ってくれているのかもしれない。そう言えば、まだちゃんとお礼
も言ってなかった。俺が取りあえず礼の言葉をのたまおうと口を開きかけた刹那―――
浮いてる…
「あ、あの・・・・・・私まだ自己紹介済んでませんでしたよねーー?
私、麻帆良女子高校2年C組、宮崎のどかと申しますですー」
少女は伏せ目がちに変な喋り方で自己紹介し、名刺を差し出した。俺はちょっとびっくり
して―――だって名刺持ってる女子高生なんて普通いないだろ―――手を思わず引っ込めた。
さすがにちょっと電波なのかもしれない。まさかNHKの刺客か?とも思ったが、それは
作品が違う。
実はこの名刺は、彼女の友人の早乙女ハルナ―――高校に通いながら同人活動を続けている、
セミプロといった感じで不定期にマイナー雑誌からの仕事も引き受けている―――が冗談半分
で、『あんたも高校生になったから、会った人には名刺渡さなきゃだめよ』と言ったのを真に受けて
しまった結果なのである。やや世間ずれした感のあるのどかは、ハルナの悪戯心を読み取れず、
言うとおりにしている。名刺そのものは、ハルナにパソで作ってもらった(別に名刺ぐらいなら、千
雨じゃなくても作れるっしょw)。
「あ、お、俺は・・・・・・とくなか。とくなかくらのり。」
「くらのりさん?どういう字を書くんですかぁー?」
「とくは特別の特。なかは中央の中。くらは比較の比。のりは師範代の範」
「特中比範!なんか微妙に聞いたことあるような、まぁいいですー」
「よろしく!・・・にしても体中いてー。う、動けないよ、ははw」
「とと、取りあえず病院運んでいきますねー。そのままじゃお家帰れないでしょ」
うむ。
* * * *
翌日怪我の治療を終えて退院した俺は、のどかちゃんからもらった名刺を見つつ、
その電話番号を順にプッシュし、電話をかけた。
時刻は12時半。のどかちゃんは女子高生だと言ってたから、おそらく今頃は昼休みの
はずだ。それにしても、バリヲタの俺が現役女子高生に電話をかけるなんて、我ながら
勇気ある行動にでたもんだ。のどかちゃんがちょっとズレた女の子であるということが、
心理的な垣根を低くしていたのかもしれない。それでも緊張はした。が、のどかちゃんに
再び会いたいという好奇心の方が勝った。
時を経れば経る程、こういう電話はかけにくくなるものだ。きっかけというか、それ
相応の口実も必要になるし。というか、病院まで肩を組んで運んでくれたあの温もりが
忘れられないんだよ!
プルルゥ――ブル――プルルゥ――ブルリ――
4コール目でのどかちゃんが出た。
「は、はいもしもしー、宮崎のどかですぅー」
携帯にかけたんだから本人が出るのは当たり前なのにw のどかちゃんらしいと言えば
のどかちゃんらしい。え?会って1日しかたってないってのに厚かましい?わかった風な
口を利くなって?まぁまぁ。
「あ、お、俺。昨日助けてもらった、特中。」
苗字じゃなく名前の『比範』の方を名乗れば良かった。言ってから後悔する俺。苗字
で『特中』という人間としてコミュニケーションするのは、やはりどこか他人行儀になる。
年頃の娘には『比範くん』『比範さん』『比範お兄ちゃん』『兄たま』と是非呼んでもらい
たいもんだ。
てか、この時ほどイケメソに生まれていれば良かったと思ったことはない。イケメン
だったなら、気兼ねなく色男風の声色で『やぁ、俺だよ。比範だよ、俺の声聞けなくて
寂しかったんじゃないのか?』なーんて囁いてみちゃったりして!キャーーーーー!!
・・・・・・。
・・・・・・。・・・・・・。
・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・。
誰だよ、俺。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、のどかちゃんは持ち前のスミレ
色の音色で答えてくれた。
「特中・・・・・・あ、比範さん!?」
そう、ちゃんと下の名で呼んでくれたのだ。ああ、なんていい娘なんだ君は。じーん。
俺じーん。ところがそんな夢見心地の俺の心にさざ波立てるような雑音が。
「「え、なになに男ー!?」」
「「やだー、のどかったらー。アンタいつ男作ったのよー」」
受話器の向こうから彼女の友人とおぼしき声がキャピキャピと聞こえる。
「「ち、違うってばーもう。ハルナもまき絵もやめてー、昨日秋葉原で私が助けた男の人だよぅー」」
携帯から顔を離して友人に弁解しているのどかちゃんの様子がなんとなくほほえま
しい。いや、見えないけど。
「「なーんだ。ヲタクかよーw」」
「「ヲタク狩りに遭った人ー?やだーー!」」
グサッ。俺の心は13本の氷の矢で貫かれた。思いっきり聞こえてるんすけど。
ややあって、のどかちゃんが応答してきた。
「あ、ごご、ごめんなさい。ちょっと友達がからかってきて・・・」
「あ?ああ、いや別に。」
俺はこの時点で既にくじけそうになっていた。もう切っちゃおうかなー、なんて。
ところが。
「く、比範さん。良かったら今日の午後・・・・・・あ、会えませんか?放課後に」
のどかちゃんからの意外な提案。まさか向こうから申し出てくるなんて。いや俺も
彼女にデート申し込もうとしたんだけど、いや、デートってイウほど大げさなものじゃ
ないな。ちょっとサ店で一緒にオ茶しようなんて思ってたっつーか。
下心がない訳じゃないんだけどさ。でも受話器の向こうの彼女の友人達の発言で
すっかりくじけてしまいまして・・・志半ばでリタイアすっとこだった。
「あ、あぁ。うん。そうだね。じゃ、じゃあ5時に駅前のアバカブってサ店でどう?」
「は、はい。わかりましたですー。」
家が近いと、話が早くていい。俺は、気さくな初老のマスターがいる個人経営のサ店を
指定した。実はそのサ店、10年程前にドラマチックな恋物語が繰り広げられる舞台に
なったのだが、もちろん俺には知る由もない。
俺はホッとしてさよならを言おうとした。が―――
「あ、ごご、ごめんなさいです。私、一方的に喋っちゃって。比範さんの要件って何
ですかっ!?」
「あ、いや。もういいよ。・・・・・・というか、実は俺も一緒。もう一度君に会いたかっ
たんだ」
「・・・・・・え?・・・・・・そ、それって・・・・・・」
「い、いや。な、ななななんていうか、その・・・・・・そう、あれだよあれ!・・・・・・きの、
昨日のお礼をあああ、改めてちゃんとその、伝えておきたくて」
「あーそうだったんですかー、わかりましたですー」
「じゃ、じゃあ午後5時に約束の場所で」
これ以上会話を続けると、またぼろが出てしまいそうなので、俺はあわてて電話を
切った。
2分11秒―――
携帯画面の通話時間表示を一瞥し、俺はさっきまで彼女の甘ったるい声音―――0と
1のデジタル信号を変換した擬似音声に過ぎないそれ―――を発していた携帯上端の
通話口をぺろっと一舐めした。 (´・∀・`)オイチイ
この時の唾液が元で、俺の携帯は故障した。
* * * *
秋葉原から駅から2km程離れたところにある小型の雑居ビルの一角、その部屋の扉には
小さな文字で「ひなた商事」と書かれていた―――
角刈り頭にストライプ入りのスーツを着込んだ40代と見られる男が、やや不慣れな
手つきでパソコンの画面に見入っていた。画面には3〜4個のウィンドウが開いており、
一番手前のウィンドウにはチャートグラフが描かれている。隣の机には小型ラジオが
あり、午前の市況概況を伝えていた。
―――日経平均株価は反発して午前の取引を終了しています。
前引けの日経平均株価は1万1618円86銭。37円59銭高となりました。
―――狭いレンジでのもみ合いとなって、上げ幅も小幅に留まりました。
しかし昨日のアメリカ市場でハイテクが高かったことが指数以上に底堅い
相場へと繋がっています。
―――そして午前の売買高ですが、概算で6億8256万株。売買代金が6150
億円です。東証一部の値上がり銘柄数は710、値下がりが652、変わらずは、
192銘柄となっています。
―――では個別でまず上げたところですが、豊美自動車が6%以上上昇して
います。数少ない実需の買いが入っていると言った声が聞かれています。
そして証券会社の投資判断の引き上げなどもあって、名雪フィナンシャル
グループが年初来高値を更新しています。
――― 一方下げたところですが、統盟不動産、朝方205円まで買われまし
たが、下げに転じています。業種別では、銀行や保険、証券、不動産など
内需が総じてさえません。内外の機関投資家が―――
男は銜えタバコで備え付けの電話をとった。
「あ、もしもし近藤親分?俺だ。ひな商の徳丸だ。これから仕手戦始めるぞ?ウチの上の
人間からの情報だ。銘柄は大萌木建設。14時ジャストにウチの者が本社前で一騒動起こす。
その前に最大枠で空売りかけるんだ。ウチもこれから売り浴びせ始める。融資先の松赤銀が
買い支えに入るだろうが、所詮は第二地銀。14時のニュースで、ゲームセットだ。これで
こないだのあんたんとこへの借りはなしだ。悪い話じゃないだろ? え? 何それ? 信用
できないってか? オプションにしとく? ったく相変わらず肝っ玉小えぇなぁ。ま、好きに
して下さい」
ガチャン。男は受話器を乱暴に置くと、二本目のタバコに火をつけ、ふーっと大きく
吐き出した。そして画面に4桁の数字を入力し、エンターキーを押した。これで準備万端。
なんのことはない。親組織のおこぼれをもらっているだけだ。
「徳丸兄貴!」
小走りで若い男が入ってきた。どこから見ても普通のサラリーマンにしか見えない、
ただ眼光だけがやや鋭い男が。
「兄貴は止めろ。ここは組じゃねぇ、会社なんだ」
「す、すんません」
徳丸はそう言って部下の男にやんわりと注意を促した。
ここ、『ひなた商事』は表向きは普通の小規模商社だったが、その実態はマフィア
傘下の系列企業である。しかし最近は事業の高度化や、会社の全社的情報化推進の
必要性もあり、社員の約半数はカタギの一般人である。もっとも彼らも、自分の会社
が非合法組織とつながっていることに薄々感づいてはいるのだが、待遇がそれなりに
優遇されており、彼ら自身にはリスキーな仕事は回ってこないので、知ったからと
いって会社を辞める者は少ない。
「で、兄貴。例の競売物件ですがね、落札者の奴、俺ら立ち退かせるために同業者雇おう
って動きがあるみたいなんすよ」
「同業者?どこらへんだ?」
「へぇ、おそらく黒薔薇商会かと」
「ちっ、面倒だな。よしわかった。そっちに2〜3人回そう。それまで現場のもんには
粘らせろ。あと、そうだな・・・・・・示談金の方は2割下げて向こうの出方を見てくれ。」
「へぇ、わかりやした」
徳丸はそこで一服すると、タバコを灰皿に押し付けて火を消した。
「・・・・・・で、それはいい。別の話だ。ここ数ヶ月に気になってたんだが、下部組織からの
上納金がめっきり減ってるようじゃねぇか。どうなってんだよ?」
「へ、へぇ。それがですねぇ。ガキどもの狩りがあんましうまくいってないみたいなんで
やんすよ」
「何? サツか? 強化月間でも始めたのか?」
「いえ、あっしもガキどもに聞いてみたんすけどね。奴らなかなか口ごもって言いたがり
ませんでしたが、どうやら変な女が奴らの邪魔してるみたいなんすよ。秋葉周辺で」
「何だと? 何者だ? WAC(女性自衛官)上がりのガーディアンエンジェルズみたいな
連中か?」
「いえ、それがなんと・・・・・・女子高生1人・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
幾多の修羅場を繰り広げてきた徳丸も、この時はさすがに銜えていたタバコを床に落とした。
しばし、沈黙が流れる。
徳丸の額、みるみるうちに赤い血管が浮き出てきた。
「腑抜けどもが!たかが小娘一匹に、何てこずってやがるんだ!!・・・・・・ちっ。おい
日向、お前は競売の方はもういい。そっちは俺が指揮をとる。お前はその、調子に
乗っちゃったお嬢ちゃんを可愛がってやれ!二度と悪さをしねぇようにな!」
「へぇ、お嫁にいけない躯にしてやりますわ」
「月半ばだし、金融担当のゴロツキどもも暇なはずだな。よし、あいつら何人使っても
いいぞ。で、相手の身元は割れてんのか?」
「いえ、まだでやすが。あ、でも昨日、その本人の姿をバッチリ見届けてきましたわ。
これが写真っす。どうやら埼玉の麻帆良女子高校ってとこの生徒のようでやす」
「ほう・・・・・・もっとゴリラみたいなのを想像してたが、結構ベッピンさんじゃねぇか。
ちょっとまだガキっぽいが。・・・・・・ぐふふ、こいつぁ楽しめそうだな。ヤる時は
俺にも連絡よこせや?」
「あいあい」
二人は口の端を歪めながら残忍そうな笑みを浮かべるのだった。
* * * *
16:45―――
腕時計のデジタルメータ。俺、特中比範は、アバカブ店内のよく日のあたる窓側の
席に座っていた。窓際のヒヤシンスが黄昏色に染まっている。レジの真上にある古物の
大きな鳩時計は16:42のあたりを指し示していた。マスター、補正ぐらいしろってw
「やぁ、特中君。久しぶりだね。」
そう言って髪に白いものが混じるようになった店長が、暖かいコーヒーを持ってきた。
このクソ暑いのにコーヒーなんて、と思われるかもしれないが、店内はギンギンにクー
ラーが効いているので無問題なのだ。多汗症の俺には不十分なぐらいだ、クーラー。
「え、えぇ。すっかり老けましたね。マスターも。ところで、今日は女の子と待ち合わせ
てるんです。だから、彼女来たら注文以外の時はあっち行ってて下さいね?」
「やれやれ、相変わらず毒舌だねぇ、特中君もw」
そして店長はコーヒーを置くと、俺の全身を舐めるように一瞥し、それからカウンター
の奥に消えていった。何だよ、マスター。まさか俺の格好が変だってのか?ちょっと
不満を持ちつつ、俺は勝負服のスーツを上から下まで―――埃や皺がないか、ネクタイ
曲がってないか―――チェックした。
あと10分。俺はのどかちゃんと長期的な知り合いになれるだろうか?そして、
ちょっと謎っぽい彼女の行動の意味に・・・・・・少しは近づけるだろうか?とにかく、
ヲタヲタしてないで、堂々としていよう。俺は腰巾着に手をあて、深呼吸をした。
* * * *
「マスター、注文」
「はいはい。」
俺は手を下げて、店長を呼んだ。
「俺、レアチーズと、メロンソーダね。のどかちゃんは?」
「え・・・えっと。ちょ、チョコレートパフェとオレンジジュースお願いしますですー」
「了解っと」
「あ、それから、彼女、ちょっと寒いみたい。クーラー弱めてあげて?」
「オッケー」
店長は容器な口調でそう言うと、気を使ってさっさと向こうに行ってくれた。
俺の目の前には美少女。しかも現役女子高生。夢にまで望んだ状況が現実のものに
なっていた。やや子供っぽい印象はあるものの、目鼻立ちが綺麗に整っており、その
端正な顔立ちは、現代版・大和撫子という言葉がぴったりだ。そして、夏だというのに、
この透き通った白い雪肌も素晴らしい!紫外線ケアをしっかりとしてるのかな?東北
方面の旅行パンフレットのイメージキャラとして最適の逸材になるだろう。背は
高くないが、脚がスラリと伸びており、時折チラチラとテーブル下に見える、傷ひと
つないすべすべとしたふくらはぎがなんとも悩ましい。
「あ、あの、取り合えず昨日は助かったよ。本当にありがとう。君がいなかったら
マジで俺、今頃どうなってたか・・・・・・ホント、宮崎さんは命の恩人だよ」
言ってから、ちょっちしまったと思った。イカンイカン、“のどかちゃん”って呼ばなきゃ。
向こうがせっかく“比範さん”って呼んでくれてるのに。
「い、命の恩人だなんて、それ言い過ぎですよぅー」
ちょっと困ったような笑顔がまたいい。クーラーの爽やかな風に揺られて、ショー
トの艶やかな黒髪がさらさらと可愛らしくなびく。
「いや、マジで感謝してる。ホントささやかなお礼だけど、今日はもちろん全部
俺のおごりだから」
「は、はい。ありがとうございますー」
「・・・って言っても、女の子にあれだけの危険を冒させておいて、サ店代おごる
だけってのもあれだな。この後買い物行かない?何でも買ったげるよ」
そう言って俺は胸を張った。金はまず足りるだろうが、もし彼女が高額商品を
おねだりした場合、“りりかちゃん等身大人形”は諦めねばなるまい。ま、いい。
俺は二次元より三次元を取るぜっ!!
のどかちゃんは伏せ目がちに言った。
「そ、そんな・・・いいですよぉー、私はいつも通りのことしただけですし」
「えぁっ・・・?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。目が点になった。黒目なんかケンミジンコと
同じ大きさになっていただろう。
「あ、あの・・・のどかちゃん? 君は、いつも秋葉であんなことを・・・・・・つ、
つまりその、ヲタク狩りの不良を、その・・・・・・やっつけたり、してるの?」
「は、はいー。ヲタク狩り以外にも、オヤジ狩りとかー」
オヤジ狩り・・・俺は知人の35歳以上の中年をちょっと思い出した。いやいや
いや、そんなことよりも。
「き、君・・・・・・格闘技とか、、やってるの?」
「あ、はい。合気道とか、二年前から・・・」
し、信じられない。こんな大人しそうな娘がそんなことを。俺は食い入るよう
に彼女の頼りなげな細い肩先を見つめた。だが、確かに昨日の出来事は現実
に起きたことだし。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
俺はポカーンと開いた口が、まるで見えないつっかえ棒があるかのごとく
塞がらなかった。
そういえば―――
俺は最近2chで見た奇妙なスレを思い出した。タイトルは確か・・・“現代のジャン
ヌ・ダルク、戦う秋葉の女神”だったっけ。独身男性板だったかな。単なるネタスレ
か、どっかの業者の宣伝―――ほら、秋葉のコスイベントとかサ―――かと思って
流し読みしただけど、そういえば似たようなことが書いてあったかも。あれは、のど
かちゃんのことだったのか!
「あ、あの・・・・・・比範さん? 私、やっぱり、へ、変ですかー?」
薄いピンク色の唇が僅かに震えている。
「へ、変ってことはないと思うけど・・・・・・その、スゴク偉いことだと思うけど・・・
・・・・・・だけど」
「だけ・・・ど?」
俺は拳を握り締めた。正しいことだ。俺の考えは間違っていない。言わな
きゃ。言ってあげなきゃ。彼女自身の為に。
「危険だからもう止めた方がいい。おかげで助かった俺が言うのも変だけど」
俺は彼女の目を見ずに、ほとんど空になったコーヒーカップをカチャカチャ
かき回しながら答えた。
「ゴ、ゴホン。」
背後で 咳 がしたので、振り返ると店長がトレイ(おぼん)を持って佇んで
いた。
「取り込み中のところ悪いけど、メニュー置かせてもらうよ」
そして店長は注文していた飲み物とデザートを置くと、脱兎のごとく走り出し、
カウンターの中に消えていった。ガチャーンと皿が何枚か割れる音がした。何なん
だ、一体・・・!?
俺はいつもの病気が始まったらしいマスターのことはさて置いて、彼女の方に
向き直った。カウンターの奥からガツガツ野菜をかじる音が聞こえるが、気にして
いる場合ではない。今はのどかちゃんを優先しよう。
「と、取り合えず気を取り直そう。さっきの話の続きだけど・・・」
妙な雰囲気になってしまったその場を取り繕うように、俺は 咳払い をした。
気付いた時には俺は店の窓ガラスに頭から突っ込んでいた。
「くっ、比範さんっ!?」
呆れるのどかちゃんにへへ、と笑いかけると、俺はそのまま路上に飛び出し、
四つん這いになって道路を走り回った。そして俺はとうとう目的の物を見つけた。
「コココ、コノコノコノ・・・・・・ッココココココココ」
俺は呻きながら天高く跳躍し、マクド(マッキントッシュナルド)の横の
ゴミ箱に突進した。
肉はいらない。野菜だ野菜。