1 :
名無しさん@ピンキー:
萌える話をお待ちしております。
がんがん書いていきましょう。
注意
人によっては、気にいらないカップリングやシチュエーションがかかれることもあるでしょう。
その場合はまったりとスルーしてください。
優しい言葉づかいを心がけましょう。
作者さんは、「肌にあわない人がいるかもしれない」と感じる作品のときは、書き込むときに前注をつけましょう。
原作の雰囲気を大事にしたマターリした優しいスレにしましょう。
関連スレは2をどうぞ
2 :
トラパス作者:03/11/12 09:09 ID:NduqvboV
3 :
トラパス作者:03/11/12 09:12 ID:NduqvboV
ホスト規制で新スレが立てられなかったので、友人に代行して立ててもらいました。
新作投下します。
原作重視な作品。傾向はちょっと切なめですが、あくまでもちょっと、です。
もう、やめる。
みすず旅館のいつものわたしの部屋で。
わたしは机につっぷして、ただつぶやき続けていた。
部屋には今のところわたし一人。ルーミィとシロちゃんは、クレイが散歩に連れていってくれた。
そうしてと、わたしが頼んだから。「一人にして欲しい」と。
机の上に乗っているのは、わたしの冒険者カード。
これを初めて手にしたときは、すごくすごく嬉しくて。興奮して夜眠れなくて。
冒険に出るのが楽しみで楽しみで仕方なくて……そして、実際に楽しかった。
楽しかった。みんなと一緒にクエストに出るのが。怖いこともきついことも辛いこともいっぱいあったけれど、それでも……楽しかった。
だけど。
だけど、もうやめる。
ぼろぼろと涙がこぼれた。カードの上に、ぽつん、ぽつんと水滴が落ちる。
もうやめる。こんな、こんな思いをするくらいなら。
わたしの頭に浮かぶのは、パーティーの仲間の一人の姿。
赤毛頭で、意地悪そうな表情を浮かべていて、ひょろっとした体格で……一見へらへらしてるように見えて、いざというときは凄く頼りになる。
口が悪いトラブルメーカーで、迷惑かけられたことも何回もあるけど、助けてもらったことだって数え切れないくらいあった。わたしは、彼を頼りにしていたし、尊敬もしていた。
……だけど。
あんな人だとは、思わなかった。
「うっ……ううっ……」
悔しさと、悲しさと、痛みと、蔑みと。
色んな色んな嫌な感情が吹き出してきて、わたしの心を覆った。
「大嫌い……あんな奴、大嫌い。もう、顔も見たくないっ……」
壁に叩き付けた冒険者カードが、軽い音をたてて、床に落ちた。
それはちょっとしたクエストでの出来事。
別に難しいクエストじゃなかった。モンスターも罠も、どれもこれもがわたし達のレベルにちょうどいいくらいの難易度で。特別危ない目に合うこともなく、目的を達成して、それで終われるはず……だった。
そこで、わたし一人が道に迷ってみんなとはぐれてしまったのは、油断してボーッとしていたせい。
気がついたら一人になってしまっていて、焦ってめちゃくちゃに歩きまくって、そして余計に道に迷ってしまったのも、よくあるといえばよくあること。
そんなわたしを、悪態をつきながらトラップが見つけ出してくれたのも、それこそいつもの風景だった。
いつもと違ったのは、そこから先。
「ごめんなさい……」
「けっ。わりいと思ってんならなあ! せめてはぐれねえようについてくる、っつーことくらいはできるようになれってんだ!」
トラップはかなり、かなーり怒っているみたいだったけど、それも無理は無い。
後でわかったんだけど、わたしがはぐれてから実に数時間以上が経過していて、その間、彼はずっと走り回ってわたしを捜していてくれたらしい。
けれど、そのときのわたしは、
「謝ってるのに。わたしだってはぐれたくてはぐれたわけじゃないのに。怖かったのに。もうちょっと優しい言葉をかけてくれたっていいじゃない」
実際に口に出したわけじゃないけど。心の中で、そんなことばっかり考えていた。
多分わたしも、自覚はしていなかったけど相当疲れていて、ナーバスになっていて。それが、わたしとトラップの歯車が狂った原因。
だから……だと思う。
だから、いつもなら気がつくようなことも、このときは、見過ごしてしまっていた。
トラップの後をついて、どうにかみんなと合流しようとしている最中のこと。
このダンジョン、そんなに高レベルじゃないけれど、結構色んなところに罠がしかけてあった。
もちろん、トラップはそれらの罠をほとんど解除していってくれたんだけど。
彼がたまたま見過ごしたのは、わたしと歩幅が違うせいだろう。
とある落とし穴。トラップが気づかずひょい、とまたいでいった罠を、わたしはもろに踏んづけていた。
――ガコンッ
「きゃああああああああああああ!!?」
かぱりっ、と突然割れる地面。
悲鳴にトラップが振り向くのが見えたけれど。
そのときにはもう、わたしの身体は落とし穴の中に落下していた。
――どすんっ
「痛いっ……」
「おいっ。大丈夫かー!?」
上の方から、トラップの心配そうな声が聞こえてくる。
ああ、彼でも心配してくれることがあるんだな、なんて、そんな不信感に溢れた考えが浮かんだのはもちろん内緒、だけど。
とにかく、落とし穴そのものは大して深くもなかった。ちょっと打ったお尻が痛かったけど、ただそれだけ。
だけど……
「痛いっ……」
だけど、落ちたときに変な風に手をついてしまったらしく。動かそうとすると、ずきん、と右手首が痛んだ。
うああ……手首が、真っ赤になってる……ま、まさか、骨は折れてないよね……?
「パステル? おい、どーした?」
すとんっ
そのとき、トラップが、華麗に上から飛び降りてきた。
わたしがなかなか声をあげないのを心配して、見に来てくれたらしい。そのことについては、素直に感謝したいんだけど。
結果的に、これが大失敗だった。
「ごめん……腕、痛めたみたい……」
「ああ!? ったく。ドジな奴だな、おめえは」
わたしの手首を見て、トラップはしばらくかしかしと頭をかいていたけど。
やがて、くるりとわたしに背を向けた。
「ほれ、おぶされ」
「……? えと?」
「だあら、俺がおぶって上まで引き上げてやっから、おぶされって言ってんだよ!」
「え? トラップが!?」
わたしが思いっきり意外そうな顔をすると、トラップはものすごい目つきでにらみつけてきた。
「喧嘩売ってんのかおめえ。嫌ならいいんだぜ? 一人で上がれよ」
「ああ! ご、ごめん、ごめん! ありがとう、本当にありがとう!」
この手首でロープを上れって言うのは、辛い……というか無理。
わたしは慌ててトラップに頭を下げて、その背中におぶさった。
トラップは、フック付きロープを取り出して、ひゅん! と上に向かって投げた。
と、そのとき。
――ガシャンッ!!
……え?
突然、周囲が闇に包まれた。
投げたはずのフックは、何にひっかかることもなく、ぼとっと地面に落ちてくる。
……ええと?
上を見上げる。
さっきまで開いていたはずの落とし穴。その……ふた、と言えばいいのかな? それが、今は閉まっていて……
「えええええええ!!?」
「うわっ、やべえっ……こういうタイプの罠かよ!?」
わたしの悲鳴と、トラップのうろたえた声がかぶさった。
ど、ど、どういうこと!?
本当に目と鼻の先も見えない真っ暗闇の中、わたしがおろおろしていると、ぼうっ、と小さな明かりが浮かび上がった。
トラップがポタカンを照らしてくれたんだ、ということに、わたしはしばらく気づかなかった。
「トラップ……どうなってるの?」
「だあら、あの罠……一定時間が過ぎると、勝手にふたが閉まるようになってんだよ。多分、下からじゃどーにもできねえだろうな。誰かがあの罠をまた作動させねえ限り」
「じゃ、じゃあ……?」
「……そっ」
トラップは、小さく肩をすくめて言った。
「誰かが助けに……いや、罠にひっかからねえ限り、俺達はここに閉じ込められたまんま、っつーこと」
じょ、じょ、じょーだんじゃないわよっ!!?
それを聞いたとき、わたしはすっごく焦ってしまったんだけど。
トラップに言わせれば、そんなに心配することはない、ってことだった。
ここに降りてくるとき、邪魔になるから、と、彼は盗賊七つ道具以外の荷物は置いてきたらしい。
いつまでも戻って来なければ、クレイ達がいずれ探しに来るはず。そのとき、自分の荷物を見つければ、この近くで何かがあったことはわかるだろうから、と。
「踏めば勝手に作動する罠だからな。クレイの野郎ならひっかかるんじゃねえ? あいつの運の悪さは折り紙つきだからな」
そう言って、トラップはのん気に笑っていたけど。
ど、どーしてこの状況でこんなに余裕があるのよこの男は!?
はああ、とため息をつく。
季節は秋。ダンジョンの中はちょっと寒いし、それに歩きづめですっごく疲れていたし、お腹も空いていた。
トラップは荷物を上に置いてきてしまったから、手元にあるのはわたしのリュックだけ。
食料だってそんなに無いし……ううっ。早く助けが来ないと、これは、結構まずい状況なんじゃないの……?
「おめえなあ。何でそー悲観的なんだよ。それでも冒険者かあ? もうちっと堂々としてろっつの」
「だ、だって……」
あんたが無駄に堂々としすぎなのよ!
と言い返したかったけれど。
そもそもわたしが道に迷ったのが悪いんだし、罠を作動させたのもわたし。
この状況にトラップを思いっきり巻き込んでしまったのはわたしなわけで……そんな大きなことを言えるはずもなく。
「ごめん……」
できたことは、力なく謝ることだけだった。
わたしって……ドジだし、力は無いし、方向音痴だし……
何の役にも立たないのに迷惑ばっかりかけて……こんなことで、本当に冒険者なんて、やってていいのかな……
「本当に、ごめん……」
そう言って頭を下げると、トラップはちょっと呆気に取られたみたいだったけれど。
やがて、気まずそうに目をそむけて言った。
「悪いと思ってんなら、毛布貸せ」
「え?」
「……さみいんだよ。だあら、毛布、半分貸せ」
ああ、なるほど。
ばさり、と荷物から毛布を取り出して広げる。
多分、夜になったせいかな? 気温はますます下がったみたいで、吐いた息が白い。
クレイ達がいつ探しに来てくれるかわからないし、体力を温存するためにも、身体を冷やすのはよくないよね。
「はい、半分どうぞ」
そう言ってわたしが毛布を広げると、トラップが「狭い」と文句を言いながらもぐりこんできた。
狭いのは仕方ないじゃない! わたしだって寒いんだし。
そう頬を膨らますと、「おめえがもうちっと痩せればいいんだよ」なーんて可愛くない返事が返って来た。
まったくう! 失礼な。わたしはそんなに太ってないもん!!
随分な言われように、わたしはかなり腹が立ったけど。
そう言って怒ると、
「やーっと、いつものおめえに戻ったか」
トラップは、そんなわたしを見て、二ッ、と微笑んだ。
……ああ。
もしかして、トラップ……わたしが落ち込んでるのに気づいて。それで、元気付けようと?
そんな軽口の応酬をしているうちに、さっき一瞬頭を過ぎった暗い考えが、段々と消えていくのがわかって、わたしはほんのちょっぴり、彼に感謝した。
まあ、本当にちょっぴりだけどね。
同じ元気付けるにしたって、もっと他に方法はなかったの? 全く。
だけど。
感謝なんかしなきゃ良かった。あんなこと、されるとわかっていたら。
絶対感謝なんか、しなかったのに。
まわりの気温はかなり低いみたいだったけれど。トラップと一緒にくるまっていると、毛布の中は暖かかった。
それに、さっきも言ったように、わたしもかなり疲れていたしね。
気がついたら、わたしはトラップの身体にもたれかかって、うとうととしていた。
……それから、どれくらい経ったんだろう。
ふと目が覚めたのは、肩を、痛いくらいにつかまれたとき。
「……トラップ……?」
眠気が覚めないぼんやりした頭で、目を開ける。
ぴったりと密着した身体。これは仕方が無い。毛布が一枚しかなかったんだから。
そして。
わたしの目と鼻の先にあるのは、怖いくらいに真面目な顔をした、トラップの顔。
「……トラップ……?」
もう一度名前を呼んだけど、返事はなかった。
そのかわり。
次の瞬間、わたしは、冷たい地面に押し倒されていた。
「……え?」
どんっ!!
背中が硬い地面に押し付けられる。両肩を抑えこんでいるのは、トラップの手。
「と、トラップ……?」
ようやく、目が覚めてくる。徐々に、徐々に自分の状況がわかって……
えと、何? これは……
な、何が……
「トラップ、一体な……きゃあああああああああああああああああ!!?」
ぐいっ
いつの間にか。
多分、寝てる間じゃないか、と思うんだけど。いつの間にか、わたしの身体はアーマーを脱がされていて、セーターとスカートだけの姿になっていた。
そして。
トラップの手が、いきなりわたしのセーターをまくりあげた!
「やっ……ちょ、ちょっと、トラップ! 何、一体何……」
「…………」
目の前のトラップの顔は、ちょっと苦しそうで。
まるで何かを我慢しているみたいな顔で……でも、手は全然止まってくれなかった。
「いやああああああああああああああ!!? な、何するのよ、やめて、やめっ……」
脚の間に、無理やりトラップの脚が割り込んできた。
まくりあげられたセーターの下でブラがずらされて、トラップの手が、乱暴に胸をつかんでくる。
「いっ……」
痛い。痛いっ……何なの? 何で、こんなことにっ……?
「痛いっ……やだっ、やめて……やめてってば!!」
「…………」
すっ、と唇が胸によせられて、びくりっ、と背中が震えた。
こんな感覚は初めてだった。
トラップの唇が、わたしの胸をついばんで……踊るようにうごめく舌の感触に、頭がくらくらしてきた。
「やあっ……や、やめっ……」
「……パステルッ……」
そのとき、初めて、トラップが口を開いた。
つぶやかれたのはわたしの名前。そのまま、彼はうわごとのようにわたしを繰り返し呼んで……
「いやあっ!!?」
がしっ
トラップの左手が、わたしの太ももをつかんだ。
そのまま、その指が、徐々に上の方へと這い上がっていって……
「やだっ……やだ、やだやだやだっ! やだっ……」
言えたのは、ただそれだけ。
何が何だかわからない。どうして突然こんなことになったのか。
何でこんなことをされるのか。
だけど、理由はわからなくても。何をされようとしているのかは、大体わかった。
それは、まだまだ知りたくなかったこと。
指が、下着に触れた。
薄い布越しに伝わる、トラップの指の感触。
ほんのわずかに、指が動く。もうそれだけで、わたしは全身がびりびり言うような感覚に身もだえして……
「いっ……いやああああああああああ!!」
ぶんっ!!
無我夢中で振り回した手が、たまたま、トラップの拘束を逃れた。
そのまま、その手を彼の頬に振り下ろそうとして……
がしっ
だけど、わたしの動きなんて、トラップにはお見通しだった。
頬に当たる寸前、手首は、トラップの手にがっしりとつかまれていた。
視線と視線がぶつかった。つかまれる手の痛みと、無理やり開かされている太ももの痛み。
そして、ショックで。わたしの目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
その涙を見た瞬間。
トラップの顔に走った表情は……何なんだろう?
一瞬だったけれど。彼は、物凄く気まずそうな顔をして……
そして、ぱっ、とわたしから身を離した。
……え?
唐突に身体から重みが消える。一瞬、あれは夢だったんじゃないだろうか、と思ってしまうくらいに、本当に突然のこと。
だけど、むき出しにされた胸や、まくりあげられたスカートは、それが確かに現実のことだった、と示していて……
「…………!!」
慌てて起き上がる。セーターとスカートを直して……自分の身体を抱きしめて。
トラップの視線から、少しでも隠れようとして。わたしは、毛布を頭から被った。
……何で。
今のは、一体何……?
何で、こんなこと……
「……だあら」
突然響いた声に、びくっ、と全身が震えた。
トラップの声、だった。
全然いつもと変わらない。声も、口調も、全くいつものトラップで。
「だあら、おめえは冒険者としての自覚が足りねえっつーの」
「……え?」
言われた意味がわからなくて。わたしは、思わず毛布から顔を覗かせた。
何を……言ってるの?
そんなわたしから視線をそらして、トラップはまくしたてるように言った。
「だあら、俺が教えてやったっつーかなあ。冒険者になった以上、常に周囲に注意してろっつーか……おめえ無防備すぎんだよ。ちっとは自覚を持てっつーの!
それに、わあっただろ。おめえみてえな幼児体型で引っ込むところが出て出るとこが引っ込んでるような女でもな! 飢えてる男にとっちゃ女っつーだけでもう十分っつうか……」
……何。
何、言ってるの、トラップ。
そんな……理由?
あなたが、あんなことをしたのは……そんな理由だって、言うの?
「あのなっ、少しは俺に感謝しろよ? ここまで親切に冒険者のノウハウ教えてくれる奴なんざ、予備校にだっていねえぜ? だあら、これに懲りたら少しは警戒心を持てっつーか、もう少し状況とまわりを見て……」
「最低っ!!」
長々と続きそうな、トラップの言葉。
わたしはそれを、ただの一言で遮った。
ただの一言で十分だった。それ以上言うことなんか、何も無かった。
「最低……」
「…………」
涙で濡れた目で、トラップをにらむ。彼は、その視線をまともに受け止めようとはしなかったけれど……それでも、さすがにそれ以上は、何も言わなかった。
最低。最低だ、こいつ。
そんな、そんなことでっ……そりゃあ、そりゃあいつも気軽にナンパしてるあんたにとって、こんな行為、何でもないことなのかもしれない。
だけど、わたしはっ……本当に、すごく、すごく怖くてっ……
何が、冒険者のノウハウよ。
こんなことまでされなきゃ、冒険者になれないのなら。
それならっ……わたしは……
クレイ達がトラップのリュックを見つけて、さらに罠を作動させてくれたのは、それから2〜3時間後のことだった。
けれど、わたしとトラップは、その間、一言も口をきかなかった。
「何があったんだ? パステル……」
「何でもない……」
見つけられたとき。尋常じゃないわたしとトラップの様子を見て、クレイはすごく心配してくれたけど。
「トラップに、何か言われたのか? 何でもないわけないだろ。一体どうしたんだよ……」
「何でもない。本当に……何でもないのっ……」
言えるわけがなかった。
言ったら、きっとクレイのことだから。凄く凄く心配して、悩んで……同情してくれるだろう。
そんなのは嫌だったから。第一、誰にも知られたくなかったから。
だから、わたしはどんなに聞かれても「何も無かった」と言い続けて。
ただ、一つだけ。みすず旅館に戻ったとき、一つだけ頼んだ。
「一人にして欲しい」
って。
そして、クレイはそれを快く了承してくれた。
部屋で一人きりになって。そこで、わたしは、思う存分に悩んで、怒って、泣くことが、できた。
それから、夜が終わって朝が来て、昼が過ぎて……今にいたる、というわけなのだった。
クレイとルーミィとシロちゃんがさっきも言ったように散歩に出かけて。
キットンは多分隣の部屋で実験でもしてるんだろう。
ノルは、旅館の裏で何か大工仕事をしているみたいだった。
トラップが何をやっているのかは知らない。知ろうとも思わない。
結局、わたしが一人になりたがっていることを聞いても、トラップは何を言ってくるでもなかった。謝るわけでもなく、部屋を訪ねてくるわけでもなく。
訪ねてきたところで、わたしが話を聞いたかどうかは別問題だけれど。
それでも、わかった。きっと、彼はあれをちっとも悪いことだなんて思ってなくて、本当にただ冗談半分にやったことで……そんな軽い出来事だったんだ、って。
だからこそ、わたしは余計に許すことができなかった。
冒険者としての心構えを教えてやった、とトラップは言った。
わたしが無防備で、油断していたのが悪い、と言った。
そんなに、わたしが冒険者に向いてないって言うのなら……
がたんっ、と音を立てて立ち上がる。
ジョシュアに手紙を書こう、と思った。近いうちにガイナに帰る、と言えば、きっと彼は何も言わず、わたしを迎えてくれるはず。
荷物をまとめよう。クレイやキットンやノルには悪いと思う。ルーミィは……一緒に来て、と言えば、一緒に来てくれるような気がする。
嫌、と言われたら仕方が無いけど、でも、できれば、連れていきたい。
ガイナに。
そう考えたときだった。
不意に、部屋にノックの音が響いた。
ドキン、と心臓がはねる。だけど、すぐに一瞬頭に浮かんだ考えを振り払った。
あいつのはずがない。あいつが、ノックなんてするはずがないもん。
「はーい?」
「パステル、ちょっといい?」
部屋から響いたのは、みすず旅館のおかみさんの声だった。
「はい? な、何でしょう?」
慌てて涙で汚れた顔を拭う。大丈夫だよね? 気づかれないよね?
ガチャン、とドアを開けると、おかみさんはにこにこしながら階下を指し示した。
「下にね、お客さんが来てるよ」
「え? お客さん??」
「そう。ぜひパステルに会いたい、ってね」
おかみさんの顔はすっごく嬉しそうで、「パステルにもあんな人がいたんだねえ」なーんて言いながら脇腹を小突かれたんだけど。
……誰だろう?
言われるまま階段を降りていく。その「お客さん」は、宿の入り口で待っていてくれているらしい。
そうして、階段を降りきって。そこで現れた予想外の人影に、わたしは目がまん丸になった。
「――ギア!!」
「……久しぶり、パステル」
黒髪、長身、無駄な贅肉の無い鍛えられた身体。鋭く整った顔立ち。
そこに立っていたのは、まぎれもなくギア・リンゼイ……以前とあるクエストで、わたし達パーティーがとってもお世話になったファイターだった。
しばらく、言葉も出なかった。
「どうしてここに?」とか「一人?」とか「今何してるの?」とか。
聞きたいことはいっぱいあるはずなのに。
「ひ、久しぶりっ」
ようやく口をついて出たのは、そんなどうでもいいような挨拶で……
「本当に、久しぶり、パステル。ずっと、会いたかったよ」
そう言ってにっこり笑うギアの顔は、以前とちっとも変わっていなかった。
タイミングが、いくら何でも良すぎると思った。いや、悪すぎる、なのかな?
こんなときでなければ、わたしはきっと、慌てて部屋にとってかえしてみんなを呼んで、わいわいと大騒ぎしたと思うんだけど。
クレイ達が出かけているのはわかっていたし、男部屋にはトラップがいるかもしれない……そう思うと、二階に上がろう、という気はなくなってしまって。
「外、出ようか? ここじゃ、ゆっくり話せないでしょう?」
そう言うと、ギアは微笑んで頷いた。
入り口から外へ……と言っても、どこに行く、なんていう当てがあるわけでもなく。
猪鹿亭に行こうか、とも思ったんだけど。リタに見られたらきっと色々聞かれるだろうと思うと、それもためらわれた。
結局、わたしとギアは、みすず旅館のすぐそこ……入り口付近にある大きな木の根元に、腰掛けた。
ギア・リンゼイ……以前、わたしにプロポーズしてくれた人。
キスキン王国でのごたごたに巻き込まれたとき。王女の身代わりをつとめたわたしをずっと守ってくれて、そして一緒にならないか、と言ってくれた人。
そのときわたしは、色々あって……そう言えば、あのときもトラップとうまくいってなかったのが原因だったような気がするけど……冒険者をやめようか、パーティーを抜けようかどうしようか、悩んでいた。
あのときは随分悩んだ。ギアの顔を見ると胸がドキドキして、好きだと言ってもらえて本当に嬉しくて。
ちょうど冒険者をやめようと思っていたときだったから、本当にギアについていこうか……真面目に悩んだ。
けど、結局。
自分の気持ちはよくわからなかったけれど。ギアに対する気持ちは、恋愛感情ではないような気がして。そうして、トラップとのわだかまりも何とか無くなって。
そうなったとき、わたしはやっぱり冒険者でいたい、と思ったから。結局そのプロポーズは断ってしまった。
そうして、ギアとお別れして、彼はダンシング・シミターという剣士と旅に出たはずなんだけど……
「そう言えば、ギアは、一人? ダンシング・シミターは……」
「あいつとは、今は別行動。二週間後に、エベリンで落ち合うことになってる」
そう言って、ギアはわたしの目を見て言った。
「近くまで来たから、パステルに会いたくなって……俺が、そう頼んだんだ」
ドキンッ!!
その言葉に、心臓が激しく高鳴った。
優しくて、かっこよくて、大人で……今まで出会ったどんな男の人よりも、素敵な人。
何もかも違う。そう……トラップとは、何もかも正反対な人。
な、何だろう? あのとき、この気持ちは恋愛感情なんかじゃない、と割り切ったはずなのに。
何で、今も……こんなに胸がドキドキするの?
「パステル……」
そんなわたしを見て、ギアは心配そうに眉をひそめた。
「何か、あったか?」
「……え?」
「何かあったのか? 元気が無いみたいだけど」
……何でわかるんだろう。
隠してるつもりなのに。いつも通りに振る舞ってるつもりなのに。
何で……
「な、何でも……」
「もしかして」
そこで、ギアはちょっと声を落として言った。
「あいつと……トラップと、何かあったのか?」
ドッキンッ!!
ただでさえ痛いくらいにはねていた心臓が、それこそ止まりそうになった。
な、何で……
何で、わかるのっ!?
わたしがどう返事をしようかとおたおたしているのを、ギアはただ黙って見つめて。
そして……優しく、腕を引き寄せた。
ぼすん、と、その広くて硬い胸に頬があたる。
うわっ……
抱きしめられている、とわかって。全身の血が、一気に脳に集まったみたいだった。
「ぎ、ギア……」
「言いたくないなら、無理して言わなくてもいいよ。だけど……パステルが、何だか傷ついているような気がして、ね」
ぎゅうっ、と腕に力がこめられる。
このままだと、心臓の音がギアに聞こえるんじゃないか……そんな気さえ、してしまう。
「あの……」
「パステル」
耳元で囁かれたのは、とても甘くて……真剣な声。
「こんなことを、言うつもりはなかった。ただ、顔を見て、それで満足して帰るつもりだったのに」
「……え?」
「君は幸せにやってるものだと思ってた。冒険者を続けて行きたいと言ったとき、君はとても生き生きとしていて……だから、俺は諦めたんだ。諦めたつもりだったのに」
「ギア……?」
「今日会って、驚いたよ。あのときと同じ……いや、あのときよりずっとひどい。笑顔が曇っていて、何かにぼろぼろに傷ついてることがすぐにわかった」
「…………」
そう言えば。
以前ギアに出会ったときも、トラップがらみのごたごたで、わたしが傷ついて悩んでいるときだった。
どうして、彼に出会うとき……わたしはいつも、こうなんだろう……
あのときと、同じ。いや、あのときよりもずっとひどい……
その通りだよ、ギア。
言葉に出せないけれど、胸の中で頷く。
その通りだよ。今となっては、あのときトラップがあんなに怒っていたのは、わたしのためを思ってのこと……だとわかる。
けど、今回は……
「パステル」
そんなことを考えて、ただされるがままになっていると。
ギアは、そっと言った。
あくまでも真面目な口調で。
「もう一度、言ってもいいか?」
「……え?」
「君と一緒に行っても……君について行ってもいいか?」
「…………………え?」
それは……あのときと、同じ台詞だった。
つまり、ギアは……
「あの……それって……」
「今回のことは、俺の勘だよ。君がまた、パーティーを抜けようかどうしようか悩んでるんじゃないか……そう思ったから、聞いてるんだ」
その微笑は、とてもとても魅力的だった。
「もう一度、プロポーズさせてくれ……あのときから、俺の気持ちは変わってないよ、パステル」
頭がくらくらした。
すぐにでも頷いてしまいそうな自分に気づいて。
だけど。反射的に返事をしそうになって、慌てて踏みとどまる。
プロポーズ。それは、こんなに簡単に返事をしていいものじゃない。
ちゃんと、みんなに言って……それから、返事をしないと。
……つまり、わたしは受けるつもりになってるんだ。
頭のどこかで、冷静な自分がつぶやいていた。
いいんじゃないかな。どうせ、パーティーを抜けるつもりになって……トラップの顔なんか、もう二度と見たくないと思っていたから。
ギアは、一度プロポーズを断ったのに、それでもわたしを好きだと言ってくれて……
いいんじゃないかな。ギアはこんなに素敵な人だ。トラップなんかとは全然違う。おまけに、彼はわたしの行きたいところへついていってくれると言う。
ガイナに帰ると言えばガイナに来てくれるだろうし、もしもっと他のどこかへ行きたいと言えば、どこへでも……例えば、またわたしが冒険に出たくなったとしても。ためらわずについてきてくれて、そしてわたしを守ってくれるだろう。
それなら……いいんじゃないかな。断る理由は、無いような気がする。
「ごめん。こんな重要なこと、簡単に返事はできないよね」
ギアは、わたしの表情を読んだのか、笑顔を崩すことなく続けてくれた。
「俺は、近くに宿をとるから。後数日は、ここに滞在するつもりだ。返事は、それまで待つよ」
「うん……宿って、どこ? よかったら、みすず旅館にしない? 空き部屋、あると思うし」
そう誘ったけれど。それに、ギアは首を振った。
「やめておくよ。多分、俺が泊まると余計ないざこざが起きると思うしね。嫌な気分になる奴がいるだろうから」
……え? 誰のことだろう、それって。
だけど、それを聞く前に、ギアは立ち上がっていた。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。パステルも、一人でゆっくり考えたいみたいだしね」
「…………」
何でだろう。
何で、ギアはこんなにわたしの考えていることがよくわかるんだろう?
「じゃあ」
そう言って。彼は去っていってしまった。
一人その場に残されて、部屋に戻ろうか、と思い立ち上がる。
何気なく視線をあげて……そして、顔が強張った。
……いつから……
視線の先にあるのは、窓。
わたしが使っている部屋と、隣の男部屋の窓。
その、男部屋の窓から、じいっとこっちを見下ろしているのは、トラップだった。
……見られてた?
そう思うと、何故だか、ひどく気まずい思いがしたけれど。
……何でわたしがそんなこと思わなくちゃいけないのよ!
吸い寄せられた視線を無理やりひきはがして、入り口へと向かう。
トラップも、彼にしては珍しく、別に何も言ってはこず……
部屋に戻っても、それは変わらなかった。
ぼすん、とベッドに寝転がって、枕に顔を埋める。
もう知らないんだから。あんな奴なんか知らない。
わたしは、ギアと一緒に行く……冒険者なんか、やめる。
トラップの顔なんか、見たくないから……
「わたしっ……ギアと結婚することにしたから」
そう言うと、猪鹿亭のにぎやかなテーブルは、水を打ったように静まり返った。
夕食の時間。本当なら、時間をずらして一人で来るつもりだったけれど。
この報告をするためだけに、わたしはみんなについて行った。
ほかほかとおいしそうな湯気を立てる食事の前で。
クレイも、キットンも、ノルも、見事に顔が固まっていた。
ルーミィとシロちゃんは、「結婚」の意味がよくわかっていないのか、きょとんとしていたけれど。
そして。
トラップは、予想していたのか……彼の耳の良さを考えれば、あのときの会話が聞こえていたのかもしれない……ただ一人、もくもくと食事を続けていた。
「ぱ、パステル……どうしたんだ? 突然」
「今日、みすず旅館にギアが訪ねてきてくれたの」
強張った声を出すクレイに、淡々と告げる。
……ごめんね。
本当は、クレイ達とは……別れたくなかったけれど。
でも、今回ばっかりは……とても、我慢できなかったから。
「だから、パーティーを抜けることになるの……ごめんね、本当に、突然で」
ぺこり、と頭を下げると。男三人は、困ったように視線をかわしあっていた。
そして。
その視線が一斉に、黙って食事をしているトラップに注がれる。
「……あんだよ」
さすがにそれに気づいたのか、トラップの手が止まった。
「引き止めないのか?」
「あんで引き止めなきゃなんねえんだ」
クレイの言葉に、トラップは冷たく言った。
「こいつが自分で決めたことだろ? 何で俺達がとやかく言わなきゃなんねえんだ」
「だって、お前っ……」
クレイは何か言いたそうだったけれど。
その前に、わたしが立ち上がっていた。
ガタンッ、と派手な音がして、椅子が倒れる。
みんなの視線が、一斉に集まった。
「……ごめんね。さよなら」
他に言うことなんか、何も無い。
トラップにとって、わたしの存在なんてそんな程度のものだと……わかったから。
あれだけのことをしておいて。謝るでもなく、冗談で済ませて。
わたしがどれだけ泣いていても、慰めの言葉一つかけるでもなく。
こうして、わたしがパーティーを出ていくと言っても、引きとめすらしない。
彼にとってのわたしなんて、そんな程度の存在なんだと、よくわかったから。
走り出す。ギアの泊まっている宿屋は、知っていた。
すぐに返事に行こう。もう、迷うことなんか何も無い。
猪鹿亭をとびだすわたしを、追いかけてくる人は、誰もいなかった。
ギアに返事をすると、彼はとても喜んで、「ダンシング・シミターにも言わなきゃいけないから、一度エベリンまで一緒に来て欲しい」と言われた。
もちろん、断る理由は無い。それに、エベリンに行くなら、マリーナにも挨拶ができるし。
「荷物をまとめる都合もあるだろうから、3日後にみすず旅館に迎えに行くよ」
そう言って、ギアはぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。
ルーミィとシロちゃんについても、もしわたしが連れていきたいなら……と、彼は快くOKしてくれた。
彼女達がわたしと一緒に来るかどうか。それは、聞いてみないとわからないけど。
……クレイ、キットン、ノル。彼ら三人には、本当に申し訳ないことをした、と思うけど。
これで、いい。
みすず旅館に戻る道すがら、わたしは自分に言い聞かせていた。
これが、一番いいんだ。そのはずなんだから。
そうして、宿の前まで戻ってきて。
ぴたり、と足が止まった。
もう大分遅い時間。普通なら、みんな部屋に戻ってしまっている時間なのに。
その入り口の前に、一人の人影が、たたずんでいたから。
部屋に戻るためには、どうしたって通らなきゃならない入り口。
……トラップ。
彼は、腕組みをして、じいっとわたしをにらみつけている。
その顔はひどく不機嫌そうだった。
……何で、こんなところにいるのよ。
そう言おうかとも思ったけれど。口をきく気にもなれなかった。
ただ、黙って、その脇を通り抜けようとして……そして、ぐっ、と腕をつかまれる。
……痛っ……
その力の強さに、わたしは思わず顔をしかめた。同時に、あのときの記憶が……嫌だと言ったのに、無理やり肩を押さえ込まれて身動きが取れなくなったときの記憶がよみがえってきて、背筋がぞっとした。
……まさかっ。あのときとは違う。声をあげれば誰かがすぐにとんでくる。心配することなんか……
「離してよ」
キッとにらみつけたけど、トラップはちっとも動じず。腕をつかむ手も、全然緩めてくれそうな気配はなかった。
「痛いから、離して」
「……何か俺に言いたいことがあんじゃねえの」
「…………」
言いたいこと。
山のようにあった。最低、とは言ったけれど。酷い、とか、冗談でよくあんなことができるね、とか。
わたしのことをどう思ってるの? とか。
だけど、そのどれもが、もう今更答えを聞いたって仕方が無いことだったから。わたしはただ唇をかみしめて、首を振った。
「そんなの、無い」
「嘘つけ。じゃあ、何でいきなり結婚なんつー言葉が出るんだよ」
「…………」
「おめえさ。ヤケになってるだけだろ? もうちっと落ち着けよ。そんな気持ちでプロポーズOKされたって、ギアの野郎だっていい迷惑なんじゃねえ?」
「っ……!!」
何で。
何で、そんなこと言うのよ……猪鹿亭では、あんなにっ……
「トラップには関係ないでしょ?」
「関係あるだろ」
「ないわよ……ない。あんたなんか何の関係も無い。どうして今更そんなこと言うの? わたしが決めたことなんだから、とやかく言うことはないって……そう言ったのはトラップじゃない!」
そう叫ぶと、彼は気まずそうに顔をしかめた。
どうせ。
どうせ、クレイに何か言われたんだと思う。わたしとトラップが気まずくなっていたのは、みんなが知っていた。原因はトラップに違いないと踏んで、どうにかわたしを説得しろと言われた……どうせこんなところだと思う。
トラップの意思じゃない。そう思うと、余計に腹が立った。
「わたしは、ギアのことが好きだから、結婚する。それじゃ、いけない? それで、何かトラップに不都合があるの?」
「……ある」
「はあ? 何で……」
がしっ!!
その後は続かなかった。
腕をつかんでいたトラップの手。それが、今度は肩をつかんできた。
遠慮も何もない。全力でつかまれていることがよくわかる。
指が食い込んで、骨が悲鳴をあげそうになる、そんな力。
「痛いっ……」
「……おめえが幸せになるんなら、俺だって何も言わねえよ」
じいっと目を覗きこまれる。
あのときの目と同じだった。ひどく真面目な、真摯な目。
「だあら、あんときだって……諦めようとしたんだ。けど、今回は話が違うだろ!?」
「どう違うって言うのよ!」
諦める、という言葉は、何だか不自然なような気もしたけれど。
深く考えることもせず、わたしは叫び返していた。
トラップの気持ちがわからない。何を考えているのか、さっぱりわからない。
一体、彼はわたしにどうして欲しいのか。
「どう違うの? ギアはあんなにいい人だもん。絶対、わたしを幸せにしてくれる。何が、どう違うって言うの!?」
「おめえはっ……自分の気持ちに、気づいてねえのかよ!?」
きーん、と耳が鳴りそうな大声が、炸裂した。
こんな大声を出したら、絶対二階に聞こえていると思うんだけど。
でも、その階段からは、誰も降りてくる気配が無かった。
「……何よ。自分の気持ちって、何よ。わたしの気持ちが、トラップにはわかるって言うの!?」
「わかる!」
即答された。
意外な答えに、一瞬ぽかんとしてしまう。
……何で? 何で、そんな風に言い切れるの?
わかってる? そんなはずない。わかってるなら……
「嘘……つかないでよ。わかってるなら、何で……」
「ああそうだ。何もかもわかるわけじゃねえ。俺はおめえじゃねえからな。それは当たり前だ。けど、今回のことがっ……ギアと結婚するっつーのが、おめえの本当の望みじゃねえのは、わかる!」
「な、何でそんなこと言い切れるのよ!?」
腹が立った。
わけのわからないことを言い切るトラップに。そして、その言葉に動揺を覚えるわたしに。
何で? 何で……動揺、してるの?
ぎくり、とした。本当の望みじゃない、と言われて。
じゃあ……
「じゃあ、わたしの本当の望みって……一体何? トラップには、それがわかってるって言うの?」
「…………」
返事は無かった。
トラップは、ただ、辛そうな顔で、わたしを見つめているだけで。
でも、その視線が。わたしの目をじっと見つめたまま、ちっともそらされない視線が。
心の奥まで見透かしているようで、ひどく気まずい沈黙を与えた。
「いいかげんなこと、言わないで」
「…………」
「トラップは、いつもそうだよ。いいかげんで、適当なことばっかり言って……遊び半分で、冗談半分でわたしを傷つけて、それでいて言い訳ばっかりして!!」
耐えられなかった。
言いたいことは山のようにあった。だけど、どれも今更言っても仕方のないことだと思ったから、黙っていようと思った。
それが……爆発した。
いつの間にか、肩から手は外されていたけれど。今度は、わたしがつかみかかっていた。
トラップの胸元をつかみあげて、わたしはまくしたてていた。
「あんたなんか大っ嫌い。トラップなんか大嫌い! あなたにとっては冗談半分でやったことだろうけど、わたしはっ……本当に怖くて、ショックだったんだから。
何がっ……冒険者としての自覚が足りない、よ! 自覚が足りないから、わたしが悪いからあんなことされても黙って笑ってろって言うの!?」
「…………」
「簡単に言わないで。わたしはあなたとは違う。適当に女の子と遊んでるあなたとは違う! あんなことをされて黙ってなかったことにできるほど、わたしはっ……軽い女の子じゃない」
「……だあら」
トラップは、されるがままだった。
がくがくと胸元を揺さぶる手を振り払おうともせず、静かに言った。
「それが、本音だろ」
「……え?」
「俺の顔なんざ見たくねえ。それがおめえの本音。そこにたまたまギアが現れた……ようは、そーいうこったろ?」
「…………!!」
ばっ、と手を離す。
言い返せなかった。
何一つ、反論が浮かばなかった。そんな自分に、自分が一番驚いた。
トラップは、それ以上何も言わない。ただ、じいっとわたしを見下ろしていて……
その視線に耐えられなくて、わたしは駆け出した。今度は、引き止められなかった。
……違う。
違う。そんなはずはない。
結婚したいと思った。その気持ちに、何一つ偽りは無い。
トラップの言葉なんか、全部でたらめなんだから。口先だけで適当なことを言ってるだけなんだから。
そのはず……なんだから。
3日後。
クレイ、ノル、キットンが見送ってくれる中。わたしは、みすず旅館の入り口に立っていた。
ルーミィとシロちゃん、それにトラップは、まだ眠っている。
結局。あの夜以来、わたしはトラップとは話していない。顔すらろくにあわせていない。荷物をまとめるのが忙しいからと言って、ほとんど部屋にこもりっきりだったから。
……会いたくなかったから、別にいいんだけど。
ルーミィとシロちゃんに関しては、随分迷った。
わたしと一緒に来るか、冒険者を続けるか。
それは、ルーミィにはまだ決めかねることだろうから……とりあえずは、クレイ達と一緒に行く、ということになった。
そして、もしどうしてもわたしと一緒にいたい、ってことになったら、そのときはガイナに送り届ける、と約束してくれた。
……わたしがいなくなる、と聞いて、ルーミィは随分泣いていたけれど。わたしと一緒にいったら、それはそれでやっぱり別れは経験する。
……ごめんね、ルーミィ。
眠っているのは、好都合だった。きっと、顔を見たら泣いてしまうだろうから。
別れたくないって、思うだろうから。
クレイ達の顔を順番に見て、わたしは頭を下げた。
「本当に、勝手なことばっかり言って、ごめんね」
「……いや」
クレイ達は、諦めたように首を振った。
「パステルが決めたことだからね」
「大変残念ですけれど。一生のお別れ、というわけではないですし」
「また会おう」
それぞれがそう言って、わたしの手を握ってくれた。
……本当に、楽しかった。
みんな、いい人ばっかりだった。
あんなことがなければ、きっと……
「パステル、彼が来たよ」
クレイの言葉に振り向くと。ギアが、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
いつもと変わらない姿。ほとんど荷物が無いのも一緒。
彼は、じいっとわたしを見つめた後、クレイ達に軽く手をあげた。
「久しぶりだな」
「……その節は、お世話になりました」
クレイが礼儀正しく頭を下げようとするのを、ギアは遮った。
「堅苦しい挨拶はいい。……俺は、もしかしたら君たちにひどいことをしているのかもしれないな」
「…………」
その言葉に、わたしを除く四人の視線が複雑にからみあった。
うう……何だろう。
雰囲気が、とても……重い。
「パステルを、よろしくお願いします」
遮る手を無視して、クレイは再び大きく頭を下げた。
「言われるまでもない。一生守っていくと、約束しよう」
そっと、ギアの手が、わたしの肩にまわった。
ああ、これで、本当にお別れなんだ……
何だか、目頭が熱くなってきた。
……と、そのとき。
バンッ!!
突然響いた音に、全員の視線が、集まった。
音を立てて開いたのは、みすず旅館の入り口。
そして、そこに立っていたのは……
「トラップ!?」
真っ先に声をあげたのは、クレイだった。
トラップは、そんなみんなの視線を無視して、ずかずかと歩いてきた。
その目がにらんでいるのは……ギア?
「トラップ……」
何を言おうとしたのかわからないけれど。
彼の全身から、ただならぬ雰囲気が漂っているのを見て、反射的に声をあげていた。
ギアはギアで、そんなトラップの視線を、まっこうから受け止めていて……
そして。
「えっ!?」
ぐいっ、と肩をつかまれた。
トラップの手が、強引にわたしの肩をつかんで引き寄せた。
力比べなら絶対ギアの方が上だと思うけど。予想外の出来事だったのか、ギアの手は、あっさりとわたしの肩から離れ……
「!!!!!!!!????」
ぴきーんと、その場の……トラップを除く全員の動きが、止まった。
なっ、なっ、なっ……
ふさがれた唇と、ぼやけて見えるくらいに間近にあるトラップの瞳、痛いくらいに抱きしめている腕。
とっさに、何をされているのかわからなかった。
だけど、そのうち嫌でもわかる。こっ、これは……
ぐいっ、と口の中に、暖かいものがねじこまれた。無理やり舌をからめとられて、痛みすら感じる。
「んっ……んん――っ!!?」
じたばたともがいたけれど、トラップの腕は強く強くわたしを抱きしめていて、振りほどけそうにもなく。
あんまりにも突然の出来事に、誰も何も言わず……時間だけが、流れていった。
「……ぷはっ!!」
やっとトラップが解放してくれたのは、それから数分後のこと。
い、息がっ……
解放されて初めて、呼吸することすら忘れていたことに気づいた。
大きく息を吸い込んで、きっと視線をあげる。
なっ、何をっ……この期に及んで、一体何をっ!!?
「トラップ!! あんた……」
「ギア」
わたしの言葉を無視して、トラップはギアをにらみつけた。
ギアは、その強い視線にもひるむことなく、じっとトラップを見つめている。
「こいつはやらねえ」
「……はあ!?」
いきなりの言葉に、わたしは目が点になってしまったけれど。
後ろで、クレイ達が「やれやれ」「間に合わないかとひやひやしました」なーんて言っているのが聞こえて、頭がパニックになってしまう。
なっ、何!? どーいうことなの、これは!!?
「パステルは、お前のものなのか? トラップ」
「今はそうじゃねえけどな」
静かに聞き返すギアに、トラップははっきりと言い切った。
「けどなっ、いずれ絶対俺のもんにしてみせる。俺はなあっ……」
ぎろりっ、と視線がこちらを向いた。思わずクレイの後ろに隠れてしまう。それくらい、強い視線。
そんなわたしを見て、トラップの表情が強張ったけれど。それでも、彼はきっぱりと言い切った。
「俺はなあ、パステルのことがずっとずっとずーっと好きだったんだ! ギア、おめえなんかよりも、ずーっと前からな! だあら渡さねえ。今は俺のもんじゃなくても、いつか絶対こいつは俺のもんにしてみせる!」
……思考がとぶ、というのは、きっとこういうときのことを言うんだと思う。
なっ、なっ、なっ……
「……それは、パステルも了解しているのか?」
「いいや」
「だったら、それをお前が決め付けるのは筋違いじゃないのか? パステルの意思は、どうなる?」
「へっ。だったら、聞いてみようじゃねえの」
妙に自信たっぷりな態度で言い放って、トラップはずかずかとこっちに歩み寄ってきた。
思わずクレイの服をぎゅーっと握り締めてしまったけれど。クレイは、そんなわたしの肩を抱いて、ひょいっ、とトラップに差し出した。
うっ、裏切り者ー!
「おいっ」
「ひっ」
ぐいっ、と腕をひっぱられて、思わず喉の奥で悲鳴が漏れる。
そんなわたしの態度は意に介さず、トラップは言った。
「おめえは、どっちを選ぶ?」
「どっち、って……」
「俺かギアか、どっちかを選べって言われたら、どっちを選ぶか、って聞いてんだ!」
「なっ……」
そ、そんなの。返事をするまでもっ……
「言っとくがなあ!」
口を開きかけた途端、トラップは、それを遮るようにして叫んだ。
「冗談半分なんかじゃ、なかった」
「……え?」
「あのときおめえを抱こうとしたのは冗談なんかじゃなかった。ずっと好きだった。ずっとそうしたいと思ってて、おめえの寝顔見てたら我慢できなくなった」
「え……」
抱こうとした、という言葉に、クレイ達およびギアの顔に何とも形容しがたい表情が走ったのに気づいたけど。
言い訳する気にすら、ならなかった。
え、え、え……?
「冗談半分で、あんなことができるほど、俺だって軽い男じゃねえ。あんなことした相手はおめえだけだ。おめえが初めての女だ」
「だったらっ……何で、あんなこと、言ったのよ」
「おめえの迷惑になると思ったからだよ!!」
返事は即座に返って来た。
「俺の思いを告げたら、おめえの迷惑になると思った。あんな辛そうな顔されたら、そう思うしかなかった。欲望に負けてつっぱしって、おめえを泣かせた自分も許せなかった。だあら言えなかった。ずっと言わねえでおこうと思った。けどな!」
強い視線に射すくめられて、びくり、と震えが走った。
「それでおめえを失うことになるんなら、恥も外聞も見得もプライドも捨ててやる。それでおめえを取り戻せるんなら何度だって言ってやる。……好きだ。それで、おめえの返事は?」
トラップの顔は、大真面目で。
冗談でも何でもない、ということは、よーくわかった。認めざるをえなかった。
で、でもっ……
突然のことに、頭がパニックになっていた。
だって、だってどう言えばいいの?
トラップの言葉を聞いて。冗談じゃなかった。真面目だった。冗談にしたのはわたしのためを思ってのことだった。
それを知って、ふっと心が軽くなっている自分に気づいたから。
喜んでいる。トラップの言葉を、嬉しいと思っている自分がいる。
だ、だけどっ……だけど、今更っ……
そのときだった。
つかつかと、ギアがトラップに歩み寄っていった。
言葉は何も無い。その表情は、どこまでも無表情。
そのまま、彼はトラップの肩をつかんで。そして……
ガツンッ!!
拳を固めて、思いっきりその頬を殴りつけた。
トラップなら、受け止めるなり、避けるなりするのはたやすいことのはずなのに。彼は、そうはしなかった。
細いトラップの身体が一瞬振り回されたかのように見えた。それくらい、本気の……一撃。
「ギア!?」
思わず駆け寄ろうとしたけれど、クレイに腕をつかまれて止められてしまった。
ゆらり、とトラップが立ち上がる。その頬は、見事なまでに真っ青。
「パステルを泣かせた、その礼だ」
「随分と丁重な礼で」
ギアの言葉に、トラップはニヤリ、と笑ってみせた。
唇の端から流れてるのは……血?
だけど、彼はそれを拭おうともせず、言った。
「もう泣かせねえよ」
「当たり前だ。……パステル」
「は、はいっ!?」
急に声をかけられて、わたしがあたふたと返事をすると。
ギアは、ゆっくりと微笑を浮かべて、言った。
「俺のことなら、気にしなくてもいい」
「……へ?」
「大体、こうなることは予想していた。君の心にいるのが誰なのかは、気づいていたつもりだよ」
「え???」
わ、わたしの心? 誰、それ……?
思わず聞こうかとも思ったけど、さすがに思いとどまる。
じっくり考えれば、答えは案外簡単に出るような気もしたから。
「俺は、君の幸せだけを願っている。彼はやっと素直になったんだ。君も、少し素直になってみるといい……そうすれば、きっと全てはうまくいくだろうから」
「あの……」
ええと、それって。
それって、つまり……?
わたしが何を言うよりも早く。
ギアは、小さく手を振って、わたし達に背中を向けた。
段々と遠くなっていく背中。振り返ろうともしない。
つまり……
「わたし……もしかして、振られた?」
そう言うと、何故だか、クレイ達は「だああああああ」なんて言いながら頭を抱えて地面に座り込んだ。
な、何で!? だって、そういうことじゃないの?
ギアが行っちゃったってことは……結婚の話は、なかったことにしよう、ってことだよね?
ええと……
「パステル」
ぽん、とわたしの肩を叩いて、クレイは言った。
「もっと、ギアの言葉と、行動の意味をよく考えた方がいいよ」
「……へ?」
「トラップとギアが、少しばかり気の毒になりましたよ……」
「パステル。俺もちょっと、あんまりだと思う」
「へ? ええ?」
クレイ、キットン、ノルが口々に言う台詞の意味が、ちっともわからなくて。
えと、えと? ど、どういうことなの?
だけど、それに答えてくれる人は誰もいなかった。
クレイ達は、三人顔を見合わせて、それぞれの部屋へと戻ってしまって……
「ええっと……」
わたしは、どうすればいいんだろう……
ぼんやりと考えていると、後ろから、ぽん、と肩を叩かれた。
振り向くと、そこにただ一人残っていたのは……トラップ。
見事に腫れあがった頬が、何だかとっても痛々しい。
「トラップ……」
「焦るこたあ、ねーよ」
そう言って、彼は笑った。
全く、いつも通りの笑みで。
「おめえが鈍いことは、俺がよーくよーく知ってるからな」
「に、鈍いって……」
いや、鈍いかもしれない。クレイ達はみんなわかってるのに、当事者のわたしだけが、よくわかってないんだもん。鈍いって言われても、仕方ないよね。
はあっ、とため息をつくと、くいっ、と肩を引き寄せられた。
一気に身体が密着して……何だろう? 心臓が、一気にはねるのがわかった。
「トラップ……?」
「ごめん」
「え?」
「ごめん。焦ってごめん。おめえの気持ちを無視して、ごめん。謝るのが遅くなって、ごめん」
「あ、あの……」
意外だった。
トラップが、こんなに素直に謝る光景なんて、初めて見たかもしれない。
そうして、わたしがちょっとぼんやりしていると。
彼は、真っ赤になってつぶやいた。
「……許してくれっか?」
「え? あ、うん……」
反射的に頷く。
最初から、そうしてくれれば。
あのとき、変にごまかさずに素直に謝ってくれていれば……わたしだって……
「意地を張って、ごめん」
そう言うと。
トラップは、随分と優しい笑みを浮かべて、自分の頬を指差した。
「で。俺としちゃあ、できればこの怪我の手当てをして欲しいんだけど?」
「え? あ、ああ。そうだよね。痛そうだもんね……待ってて、キットンに、薬……」
「いや」
歩き出そうとしたところを、引き止められる。
トラップの目は、いつものいたずらっこみたいな光を浮かべていて。そして言った。
「キスしてくんねえ?」
「……はあ?」
「多分、俺にとっちゃ、おめえのキスが一番の薬になると思う」
「…………」
思い出される、さっきの絶叫告白。
……わたしは。
わたしの気持ちは、どうなんだろう?
まだよくわからない。すごく、頭の中がぐちゃぐちゃで。
そんなこと考えたこともなかったけれど。ううん、考えるのを避けていた、という方が、近いかも……?
だけど、とりあえず確かなこと。それは……
すっ、と唇を寄せる。トラップの頬は、随分と熱かった。
「……効いた?」
「ああ、すっげえよく効いた」
満面の笑みを浮かべるトラップに、わたしは言った。
「もうちょっとだけ、待っててね。多分、答えはすぐに出ると思うから」
色んな気持ちが嬉しかった。抱こうとしたのもキスしたのも、本気で好きだから、と言われたら、そんなに嫌じゃない、と思えた。
そして、今。わたしの方からキスをするのも、ちっとも嫌じゃなかった。
まだ、はっきりとはわからないけど。きっと、わたしは……
「待ってる」
トラップは、大きく頷いた。
「今までだって、ずーっと待ってたかんな。別に、後ちょっとくらい待ったって、俺の気持ちは変わりゃしねえよ」
「……ありがと」
とりあえず、いつものわたし達に戻れた。
それだけで、よしとしよう。
それより先に進むのは、もうちょっとだけ、後になってからでいい。
トラップと肩を並べて。わたしは、みすず旅館の入り口をくぐった。
完結です。
ギアファンの人ごめんなさい。今度思いついたらギアパスにでも挑戦してみます。
次は……多分学園編第二部第三話いきます。
あ、それと上の関連スレ、修正忘れてました。
保管庫におけるこのスレの作品は「ライトノベルの部屋その2」に収納されてます。
36 :
名無しさん@ピンキー:03/11/12 15:21 ID:iTd4tPhl
離別編、いやーギアがかわいそうで仕方が無い。
別にギアファンって訳じゃないけど、こうなるってわかってても辛すぎる!(ぅうっ涙が出そうだ)
でも、作品としては面白かったです。
それでは次の学園編第二部第三話楽しみにしてます!
予告したとおり新作です。
学園編第二部第三話。
リクエストされたトラップ弱点発覚な話です。
注意:学園編なのに学園ライフがさっぱり出てきません。四話以降に持ち越しとなりました。
好きになると、相手の欠点が見えなくなると思う。
あばたもえくぼ、って言葉があるけど。欠点すらも長所に見えてしまう。本当に相手に夢中になっているときって、大体そんなものじゃないだろうか?
そうして、少し熱が冷めたときに、長所に見えていたところが欠点に見えるようになって。そこで急速に恋心が冷めていくか、あるいはかえって燃え上がるか。
欠点をひっくるめて好きと言えるかどうか。憧れと恋の違いはそこじゃないか、とわたしは考えたりする。
人間である以上、完璧な人なんてありえない。絶対に、どこかしら欠点は存在するはず。
するはず……なんだけど。
本当の本当に欠点が見当たらない人。そんな人を好きになったとしたら……熱が冷める瞬間、なんて、あるんだろうか?
そのまま、憧れを恋心だと誤解してしまう……そんなこともありえるんじゃないだろうか?
わたしは今まで、完璧な人なんていないと思っていた。
大体、人間何かしら苦手な分野はあるものだと思っていた。
だけど、わたしは17年生きてきて初めて知った。
世の中には、完璧に近い人間というのは、確かに存在するんだと……
お風呂に入るのって、気持ちいい。
特にこんな、もう九月になったっていうのに残暑が厳しくて、薄着をしていても汗が止まらないような日は。
「ふんふんふーん♪」
ふふふ、つい鼻歌が出てしまう。
今日のお風呂は、買ったばかりの入浴剤入り。
今までの緑と違って、お湯の色は海のような青。
同居人は、「夏場に風呂なんか沸かすな。シャワーで十分だろ」なーんて言ってるけど。
夏だからこそ、暑いお湯にしっかりつかって、汗をたーっぷり流すのが気持ちいいんじゃない!
そう言ったら「信じられねえ」と言われてしまったけど。いいじゃない。わたしは好きなんだから。
そんなわけで、わたしは夏でも冬でも、水道代がもったいないとかガス代がもったいないとかぶつぶつ言う同居人を諭して断固お風呂を沸かしている。
立ち込める湯気の中で、ほのかに香る入浴剤の香りは花のような甘い香り。新発売だって言われて、ついつい買っちゃったんだよね。
ああっ、楽しみっ!
ざばざばとお湯をかきまわして、ちょうどいい温度になってることを確かめて、いそいそと脱衣所で服を脱ぐ。
Tシャツにミニスカートに下着。脱いだものを全部洗濯機に入れて、そうっとお風呂場に足を踏みいれる。
まずは、シャワーで軽く身体を洗って。シャンプーをした後髪をしっかりタオルでまとめて。
それから思う存分お風呂を堪能するんだ!
くいっ、とシャワーのコックをひねると、少しぬるめのお湯が降り注ぐ。
汗まみれの身体を綺麗に洗い流し、タオルに石鹸をこすりつけようとしたとき、だった。
視界の端を、何かが走り去っていったのは。
「……うん?」
きゅっ、とシャワーを止める。湯気でけぶって見えた視界が、ほんの少しクリアになる。
何だろ、今の。目の錯覚かな?
きょろきょろと周りを見回したけど、何も見えない。
気のせい……かな?
気を取り直して、タオルを泡立てようとしたとき。
サッ
すぐ目の前を、何かが……通り過ぎた。
「…………」
見間違い、じゃない。
確かに、何かが通り過ぎた。黒くて小さくて、すごく素早い、影。
「…………」
その正体が何か、大体想像はついていたりするけど。それを認めたくはなかった。
無視しよう、と一瞬思ったけれど。一度見てしまったものは脳裏に焼きついていて、なかなか取れそうもない。
ぎぎいいっ、と音がしそうな動きで、立ち上がる。そのわたしの足元を、サササッ、と走り抜けていったのは……
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
喉の奥から振り絞るようにして、悲鳴をあげていた。頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。
あ、あ、あ、あれはっ……
「きゃあきゃあきゃあきゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
よろめく足取りでお風呂場のドアを開ける。そのまま脱衣所に転がり出て、震える手でそのドアを開けようと……
「きゃあああきゃああああきゃあああああああああああああああああああああああああ!!!」
「あんだ!? どーしたっ!!!」
バンッ!!!
そのとき、つかもうとしたドアノブが勝手にまわって、外からドアが開かれた。
そこに顔を出したのは、サラサラの赤毛に端正な顔立ち、スラッと引き締まった身体がまあまあかっこいい、わたしの同居人……にして恋人でもある人、トラップ。
彼は、わたしの姿を見た瞬間、ぎょっとしたように足を止めたけれど、わたしはそんなことに構っていられなかった。
「トラップ、トラップトラップトラップ!! た、た、助けてえええええ!!!」
「な、何だよ、だあら、何が起きたんだ!?」
パニックになってトラップの胸にしがみつくと、彼は、わたしの両手首をつかんで、じっと顔を覗き込んできた。
「お、お、お風呂場に……」
「覗きでも出たのかっ!?」
「ち、ちがっ……」
要領をえないわたしの言葉に、彼は舌打ちして自らお風呂場へと足を踏み入れた。
そして。
「…………」
あわあわと言葉が出なくて身振り手振りで状況を説明しようとするわたしに、とっても冷ややかな視線を注いできた。
「おい、パステル」
「う、うん?」
「まさか、おめえが騒いでいた原因は、これか?」
「きゃあああああああああああああああああああああ!!!」
サササ、とお風呂場を走り回る侵入者。
それを素手でつかまえて、トラップは、ぐいっとわたしにつきつけてきた。
いやあああああああああ!! ち、近寄らないでよおおおおおお!!
「ば、馬鹿っ。バカバカバカバカー!! 捨てて捨てて、早く捨てて見せないでーっ!!」
「あのなあっ。たかが虫一匹に大げさなんだよっ!!」
「だ、だってだってだってだってー!!」
まだ生きてるらしく、トラップの手の中でカサカサ動くその足を見て、わたしは失神してしまいたくなった。
な、何で平気なのよ!? どうして素手でつかめるのよっ!!?
そ、それは……ゴキブリなのよー!!!?
ぐしっ、とトラップが手に力を入れた瞬間、侵入者はあっさりと昇天してしまったみたいだった。
トラップは、それを窓の外からぽいっ、と放り出して、「はああああああ」と盛大なため息をついてみせた。
その一部始終を見せられて、わたしはもう、腰が抜けてしまって……
世の中、あれを好き、なんて人はいないんじゃないかと思う。
特に、女の子なら、10人に9人、100人に99人が悲鳴を上げるんじゃないだろうか?
ご多分に漏れず、わたしもあの生物が大の苦手だったりするんだけど。
それをあっさり素手で抹殺してみせたトラップの視線は、どこまでも冷ややかだった。
何だか顔が赤いように見えるのは、暑いせいだろうか。
「ったく。おめえって奴は……今にも殺されそうな悲鳴あげるから、何があったんだととんできてみりゃあ……」
「だだだ、だって……」
情けないことに、わたしはもう半泣き状態。
だってねえ……「今から出ます」と予告されて心の準備をしていたのならまだしも、すっかりリラックスしていたときに突然目の前に現れたんだもん!
お、女の子なら当然の反応じゃない!?
わたしがそう言うと、トラップは「けっ」と笑って言った。
「何がどう怖いんだよ。別にかみつきゃしねえし刺すわけでもねえし。怯える理由がねえだろうが」
「そ、そういう問題じゃないのよ!」
きいい! そんな冷静な物差しで計れる問題じゃないのよっ!
何て言うんだろう……生理的嫌悪感? とにかく、見た瞬間背筋がぞおっとするっていうか……言葉でうまく説明するのは難しいけれど。怖いものは怖い。それが真実。
そんなようなことを訴えると、トラップは「わかったわかった」と手を振って、そして、しゃがみこんで、わたしと視線を合わせた。
その表情が、困ったような怒ったような表情から、一気に軽薄な……いたずらっこのような笑みに変わる。
…………?
びびびっ、と走る嫌な予感。彼がこんな顔をするときは、大抵ろくでもないことを考えていて……
「トラップ……?」
「パステル。わかったわかった。さてはおめえ……わざとだろ?」
「え?」
「そうだよなあ。あんくらいのことで大騒ぎするなんて、おめえらしくねえもんな? もう泣かねえって約束したしなあ」
「は、はあ?」
そういう約束は確かにしたけれど、それはちょっと状況が違うというか……とにかく、何で今、この場でそんなことを言われるのかがわからなくて、わたしが首をかしげていると。
「つまり、おめえ……俺を誘ってんだろ?」
「はあああああ?」
ニヤニヤ笑いながら言う彼の顔は、どう見ても冗談を言っているようにしか見えないけれど。
それでも、何でそんな冗談が出るのかがわからない。
「な、何言ってるのよ?」
「いやあ。だって、おめえ……」
じーっ、と視線を顔から下にずらして、彼は言った。
「そんな格好でしがみつかれたら、男なら誰だってそう思うだろ?」
「…………」
トラップの視線をたどる。
お風呂に入っている最中の出来事だった。当たり前だけど服は全部脱いでいた。
つまり、今。わたしは、トラップの前で、一糸まとわぬ姿をさらしていて……
「…………!!」
今更そんなことに気づいて、ぼんっ、と顔が真っ赤に染まるのがわかった。慌ててタオルと服に手を伸ばそうとしたけれど、その手は、がっしりとトラップにつかまれてしまう。
「ちょっ、やだっ……」
「今更やだっ、って言われても。誘ってきたのはおめえだし?」
「誘ったんじゃないってば!!」
わたしの抗議なんか完全に無視して、トラップは、実に楽しそうにわたしを脱衣所の床に押し倒した。
「ちょっとっ……」
「いやあ。我慢しようしよう、と思ったんだけどなあ。いつまでもそんな格好でいられたら、俺も男として、何かしらの反応を示さねえとかえって失礼にあたるんじゃねえかと」
「な、ないない、そんなことないってば! は、離し……」
すっ
首筋に唇が降りてきて、びくっ、と背中がのけぞった。
シャワーを浴びた後だったから、身体にはまだいくらか水滴が残っていて。
トラップの舌が、その水滴を一つ、また一つとなめとっていった。
ぞくり、ぞくりとした感覚が背筋を走る。
「あっ……」
「……おめえの味がするな」
ぺろり、と唇をなめあげて、トラップはニヤリと笑ってみせた。
ば、ばかばかー! 何言ってるのよっ!!
最初は冗談交じりの行為だったのに。どうやらトラップは段々と本気になってしまったらしい。
軽薄な表情に真面目な表情が混じり始めるのを見て、一瞬身体が強張った。
裸を見られている、と思う羞恥心と。微妙な部分に触れる唇。それらが全身にしびれるような快感を与えて……
「トラップっ……」
すいっ、と太ももをなでらる。目に涙が滲み始めたのは、決して不快な気分になったからではなかった。
やっ……もう、抵抗できないっ……
実は、恋人同士なのに。一緒に暮らしているのに。まだ、キス以上の経験をしていないわたし達。
ここぞというときに色々邪魔が入ったり。わたしが抱かれるということに妙な抵抗を感じていたりするせいなんだけど。
でも、嫌か、と聞かれたら……それ自体は決して嫌じゃない。トラップを好きだ、という気持ちに偽りは無い。
何が嫌なのかって、「付き合う=身体の関係を結ぶ」になってしまうことでっ……
「やあっ……だから、駄目だってばっ……」
「駄目って言われてもなあ。おめえ、きっちり反応してるくせに……」
耳元で、意地悪そうなささやき声が漏れる。
そっと頬をなでられた。身体を這い回っていた唇が、わたしの唇へと降りてくる。
「助けてやったんだからよ。お礼の一つくらいもらったって、いいだろ?」
「…………」
助けてやった、という言葉に、わたしの頭に浮かんだのはさっきの出来事。
……あれ、そういえば。
頬に触れる手。それを見て、わたしは重大なことに気づいた。
「や、やだやだやだやだーっ!!」
「うおっ!?」
ぶんぶんと手を振り回す。いきなりの激しい抵抗に、トラップは驚いたように身を離した。
「やだっ、触らないでー!!」
「な、何だよ突然!? おめえなあ、一体俺のこと……」
文句を言いかけるトラップに、びしいっ、と指をつきつけた。
そういう問題じゃ、無いのよ!!
「ゴキブリを触った手でわたしに触らないでー!!」
そう叫んだ瞬間、トラップはがっくりと肩を落として、「気分がそがれた……」なーんて言いながら脱衣所を出て行った。
あ、当たり前でしょっー!? 乙女の身体を何だと思ってるのよ!!
その後、無事にお風呂に入り直すことができてやっと一息つけた。
はあ。どれだけ綺麗にしてるつもりでも、やっぱりあの生物を完全駆除するのは無理なんだよねえ……
特に、今はまだ暑いから。冬場になれば少しは減るんだろうけど……
ううっ、駄目駄目、早く忘れよう。
ぶんぶんと頭を振って、気持ちを切り替える。
そういえば、何だかんだでトラップにお礼言いそびれたなあ。後でちゃんと言わなくちゃ。
そんなことを考えながら、パジャマに着替えて髪の毛を乾かした後、台所に顔を出す。
何となく予想していたけれど、そこには不機嫌そうにアイスコーヒーを飲んでいるトラップの姿があった。
「トラップ、さっきはごめんね」
「ああ?」
椅子に座りながらそう言うと、トラップはすっごく皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。
「謝るってこたあ……お礼くれんの?」
「ありがとうありがとうありがとう。はい、お礼」
そう言って頭を下げると、トラップはすんごく不満そうな顔でぷいっと視線をそらしてしまった。
……冗談だってば。
「ごめんごめん。でも、本当に感謝してるよ? ありがとう」
「けっ。わかりゃあいいんだよ、ったく。まあったく、そんなに怖いもんなのかねえ、あんな虫が」
「怖いわよ」
そう言うと、「女ってわかんねえよなあ」なんて言われてしまった。
……わたしにしてみれば、「何で怖くないの?」って聞きたいんだけどなあ。男の人にだってあれが苦手な人はいっぱいいるのに。素手でつかんだ挙句に握りつぶすなんて、ちょっと信じられないんですけど。
「トラップって、怖いものないの?」
「ああ?」
「だって、よく考えたらわたし、トラップの弱点とか、そういうの見たことないなあと思って」
そう言うと、トラップは「ふん。俺に弱点なんざ、あるわけねえだろ?」なーんて言ってきたんだけど。
うーん。でも、その言葉否定できないんだよねえ。
トラップ。本名ステア・ブーツ。
わたしと彼の関係は、親同士が友達だった、という縁から、わたしの両親が事故で死んだのをきっかけにブーツ家に引き取られてきたことから始まった。
それから実は婚約してただとか色んな事実が判明し、様々な経験を乗り越えて恋人同士になったんだけど。
彼のご両親は麻薬取締官という非常に特殊な仕事についていて、ほとんど海外で暮らしている。結果、わたしとトラップは同居というより同棲に近い形なんだけど……まあそれはともかく。
わたしが来るまではほぼ一人暮らし状態だった彼だから、料理を始めとして一通りの家事はできる。
手先が物凄く器用で、先日浴衣の着付けすらできることが判明したし、17歳にしてバイクの免許も所持している。
運動神経は抜群によくて、一年生の頃は運動部からの勧誘が物凄かったらしい。もっとも、彼本人は「部活動なんて面倒くせえ」とそれから逃げ回っていたみたいだけど。
それでいて頭もいい。中間試験も期末テストも、彼の名前は学年上位五位以内に必ず入っていた。
そして、さっきも言ったけれど。中身がそれだけ完璧な上に、外見もそこそこ整っている。背も割と高いし足も長い。見た目はすっごく細身だけど、それは無駄な贅肉が全然無いからで力はしっかりある。
しいて難があるとすれば寝起きが悪いところと口が悪いところなんだけど。決して性格が悪い、ということはない。むしろ見えないところではすごく人に気を使っている人だと思う。まあ、それが非常に表からはわかりにくい性格でもあるけど。
特に好き嫌いも無く何でも食べてくれるし、さっきも言ったようにゴキブリですら彼を恐れさせることはできなかった。怖いもの知らず、っていうのはきっとこういう人のことを言うんじゃないだろうか。
欠点、弱点が見つからない完璧な人……改めて考えると、トラップってすごいなあ、と思ってしまう。
……何だか悔しい。
「ねえ、本当に何も無いの? 実は歌が苦手とか、注射が嫌いとか」
「……おめえなあ。何でそうこだわるんだ? そんなに俺の弱点が知りてえかよ?」
「知りたいっ」
そう言うと、「はああ〜〜」と盛大なため息をつかれてしまった。
……だって、悔しいじゃない。わたしには苦手なものとか嫌いなものとかいっぱいあるのに。トラップにはそういうのが全然無いなんて、何だかずるい。
それに……ねえ。
好きな人のことは何でも知りたいって思うのは……変、かな?
いやいや、これは口に出さないけどね。言ったら調子に乗りそうだし。
わたしがじいっ、と見つめると、トラップは、ちょっと天井を見上げてつぶやいた。
「そうだなー。俺の嫌いなもの……怖いもの、ねえ……」
しばらく沈黙が流れる。考えなきゃ自分の欠点がわからないなんて……そのあたりが既に普通の人じゃないと思うんだけど。
わたしがそんなことを考えている間、彼はたっぷり数分かけて、うんうんと唸り、やがてパチン、と指を鳴らした。
「あー、あるぜ。怖いこと」
「何!?」
あるんだ、やっぱり!? そうだよね。トラップだって人間だもんね!
がばっ、と身を乗り出すと、彼は、ニヤリッと笑って、わたしの肩をつかんだ。
「おめえ」
「……え?」
ぐいっ、と身体を引き寄せられた。あっという間に、唇にかすめるようなキスが降って来る。
「おめえに嫌われること。それが怖いな」
「…………っ!!」
ぼぼんっ、と頭に血が上る。そんなわたしを見て、彼は大爆笑しながら台所を出て行った。
かっ……からかわれたっ!? ま、ま、まったくう!!
へたへたと力が抜けて、椅子に座り込んでしまう。
……でも、冗談だとしても。
そう言ってもらえて、ちょっと……かなり、嬉しかったかも?
にへらっ、と表情が緩むのを自覚しながら、わたしはトラップが置いていったグラスを流しへと運んだ。
助けてくれたお礼と、さっきの言葉のお礼。
洗い物くらい、かわりにやってあげることにしよう。
結局のところ、トラップには本当に弱点なんか無いのかもしれない。
新学期が始まったばかりの学校で、わたしが親友のマリーナやその恋人、クレイに話すと、二人は揃って「トラップの弱点? パステルでしょ」なーんて言ってきたけど。
まあその言葉の真偽はともかく、「わたし以外には?」と聞いたら、二人も「うーん」と首をかしげてしまった。
無いものは見つけようもないわけで、「世の中不公平だなあ」なんて、諦めのいいわたしは早々にその話題を忘れることにしたんだけど。
意外なところからトラップの弱点が発覚したのは、それから数日後のことだった。
その日、珍しいことに、わたしとトラップの帰宅時間がずれた。
わたしも彼も部活動はしていないし、同じクラスで同じ家に住んでいるから、大抵一緒に帰ってたんだけど。
今日、トラップは担任のギア先生に、「話があるから放課後残れ」って言われて、いつ話が終わるかわからないからわたしは先に帰ることにしたんだ。
ギア先生とトラップ。実はとある出来事のせいで、二人の仲は決して良好とは言えないんだけど。
話があるって言われたとき、トラップ、顔ひきつってたもんね。「けっ。受けて立つぜ」なんて明らかに何か勘違いしたことを言いながら教室を出て行ったんだけど……何の話しなんだろう?
ま、いいや。帰ってから聞こう。
駅から家までの道すがら、途中で夕食の買い物を済ませて住宅街の中を歩いていく。
この街に来たばっかりの頃は、しょっちゅう迷子になってたんだけどね。さすがに、もう何ヶ月も暮らしていると、近くの地理くらいは覚えてくる。
てくてく歩いて、家まで後数分、というところまで来たときだった。
曲がり角を曲がった瞬間、誰かにどんっ、と激突してしまう。
「きゃっ」
「おっと、失礼」
倒れそうになったところを、ぐっ、と腕をつかんで支えられる。
「悪かったのう。大丈夫かい?」
「は、はい。すいません」
ぺこり、と頭を下げて、そして驚いた。
わたしの腕をつかむ手は、すっごく力強かったけれど。相手は、どう見ても70歳近いお爺さんだったから。
見事な白髪と、綺麗に整えられたひげがすっごく上品な雰囲気。頭に帽子をのせて、身につけているのは随分と高そうなスーツ。背筋はしゃんとしていて、年より10歳以上は若く見えそうなお爺さん。
「あ、あの、本当にごめんなさい」
「いやいや。わしがボーッとしてたのが悪いんぢゃ。怪我はないかの、お嬢さん」
「はい、大丈夫です!」
そう言うと、お爺さんはにかっ、と笑った。すっごく素敵な笑顔だなあ、と思わず見とれてしまう。
そのまま成り行きで、わたしはその人と一緒に歩き出した。まあ、わたしはすぐに家についちゃうんだけどね。お爺さんは、どこまで行くんだろう?
「そう言えばお嬢さん。この近辺に住んでおるのかな?」
「はい」
「ほうほう。では、ブーツという家をご存じかな?」
「……え?」
言われた言葉に、一瞬ぽかんとしてしまう。
ブーツ……って、トラップの家のこと、だよね?
そうだよね。この近所に同姓の人はいなかったと思うし。
……あれ?
「はい。わたし、その家の住人です」
「ほお?」
わたしの言葉に、お爺さんは目を細めて、じーっとわたしを見つめた。
「お嬢さん、ブーツ家の人間かね?」
「いえ、両親が亡くなって、引き取られたんです。父が、ブーツさんとお友達だったそうで」
「ほお」
そう言うと、お爺さんは納得したように頷いた。
「そう言えば、テリーの奴め、そんなこと言っとったな。お嬢さん、もしやキングさんかな?」
「はい。パステル・G・キングといいます。あの、お爺さん……」
話しているうちに、家に辿り付いた。門を開けると、お爺さんも一緒についてきて……
「あの、お客様ですか?」
「客。客なあ……まあ、そんなもんぢゃな」
「そうなんですか」
うわあ、すごい偶然……でも、この人誰なんだろう?
テリー。テリーねえ……誰の名前だっけ? 何だか聞き覚えがあるような。
まあとにかく、お客様なんだからおもてなししなくちゃね。
とりあえず、わたしはお爺さんを居間に通して、熱い緑茶を出してみた。
まだ外は暑い時期だけど、ご老人にはこの方がいいよね、多分。
「いやいやありがとう。全くこんなに丁寧にもてなしてもらえるとは予想外ぢゃったわい。あの小僧だったら、こうはいかんからのう」
「小僧?」
「おお。そういえばお嬢さん……パステル、と言ったな。今は、あんた一人しかおらんのかね?」
「はい。あ、でも、もう少ししたら、トラップが……この家の息子さんが戻ってくると思いますから」
「ほう……懐かしいのう。あいつは元気にやっとるか?」
「はい。とっても」
お爺さん、トラップのこと知ってるんだ? あれ? ってことは、この人はもしかして……
わたしが、彼の正体の想像がついたときだった。
がちゃん、と玄関の鍵が開く音がした。
あ、帰ってきたんだ。よかったー、話は短くすんだみたい。
「トラップ、お帰り! あのね、お客さんが来てるよ」
そう言いながら玄関に出迎えに行くと、トラップはやけに不機嫌そうな顔で、「ああ? 客う?」と言ってきたんだけど。
わたしの後ろから顔を覗かせたお爺さんを見て……すうっ、とその顔から血の気がひいた。
……あれ?
どさっ
不審に思っていると、トラップは、腰を抜かしたみたいに玄関に座り込んで、震える指でお爺さんを差して叫んだ。
「じ、じ、じいちゃん!? あんでこんなとこに!!?」
「大層な言い方ぢゃな。可愛い孫の顔を見に来たに決まっとるぢゃろうが」
そう言って、お爺さんは、にかっ、と素敵な笑みを浮かべたのだった。
……トラップの、お祖父さん?
何となく想像はしていたけれど。改めて言われると、「へえっ」と思ってしまう。
そう知ってから見てみると、ちょっと雰囲気がトラップに似てるかも? どこがどう、って言われても困るんだけどね。
……それにしても。
トラップのあんな顔……初めて見た!
「うぷぷぷぷっ……」
「あに笑ってんだ、おめえ……」
トラップの、この上なく不機嫌そうな声が背中にふりかかる。
「な、な、何でもない……」
震える声でそう答えると、「けっ」と言いながら、彼はわたしが差し出したお盆を持って居間へと向かった。
ただいま夕食の準備の最中で、トラップはそれを手伝ってくれている。
あのトラップがだよ? いつもなら、わたしが料理するのを後ろで眺めて「おーいまだかあ。俺腹減ってんだけど」なーんてことをほざいているあの人が!
それもこれも、原因はみーんな……
「ほれ小僧。もっとちゃきちゃき動かんか! パステル嬢ちゃんの手を煩わせとるんぢゃなかろうな?」
「っ……だあら、ちゃんと手伝ってんだろーが!? どこ見てんだよじじい!」
「口の悪い小僧め。そういうことを言うのはこの口か? この口か? ああん?」
「ひてっ、ひたい、痛い、いてえっつーのー!!」
ぷっ……ぷぷぷぷぷっ……
と、トラップには悪いけど、笑いが止まらない……
だってだーって、あのトラップがだよ? 学校の先生にさえクラスメートと大差ない態度とって、いつだって「自分が一番!」っていうあの人がだよ?
おじいちゃんの前では、あんなに……
「くっ……あはははははははははっ!」
「パステルっ! てめえ、何笑ってやがるっ!」
「な、何でもない……」
「……後で覚えてやがれ」
背後から、すごーく黒いオーラが立ち上ったようだったけれど。
そのオーラは、ぽかっ、という軽い音とともに、あっという間に霧散した。
「女性に向かって何という口の聞き方ぢゃ、嘆かわしい……テリーの奴め、だから言ったんぢゃ。わしに預けてみせれば、今頃立派な……」
「けっ。てめえなんぞに預けられてたら、今頃命がなくなってらあ」
そんな憎まれ口を叩いた瞬間、さっきと同じくほっぺたをつねりあげられるトラップ。
あ、ちなみにテリーさんって、トラップのお父さんの名前なんですって。し、知らなかったわ……
まあ、それはともかく。
あのトラップが! おじいちゃんの前では形無しというか……
弱点や欠点なんか無い、と思っていたトラップだけど。やっぱり彼にも、苦手なものはあったんだ。
うわあっ、意外な発見だあ。
「はい、お待たせしましたー」
「おおう、すまんのう。この能無し小僧が役立たずなもんで」
「いいえ、そんなことないです」
の、能無し小僧。あ、駄目だ……わ、笑いがっ……
今日のメニューは、おじいちゃんのことを考えて、ちょっとあっさりした味付けの和食。トラップと二人だと、どうしても洋食中心になるからね。たまにはこういうのもいいでしょう。
「ほほう。うまそうぢゃのう……若いのに大したもんぢゃ」
「いえいえ、トラップのお母さんみたいにはいきませんけど」
「うむ。あの嫁の料理は抜群ぢゃからな。また食ってみたいものよ……テリー達は、相変わらずかね?」
「はい。仕事が忙しいみたいで」
会話だけ抜き出すと、すごーく和やかな食事風景に見えるかもしれないけれど。
会話の外では、トラップが料理に手を伸ばそうとしてはおじいちゃんにおかずをかっさらわれていたりする。
「このじじいっ!」「あーん? 聞こえんのう」なんていう小声のやりとり。聞いているだけでも、顔がにやけてしまうっ……
まあ、そんなこんなで。久々に賑やかな夕食風景となった。
「ふう、いや堪能させてもらったわい。パステル嬢ちゃんはきっといい嫁さんになるぞ」
「ありがとうございます」
うわあ、照れるなあ……というか、料理を褒めてもらったの久しぶりかもしれない。
トラップって、食べることはしっかり食べるくせに滅多に褒めてくれないんだもんなあ……ちょうどいいや。これを機におじいさんに色々言ってもらおうかな?
一瞬そんな考えが頭を掠めたけど。トラップのぐったり疲れきった顔を見ていると何だかかわいそうになったのでやめておくことにした。
そんなわけで、しばらくわたしとおじいちゃんはほのぼのと会話を交わしていたんだけど。
「あ、そろそろお皿片付けないと」
とわたしが立ち上がったときだった。
「おい、小僧」
「あんだよ」
すっかりふてくされてソファーに寝転がっていたトラップに、おじいちゃんの声がとんだ。
「お前、パステル嬢ちゃんは既にものにしたのか?」
どたっ!!
その言葉に、トラップは派手に床に転げ落ちた。
……ものにした?
えと。それって……
言われた意味がわかって、わたしがかーっと真っ赤になっていると、トラップがおじいちゃんにつかみかかっていった。
「い、いきなり何言い出すんだこのじじい!」
「ぢゃからじじいと言うな。ふふん、わしの目を甘く見るなよ? お前がパステル嬢ちゃんにぞっこん参っとるのは見た瞬間わかっとったわい。で、どうなんぢゃ?」
「…………〜〜〜〜っ!!」
トラップの顔が一瞬のうちに真っ赤に染まった。
何か言いたげに口をぱくぱくさせているけど、何も言葉が出てこないみたい。
ところが。
そんなトラップをしばらく眺めた後、おじいさんは、げらげらと笑い出した。
「わあっはっは。カマをかけてみたんぢゃが……図星のようぢゃのう」
「じじい〜〜〜〜っ!!」
「怒るな怒るな。何もかも未熟なお前ぢゃが……そうぢゃな」
そこで、お爺さんはわたしの方をちらりと振り返った。
「女性を見る目だけは確かぢゃと、認めてやってもいいぞ?」
「…………」
おじいさんの言葉に、トラップも、そしてわたしも、しばらく何も言えなかった。
えと……えと、それって……
トラップは、しばらくうつむいていたけど、「けっ。あたりめえだろ?」なんて言って、もう一度ソファーに寝転がった。
耳まで見事に赤く染まっている。……照れてる?
まあ、それは、わたしも同じなんだけど……
おじいさんは、そんなわたし達の様子に気づいているのかいないのか、げらげら笑いながら食後のビールを楽しんでいて……
この家では、きっとこの人にかなう人は誰もいないんだろうなあ。
わたしは、何となくそんなことを悟っていた。
すっかりおじいさんにやりこめられて、下手なことを言えば墓穴を掘るだけだと悟ったのか。
トラップは、「風呂入ってくる」と言い捨てて、居間を出ていってしまった。
あー、そういえばまだお風呂沸かしてないや……トラップはシャワーだけでいいんだろうけど……沸かしておいてくれるかな?
……無理だろうなあ。
声をかけようかと思ったけれど。トラップの姿はもう脱衣所に消えていた。
いいや。今日はちょっとくらい遅くなったって。
そんなことを思いながら紅茶を入れていると、おじいさんが飲み終えたビールのびんとグラスを流しまで持ってきてくれた。
「あ、いいんですよ。置いておいてください」
「いやいや。突然来たからのう、これくらいは。迷惑ぢゃったか?」
「いいえ、全然。すごく楽しかったです。いつもトラップと二人だけだから、本当に嬉しかった」
これは本音だった。トラップだって随分賑やかな人だけど。やっぱりこの広い家に二人だけだと、それも限界がある。
わたしがそう言うと、おじいさんは顔をほころばせてわたしを手招きした。
「え?」
「ちょっと話を聞いてくれるかのう。何、老人のたわごとぢゃて。聞き流してくれればいいんぢゃが」
「い、いえ。わかりましたっ」
洗いかけのお皿を置いて、台所の椅子に座る。
おじいさんは、そんなわたしを、じいっと見つめていた。
……何だろ? わたし、何か失礼なことしたかな?
何だか落ち着かない気分になってわたしがもじもじしていると、おじいさんは柔らかい笑みを浮かべて言った。
「パステル嬢ちゃん」
「はい?」
「あいつを……トラップのことを、よろしく頼んでいいかね?」
「え??」
思わずまばたきをしてしまう。何で突然そんなことを言われるのかわからなくて。
頼む……トラップを? わたしに?
「わたしに頼む必要なんか、ないと思います……むしろ、わたしはいつもトラップに助けてもらっていて」
わたしの言葉を、おじいさんは黙って聞いていた。
「トラップは、何でもできるから。わたしなんか、方向音痴だし、ドジだし、いつもいつもトラップに迷惑かけちゃって……」
「いいや」
ふるふるとおじいさんは首を振った。その顔は、相変わらず優しかったけど。でも、目は真面目だった。
「あいつは半人前ぢゃよ。一人では何にもできん奴ぢゃ」
「そんなこと……」
「いいや。わしは、今日ここに来て……驚いたよ。あの小僧が、あんなに生き生きとしとるのは、初めてぢゃったから」
「……え?」
意外な言葉だった。
初めて? わたしが見ているトラップは、いつだって生き生きとしてて、自信満々で……
わたしがそう言うと、おじいさんはふうっ、と息をついた。
「パステル嬢ちゃん。あいつの親が、仕事仕事であいつのことをあまり構ってやれなかったのは……知っとるかね?」
「……はい」
それは、トラップ自身に以前聞いていた。
ご両親が忙しいから、小さい頃はずっと親戚の家に預けられていた、と。
だから誕生日も祝ってもらったことはなかった……そう言って、彼は、誕生日パーティーを開こうと言ったわたしに、心底嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。
「まあ、あいつも今はいい年ぢゃからな。大して気にもしとらんようぢゃが……子供の頃は、よう一人でべそをかいとったわ。本当はわしが引き取ってやれればよかったんぢゃがなあ。わしもその頃は仕事を持っとってな。
それに、あれでも唯一の内孫。ゆくゆくはブーツ家の名前を背負ってもらう奴ぢゃからな。ついつい厳しくしつけてしまってのう。『じいちゃんと暮らすのは嫌だ。怖い』と言われてしまったわい。全く恩知らずな孫ぢゃて」
……何だか、「厳しく」って言葉がさっきの光景とはちょっと結びつかないんだけど。
どんな躾をしてたんだろう……? そういえばさっき、「命がなくなってる」とか不穏な発言が出ていたような……
色んな疑問がとびかったけど。わたしの様子に気づくことなく、おじいさんの話は続く。
「それなりの年になって一人で暮らすようになって。年に一度くらいは、顔を見に来とったんぢゃがな。いつだって、何というか……いつもいつも騒がしいが。
それは空騒ぎをしとるというか、心から笑ったことなどないんじゃないか、そう思って気にかけとったんぢゃがなあ……ああ見えて寂しがりやな奴でな。全く男のくせに情けない奴ぢゃて」
そう言って、おじいさんはわたしが入れたお茶をぐっと飲み干したんだけど。
さ、寂しがりや……? トラップが?
何だか、すっごく似つかわしくない単語なんですけど……
でも、ありえないことだ、とは言い切れない気がした。
ずっと小さい頃からほとんどご両親に会えなくて、中学生くらいから一人暮らしをしてて……
それって、何だかすごく寂しい生活なんじゃないか、と思う。わたしも両親は忙しい人だったけど、朝と夜は必ず顔を見せてくれたもんね。トラップとは、次元が違う。
「けどな、今日顔を見て、安心したわい。あんたと一緒にいると、あいつはそれはそれは楽しそうぢゃから……これからも、トラップをよろしく頼んだぞ」
そう言って、おじいさんはにっこり微笑んだ。
「パステル嬢ちゃんなら、安心してまかせられる。どうぢゃ? いずれ本当にあいつの嫁にならんか? わしとしては、嬢ちゃんみたいな子が孫になってくれると嬉しいんぢゃが」
「…………っ!!」
かあっ、と顔が真っ赤に染まる。
よ、嫁って……嫁って。わ、わたし達、まだ高校生なんですけどっ!?
「あ、あのっ……」
「トラップが、気にいらんか?」
「い、いえ。そんなことはっ。むしろ……」
ちらり、と脱衣所のドアに目をやる。……まだ、あがってこないよね。大丈夫だよね?
「……大好きです。今は、まだそんなことまで考えられないけど。いずれは……」
そう言うと、おじいさんは豪快に笑って言った。
「わしが、生きとる間にパステル嬢ちゃんの花嫁姿が見たいもんぢゃな」
「……わたしも」
こっくりと頷いて、わたしは言った。満面の笑みを浮かべて。
「おじいちゃんに、見てもらいたいです」
翌朝、「わしだって色々忙しいんぢゃ」なんて言いながら、おじいさんは自分の家へと戻っていった。
どうやら、ここから結構遠いところに住んでるみたい。もっと近くに住んでいたら、気楽に会えるんだろうけどなあ。
「だああああ……やーっと帰ったかよ」
おじいさんを見送った後で。トラップは、だらーっと居間のソファーに寝転がった。
「もートラップったら。自分のおじいちゃんでしょ? そんな言い方して」
「おめえなあ。昨日俺があのじじいにどんな目にあわされたのか、見てなかったのかよ?」
いや、見てたけど。
でも、すっごく楽しそうだったじゃない。
「トラップ、本気で嫌がってはいないんでしょ?」
「はあ?」
「おじいちゃんのこと、大好きなんでしょ? もー。素直になればいいのに」
そう言うと、トラップは決まり悪そうに頭をかいていたけど。
やがて、ぷいっと視線をそらして、「ま、あんなんでも血の繋がったじいさんだしな」なーんて可愛くない言い方をしていた。
全く。本っ当に素直じゃない!
……でも……
「いいなあ……」
「あ?」
ぼそり、とつぶやくと。トラップは、くるりと振り向いた。
「何か言ったか?」
「いいなあ、って。わたしも、あんな素敵なおじいちゃん、欲しかったな」
ふっと思い出す。お葬式のとき、わたしのことを冷ややかに見ていたおばあさまの目を。
わたしの両親は、駆け落ち同然で一緒になった、って言ってた。
おじいさまの顔なんか覚えてもいないし。今のところ唯一の身内であるおばあさまは……わたしのことを、疎ましく思ってるみたいだし。
だから、トラップが羨ましかった。
例え滅多に会えなくても、ちゃんとご両親がいて。あんな素敵な……トラップのことを親身になって考えてくれているおじいちゃんがいて。
「羨ましいよ。わたしは、おじいちゃんやおばあちゃんに、ほとんど会ったこともないから」
そう言うと、トラップは、ひょいっと身を起こした。
すいっ、と近寄ってきて、ごくごく自然に、わたしの顎に手をかける。
……え?
ぐっ、と力を入れられて、自然にトラップの顔を見上げる体勢になる。彼の薄い茶色の目が、じーっとわたしを覗き込んで……
「あんなじじいでよかったら、いくらでもやるぜ?」
「……え?」
「簡単じゃん」
ふうっ、と顔が近づいてくる。
わたしの耳元に唇を寄せて、トラップは囁いた。
「おめえが俺と結婚すりゃ、自動的にあのじじいはおめえのじいちゃんになるぜ?」
「……〜〜っ! なっ……」
一気に頭に血が上る。
なっ……こっ、こっ、これはっ……
「トラップ……?」
「見せてえんだろ?」
「え?」
ふいっ、と唇が移動してくる。後ほんのちょっとで、わたしの唇と触れる。そんな距離で……
「花嫁姿……あのじじいに見せてえんだろ?」
「〜〜〜〜っ!! と、トラップ……あんた……」
よみがえる昨夜の会話。ま、まさか、トラップ……
「き、聞いてたわねー!?」
「あんなでっかい声でしゃべってりゃ、自然に聞こえるっつーの」
「だ、だからって盗み聞きなんてっ」
抗議の声は、唇によって止められてしまった。
反射的に身を引こうとしたけれど、トラップの手が、がっしりと背中を支えて、それもできない。
隙間から熱い舌がすべりこんできて、無理やりわたしの舌をからめとった。
むさぼるような、激しいキスに、頭がジーンとしびれてくる。
「んっ……」
すうっ、とトラップの手が、わたしの腰にまわってきた。そのまま、服の下に侵入しようとして……
がちゃんっ
「おーいすまんすまん! 帽子を忘れていったわい。年は取りたくないのう! がっはっは!!」
玄関から響いた声に、二人同時に、慌てて飛びのいたのだった。
完結です。
萌えシチュエーションというものが無いですね……
四話からまた学園ライフに戻ります。とりあえずは体育祭編かな……?
次は原作重視、明るめの作品いきます。
59 :
名無しさん@ピンキー:03/11/13 11:23 ID:70se5QZn
すげー
ここまで書き手を放置してるスレ、初めて見たかもしれん
リクエストや文句や人格攻撃以外のまともな感想が作品投下量に比べて少なすぎるだろ。
こんなにレベル高いのに。
トラパス作者さん、よかったらうちのスレに移住しません?
結構メジャーなラノベスレなんですけど
その執筆の速さと質の高さ、純愛から凌辱まで幅広くこなす作風の広さ
あなたほどの書き手なら住人一同大歓迎しますよ?
トラパス作者さま、学園編投下乙です!
またまたお預けのトラップですねw
かわいそ〜なんだけど笑えます。
もしかして私の萌点は・・・寸止め!?
次作もマターリお待ちしてます。
>>59さま
うっ・・・そう言われると返す言葉が無いっす。
文章書くの苦手でこれ書くのも時間が掛かってるんですよ(滝汗
生暖かい目で見てくれると嬉しいです。
わーい学園編だーヾ(´▽`)ノ
トラパス作者さん毎日々々萌えをありがとうです!
秋口から怒濤の作品投下が始まって、
はやくも8スレめですかΣ(゚Д゚;)アワー
Gを握り潰すトラップに惚れました…。
いや、目の前でやられたら失神してしまいそうですが。
うちのマミーもやってたなぁ、なんて懐かしい気持ちにもさせていただきましたw
そして何よりおじいちゃんがかっこよすぎでナイスです。
つぎの原作重視なお話も楽しみにしております!
63 :
名無しさん@ピンキー:03/11/13 15:59 ID:bbSt/j+y
学園編第二部第三話、おもしろ楽しかったです!トラップのおじいさんナイス。
トラップとおじいさんの絡みが愉快でした、最後の帽子を忘れたのって多分わざとだろうな。
おじいさんまた来るといいな…と思ってます!
あっそれと、たぶん知ってると思うし、トラップだったらああ言うと思うけど
ゴキブリは噛みます、まあどうでも良い事ですね!
では、次の作品も楽しみにしてます。
>>59 ちょ、ちょっと待ってくれ!何お誘いしてんだよ(汗)
確かに作品に対しての感想が少なすぎると俺も思うけど、
皆ちゃんと読んでくれてるんだよ、たぶん…
とにかくトラパス作家さんがいなくなったら、俺は困る!
だからってトレードも無しな。
毎日スレを覗けるわけではないので、感想が追いつかない場合だってあるぞ。
トラパス作家さん、お疲れ様でした。
ゴッキー関連の描写だけでトラップに惚れそうになりました(w
あいつらっていきなり飛び出したりするから、私も苦手です。
パステルの動揺っぷりが手に取るように分かって感情移入も増大でした。
しかし彼らはいつになったら本懐を遂げられるのだろう(w
その辺りの描写も楽しみにしています。
トラパスさま毎度良い作品サンクスです!
エロパロ板には勿体無いくらい出来上がった話ばかりで感動。
お願いだから他のスレに行かないで下さいませ(汗
トラパス作家様が早すぎて感想が追いつかない
…という人は多いんじゃないかな?
わたしも、投下の早いのは嬉しいけど、読むのに手一杯です。
他の作家さんたちの作品とか、レス付ける間もなく新スレに行ってしまう感じ。
偶然リアルで読んだときくらいしか感想が書けなくて申し訳ないです。
だからと言ってトラパス作家様の速さが悪い、と言っているわけではなくて、あくまで事実として。
毎回楽しみにしてるんで、神様方には頑張って欲しいです。
でも違う元ネタを使ったトラパス作者さまのSSも読んでみたいのも事実だったり。
例えばどんなSSだったら書けるのでしょう?
>>トラパス作者さま
トラップ弱点リクエストさせて頂いた前スレ133です。
リクしたとき、書き込みかたが失礼にあたらないか心配でしたが大丈夫だったようでほっとしました。
本来はレスまで頂いた時点でお礼すべきでしたのに、遅れてしまって失礼しました。
じいちゃん登場で自分のペースに持ち込めないトラップ、すっごく良かったです!!
弱点が何になるか考えながら楽しみに待っていたのですが、正直じいちゃんが来るとは思ってもませんでした(藁
そういえば、旧4巻の呪われた城で幻覚を見せられて
「じいちゃん、俺が悪かった」とか言っていたり、ドーマに帰ったときも
すっごく苦手そうでしたよね。
それなのに全然予想できなくて、こんなんじゃFQファン失格です(汗
でも、トラップの弱点はじいちゃんと見せ掛けておいて、寂しいのに素直に甘えられないところじゃないかと思ってみたり。照れ屋なうえに意地っ張りですからね〜。
パステルと暮らせるようになって良かったってしみじみ思いました。
ワガママかつ失礼なリク応えてくださって本当にありがとうございました。
59さんのおっしゃる事はごもっともですが、どうか他スレに行かないで下さい(泣
トラパス作者さまがお書きになるなら、他の二次小説も面白いのは間違いないでしょうが、
個人的にまだこれからもトラパス作者さまのFQが読みたいので…
長文&空気読めてない書き込み失礼しました。
>>67 うーん、今までないタイプといったら
原作の世界観で悲恋話、
あとはパステル→トラップ(トラップに限らないけど)の今までの逆パターンとかは面白そうだな。
恋する乙女は強い!って感じでたまにはガンガン行くパステルを見てみたいかな。
クレイとトラップが両方パステルに惚れてて、恋の鞘当てを演じているSSとか。
>>69 >>67は、FQでなくて、違う作品のエロパロを読んでみたい、と言うことではないかな?
もっと多くの読み手に読んでもらえるなら、移住も一つの手と思われ。
感想が追いつかないのは事実。トラパス作者さんが書くのに変わりはないんだから反応がもっちとある方がトラパス作者さんのためにもなる気もする。
作品自体は専用の読み場があるし。
朝起きたら予想外に感想がいっぱいついててびっくりしました……
>感想くれた方々
ありがとうございます。学園編も第四話から体育祭学園祭あたりのお約束イベントいれていく予定です。
移住は今のところはする予定は無いのですが。
ここまでFQのSSに馴れきってしまうと他の作品を書けるかどうか。
>>59さん
ええと、お誘いはありがたいですけど……どこのスレなんでしょう……?
>どんなSSなら?
原作を読んでいる、という意味なら、スレがある作品は……
スレイヤーズ、オーフェン、フルメタ、まぶらほ、ブギーポップ、魔法戦士リウイ……ですかね?
主なラノベは大抵読んでるつもりですけど。
えと、とりあえず新作投下します。
今日は明るめな話。まとめページでリクエストされた作品。
かなりベタな話ですが。
注意
・本編の続きに関して勝手な憶測が混じっています。
初めてって、どんなことだろうと緊張する。
初めて一人で出かけたとき。初めて野宿をしたとき。初めてクエストに出かけたとき……
うまくいくかどうか心配で、やめといた方がいいんじゃないかって不安で。でも、いざやってみると、辛いときも苦しいときもあるけれど、とっても楽しくて。
何より、やり遂げたー! っていう達成感って、他の何にも変えられないんだよね。
だから、この日も。わたしは、とてもとても緊張していた。
いつものみすず旅館じゃない。以前家を買ったことがあったけれど、モンスターの襲来で程なく燃えてしまって。その後、すっごく長いクエストに挑戦して、そこから無事に帰れた後、新たに建て直した家。
以前は二人一部屋だったけれど。今回は、一部屋が狭くかわりに部屋数が多かったから。一人一人個室を持つことにした(あ、ルーミィとシロちゃんは、わたしと同じ部屋だけどね)。
その中の一つ、トラップの部屋。
時間は夜。個室だから、もちろん、この部屋には主たる彼と、招かれたわたししかいない。
お互いの呼吸の音しか聞こえない、とてもとても静かな時間。
ただ、ベッドにじいっと腰掛けて、何を話すでもなく、時間だけが過ぎていって。
でも、夜が段々更けてくるにつれて、少しずつ、少しずつ、二人の間の距離は縮まっていった。
わたしはそれに気づいていたけれど。嫌だ、とか、怖い、とか、そんなことはちっとも思わなかったので。むしろ、自分からも少しずつ距離をつめていって。
肩と肩が触れ合ったとき、トラップの手が、そっとわたしの身体を抱き寄せた。
「……俺、何か、もう我慢できねえ、っつーか」
「うん」
「嫌だったら……言えよ? おめえが嫌がること、したくねえからな」
「うん……嫌じゃないよ」
ことん、と彼の肩に頭をもたせかけると、トラップの手が、優しくわたしの髪を撫でてくれて。
そのまま、わたし達は、ベッドの上に倒れこんでいた。
わたしとトラップが付き合い始めたのは、先にも書いた長い長いクエストの直後。彼の誕生日パーティーがきっかけだった。
5月3日。トラップの誕生日。何をあげればいいのか迷って迷って。結局、本人に聞いてみることにしたんだよね。
「誕生日プレゼント、何が欲しい?」
って。
建てたばかりの家の、トラップの部屋。真新しい木の匂いがする部屋の中で、ごろりとベッドに横たわっていた彼は、わたしがそう言うと、音も無く上半身を起こした。
「何でもいいのか?」
「高いものはやめてよねー。わたしがあげられるものなら」
そう言うと、彼は、ニヤリと笑って言った。
「んじゃ、おめえ」
「……え?」
「おめえが、欲しい」
最初はいつもの冗談かと思ったんだけど。何故だか、わたしを見つめる彼の目は、とってもとっても真面目に見えて。
わたしが答えられずにかーっ、と真っ赤になっていると、ぐいっ、と腕をひっぱられた。
そのまま、ぎゅうっと抱きしめられて……耳元で囁かれたのは、とっても簡潔な言葉。
「好きだ」
それが、付き合うことになったきっかけだった。
言われて気づいたから。わたしもトラップのことが好きだって。
そして……今。季節は夏。
付き合うようになってから、変わったことといったら。
気がついたら、さりげなく手を握られていたり。何だかんだと、二人っきりになる機会が増えたり。
ふと会話が途切れたとき。沈黙が流れたときに……唇が触れ合うようになったり。
それはとても温かくて、居心地のいい時間だった。
そして。
付き合うようになってから、三ヶ月。八月の、暑い盛り。
昼間に遊んで遊んで遊びまくって、疲れきったルーミィはぐっすり眠っている。
だけど、わたしは何故だかなかなか寝付けなくて。窓からふうっ、と外を眺めていたら。ちょうど庭に出てきていたトラップと目が合った。
「何、してるの?」
窓から身を乗り出して声をかけると、トラップは、ちょっと肩をすくめて「眠れねえ」とだけ答えてきた。
「そっち、行ってもいい?」
どうせ、わたしも眠れないから。そう言うと、彼はしばらく黙った後、「外、虫がいるから。刺されるの嫌だろ? 俺の部屋に来いよ」と言われた。
彼の顔から、声の調子から、それがありったけの勇気を振り絞って言った言葉だとわかったから。わたしは、「うん」と素直に頷くことができた。
トラップが何を望んでいたか。薄々気づいてはいたんだよね。
だけど、わたしを怖がらせまい、と、それを必死に押し隠している彼の気持ちがとても嬉しかったから。だから、それに甘えていたんだけど……
でも、もう、いいよね。そろそろ……
好きだから。
付き合うようになって、初めてわかったから。こんなにも、こんなにもトラップのことが好きなんだ、って。
着ていたパジャマを脱いで、ずっと着ないで大事にしまってあった水色のキャミソールと白いミニスカートに着替える。
この服、マリーナがくれたんだよね。「きっと、パステルによく似合うよ」って。
でも、こんな薄い服一枚で歩く勇気はなかなか出なくて、ずっとしまいっぱなしにしてたんだけど。
今なら、いいよね? 見るのは、トラップだけだから。
そうっと足音を忍ばせて、向かいのトラップの部屋をノックする。
ドアは、すぐに開いた。わずかな隙間から腕を引かれ、滑り込むように中に入る。
バタン、とドアを閉めて振り向くと、すっごく緊張した顔のトラップが、黙ってわたしを見つめていた。
で、冒頭に繋がる、というわけなのだ。
仰向けに横たわったわたしの上に、覆いかぶさっているのはトラップ。
その顔は、とっても嬉しそうで辛そうな、複雑な表情をしていた。
「その服……」
「え?」
「初めて見るな」
トラップの視線が注がれているのは、わたしのキャミソール。
肩紐はほとんど紐みたいなもので、胸元も大きく開いていて。見えちゃうから、ブラはつけていない。
……普段絶対に着れない、と思ったのは、それも一つの理由なんだけど。
「マリーナがくれたの」
「……それ、普段はぜってー着るな」
「何で? 似合わないかな」
もとより、トラップの前で以外着るつもりなんか無かったけれど。そんな言われ方をすると不安になってしまう。
……似合わないのかな。やっぱり、こんな色気のない身体にこういう大胆な服装って、無理があった?
そう言うと、トラップは苦笑して「ちげえよ」と首を振った。
「他の男に見せたくねえんだよ。おめえのそういう、色っぽい姿」
「……へへ」
嬉しかった。
そんな風に言ってもらえてすごく嬉しかったから、わたしは素直に笑うことができた。
トラップも、見たことが無いような優しい笑みを浮かべて、そっとわたしの唇を塞いだ。
それから先は、もう無我夢中だった。
知識だけは、人から聞いたり本を読んだりで、色々と持ってはいたけど。いざ体験してみると、それはもう本当に未知の世界で。
いつもの触れるだけのキスじゃない、もっと深くて、長い、濃厚なキス。
唇の間から滑り込んできたトラップの舌は、とっても熱くて。わたしの口内をくすぐるようにしながら舌をからめとっていった。
しばらく息をすることすら忘れそうだった。それくらい、激しいキス。
「んっ……」
つつっ、と唇が、頬へと移動する。
骨ばった大きな手が、キャミソールの中へゆっくりともぐりこんでいった。
下着をつけていない胸に、直に触れる手。ただあてがわれただけなのに、それだけで、わたしはびくっ、と全身を震わせていた。
どっ、どうすればいいんだろう……
ただこうしてじっとしていればいいのか。トラップにまかせておけばいいのか。
でも、彼にばっかり動かせるのは悪いような気もする。けど、何をすればいいのか、よくわからない。
頭の中で、色んな葛藤がぐるぐる渦巻いていて。
そうして、やり場のなくなった手を、無駄に握ったり開いたりしていると。
それに気づいたのか、トラップの手が……身体を這い回っているのとは逆の手が、そっとわたしの手を握り締めてくれた。
「安心しろって」
「うん……?」
「無理すんなって。おめえに、そんなこと期待してねえ……俺にまかせときゃ、いいって」
その言葉に、安心して力を抜くことができた。
「ごめん……」
「あんで謝んだよ……俺としちゃ、その方が嬉しいんだぜ?」
唇へのキスの後。トラップの唇は、わたしの身体のいろんなところを這い回って、そのたびに身体に微かな痕を残していった。
そっとキャミソールがめくりあげられる。胸から背中へ、背中からお腹へ。お腹から、腰へ。
色々なところを触れられた。トラップの手が触れるたび、わたしの身体は確実に熱くなっていって。
そうして、手が、そっと膝にかけられたとき。
わたしは、ぎゅっと目を閉じた。
「……いい、か?」
「バカ……嫌だったら言うって、言ったでしょ?」
「わりい」
交わした会話は、それが最後。
ぐいっ、と膝を持ち上げられる。
太ももをゆっくりと這い登っていく指。下着の隙間から滑り込み、わたしの内部へともぐりこみ、そうしてわたしを高みへと上りつめさせてくれる、指。
「あっ……や、やんっ……」
頭の中から少しずつ消えていくのは、「理性」と呼ばれるもの。
そうして考える力を失って、最後に残ったのは、とても口には出せないような……本能。
「ああっ……あ、と、トラップ……」
色々と言いたいこともお願いしたいこともあったけれど。そのどれもが、とても言えないようなことばかりで。
やり場の無い思いをどうすればいいのか、涙がにじむ目を、ゆっくりと開けると。
トラップと、目があった。
彼の目は、何もかもわかってると言いたげな、とても静かな目で。
次の瞬間、それは証明された。
「あっ……」
身体を貫く甘い痛み。
痛い、痛いという話ばかり聞いて。どんな激痛なのかとちょっと怯えてすらいたのだけれど。
いざ味わってみると、その痛みは、今まで経験したどんな痛みとも違っていた。
痛くはあるけど、決して苦痛とは思わない。むしろ、とても心地よい満足感に浸らせてくれる、痛み。
それは、トラップがとてもとても時間をかけて、慎重にわたしの身体をほぐしてくれていたからで。
彼の手先が器用だったことも幸いしていたのだと、後になってわかったけれど。
もちろん、今のわたしがそんなことに気づくはずもなく。
緩やかに身体の中で波打つトラップ自身。それが、わたしの身体にかきたてるような快感を与えてくれていた。
「やあっ……あ、も、……変になっちゃいそう……あんっ……」
「……俺もっ……」
緩やかだった動きが、段々と激しくなって行った。
ジッと耐えているのが辛くて、わたしはトラップの背中にすがりついた。そうでもしなければ、襲ってくる快感の波に、溺れてしまいそうな自分がいたから。
「……ああっ!」
すうっ、と頭の中がクリアになっていった。
目の前が真っ白になって、色んなものがぱーんと弾けて。
ぐっ、と腕に力をこめたとき。身体の中で、トラップの動きが止まったのが、わかった。
初体験、がこんなに素敵なものになっていいんだろうか。
同じベッドで眠りながら、わたしはつぶやいていた。
こんなに幸せで、こんなに何もかもうまくいっていいのかな?
そう言うと、トラップは「ばあか。いいに決まってんだろ」と言って、ぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。
本当は、部屋に戻らなくちゃいけない、とわかっていた。
朝起きて、わたしが部屋にいなかったら、きっとルーミィが心配する。
でも、もう少しだけ。
もう少しだけ、トラップと一緒にいたい……
その腕のぬくもりに包まれて、わたしが口の中でつぶやくと。
「……俺も」っていう声が聞こえたような気がしたのは、気のせいかな?
だけど、それを確かめる暇も無く。
わたしは、すうっ、と忍び寄る睡魔に、身を委ねていた。
こんなに素敵で幸せでうまくいっていいんだろうか?
……いいわけなかった。それが、わたし達らしいところ、というか。
翌朝、そんな暖かい余韻なんか吹き飛ばすようなとんでもない事態が、わたし達を待ち受けていたのだから。
ふぎゃああああ……
目が覚めたのは……何て言うのかな? そんな、猫の鳴き声みたいな、聞きなれない声のせいだった。
ふぎゃああああ……
「ん……」
何だろう? すぐ耳元で聞こえる。結構大きな声。この声って……
ふぎゃああああ……
「んん?」
ぱちん、と目を開ける。
見慣れたものと見慣れないものが、同時に目にとびこんできた。
一瞬にして頭が冴え渡る。眠気なんか、どこかに吹き飛んでしまっていた。
……えと……?
きょろきょろとまわりを見回す。
トラップの部屋、だった。少なくともわたしの部屋じゃない。大して広くもない中に、寝ているベッドと、小さなテーブルとタンスがあるだけの部屋。
わたしの目の前で大口開けて眠りこけているのは、サラサラの赤毛が印象的な、端正な顔立ちの男の人。
トラップ。これはいい。
そして。
わたしとトラップの、ちょうど間にすっぽり挟まるようにして、小さな小さな人影があった。
泣いていた。その人影は、全身を震わせるようにして、顔をくしゃくしゃにして、大声で泣いていた。
ふぎゃああああ……
赤ちゃん……だった。
そう、赤ちゃん。ルーミィよりももっとさらに小さな、多分生まれて半年そこそこ? の赤ちゃん。
見たこともないその子は、そこにいるのが当然のように、自己主張を繰り返して……つまりは、泣いていた。
「…………」
ええっと。待って。ちょっと待って。落ち着いて、落ち着いて。
何なの、この子は……昨夜は、こんな子いなかった。いたら、気づくはずだもん。
ええっと……
ふぎゃああああ……
「ああ、よしよしよし」
考え込んでいる間にも、その赤ちゃんは容赦なく泣き続けていて。
その、あんまりにも切ない……何かを求めるような泣き声に、わたしは思わず、その子を抱き上げていた。
すると。
ぴたり、と音がしそうな程唐突に、泣き声が止まった。
わたしが抱き上げた途端、その子は、小さな顔の割には随分とぱっちり開いた目で、じいっとわたしを見つめて、そしてきゃっきゃと笑い始めた。
かっ……可愛いっ……
きゅうんっ、と胸を締め付けられるような感覚。こっ、これはもしや母性本能……? って、そんなこと言ってる場合じゃなくて!
「と、トラップ! 起きて、起きて起きて起きてっ!!」
「ん〜〜……」
部屋中に響く泣き声の中でもめげずに寝ていたトラップを、慌てて揺り起こす。
「起きて、トラップ! ほら、そこに宝箱がっ!!」
「なにいっ!? どこだっ!!」
がばっ!!
わたしの必殺目覚まし文句に、即座にがばっ、と身を起こすトラップ。
きょろきょろとまわりを見回して、ぼけーっとした目でわたしを見つめて。
「あんだよ、また騙したのかあ……?」
昨夜の記憶がよみがえったのか、寝起きの彼にしては妙に幸せそうな笑顔でつぶやいたけど。
その視線が、わたしの腕の中の赤ちゃんに注がれて、ぴっきーんと凍りついた。
「……パステル……」
「トラップ! 見て、この子……」
「おめえ、いつの間に子供なんか生んだんだ?」
スパーン!!
わかりやすいボケをかますトラップの頭をはたき倒す。
今はそんな冗談言ってる場合じゃないんだってば!!
「バカッ! 何言ってるのよ。それより、見て、この子!!」
「いや、見てるけどな……おめえ、一体どこから連れてきた?」
「連れてきたんじゃないの! 朝起きたら、ベッドに寝てたのよっ!!」
「はあ? おめえなあ……赤ん坊が、いきなり降ってくるわけねえだろ? 夢でも見たんじゃねえ?」
「夢でも何でもこの子がここにいるのは現実でしょ!?」
そう言うと、トラップは、じいっ、とわたしと赤ちゃんの間で視線を往復させて、かしかしと頭をかいてついでにほっぺたをつねっていた。
「……夢、じゃねえようだな」
「だから、そう言ってるじゃない」
わたしとトラップの動揺なんかいざ知らず。
赤ちゃんは、きゃいきゃいと笑いながら、わたしとトラップの髪をつかんでは幸せそうに笑っている。
トラップがひょい、と赤ちゃんを抱き上げた。それでも、その子は泣き出しもせず、むしろ嬉しそうに満面の笑みを浮かべていて。
「……どーいうことだ?」
「こ、こっちが聞きたいわよー!!?」
ああ、もう、わけがわからないっ!!
わたしとトラップが途方に暮れていたときだった。
ドンドン!!
突然ノックの音が響いたかと思うと、返事をする暇もなく、がちゃんとドアが開いた。
そこから顔を覗かせたのは、黒髪の美形ファイター。パーティーのリーダーでもある、クレイ。
「ああ、パステル。やっぱりここにいたのか。あのなあ、ルーミィが『ぱーるぅがいない』って泣いてるんだけど。気持ちはわかるけどちょっとは……」
そんなことを言いながら、クレイは、わたしと、トラップと、そして間にいる赤ちゃんを見て、見事に表情を凍りつかせた。
「あ、クレイ。ルーミィが何だって?」
「パステル……」
「ん?」
「いつの間に子供なんか生んだんだ?」
ばこーん!!
わたしが投げつけた枕は、クレイの顔面に見事に命中した。
まったくう!! つ、つい昨夜初体験を済ませたばかりのわたしが、いきなり子供なんか生めるわけないでしょー!?
「違うっ、違うぞ!? 俺は知らん。知らんと言ったら知らん!」
猪鹿亭のテーブルで。クレイ達の冷たい視線に、トラップが必死に言い訳をしていた。
トラップの腕の中で、ぐっすりと眠っている赤ちゃん。
さっきは慌てててじっくり見ている余裕もなかったんだけど。
色白な肌に、さらさらの赤い髪。
着ている産着は、オレンジ色の派手な色合い。ちなみに女の子みたいだった。
身元がわかるようなものは、何も持ってない。
赤毛。この一点で、皆の疑惑が一斉にトラップに向いたことは言うまでもない。
「本当か、トラップ……? 本当に、身に覚えはないのか?」
「ねえよ!! 大体なあ、どう見たってこいつ、生まれて一年経ってねえだろ!? 俺はずっとおめえらと一緒にいただろーが!!」
クレイの言葉に、トラップが必死に言い返す。
ようするに、「トラップが一夜の過ちで妊娠させちゃった女性が生んだ子供じゃないか?」っていうのが、皆の考えだったりするんだけど。
わたしに生んだ覚えが無い以上、誰か他の女性が生んだとしか思えないわけで。そうすると相手がどこかに必ずいるはずで。
ま、まさか……ねえ……
「ぱ、パステル!? おめえまでそういう目で俺を見るかよ!? 俺は知らんからな! 断じて俺の子じゃねえ!!」
「その割には、やけにトラップに懐いてますね」
お茶を飲みながらしみじみと言ったのはキットン。
「普通に考えたら、あなたよりもクレイの方が余程子供に好かれそうなんですが」
「ああ!? 何が言いてえんだおめえは!」
「いえ、別に」
トラップの物凄い視線に、キットンは、ばっと目をそらしたけれど。
そう……なんだよね。
朝、クレイが顔を出したとき。てんやわんやの末、クレイが赤ちゃんを抱き上げようとしたら。
トラップやわたしに抱かれているときはにこにこ笑っていた赤ちゃんが、突然火がついたように泣き出したんだよね。
そのくせ、驚いたクレイが慌ててトラップに返すと、ぴたり、と泣き止んだりして。
……怪しいっ……
どうしても、疑いの目になってしまう。そんなわたしを見て、トラップは何だか随分不機嫌そうな顔になったけれど。
だってねえ……そもそも、あなたみたいな見事な赤毛って、珍しいと思うんだけど? それだけで、もう何というか……
「あ、目を覚ましたみたいですよ」
キットンの言葉に、皆の視線が一斉にトラップの腕の中に集まる。
さっきまですやすやと眠っていた赤ちゃん。それが、今はぱっちりと目を開けていて。
そして。
「ふぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
火がついたように、泣き出した。
猪鹿亭中の視線が、一気に集まる。
「わっ! な、何だ突然っ!」
「トラップ、お前一体何をしたんだ!?」
「何もしてねえよ!!」
おたおたと慌てるトラップとクレイ。その脇で、ルーミィがのん気に「赤ちゃん、泣いてるのかあ?」なんて言いながら、じーっと顔を覗きこんでる光景は、姉妹みたいで微笑ましいと言えば微笑ましい。
って、そんなこと言ってる場合じゃなくて!
「お腹が空いてるのかなあ?」
「そうなのか!? よしパステル! 母乳やれ!」
「出るわけないでしょー!?」
ぼかっ!!
下品なボケをかますトラップを張り倒して、その腕から赤ちゃんを受け取る。
だけど、朝はあっさり泣き止んでくれたのに、今は全然効果が無くて……
「ど、どうしようっ……」
おろおろしていると、厨房から、リタが顔を覗かせた。
「ミルクでよければ、あるけど?」
「……お願い」
「はいはい。それにしてもねえ、トラップ、パステル。あんた達、いつの間に子持ちになったの?」
「だから、違うんだってばー!!」
この調子だと、どんどん誤解が広まっていきそう。
ううう。一体、一体この子の親はどこにいるのー!?
リタやルタが使っていた、という哺乳瓶を借りて、ミルクを飲ませてみると、赤ちゃんはどうにか泣き止んでくれた。
それでも、やっぱりわたしかトラップ以外の人が触ろうとすると、泣き出してしまう。
「人見知りが激しいようですねえ。……本当に覚えが無いんですか、パステル?」
「無いってば!」
しつこく疑ってくる、キットン始めとする他のメンバー達。
……まあ、疑惑の目が集まるのも、仕方が無いと思う。
目を覚まして、ぱっちりと開かれた大きな瞳。
その色は……はしばみ色だった。
それを指摘されたとき、皆の視線が一斉にわたしに集まったけど……ほ、本当に知らないってば!!
「赤毛で目の色がはしばみ色ですか……そしてトラップかパステル以外の人間が触ろうとすると泣き出す……ここまで揃っても、お二人は知らない、と」
「知らねえもんは知らねえんだからしょうがねえだろ!?」
「トラップ。俺達は別に怒ったりしないから、正直に言え」
「だあらっ……おめえなあ! そもそもたったの一日やそこらで赤ん坊ができるかよ!?」
トラップの正論に、皆は「だってなあ」「だってねえ」とどこまでも疑惑的。
わたし達の大声に怯えたのか、赤ちゃんは、何だかまた泣き出しそうな表情でトラップの腕にしがみついている。
「赤ちゃん、かわいいおう」
「かわいいデシ」
何もわかってないルーミィとシロちゃんののん気な声が、とても羨ましい。
一体、どうすればいいんだろう?
「まあ、ですねえ。本当にトラップとパステルの子じゃないというのなら」
「本当なんだってば」
「まあそうなんだとしたら、どこかに親がいるはずですから。しかるべきところに届け出た方がいいと思うんですがねえ」
キットンの言葉はもっともだったけれど。
その前に、一つ問題があった。
どこかに親がいたとして……どうして、みすず旅館のトラップの部屋に置いていったのか?
「お前、全然気づかなかったのか? 部屋に誰かが入ってきたこと」
「全然。俺、寝てたし」
クレイの質問に首を振るトラップ。
確かにねえ。わたしも全然気づかなかった。一体、いつの間に……? そして、どうして?
「ふええ……」
思考が中断されたのは、ぐずり始めた赤ちゃんの声。
「今度は、おむつじゃない? ルタが使ってたのが、どっかにあると思うけど……捜してきてあげようか?」
面白そうにわたし達を見ているリタに、「お願い」と声をかける。
「はいはい。それにしてもねえ。まさかトラップとパステルの子供を見れる日が来るなんて」
「だーかーらー、違うんだってばー!!」
笑いながら奥にひっこんでいくリタにかけた声は、空しく響き渡った。
だ、誰か……誰かこの状況を説明して――!!
おむつなんか、取り替えたことない。
そう言うと、トラップが渋々ながらやってくれた。
意外なことに、トラップの家って大所帯だったから。こういう子守も、何度かやらされたことがあるんですって。
その慣れた手つきに、みんなの疑惑の目がさらに集中したんだけど。
まあ、それはともかく。
「赤ちゃんってのは、ところ構わず泣き出すからなあ」
というクレイの意見によって、わたしとトラップは、現在のんびりと散歩をしていた。もっと正確に言えば、「泣かれたら迷惑だから」と追い出されたんだけど。
家に戻ろうか、とも思ったんだよね。だけど、キットンが薬草の実験するんで集中したい、と言い出してねえ……ううっ。みんな冷たい……
クレイとノルはバイト。本当の赤ちゃんがいる以上、ルーミィのことにまで手が回らないから、彼女達は家に置いてきた。
で、トラップと二人。行く当てもなくうろうろしてるんだけど。
「ついでに、この子の親探しでもしてきたらどうだ?」って言われたので、道行く人に色々尋ねてみたのに、誰もこんな赤ちゃん見たこと無い、って言うんだよね。
一体、この子はどこから来たんだろう?
「それにしてもなあ。こいつの親、今何してんだろうなあ」
きゃいきゃいと髪にじゃれつく赤ちゃんを見下ろして、トラップはしみじみと言った。
「心配じゃねえのかねえ。自分のガキを他人に預けて」
「ガキって、あのねえ……」
「名前がわかんねえんだからしゃあねえだろ? ったく。せめて迷子札でもつけててくれりゃあなあ」
そうなんだよねえ……
色々困ることはあるけど。何が一番困るって、手がかりになりそうなものを何にも持ってないことなんだよね。
産着はどうやら手作りみたいなんだけど。名前の縫い取りがあるわけでもないし。もちろん住所も何にも書いてないし。
「名前、名前ねえ。呼び名が無いと不便だよね。わたし達で適当につけちゃおうか?」
「いいのかよ、んなことして」
「だって、いつまでも赤ちゃん赤ちゃんって呼んでるわけにもいかないじゃない」
にこにこ笑う赤ちゃんの顔を見ていると、何だろう……こう、胸がほわーんとあったかくなってきた。
すっごく愛しい……っていうのかな? はっ、も、もしや、情が移り始めてる!?
だ、駄目駄目パステル。この子は他の家の子供で、いつかは別れなきゃいけないんだからっ!
……で、でも。呼び名が無いと不便なのは本当だし。うん。今だけだもん。仮の名前をつけるくらいは、いいよね?
「ねえ、どんな名前がいいと思う?」
「さあ。別に何でもいいんじゃねえの。どうせこいつ、自分の名前なんかわかってねえだろうし」
返って来たのは気の無い返事。
ふーんだ、いいもんね。わたしが勝手に決めちゃうから。
頭の中に、色んな名前が浮かぶ。あ、何かいいなあ……昔、おままごととかで、人形に向かって好きな名前つけてたこととかを思い出しちゃう。
そういえば、ダイナとかともよく話してたんだよね。「将来結婚して子供生んだら、こんな名前つけるんだー!」とか。
この子は女の子。もし、この子がわたしの子供だったとしたら。つけたい名前は……
「ステラ……うん。ステラってどう?」
「……おめえ、それってもしかして」
トラップの顔がひきつるのがわかった。へへ、やっぱばれた?
トラップ。本名、ステア・ブーツ。
だってねえ。自分の子供に親の名前をもじってつけるのって、何だかすごく王道って気がしない?
「いいじゃない。自分が将来子供生むとしたら、どんな名前つけるか……って、考えたことない?」
「ねえよ、んなの! ……っと、待てよ。ってこたあ」
トラップの顔に、すんごく意地悪そうな笑みが浮かんだ。
「将来、おめえは俺の子供を生みたいと……そう考えてると思って、いいのか?」
「…………」
しまった。墓穴掘っちゃったかも……
赤ちゃん改めステラを抱っこして。
わたしとトラップが辿り付いたのは、よくルーミィと遊びにくる公園だった。
大きな公園でね。中央には池もあるんだ。このほとりでお昼寝するのが、また気持ちいいんだよね。
って、なごんでる場合じゃないんだけど。
いくら尋ねても「知らない」っていう返事が来るのに疲れて、わたしとトラップは座り込んだ。
ああー、足が疲れた……赤ちゃんを抱っこするのって、意外と重労働なんだね。世の中のお母さんを尊敬してしまう。
「幸せそうな顔してんなあ……」
またまた眠ってしまったステラの顔を見つめて、トラップはぽつん、とつぶやいた。
その目は、何だか随分と優しい。
「……もしかして、父親としての愛情が芽生えたとか?」
「おめえなあ……知らねえっつってんだろ」
「だって。こうして見るとさ。ステラって、何だかトラップに似てるような気がするもん」
いや、これは本当に。
髪の色が似てるのは散々言ったんだけど。何て言うのかなあ……顔立ちじゃなくて、雰囲気? それが、何となーくトラップとかぶるんだよね。本当に何となくだけど。
「おめえなあ……んなこと、よく平気な顔で言えるなあ?」
「? 平気って?」
「だって、おめえ自分で生んだ覚えはねえんだろ?」
「だから、そう言ってるじゃない」
「ってこたあ、さ」
そう言って、トラップはわたしの顔を覗きこんできた。
「ステラが俺の娘だったとして。おめえ、自分で俺が他の女に子供生ませた、って言ってんだぜ? 平気なのか?」
「…………」
ちょっと考える。トラップが、他の女の人と、その……
「……嫌」
「よろしい。これに懲りたら二度と言うなよ?」
「……ごめん」
うう、そうだね。よく考えたら、わたし、何気なくひどいこと言ってたかも。
しょぼん、とうなだれると、ポン、と頭に手が乗せられた。
「安心しろよ」
「え?」
「おめえが、初めての女だから」
「…………」
言われた意味を理解して、頭にボンッ、と血が上ってしまう。
な、な、な、なーにを言い出すのよこんな真昼間に!?
「とととトラップー!?」
「あんだよ。身の潔白を訴えただけだっつーの」
「だ、だからってっ……」
わたしがぶんぶんと手を振り回して抗議しようとしたときだった。
「可愛らしいお嬢さんですね」
後ろから声をかけられて、ハッ、と二人で同時に振り向く。
そこには、長い黒髪を背中までたらした女の人が、優しそうな微笑を浮かべていた。
多分、20代の前半くらい、かな? わたし達よりちょっと年上みたい。
そして、彼女の腕の中には、ちょうどステラと同じくらいの赤ちゃんが、抱っこされていた。
「あ、あの……」
「随分お若いんですね。この年頃の子は、よく泣くから。大変でしょう?」
「え? ええ、まあ」
女の人は、にこにこしながらわたしの隣に腰掛けた。
彼女の腕の中の赤ちゃんが、ステラを見て、興味深そうに「あーうー」と手を伸ばしている。
その気配を感じたのか、トラップの腕の中で、ステラもぱっちり目を開いた。
「あら、ごめんなさい。起こしちゃったみたい」
「あ、ああー、いいですよ。気にしないでください! あの、あなたの子供さんは、男の子ですか?」
「そうよ。シオンって言うの。あなたの方は……」
「あ、女の子ですっ! す、ステラって言うんです」
成り行きで、何となく会話を交わしてしまう。
トラップは、何だか照れくさそうにそっぽを向いていたけど……どうせ、彼女が美人だから照れてるんだろうけどね……こ、これはチャンスじゃない?
同じ年頃の赤ちゃんを持つお母さん。何しろわたしは子供を生んだこともないし弟や妹がいたわけでもないから。おむつの替え方も知らなかったし、ミルクの作り方とか、食事とかお風呂の入れ方とか、なーんにも知らないことだらけなんだよね。
この際だもん。色々聞いちゃおう! 将来の役に立つと思うし!
そうしてすっかり打ち解けて、わたしが聞きだしたところによると。
彼女の名前はシルビアさん。シルバーリーブの隣の村に住んでいて、今日は用事でエベリンに行く途中、ついでに立ち寄ったんですって。
「明日には、また乗合馬車に乗らなきゃいけないの。赤ちゃんを連れていると、旅も楽じゃないから困っちゃって」
「ああー、そうでしょうねえ……」
そんな感じでつい話しこんでしまった。
年上の女の人と話す機会なんて、そうは無いからね。ついつい夢中になっちゃって。時間を忘れてしまった。
そうして、気がついたら、夕方になってしまっていた。
「いけない、そろそろ戻らなくちゃ。主人がきっと待ちくたびれてるわ」
それに気づいて、シルビアさんが立ち上がった。
赤ちゃん同士で仲良くなったステラとシオンちゃんが、急に引き離されて不満そうな声をあげる。
「もっと話していたかったけど。ごめんなさいね、もう行かなくちゃ。機会があったら、また会いましょう」
「ええ、ぜひ!」
ほんのちょっと話しただけだけど。シルビアさんはとてもいい人だった。
結婚して、子供がいるからかな? すっごく考え方とかが大人で、わたしも随分「へえー」と感心させられてしまった。
わたしの初心者丸出しの質問に、嫌な顔一つせずに色々答えてくれたしね。
もっとも、その間相手にもされなかったトラップは、ふてくされて眠ってしまっていたけど。
「今日は、本当に色々教えてくれてありがとうございました」
「いいえ。最初は誰だってそんなものよ。子育てって言うけど。子育てを通して、親の方こそ色々育ててもらってるのよ? 一日一日、母親として成長していくのがわかるもの。だから、パステル。がんばってね」
「はいっ!」
うわあっ、すっごくいい言葉。これは絶対覚えておかなくちゃ。
そうして、将来本当に自分の子供ができたとき……その子が大きくなったら、話してあげるんだ!
わたしが成長できたのは、あなたのおかげよって。
そんなことを考えてにこにこ笑っていたら、シルビアさんは、すっごく暖かな笑みを浮かべて言った。
「じゃあね。ステラちゃんも、バイバイ。よかったわね、優しそうなお父さんとお母さんで」
「…………」
「旦那様にも、よろしく言っておいてくれる? パステルを独占しちゃってごめんなさいね、って」
「……は、はい……」
それだけ言うと、シルビアさんは去っていった。
だ、旦那様……お父さんとお母さん……
や、しょ、しょうがないけどね。そりゃあ、わたしはまだ17だけど。でも、ステラくらいの赤ちゃんがいても、ちっとも不思議ではない年でもあるし。
トラップだって18だし。年頃だし。わたし達と赤ちゃんがいたら、そう見られるのは……仕方ないよね?
……あれ、何だろ。何だか、顔がにやけてしまう。
う、嬉しい、って思ってる? もしかして。
「……おい」
びくりっ!!
背後から響いた不機嫌そうな声に、弾かれたように振り向く。
視線の先では、顔をしかめたトラップが、上半身を起こしていた。
「気い済んだか? そろそろ戻らねえか。もう遅いし」
「え? う、うん。そうだね」
戻る……って家にだよね。
……ちょっと、残念かも? もう少しだけ、三人……わたしと、トラップとステラの三人で、いたかったかも?
そんなことを考えながら、わたし達は家路についたのだった。
食事って言っても、ステラの年頃だと、ミルクと流動食が主になってしまう。
何ヶ月なのか、見た目だけじゃわたしには正確にはわからないんだけど。ペースト状にしたおかゆ(おもゆって言うのかな?)に、ダシだけ取って具を取り出した野菜スープを冷ましたものを試しに作ってみると、おいしそうに食べてくれた。
お風呂の入れ方は、人肌くらいのお湯に、耳に水が入らないように気をつけて優しく入れてあげること。
シルビアさんに教えてもらったことは、どれもとっても役に立った。
あ、赤ちゃんをお風呂に入れるときってね、お父さんが入れてあげたほうがいいんですって。
手が大きいから、片手で耳を塞ぐことができるし。腕力があるから、抱っこするときも安定してるしね。
昼間散々歩いて疲れたみたいだったから、お風呂はクレイに頼もうかな、とも思ったんだけど。
意外なことに、「俺がやる」と、トラップが自ら言い出した。
まあ、どうせクレイが抱っこしようとしてもステラは泣いちゃうから。どっちにしろトラップに頼んだことになったとは思うんだけど……それにしても意外。
「やっぱり」
「やっぱりなあ……」
なーんてひそひそ言ってるクレイ達をぎろっとにらみつける目はすっごく怖かったけど。でも、ステラを見る目は、意外なくらいに優しい目で。
「……トラップって、いいお父さんになれそうだよね」
そう言うと、ぐしゃり、と頭を撫でられた。
「本当に大切な相手になら、なれると思うぜ?」
……それって、ステラに情が移ったってこと?
いつもなら、こういうとき「どうせすぐ別れることになんだから。あんまりのめりこむんじゃねえぞ」とか言いそうなのに。
あの現実主義者なトラップも、赤ちゃんには弱かった……ってことかな?
そんなわけで、子守に明け暮れた一日は終わった。
ステラも、慣れない環境に疲れたのか、今はぐっすり眠っている。
もっとも、シルビアさんの言葉によれば、この年頃だとまだ夜泣きするかもしれないから気をつけて、とのことだったけど。
……で。
「ルーミィ。俺と一緒に寝ようか」
そう言って、クレイがルーミィを自分の部屋に引き取っていって。
わたしは今夜も、トラップの部屋で寝ることになった。
……いえ、別にいいんですけどね。ちょっと嬉しかったりするし……
「トラップとパステルにしか、懐かないからなあ、この子……」
何度か抱き上げようとしてはそのたびに泣かれて、すっかり諦めた様子のクレイいわく。
「パステル一人に世話をさせるのはかわいそうだし、トラップにまかせたら泣いてるのに気づかず寝てそうだし。親が見つかるまで、二人で面倒みてやれよ」
とのことだった。
納得。特に、トラップにまかせたら気づかずに寝てそうってあたりが特に。
というわけで、狭いベッドに、わたしとトラップ、間にステラ、と無理やり三人で寝ることにした。
最初はね、わたしが床に寝ようか? って言ったんだよ。
一応トラップの部屋だし。ちなみに何でわたしの部屋を使わないのかって言うと、ステラの親が、トラップの部屋に彼女を置いて行った以上、引き取りに来るときもこの部屋に来るんじゃないか、と見越してのことだったんだけど。
そう言うと、「俺、寝相悪いからな。ステラを蹴落とすかもしんねえ」なんて物騒な返事が返って来たので。
仕方なく、わたしとトラップの間にステラを入れて、床に落ちたりしないようにガードすることにしたんだ。
せ、狭い……それに暑い。
それでも、どうにかこうにか眠りにつこうとしたんだけど……
「はあ。早く、お父さんとお母さんが見つかると、いいね」
明かりを消した部屋の中。
寝苦しくて目が覚めてしまったわたしが、すやすやと眠っているステラにぽつんと話しかけると。
「……やっぱ、嫌か?」
返事がきて、びっくりしてしまった。
いやいや、もちろんステラがしゃべったんじゃないよ? この声は……
「起きてたの? トラップ」
「……まーな」
暗闇で、表情は見えないけど。
ぼそぼそとつぶやく声は、何だか残念そうというか……
「嫌、って?」
そう聞き返すと、しばらく沈黙した後、トラップは言った。
「俺、ガキなんか嫌いだって思ってたんだけどな。ぎゃあぎゃあうるせえし。言うことわけわかんねえし。こっちの言うことなんか聞きゃあしねえし」
「うん……?」
「でも。今日、ステラの面倒みてて……何つーか。こういうのも、いいかもな、って思っちまったっつーか……」
「……うん……?」
狭いところで寝るのにも段々と慣れてきたのか。
トラップの話を聞いているうちに、とろとろと眠気が押し寄せてきた。
「おめえと……ステラと、三人で歩いてて……親子に間違われて……でも、それも何かいいな、って思ったっつーか」
「…………」
「なあ、本当に……親に、ならねえ?」
遠くに聞こえた、トラップの声。
これは……夢、じゃなくて。本当に言われたこと、なのかな?
あのトラップが、そんなこと言うなんて……まさか、ね……
何とか、目を開けて確かめようとしたんだけど。
一気に襲ってきた眠気に耐えることができず。
耳元で盛大なため息がつかれるのを聞いた。それを最後に、わたしの意識は闇に沈んでいって……
次に目が覚めたのは、ドアが開く微かな音だった。
目が覚めた、って言っても。頭の中は半分以上眠っていて。
後になって、それはひょっとしたら夢だったんじゃないかと思ってしまうような。そんな頼りない記憶。
隣でぐっすり眠っているステラとトラップ。夜泣きも今のところは無いみたいで、ちょっと安心してたんだけど……
ぎいっ、と微かにドアが開く音。ひたひた、と、ベッドの傍に歩み寄る足音。
……誰、だろう……
ぼーっとそんなことを考えるけど。目を開けるのも億劫。昼間の疲れもあったせいかな。昨夜も、寝るの遅かったし……
「よく寝てんなー」
「当たり前でしょ? 今何時だと思ってるのよ。ほら、早く。起きちゃうじゃない」
「わーってるって」
手が伸ばされる。わたしの隣に寝ていた小さな人影が、ゆっくりと抱き上げられる気配。
「しっかし、こうして見るとこの頃の俺達って若いよなあ」
「たった数年じゃない。今だって十分若いわよっ」
「いんや。この頃のおめえはもうちっと可愛げがあった気がする」
「な、何言ってるのよー! しっつれいね!」
うるさい、なあ……
何となく、聞き覚えのある声。ちょっと深みのある、年上の男女の……声。
誰、だろう……
「ほらあ、早く帰ろう」
「ったく。おめえなあ、こんなことになったのは誰のせいだと思ってんだ? おめえがステラに変なもん飲ませたのが原因なんだぜ?」
「だ、だって! あれはキットンが悪いのよっ! 誰だって間違えると思わない? 哺乳瓶に白い飲み物が入ってたら、ミルクだと思うわよ普通!」
「何か瓶貸してくれって言われて哺乳瓶差し出すのもどうかと思うぜえ? んで、自分で貸したことをコロッと忘れてんだし」
「だだだだって! 手元にそれしかなかったんだもんっ……」
言い合いは続く。
でも、喧嘩してるようでいて……この二人が、お互いをすっごく信頼しあってるのは、よくわかった。
だって、声が、口調が、とっても暖かいんだもん。
……いいなあ。こういう関係って……
「しっかし、タイムスリップできる薬、とはね。キットンお手製わけのわからん薬シリーズにも、段々拍車がかかってきたな」
「だって、実際にできてるじゃない……まさか、自分の顔を見忘れたわけじゃないでしょ?」
「覚えてるって。だあら、薬が成功したのは認めてる。っつってもなあ。来てどーすんだよ? 戻れるのはたかが数年だろ? できたところで何の役に立つんだか」
「夢が無いなあ、もう。それは、これから改良を加えていくんじゃない? ……ほら、いつまでもこんなところで言い合いしてないで、早く帰ろう。元の世界に戻れる薬、ちゃんと持ってきたよね?」
「へっ、おめえと一緒にすんなよなあ」
……目、開けなきゃ。
どういうことなのか、聞かなきゃ……
ねえ、どういうこと?
あなた達は……まさか、まさか……
「それにしても。朝起きてステラがいなくなってたら、こいつらびっくりするだろうなあ」
「置手紙でも残していこうか?」
「っつっても、何て書くんだよ。事情話したって、信じるか? 俺だからわかるけどな。絶対こいつは信じないぜ」
「あなたは現実主義者だもんねえ……」
さらさらっ、と、ペンが走る音がした。そうして、枕元に、何かがかさり、と置かれた。
「んじゃ、帰るか。眠いしな」
「早く休もう。クレイ達も心配してると思うし」
「だな」
足音が、遠ざかっていく。
……待って。待って、まだ行かないで。
今、起きるから。待って……
「ま、激励くらいはしといてやるか。おめえらも頑張れよ……素直になれよ、トラップ」
「もー、何言ってるんだか」
がちゃり、とドアが開く音。そうして、人の気配が、完全に消える。
その直前に聞こえたのは……
「行こう、ステア」
朝、目が覚めたとき。
隣に、既にステラの姿は無かった。
……昨夜のあれは……一体、何だったんだろう?
あれは……夢? ……それとも……
手をついて起き上がる。がさり、という音が、耳に届いた。
……え?
枕元に置かれたのは、一枚の手紙。
……夢、じゃない……?
慌てて手紙を広げる。そこに書かれていたのは……
「と、トラップ! 起きて、起きて起きて起きてー!!」
「……ん〜〜……」
「起きてってば! ほら、そこに宝箱がっ!!」
「何っ!?」
進歩なくわたしの嘘に騙されて飛び起きるトラップの前に、手紙をつきつける。
「な、何だっ……?」
「ステラの両親が、迎えに来たみたいで……」
「……帰っちまった、のか?」
「うん」
そう言うと、トラップは不機嫌そうに顔をしかめた。
「あんだよ。挨拶くらい、してけよな」
「あの、それでね。これ、手紙が……」
「手紙?」
枕元に置いてあった手紙を差し出す。それを読んで……トラップが考えたことは、一体何なんだろう。
わからなかった。彼は、とても複雑な表情で、何度も何度も手紙を読み返して。
そうして、ポン、とわたしの頭に手を乗せた。
「……まあ、縁がありゃあ、いずれまた会えるだろ」
「そうだね……」
縁が、あれば。
きっと、それはある。後は……素直に言えるかどうか。
好きだ、って気持ちを伝えるのにも、随分と勇気が必要だった。
だけど、好きだ、と言えたのだから。これも、きっと言える気がする。
「ねえ、トラップ」
「なあ、パステル」
振り向いたのは、同時だった。
『結婚しようか?』
――トラップ、そしてパステルへ。
ステラの面倒をみてくれて、どうもありがとう。
……頑張ってね。
幸せになれるから。絶対に幸せになれるって保証してあげるから。
だから、頑張れ。過去のわたし。
完結です。ありがちネタ失礼しました。
えーと……次は、とことんダークに暗い作品に徹したパラレル悲恋の6、いきます。
原作重視な悲恋はじめとするその他の話も思いついたら書いていきます。
100 :
名無しさん@ピンキー:03/11/14 16:13 ID:nU/ddGT9
子育て編、ほのぼのしてて良かったですよ〜!ありがちでも面白いものは面白い、全然OK。
しかし、たぶんキットン絡みだと思ってたけど、前に言ってたタイムスリップの薬だったとは
うかつにも最後らへんまで気がつかなかった……(予告していたのに…チョット失敬)
次は悲恋6ですか、とことんダーク徹した作品!楽しみにしてます。
>>73 スレが立ったばかりの灼眼のシャナとか、
スレはないけど、したらばに専用の板がある妖魔夜行&百鬼夜翔で書いて欲しいな。
トラパスさまGJ!
ほのぼのも路線いいっすねー。
しかし本当に色んなテイストを制覇されてますね。
>>73 キシャーしない夕菜とか、
小悪魔ちっくに迫る舞穂とか、
想いを成就させる千早とか、
たまにでいいから書いて欲しいなあ。
>>101、103
おまえら
ここはフォーチュンスレで
トラパス作者さんの体は一つしかないんですよ?
>>トラパス作者様
父親なトラップよかったです。なんか今回のトラップは
いつもと違って、パステルに対して勇気を振り絞ってるところとか、
好きでした。やっぱトラップも普通の男の子なんだなあと思って。
>>69 かなり遅レスだけどがんがんいくパステル、見たい!
トラパス作者様、乙です〜
相変わらずハイペースで尊敬します
子育て編、某ママは○学4年生を彷彿とさせるシチュが楽しかったです
トラップって子供をきちんと叱れるいい父親になりそうですよね〜
ステラという名前も個人的にツボでした
成長したルーミィやクレイの息子?とパーティ組んでる十代のステラちゃんが
なにかの理由で正体隠してタイムスリップしてきたりすると楽しそうですね〜
がんがん突っ走るパステル私も見たいです
できればいつもの鈍感パステルの逆でトラップが間を外しまくったり……
悲恋シリーズ新作も楽しみにしてますので是非〜
>>101さん
その作品は未読です。すいません……
>>103さん
まぶらほSSですかあ。ネタが思いついたら挑戦してみようかなあ……
>感想下さった方々
ありがとうございます。ラブラブな二人を書いたのは久々なので、うまく書けるか心配でした。
概ね好評のようでホッとしています。
さて。新作。パラレル悲恋シリーズ六作目。
要注意!
・この作品は、「運命編」「王宮編」を読んで「これのアンハッピーエンドも見てみたい」というリクエストから考えた作品です。
・従って設定やストーリー展開が微妙に似通っている部分もあります。
・パラレルです。世界観は中世。トラップ達は18歳前後の設定です。
・暗いです。かなり暗く救いようのないエンディングです。
↑
こういう作品が嫌いな人はスルーでお願いします。
王位継承権なんざ、欲しけりゃ誰にだってくれてやる。
好きで王家に生まれたわけじゃねえ。ましてや好きで王位を継いだわけじゃねえ。
「ステア陛下」
「…………」
「陛下」
「あんだよ」
「本日の謁見希望者を、通してもよろしいですか」
「……好きにしろ」
大臣、キットンの言葉に、俺はおざなりに頷いた。
王に取り入るために、見え透いたお世辞と、難民をいじめぬいて手に入れた貢物を我先にと持ってくる貴族、領主、商人。
俺に許された返事はただ一つ。「わかった」の一言だけ。
若干18歳の王。誰もが尊敬と畏敬を表に張り付かせ、裏では「若造」とバカにしていることも知っている。
……仕方ねえだろう。俺だって、継ぎたくて継いだわけじゃねえよ。
両脇に立っているのは、第一騎士団団長クレイ・S・アンダーソンと第二騎士団団長ギア・リンゼイ。
後ろに控えているのは大臣、キットン。
そして、中央に座っている俺……ステア・ブーツ。18歳にして、先代の王……ようするに親父だが……が死んだために継ぎたくもない王位を継がされた、名前だけの王。
親父の死因は、どっか別の王家が雇った暗殺者による急襲。そんなことでもなけりゃ、後50年くらいは余裕で生きそうだったのに。
俺はただ椅子に座っているだけでいい。実質、国を取り仕切るのは大臣キットンの役目で、国を守るために戦うのは二つの騎士団の役目。
俺はただ、「王」と名乗って座っているだけでいい。
……この上なく退屈で、馬鹿馬鹿しい日常だった。
「一人目の謁見希望者を、通します」
キットンの言葉に、俺は顔を上げた。
それでも。
例え名前だけでも、俺は王だから。
王としての仮面を被って、与えられた役目をこなさなきゃなんねえ。
どれだけ不満に思っても。俺にはそうすることでしか居場所を作ることができねえから。
「……通せ」
俺の言葉に、重々しいカーテンが開いて、一人目の貴族が現れた。
今日もまた、馬鹿馬鹿しい日常が始まる。
だらだらと自分の領民がいかに反抗的かを訴え、税率を上げてもいいかを伺い、贅沢な贈り物を山と積み上げて去っていく貴族、領主、商人。
話を聞いている振りをして、「わかった。善処しよう」とだけ答えて、「次の者を通せ」という。そして謁見者がいなくなるまでそれを繰り返し、いなくなったら部屋に戻る。それがいつもの俺の日常だった。
だが、その日、少しばかり変わった謁見者が現れた。
「お初にお目にかかります、陛下」
黒いマントに身を包んだその男は、素顔も見せようしねえ、あからさまに怪しい男だった。
おい、よくこんな男をここまで通したもんだな。入り口の兵士は何やってやがる。
キットンに視線を向けると、俺の言いたいことを察したのか。すぐに立ち上がった。
だが、退室を命じる寸前、男は顔を上げた。
どこまでも暗い目の野郎だと思った。その顔立ちに特徴と言えるものは何もなく、目をそらしたら次の瞬間には忘れてしまいそうな、そんな顔立ち。
「ステア陛下。わたくしは近辺を回っているしがない行商人でございます」
「…………用件を言え」
俺の言葉に、行商人、と言った男は、低い笑い声をあげて、一歩、二歩と下がった。
しきりのカーテンのすぐ傍まで下がったところで、足を止める。
「来い」
男がそう言った瞬間、カーテンの影から、両手首を縄で拘束されてぼろぼろの衣装を身にまとった女が一人、現れた。
「おいっ……」
あまりにも王宮には似つかわしくない娘。後ろでクレイが色めきたつのがわかったが、とりあえずそれを手で制する。
……何のつもりだ、こいつは。
「その娘は」
「貢ぎ物でございます」
「貴様っ……人身売買は立派な犯罪だぞ。堂々と王宮に現れるとは、いい度胸をしている!」
叫ぶクレイをギアが制している。
クレイは、騎士の鏡みてえな性格をしてるからな。女子供を売買するなんて、奴の良心が許さねえんだろう。
俺のここで取るべき対応は、クレイ達に命じてこの男を捕らえることだ。
だが……
「おもしれえな」
つい、素に戻った口調で。俺はつぶやいていた。
「おもしれえな。おめえ、一体どういうつもりだ?」
「……さすがは陛下。懐が広くていらっしゃる」
男が小突くと、女は、どん、と床に膝をついた。
震えていた。顔を上げようとしねえからどんな娘なのかはよくわからねえが。その身体は小刻みに震えていて、怯えていることが一目でわかった。
「わたくしは、陛下にこの娘を貢ぐつもりです」
そう言って、男は深々と頭を下げた。
「見返りとして、この国での商売権利をいただきたい」
「悪いが、それはできねえな。人身売買は犯罪だ。そんな権利を与えるわけにはいかねえ」
そう言うと、男は大げさに首を振った。
「何をおっしゃいます。わたくしの売り物は、少しばかり変わった像や植物の類であり、この娘はあくまでも陛下のためだけに持ってきた特別な品。普段は無論、人身売買などいたしておりません」
「…………」
ちらり、と視線を向けると、キットン、クレイ、ギアの三人は揃って首を振った。
信用できねえ、やめとけ、追い返せ。奴らの視線はそろってそう訴えている。
まあ、それが妥当な判断だろうな。
「それを信じろ、と?」
「信じるも信じないも、売買は禁止されている以上、売り物として持っていっても買い手がいない。それでは商売になりません。そうではありませんか?」
それはある意味正論だった。隠れて買うような輩はいるかもしれねえが、それなら売る方もわざわざバカ正直に商売権利なんぞ求めず隠れて勝手にやればいい話だ。
「……で? 俺への貢物が、その女だと?」
「はい。きっと、陛下のお気に召すのではないかと」
「……顔を上げろ」
俺の言葉に、それまでずっとうずくまって震えていた女が、おずおずと顔をあげた。
泥で汚れた顔だったが、多分元は白かったと思われる肌。
長い蜂蜜色の髪と、はしばみ色の目。年は俺よりいくらか下、と言ったところか。
特別目立つ容姿とは言えねえ。身体の方はまだまだ発展途上。こいつに比べれば、俺にすりよってくる貴族の女の中に、もっと美人でナイスバディな姉ちゃんがいくらでもいる。
だが……
見た瞬間、女から目を離せなくなった。
ひどく怯えた表情をしていたが、その目は、やけに綺麗で、まっすぐに俺を見つめていた。
「……もし、俺が商売権利は与えねえ、と言ったら、おめえはこの娘をどうするつもりだ?」
「いたし方ありません。持ち帰って、またしかるべき王家に貢物として差し出すだけのことです」
「…………」
つまり、ここで俺がいらねえと言えば、この女はまたどこぞへと引きずり回されるわけだ。
見てわかった。こいつが、この男からろくでもねえ扱いを受けているのは。
人身売買は犯罪だ。だが、男は「売って」いるわけじゃねえ。あくまでも「貢ぎに」来たわけだ。
おかしな話だが、法律なんてそんなもんだ。抜け道なんていくらでもある。
「この娘は、奴隷か?」
「奴隷でも、侍女でも、召使でも……性奴隷でも、好きなように扱いください。全ては陛下の思いのままです」
性奴隷、という言葉に、娘の肩が大きく震えた。
……おもしれえ。
「わかった」
「陛下!?」
俺の言葉に、キットン達が騒ぎ出す気配がしたが、それを手で押さえる。
文句は言わせねえ。……王は俺だ。
いつもなら、キットンにまかせっきりにするところだが。勘違いするな。最終決定権は俺にある。
「わかった。商売の権利を与える。法に触れるようなものの売買は禁じる。それでいいな?」
「ありがたき幸せ」
一礼して、男は下がっていった。
後に残されたのは、ぼろぼろの娘が、一人だけ。
「……おい」
声をかけると、女はびくり、と震えて頭を下げた。
「おめえ、名前は?」
「……パステルと……言います」
それが、俺とパステルの出会いだった。
毎日違う女を抱くことに、特別な感情を抱いたことなんかねえ。
俺に抱かれることで自分の立場が少しでも上がると勘違いしているなら、それをわざわざ訂正してやる義理はねえ。
実際には、抱いた女の顔なんざいちいち覚えてねえし、名前なんざ端から聞いてもいねえから、何の意味もねえ行為なんだが。
だが、その日。珍しく、俺の元に来る女はいなかった。
かわりに残されたのは、俺に貢がれた女……パステルだけ。
あんな泥だらけの格好で部屋に入れるなんざとんでもねえ、とキットンがわめくから、侍女のマリーナに頼んで風呂に入らせた。
そうして、今。風呂上りのパステルが、薄い夜着を一枚まとっただけの姿で、俺の前に立っている。
「…………」
ぎゅっと唇をかみしめて、パステルはうつむいていた。その肩から震えが止まることは、ない。
「どーした? ……貢物なら貢物らしく、俺に何か奉仕でもしてみろよ」
ベッドに腰掛けてそう言うと、その顔が今にも泣きそうに歪んだ。
性奴隷としてでも、好きなように使えばいい……男の言葉がよみがえる。
こいつが、これまでどんな扱いを受けてきたのか。公には言えねえことだが、奴隷商人というものが存在することくらい、知っている。
これまで、色んな商人の元を歩いてきたのか……それにしちゃあ、やけに反応が……
「おい、どーした?」
「何をすれば……いいんですか?」
「何をって」
パステルの言葉に、笑いが漏れた。
まさか、何も知らねえとでも? 「性奴隷」の意味がわからねえとでも言うつもりか?
「おめえの役目は、俺の性処理をすることだ」
「…………」
「ようするに……たまったもんをすっきりさせろ、と。そういうことだ」
「…………」
「おい、まさかどうやればいいのかわかんねえ、なんて言うんじゃねえだろうな?」
俺の言葉に、パステルの顔が今にも泣きそうに歪んだ。
……まさか。
「おめえ、まさか処女かよ?」
そう言うと、パステルは真っ赤になって頷いた。
……マジかよ?
「おめえ、今まで何やってきたんだ? 奴隷として生きてきたんじゃねえの?」
「わ、わたしは……」
パステルは、何かを言いかけたが。思いなおしたように、口をつぐんだ。
「陛下にお話しするような……それほどのことでは、ありません……」
「…………」
そうかよ。
そうだな。しょせんおめえは「貢物」……おめえの過去なんか、経験があろうがなかろうが……知ったことか。
「そうだな。俺には関係ねえ」
ぐいっ、とその腕をつかんで、乱暴にベッドに押し倒す。
怯えた目が、妙にそそった。
「ようは、役目さえ果たしてくれりゃあ、それでいいんだよ」
ぐっ、とあごをつかむと、まっすぐな視線が俺を射抜いた。
……この目だ。
この目が、俺に……今まで抱いたことのない感情を抱かせる。
その感情の名前が、何て言うのかは知らねえが。
唇を奪い、無理やり舌をからめる。パステルはただされるがまま。自分から動こうとはしねえし、そもそもどう動けばいいのかわからねえ、そんな顔で、目に涙をためて俺を見ている。
……そんな顔を、するな。
一瞬胸を過ぎる罪悪感。それを無視して、パステルの服をはぎとった。
夜着の下には何も着てなかったらしい。すぐに裸身が目にとびこんでくる。
色気には乏しい身体。そのかわりに、肌は輝くように白く、滑らかで……綺麗だった。
男に抱かれることに慣れきった大人の女の身体とは違う、少女の身体。
それを汚すことに、暗い喜びがわきあがってきた。
「へえ……」
首筋から胸元にかけて舌を這わせると、パステルは身をよじってうめいた。
強く吸い上げると、一つ、二つと、白い肌に血のような赤が浮かび上がってきた。
「あっ……」
「色気はねえけど。これはこれで、なかなか……」
小さな胸をつかんで、力任せにもみしだく。微かな悲鳴と、「痛い」という言葉。
怯えて縮こまろうとする身体を無理やりに組み敷いて、欲望の赴くままに手を這わせる。
……これはこれで、いい。
硬い身体。反応はぎこちなく、ただされるがままに、初めて襲う快感の波に必死に耐えている。
その顔がまた、どうしようもなく欲情を煽った。
「おい」
「…………」
返事もできねえか。まあ、仕方がねえ。
唇が切れるんじゃねえか、と心配になるほど、きつく噛み締めて。
パステルは、必死に耐えていた。「嫌だ」「やめて」と叫びたいのをこらえている、そんなことが丸分かりな表情。
……おもしれえ。
「やあああっ!!」
ぐいっ、と足を開く。いまだ潤いを見せてねえ秘所に唇を寄せると、パステルの口から悲鳴が漏れた。
「やあ、やだっ……あ、ああっ……」
舌をこじいれる。えぐるようにかきまわすと、明らかに唾液とは違う粘ついたものがまとわりついてきた。
……ちゃんと反応するじゃねえか。
「もうちっと、素直に反応できねえか?」
「…………」
「痛い思いすんのは、おめえだぜ?」
「…………」
何を聞いても答えようとしねえ。ぼろぼろと涙を溢れさせて、必死に視線をそらそうとしている。
処女、っつーのは嘘じゃねえようだな。いや、別に疑ってたわけじゃなかったが。
順番が狂ったような気もするが、改めて太ももに指を這わせる。動かすたびにいちいち耐えるように表情を歪めるのが面白くて、ついついじらすような動きになる。
……狭いな。
俺を受け入れるはずの場所まで指を這わせて、そうして中に入れようと試みたが。
舌のときもそうだったが、入り口がそもそも狭く中もさらに狭い。指一本入るかどうか、ってとこか。
「痛いか」
「…………」
「おい。おめえ、口が利けねえのか?」
「……は、はい」
震える声で、パステルは言った。
「あの……申し訳ありません……」
「あ?」
「陛下のお役に立てなくて……」
…………
さっきから妙に黙りこくってると思ったら。
ようするに……こいつは怯えていたらしい。
痛いとわめいたりして、俺の機嫌を損ねやしねえかと、びくびくしていたらしい。
……そうだな。俺は「王」だからな。
「そうやって、黙って自分から動こうともしねえような奴よりは、素直に思ってることを口に出してくれた方がいいな」
「え……」
「その方が燃えるんだよ。男って奴は」
ぐいっ、と指をねじいれる。パステルの顔が、苦痛に歪んだ。
「痛いか?」
「……いっ……痛い、です」
「無理して敬語なんざ使わなくてもいい。ベッドの上ではな」
改めて、唇を奪う。
そういえば、女を抱くときに、キスしたのは初めてかもしんねえな。
何となく、そんなことに気づいていた。
そうだ。後になって思えば。
こいつの目を見たその瞬間から、俺は堕とされていたに違いねえ。
もちろん、そんなこと。今の俺にはわからなかったが。
「おい、いつまで泣いてんだ、おめえ」
「す、すみません……」
散々苦労して狭い場所を無理やり貫いて、欲望を放ったその後。
白い太ももとシーツを鮮血で汚しながら、パステルは泣いていた。
「本当に、初めてだったとはな」
「…………」
「まあ、悪くはなかったぜ?」
悪くはなかった。むしろ……良かった。
貫いた瞬間返って来る激しい抵抗。俺の全てを搾り取りそうな勢いで締め付ける内部。
決して早い方じゃねえ、と思っていたんだが。その俺が、速攻でイかされた。
自覚はしてねえだろうが……おめえ、色気のねえ外見の割に、なかなか大した身体だぜ?
「で、どうよ? おめえの感想は」
「……え?」
「どーだよ。記念すべき初体験の感想は? ……なかなかいねえだろうぜ。処女捨てた相手が王様、なんつー女は」
言った瞬間、パステルの顔が真っ赤に染まった。
貫いたときは、悲鳴をあげてもだえていたが。
それでも、動き始めるとそれなりに快感というものを覚えたらしい。最後の方に漏れ出た声は、まぎれもなくあえぎ声と呼ばれるもの。
「気持ちよかったか?」
「…………」
「口もきけねえほど、よかったってか?」
重ねて聞いてやると。
パステルの肩が、震えた。表情が歪む。その瞬間……
「い、い、いいかげんにしてーっ!!」
きーんっ
耳がしびれそうな大声が、炸裂した。
「なっ……」
「な、何よ、何よ……どうしてそんな意地悪なことばっかり聞くの!? わ、わたしはっ……好きであなたなんかに抱かれたんじゃない、好きでこんなところに来たんじゃない! 王様だからって……何してもいいって言うの!? わたしは、わたしはっ……」
「…………」
正直に言えば、唖然としていた。
それまで、ただ黙ってされるがままに耐えてきた女とは思えねえ。
感情を爆発させて、俺が誰なのかも忘れてわめき散らすその姿。
王相手にこんな口をきくなんざ、本来首をはねられたって文句は言えねえところだが……
何故だか、俺はそのとき、見惚れていた。
生の感情をむき出しにしてわめくパステルに、俺ははっきりと見惚れていた。
「わたしはっ……」
言いたいことがうまく言葉にならねえのか。わめくだけわめいて、パステルは口をつぐんだ。
かわりにあふれ出すのは、涙。
「わたしはっ……」
「…………」
こみあげてくる衝動。
手を伸ばして、むき出しになった肩をつかむ。つかんだ瞬間、震えがダイレクトに伝わってきた。
「あ……」
「…………」
俺の顔を見て、やっと我に返ったのか。パステルの顔が、面白いくらい一瞬にして青ざめた。
「も、申し訳ありません……陛下」
「…………」
「あの……」
「トラップ」
「え?」
「『陛下』じゃねえ。トラップ……そう呼べ」
それは、まだ何も知らなかったガキの頃に呼ばれていた名前。
正式に王位を継承したそのときから、誰も呼ばなくなった幼名。
だが、俺は本名が……ステア・ブーツという名前が嫌いだった。王位を継ぐためにもらった名前なんぞよりも、王としてでなく俺自身を見てもらえた頃の「トラップ」という名前の方が余程好きだったから。
「と……トラップ?」
「そうだ」
パステルの声で呼ばれると。その名前は、何だか妙に心地よかった。
「トラップと呼べ。敬語もいらねえ。俺は……」
何でそんな気になったのか。どうしてそう思ったのか。
俺はまだ、その理由を知らない。
「俺は、素のままのおめえが見てえ。パステル」
そういえば、こいつの名前を呼んだのはこのときが初めてかもしれねえ。
「痛い思いをさせて、悪かったな」
そう言うと。パステルは目を大きく見開いて、そして、微笑んだ。
ほんのわずかだが、確かに、微笑んだ。
「わかった……トラップ」
それが、俺とパステルの関係が始まった瞬間だった。
初夜というものにそれなりの憧れを持っていた。
だけど、奴隷商人に品物として売り飛ばされた瞬間、「性奴隷」として王に差し出された瞬間、その憧れは簡単に消えてなくなってしまった。
好きな相手と、素敵な一夜を過ごす。多くは望まない、ほんの小さな憧れ。
それが木っ端微塵に壊れた。その日初めて会った相手に抱かれるという、恐怖と屈辱。
そうして連れて行かれたのは、わたしには一生縁が無いだろうと思っていた、絢爛豪華な王宮。
「王」と名乗っている相手を一目見た瞬間、感じたのは驚きだった。
わたしと大して年も変わらない、少年と呼んでもいいような男の人。
夕焼けのような真っ赤な髪と、豪華な装いには似つかわしくない酷く寂しそうな瞳が、印象的だった。
そして。
最初の印象は寂しそうな人、だった。次に抱いた印象は、意地悪な人、だった。
「性奴隷だ」と言われた瞬間から覚悟はしていたけれど。やっぱり、抱かれるときは怖かった。
怖かったし、痛かった。何をされるかもわからなくて、一体どうすればいいのかもわからなくて。
下手なことを言って機嫌を損ねたら、殺されるんじゃないか。王様だから、それくらいの権限は持ってるんだろう、そう思うと、余計に身体が強張ったけれど。
三番目に抱いた印象は、よくわからない人、だった。
意地悪なようでいて、優しい言葉をかけてくる。
冷たいように見えて、気遣ってくれる。
一体この人は何を考えているんだろう。
わたしにとって、彼はご主人様で。彼に命じられれば、わたしはどんな屈辱的な命令をされても黙って頷かなければならない。そういう立場のはずだけれど。
痛いだけの初体験が終わったその後。初めて下された命令は、「トラップと呼べ、敬語は使うな」という……およそ、王様らしくない命令。
それでも、わたしは嬉しかった。
「素のままのおめえを見たい」と言われて。「痛い思いをさせて悪かった」と言われて。
憎むべき相手のはずなのに、嬉しかった。
朝目が覚めたとき、隣に太陽が転がっていて、一瞬動きが止まった。
……よーく見りゃ、太陽と思ったそれは、太陽のような色をした髪の毛で。
つまりは、パステルが隣に寝てたんだが。
「……おい」
声をかけても起きる気配もねえ。……よっぽど疲れたんだろうな。
ま、無理もねえか。
上半身を起こして、しみじみとその寝顔を覗き込む。
頬に涙の痕が残っていた。
その顔は歪んでいて、到底「幸せそうな」と形容できるような寝顔じゃなかった。
……何か、辛い夢でも見てんのか?
じいっと見下ろす。俺に見られているとも気づかず、パステルの表情は、くるくると変わった。
辛そうな表情であることに違いはねえが……よく、変わった。
「……おもしれえ女」
面白い、と思った。
俺の前で、こんなに無防備な寝顔をさらしたのは、こんなに素直な表情を見せた相手は、こいつが初めてだったから。
「……ん……」
唇から漏れる、微かな声。
思わず耳をそばだてる。聞こえてきたのは、
「ん……お父様……お母様……」
「…………」
つうっ、と目から新たな涙が零れ落ちた。
妙な感情が胸を走る。これは……罪悪感、という奴か?
「起きろ」
ぐいっ、と肩を揺する。
これ以上、こいつの泣き顔を見たくないと思ったから。
「起きろ、パステル」
「ん……」
ぱちり、とはしばみ色の目が、開いた。
じーっと俺を見つめる。その遠慮のない視線に、何故だか顔が熱くなったが。
「……き、きゃああああああああああああああああああ!!?」
その視線が顔から下におりた瞬間、響いた盛大な悲鳴に、思わず顔をしかめた。
朝っぱらからうるせえ……
「あんだよ」
「あ、あ、あなたっ……」
わたわたと身を起こし、そして自分が一糸まとわぬ裸だと言うことに気づいて、新たな悲鳴をあげる。
……ああ、そうか。さては、寝起きで混乱してるな、こいつ。
「おい。おめえ、昨日のこと覚えてねえのか?」
「き、昨日……?」
そう言ってやると、寝起きのぼんやりした目が、ぱっちりと開かれた。
……思い出したか。
「あ、あ……お、おはようございます」
「……おはよ」
かあっと真っ赤になってうつむく。……本当に、おもしれえ。
そう思った瞬間、からかってやりてえと思った。興味がわいた、と言えばいいのか。
「覚えてねえのか?」
「い、いえ、あの……」
「思い出させてやろうか」
「え……?」
すっ、と予告もなく。そのまま唇を重ね合わせる。
ぼんっ、と音がしそうな勢いで、もともと赤かった顔が首まで染まった。
唇をなめるようにして舌を這わせ、中に侵入させる。手を伸ばして胸の先端をなであげると、即座に刺激に反応したか、たちまちのうちに硬く尖り始めた。
……ちっとは、慣れてきたか?
「んっ……んーっ……!!」
もがく身体をベッドに組み敷く。唇を解放すると、呼吸することすら忘れていたのか、大きく息を吸い込んだ。
「思い出したか?」
「……っ……」
「まだ思い出せねえかあ?」
ニヤリ、と笑みを浮かべてやると、パステルの表情に怯えが走った。
つつっ、と胸から腹、さらに下へと手を滑らせる。その瞬間、
「お、思い出したわよっ……だから、やめてってば! 朝からっ」
「…………」
それでいい。
ひょいっ、と身を離すと、パステルはきょとんとした顔で、俺を見た。
「あの……」
「おはよ」
「お、おはよう……」
「俺の名前、覚えてるか?」
そう聞くと、パステルはためらいなく頷いた。
「おはよう、トラップ」
「それでいい」
ベッドから這い下りて、用意された服に着替える。
また、つまらねえ日常が始まる。だけど。
こいつが部屋で待っていると思えば……それに耐えられそうな気がした。
「おめえは、俺の性奴隷としてここに来たんだよな?」
「…………」
「嫌か?」
「え?」
「俺に抱かれるのは、嫌か?」
「…………」
何を聞かれているのかわからねえ。そんな表情で、パステルは黙って俺を見つめている。
……そうだろうな。俺だって、自分でも何言ってるのかよくわかんねえ。
「嫌なら嫌って言え。無理強いはしねえよ」
「…………」
「んじゃな。俺は仕事があるんで……『王様』としてのな。何か用があったらそのへんの奴に適当に言え。話は通しておく」
そろそろ、キットンの野郎が迎えに来る頃だ。そんなことを考えながら、部屋のドアに手をかけたとき。
「嫌……だった」
ぴたり、と手が止まった。
「嫌だった。最初はすごく嫌だった。だって、わたしはあなたのことを何も知らない。初めて会った相手に抱かれるなんて、最初はすごくすごく嫌だったけれど」
ゆっくりと振り向く。
偽りの全く混じってねえどこまでも純粋な視線が、俺を貫いた。
「だけど、あなたを嫌いにはなれない……どうしてかわからないけど、あなたを憎めない。……抱かれるのを、嫌だと思えない」
「……夜に」
「…………」
「夜には戻ってくる。じゃあな」
この胸にわきあがってくる暖かい思いは。
もしや、喜びと言う奴か?
廊下の端から響いてくるキットンの声に生返事を返しながら、俺は王の間に向かって歩いて行った。
どうして「嫌だ」と言わなかったんだろう。
嘘か本当かはわからないけれど。それでも、彼は「無理強いはしない」と言ってくれたのに。
だけど、その言葉を聞いた瞬間、わたしには何となくわかった。
ステア・ブーツ。先王が不慮の事故で亡くなってその後を継いだばかりの、若き王。
その評判は決して良くはなかった。血が通ってないんじゃないかと言われるほどに冷血で、何を話してもその顔色が変わることはない、と領民の間では噂されていたんだけれど。
素顔の彼は、決して悪い人じゃない……そう思った。
「…………」
陛下……トラップがいなくなった部屋で、わたしは最初のうちこそ大人しく寝ていたけれど。
やがて退屈になってしまった。部屋には娯楽の類が何もなくて、することがなくてつまらない。
ベッドの脇には、トラップが命じてくれたのか、わたしのための服が何着か置いてあった。それを適当に身につけて、廊下に出る。
自由にして……いいんだよね? 用があったら、その辺の奴に言えって。トラップが……王様がそう言ってくれたんだもんね?
そう自分に言い聞かせながらきょろきょろとまわりを見回していると、昨日わたしをお風呂に入れてくれた侍女と、トラップの隣に立っていた男の人のうちの一人が廊下で話していた。
侍女の人はわたしにとても優しくしてくれたし、男の人は、昨日わたしが「売り物扱いされてる」と勘違いして怒ってくれた人。
彼らなら、きっと、こんなわたしとでも仲良くしてくれる。
「あの」
声をかけると、二人は一斉に振り向いた。その目は驚きに染まっていたけれど、でも、不快そうな顔はしなかった。
「やあ、君は……昨夜は、大丈夫だった?」
「はい」
先に声をかけてくれたのは、男の人だった。
さらさらした黒髪と、見上げるような長身に均整のとれた身体。素直に、かっこいい人だなあと思った。
「昨日は、ありがとうございました」
「いいのよ。大変だったわね……あ、わたしの名前はマリーナって言うの。あなたは?」
「パステルです」
侍女……マリーナの言葉にそう名乗ると、男の人は「クレイって言うんだ。気楽に呼んでくれて構わないよ」と言ってくれた。
やっぱり、いい人達なんだ。
「ありがとう。マリーナ、クレイ」
「ねえ、あなた、大丈夫だった? 本当に」
わたしが微笑むと、マリーナは心配そうに言った。
「ステア陛下は、お優しい方だけど。あの方はそれを素直に表すのが苦手な方だから。何かひどいことされなかった?」
「…………」
最初のうちは確かにひどかった。
だけど、時間が経つにつれて……優しくなった。
そういえば、何でなんだろう。何で、彼の態度は急に変わったんだろう?
いくら考えても、わたしにはその理由がわからなかったけれど。
「うん、大丈夫」
すぐにこっくりと頷くことができた。
「トラップは、優しかったよ」
トラップ、と名前を呼んだ瞬間。
クレイとマリーナは、驚いたように視線を交わして、そして嬉しそうに言った。
「パステルは、陛下に気にいられたみたいだね」
「え?」
「あの方がご自分の幼名を教えるのは、気を許した相手だけだから」
「…………」
「陛下をよろしく頼むよ、パステル」
そう言ったクレイの目は、少し寂しそうだった。
「陛下は、もう俺達には心を許してくれないから。俺達が臆病だったせいで、立場に縛られて何もできなかったせいで、陛下には今、心を許せる相手がどこにもいないから。だから、パステルがそういう存在になってあげてくれ」
「…………」
王様っていうのは、何でも持ってるものだと思っていた。
だけど、そうじゃないみたい。普通の人にとっては一番大切で、当たり前のように持っていたものを、彼は何も持っていないんだ、と思った。
「もちろん」
頷いて、そしてわたしは二人に頼んだ。
「マリーナと、クレイは……わたしの友達になってくれる?」
そう言うと、二人は即座に「もちろん」と言ってくれた。
「仕事」が終わるのがこんなに待ち遠しかったのは初めてだ。
はやる思いを抑えて、部屋に戻る。
ドアを開けると、見慣れねえ服を着たパステルが、微笑みかけてきた。
「お帰り、トラップ。お疲れ様」
「……おう」
そんなことを言われたのは初めてだった。どう答えればいいのか、一瞬困る。
照れてるんだ、と気づいて、そしてそれに驚いた。
いまだかつて、そんな感情を抱いたことはなかったから。
「おめえは、昼間あにやってたんだ?」
「色々。マリーナが、色々案内してくれたの。ねえ、このお城って、すっごく広いね!」
目を輝かせて、パステルはベッドに腰掛けた俺ににじり寄ってきた。
相手がパステルじゃなけりゃ、誘ってるのか、と思うところだが。
そんなつもりがねえことは、目を見りゃわかった。
「楽しかったか?」
「うん」
「そっか」
とりとめのねえ会話。何の裏も含まれてねえ、言葉通りの会話。
そんなものを交わしたのは、久々だった。
そうして眠くなるまで会話を繰り返して、同じベッドで眠る。
「……ねえ」
「あんだ?」
「何も、しないの……?」
「して欲しいのか?」
ぶんぶんと首を振る気配。
「わたし……やっぱり、魅力無かった?」
「……いや」
「トラップが一言気に入らないって言ったら、わたしは追い出されるんだよね?」
「…………」
それを心配してたのか。
この城で居場所を作るためには、俺に抱かれるしかねえと……おめえは、そう思っていたのか?
……無理もねえが。
「安心しろよ」
「え?」
「追い出したり、しねえよ」
「…………」
その言葉に安心したのか、背中から、寝息が響いてきた。
……勘弁してくれ。
どうにかこうにか、手を出すのを我慢したのに。こいつの泣き顔なんか、見たくなかったから。
けど、こんな無防備な寝顔見せられたら……襲いたくなるじゃねえか。
その夜、俺はなかなか眠れなかった。
お城で暮らすのは、楽しかった。
少なくとも、あの謎の行商人……結局、わたしは彼の正体を何も知らないんだけど……との短い旅を思い出せば、本当に天国みたいだと思った。
クレイもマリーナも会えば気楽に話してくれるし、トラップは優しい。
結局、最初の日以来、彼はわたしに手を触れようとしなかった。
それなのに、追い出そうともせず、むしろ大切に扱ってくれた。
優しさ、だと思った。最初の日に、ただ痛いだけで泣いてばかりいるわたしを見て、きっと気遣ってくれているんだと。
信じる根拠なんか何もないけれど、それでも、わたしは嬉しかった。
それに。
トラップは忙しい人だから。会えるのは夜と朝だけだけど、その短い時間に交わす会話の中で、彼が少しずつわたしに心を開いて、色んなことをしゃべってくれるのが、素直に嬉しいと思ったから。
例え気まぐれでもいい、傍にいたいと思った。
その行商人が再び俺の前に現れたのは、パステルが城に来てから一ヵ月後のことだった。
「あんだ、またおめえか」
何故だか、パステルと、この行商人の前では、苦労して身につけた「王」としての仮面がはがれて、素顔の俺に戻っちまう。
まあ、そうなったところで、それを咎められる立場にいる奴は誰もいねえんだが。
「陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
全く心のこもってねえ挨拶の後、行商人はわざとらしく頭を下げた。
「貢物は、気にいっていただけましたか?」
「ああ」
素直に頷く。
気にいった、なんてもんじゃねえ。
どうしてここまであいつに惹かれるのかわからねえが。パステルといるときだけは、本音をぶちまけることができた。ゆっくりと休むことができた。
何もかも謎に包まれた胡散臭い野郎だが、それだけは素直に感謝しねえとな。
「それは、何よりです」
そう言って、行商人は頭を下げた。
「わたくしの方も、商売がうまくいっております。……お礼として、陛下に新たな貢物を差しあげたいと思うのですが」
「……いらねえよ」
いらねえ。俺には、パステル一人いればいい。
言葉には出さねえが、心底そう思う。すると、俺の心を読んだかのように、行商人は妙に勘に触る笑いを浮かべた。
「陛下は、余程あの娘がお気に召したようで」
「…………」
「ですが、お気をつけください。所詮は、大した教育も受けていない下層貧民の娘です。陛下の目の届かないところで何をやっているか……ゆめゆめお気をつけください」
「あんだと!?」
それは、明らかにパステルを侮辱する言葉だった。
一瞬にして怒りがわいたが、俺が何か言うより早く、行商人は自ら退室していた。
……落ち着け、俺らしくもねえ。
「陛下……よろしいのですか? あの者を放っておいて」
おずおずと声をかけてきたのは、キットン。
「国に、何かよからぬものを持ち込んだりでもしたら……」
「…………」
キットンの懸念は当然のことと言えた。けど……
「それをさせねえようにすんのが、おめえらの役目だろう」
それだけ言うと、キットン、それにクレイとギアは、黙って頭を下げた。
そうだ、それがおめえらの役目だ。
俺は名前だけの王。最終決定権は俺にあるのかもしれねえが。考えるのは、俺の役目じゃねえ。
そうは言ったものの。
行商人の言葉は、気になった。
「目の届かねえところで、パステルが何をやっているか」
確かに、俺は普段パステルが何をやっているか知らねえ。本人は、よく「マリーナ」の名前を出していたが。あいつだって仕事がある。パステルにばかり構ってる暇はねえだろう。
あの何一つ気をまぎらわすものが置いてねえ部屋の中で、一体何をやってるんだか。
そんな疑いを抱いていたときだったから、偶然その光景を見たときはショックだった。
謁見者が途切れた後の、わずかな休憩時間。
飯の後、部屋に一度戻ろうか、と考えて足を向けたとき。
俺の部屋から出てきたのは、第一騎士団団長、クレイ。
俺が休憩時間ということは、自動的にクレイも休憩時間になる。それは、ほんの短い時間で、逢瀬というには無理があったが。
その姿を見た瞬間、頭に血が上って、そんな冷静なことは考えられなくなった。
……まさかっ……
即座にクレイを問い詰めてやりてえ、パステルに問い詰めてやりてえ、という衝動に狩られる。
それは、多分嫉妬という名の感情。この俺が、欲しいものは何でも周囲から与えられてきた俺が、初めて抱いた感情。
だが、それを爆発させる前に、クレイの姿は視界から消えた。
…………
どうするべきか。
一瞬迷いが走る。だが、決断する前に、
「ステア陛下! こちらにおられましたか。新たな謁見希望者が……」
背後から響いたキットンの騒がしい声。舌打ちして身を翻す。
まあいい。どうせ、夜になりゃあ、二人っきりになる。
そのときに……いくらでも問い詰めることはできる。
クレイは優しい。
部屋に運んでもらった本を見ると、顔がにやけてしまう。
マリーナもクレイも、そしてトラップも仕事がある。
わたしには何もすることがない。退屈だ、と何かの拍子に漏らしたら、クレイは快く、「俺の本でよければ、貸そうか?」と言ってくれた。
わたしみたいな一般市民に、まだ文字は余り浸透していないけれど。
幸いなことに、わたしはお父様が学校の先生をやっていたこともあって、文字の読み書きを習得していた。
もっとも、本なんて高級なもの、一度も読んだことはなかったけれど。
クレイが持ってきてくれたのは、小説と呼ばれるタイプのもの。
それはどれもこれも、読んでいてわくわくした。作り物の世界の中で、空想上の主人公達が、わたしには決してできないような冒険を繰り広げる、夢のような世界。
本って、こんなに素敵なものだったんだ……
ついつい、時間を忘れていた。
だから、わたしはさっぱり気づかなかった。
いつの間にか、トラップが部屋に戻ってきていたことに。
ぐいっ、と肩をつかまれる。ふっと振り向いたときには、目の前に、色素の薄い茶色の瞳が迫ってきていた。
「とらっ……」
言葉は、彼の唇によって、途中で塞がれた。
俺が部屋に戻っても、パステルは振り返りもしなかった。
それは、ある意味好都合で……ある意味では都合が悪かった。
いつもと同じ笑顔を向けられていたら、きっと俺は追及をためらったに違いねえ。
だからこそ。振り向きもしねえこいつの態度が、妙に勘に触った。
……俺は、おめえにこんなにも優しくしてやったのに。
それなのに、おめえは俺を裏切るのか?
おめだけは、違うと思っていたのに。
気が付いたときには、その唇を強引に奪っていた。
「とらっ……」
言いかけた言葉を強引に遮って、そのままその細い身体を押し倒す。
そうだ。こいつは俺の性奴隷。何も、俺が我慢をする必要なんか無かったはずだ。
ずっと抱きてえと思っていた。だけど、泣き顔を見たくなかった。怖がらせたくなかった。嫌われたくなかった。
だから、ずっと我慢してきた。……そんな必要なんざ、なかったのにな。
「トラップ、やだっ……」
びっ!!
力をこめた瞬間、高い布をあしらった服は、あっさりと破れた。
一ヶ月前のあのときよりも、さらに乱暴に。その白い身体にいくつもいくつも赤い痣を落としていく。
「やっ……やだっ、やだやだっ、こんなのやだっ……」
「うるせえ」
おめえに、俺に口ごたえする権利なんかねえんだ。
欲望にまかせただけの、身勝手で乱暴な愛撫。それは、パステルを痛がらせるだけで、快感なんか何一つ与えてねえに違いねえ。
悲鳴とすすり泣きが、耳についた。
……おめえが、悪い。
おめえも、あいつらと同じように。クレイやマリーナと同じように、俺を裏切ろうとするから。
閉じようとする脚の間に強引に身体を割り込ませて、濡れてもいねえ秘所に力づくで押し入る。
あのとき、既にそこは俺を受け入れていたはずだが。何故か、今も。その場所からは血があふれ出た。
「痛い、痛いよ……トラップ」
涙で濡れた目が、俺をじっと見上げていた。
恨みがましい目じゃねえ。憎悪なんかかけらも含まれていねえ。どこまでも寂しそうな目で。
「痛いよ。こんなの……こんなの、嫌」
「…………」
繋がった、そのままの状態で。その視線にからみとられ、俺は動けなくなった。
パステルの表情に、とまどいが走る。
「……昼間、クレイが部屋に来ただろ」
「……え?」
「何しに来たんだ?」
「…………え?」
きょとん、とした表情。何を聞かれてるのかわからねえ、そんな顔。
……答えろよ。
腰を動かし始めると、くぐもった声が漏れ始めた。
悲鳴のような、あえぎ声のような、ひどく曖昧な声。
「答えろ」
そう重ねると、パステルは、切れ切れにつぶやいた。
「本、を……」
「……?」
「何も、することが……なく、て。あっ……やっ……た、退屈だ、って言ったら……本、貸して……くれる、って……」
「…………」
ぐっ、と奥深くまで押し入った瞬間、呆気なく欲望は爆発した。
それと同時、どうしようもねえ罪悪感が、俺の全身を支配した。
「…………」
「トラップ……?」
「……わりい」
ずるり、とパステルの身体から、モノを引き抜く。
「頭に血が上ってた」
「…………?」
「俺には、おめえしかいねえから」
「トラップ……?」
「俺はっ……」
何でこんなことを話そうなんて気になったのか。
もうとっくに諦めていたはずだ。王になった瞬間に諦めて、忘れようとしていたはずなのに。
「マリーナも、クレイもな……俺の幼馴染だ」
「え??」
パステルの表情に、戸惑いが走る。
そうだろう。……信じられねえだろうな。今の俺達しか知らないおめえには。
「ずっと小せえ頃は、二人とも俺のことを『トラップ』って呼んでた。よくキットンやら親父の目え盗んで、三人で遊びに行ったもんだぜ。城の連中は、みんな俺のことを『王子』って呼んでたのに。
あいつらだけは、俺を俺として見てくれたから。あいつらだけは信用できるって、そう思ってたのにな」
全てが変わったのは、16歳のとき。親父が死んだとき。
「俺が王になった瞬間、あいつらは俺を『ステア陛下』って呼び始めた。俺はそんな風に呼ばれたくはなかった。あいつらにだけは、俺を俺として、『トラップ』として見て欲しかったのに。もう、俺にはおめえしかいねえんだ、パステル。おめえしか……」
そうつぶやいた途端。
パステルの腕が、俺の首にしがみついてきた。
「パステル……?」
「わたしっ……」
ぐっ、と身体を引き寄せられる。肩にあたるパステルの顔は、濡れていた。
涙で。
「わたし……本当は、あなたが怖かった」
「…………」
「わたしの両親は、あなたのせいで……死んだと思ってた」
「……何?」
聞き捨てならねえ言葉だった。
パステルの両親……そういや、聞いたこともなかった。
「どういうこった?」
「ありがちな話だけどっ……増税のせいで、わたしの両親は、過労で、死んだの」
「…………」
「それはあなたのせいだって、領主様が言ったの。『王様の命令で税を上げたんだ』って。だからあなたが憎くて……怖かった。わたし達みたいな貧民層の領民の命なんか、何とも思ってない人だって、そう思ってたの……」
「…………」
「税を払えないわたしは、あの行商人に売られたの。そうして連れて行かれたのが、よりにもよってあなたのところでっ……きっとわたしは、散々おもちゃにされて、飽きたら捨てられるか、殺されるんだって、そう思ってたの。だからっ……」
からみつく腕に、力がこもった。
「トラップに、優しくしてもらえて……嬉しかったの……」
「……優しい?」
「優しかった。トラップは優しかったよ……? 誰もわたしのことなんか気遣ってくれなかった。両親は生きるのに必死で、わたしはいつも部屋で一人だった……だから、嬉しかった」
さっきまで、あんだけ泣いてたのに。
今、パステルに浮かんでいる表情は……笑顔。
「嬉しかったよ? 追い出さないって、言ってもらえて……」
「…………」
何も言うことはなかった。
ただ無言で、俺はパステルを抱きしめていた。
ああ、そうか。俺が、こいつに惹かれた理由は。
同じ目をしていた。
俺と同じ、愛に飢えた目をしていたから。
それが、俺とパステルの心が一つになった瞬間だった。
幸せだった。
クレイのことで、トラップが焼きもちを焼いてくれたんだと(もっとも、彼は決してそんなことは認めないだろうけど)わかって、嬉しかった。
無理やりに抱かれるのは怖かったけれど、でも、彼はすぐに「ごめん」と言ってくれたから。
だから、わたしは素直に言えた。「もう、我慢しなくてもいいよ」って。
嫌だったわけじゃない。憎むべき相手なのに、嫌いになれないとわかった瞬間から、わたしは彼にどうしようもなく心惹かれていたことがわかっていたから。
抱こうとしない彼の優しさが嬉しかったから、それに甘えていたけれど。それでも、求められれば素直に受けるつもりだった。
好きだから。
こんな気持ちを抱くことは許されないだろうけれど。相手は王様で、わたしは彼に貢がれてここにやって来た存在で。身分違いもはなはだしいけれど。
それでも、報われないとわかっていても。
わたしは彼の傍にいるだけで満足だと思った。
彼のことが……トラップのことが、好きだから。
パステルしかいねえと思った。
俺にはこいつしかいねえと、心から思った。
パステルが来てから、名前も知らねえ女を抱くことはきっぱりとやめた。
パステルを知った後では、そんな女に何の魅力も感じていねえことがはっきりとわかったから。
あの日以来、何度かパステルと肌を重ねて、そのたびに、あいつは素直に感じて声を漏らして、そうして行為が終わったその後で、恥ずかしそうに視線をそらした。
何度抱こうと初々しさが抜けないその態度が、余計に愛しいと思えた。
大事にしてやりてえ。
ずっと、大事にしてやりてえ。ずっと、一緒にいてえ、と。
心から、そう思っていたのに。
彼のことが大事だから。
おめえもやっぱり、あいつらと同じか……?
異変に気づいたのは、数ヵ月後のことだった。
トラップは、昼間は忙しい。わたしは、その間、彼に頼んで取り寄せてもらった本を読んだり、マリーナの手伝いをしたり、そんなことをして時間を潰していたのだけれど。
一体いつからかわからないけれど、微熱と頭痛が続いて。何となく起きるのが億劫になった。
食事のとき、どうしようもなく吐き気に襲われた。
……何、だろう……
これは、何?
「パステル? どうしたの?」
わたしの様子に気づいて、食事のお皿を下げにきたマリーナが、駆け寄ってきた。
彼女に連れられて、トイレで食べたばかりのものをまとめて吐き戻してしまったけれど。それでも、それは一向に収まらなかった。
「パステル、パステルっ……?」
「き、気持ち悪い……」
「待ってて。お水持ってくるから!」
マリーナは、わたしの様子を見て、即座に台所から水を運んできてくれたけれど。
飲んでも飲んでも、吐き気に負けてしまう。
これは、一体何……?
「パステル。あなた、まさか……」
マリーナが、息を呑んで言った。
「あなた、まさか……ステア陛下の、子を……?」
「…………」
言われた言葉に凍りつく。
まさか、と思ったけれど。それを否定する要素は、どこにもなかった。
そう、不思議は無い。だって、わたしと彼が夜毎繰り返していた行為は、「そういう行為」だったのだから。
「パステル……」
「マリーナ、お願い」
「え?」
「お願い、このことは誰にも言わないで……トラップにもっ……」
「…………」
わたしがそう言うと。
マリーナは、黙って頷いてくれた。
パステルの様子がおかしい。
明らかに俺を避けている。夜も、同じベッドで寝てはいるが、背中を向けて、俺を無言で拒絶している。
……何か、あったのか?
「おい。おめえ、どうしたんだ?」
「……何でもない」
何度聞いても、どう聞いても、答えはその一点張りだ。
いつかのように、無理やり抱いて聞きだそうかとも思ったが。
何故だか、それはためらわれた。それをしたら、パステルを一生失うことになりそうな気がして。
「おい」
「……何でも、ないの」
何でもないわけ、ねえだろう……?
そんな、今にも泣きそうな声をしているくせに……
いくら問いかけても、返事は返ってこねえ。
やっと、おめえと心が通じ合ったと思ったのに。
おめえは……やっぱり。
やっぱり、あいつらと同じなのか?
やっぱり、これしかないと思った。
「パステル、それは……」
「お願い、クレイ」
無理を言って、トラップの目を盗んで部屋に来てもらったクレイ。
わたしの前で、とてもとても困った顔をしている。
クレイに迷惑はかけたくなかった。でも、彼しか頼める人はいなかった。
「お願い。クレイ。わたし……」
止まらない吐き気と、そして直感が告げていた。
間違いなく、わたしのお腹には、トラップの子供がいるのだと。
そして、その子供を決して生むことはできないだろうということも、わかっていた。
トラップは王様で、妻になる人は王妃様。
王妃様となる人は、それなりの地位を持っていなければならない。わたしには、決して望めない地位。
きっと、子供は堕ろせって言われるだろう。トラップは生んでもいいと言うかもしれない。けど、周囲がそれを決して許さないだろう。
何より……この子供は、下手をしたら王位継承権を争う存在になるから。
わたしが嫌な思いをするのは耐えられる。でも、トラップと、そして彼の子供がそんな目に合うことは、耐えられなかった。
だけど、わたしは生みたかった。トラップの子供を生みたかった。
どうしたって殺すことなんかできない。この子は……今となっては唯一の、わたしと血の繋がった相手なんだから。
だから。
「お願い、クレイ。連れていって……」
「…………」
「わたし、生みたい。この子をどうしても生みたい。そのためには、ここにいちゃいけない……どこか、どこか遠くに連れていって……!」
「……ステア陛下は……トラップは、知ってるのか?」
クレイの言葉に、無言で首を振る。
言えるわけがない。言ったら、きっと止められる。
「黙っていちゃ、駄目だよ。ちゃんと言わなきゃ。言ってみなきゃ、わからないじゃないか?」
「……彼に迷惑をかけたくない」
クレイの言うことはもっともだったけれど、わたしは首を振った。
「トラップに迷惑をかけたくない。だって彼は王様なんだから。わかってる。我がままだってわかってる。わたしのしてることはかえってトラップを傷つけるかもしれない。だけどっ……」
涙が溢れてきた。止められないし止めようとも思わない。
素直に泣けるのは、きっとこれが最後の機会になるだろうから。
「だけど、どうせ報われない恋なら……早いうちに諦めた方がいい。そうでしょう……?」
そう言うと。
クレイは、黙ってわたしに手を差し伸べてくれた。
ごめんなさい、トラップ。
だけど、わたしにはこうするしかないの。
クレイの手引きで、そっと城を抜け出す。
わたしは、もう泣かない。
安全なところまで送り届けてもらったら、その後は、一人で生きていく。この子と一緒に。
トラップのことが……大事だから。
「……あんだと……?」
「ですから」
感情がねえんじゃねえか、と疑いたくなるような冷たい口調で、第二騎士団団長、ギア・リンゼイは、言った。
「ステア陛下。陛下の貢物を盗んで、第一騎士団団長が、逃亡しました」
「…………」
話を聞いても、にわかには信じられなかった。
だが、確かに、そこにクレイの奴はなく。
キットンの奴を走らせたところ、部屋にパステルの姿は無かった。
……まさか。
まさか、あの二人が?
パステルの様子が最近おかしかったのは……このせいなのか?
「ステア陛下、いかがいたしますか?」
ギアの声が、空しく響く。
何も考えることはできなかった。信じて、信じて、信じ抜いて。
そしてその結果裏切られた間抜けな自分が情けなく、腹立たしかったから。
「……どうすればいい」
考えるのは、俺の役目じゃねえ。話を振ると、キットンとギアは、困惑したように視線を交わして、言った。
「放っておくわけにはいきません」
おずおずと口を開いたのは、キットンだった。
「万が一、とは思いますが、クレイ、あるいはパステルが他国のスパイであったという可能性もあります。何としてでも、見つけ出さねば」
「…………」
スパイ。
ガキの頃からずっと一緒だったクレイが。あんな、嘘をつくのが下手なパステルが。
そんな可能性はねえ、と俺がいくら言ったところで、キットンの野郎は納得しねえだろうな……
「まかせる」
もう、どうでもいい。
離れた心は戻ってこねえ。マリーナも、クレイも、そうして俺の元へは二度と戻ってこなかった。
だから、パステルも。もう二度と、戻ってこねえだろう。
戻ってこないなら……
「ギア。おめえにまかせる」
「……おまかせください」
クレイの野郎は、性格はどうも優しすぎて騎士に向いてるとは言いがたかったが、剣の腕は一流だった。
クレイに敵う奴は、この城ではギアしかいねえ。
ギアがゆっくりと部屋を出て行く。
それが、俺とパステルの関係が壊れた瞬間だった。
逃げて逃げて、どこまでも逃げて。
だけど、身重の身体では思うように動けなくて。結局、わたしはクレイの足をひっぱってしまって。
だから。
だから、こうなった。どれだけ後悔しても、どれだけ自分がバカな選択をしたんだと呪っても、もう取り返しは、つかない。
「陛下の命令なんでね」
目の前で剣を振るっているのは、いつもクレイと一緒にトラップの傍に立っていた男の人。
ギア・リンゼイ。第二騎士団団長。
その彼の前で、血を流して倒れているのは、クレイ。
「ギア……」
「悪いな。俺は別に、あんた達に恨みがあるわけじゃない」
ぶんっ、とギアが剣を振るった瞬間、血の飛沫が、わたしの顔にまで飛び散った。
「けど、どうしても城に戻るのが嫌とあっては……王家のためにも、こうするしかないからな」
キンッ、と小さな音が響いたその瞬間。
クレイの身体が、どうっと地面に倒れた。
……わたしは。
自分のわがままのせいで、クレイを巻き添えにして。
そして、今……
すうっ、と目の前で振り上げられる剣。
泣くもんか、と思った。
泣いちゃいけない。後悔なんかしちゃいけない。
わたしはトラップのためを思って城から出た。トラップのことが大切で……愛していたから、彼のために逃げた。
その気持ちを否定しないためにも。わたしは、涙を流さない。
剣が振り下ろされた瞬間、わたしの意識は、すっぱりと……途絶えた。
「……二人は?」
「どうしても城には戻らないと言い張るので、始末してきました」
「そうか」
それ以上、何も言いようがねえ。
城に戻ってきたギアの報告に、俺は無気力に頷いていた。
王になった瞬間に、俺は色々な大切なものを失ってきた。
手に入らないものはなかったのに、それまで持っていた本当に大切なものを、次々と失った。
そして、今。
最後の最後に手に入れた宝さえも、永遠に失った。
……仕方がねえ。俺は「王様」なんだから。
王家に生まれて、王位継承権なんてもんを押し付けられたそのときから、こうなることは運命で決まっていたんだろうから。
「謁見希望者が来ておりますが……通してもいいですか?」
キットンの言葉に、軽く頷く。
大したことじゃねえんだ。これは、ただ元に戻っただけの話。
そう、元の生活に戻った。騎士団には優秀な奴がいくらでもいるから、第一騎士団団長だって、すぐに穴埋めされるだろう。
そうして、また元のつまんねえ日常に戻るだけなんだ……
いくら自分に言い聞かせても。
同じじゃねえ。俺の心は……どこかが、壊れていると、自覚していた。
……仕方、ねえんだ。
仕方のねえこと、なんだ。
自分で自分を偽りながら、俺は謁見者の方へと目を向けた。
完結です。
前注に・視点切り替わってます ・クレイファンの人とギアファンの人ごめんなさい
と付け忘れた……
次は、何かリクエストが多いので「恋する乙女は強い! がんがんいくパステル」を書けたら投下したいと思います。
原作重視、明るめ作品で。
その次は学園編の第二部第四話かなあ……
明日はバイトと学園祭があるので投下は夜10時前後になるかと思います。
お疲れ様でした〜!!ありがとうトラパス作者様!!
子供身ごもって身を引こうとするパステルに原作には無い
奥ゆかしさを感じますた。
>>トラパス作者様、新作拝見いたしました。
王様と貢がれ物って関係がいいっすね。奴隷なパステル、よかった。
今回も救いがないという前注がついてたから、パステルがあの行商人の
手先で暗殺者なのかと思ってますた。汚れてるな自分…
トラップとパステルが本気で好きあってたら、それだけでもう
救いに感じます、自分は。たまには極悪非道なトラップや
血も涙もない悪人パステル見たいと思うけど、性格変わっちゃう
しね。
ほんとにこのごろのトラパス作者様の作品の前では、ボキャ貧の自分の
言葉じゃなかなか感想かけない…
トラップ萌えーとかクレイ萌えーだけじゃ書くの気がひけちまう
142 :
名無しさん@ピンキー:03/11/16 01:53 ID:WlUgSuJz
悲恋6、なかなかのダークっぷりですね!いいですよこの話
「考えるのは俺の役目じゃねぇ」とか思い、他人まかせのトラップが新鮮でした!
そして、やはりギアは悪役か…(なんか板について来てるよ、いい奴なのに…)
まあ仕方ないか、クレイより強い剣士(いっぱい居るだろうけど)はギア、ダンシング・シミター
ジュン・ケイ、クレイの兄貴達位だろうから。
ダンシング・シミターに騎士は似合わないし、ジュン・ケイに悪役は絶対似合わない
そうなるとギアと言う事になる、
次はこう言うのはどうだろう、庸兵隊隊長ダンシング・シミターでやらせてみては…
王宮でも傭兵くらいやとうだろうから、すみませんワガママ言って!(ダンシング・シミターも嫌いじゃないんだけど、なんか似合いそう)
では、次の作品も楽しみにしてます
子育て編と悲恋のギャップがせつねえ。・゚・(ノД`)
悪役ギアから進化した意地悪な舅のようなギアも見てみたい・・がキャラ違いますな_| ̄|○
救いの無い話ってイイ!!
これだけ書いているのに話にマンネリ感を感じさせないのって凄いです。
脳内でこの後マリーナから話を聞いてトラップが
こっそり後悔して自害するような展開が巻き起こってしまった・・・。
次はガンガン行くパステルですか!
こちらも楽しみです。
>感想くれた方々
ありがとうございます。
暗い悲恋ばっかり続いたので、シリーズ七作目は少し明るい悲恋(?)を目指したいと思います。
さて、やっと学園祭が終わった。新作投下します。
上の方で何人かがリクエストしてくださった、「パステルががんがんせめる話」
作品傾向はかなり明るめです。
ではでは
「トラップ、お願いわたしと付き合って!」
「はあ? どこに?」
がくうっ
わたしの持てる限りの勇気を振り絞った一世一代の告白は、こんなお約束のボケをかまされて終わってしまった……
何で!? 何でこーなるのー!?
わたしの名前はパステル。冒険者で、詩人兼マッパーっていう職業についている。
パーティー仲間は五人と一匹。ファイターのクレイ、盗賊のトラップ、魔法使いルーミィ、農夫キットンに運送業ノル、それにホワイトドラゴンの子供、シロちゃん。
みんな年齢も生まれ育った環境も性格も種族さえも見事にばらばらなのに、何故か不思議な縁で知り合って。そうしてもう何年も一緒に冒険者をやってきたんだけど。
最近、その中の一人のことが……どうも気になって気になって仕方が無い。
パーティーは、苦楽を共にして寝食共にして、もう家族と同じ……ううん、ひょっとしたらそれ以上かも? な関係になっちゃってて。
そしてわたしも、そんな関係をすごく気にいっていて、みんなとずーっとこうして一緒に入れたらいいなあ、なんて思っていたんだけど。
何故だか、その中の一人……サラサラの赤毛を長めに伸ばして、ひょろっとした身体に派手な服装が目につく盗賊……トラップのことを、特別な存在として、意識するようになってしまった。
きっかけが何かなんてわからない。トラップは口が悪くてトラブルメーカーで、彼のせいで迷惑をかけられたり嫌な思いをしたりしたことは何度となくあって。
最初のうちは、むしろ印象は悪い方だったのに。何故だろう……その口の悪さの裏で、実は誰よりも仲間のことを考えていてくれてるんじゃないか? って思うようになったのは。
現実主義者で厳しいことばっかり言って、それは時として凄く冷たく聞こえるときもあるけど。それは相手のためを思っての発言だって、そう気づいたのはいつだろう?
わからない。とにかく確かなことは、気がついたらわたしはトラップの姿ばっかり目で追うようになっていて、彼と話すときだけは何故だか胸がすごーくドキドキして……
よく人はわたしのことを「鈍い」って言うんだけど。
いくら鈍感なわたしでも気づくよ。わたしは、トラップに恋してるって。
最初はね、意識しても、だからどうしましょう? って感じだったんだ。
だって、もうトラップと出会ってから……四年? それくらいの月日が流れてて。
今更「好きです」なんて言ったところで、トラップを困らせるだけじゃないか……とか。関係が気まずくなるんじゃないか、とか。
とにかく、そんなマイナスな考えばっかりが浮かんできちゃって。
だから、最初は、「この思いは胸に秘めておこう。今の関係のままで十分じゃない。贅沢は言わないでおこう」って思ってたんだけど……
だけど、駄目だった。
わたし達が拠点にしているシルバーリーブという小さな村。わたし達は、色んなクエストを経験して、今じゃすっかり村の有名人になっているんだけど。
我がパーティーのリーダークレイは、すらりと背が高く王子様のような美形で性格は誰にでも優しいという、女の子なら誰でも夢中になってしまうような完璧な人。
そして、わたしの思い人たるトラップも、まあクレイと一緒にいるせいで今まであまり目立たなかったけど、あれでなかなか端正な顔立ちをしてて、ぺらぺらとよくしゃべるから話していると楽しい人。
つまり、二人とも女の子にもてる人なのだ。というわけでどうなったのか、というと。シルバーリーブには、「クレイ親衛隊」と「トラップ親衛隊」なるものが存在している。
クレイの方はねえ……彼自身がわたしといい勝負なくらい鈍感なこともあって、誰にでも優しいけどそのかわりに誰のことも特別扱いしないから。
親衛隊の皆さんも、それなりに「抜け駆け禁止」みたいな暗黙の了解ができてるみたいなんだけど。
トラップの方はすさまじい。彼は美人でグラマーな女の子が大好きみたいで、いつも適当にナンパしたりしてるから。親衛隊の方々の中にも声をかけられた子が何人かいるみたいで。
だから、その……何て言うのかな? 「トラップの彼女になれるかもしれない」なんて勘違いしちゃってる子が何人もいるみたいで。
そんなわけで、シルバーリーブにいる間中、彼の周囲から女の子の姿が途絶えたことはない。
一緒に暮らしている以上、わたしは嫌でもその姿を見なきゃいけないわけで……
トラップが他の女の子と楽しそうにしゃべってるのを見るたび、ものすごーくイライラむかむかして、ついついルーミィ達にあたってしまったりするんだよね。
これは……もしや俗に言う「やきもち」って奴、ですか……?
はあ。思い出すとため息が出る。
一年くらい前……わたしがまだ、自分の気持ちに自覚する前。
その当時、わたしはクレイともトラップとも特別な関係にはなりたくない、家族みたいな関係でいたいんだー! なーんて思ってた。
その頃から親衛隊は存在してたけど、当時、わたしは彼女達からすごく嫌がらせを受けてたんだよね。
そりゃあ、自分のお気に入りの男の子の周りに、同じ年頃の女の子がいたら色々気にいらない、って気持ちはわからなくもないけど。
わたしとクレイとトラップは、家族なんだってば! 彼女とかそんな関係じゃないんだってば! どうしてそれをわかってくれないの!
と、すごくすごくイライラしていた。
そう、イライラの原因を、「わたしが悪いわけじゃないのに嫌がらせを受けるなんて納得いかない」からだ、と分析していたりした。
今から考えると、多分、あれも原因の何割かは、やきもちだったんだろうなあ……
その頃から、もしかしたらもっとずっと前から、わたしはトラップのことが好きだったんだ……
つまり、数年越しの思い、というわけ……?
はあ。
大きな大きなため息をついて、顔をあげる。
わたしが今いるのは、みすず旅館のいつもの部屋。
窓の外から見える庭では、クレイが剣の手入れをしている。
キットンは隣の部屋で実験をしていて、ノルはルーミィとシロちゃんを連れて遊びに出かけていて。
そして、トラップは……旅館まで迎えに来たすっごく綺麗な女の子(びっくりするくらい胸が大きくてウエストのくびれた子だった……)と一緒に、どこかに遊びに行ってしまった。
ううっ、辛い。辛すぎる。
そんな光景を見たくない、と心から思ったから。勇気を振り絞って告白したのに。
わたしだって親衛隊の女の子に負けないくらい……ううん。彼女達よりずっとあなたのことが好きなんだよって、そう言いたかったのに。
それなのにっ、あの男はっ……!
「わたしと付き合って」に「はあ? どこに?」なんて、普通言う!?
何より腹が立つのは、トラップの表情を見る限り、彼はボケをかましたわけでも冗談を言ったわけでも、ましてや婉曲的に断ってきたわけでもなく、本気で文字通りの意味に……つまり、買い物か何かに付き合って欲しいんだ、と解釈したらしい、ってとこなんだけど。
それって……つまり、トラップにとって、わたしが「アウトオブ眼中」ってことだよね?
わたしが告白してくるなんてこれっぽっちも考えてない……そういうことだよね?
つ、辛い……辛すぎるっ……!
それって、ある意味振られるより痛いかもしれない。だって、女の子として見られてないってことだよ!?
ああーもう……どうすればいいんだろうっ……
頭の中がぐっちゃぐちゃになって、わたしはバタンと机につっぷした。
彼がそう思うのも無理は無いかもしれない、って思う。
だってねえ……男とか女とか。そんなこといちいち意識してたら、同じパーティー組んで冒険者なんてやってられないもん。
クエストに出ればみんなで雑魚寝だし。貧乏なわたし達は宿に泊まっても全員一部屋なんてこともあったし。
よーく考えたら昔はトラップと一緒にベッドで寝たりしたことすらあった気がする。いや、二人じゃなくて間にルーミィもいたけどね。
そんなことしておきながら、今更……だよね、本当に。
例えば、逆の立場で……もしわたしがクレイあたりから「好きだ」なんて言われても、本気には受け取れないだろうし。
って、うううっ……理解してどうするのよお……
涙が出そうになる。一番いいのは、多分諦めてしまうこと。
どうせ無理なんだって諦めて、忘れて、別の誰かを好きになるなりしてしまうこと。
多分それが、一番無難で波風が立たない方法だと思う。
だって……例えば、仮にわたしとトラップが恋人同士になったとして。
どうしたってみんなには黙ってるわけにはいかないから、それを話すことになると思う。
そうしたら、きっとみんな気を使ってくれるだろう。二人きりにしてあげようとかね。
そんなぎくしゃくした関係になるのは……嫌だし。気を使わせたくはないし。
だけど、だけどっ……!
それができないから。諦めることができなくて、むしろ日を追うごとに好きになっていってるのがわかるから。
だから……だから辛いのよー!!
「リタ……お願いがあるの」
トラップに告白して、振られるより残酷な結果に終わった一週間後。
わたしは、一人で猪鹿亭に訪れていた。
14歳で冒険者になって、しょっちゅうクエストに出かけているわたしには、同い年くらいの女の子の友達って、あまりいない。
猪鹿亭のウェイトレス、リタと、エベリンに住んでるトラップの幼馴染、マリーナくらいしか。
エベリンはいくら何でも遠いから、と。わたしは迷わずリタを相談相手に選ぶことにした。
もう、一人ではどうしようもないって結論に達した。
このまま一人でああでもないこうでもない、と悩んだところで。よく考えたらまともに人を好きになったことがこれまで一度も無いわたしに、何かいい知恵が浮かぶことは無いだろう、と。
そんなわけで、誰かに相談しようと思ったんだけど。
やっぱりね、こういうことは同じ女の子でないと。リタなら、ウェイトレスとして色んなお客さんと接してるし。きっといいアドバイスをくれると思うんだ!
「パステル、どうしたの? 改まって」
「うん……リタ、お願い! わたしを女らしくして欲しいの!!」
わたしの言葉に、リタは目を丸くしていた。
……驚くのも、無理は無いだろうなあ。今まで、「クエストに出るのにお洒落したってしょうがない。余分な荷物なんか持ち歩く余裕は無い」って常々言ってたわたしだもの。
だけどっ……つまり、根本的な問題はここにあるんじゃないか、って思ったんだよね。
わたしが、同世代の女の子と比べて、あまりにも服装とか化粧とか、そういったことに無頓着すぎる。それが、女の子として意識してもらえない一番の原因じゃないかって!
ほら、トラップって可愛い女の子が好きみたいだし。彼が一緒にいる女の子は、どの子もすごくお洒落な子ばっかりだしね。
彼女達に対抗するためには、まず外見を磨くしかない、って思ったんだ。
「女らしく?」
「そう。お化粧の仕方とか、髪型とか服とか。わたし、冒険冒険で、最近の流行とか全然知らないし。だから、リタに教えて欲しいの!!」
そう言うと、リタはしばらく黙ってたけど、やがて、ポン、とわたしの肩を叩いて言った。
「トラップに見せるため?」
ガターンッ!!
前置きもなく言われた台詞に、思わず椅子ごとひっくり返ってしまった。
な、な、何でわかるのっ!?
「り、リタ……?」
「パステルは、わかりやすいから……わかってたわよ? 最近、ずーっとトラップのことばっかり見てたでしょ? ……また厄介な相手を好きになったものねえ」
そう言って、リタは苦笑いしながらお茶を出してくれた。
「厄介、かな?」
「あら、厄介だと思うわよ、わたしは? あいつって、言ってることがどこまで冗談か本気かわからないし。適当にナンパばっかりしてるくせにいざ相手が本気になるとすぐに逃げ出そうとするし。あいつを彼氏になんかしてみなさい。恨まれて背後から刺されかねないわよ?」
リタの言葉に、思わず背筋がぞーっとしてしまう。
そうなんだよね。トラップって、適当にナンパして遊ぶのは好きなくせに、いざ相手が本気になると、何故か急に腰がひけちゃう人なんだよね。特定の誰かと深い付き合いになるのは避けてる、っていうか。
確かに、そんな彼の彼女になったら……恨む女の子はたくさんいるだろうなあ……
そう考えるとちょっと……いや、かなり怖かったけど。
だ、駄目駄目、それくらいのことでくじけてどうするの! 嫌がらせなんか、意識する前からずっと受けてたじゃない。そんなことで負けるような、軽い気持ちじゃないんだから!
「厄介でも何でも……好きになっちゃったんだから、しょうがないじゃない」
そう言うと、リタはうんうんと頷いて、
「そうよねえ。恋って理屈じゃないもんね。で? パステルとしては、あいつに女の子として意識して欲しいんだ?」
「うん……何だかね。今のままだと、いくら告白しても本気には取ってもらえそうもないから」
「でしょうねえ……あいつって、変なところで鋭いくせに肝心なところで鈍いわよね。どうして身近に、こんな素敵な女の子がいるって気づかないのかしら」
そう言って、リタはぱーん! とわたしの肩を叩いてくれた。
「まかせなさい! わたしが、パステルを立派な『誰もが振り向く素敵な女の子』に変えてあげるから!」
ううっ、た、頼もしい言葉!
「ありがとうっ。お願いね!」
期待してるからね、リタ!!
リタのアドバイスその1……
「お化粧なんて急にうまくなるものじゃないからね。まずは、普段とちょっと違う格好をしてみて、それでアピールしてみるっていうのはどうかな?」
そんなわけで、まず手始めに、リタから借りた服を着て、髪型を変えてみることにした。
リタが貸してくれたのは、裾がふわっと広がったワンピース。
色は淡いピンクで、胸元や袖口にさりげなくあしらってあるリボンがとっても可愛い。普段のわたしではまず着ることはないだろうなあっていうくらい、女の子らしい服。
髪の毛はおろして、サイドだけをちょっとかきあげて後ろ頭に服とお揃いの色のリボンを結んでみた。
ついでだから、靴も借りてみて。いつものブーツじゃなく、白いパンプスに履き替えてみる。
「うん、可愛い可愛い。すっごく女の子らしいわよ」
「そ、そう?」
鏡に映ったわたしは、何だか別人みたい。
「その格好をトラップに見せてやれば、あいつだって絶対いちころよ! 『何で俺はパステルがこんなに可愛かったことに今まで気づかなかったんだろう』って、猛烈に後悔すること請け合いよ!!」
とリタは激励してくれたんだけど。
結果……
みすず旅館に戻ってみると、クレイが庭で素振りをやっていた。
ちょうどいいや。まずはクレイに見せて反応を確かめてみよう。
「ねえ、クレイ」
「ああ、パステル。お帰り」
にこにこしながら振り返った彼の表情は、たっぷり数十秒経っても、全く変わらない。
「…………」
「ん? パステル、どうした? 俺の顔に何かついてる?」
「……ううん、何でもない……」
はあっ、とため息をついて、玄関をくぐる。
……クレイが鈍感なことくらい、わかってたもん。
いいんだいいんだ。わたしが見せたいのはトラップであって、他の人は関係無いんだから。
階段を上っていくと、キットンとすれ違った。
「あ、キットン。ねえ、トラップ知らない?」
「はあ? トラップですか? 部屋で昼寝してましたよ」
「そう。ありがとう」
…………
キットンは、わたしの姿を見ても、「それじゃあー私これから薬草収集に行ってきますねー」なんて言いながら、さっさと階段を降りていった。
ううっ、いいんだいいんだ。あの自分の外見にすら気を使わないキットンだもん。他人の服装にまで気づくわけないじゃない。わかってたもん、それくらい。
階段を上りきって、わたしの部屋の隣……男部屋のドアをノックする。
中からの返事は、無い。
……いるはずだよね? キットンは「昼寝してる」って言ってたんだから。
「トラップ、いるんでしょ? 入るよー」
ガチャン
ドアを開けると、トラップはベッドに寝転がって、気持ち良さそうに寝息を立てていた。
……熟睡してる、のかな?
「トラップ、トラップってば……」
「ん〜〜……俺、もう食えねえって……アガサちゃん……」
…………
ちなみに、アガサちゃんというのは、猪鹿亭に新しく入ったすっごく美人のウェイトレスさんだったりする。
トラップのお気に入りの一人でもあるんだけど……そうですか。夢に見るまで仲がいいんですか……
駄目駄目、落ち込むなわたし。そんなのはわかってたから、そんな彼を見るのが嫌だから、こうして頑張ってるんでしょうが!
今は彼の心の中にはわたしなんか欠片も存在してないのかもしれないけど! そのうち、わたしの存在で他の女の子を追い出してやるのよ、そう決めたんだから!
「ねえートラップってば。起きて、起きてよお」
「…………」
駄目だこりゃ。完全に寝入っちゃってる。
トラップがこうなると、ちょっとやそっとじゃ起きないもんな……はあ。
起きるまで待とうかな?
すとん、と床に座って、ベッドに頭をもたせかける。
最近、ずうっとこんなことで悩んでいるせいで、なかなか寝付けないんだよね。
気持ち良さそうに寝てるトラップを見ていると、何だかわたしまで眠たくなってきて……
…………
ゆさゆさと肩を揺さぶられている気がした。耳元で名前を呼ばれた気がした。
でも、わたしは、ぽかぽか窓から差し込む光が、すっごく気持ちよくて、まだまだ眠っていたいなあ、なんて考えていて……
「……テル……」
何で夜も寝てるくせに昼寝なんかするの? って、前は不思議だったんだけど。今はその気持ちがすっごくよくわかる。あったかい太陽の下で寝るのって、すっごく気持ちいい……
「パステル」
もうちょっと寝ていたいなあ……でも、寝すぎたらきっとまた、夜寝れなく……
「起きろ、パステルっ!!」
「ひゃあっ!!?」
耳元で炸裂した大声に、思わず飛び起きる。
あ、あれ? わたし、何してたんだっけ?
キョロキョロと周りを見回す。そこは、わたしの部屋によく似ていたけど、でも微妙に違う……
えと、男部屋?
「やーっと起きたか。おめえ、何でこんなとこで寝てんだ?」
びくっ
耳元で囁かれて、わたしはバッと振り返った。
意外なくらい近くに、呆れ果てた、と言わんばかりの表情をしたトラップの顔がある。
ぼぼんっ!!
そうと気づいた途端、一気に顔が真っ赤になるのがわかった。同時に、自分が何しにこの部屋に来たのかも思い出す。
わ、わたしってばっ……寝てどうするのよ寝て!
「ご、ごめん、ごめんトラップ! あ、あんまり気持ち良さそうだったものだから、つい……」
「はあ? まあいいけどよ。何か用でもあったんか?」
「え? えと……」
トラップの不審そうな視線が、わたしに突き刺さる。
その目は、わたしの全身をあますところなくうつしているはずだけど……特に表情に変化は、無い。
「と、トラップ。何かに気づかない?」
「はあ? 何かって?」
「ほら、あの、いつもと違うなあ、とか……」
「…………」
じーっ、とわたしの身体の上を無遠慮な視線が往復する。そうやってたっぷり数分、わたしを眺めまわして、トラップは言った。
「おめえ、もしかして、ちょっと太った?」
ボスンッ!!
その言葉に、わたしが手近にあった枕を投げつけたことは、言うまでもない……
かくして、「いつもと違う格好をしてちょっと相手をドキッとさせよう作戦」は、大失敗に終わったのだった……
「まあねー。あのトラップだもんね。例えば気づいていたとしても、絶対素直に褒めたりするタイプじゃないとは思ってたけど……」
「それ以前に気づいてもいないみたいだった……」
同情の視線を向けてくるリタに、わたしはしみじみと涙したのだった……
リタのアドバイスその2……
「他の男の子のことを褒める、って言うのはどう?」
にこにこしながら、彼女は言った。
「例えば、クレイのこととか? を、トラップの前でわざと褒めたりするの。『あんな人が恋人だったらいいなあ』くらい言ってもいいかもしれない」
「そ、それって何か効果あるの?」
「大有りよ! もしかしたら、目の前の女の子が他の男の元に行くかもしれない……そう思ったとき、突然『手放したくない』なんて思いに囚われて、そこから……なーんてこともあるのよ?」
「ふうん……」
「ま、簡単に言っちゃえば、やきもちを焼かせて無理やり気持ちに気づかせよう、ってことね」
なるほど。何だか一理あるかも。
例えば、もしトラップがわたしの前でマリーナを褒めたら、すっごく嫌な気分になると思うもんね。
うん、いいかもしれない!
というわけで、わたしは早速、みすず旅館に戻って男部屋の方に顔を出してみた。
で、結果。
例によってクレイは庭で剣の手入れをしていて、キットンは薬屋さんのアルバイトに。
トラップは、盗賊七つ道具の手入れをしている最中だった。
「ねー、トラップ。今ちょっといい?」
「ああ? おめえどこに目えつけてんだよ。今道具の手入れしてんだよ、俺は」
……そりゃ、見ればわかるけど。
「手入れしながらでいいから、話だけ聞いててよ、お願い!」
「話い? 何だよ」
「う、うん。あ、あのねっ」
ううっ、いざとなったら緊張するなあ。ど、どう言えばいいんだろ?
褒めればいいんだよね、うん。
「あのねっ……く、クレイって、いい人だよねっ!」
「……はあ?」
わたしの言葉に、トラップはわけがわからん、という表情を浮かべた。
……そりゃ、そうだよなあ。トラップにしてみれば、いきなり部屋に入ってきて何を突然? って感じだろうなあ。
し、失敗した?
「……おめえ、何かあったんか?」
「う、ううん、別にっ。ほら、あのさ、何かいっつも助けてもらってるし。いざとなったら頼りになるなあ、とか。すっごくかっこいいし、優しいし。完璧な男の人って、きっとああいう人のことを言うんだよねっ!!」
わたしがそうまくしたてると、トラップはしばらくぽかんとした後。
「だあら……おめえ、今更あに言ってんだ? クレイが優しい? かっこいい? そんなの昔からだろ」
「……い、いやっ、そうだけどっ。あ、あの……」
ま、まずいよお。やきもちどころか、不審がられてるっ! これじゃあわたし、ただの変な人じゃないっ!!
「あ、あの、クレイみたいな人が恋人だったらいいなあ、なーんて急に思ったものだから……その……」
しどろもどろに言葉を繋ぐと。
トラップは、何だか急に合点がいった、という風に、深く頷いた。
「わかったわかった」
「トラップ?」
「わかった。おめえ、クレイに惚れてたんだな? そんで、俺にアドバイスをもらいたい、と」
ちっともわかってないいいいいいい!!
何でそーなるのよっ! わたしが好きなのはあんたなんだってば!!
……なんて、言えるわけもなく。
「ち、違うってばー!」
「遠慮すんなって。クレイの奴は鈍いからなあ。あいつに気持ちを伝えたかったら、そりゃもうよっぽど直球ストレートに言わねえと通じねえぜ? 何なら、俺が橋渡ししてやろうか。報酬は食事一回おごりな」
鈍いのはあんたよ、あんたー!!
「も、もういいっ」
「はあ?」
「もういいっ。トラップのバカー! もう知らない!」
「お、おいっ! いきなり人の部屋に押しかけてきてその言い草は何だ!?」
背後からトラップの怒声が響いてきたけど。わたしは振り返りもしなかった。
何で、何で……気づいてくれないならまだしも、クレイとの仲を応援!? ひ、ひどい……
「……やきもちを焼かせて自分の気持ちに気づかせる、っていうのは……気持ちがあれば有効だけど。無いと……逆効果ね」
「言わないで、リタ……余計に落ち込むから……」
リタはわたしと目を合わせようとしない。
それが何だか、余計にみじめだった……
リタのアドバイスその3……
「頼ってみたら?」
「え?」
「だから、ちょっとしたことで頼りにしてみたり、甘えてみたりするの。『可愛い奴だな』って思わせるのよ!」
「……甘える?」
「そう。例えば、『買い物に行きたいんだけど付き合ってくれない? 荷物が重たくなると思うから』とか言ってね。で、荷物を持ってくれたら、『ありがとう、さすがトラップね! 頼りになるわ』とか言ってみるのよっ。
男っていうのは単純だから。頼りにされると喜ぶものなの!」
「……そ、そうかな……?」
あのトラップに……頼る? 甘える?
このアドバイスに関しては、わたしは、何となく結果の予想がついていたんだけど。
せっかくリタが考えてくれたんだから、と、とりあえず試してみることにした。
結果。
みすず旅館に戻ってみると、トラップとクレイ、キットンの三人で、何やらカードを囲んでゲームをしてるみたいだった。
「ごめん、ちょっといい?」
「ん、パステル。どうしたんだ?」
わたしがドアを開けると、クレイが優しく微笑んでくれた。
ちなみに、トラップはカードを凝視していて振り返りもしない。
「ごめん、あの……トラップ?」
「…………」
「トラップってば」
「あんだよ。話しかけんな、今重要なとこなんだよ!」
その冷たい言葉に、早くも決心がくじけそうになってしまった。
め、めげちゃ駄目! がんばるのよパステル!
「あ、あのね、トラップ。買い物に付き合ってくれない?」
「めんどくせえ。パス」
「そ、そんなこと言わないでっ! 荷物が重たくなりそうだしっ……そ、それに、ほら! 一人だと迷いそうだし!」
「はあ? おめえなあ、シルバーリーブを拠点にして何年経ってると思ってんだ? 甘えてんじゃねえよ」
振り返りもせず、一刀両断。
……そうだよね。トラップだもんね。こうなることは、大体予想してたけど……
「パステル、俺が付き合おうか?」
「……いい……」
クレイの言葉に力なく答えて、わたしは部屋を後にした。
ドアを閉める寸前に中から聞こえたのは、「よっしゃ! これでどうだ!?」「残念、また私の勝ちですねー」なんていう、のん気な声。
わたしのことなんか、これっぽっちも気にしてない。それが丸分かりな声。
ううう……
わたしって、わたしって……トラップにとっては、ゲーム以下な存在……?
「……まあ、クレイならともかく、トラップに対してはかなり無駄なアドバイスだったかも……ごめんね、パステル……」
「いいよ……大体、予想してたし……」
力なく答えるわたしに、リタの痛ましそうな視線が、突き刺さった。
リタのアドバイスその4……
「お色気作戦、ってどう?」
「お、お色気……?」
「そう! あいつって、ナイスバディな色っぽい女の子が好きみたいじゃない? トラップの好みの女の子に近づくようにすればいいのよ。よく考えたらそれが一番手っ取り早いわ」
「……お、お色気、ねえ……」
何だか、わたしからはもっとも縁遠い言葉に聞こえるんですけど……
わたしが躊躇している間に、リタは奥に引っ込んで、「こんなの持ってたの? というかいつ着るの?」と言いたくなるような、派手な服を持ってきた。
な、何ていうのかな? もう肩とか胸元とかむき出しの、この季節にはちょっと寒いんじゃないだろうか、っていうような、黒いぴったりしたワンピース。
スカートの丈は、ちなみにお尻の下の線ぎりぎりくらいしか無い。
こっ……これをわたしに、着ろ、と?
「り、リタ……?」
「お化粧の仕方教えてあげる。あ、ついでに道具も貸してあげるわよ。練習してみたら? でね、髪をこうアップに結い上げて。あ、胸元が寂しいから何かネックレスでもつけた方がいいわよね? でね、編みタイツをはいて……」
ちょ、ちょっと。ちょっとちょっとちょっとー!?
あれよあれよという間に、わたしはその「お色気グッズ」を押し付けられていた。
「大丈夫! パステルは自分で思ってる以上に可愛いわよ? 絶対似合うって」
リタの激励を背に、わたしは猪鹿亭を後にした。
……こういう格好、したことが無いわけじゃないんだけど。ほら、あの、いつぞや手品の公演やったときにもね、危ない水着みたいなレオタード、着たことあったし。
だけど、今回のは……ある意味、それよりも危ないっていうか……
冷や汗がだらだら流れたけど。
で、でもっ! そういえばそう。トラップが好きな女の子って、いわゆる「可愛い系」じゃなくて「色っぽい美人系」だもんね。
これくらいの服、着こなせないでどうするの!
というわけで、わたしは決意を新たに、自分の部屋に戻ってひとまず着替えてみることにしたんだけど。
結果。
「…………」
立ち直れないくらいにへこんで、わたしはベッドにつっぷしていた。
リタに借りた服。
リタとわたしって、体型は同じようなもの……と思ってたんだよね。だから、ちょっと前も服を借りることができたんだけど。
今日借りた服。
着てみたら、胸元でひっかからずに、ずるっ、とお腹のあたりまで落ちてきてしまって……
わ、わたしって……わたしって、そんなに……そ・ん・な・に、胸、小さい!?
もそもそと服を脱いで、元の自分の服に着替える。
やるべきことは、決まったような気がする。
今日から、牛乳を飲みまくる。
飲んで飲んで、ぜーったいに胸を大きくするんだからー!!
「ぱ、パステル……?」
「ぱーるぅ……」
「ど、どうしたんですか?」
クレイ、ルーミィ、キットンの声が突き刺さる。
みんなの視線を一身に浴びながら、わたしは一人、ご飯も食べずに牛乳を飲んでいた。
グラスじゃなくて、びんごと。
「パステル。そんなに牛乳好きだったのか?」
「え? う、うん。だ、大好きよ? 最近、何だか急に美味しく感じちゃって……」
苦しい言い訳に、クレイ達の表情はますます不審そう。
そのときだった。
「わかった、さてはおめえ、便秘でもしてんだろ?」
ごとっ
デリカシーの全く無い台詞に、思わずびんを取り落としてしまう。
幸い、中身はほぼ胃の中におさめていたから、こぼれはしなかったけど……
キッ、とにらみつけると、目の前ですごーく意地悪な顔で笑っているのは、トラップ。
だ、だ、誰のせいでっ……こんなことしてるとっ……
「便秘だったんですか?」
「じゃねえの? ほれ、牛乳飲んだらお通じがよくなるって言うじゃん」
「ははあ。なるほど。そんなことでしたら、言ってくれれば。いい薬がありますよ?」
「ち、ちがーう!!」
食事中の会話とは思えないっ! もー!! 何でこの二人……言うまでもないだろうけどトラップとキットン……はこんなにデリカシーが無いわけ!?
「んじゃ、何で牛乳ばっか飲んでんだ?」
「うっ、そ、それはっ……」
胸を大きくするため、なんて言えるわけがない。
「そ、それはっ……その、え、栄養があるのよ? 牛乳って」
「はあ? 普通に飯食えばいいだろ」
「だ、だからっ……」
き、気づいて欲しいことにはちっとも気づかないくせに。
どうしてこの男は、そういういらないところにばっかり気がまわるわけ!?
「わ、わたしの勝手でしょ!?」
「ああ、わかった。さてはおめえ……」
思わず開き直ると、トラップは、ポンと手を叩いて言った。
「ダイエット中だろ? だあら飯も食わずに牛乳ばっか飲んでるとか? やめといた方がいいぜー。牛乳って案外カロリー高いから。飲みすぎるとかえって太るぞ」
「…………」
ごっくん、と最後の一滴まで牛乳を飲み干して。
わたしは、トラップの顔面に、空のびんを投げつけていた。
「お、おめえっ!? いきなりあにすんだよっ!!」
「バカバカバカーっ! もう知らないっ!!」
みんなが唖然とする中、わたしは猪鹿亭を飛び出した。
わたしが、こんなに、こんなに頑張ってるのに。
どうして全然気持ちに気づいて……気づこうともしてくれないのよ、バカーっ!!
どたどたと部屋に駆け戻って、服を脱ぐ。
……ちょっとは……いやいや、昨日の今日で、急に大きくなるわけない、とはわかってるけど。
ほ、ほんのちょびっとくらいは……大きくなったりとか、してないかな?
昨日脱いだままの服を身につけてみる。
ぐいっ、と胸元まで服を引き上げて、そうっと手を放す。
ずるずるずるっ、とお腹までずり落ちていく服に、絶望感すら覚えてしまう。
……パットでも入れてみようか、この際。
ううっ、でもそんなの、服を脱いだらばれちゃうし……いや、トラップの前で服を脱ぐことなんか……
いやいや、でももしそれで付き合うことになったとしたら、いずれは、その……
って、うわわっ、何考えてるのよ、わたしってば!!
ぼぼんっ、と一気に顔に血が集まる。
な、な、何考えてるんだろ。わ、わたしまだ18歳だよ!? ま、まだ……
いや、早すぎる、ってことはないのかな? わたしくらいの年で、結婚してる人だっているし。
えと……
そんなことを考えていたときだった。
「おいパステル。いるのかあ?」
バタン
予告もなくドアが開いて、当の本人トラップが、顔を出した。
…………
しばらくの見詰め合い。トラップの目がまん丸に見開かれて、じーっとわたしを凝視している。
ちなみに、今のわたしの格好は。
リタに借りた服をまだ着ていて。それも、お腹のあたりまで落ちてきたそのままの格好で。そういうデザインだからもちろん下着はつけてなくて、つまり上半身は完全な裸で……
「あ、わりい」
「きゃあああああああああああああああああああああああああ!!? ば、ばかばかばかばかー!! 見ないでよエッチー!!」
ぶんっ、と手近にあった枕を放り投げて、慌ててベッドから布団を引き剥がして頭から被る。
も、もう最低っ! 何でこう、間の悪いときにっ……
情けなくて涙が出そうになったけれど。動揺しまくっているわたしとは対照的に、トラップは顔色一つ変えず、ひょいっと枕を避けて言った。
「おめえなあ。人がわざわざ来てみりゃあ……おめえが勝手に脱いでたんだろうが」
「ノックくらいしてよー!?」
「いきなり着替えてるなんて普通思わねえだろーが。ついさっきまで飯食ってたのに。んで? おめえあにやってんだよ」
「…………」
聞かれて、言葉に詰まる。
ほ、本当のことなんて……言えるわけないじゃないっ!?
「か、関係ないでしょ!? もういいから出てってよー!」
「あのなあ……おめえ、最近何か変だぞ。何かあったのか?」
あんたのせいよ、あんたの。
思わずそう言いそうになったけれど。トラップの言葉に、ふと顔をあげる。
あれ、そう言えば……
「トラップ。心配……してくれたの?」
「ああ?」
「だって、まだご飯中じゃ……」
「ああ」
うんうんと頷いて、トラップはあっさりと答えた。
「クレイの奴がうっせえんだよ。『パステルの様子を見に行け』ってなあ。ったく、俺まだ飯食ってる途中だったんだぜ? 勘弁してくれよなあ」
「…………」
クレイに言われたから、ね。
そうだよね……トラップに限って。そんな都合のいい話、あるわけないよね……
「わかった……」
「あ?」
「わかった、もういい! もういいから出てって!」
「お、おめえって奴は。礼の一言くらい言えねえのか!?」
「な、何よー! それが着替え覗いた人の言う台詞!?」
「はあ? 冗談言うなっつーの」
わたしの言葉に、トラップはこの上なく意地悪そうな笑みを浮かべた。
「だーれが、そんなどこが胸だか背中だか、判断に困るような身体見て喜ぶかっつーの」
「…………」
ぶっちーん、と、頭の中で確かに何かが切れた。
裸を見たのに。それも、わたしもう18歳なんだよ? 子供じゃないんだよ?
そんな妙齢の乙女の裸を見たっていうのに……トラップは、何にも、感じてないわけ?
わたしって、そんなに……
「そんなに、魅力ない?」
「あ?」
「わたしって、そんなに魅力ない!?」
ばさあっ、と布団を払いのける。腰のあたりにまとわりついていた服を脱ぎ捨てる。
下着一枚の姿になって、わたしはずかずかとトラップの元に歩み寄っていった。
「お、おい、パステル!?」
「そんっっなに、わたしの身体って魅力無いっ!?」
ぐいっ、とトラップの胸元をつかみあげる。
さすがの彼も面食らったらしく、わたしにされるがままになっている。
「お、おめえ……何があったんだ? 何か、ヤケになってねえ?」
「ヤケ……ヤケ、ねえ……」
なってるかもしれない。ふとそう思う。
だって、もう何をしてもトラップには通じなくて。全然女の子として見てもらえない、意識してもらえなくて。
そうなったら、もう……残された手段なんて、これしか無いじゃない。
「全然、気づかない?」
「はあ? あにをだ?」
「わたしの気持ちにっ!!」
言いながら、わたしは。
トラップの胸元を思いっきりひっぱって、彼の唇に、無理やり自分の唇を重ねていた。
「…………」
「…………」
時間が止まったか、と思うような静寂が流れた。
トラップは目を白黒させてわたしを見つめていて。わたしはわたしで、自分がやったことに自分が一番驚いていて。
で、でももう引っ込みがつかない! もう……引き下がれないっ!!
「ぱ、パステル……?」
「好きだよ……」
ボソリ、と唇を離してつぶやく。目に涙が浮かぶのがわかった。何で……ここまでしなきゃ、気づいてもらえないんだろう?
「好きだよ。わたしはトラップのことが好きなの! どうして……どうして気づいてくれないのよ、バカあっ!!」
「は、はあ?」
ぽかんとするトラップに無理やり詰め寄る。
彼の足がたたらを踏んで、どすん、と床に座り込んだ。
その上にのしかかるようにして、じっと瞳を覗き込む。
「好き、なの」
「…………」
「ほ、本気だからっ……ずっとずっと、そのために今まで頑張ってきたのにっ……トラップは、全然、気づいてくれなくってっ……」
ぼろぼろと涙がこぼれる。
悔しい、悔しい。
何で……こんな人を好きになっちゃったんだろう?
何で、わたしばっかり……こんな思いを味あわなくちゃいけないんだろうっ……
「好き」
「…………」
「トラップが、好き。だからっ……」
ぎゅうっ、と胸元をつかむ手に力をこめると、ぶつんっ、と音がして、シャツのボタンがとんだ。
わずかに覗く、素肌。わたしは、そこに唇を寄せた。
「っ……お、おい、パステルっ!?」
「…………」
物凄く焦ったようなトラップの声が、耳に届く。
だけど、わたしはそれを無視して、トラップのシャツのボタンを全開にした。
わたしだって、女の子なんだからっ……
トラップが好きな、大人っぽい女性。外見はなかなかなれないかもしれないけどっ……でも、中身ならっ……
「わたしだって子供じゃない……」
「おい……」
「わたしだって、これくらいできるんだからあ!!」
「おい、やめろって!!」
悲鳴のような声が響く中。
わたしは、トラップの身体を床に押し倒していた。
普段の彼なら、わたしの身体くらい、簡単にはねのけられるんだろうけど。
それをしようとしないのは……何でなだろう?
あらわになった裸の胸に唇をつける。
軽く力をこめて吸い上げると、浅黒い肌に、赤い痣のようなマークが浮き上がった。
「っ……お、おめえ、おい。洒落になんねえって……」
「洒落じゃないもん……」
本気、だもん。わたしは本気。冗談なんかじゃ、ない。
すうっ、と素肌の上に手を滑らせる。しなやかな筋肉の、硬い手触り。
……本当に、綺麗な身体だなあ……
間近で見ると、つくづくそう思う。
ひょろっとしてるように見えるけど。引き締まってて、無駄な贅肉が全然なくて。
うっ、羨ましいっ……
って、そんなこと言ってる場合じゃなくてっ!!
がしっ、とトラップの手をつかむ。
その手を無理やり自分の胸にあてがって、じいっ、と上目遣いで見上げる。
視線がぶつかったとき、トラップの身体が、びくんと震えた。
「お、おめえ……」
「触ってみて」
「おいっ……」
「触ってみて! どこが胸か背中か、見てもわからないんでしょ!? だから、触って確かめてみて、って言ってるの!!」
半ば、どころか完璧にやけっぱちになって叫ぶ。
その瞬間。
トラップの指に、わずかに力がこもった。
ぎゅっ、と胸に食い込む気配。そして……
その瞬間背中に走る、ぞくっとした気配。
「あっ……」
「…………」
無言で、指が動く。
握ったり、開いたり。そんなに強くは無いから、痛くはない。
指が動くたび、わたしの身体には、変な感覚がいっぱいに走って……
「あっ……や、あ……」
「…………」
つつっ、と、指が移動した。
胸から、脇腹へ。そのまま、腰へ。
滑るようにわたしの身体を撫でながら、徐々に、下へ、下へと降りていく。
「……わたしだって……」
「…………」
何を言おうとしたのか自分でもわからなかったけど、無意識につぶやいていた。
わたしだって、女の子なんだから。
多分、言いたかったのはそんなこと。
トラップの手が、わたしの背中にまわった。ゆっくりと撫でられて、思わず背筋がのけぞった。
せ、背中って……こんなに敏感だったっけ……?
トラップの表情は、ひどく複雑だった。
嬉しそうな、困ったような、怒ってるような……とにかく、ありとあらゆる色んな感情が入り乱れていて。
だけど、気にしない。気にしたら……きっと、決心が鈍る。
ここまで、したんだから。もう覚悟は、できてるんだから。
するっ、と。自分の手を、トラップの上半身から下半身へと移動させる。
触れた手触りは、妙に固く……妙に、大きい。
「トラップ……」
「……俺だって、男だからな」
ボソリ、とつぶやかれた声は、ひどく不機嫌そうだった。
不機嫌そうでいて……どこか、嬉しそうでもあって。
「ここまで来たら、止まらねえぜ? おめえな、勘違いすんなよ? 男ってーのはな、特別に好きな女じゃなくても、抱く気になれば抱けるんだぜ? 抱いたからって、おめえを好きだ、とは限らねえんだぜ? それでもいいのかよ?」
「……いいよ」
好きだとは限らない。
それは……もしかしたら、好きかもしれない、ってことでしょう?
それに、いいもん。
わたしはトラップのこと、好きだから。だから……いいもん。
「いいよ。トラップの好きにして……わたしは好きだから。だから、後悔なんかしない」
じっと目を見つめて、わたしは、はっきりと言った。
「わたしを抱いてくれる?」
「…………」
その瞬間、わたしは、床の上に押し倒されていた。
初体験は正直に言えば、悲鳴をあげたくなるくらいに痛かったけれど。
それでも……幸せだった。
トラップをこんなに間近で感じることができて。とても、幸せだった。
「まさか、おめえが俺を好きだった、とはねえ……」
ゆっくりとわたしから身体を離して、トラップはつぶやいた。
「俺としたことが。ちーっとも気づかなかったな」
「……本当に?」
まだ火照りが残る身体。熱く内部がうずいている身体。
それをおさめようと、トラップの身体にしがみついて、わたしはつぶやいた。
直接素肌を重ね合わせると、伝わってくる体温が、とても心地いい。
「本当に、全然気づかなかったの……? この間、ワンピースを着てきたときとか……」
「……ああ、そういやー見慣れねえ服着てんなあ、とは思ったんだよな。でもまあ、別にクエスト中ってわけじゃねえんだから、どんな服着ようとおめえの勝手だし? 気にしてなかったな」
「…………」
やっぱり、ついさっきまで、わたしの存在は、トラップにとって「アウトオブ眼中」だったんだ……
改めて実感してしまうと、やっぱり悲しい。
「……それで、トラップ。返事は?」
「ん?」
「わたしの、告白への、返事」
「……あー……」
わたしの言葉に、トラップは困ったような顔でかしかしと頭をかいて言った。
「正直言って、わかんねえんだよな。おめえのこと、そういう対象として見たことなかったし。いきなり言われても、急にそんな風には思えねえっつーか」
「…………」
そう、だよね。
そりゃそう……だよね。
覚悟はしていても、いざ言われると悲しい。わたしはずーんと落ち込んでしまったんだけど。
そんなわたしを見るトラップの目は、優しかった。
ぽん、と頭に手が置かれる。
「でもま、安心しろ」
「……え?」
「嫌いな女だったら、抱いたりしねえ」
「…………」
「おめえを抱こうっつー気になったってこたあ……見込みは、あるぜ? 絶対に。後はおめえの努力次第じゃねえ? どれだけ俺をその気にさせられるか」
「…………」
それは……諦めなくてもいい、ってこと、なのかな?
思いを迷惑だ、って言われてるわけじゃ、ないよね?
「好きでいて、いいの?」
「あ?」
「わたし、トラップのこと好きでいて、いいの?」
「あに言ってんだか」
ぐしゃぐしゃっ、と頭を撫でられる。
「言っとくけどなあ、俺、喜んでんだぜ? これでも」
「え?」
「おめえに告白されて……何でだろーな? 何か妙に嬉しいって思ってんだよな」
「……そう、なんだ」
「ああ」
ぐいっ、と頭を抱きこまれた。顔に裸の胸が押し付けられて、心臓が痛いくらいドキドキする。
「だあら、今はまだ返事出せねえけど……ま、多分そう遠くないうちに、言えると思うぜ?」
「…………」
「おめえのことを好きだ、ってな。それまで、楽しみに待ってろよ?」
「う、うん……」
ぼろぼろ涙がこぼれる。
やっぱり……頑張ってよかった。
諦めなくてよかった。努力してよかった。
トラップを好きになって、よかった……
「あ、そーだ」
「……え?」
不意に、耳元に唇が寄せられる。
きょとんとしていると、囁き声が、漏れてきた。
――あのとき、着てた服……ピンクのワンピースな? あれな、おめえによく似合ってたぜ?
その言葉に、わたしが満面の笑みを浮かべると。
トラップは、見たこともないような優しい笑みを浮かべて、ぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。
完結です。
いつもとは立場の逆転してる二人でした。
次は……学園編の第四話ですかね?
その次は原作重視の切な目の作品いく予定です。
攻めパステル最高!!
普段とは違った頑張るパステルが可愛すぎです…
純愛って懐かしい響きww
ただ、トラップの活躍が少ないのが不満でしたが(笑)
次回は学園編なので、活躍するトラップを楽しみにしてますw
ホント、トラパス作者様の作品を見るがために毎日生きてるようなモンです
可愛いパステルでしたねー!
しかもトラップがいい感じ。ラブラブな二人もいいけど、パステルの
爆裂片思い、でもトラップもまんざらじゃないというほのぼのとした作品に
大喜びです。
いつものトラパス作者さんのトラップ→パステル激愛もいいけど、
こういうのもとても新鮮です。
今日はリアルで読めて更に感激。
このシリーズにも萌え!
新作、激ツボ!
トラップに振り回されるパステル、いい…。
読み終わって「よかったねえ、パステル」と思ってしまった
パステルに全然気がないトラップ、なんかかっこよかった。
このスレで耐性がついてしまったので、MOSO本がイマイチ…だった。
買ったのを後悔しますた
トラパス作者様
鈍いトラップに押しが強いパステル面白かったです!
パステル→トラップだと大分変わりますね。
これもシリーズなんでしょうか!?またこういう作品も
読んでみたいです。
次回は学園シリーズとのことで楽しみです。
学園シリーズと悲恋シリーズが大好きです。
特に学園シリーズはギア先生がいいですね。
それにしても毎回色んなバリエーションの話を投下してくださる
トラパス作者様を尊敬しております。
トラパスさま、攻めパスさいこーです!
なんていうか新境地。
うまく感想がかけませんが、ホントにさいこーでした!
ぜひぜひラインナップのひとつに攻めパスをくわえてくださいませ!!
>>175 えーと、余計なお世話かもしれませんが、たしか以前
トラパス作者様が攻めパス、書かれてたと思います。
酔っ払ったパステルがトラップを襲う、という内容だったかと。
まだ読まれていないようならぜひ。
そっちも激萌えでした、自分は。
攻めパス、イイですよねえ
こんばんは、お久しぶりです。
どのぐらいぶりになるかわからないのですが、長編を書いてみました。
久しぶり過ぎで文章がおかしいかもしれません。気にしないで下さい。
しかも続き物です。1回目はエロがないです。
ふっ、と景色が一転した。
床がいきなりなくなって、急に、わたしは落ちた。
どすん!
「きゃあ!!」
あいたた…
落ちたのはほんの少しの高さだったけど、いきなりのことにわたしはしりもちをついてしまった。
…ここ、どこだろう?
さっきまでいた場所とは明らかに違う。
もしかして…ワープしちゃったとか?
「ク…クレイ?トラップ?ルーミィ?…み、みんな、どこ…?」
静かな空間に、わたしの声がわんわんとうなった。
ぴちょん…ぴちょん…と、水の音が聞こえる。
手をついている大きめの岩には、うっすらとコケが生えているようだった。
ここ…ダンジョンのかなり深い所みたい。
真っ暗で、何も見えない。カンテラはこわれてないかな?
闇の中、手探りでカンテラに灯りをともしてみる。
すると、自分のいるのがかなり広い空間だというのがわかった。
広い地底湖のほとり。
そして…
「うっそ…」
あまりのことに、わたしは呆然としてしまった。
わたしが手をついていた岩。
それは、大きな女神像の台座だったのだ。
この像こそが、わたしたちが探していたもの…だったはず。
たったひとりになってしまったことへの不安よりも、女神像に関心を奪われてしまって、わたしは呆けていた。
カンテラに照らされた、乳白色の石像…神々しい表情。
きれい…。
…そうだ。感動するのは後にして、…わたしが何でここまでショートカットできたのかはわからないけど、とりあえず、目的のものを探そう。
花、だったよね?像の足元に生えてる…
あれ?
…ない。
花なんてどこにもないんだけど…
…えええええ?またオーシに騙されたのかなぁ?
ひんやりと湿った石ばかりがごろごろと転がっていて、花どころか植物の気配すら感じられない。
っていうか。カンテラがなかったらなんの明かりもないようなところで、花なんか咲くはずがないよね?
でもでも。今までも、何組ものパーティが花を持ち帰ってきたことがあるっていうのは聞いた。
あれれ?
うーん。よくわからなくなってきたぞ。
もしかして、ここじゃない場所にもうひとつ女神像があるのかな?
で、そっちには花が咲いている…ってことなのかな?
とにかく、考えていても仕方ないから、この部屋を調べてみよう。
ヘタに移動したりしたらますますはぐれそうだし…
と、立ち上がろうとしたその瞬間。
わたしの右足に、ありえない痛みが走った。
思わず、中腰の姿勢で女神像の腕にすがってしまう。
い…いったーい!!!
ずきずきずきずき。いきなり痛み出したのは、右足の親指の付け根あたり。
動かすたびに激痛。
だ、駄目だ。体重かけられない。
捻挫とかそういうレベル超えてるかも…それくらい痛い。
落ちたときに変な転び方したからかな?
女神像の手をしっかり掴みながら、わたしはもう一度座ることにした。
いっしょうけんめい右足をかばいながら、左足に全神経を集中して…
あとちょっと、というところで、わたしはお約束のようにバランスを崩してしまった。
あいたた…
本日2度目の転倒。
なんとか右足をかばって転べたけど、痛いのは変わらないんだよね。はぁ…
なんとか体勢を立て直して、台座によりかかったとき、わたしは自分の手のひらに何か握られているのに気付いた。
精巧な金細工の指輪。綺麗な乳白色の宝石を戴いている。
これって…あああ!
この女神像が付けてた指輪!!
いま、わたしが転んだ拍子に取っちゃったんだ!
も、戻さなきゃ、戻さなきゃ。
これがあのうちのパーティの赤毛の盗賊だったら、いいじゃん、もらっちまえよ、高く売れるんじゃねぇの?とか言うんだろうけど。
座り込んだわたしには到底手の届かない位置に女神像の手はあって…
…どうしよ。
右足の痛みは全然引く気配もないし…助けを待つしかなさそうだなぁ。
ほんとうは、カンテラの灯りは消しておかないと後々燃料とか足りなくなったときに困るのかもしれないんだけど。
点けたままにしちゃってる。
真っ暗だと怖くって駄目だな。
1人だと心細くて、わたしってほんと、1人だと何も出来ないんだな、って思っちゃう。
さっきも、気にしないようにしてたけど…
マップが間違ってたのを、わたしの間違いだと最初思われたんだよね。
それはいつもそうだからして、反論できないんだけど…
でもさ。
わたしっていつまでも成長がなくてさ。冒険が好きだからここにいると言うだけであって…
情けないよね。
はああ。1人でいると、いろいろな事考えちゃって、だめだなぁ。
わたしは深々とため息をついた。
…と。
唐突に聞こえたのは低いうなり声。
その方向に顔を向けると、大きな狼がわたしを睨んで、威嚇の姿勢をとっていた。
「――――っ!!!!」
声にならない声。
獰猛な目をぎらぎらさせて、飛びかかってきた狼の爪を、ごろごろと転がりながら避けた。
脇においておいたポタカンが弾き飛ばされてからからと転がっていった。
ちょ、ちょっとまってよー!!
このダンジョンに、こんなモンスターが出るなんて聞いてない!
身の丈は普通の狼の1.5倍はあって、瞳は金色。
しっぽの部分も金色で、長い体毛は濃いグレー。
いま避け損ねて、ちょっとかすっただけなのにスカートが破かれて、同じく爪に引っ掛けられたタイツが大きく縦に裂けた。
薄くついた傷口から血が滲んでくる。
…そのくらい鋭い爪。
唸る口元から覗く牙はその何倍も尖っている。
その口から恐ろしい咆哮が発せられて、かれはもう一度わたしに飛び掛ってきた。
…逃げられない!!!
わたしはぎゅっと目を閉じた。
どすっ、と鈍い音。
ぎゃうん、という獣の呻きに、わたしは驚いて目を開けた。
わたしに襲いかかろうとしていた狼は、ロングソードによって地面と繋ぎとめられていて…ぐったりと動かなくなっていた。
それを見て思わずクレイが助けてくれたんだ、と思ってしまったのは、仕方ないと思う。
「ク、クレイ…?」
けれど、聞こえてきたのは別の声だった。
「…パステル?」
低くて、でも良く通る懐かしい声。
その声を聞いただけでどきん、と心臓が反応してしまう。
からだが一瞬で熱を持った。忘れるはずもない。
「ギ…ギア?」
わたしの名前を呼んだのは、なんと、キスキンで別れた、あのギア・リンゼイだった。
「パステル…ほんとにパステルなのか?何でこんなところに…」
いきなりの再会に、ギアは驚きを隠せないようだった。
それはそうよね。どうしてこんなところにって、それはわたしも聞きたい。
でもとにかく、その怪我をどうにかしなくちゃ、と言われてみて、初めて自分の足を見下ろしてみて、わたしは気が遠くなりかけた。
スカートに(けっこう厚地なのに!)深すぎるスリットが刻まれて、下に履いていたタイツに空いた大きな穴から覗くわたしの足からは真っ赤な血がだらだらと伝い落ちていたの!
いままで無我夢中で全然気付いてなかった…。
「傷自体は、そんなに深くないよ。血がたくさん出てるだけで」
真っ青になってしまったわたしを安心させるようにギアはわたしの瞳を覗き込んで、優しく微笑んでくれた。水筒の水で血を洗い流し、ぶつぶつとつぶやく。
…そうか。ヒールしてくれるんだ。
太ももに触れるか触れないかくらいに近づけた彼の手から、あったかい光が湧き出してくる。
それはそのままゆっくりと撫ぜるようにふくらはぎまで下降して、わたしの傷を完璧に治してしまった。
さっき痛めた右足の親指も、痛みが和らいで立てるようにして貰えたんだけど…
…ううう。なんか照れちゃう…。
ギアにはそんなつもりないんだろうけど、意識しちゃってる自分がなんとなく気恥ずかしい…。
そんなわたしを知ってか知らずか、彼は「もう大丈夫」と言って、改めてどうしてここにいるのかをわたしに尋ねてきた。
いつもの通り、トラップがオーシから買ってきたクエスト。
題して「女神の試練」。
といっても、そんな大それたクエストじゃなくて、そのダンジョンの最深部にある女神像の足元に生えている花が、なんでもすごーく価値のあるものらしくて。
(キットンが珍しがって、クエストに大乗り気になったから、きっとほんとに珍しいものなんだと思う)
それを採れるだけ採って帰ってくるっていう、わりとシンプルなクエストだったはずなんだけど…
オーシのくれたマップが、全然!合ってなくて、三叉路のはずなのにT字路とか。
右折すればいいはずなのに行き止まりとかそんなのばっかりで、わたしたちパーティはすっごく迷ってしまった。
「おめえ、ちゃんとマップみてんのかよ??横にしてねぇか?横に!」
なあんてことをトラップが言い出すものだから、選手交代して、トラップにマップを見てもらったんだけどやっぱり駄目。
けど、花はとても高く売れるという話だったし、クエストもお金を少なからず出して買ったもので。キットンもその花にとても興味を示していて、
クエストをあきらめるのはもったいないだろうということになって、幸い大したモンスターも出ないし、最初からマッピングしなおしながら進もうということになったんだ。
それで、わたしたちは一度入口に戻って慎重にダンジョンの探索を始めた。
トラップと額を合わせながら、注意深くマッピングして、たまに出てくるスライムなんかを追い払いながら確実にわたしたちはダンジョンを踏破していっていたんだけど…
なんの脈絡もなく、(本当に、なんでこんなことになったのかわからないんだ)わたしはここに飛ばされてしまった。
女神像の足元に。
…と、ここまでの話をしてしまうと、ギアは不思議そうな顔をした。
「そうか…偶然、同じクエストに挑戦していたんだな。けど、その花については初耳だし、何よりこのダンジョンの途中で誰かに会ったなんてこともなかったぜ?」
「ええ?同じクエスト?」
「だって、こうしておれとパステルは同じダンジョンにいたわけだし。もしかしたら、ダンジョンの途中をショートカットするワープが仕掛けられていたのかもな。
だとすると、戻る途中でクレイたちと会えそうだな」
「そ、そっか…そうかも」
「目的が違うのがちょっと疑問点ではあるけど。おれはこの女神像のつけているはずの指輪なんだが…指輪なんか、つけてないな。ガセだったのか?」
「あ!その指輪ならさっきわたしが間違って外しちゃったやつかも。これ」
わたしはさっき握り締めていた手をギアに開いて見せた…しかし、そこに指輪はなくて。
それはいつのまにやら、わたしの薬指にはまっていた。
「…れ?」
いつはめたんだろう?というか、はめた覚えなんて…ないよ?
手をくるくると裏返してみても、同じ。わたしの薬指に、あつらえたように輝く乳白色の宝石。
「それがその指輪?」
「うん…そうなんだけど、ね?」
きゅ、と引っ張ってみる。
あれ?
こんどはもっと強く。
あれれ??
「…と、取れなくなっちゃった…」
ギアにも手伝ってもらったりしたんだけど、何故か!この指輪、全然びくともしなくて、わたしの手から離れてくれなかった。
最後にはわたしの指のほうが痛くなっちゃって、ギブアップ。
…いったい、どうなってるの?
「…とにかく、ここを出よう。いつまでもパステルもパーティからはぐれたままでいられないだろうし、歩きながら話そう」
痛くて手をぷらぷらと振っていたわたしに、ギアは言った。
「うん…早く合流しないと。きっと心配しちゃってる」
「その前に…パステル。何か着替えは持っていないか?」
「…え?」
「その格好…長時間一緒にいるには、ちょっと大変なんだけど」
…
きゃあああああ?!
深すぎるスリットに、大きく穴の開いてしまったタイツ。
ど、ど、ど、どうしよう。タイツはあるけど、スカートがない…
わたしが顔を真っ赤にして考えあぐねていると、彼がおそるおそる声をかけてくれた。
「おれの着替えでよければ…着るか?」
ギアには後ろを向いてもらって、彼の細身の黒いパンツを履かせてもらう。
さすがにリーチの差は大きかったので、裾は3回折った。細い細いとおもっていたけど、ウエストなんかは緩いくらいだったので、ベルトで締める。
…男の人の服って、初めて着たかも…
なんだかドキドキする。違う人の香りが鼻腔をくすぐる。…ギアの、香り。
「あ、ありがとう…着られたよ」
「…良かった。あの格好じゃ、襲いたくなっちゃうかもしれなかったからね」
「ええ?!」
ギアは笑ってわたしの頬に手を寄せる。
…!!
またキスされるのかと思ったけれど、彼はただ笑って、「行こう」とだけ言った。
否定も、肯定もせずに。
わたしは落ち着かない心臓を必死で抑えながら、歩く彼の後ろを追いかけた…
とりあえず1回目終わりです…。
トラパス好きな方ごめんなさい。ギアパスです。
前に書いていた海のクレパスはあんまり遠くに流れていってしまったので
続きを書くか微妙に迷ってます。多分書かない方向で。
話がわからないと思いますし。
トラパス作者様の神ペースを見習いたいです。頑張ります。
読み返してみて修正(汗)
>>186 リーチ→コンパス ですね…
やっぱ今回も吊る末路(涙)
えーっと朝から新作投下です。
土日が昼4時〜投下で平日が朝投下っていうペースができつつあるなあ。
今日は学園編の第二部第四話。
注意
・エロ微少です。
・えーと上の方でトラップの活躍期待されてる方、申し訳ありません。
好きな相手と、ずっと一緒にいたい。
これは、恋する女の子全員に共通する考えじゃないだろうか?
もちろん、四六時中一緒にいるなんて無理だとわかっているけど。
相手が自分と違う人間である以上、考え方や好みに違いがあって、そんなささいなことで離れなきゃならないときもあるんだってことは、理屈ではわかっているけど。
理屈通りにいかない、それが恋、というものだろう。
ましてや。
それまでずーっとずーっと、飽きるくらいに同じ時間を共有してきて、それに慣れてしまったら。
いざ離れるときが来たとき。その寂しさは、普通に離れるときよりもずっとずっと強いものになるんじゃないだろうか……
そのとき、自分の選択を曲げて相手についていくか。
あるいは、大人しく諦めるか。
あるいは、相手に選択を曲げてもらうか。
どの道を選ぶかで、その恋の行方は、大分違ったものになるんじゃないだろうか……
9月の第二週の月曜日。
わたし達の前に配られているのは、愛想も何も無い白い紙だった。
そこに書かれている言葉は、「進路希望調査票」
「……さて、今日から通常授業に入るわけだが」
担任のギア先生の言葉が、教室に響き渡る。
先週までの午前中授業が終わり、やっと二学期が始まった! と実感できる時期。
もっとも、外はまだまだ残暑が厳しく、わたし達が着ているのも夏物のセーラー服とカッターシャツだけど。
「今配った紙の提出期限は今週いっぱいだ。来週から進路に関する個人面談をするので、そのつもりでよく考えておくように」
……進路。
そうだよね。もう高校二年生だもんね……早いなあ、時が経つのって。
何となく感慨にふけってしまう。
もっとも、わたし達の通う学校、聖フォーチュン学園は、幼稚舎から大学まで完全エスカレーター式。
よっぽど成績がひどく無い限り、大学進学のために厳しい受験勉強をくぐり抜ける必要は無いから、そのへんは他の学校の受験生に比べたら楽なのかもしれないけど。
うーん、どうしよう……
紙に書かれているのは、大学進学か就職希望か、あるいは外の大学を受験するかの選択項目。
9割以上の生徒がこのまま大学まで進むことを選ぶけど、どうしても、と希望すれば、別の大学を受験することも、あるいは高校卒業と同時に就職を選ぶこともできる。
わたしの場合は、普通にこのまま大学まで上がるつもりなんだけど。
次に書かれているのは、文系か理系かの選択肢。そして、大学進学を希望した場合の志望学部。
一応、わたしは小説家を目指していて。大学に進むのもそのための勉強をしたいから、だから。
文系希望、志望学部は文学部……以前までなら、迷わずそう決めていたんだけど。
ちらり、と隣の席に目をやる。
さらさらの赤毛を無造作にまとめて、端正な顔立ちに引き締まった身体がなかなかかっこいい、わたしの同居人にして恋人でもある人、トラップ。
いつもなら、ギア先生の言葉、というだけであからさまに興味の無さそうな顔をして椅子にふんぞり返っているか机につっぷして寝ているかしている彼だけど。
今日は珍しいことに、手元の紙を真剣に見つめていた。
……トラップは、どこの学部を志望するんだろう?
彼は凡人たるわたしと違って、成績は学年でも五指に入るほど頭もよく、かつ運動神経も抜群にいいという、何だかとても不公平な人なんだけど。
トラップなら、希望すればどこの学部でも楽に入れるだろう。でも多分、彼のことだから選択は理系? 工学部? 理学部?
どっちにしろ、わたしには無理だろうなあ……
はあっ、とため息が漏れる。
わたしもね、別に成績は目もあてられないほど酷い、ってわけじゃないけど。国語や英語なら、そこそこ上位に名前を連ねることもあるけど。
数学や物理はねえ……全然駄目。どうしてあんな教科を理解できる人がいるのか、そもそもそれが理解できない。
だから、例えわたしが理系に行きたい、と言っても。先生達はみんな止めるだろうなあ……
つまり、大学に行ったら、多分トラップとは別の学部になっちゃうんだ。
……そう考えると、何だか寂しいかも。
いやいや、大学は遊びに行くところじゃないんだからして。トラップがいるとかいないとか、そんなことで学部を選ぶのは間違いだ、ってわかってるんだけど。
同じ家に住んでいて、クラスも同じ。トラップと顔を合わせない時間の方が少ない、という現在の状況。
それに慣れきってしまった今……少しでも彼と離れることになるかも? と考えると……何だか、妙に寂しく感じる。
両親が死んだわたしにとって、トラップは大切な恋人にして、家族と同じような存在で。
一緒にいるのが当たり前、みたいになってしまったから……
あーもう! わたしってば、いつの間にここまでトラップのこと好きになっちゃったわけ!?
思わず机に身体を投げ出してしまう。
いやいや、原因はわかってるよ? つい先日の、トラップのおじいちゃん襲来事件。
あのとき、どさくさまぎれに言われたプロポーズまがいの言葉……きっと、あのせいなんだろうなあ……
うう、思い出したらまた顔が赤くなってきた。
だってだって、わたしまだ16歳なんだよ? それなのに、プロポーズ?
そして、わたし自身、その言葉をすっごくすっごく嬉しく思っていて……
……ま、少なくとも今すぐどうこう、ってことはまず無いだろうけどね。第一トラップは17歳。まだ結婚できない年だし。
「おい」
あー、それにしてもっ……結婚。結婚かあ……そんなのまだまだ先だと思ってたのになあ……
「おい」
するとしたら、大学卒業してから? こ、高校卒業直後っていうのはいくら何でも早いよね? すると、後五年……そう考えるとまだまだ……
「おいっ、パステルっ!」
「きゃあっ!?」
耳元で叫ばれて、わたしは思わずとびあがった。
振り返ってみれば、教室中の視線がわたしに集中していて……
「な、何よトラップ、急に大声出して!」
「何よ、じゃねえ! さっきからずーっと呼んでんのに、あに一人で百面相してんだおめえは!」
「ひゃ、百面相って……」
うっ、み、見られてた!? うわーっ恥ずかしいっ……
いやいや、いくらトラップでも心の中までは読めるわけじゃないと思うけどね。心底それで良かったと思う。
何考えてるのか知られたら、きっとここぞとばかりに……まあいいけど。
「ご、ごめん。何か用だった?」
「だあら……おめえ、やっぱ聞いてなかっただろ」
「? 何を?」
「だ、か、ら! 今日の放課後、生徒会役員の話し合いがあるから、授業終わったら生徒会室に集合しろっつってんの! おめえ、自分が役員だってこと忘れてねえだろうな?」
「し、失礼なっ! 覚えてるわよっ!」
実は半分くらい忘れかけてたんだけど……
だ、だって。実際に仕事をしてくれるのはクレイで、わたしとトラップなんてほとんど話しを聞いてるだけじゃない?
いや、まあそんなのはただの言い訳だけど……
「わかった、放課後ね」
「おう」
役員会議かあ……一体、何を話し合うんだろう?
「体育祭の準備?」
「そう。十月の第二週に、あるだろ? 後一ヶ月だから、ちょっと急がないとな」
放課後、生徒会室にて。
集まっているのは、生徒会長のクレイに、副会長のトラップと書記のわたし。
集められた理由は、聞いての通りで……
体育祭かあ。そういえば、そんなのもあったなあ……
一年生のときは、わたしは単純に、ちょこちょこっと徒競走か何かに出て、後は応援してただけだから。あんまり記憶にも残ってないんだけど。
そうかあ……準備って、生徒会役員の仕事なんだ。
「何すればいいの?」
「実際に準備を担当してくれるのは、体育委員と実行委員。俺達の役目は、彼らに指示を与えることだよ」
そう言って、クレイはどさっ、と大量の書類を取り出した。
「……何、これ?」
「全クラス全学年の、それぞれ男女別の人数と、開催種目と、それぞれに割り当てるべき人数とか……まあそういう資料」
電話帳か、と思うような分厚い書類を取り上げて、彼はにこやかに言った。
「明後日までに、各クラスがどの種目に何人参加者を出すか、の割り当てを作らなきゃいけないから。俺は三年生を担当するから、トラップは二年生、パステルは一年生をよろしく」
そう言って渡される、一年生の資料。
ちなみに、それでも普通の文庫本並の分厚さがあった。
「これ……明後日までに?」
「そうだよ。練習期間もいるだろう? むしろちょっと遅いくらいなんだ。本当は夏休みから準備を始めなきゃいけなかったところだからね」
そう言って、クレイは苦笑した。
「ちょっと大変かもしれないけど。頑張ってくれよ? まだまだ、やらなきゃならないこと、決めなきゃいけないことは山のようにあるから」
「…………」
生徒会役員なんて……生半可な気持ちでなるようなもの、じゃないかもしれない……
うちの学校の体育祭は、六色の団に別れて点数を競い合う。
その組み分け方は、A組ならA組、B組ならB組、というようにクラス別に別れていて、学年は一年生から三年生まで一緒くたになっている。
クレイは三年B組だから、二年A組のわたし達とは違う団になる。まあそれはともかくとして……
「えと……つまり、それぞれ種目ごとに参加する人数は決まってるから、各色からなるべく均等に参加者を出すように、人数を割り振ればいいのね?」
「ま、そういうこと」
その日の夜。わたしとトラップは、居間で顔をつき合わせて、必死に与えられた仕事をこなしていた。
何しろ、これで終わり、ってわけじゃないもんね。
クレイの言葉によれば、人数の割り当てが決まったら今度は各クラスでどの種目に誰が出るかを決めてもらって、その結果をまとめて表にして、練習が必要な種目にはいつどこで練習してもらうかを決めて、用具を借りなきゃいけないような種目にはその手配をして……と。
とにかく、やるべき仕事はまだまだたっくさんあるそうなので。
つまりは、絶対に遅れるわけにはいかないのだ。明後日まで言われたら、徹夜してでも明後日までに仕上げなきゃいけない。
そんなわけで、わたしは電卓を持ち出して、必死に計算していたんだけど。
何しろ、こんな作業をするのは生まれて初めてだから。どうもなかなか……要領がわからない。
「ねえ、トラップ。あのね、一年生なんだけど、A組に比べてB組の方が男子が多いんだよね。ってことは、必然的に男女混合競技とかだとB組の方が有利になりそうなんだけど……」
「そーいうときはな、参加人数をちっといじくれ。何もバカ正直に男女同じ人数出さなきゃいけねえわけじゃねえんだよ」
あーでもない、こーでもないと紙の山と電卓片手に話し合うこと数時間。
どうにかこうにか、うまく人数割り当て表を埋めていくことができたんだけど。
チラリ、と視線を上げれば、驚くくらい真剣な顔で書類を見ているトラップの顔がある。
……何か、意外だなあ。
トラップって、こういう面倒くさい作業、一番に嫌がりそうだと思ってたのに。
そういえば、何で、彼は生徒会役員を引き受けたんだろう?
ふとそんなことを思う。
確か、わたしとトラップが役員に任命されたのは……クレイの指名があったから。
ちょうどその頃、わたしはその……担任の先生に告白されるというごたごたに巻き込まれていて、そのことで二人に随分迷惑をかけたんだけど。
その最中だったんだよね。「書記をやってくれ」って頼まれたのは。
クレイがトラップを任命したのは、わからなくもない。彼らは幼馴染らしいからね。でも、どうしてわたしまで?
そして、断ることもできたのに、どうしてトラップは引き受けたんだろう?
それに……
「ねえ、トラップ」
「ん? あんだよ?」
「あのさあ、前から聞きたかったんだけど。わたしを書記にしてくれって……もしかして、トラップがクレイに頼んだの?」
カラン
わたしがそう言うと、トラップの手からシャーペンが落ちた。
「何だよ、いきなり」
「いや、ちょっとだけ気になっちゃって。トラップって、こういう面倒な仕事一番嫌いみたいなのに。何で役員なんか引き受けたのかなあ……って思ったら、ちょっと」
「…………」
のろのろとシャーペンを取り上げて、トラップは仕事を再開した。
わたしの質問に答える気配は、無し。
……怪しいっ!
「トラップってば」
「…………」
「ねえ。何か理由があるの? 引き受けた理由。わたしを役員にした理由!」
「…………」
無言でシャーペンを走らせるトラップ。だけど、聞こえてないわけじゃない。その振りをしてるだけだっていうのが、よくわかる。
だって、シャーペン、芯が出てないんだもの。
「トラップ……」
「…………」
あくまでもだんまりを決め込むつもりらしい。よーし、そっちがそのつもりならっ……
ガタン、と立ち上がる。書類の整理も大分進んで、今はちょうどキリのいいところだし。少し休憩しよう。
冷凍庫を開けて氷を取り出し、グラスに入れる。冷蔵庫に冷やしてあったアイスティを注ぎいれると、カランっ、と氷にひびが入った。
9月とは言え、まだまだ暑い。グラスはあっという間に汗をかき始めて、握るとひんやりと心地よい冷気が漂ってきた。
「トラップ」
「あ、俺、どっちかっつーとアイスコーヒーの方が……」
「嫌いになっちゃうから」
ゴトッ
重たい音に振り向くと、トラップが、電卓を取り落とすところだった。
……トラップの弱点? パステルだろ? なんて、当たり前のように言ってきたクレイやマリーナの顔を思い出す。
それを聞いたときは、「まさか」なんて言ってたんだけど……
「教えてくれないんなら、トラップのこと嫌いになるよ。それでもいい?」
「…………」
わざと顔を見せないようにして言うと、背後から、すごーくどろどろしいオーラが漂ってきたような気がした。
ふーんだ。教えてくれないそっちが悪いんだもんね。
だって、もし本当にトラップの手引きでわたしが役員に任命されたんだとしたら……こんな大変な目に合ってるんだもん。せめて、理由くらいは教えてくれたっていいと思わない?
紅茶の中にガムシロップを入れて、長いスプーンでかき混ぜる。レモンにしようか、ミルクにしようか迷っていると……
スッ
真後ろに、人が立つ気配がした。
「トラップ」
「もう一回、言ってみろよ」
「何を?」
「俺を……何だって?」
「教えてくれないトラップが悪いんだよ」
くるり、と振り向くと。軽薄な表情の中、目だけは真剣にわたしを見つめているトラップがいた。
うっ、何だか心がぐらぐらするっ……駄目駄目、負けちゃ駄目よパステル。
ああ言えばトラップがどう出てくるかくらい、大体予想してたでしょ?
「嫌いになっちゃうから」
そう言うと、トラップの手が、がしっ、とわたしの肩をつかんできた。
「なれるもんなら、なってみろよ」
「…………」
まあ、多分無理だろうな、なんて心の中では思いつつ。それを表情には出さないよう努力する。
「おめえに、俺を嫌いになれるのか?」
「別に、トラップを嫌いにならなくても。例えば、他の人を好きになるとか?」
そう言うと、トラップの表情が一段と険しくなった。
……あ、まずい。これ以上はまずい。本気で怒るかも。
「どうして教えてくれないのよ」
「…………」
「そこまでして、隠すような理由でもあるわけ?」
「……そ、それはなあ……」
「何よ?」
「…………」
「本当に嫌いになっちゃっても、いいの?」
そう言うと。
トラップの唇が、首筋に降りてきた。
熱い吐息が触れて、一瞬、ぞくりとする。
「なれるもんなら、なってみろ」
ぐいっ、と、片手が背中の方にまわりこんできた。
薄いシャツ越しに感じる体温は、とても温かかった。むしろ暑い。
「他の男を好きになる? 上等じゃねえか」
するりっ、とシャツの中にもぐりこんでくる手。
パチンッ、と、ブラのホックが外されたのがわかった。
同時に、脚が、わたしの脚の間に割り込んでくる。トラップの膝が押し入ってきて、スカートが、中途半端にめくれあがった。
「誰を好きになろうと、ぜってーおめえは俺のところに戻ってくるぜ? 俺がそうさせるから」
「……そっ」
手が触れるたびに、力が抜けそうになるのがわかった。
だけど、負けないもんね。わたしだって、いつまでもやられっぱなしじゃないんだから!
ぐいっとシャツがまくりあげられた。トラップの唇が、胸元に下りてきて……
無防備な首筋が、わたしの目の前にさらけ出された。
「トラップ」
「…………」
トラップは答えない。行為に没頭している。
いやいや、下手したらわたしもそのまま流されてしまいそうなんだけどね。だけど、だけど! 意思を強く持って、パステル!
すっ、と手をトラップの背中にまわす。彼が身につけていたのは、薄手のTシャツ。
その下に手をもぐりこませて……
「っ……いっ……てえ――――っ!?」
思いっきり脇腹をつねりあげると、さすがに、トラップは悲鳴と共に顔をあげた。
「あ、あにしやがるっ!?」
「おあずけっ!!」
その目をにらみつけて、ついでにベーッと舌まで出して、わたしは宣言した。
「教えてくれるまで、わたしに触らないでっ! 触ったら本当の本当に嫌いになっちゃうからねっ! 本気だからねっ!!」
「おっ、おいおい……」
「お・あ・ず・け! さ、続きやるよっ。いつまで経っても終わらないじゃないっ!」
少しぬるくなったグラスを取り上げて、テーブルに戻る。もちろん、乱れた服を直すことも忘れない。
嫌いになる、というのはただの前哨戦。本当の仕返しは、これだもんね。
だって……
悔しいし、何だか寂しいもん。
トラップがわたしに何か秘密を持っている。何だか、それって……妙に寂しいから。
「おーい、パステル……」
「二年生の分、終わった?」
なるべく冷たく聞こえるように言い放つと、トラップは諦めたらしく、「はあっ」と息をついて椅子に座った。
結局、その夜。わたしとトラップがベッドに入ることができたのは、夜の一時をまわってからだったりする。
それにしても。
あれだけ言っても教えてくれないって、一体どんな理由があるだろう?
無事に書類を作り終えて、生徒会室に向かう傍ら。わたしはそんなことを考えていた。
結局、トラップは理由を教えてくれなかったんだよね。ずーっとだんまり。もっとも、「おあずけ」をちゃんと守ってるあたり、彼なりに気にしてはいるみたいだけど。
そんな大層な理由? でも、わたしを生徒会役員にする意味なんて、何かあるのかなあ? 別にそんな大した仕事をまかされたわけでもないのに。
うーん、と首をひねりながら生徒会室に入る。クレイは、まだ来てないみたいだった。
ちなみに、トラップは今、ギア先生に呼ばれて職員室に行っている。
最近、ギア先生はよくトラップを呼び出してるみたいなんだけど……何かあるのかな?
トラップの方も不機嫌そうな顔しつつちゃんとそれに応じてるから、別に嫌な用事を押し付けられてる、ってわけじゃないみたいなんだけど。
そのとき、ガラッ、と背後で戸が開いた。
振り返ると、そこにはまた山のように書類を抱えたクレイが立っていた。
「やあ、パステル。どう? 人数割り当ての方は」
「うん、ちゃんと終わった。あ、これはトラップの分ね」
「あいつは?」
「今職員室に呼び出されてるの。……あ、そうだ」
そうだそうだ、何もトラップに聞く必要なんか無かったんだ。
裏で手引きしたのはトラップだろうけど、実際にわたしを役員に指示したのはクレイなんだから……
「ねえ、クレイ。どうしてわたしを書記に任命したの?」
「……え?」
どさどさっ、と机の上に書類を並べていたクレイだけど。
わたしがそう言うと、ぎょっとしたように顔をあげた。
「ぱ、パステル? 急にどうしたんだ?」
「ううん。昨日、ふっと気になっちゃって。だって、あのとき、クレイはわたしとは会ったばかりだったじゃない。何でマリーナじゃないのかなあ、って思ってたんだけど。ねえ、それって、トラップに頼まれたの?」
「…………」
サッ、とあからさまに目をそらされる。
……クレイまでっ!?
「ねえ、何で隠そうとするの? そんなことされたら、余計気になるじゃない」
「……いや、その」
「教えてってば」
わたしが詰め寄ると、クレイは困ったように微笑んで言った。
「きっと、そのうちトラップの奴が教えてくれるよ。あのときもそう言っただろう?」
「それが教えてくれないから聞いてるのよっ!」
わたしが身振り手振りつきで昨夜の出来事を説明すると、クレイは、「はああ〜〜っ」と大きなため息をついた。
「全く。あいつも素直じゃないんだから」
「……え?」
「いや、こっちの話。本当に悪いけど、俺が話したって知ったらトラップの奴に絶交されかねないから。気長に待っていればそのうち教えてくれるよ、きっと」
「気長にって……」
「さっ、仕事仕事。まだまだやることはたくさんあるから」
その話題は終わった! とばかりに、書類整理を再開するクレイ。
……何で?
一体どうして、そこまで秘密にしようとするのー!?
まあ、でも。
教えてくれないものは仕方がない、というか。そのうちわたしはそんなことは忘れてしまって……
というか、忘れざるを得なくなった。片付けても片付けてもわいてくる仕事に忙殺されて。
まずひと悶着起きたのが、週末にあるロングホームルームの時間。
「ええっと、今日の議題は、体育祭の種目別参加割り当てについて、なんですけど」
議長をしているのは、クラス委員のマリーナとトマス君。
あ、トマス君は、短い金髪にそばかすと眼鏡がよく似合う、小柄な男の子。
すっごく穏やかで優しくて、人望が厚いんだ。まあそれはともかく。
「ええっと、うちのクラスからは、100メートル、200メートル、1000メートルの各徒競走と、借り物競争と障害物競走、後二人三脚リレーに、全員参加の応援合戦に……」
ずらずらとマリーナが読み上げる種目を、トマス君が黒板に書き連ねていく。
あの人数割り当てを作ったのは、ちなみにトラップなんだけどね。一応、どれもこれもちゃんと均等に人数が割り振られている。このあたり、さすがは理系のトラップだなあ、と感心するくらい、見事。
「一人一種目は、必ず参加してね? ええっと、まず、希望を取りたいんだけど……それとも、先に推薦にする?」
マリーナが声をあげたときだった。
「徒競走は、トラップに全部出てもらえよ」
と、誰かが叫んだ。
男子の誰かなんだけど、それが誰か、を認識する前に、似たような声があっちこっちから上がり始める。
「そーだよな。トラップが出たら、うちの組が絶対優勝だろ?」
「去年だってそうだったんだし。今年も頼むよ」
「お前普段クラブもやってねえんだから、こういうときくらい頼むぜ!」
ざわめきが、段々大きくなる。
おおお、すごい。さすがトラップ。
密かに感心してしまう。そういえば、去年の体育祭のとき、徒競走全種目を制覇した一年生がいる、って話、聞いたなあ。
その頃、わたしはトラップのことを知らなかったから、「へえ。すごい人もいるんだなあ」くらいの感想しか浮かばなかったんだけど。
「はいはいはいっ、静かにしてっ!」
ぱんぱんと手を叩いて、マリーナはトラップに視線を向けた。
「ああ言ってるけど。いい? 100メートルと200メートルと1000メートル、三種目参加で」
「……いや」
「え?」
「いや。俺、今年はちっと遠慮する」
途端にブーイングの嵐が沸き起こる。
「えー、そりゃねえだろ」
「おまえを当てにしてたのにー」
口にこそ出さなかったけど、わたしも驚いていた。
トラップの運動神経がいいのは自他ともに認めるところなんだけど。特に足の速さは折り紙つきだもんね。何しろ、去年の陸上部の部長は、トラップの勧誘に失敗したことを理由に部長の職を退いた、とかいうまことしやかな噂まで流れていたくらいで。
面倒くさがりだけど、トラップは基本的に目立つことは好きだもんね。何で、今年は出ないんだろ?
「じゃあ、どうするの? 何か一種目には、出てもらうわよ?」
「だあら、誰も体育祭に参加しねえ、なんて言ってねえだろうが。おい、おめえら」
ガタンと立ちあがって、トラップはクラスを見回した。
「俺はなあ、生徒会役員やらされて、準備準備で忙しいんだよ。本番も何やかんやと用事を言いつけられるだろうしな。だあら遠慮すんの。わかったかあ?」
そう言うと、さすがにそれ以上のブーイングはとんでこなかった。
ああ、なるほどね。そういえば、当日も多分何か用事はあるんだよね。
ううっ、今から気が重いなあ……
「そういう理由ならしょうがないけど……ああ、そうだ。でも、三種目全部に出ろ、なんて言わないから。どれか一つには出てよ。できれば1000メートル。これ、一番得点高いしね。あんたが出れば絶対優勝でしょ? ね、お願い」
マリーナがそう言うと、トラップはしばらく迷ってたみたいだけど、「……ちっ、しゃあねえな」と結局頷いた。
1000メートルねえ……わたしには絶対無理な競技だなあ。ははっ。多分出たらみんなの失笑を買うに違いない。
そんなことを思っているうちに、マリーナはてきぱきとみんなの意見をさばいて、それぞれの種目に割り振っていく。
……わたしはどうしようかなあ。無難に100メートルでも? 運動はあんまり得意じゃないんだよね。遅くもないけど早くもない、まあまあ普通? ってところで。
そんなことを考えていたとき、だった。
「じゃあ、次は二人三脚ね。これ、男女ペアだからね。ええっと、うちのクラスからは一組。誰か希望者……」
「はい」
「え?」
ぐいっ、と腕を捕まれた。
マリーナのきょとんとした視線が刺さる。……いや、マリーナ。できればわたしも同じ視線を向けたい。
な、何なの、この……わたしの腕を無理やり挙手させてる腕、は。
「ちょ、ちょっと、トラップ?」
「はい、立候補。俺とこいつが出る」
「ちょ、ちょっとお!?」
な、何なのよ!? あんたさっき、「ちっと遠慮する」って言ったんじゃなかったの!?
「……トラップ。あんたまさか、それが理由じゃないでしょうね?」
「さあ、何のことやら? それとも、俺とこいつが出ると、何かまずいことでもあんのか?」
「……他に立候補者いる?」
マリーナがクラス中を見回したけれど。誰も手を挙げる人はいない。
……そりゃ、いないでしょうよ。トラップがあれだけ睨んでれば、ねえ……
「パステルは、いいの?」
「え? いや、えと……」
いいも悪いも。状況がよくつかめない、というか……
「もちろん、いいよなあパステル」
「え?」
「いいよな?」
ううっ、何よお、その押し付けるような口調はっ……
トラップ、あんた一体何を考えてるわけ!?
「……じゃ、二人三脚はトラップとパステルね。じゃ、次は……」
抗議の声をあげる暇も無く、それは決定事項として扱われ、議題は次へと流れていった。
ちなみに、種目数と人数の関係上、一人が参加できる種目は三種目以内と決められていた、と知ったのは、この少し後だったりする。
「もー、何で強引に人の種目決めちゃうわけ!?」
「…………」
放課後の教室にて。
わたしとトラップは、例によって体育祭の雑用に追われていた。
ちなみに、今日やっているのは各クラスが今日決めた種目別参加者を表にする作業。
「ちょっと、トラップってば!」
「あんだよ。別にいいだろー? それとも、おめえ嫌なのかよ? 俺と二人三脚?」
「……い、嫌というか」
嫌じゃない。嫌じゃないけど……
「無理があるでしょ? わたしとトラップじゃ、足の速さが全然違うんだから。きっと、足、ひっぱっちゃうよ」
「ふん。おめえがそんな殊勝なこと言うなんて、槍でも降るんじゃねえ?」
「トラップー!」
ああ、もうっ。何なの最近のトラップは。
何だか、この間から様子が変じゃない? どうしたんだろ?
「トラップはあんなに足が速いんだから。徒競走に出ればいいじゃない。みんな、あんなに期待してたんだから」
そう言うと。
トラップは、舌打ちして顔をあげた。その顔は、かなり不機嫌。
「飽きたんだよ」
「え?」
「飽きたの! おめえなあ。俺は中等部の頃から、体育祭っつーとずーっと徒競走ばっか出場させられてたんだぞ? たまには別の競技に出てみてえと思っちゃ、いけねえのかよ?」
「え? え?」
まくしたてるような口調で、トラップは言った。
「足が速いとか優勝確実とか言うけどなあ! 徒競走ほどつまんねえ競技はねえぞ? ただ決められたコースを走るだけで、何の駆け引きもありゃしねえ。俺とタメはるくらい足が速い奴がいていい勝負になるってーのならまだしも、圧勝するとわかりきってんだぞ」
うわっ、さすがトラップ。自信満々。
「だあら、たまには別の競技をやってみてえって思ったんだよ。自分の実力だけじゃどうにもなんねえような競技にな。おめえみてえな鈍くせえ奴と一緒の二人三脚なら、ちっとは面白い勝負になるだろ?」
「ど、鈍くさいですってえ!?」
ひ、人を強引に巻き込んでおいて何て言い草!
わたしがガタンッ、と音を立てて立ち上がると、トラップは、ぐっ、と手をつかんで言った。
「いっぺんやってみたかったんだよ、あの競技。おめえと一緒に」
「…………」
不覚にもドキッとしてしまう。こんなときに真面目な表情するなんて反則だって!
「も、もういい。わかったわよっ。ほら、続きやろ、続き。まだまだ仕事はいっぱいあるんだからっ」
「……ああ」
握られた手を引き抜いて、再び作業を続ける。
危ない危ない、またトラップのペースに巻き込まれるところだった。いや、巻き込まれてたかな? とにかく深みにはまらなくてよかった。
……そういえば、役員につけた理由教えてくれるまで触らないで、って言ってたんだよなあ……まあいっか。手くらい。
そんなことを考えていたときだった。
「……最後の機会になるかもしんねえからな」
「ん?」
ボソッ、と囁かれたのは、よく意味のわからない言葉。
「最後? 何が?」
「……何でもねえ」
ぷいっ、と視線をそらして、書類の方に向き直るトラップ。
……やっぱり。
やっぱり、トラップ……何か、変?
週末は、書類の山と格闘して終わった。
各競技に必要な道具をかきだしたり、用具室にあるかどうかをチェックしたり。
足りなかったら、中等部や初等部の倉庫から借りる手はずを整えたり。
まあようするに、雑用なんだけどね……
わたしもトラップもそれぞれ別の仕事を割り当てられていたから、ゆっくり話す暇も無く。
だから、わたしは気づいてはいたのに聞こうとはしなかった。
トラップの様子が変な理由。何だか最近、よく考え込んでいる理由を。
週があけて月曜日。
「今週からは、放課後に個人面談を実施する。出席順番に男女それぞれ三人ずつ、進路指導室に来るように」
ギア先生の声が響く中、わたしは机の下で、今日クレイに渡す書類が揃っているかのチェックをしたりしていたんだけど。
進路希望調査。そういえばそんなのもあったなあ……
いやいや、もちろん提出はしたよ? 悩むほどのことでもないし。結局、無難に文系志望、文学部志望で、紙を渡されたその日のうちに。
出席順番で三人ずつ、ってことは……わたしは大分後の方だから、木曜日くらいになるのかな?
「パステル、あなた、どこの学部で志望だした?」
HRが終わった後で、マリーナが声をかけてきた。
マリーナも、それともう一人の親友リタも、わたしと同じくこのまま大学に上がるはず、だけど。
「わたしは文学部。マリーナは?」
「わたしはねえ……迷ったんだけど。理系に行こうかな、って思ってるの」
「え!? 理系!?」
「そっ。わたし、将来服飾関係につきたいのよね。それも、自分でお店を持ちたいのよ、できれば。だから、経理とかに強くなりたくて……」
「へーっ……」
さ、さすがマリーナ。既にしっかり将来設計ができてるんだ。
自分でお店を持つ、かあ……マリーナなら、きっと実現するだろうな。
……わたしはどうなんだろう? 小説家、なんて、まさに夢そのもの。実現する可能性は……あるのかなあ?
「ねえ、あんたは?」
「んあ?」
わたしが思わず考え込んでいると、マリーナが、隣の席のトラップに視線を向けた。
「トラップは、どこにするの? あんたのことだから理系よね? あの成績なら、医学部だって行けるんじゃない? どこにするの?」
「…………」
マリーナの言葉に、トラップはしばらく黙っていたけど。
「……ま、適当に、行けるとこでも」
とだけ答えて、机につっぷした。
最近仕事仕事で寝る時間がどんどん遅くなってるから、その分を取り戻すつもりらしい。
「嫌味ねえ。あんたの成績で、行けないとこなんて無いでしょうに」
「…………」
トラップは返事もせず、そのまま眠り込んだみたいだった。
行けないとこは無い、かあ。
そういえば、トラップって……将来の夢とか、あるのかな? 聞いたことないけど。
今度、聞いてみようかな。
ちょうどそのとき、チャイムが鳴って、先生が教室に入ってきた。
マリーナが慌てて席に戻る。
……トラップ、起こした方がいいんだろうか。いや、彼のことだから、どうせ起きないだろうなあ……
早々に諦めて、わたしは机から教科書を取り出した。
雑用に追われまくっているうちに、あっという間に日は流れていって。
わたしの個人面談が行われたのは、予想通り木曜日のことだった。
ちなみに、出席順番で男女三人ずつ、ということは。
わたしと同じ出席番号であるトラップも、当然同じ日に面談があるわけで。
ぎりぎりまで仕事を追われて、二人で進路指導室まで行く。
……この部屋でギア先生と二人っきり、っていうと……何だか、ちょっとアレな思い出が蘇ってきたりするけど……
だ、大丈夫だよね? 何しろ今回は本当に進路指導なわけで。わたしの後にまだ次の面談の子が控えてるし。何も心配することは、無いよね?
なーんて言い聞かせてしまう自分が悲しい……
ギア先生は、もう何もしないって誓ってくれたんだから! 先生を信じなくてどうするの!
トラップが部屋に入っている間、わたしはずっと、そんなことばっかり考えていた。
だってねえ……面談、と言っても。
一応進学に問題ない程度の成績はキープしてるし。志望学部も決まってるし。別に話すようなことは何も無いはずなんだよね。
昨日のうちに面談を終わらせたリタとマリーナも、「志望をもう一度確認して、成績を確認して、それで問題が無ければはいおしまい、程度の面談だったわよ」って言ってたし。
だから、あまり緊張するようなことでもないし、そう長くはかからないはず、なんだけど。
何故か、わたしの前に教室に入っていったトラップは、なかなか出てこなかった。
……何話してるんだろ?
トラップだもん。成績に問題がある、ってわけじゃないよね? 何かもめてる……? まさか喧嘩してるってことはないでしょうけど。
部屋に入るわけにはいかないし、声は全然外に漏れてこないから、推測することしかできない。結局、トラップが外に出てきたのは、それから20分後のことだった。
「トラップ、随分遅かったね。何話してたの?」
「…………」
「トラップ?」
「お、おう? あ、いや、別に」
何やらボーッとしていたらしく、わたしが声をかけても、しばらく反応が無かった。
……おかしい。何だか、全然いつものトラップらしくない。
そういえば、最近よくギア先生に呼び出されてたよね? ……本当に、どうしたんだろう?
「トラップ、何かあったの?」
「……別に。おめえ、早く行けよ。後がつかえてんだから……ギアの奴が待ってんぞ」
トラップの声に押されるようにして、教室のドアを開ける。
……怪しい、おかしい。絶対変。
最近、トラップ……わたしに何も言ってくれなくなったような気がする。
どうしたんだろ。一人で悩まないで、相談してくれればいいのに。
……わたしじゃ、頼りないからかな?
「パステル。来てるか? 早くこっちに来て欲しいんだけど」
「あっ! す、すいませんっ」
ギア先生の声に、慌てて部屋の奥へと入る。
小さなテーブルと、向かいあわせに置いてあるソファ。
ギア先生の向かいに腰掛けると、この間提出した進路志望調査票と、わたしの成績表が、並べられた。
「さて……パステル、君はこのままうちの大学の文学部に進学希望でいいんだな」
「はい」
「希望は文系……まあ、君の成績なら問題は無いだろう。何か悩みはあるか。成績が伸び悩んでいる、とか」
「いえ、特に無いです」
「そうか」
たったこれだけで会話は終わってしまった。
うわっ、本当に短い。
それ以上、ギア先生は何も言わない。もう話は終わった、ってことだよね?
それなら、わたしはもう帰ってもいいんだろうけど。先生が何も言わないものだから、立ち上がるタイミングを逃してしまった。
「あの……」
「パステル」
「はい?」
すっ、と真面目な視線が、わたしを捉えた。
一瞬ドキッとしてしまう。こうやって見ると、ギア先生ってやっぱりかっこいい……って何考えてるのよわたしってばー!!
「あ、あの、何ですか?」
「君は、ステア・ブーツから何か聞いているか?」
「え?」
ステア・ブーツ。
それはトラップの本名。両親の仕事の都合で、危険が無いよう本名をなるべく名乗らないようにしている、というのが彼の言葉だったけど。
「何か、って?」
「……何も聞いていないのか、彼から」
「あの、だから……何を、ですか?」
言われた意味がわからなくてわたしが聞くと、ギア先生はしばらく黙っていたけど、やがて言った。
「彼が、何も言っていないというのには……多分、彼なりの理由があるんだろうな」
「……あの?」
「いや、おかしなことを聞いたね……すまない。もう行ってもいい。次の生徒が来ていたら、呼んでくれないか」
「はい。あの……先生。トラップに、何か……」
何か、あるんですか?
そう聞きたかったけれど。
聞いても教えてはくれないような気がした。クレイと同じように。
トラップが何も言わないのには、何か考えがあって。それは、他人が教えるような類のことではなくて。
「……わかりました。失礼します」
だから、わたしは黙って立ち上がり、頭を下げた。
何だか、無性に悲しかった。
ガラリ、と戸を開けると。そこにトラップが立っていた。
「トラップ!? 何、してるの?」
「……いや」
彼は黙ってわたしを見つめた後、ぶっきらぼうに言って歩き始めた。
「どうせ、この後も生徒会室に行かなきゃなんねえし? それに、まーたおめえがギアの野郎に誘惑でもされんじゃねえかと、わざわざ心配して残っててやったんだよ」
「ゆ、ゆ、誘惑って!!」
ど、どういう目で見てるのよ、失礼な! わたしって、そんなに信用無い!?
「し、失礼しちゃう。もっとわたしを信頼してよ!」
「けっ。できるかっつーの。おめえみてえな頼りねえ奴」
「なっ……」
頼りない。
それは、きっとトラップにとっては何気なく言った一言なんだろうけど。
その言葉は、やけに胸に突き刺さった。
「どうせ……わたしは頼りないわよ」
「…………?」
わたしの口調に、ただならぬ様子を感じたのか。トラップは、足を止めて振り返った。
放課後の、人気の無い渡り廊下。差し込む夕陽が、トラップの頬を赤く染めた。
「そうよ。わたしは頼りない……何でもできるトラップと違って、わたしは何にもできない。だから何も言ってくれないの? わたしじゃ相談相手にならないから。だから何も教えてくれないの?」
「……おめえ、何言ってんだ?」
言葉ではそう言っているものの。
トラップの目は、わたしが何のことを言っているのか。薄々察しているみたいだった。
「どうして、教えてくれないの?」
「…………」
「役員に任命した理由も結局言ってくれなかった。それにっ……トラップ、今何か悩んでるでしょ? 最近ずっと様子が変だったよね? 何かあったの? 何で何も言ってくれないの?」
「…………」
「わたしだってトラップのこと心配してるのに……話してみなきゃ、わからないじゃない。どうして何も言ってくれないのよっ!?」
「……話したって」
その顔に浮かぶのは、苦痛を堪えるような……そんな表情。
「話したって、どうにもなんねえことは、あるだろ」
一歩、前に出てきた。
そうして、トラップとわたしの距離が少しだけ縮まった。心の距離は、遠く離れていっているのに。
「話したってしょうがねえことを、何でわざわざ言わなきゃいけねえんだ。俺はおめえに何もかも話さなきゃなんねえのか? おめえは俺に何もかも話してるっていうのか?」
「っ…………」
トラップの言ってることは、すごく正論だったけど。
正論だったけど、悲しい言葉だった。
「俺にだってなあ、話したくないことくらい、あるんだよ。……いつまでもくだらねえこと言ってねえで、行くぞ。クレイが待ってるだろうしな」
「……くだらない、って」
くだらないこと。
そうなんだ。トラップにとっては……これは、くだらないこと、なんだ。
そうなんだ……
「こんなの、違う」
「あ?」
「こんなのっ……おかしい。恋人同士なんじゃないの? わたし達」
「…………」
「おかしいよ。こんなの恋人同士じゃない。トラップは、本当にわたしのことを好きなの?」
「疑うのか、俺を」
かけられた言葉は、ひどく冷たかった。
「疑うのか? 俺の気持ちを。おめえを好きだって、あんだけ言ったのに。それでも疑うのかよ?」
「だってっ……」
悲しいのは、トラップを好きだからだろう。
トラップもわたしを好きでいてくれている。疑っているわけじゃない。わたしと彼は、間違いなく両思いのはずなのに。
何で、こんなことになるの……?
「だって、トラップは……いつだって、わたしのことなら何でもわかっていたじゃない」
「…………」
「それなのに、今はわかってくれてない。全然、わかってくれてないよ……」
「そりゃ、そうだろ」
凍りついたような無表情で、トラップは言った。
「俺は、おめえじゃねえ」
「…………」
「おめえのことなら、何でもわかる? そんなわけねえだろ。俺とおめえは他人なんだ。何もかもわかるなんて、そんなわけ、ねえだろ」
「…………」
他人。
それは、正しい言葉だけど……とても、とても、冷たい言葉。
「わかった……」
「…………」
「もう、いいよ……わかった。もう、何も聞かない」
たたっ、と、トラップの脇を駆け抜ける。
早く、行かなきゃ。クレイが待ってるから。
泣いちゃいけない。変に思われるから。
泣いちゃ……
そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど。
わたしの目から、涙がどんどん溢れ出て、止まらなくなった……
完結です。
た、体育祭準備編だけでここまで長くなるとは(汗 予定では一話で体育祭本番まで終わらせるはずだったのですが。
後をひく終わり方してるのはそういう理由です。トラップの影が薄いのも同じくです。続きもなるべく早く書きます。
次は……原作重視切な目→パラレル悲恋明るめ→原作重視(切な目? 明るめ?)→学園編第二部第五話……?
な、なるべく早く書きます……
>感想くれた方々
ありがとうございます!
攻めパステルが好き! と言ってくださる方々、結構多いみたいですね。
また思いついたら挑戦してみます。
こんちわ〜^^変な事聞くけどここってトラパス氏以外のひとが
作品投下してもいいのかな?
トラパス氏の作品は夜勤の職場でじっくりと読ませていただきました^^
貢がれたパステルちゃんがハアハアでした・・・・
でも殺されちゃって可愛そうでし(><)
サンマルナナさんキター(゚∀゚)!!
クレパスかと思ったけど、意外や意外なギアパスですか!
この微妙な距離感がいい感じです。
お互いまだぎこちないけど、これから進展あるのかな?ドキドキ。
クレパスは過去ログもまとめサイトに載っていることだし、
できれば続きは読みたいですよ!っていうかお願いします。
ペースは人それぞれですし、あまり気になさらなくても大丈夫だと思いますよ。
>>213 ここは公共の場なのだから、誰でも参加OKでしょう。
作家が増えてスレが活気つくのは良いことですしね。
>サンマルナナさま
ひさびさのギアパス、続編楽しみにしております!
サンマルナナさまのパステルは自然体っていうかリアルな女の子くさくてイイ!
トラパスさまとはまた違ったよさがありますな。
しまった、途中で投下してしまった。
トラパス作者さん
学園編新作が!
これからの展開を色々と想像させる引きで、相変わらずうまいですね。
進路に関わる話になってきたので、展開次第で仲も進むのかな?
続きも新作も楽しみです!
投下スピードは早いに越したことは無いけど、あんまり無理しないでね。
>213
あなたのHNを見てよからぬ事を考えてしまいました。
キットンって色んな薬作れるもんね〜…イカンイカン。
>トラパスさま
学園編キター!!
ニュアンス的にそろそろ完結っぽいですが。
体育祭に期待!
218 :
名無しさん@ピンキー:03/11/17 12:31 ID:gE2ay8qd
「学園編第二部第4話」面白かったです、これからの展開がヒジョーに気になります!
それにしても相変わらず書くペースが早いですね!
昨日の夜はバイトで疲れていて帰ってから直ぐに寝て、今日の九時頃から読んでたんだけど!
最後まで読んでから、更新して見たら新作が来てたのには驚きました!
読者としては嬉しいんだけど、御身体や体調には気をつけてください!!
「奮闘編」のガンガンいくチョットから回りなパステルも良かったです、可愛かった!
リタのアドバイスシリーズも良かったです!リタ(・∀・)イイ
それでは次も楽しみにしてます。
サンマルナナさん久しぶり!
俺もクレパスだと思ってたけどギアパスだったとはチトびっくり。
でも面白かったです、この続きも楽しみに待ってます!
サンマルナナさま 待ってました!
最近ギア萌え ギアパスめっさイイ!
クレパスの続きも諦めずに待ち続けます
トラパス作者さま
学園編気になるところで終わりますね〜
数作品まとめ読みしましたがどれもイイ!
学園編が完結したら次はパステルOL編かと勝手に妄想膨らませて=ャ=ャしたところで気づきました
小説家志望ですね・・・制服ないのか・・・_| ̄|○
サンマルナナ様!!
新作とても楽しみにしていました☆
とってもうれしいです!!!
ギアパス・・・ギア萌え(´д`*)
トラパス作者様!!
攻めパステルに萌えまくりました!!
恋する女の子って感じで・・・。
相手がクレイならどう攻略するんだろう・・・。
かなり気になります!時間があったら攻めパステル・相手クレイ編書いていただきたいかも・・・。
久しぶりのサンマルナナさん作品だ!
自分もすっかりクレパスかと思っていましたが、ギアパスもとても楽しみです。
サンマルナナさんの作品は絡みのある二人だけじゃなくて
マップの件のトラップや珍しい花に乗り気のキットンなど
他メンバーの描写もすごくそれらしくて大好きです。
続きも楽しみにしています!
……海のクレパスも好きだったから続き読みたいな〜なんて思うのですが…(コソリ
トラパス作者さんは相変わらず驚くほどのハイペースですね。
本当に読むので手一杯でなかなか感想もかけませんが
これからも頑張ってください。
いろいろなトラパスを読めるのを楽しみにしています。
トラパスさま、いつも素敵なお話楽しませてもらってます。
ひとつだけ気になったことが……。
マリーナが理系に行くっていってたけど、
経理って経済学部か商学部じゃないかな。
理系じゃなくて文系だよね。
揚げ足取りみたいな事書いてすみません。
>感想くれた方々
ありがとうございます!
学園編は第二部で完結させたいところですが……何話で終わることやら。
できればイベントごとは一通りクリアしたいと思っているのですが。
>>222さん
進路的には経済学部(文系)に進むけれど
計算や統計などに強くなりたいから、高校の選択授業では理系を選択する、とそういう意味です。
文系科目を選択していた人が理系学部に進むのは無理だけど、理系科目を選択していた人が文系学部に進むことは可能。
自分の通っていた高校がそうだったものですから、そういう設定にしてしまいました。
説明不足ですみません。
ええと新作です。
切な目の原作重視な話。
注意
・オールトラップ視点の話。ちょっと長めです
・エロ少ないです
好きだ、と自覚したところで。
どうしようもできねえんだから……仕方ねえだろう?
はあっ、とため息が漏れる。
いつものみすず旅館のいつものあいつの部屋。
「この部屋の方が日あたりがいい」と言い訳をして毎日のように昼寝に訪れて。
最初のうちこそ文句を言っていたものの、諦めたのか。今となっちゃあ、すっかり放置状態。
目の前には、あいつの背中が見える。
長い蜂蜜色の髪が不規則に波打っていて、それを目で追っているうちに背後から抱きしめてやりたい、という衝動に狩られたが。
例えそんなことをしたところで、あの鈍感女のこった。「邪魔しないでよ!」とか何とか言われて不機嫌そうな顔をされて、そのくせ俺の気持ちになんかちっとも気づかねえ。気づこうともしねえ。
はあ。空しい……
俺が一体、何のために毎日のように部屋に訪れてると思ってんだ?
多分そう聞いたら、こいつのこった。「こっちのベッドの方が日あたりがいいからでしょ?」と、俺が使った言い訳をそっくりそのまま返すに違いねえ。
ちげえよ。ここに来ればおめえを見ていられるから。
俺はおめえのことが好きだから。
いっそそうぶちまけてやりてえ、と思ったことも何度となくあるが、そのたびに自制してきた。
どうせ、言ったところで。冗談に取られて流されるのが落ちだ。
本気にされたところで、受け入れてくれなきゃ告白する意味がねえ。
気まずくなるくらいなら、今のままの方がいい。
ようするに、俺は度胸がねえだけなんだ。関係を壊す度胸がねえ。断られるのが怖い。だからこそ、今の関係からもっと先に進みたい、とそう思っているくせに。一歩踏み出そうとすることができねえ。
ああ、情けねえ。
はああっ、とまたため息をついて、上半身を起こす。
「トラップ」
どきんっ
突然声をかけられて、俺は動揺を悟られねえよう聞こえねえ振りをした。
「トラップ」
「……あんだ?」
息を整える。その間にかけられた二回目の呼びかけには、どうにか返事をすることができた。
「あ、起きてたんだ? ねえ、いいかげんに準備した方がいいよ」
「……おめえはどうなんだよ」
準備、と言われて、一瞬何のことかと思うが。
ああ、と思い出した。……そういやあ、明日からクエストに出かける予定だった。
あんまりにもこいつの態度が普段と変わりねえもんで。この部屋で過ごすまったりとした空気の居心地が良すぎて、すっかり忘れていたが。
「だから、わたしもやっと原稿が上がったから、準備しなくちゃいけないから」
そんなことを言いながら振り向いたあいつの、パステルの顔は、少し疲れているようだった。
寝不足なのかもしれねえ。クエストが近いっていうのに原稿の依頼を引き受けちまって、随分無理したみてえだからな。
何でそれを知ってるのか、と言えば。それだけ、原稿が忙しくて部屋にこもりっきりなパステル。その姿を見るためだけに、この部屋に入り浸ってたからだが。
「お疲れ」
そう言うと、パステルは不気味なものでも見るような目で俺を見て、「熱でもあるんじゃないの?」なんて言ってきやがった。
失礼な奴だな。俺がおめえの心配しちゃわりいかよ?
たまに素直になってみりゃあ……これだ。
「ばあか。お疲れって声かけたのはなあ、おめえにじゃねえよ。健気におめえの体重支え続けたその椅子に言ってんだ。ここ数日休む暇もなかったろうからな」
「な、なあんですってええ!?」
「けっけっけ。怒ったあ? パステルちゃん」
「もー最低っ! ほらっ、わたしだって準備があるし原稿も届けなきゃいけないし忙しいの!」
相当疲れているせいなのか、どうなのか。あいつの機嫌はいつもより悪いように見えた。
そんな顔を見ていると、「無理すんな」と抱きしめてやりたくなる。けど、それができねえから……じゃあどうするのかと言えば、からかってやりたくなる。
悪循環だ……そう心の中でつぶやいていると、パステルは机の上に散らばった原稿をまとめて、俺をきっとにらみつけてきた。
「早く部屋に戻ったら? あんまりクレイの手をわずらわせちゃ駄目だよ」
…………
クレイ、ね。
「いっつもトラップの尻拭いばっかりさせられて、クレイは大変なんだから」
俺の前で、その名を呼ぶな。
一瞬、そう言ってやりてえ衝動に狩られる。
幼馴染のクレイ。女が惚れる要素を全て持ち合わせて、ガキの頃から俺が「いいな」と思った女を自覚もなく片っ端から奪っていってくれた男。
決して面白くはなかったが、「まあしゃあねえ」で諦められる程度の思いしか抱いたことはなかった。けど、こいつは……パステルだけは。
パステルだけは、クレイにやりたくねえ。初対面のときから、俺とクレイを完全に同一視してくれた女は、こいつだけだから。
「ほら、わたし出かけるから。昼寝はそれくらいにして出てって!」
ふくれっつらをするあいつの脇をすりぬける。
いっつもこうだ。素直になってみせても、あいつはそれを素直に喜ばねえし、そして俺はすぐにそれを冗談にしちまう。
照れくさいから。
全く。こんなこったから……いつまで経っても関係が進展しねえんだろうなあ。
がちゃん、と部屋のドアを開ける。
明日っからクエストだ。しばらくは、のんびりパステルの姿を見ている暇もなくなる。
もっとも、方向音痴のマッパーを育成する、という名目で、手を触れる機会は、いつもよりもずっと多いかもしんねえけどな。
訪れたクエストは、ちょっとした搭の攻略。
魔法の搭、と呼ばれるそこは、数十年前まである魔法使いが暮らしていて、様々な実験を繰り返していた搭らしい。
ところが、実験の最中不慮の事故で魔法使い本人が死亡。しかけられた魔法の罠やモンスター、実験途中だった様々なものが手付かずのまま放置されて、今にいたる、と。
マジックアイテムの類は、ほんのちょっとしたもんでもかなり高く売れる。俺達の目的は、魔法使いが残したと思われるそれらのアイテムを一つでも多く回収していくこと。
ただ、それはなかなか容易なこっちゃなかったが。
「おい、トラップ! 解除できたか!?」
「もーちょいっ……後ちっとこらえてくれっ!」
「わ、わかった!!」
搭の二階に向かう螺旋階段。
そのど真ん中で、俺達は戦闘の真っ最中だった。
さすがは魔法使いの搭といったところか。ドア一つ開けるにもいちいち凝った罠が仕掛けられたりしていて、そのたびに解除にてこずらされた。
ある意味運が悪いのは、それらの罠が俺のレベルでどうにか解除できる程度の代物だった、ってとこだ。
俺にお手上げな罠ばっかだったら、諦めて引き返そう、って気にもなれた。
だけど、罠そのものは、魔法がかけられて少しばかり厄介なタイプとは言え、決して解除は不可能じゃなかったし、現れるモンスターも、キットンの知識とクレイの剣とノルの怪力、それにルーミィの魔法で、どうにかこうにか撃退できるレベルだった。
ぎりぎりでクリアが可能。それは、ひょっとしたらクリア不可能なほど難しいクエストより性質が悪いかもしれねえ。
がちゃんっ
「おし、解除できたぞっ!」
「わかった……ノル! 一旦引くぞ!}
「了解」
ノルの腕が、階段前で足をばたつかせるモンスター(詳しくはわかんねえが、多分通常モンスターに何らかの魔法がかけられて改造されてんじゃねえかと思う)をつかみあげて、思いっきり遠くの方へと投げ捨てた。
もちろん、それくらいでくたばるような柔なモンスターじゃねえ。地面に叩きつけられて怒り狂ったのか、そのモンスターは、きいきいとおたけびをあげながら再びこっちに迫ってきて……
もっとも、そのときには、既に俺達は全員、階段の途中にあった隠し扉の中に消えていた。
「あーっ……ったく、心臓に悪い搭だぜ」
がちんっ、と扉の前にくさびを打ち込んで、外からはドアが開かねえように固定する。
偶然に見つけた隠し扉。それはどうやら書庫らしく、部屋は壁一面本棚になっていて、かびくさい匂いが鼻についた。
「わあ、すごーい! この本、すっごく古くてもう本屋さんじゃ手に入らないんだよね。読んでみたいなあ」
本を見渡して目を輝かせているパステルの頭をはたき倒す。
全く、状況がわかってんのかねえ、こいつは。
「もー痛いじゃない! 何するのよトラップ!」
「ぶわーか! 何するのよ、じゃねえ! おめえ今の状況わかってんのか?」
「く、クエスト中でしょ? わかってるわよ!!」
ぷうっ、とほっぺたを膨らませて、パステルは手に取った本を棚に戻した。
俺達冒険者には、本みてえな余分な荷物を持ち歩く余裕はねえ。小説家の卵であるこいつには、それが色々不満なようだが。
「いーやわかってねえ! どこに何が仕掛けられてるかわかんねえんだぞ。俺が調べるまでその辺のもんに迂闊に触るんじゃねえよ!」
そう言うと、パステルははっ、と息を呑んで、素直に頭を下げた。
「ご、ごめん」
……こいつのすげえところは、こうやって自分の非を素直に認められるとこだよな。
俺にはぜってーできねえことだから……それが、羨ましい。
「まあまあ、何も無かったんだからいいじゃないか。どうだ、トラップ。ここには、何か手を触れたらまずいようなものはあるか?」
「んー……ちっと待ってな」
クレイの言葉に、部屋中を簡単にチェックする。
幸いなことに、この書庫の中には、特に罠らしいものは見つからなかった。
「ま、多分大丈夫じゃねえ?」
「よし、じゃあしばらく休憩しよう。どうやら、二階も三階も同じような様子みたいだしな」
クレイがそう言うと、他のメンバーは思い思いに腰を下ろし始めた。
この搭、入ったときからそうだったが、かなり神経を使うタイプのダンジョンだ。いたるところに罠がしかけられてるし、思いもよらねえところから敵が出現したりする。
相当疲れてたんだろう。パステルとルーミィ、それにシロは、壁に背中を預けて、そのままうつらうつらし始めた。
……おいおい。
「このまま先に進んでも、大丈夫ですかねえ」
そのとき、キットンが、本棚の本を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
「どういう意味だ?」
「いえね。ありがちなパターンとしては、こういう搭って上に行けば行くほどモンスターも罠レベルも上がっていくんじゃないかと思うんですよね」
「ああ」
確かにな。それは言えるかもしんねえ。
全部が全部そう、とは言いきれねえが。そういうタイプの……奥に行けば行くほどモンスターレベルが上がっていくダンジョンっていうのは、RPGのお約束みてえなもんだ。
「するとですねえ、一階がぎりぎり突破レベルの我々がこれ以上先に進むと、行くことも戻ることもできなくなる可能性が出てくると思うんですが」
「うーん……」
俺とキットン、それにノルの視線が、クレイに集中する。
選択肢は三つある。
一つは、休憩の後先に進む。
二つは、この部屋を拠点にして一階を徹底的に調べてまわる。もしかしたら、一階にだって何かアイテムの類は隠してあるかもしれねえしな。
三つ目は……撤退するか。
まあ、三つ目はありえねえな。まだ来たばっかだから、精神的なもんはともかく、薬草の類にも体力にも余裕があるし。……いや、パステルはどうも例外みてえだが。
「どーするよクレイ?」
「……そうだな。トラップ、罠は大体解除できるよな?」
「そうだなー。あの程度の罠なら、何とかなるな。魔法がかけられてっけど、自動的にリセットがかかるようなタイプでもねえから、一度外したら後は安心だしな」
「そうか……」
クレイはしばらく考え込んだ後、きっぱりと言った。
「先に進むか。罠を一度外してしまえば、モンスターの方は逃げることだってできるんだから。戻れなくなるってことはないだろう」
「ほー、クレイにしちゃ珍しい判断」
いつもいつも神経質なくれえ慎重なクレイにしては、本当に珍しい。そうつぶやくと、クレイは情けない顔でつぶやいた。
「いいかげんにまとまった金額を手に入れないと、別の意味で俺達が全滅しかねないからな……」
……納得。
いつもいつも、「金がねえ」とぴいぴい言ってるパーティー会計担当の顔をちらりと見やる。
季節は秋で、冬に入りゃもうクエストに出ることもねえだろうから、このクエストが下手したら今年最後のクエストになるかもしんねえ。
それを考えたら、確かにちっと無理をしてでもマジックアイテムをわんさか手に入れてえところだろう。
ちなみに、一階では特に成果らしいものはなかった。ここの主は、大事なものは奥に隠しておくという人間としてありがちなタイプだったらしい。
その意見に納得したのは俺だけじゃねえらしく、キットンもノルも深く頷いている。
「そうですねえ。全く貧乏ってのは辛いものです。ぎゃっはっはっはっは」
何がおかしいのか爆笑しながら、キットンが立ち上がった。
そのまま、壁にもたれたそのとき。
「おやあ?」
きらん
普段ぼさぼさの髪に隠れて滅多に見えねえキットンの細い目が、光った。
「どーした?」
「いえ。ここ、ちょっと変だな、と思いまして」
「変?」
くるり、とキットンが振り向いた先にあるのは本棚。
何の変哲もねえように見えるが……
「ほら、ここ。ここだけ、本がやけに出っ張ってるんですよ」
「……んあ? 大型の本なんじゃねえの?」
キットンが指差したのは、本棚の一番下の部分。
確かに、そこだけ他の棚に比べて、本が出っ張っているが……それだけ大判の本なんだ、と考えれば、別に不自然なようには見えねえ。
だが、キットンにはそうは見えなかったらしく。
「いえいえ。この背表紙の様子から見ると……よっ。あああああああああああああああああ!!」
ぐいっ、と本を引き出す。その瞬間、搭のてっぺんまで響きそうな盛大な声をあげた。
俺とクレイ、ノルは一瞬耳を塞ぎ、その声に寝ていたパステル達がびくり、と目を開けた。
「な、何? 何か出たの?」
「これ! これ、これ見てください!」
きょろきょろと周りを見回すパステルを無視して、キットンは興奮した様子でぐいっと一冊の本をつきつけてきた。
本……じゃねえ。ノート?
キットンが手にしていたのは、分厚いノートのようだった。表紙には手書きの文字が書かれている。
「ええっと……メモ?」
完結な一文に、クレイが眉をひそめる。
……何だあ、このノート?
「本棚の奥に隠してあったんですよ! そ、それもですねえ。これはどうやら……」
キットンの手が、すげえ早さでページをめくり始める。そして、大きく頷いた。
「やっぱり! このノートは、この搭の見取り図ですよ!!」
「な、何だとっ!?」
聞き捨てならねえ言葉に、全員がキットンの傍に詰め寄る。
広げられたノートの中には、マップのようなものが書かれていて、いたるところに細かい字でびっしりと書き込みがされていた。
「これ、一階の見取り図だな。おいパステル、おめえのマップ貸してみろよ」
「あ……うん。はい、これ」
パステルが差し出してきたマップと、キットンが広げているマップを見比べる。
パステルの方は少々怪しい部分が山のようにあるが、それでもその二つは、大体の部分で一致した。
びっしりと書かれている文字は、仕掛けられている罠、その解除方法、モンスターの出現場所とそのレベル、弱点など。まさに至れり尽くせりな内容だった。
しかも。
「アイテムの隠し場所まで書いてあるな」
ぱらぱらとノートをめくって、クレイが感心したようにつぶやいた。
そう。このノート一冊があれば、搭のどこに何があるか全てわかる。まさに、今の俺達にとってはもっとも価値あるお宝と言えた。
「お手柄じゃないかキットン!」
「げへげへ。いえいえ、それほどでも」
確かに。あのキットンにしちゃあ、珍しい。いつもいつも、俺達には価値が理解できん薬草だキノコだにばかり目を輝かせてるからな。
とにかく、これで俄然元気を取り戻した俺達は、搭の先へと進むことにした。
これでこのクエストは成功したも同然だ、と、そう誰もが考えていたんだが……
甘かった。
俺達は甘すぎた。どこに何があるかわかってたって、それとレベルが見合うかどうか、それはまた別問題だ。
それは、二階、三階を突破して、四階に突入したときの出来事だった……
二階、三階でいくつかの小さなアイテムをゲットできた。大して目新しいアイテムじゃねえが、売り払えば生活の足しには十分になる。
ノートによれば、四階、五階と進むにつれて、もっとレアなアイテムが出現するらしい。
俺達が意気揚々と廊下を歩いていたときのことだった。
「おいパステル。この廊下は、何か罠とかモンスターが出現するとか書いてあるか?」
「ええっと、ええっとちょっと待ってね」
ノートをチェックしているのはパステル。マッパーだからな。マップチェックはあいつの役目だ。
ぐるり、と円を書くように走っている廊下。右側には窓があり外が見える。左側には、ぽつん、ぽつんとドアが並んでいる。
「えっと……ここ。この部屋には、アラームっていう罠が仕掛けられているみたい」
すぐ真横のドアを指差して、パステルは頼りない視線を周囲に向けた。
「それで……この、もう一つ先の部屋には、アイテムが一つあるみたい。アイテムのまわりにはガーディアンっていうモンスターが配置してあって、弱点は冷気だって」
「よし。それなら、ルーミィの出番だな。ルーミィ、コールドの準備をしておけよ」
「わかったおう!」
パステルの言葉に、クレイとルーミィが元気な声をあげる。
やれやれ、どこに何があるかわかってるってだけで、こんだけ楽になるもんなんだな。
「パステル。こっちのドアは?」
ノルが、既に通り過ぎたドアを指差すと、パステルはうーん、と眉をひそめて、言った。
「そこは、空き部屋で。罠もモンスターも無いけど、アイテムも無いって書いてある」
「んじゃあ、行く必要はねえな。うし、アイテムの部屋に行くぞ」
剣を構えたクレイを戦闘にして、アイテムがある、という部屋のドアの前へ移動する。
一応簡単なチェックをしてみたが、別にドアには何の罠も仕掛けられてなかった。鍵はかかっていたが、そんなもんは俺の手にかかりゃあ、一分足らずで開けられる。
「よっ……こうして……おし、開いたぜ」
がちゃんっ、と鍵を解除した、そのときだった。
うーっ、うーっ、うーっ、うーっ……
突然、非常に不吉なアラーム音が、部屋の中から響き渡った。
「…………」
シーン、とその場が静まり返る。
その視線が、一斉にパステルのところに集まった。
「おい」
「あ、あれ? ええっと……ええっと……」
おろおろとドアとマップを見比べて首を傾げるパステル。
おい、まさか……
「貸せっ!」
その手からノートを奪い取り、視線を走らせる。
……このバカ!!
「やべっ、アラームトラップが発動しやがった!! 一分以内に退去しねえと、モンスターが来るぞ!!」
「な、何っ!? だって、アラームトラップは……」
「このバカが、部屋一つ分見間違えたんだよっ!!」
べしっ、と蜂蜜色の頭をはたき倒す。パステルは、今にも泣き出しそうな顔で、「ご、ごめん」と小さくつぶやいた。
全く……どこまでボーッとしてんだよこいつは!?
睨んだところで、一度発動した罠が解除できるわけじゃねえ。アラームで引き寄せられるモンスターは、結構な高レベルモンスターらしい。
俺達は、迷わず退去を選択して……
「きゃあああああっ!?」
パステルの悲鳴に、全員が足を止めた。
……挟みうちか!?
廊下の先から、モンスターが押し寄せてくる気配。
同時に、俺達が来た方向……階段からもモンスターが来る気配。
やべっ、洒落になんねえぞ、こりゃ!!
「どーするクレイ!?」
「数が多すぎるな……隠れてやり過ごそう!!」
クレイの言葉に、全員が一も二もなく頷いた。
ぐずぐず迷っている暇はねえ。ばんっと目の前のドアを開ける。
部屋に飛び込むと同時、廊下が一気に騒がしくなった。内側からドアの鍵をかけて、どうにかこうにか一息つく。
「ほ、本当にごめんね……」
パステルが、しょんぼりとつぶやいた。床に座りこんで、かなり情けねえ顔をしている。
「全くなあ……おめえって奴は」
「待て、待てってトラップ」
俺がいつもの悪態をつこうとしたとき、クレイが口を挟んできた。
「パステル、大丈夫か? 大分疲れてるみたいじゃないか」
「……え?」
クレイの言葉に、パステルが顔を上げる。
その目は充血していて、寝不足、というのが一目でうかがえた。
……そんなこと、俺はとっくに気づいてたけどな。気づいてたが……
「あんまり寝てないんじゃないのか……? 疲れてるときは無理せずに言えよ」
「う、うん……」
「けっ、甘いなあ、おめえは」
気づいてはいたが。優しく慰めるクレイと、それに素直に頷くパステルを見ていると、猛烈に腹が立ってきた。
クエストに出る、なんてのは急に決まったことでも何でもねえ。睡眠をしっかりとるなんてのは、冒険者やってる以上常識みてえなもんだ。
原稿は片付けてたはずだ。こいつが何で寝不足なのかは知らねえが……何にしろ、それで疲れが残ったってそんなのは自業自得ってもんだ。
「疲れてるときは、誰だって注意力が散漫になるもんだろ? そんなきつい言い方しなくたっていいじゃないか」
「だあら、それが甘えっつってんだ。こいつが寝不足になったのは誰のせいでもねえ、こいつの責任だろ? それでパーティー全員を危険にさらしてんだ。びしっと言ってやるのが当然だろうが」
「……だから、お前の言い方には思いやりがないんだよ」
はあっ、とため息をついて、クレイは言った。
「誰にだって失敗はある。トラップ、お前だって失敗したことはあるだろう? どうしてお前、パステルにそう厳しいんだ?」
「…………」
一瞬、答えにつまった。
パステルにばっかり厳しい理由。それは……
……照れ隠しと焼きもちだ、なんて……言えるわけねえだろ!?
俺だってできれば優しくしてやりてえ。だけど、そんなのは俺の柄じゃねえし、いつだって優しい言葉をかけるのはクレイの役目だ。俺の言葉にはいちいち反抗するパステルも、クレイの言葉なら素直に聞きやがる。
それが気にくわねえから、クレイになら素直に甘えてみせるあいつの姿が腹が立つから……そんなの、言えるわけねえだろっ!?
「ば、ばあか! 甘えさせたってろくなことがねえだろ? こいつの方向音痴のせいで、俺達が今までどんだけ危ねえ目にあってきたと思ってる!?」
びしっ、とパステルを指差して言うと、今にも泣きそうな顔をされてしまった。
……勘弁してくれ。頼むから泣くな。
「おめえらが甘やかすから、こいつはいつまで経っても進歩しねえんだぞ!? いつまでも俺達が一緒にいてやれるわけじゃねえんだ。厳しい? 俺が、何か間違ったことをこいつに言ったことがあったかよ!?」
それも、ある意味では本音には違いなかった。甘やかしたくはねえ。できる限り自分の力で何とかできるようになって欲しい、自立して欲しい。それも間違いなく俺の本音だ。
優しくしたくないわけじゃねえ。だけど、クレイがいるから……それができねえ。
そんな、俺の気持ちが……おめえらにわかってたまるかよ!
俺とクレイの言い争いに、キットン、ノル、ルーミィとシロはおろおろして、パステルはぎゅっと唇をかみしめてうつむいた。
どうしようもなく重たい沈黙が流れる。それを最初に破ったのは、キットンだった。
「あの……今日は、もう遅いですから」
視線が、一斉に集まる。それにちょっと身を引きつつ、キットンは必死に言った。
「この部屋は、何も無い部屋、でしたよね。……今日は、ここで休んではどうでしょう?」
窓の外は、確かにもう暗かった。
一瞬クレイと目が合ったが、あいつもそれ以上何も言うことはなかったらしい。
結局、俺達はそのまま、そこで休むことにした。
……甘かったのは、何でそのとき、俺達はもう一度ノートをよくチェックしなかったのか、ということ。
罠もなければアイテムもない、何も無い部屋。
どうしてそう思ったのか。そう言ったのが誰だったのか。そんなことをすっかり忘れて、俺達は思い思いに、床に腰を下ろした。
部屋は割と広かった。床には絨毯がしきつめられている。
壁にはベッドが二つ。部屋の真ん中にはテーブルとソファが二つ。
かなり夜も更けていたし疲れてもいた。俺達は、食事の後、早々に眠ることにした。
一番奥のベッドにパステルとルーミィとシロ、隣のベッドにクレイとキットン、俺とノルがソファを一つずつ占領する。
明かりが消えて、真っ暗になった部屋の中。全員すぐに寝入ったらしく、部屋には寝息だけが響いていたが。
俺はなかなか寝付けなかった。
寝息だけが、やけに目立つ部屋の中。
押し殺したように響く泣き声が、いやに耳について離れなかったから。
その原因が俺の言葉にあるとわかるだけに……何も声がかけられなくて。
そんな自分が、情けなかったから。
夜は随分長かった。
翌朝。
眠れねえ、と思っていたが。どうやら、いつの間にか浅い眠りについていたらしい。
「おい、トラップ。起きろ、起きろってば!!」
乱暴に揺さぶられて、ぼんやりと目を開ける。
寝不足特有の鈍い頭痛。目がちかちかして、頭がぼんやりする。
……昨日のあいつも、こんな状態だったんだろうな。
何となく、そんなことを思う。
眠りたくたって、眠れねえことだってある。何か悩みがあったとか……あいつの心の中なんて、俺達にはわかりゃしねえんだから。
……ちっと、きつく言い過ぎたかな。
今更しても仕方のねえ後悔がわきあがる。……俺らしくねえ。
ぶんぶんと頭を振って、その考えを振り払う。
もう終わったことだ。悔やんだって仕方がねえ。今日もこの後搭の攻略なんだ。忘れろ、忘れるんだ。
「おおい、全員起きたかあ……キットン、おい、起きろってば」
「ううーん……」
俺が目を覚ましたのを見て、次にキットンを起こしにかかっているのはクレイ。
ノルも俺の向かいでうーんと伸びをしている。
ゆっくりとソファから起き上がる。そのときだった。
「おい、パステル、ルーミィ、起きろって……」
「うーん、ルーミィ、お腹ぺっこぺこだおう……」
「おいおい……ほら、起きて」
視線を向けると、クレイがルーミィとシロを抱き上げていた。そして、いまだ横たわったままのパステルの身体を揺さぶっている。
あいつが、一番遅いなんて珍しいな……
そんなことを考えていたとき。
「パステル……おい、パステル!? どうした、おい、おい!!」
クレイのただならぬ声に、全員の視線が一斉に集まった。
な、何だ!? 何が起きた!?
「どうしたっ!?」
「パステルの様子が、おかしいんだ」
「おかしいって……」
真っ青になったクレイを押しのけて、パステルの顔を覗きこむ。
目を閉じて、幸せそうな顔で眠っている。眠っている……ように見えた。
いくら揺さぶっても、声をかけても、頬をはたいても、その表情はぴくりとも動かなかった。
「おい、パステル、パステル!! おいっ」
「ど、どうしたんですか!?」
がくがくとパステルの身体を揺さぶっていると、後ろからキットンの声がかかった。
「キットン、こいつを見てやってくれ! 何か様子が変だ!!」
「は、はいっ!?」
がばっと小脇に抱えあげてパステルの方につきつけると、キットンは目を白黒させていたが、そのうち嫌でも俺の言いたいことがわかったんだろう。その目が真剣になった。
パステルの腕をつかんだり顔を覗き込んだりして、ふんふんと頷いている。
「おい、どうだ? こいつ、どうしたんだよ?」
「ぱーるぅ、どうしたんだあ……?」
「おい、キットン?」
俺、ルーミィ、クレイの声が響く中。キットンは、顔色を変えてだーっと荷物の方に走りよった。
つかみ出したのは、搭の詳細が記されたノート。
「キットン?」
「……あああああああああああああああああああああ!!!」
ばらばらばらっ、とすごい勢いでページをめくって、キットンは盛大な悲鳴をあげた。
「おいっ!?」
「ま……まずい、です」
「まずいって、何がまずいんだよ!?」
俺が詰め寄ると、キットンは、真っ青になって言った。
「罠……です」
「罠あ? この部屋には、何も無かったんじゃねえのか?」
「いえ……それは、この隣の部屋の話です! この部屋はっ……」
キットンの言葉に、全員の顔色が変わった。
罠もアイテムも無い、そう言ったのはパステルだった。部屋を一つずらしてマップを見ていたあいつの言葉。
……昨夜もっとしっかりチェックしとけばっ……
「それで、パステルがかかった罠っていうのは、一体何なんだ!?」
クレイが詰め寄ると、キットンは、ごくりと息を呑んで言った。
「夢に、囚われる罠です」
「夢……?」
「あ、あのベッドには……」
キットンの震える指が、パステルが寝ているベッドを指差した。
「あのベッドには、ある魔法の罠がかけられています。あそこのベッドで寝た者は、夢の世界の住人になってしまうんです」
「夢の世界?」
話が見えねえ。俺が視線で促すと、キットンは興奮した様子でしゃべりまくった。
「文字通りです。その人の理想の世界、と言いますか……この場合はパステルなんですけど。眠った人間が理想とする世界、それを夢に見るんです。そして、その夢を現実の世界だと誤解して、そのまま永遠に目覚めなくなってしまう。
それが罠の内容です。今、パステルは幸せそうな顔をしているでしょう? おそらく、彼女は今、自分が夢に描いていた世界で、幸せに暮らしているはずです」
「…………」
とんでもなく重たい沈黙が流れた。
あいつが、夢見ている世界……
「何で、パステルだけなんだ? ルーミィとシロだって寝ていたんじゃないのか?」
クレイの言葉に、キットンはノートに目を走らせた。
「どうやら、この罠は、魔法に対する抵抗力が鍵になっているようですね。ルーミィは魔法使いですし、シロちゃんはホワイトドラゴンですから。抵抗力が高いんでしょう。それで、罠にかからずにすんだ……ようです」
「そんで!? あいつは、あのままだとどうなるんだよ!?」
続いて叫んだ俺の言葉に、キットンの重い言葉が返って来た。
「それは……大体、想像がつくんじゃないですか? このまま目が覚めなければ、いずれ身体の方は衰弱して……死にます」
その答えに、頭の中で何かが切れた。
「っ……ふ、ふざけんじゃねえぞ!? あ、あいつが死ぬだとお!?」
「ぐえっ!!」
ぐいっとキットンの襟元を締め上げる。キットンを責めたって仕方がねえことはわかっていたが、そうせずにはいられなかった。
「何かねえのか!? こんなところでこいつが死ぬわけねえだろ、こんなところでパステルを失ってたまるかよ!? おい、何か方法はねえのかよ!!」
「トラップ、落ち着いて」
ぐいっ、と俺を背後からひきはがしたのは、ノルだった。
振り仰げば、妙に優しい目が、俺を見据えている。
「落ち着いて、キットンの話を聞こう」
「…………」
動揺。パステルが死ぬかもしれねえと聞いた瞬間、取り乱した理由。
それを全部見透かされたような気がして、急に決まり悪くなって、俺は目を伏せた。
「……わりい。そんで?助け出す方法は、ねえのか?」
「げっほげほっ。え、ええっと、ですね……」
俺の言葉に、キットンは、閉じてしまったノートをもう一度開いた。
罠の説明がされているらしき場所に目を走らせて、そして顔をあげた。
「助け出す方法は、一つあります」
「何だ?」
「夢の世界に入って、迎えに行くんです」
『はあ?』
俺とクレイの声がはもった。
夢の世界に……入る? できんのか、そんなことが!?
「どういうこった?」
「ええっとですね。この罠にかかるには魔力がゼロでなければいけないんですが、逆に罠にかかった人を救い出すためには、魔力がある人でないといけないようですね。
罠にかかった人の隣で魔力のある人が眠ると、囚われている夢の世界へもぐりこむことができます。そこで、囚われている本人を見つけ出して、ここが夢の世界であり現実ではない、ということを認識させれば、助け出すことができるそうです」
その言葉に、全員の視線が複雑にからみあった。
俺達の中で、魔力がある人間。
それは三人しかいねえ。ルーミィと、キットンと……そして、俺。
何で俺に魔力があるのかはわからねえ。別に魔法が使えるわけでもねえ。それでも、確かに俺にはわずかだが魔力がある。
「トラップ……」
「……俺が行く」
クレイに声をかけられた瞬間、迷わず頷いた。
俺しかいねえと思った。いつだって、迷子になったあいつを迎えに行くのは俺の役目だった。
パステルを助け出せるのは、俺しかいねえ。
「俺が、あいつを連れ戻してくる」
そう言うと、全員が一斉に頷いた。
「トラップ、気をつけてください」
眠りにつく前。キットンは神妙な顔で言った。
「一度夢の世界に入ってしまったら、もう外にいる私達ではどうすることもできません。戻ってくるためには、パステルを納得させて夢の世界を破壊してしまうしかないんです。お願いしますよ」
「わあってるって。安心しろ」
正直に言えば、怖い、という気持ちがないわけじゃねえが。
それでも、これしか方法がねえのなら。ためらいはなかった。
俺が言うと、キットンは複雑な表情で俺とパステルを見比べた。
「後、ですね」
「あんだよ。まだ何かあるのか?」
「はい。夢の世界では、パステルがパステルであるとは限りませんので注意してください」
「……あんだと?」
聞き捨てならねえ言葉に、ぴくりと反応する。
「どういうこった?」
「夢の世界は、創造主の思いのままです。例えば……極端な話ですが、パステルが猫のように一生人に飼われてただ昼寝だけをして暮らしたい、と思っていたとしますよね? すると、夢の世界ではパステルが猫になっていることもありえるんです」
「…………」
「例えば、過去の……ご両親との幸せな生活を夢見て、13〜4歳の姿になっていることもありえますし、そればっかりは、我々にも想像がつきません。それに、ですね。これがもっとも重要なことなんですけど」
ごくん、と息を呑んで、キットンは言った。
「パステルの夢の世界では、トラップ、あなたは侵入者です。もしパステルにそれと気づかれて、そしてあなたが拒絶されたら……あなたの存在を生かすも殺すも、それはパステルの思いのままなんです。どうか、くれぐれも気をつけてくださいよ?」
「…………」
シーン、と重たい沈黙が流れた。
「トラップ……」
クレイの不安そうな声が、やけに耳に残る。
……びびって、どうする。
これしかねえんだ。俺が行かなきゃ、パステルは死ぬんだ。
パステルを助け出す。例え、こいつがそうと気づいてはいなくたって……いつだって、俺はこいつを守ってやると、そう思っていたんだ。
今回だって同じだ。おめえは、絶対に俺が助け出してみせる!
「わかった」
返事はそれしか思いつかなかった。
布団をまくりあげて、パステルの隣に滑り込む。
伝わってくる、柔らかな身体と暖かい体温。
一瞬どきんと心臓がはねたが、それも一瞬のことだった。
目と鼻の先にある、蜂蜜色の髪の毛と、白い頬、桜色の唇。
そんなものを目におさめた瞬間……俺は、耐え難い睡魔に襲われて、そのまま目を閉じた。
どんな世界で、どんな姿をしていようと。
おめえを絶対に見つけ出してみせるからな……!
ぱっと目を開けたとき。
目の前に広がっていたのは……エベリンの街並みだった。
「……はあ??」
一瞬状況がつかめなくなる。ええっと……こりゃ、どういうこった?
きょろきょろとまわりを見回すが、そこは確かにエベリンの街、だった。
ここが……あいつの夢の中の世界?
「うおっ!?」
目の前を見慣れた姿が横切っていって、慌てて物陰に隠れる。
そんな俺の姿を見て、周囲の人間が不審そうな目を向けてきた。……どうやら、俺の姿はちゃんと実体を伴ってまわりの人間に見えているらしい。
そんな俺の姿に気づかず、通り過ぎていくすげえ見慣れた人影……
俺達、だった。
クレイ、ルーミィ、キットン、ノル、シロ。その先頭を歩いているのは……パステルと、この俺。
「だから、迷子になったんじゃないってば!」
「へっ。あれを迷子って言わなくて何を迷子っつーんだよ。ったく、捜す方の身にもなれよなあ?」
聞こえてくる会話、声。そのどれもが聞きなれたあいつの声、だった。
……どうやら、キットンの心配の一つは、杞憂に終わったらしい。
別に現実世界と何も変わらねえパステルの姿を見て、少しばかり安心する。
今の自分を否定してるわけじゃ……ねえみてえだな。
それにしても。これが、あいつの願った世界?
覗いている俺の存在に気づくことなく、パーティーはずんずんと歩いていく。向かっている先は……
「……あっちにあるのは、確か」
マリーナの店、だな。
そっと後をつける。気づかれるわけにはいかねえ。何しろ、夢の世界にもしっかり「俺」が存在してるからな。
生かすも殺すもパステル次第。もし、パステルがこの世界での異端者である俺に気づいたら……
ぞっとしねえ考えが浮かんで、慌てて頭を振った。今はそんなこと考えてる場合じゃねえ。
それにしても、どうすればいい? パステルはあっさり見つかったが、このままじゃ近づけねえ……
後をつけていくと、思った通り、辿り付いたのはマリーナの家だった。
パステルがドアをノックすると、これまた現実世界と何ら変わらねえマリーナが顔を出し、パステルに抱きついている。
「いらっしゃい! 久しぶりねー!」
「マリーナ、今日は呼んでくれてありがとう!」
「ううん、いいのよ。わたしも久しぶりにあなた達と話したかったんだから。さ、入って入って!」
マリーナの言葉に、メンバーがぞろぞろと家の中に入っていく。
……どーすりゃいいんだ?
「うーん……」
夢の世界で自由に動き回るためには……ようするに、夢の中の「俺」が邪魔なんだよな。あいつと取って代わることさえできれば……
古典的な方法だが、これしかねえよな。
家のドアに忍び寄って、ごんごんとノックする。
「はーい?」
「すいません。シルバーリーブからの使いなんですけど、そちらにトラップさん、来ておられますか?」
鼻をつまんで声色を変えてしゃべると、マリーナは特に疑いも抱かなかったらしい。
「はい……トラップ! あんたにお客さんよ!」
「あんだあ?」
……自分の声ってのは耳で聞くと何か変な気分だ。
がちゃん、とドアが開く。素早くその影に身を隠し、「トラップ」が顔を覗かせたところで……
ぐいっとその腕をつかんだ。素早くドアを閉める。
夢の世界の「俺」が、俺を見てぎょっとしたように動きを止めた。
「おめえ……」
悪い、しばらく寝ててくれ。
自分の身体だと思うと非常に気がひけたが。
次の瞬間、俺の拳は、「俺」のみぞおちにめりこんでいた。
何しろ夢の世界だろうが「俺」は「俺」だ。
下手な縛り方したところで縄抜けなんかお手のもんだろう。盗賊縛りでぐるぐるまきにしてさるぐつわを噛まして、さらにその身体をどっかの店の裏に山と積んであった空き箱の中に押し込める。
ここまですりゃあ、さすがの「俺」でも抜け出すのには手間がかかるだろう。それ以前に、遠慮なく殴ったからなかなか目が覚めねえだろうけど。
うし。とりあえず、これで入れ替わることはできた。
……後は、どうやってパステルを納得させるか、だよな。
考えながらマリーナの店に行く。
できればパステルと二人っきりで話した方がいい……よな。他の連中が後ろからごちゃごちゃ声をかけてきたら、ややこしいことになりそうだしな。
ドアをくぐって店の中に入ると、店番をしていたらしきマリーナが振り返った。
ばれるか、と一瞬冷や汗が流れたが。
「トラップ。早かったわね、誰だったの?」
とんできたマリーナの声に、密かに安堵する。
……ばれてねえ。俺が「この世界の」俺じゃねえことは、ばれてねえ。
……よし。
「大したこっちゃねえよ。それよか、他の奴らは?」
「キットンとノルは奥にいるわよ。ルーミィとシロちゃんはお昼寝してるわ」
「そっか」
……って、おい。
「パステルとクレイは?」
「あの二人はデートじゃない?」
さらり、と返って来た返事に、一瞬身体が強張った。
「……デート?」
「多分そうじゃない? あの二人もねえ、鈍い者同士だからどうなることかと思ったんだけど。何とかうまくいってよかったわよね」
マリーナの声はのんびりしたもんだ。ごくごく当たり前のことを言っている、そんな口調。
うまく……だと?
「そうだな……デートか。まあそうだろうな」
声が震えるのがわかった。
デートするような関係。うまく行く。
それは、つまり……つまり、あれか? 夢の世界では……クレイとパステルは、両思いになって、恋人同士になっている、と……そういうことか?
これが、パステルの望んだ世界?
「羨ましいの?」
かけられた声に視線を上げると、マリーナの面白そうなものを見るような視線がとんできた。
「わたし達もしましょうか?」
「あに言ってんだばあか。俺はちっと休む。飯になったら起こしてくれ」
「はいはい」
マリーナの傍をすり抜けて、店の奥へと行く。
……これが、パステルの望んだ、世界。
つまり、あいつは……クレイのことが……
心に穴が開いたような気分だった。
考えるのが面倒になって階段を上る。空き部屋の一つにもぐりこんで、俺はベッドに転がった。
……わかってたこと、じゃねえか。
あいつが、俺のことなんかちっとも見てねえのは、わかりきってたことだ。
そうである以上、いずれは他に好きな男ができる……それがたまたまクレイだったってだけだ。それだけの話だ。
……ショックを受けて、どうする。
ここは偽りの世界。ここで幸せになったって、仕方がねえ。
クレイだってパステルを嫌ってるわけじゃねえ。あいつは鈍いから、おめえの気持ちになんか気づいてもいねえだろうけど。
告白さえしちまえば、案外どうにかなるかもしれねえだろ?
現実を見ろよ……パステル
縛り上げた夢の世界の「俺」がいつ戻ってくるかわかんねえ。
あんまりのんびりしてる暇はねえ。
それはわかってはいたが……俺は、動く気になれなかった。
がちゃんっ
階下から響いてきたドアの開く音に、俺はとびおきた。
気がついたら寝ちまっていたらしい。目をやると、窓の外は暗くなりかけていた。
……まさか、「俺」が帰ってきたのか!?
一瞬そう思ったが、響いてきた「ただいまー」という声は、よく通る女の……パステルの声だった。
その後に、「悪い、遅くなった」と言ってるのは、クレイ。
……デートから帰ってきたのか。
そっと部屋を出る。
こんな夢の世界……早く壊してやるのが一番だ。
それは、俺の醜い嫉妬心がそう思わせてるのかもしれねえ。だけど、何にしろ……あんまりのんびりしてるわけにはいかねえのも、事実だ。
時間が経てば経つほど、現実世界のパステルの身体、そして俺の身体は衰弱していく。早く戻らねえとやべえんだ。
そう自分に言い聞かせて、俺は階段の方へと歩いていった。
上から見下ろすと、パステルとクレイが楽しそうにしゃべりながらソファに腰掛けているのが目に入った。
っ……落ち着け。あれは、夢の世界のクレイだ。パステルが作り出した都合のいい幻想なんだ。
現実の光景じゃ、ねえ。
「おい、パステル」
声をかけると、パステルがふっと目を上げた。
からみあう視線と視線。
「トラップ。何?」
「ちょっと、こっちに来てくんねえ?」
「え? 何か用?」
「ああ。ちっとな」
俺の言葉に、パステルは「ちょっとごめんね」とクレイに声をかけてから、階段を上ってきた。
……おめえの目を覚ましてやる。こんな偽りの幸せに浸ってる場合じゃねえんだ。
ぐいっ、と手を引くと、「きゃあ!?」という小さな悲鳴が響いた。有無を言わさず、その身体をさっきまで俺が寝ていた部屋に引きずり込む。
「ちょっと、トラップ! 一体何の用なの!?」
「……あー、ええと、な」
バタン、とドアを閉めて振り返る。パステルは、腰に手を当てて、えらく不満そうな目でにらんできた。
……何を言えばいいんだ?
ここは夢の世界で現実じゃねえ。そう言い放ってやるのが一番なんだろうが。
それを、素直に受け入れるかどうか。
「ええと……く、クレイとのデートは、楽しかったか?」
そう聞くと、パステルの頬が真っ赤に染まった。
「な、何でそんなこと聞くの?」
「いやっ……え、ええとな……」
否定しねえってことは、デートしてたのは間違いねえのか。
「あのな……おめえ、何か変だと思わねえ?」
「……何が?」
「何がって……」
「トラップ、どうかした? 何か様子が変だけど……」
パステルの目が、段々と不審の色に染まっていく。
……この夢を作り出したのはパステル。逆に言えば、パステルの思い通りの言動をする奴しか存在しねえ。
パステルにわからねえことはないはずだ。……そのあたりをつくか? いっそ不審な態度を取り続けて、俺が現実世界から迎えにきたってことを……
「……夢みてえだと思わねえか?」
「え?」
口をついて出たのは、事実をずばりと告げる、それでいて不自然には聞こえないように気を使った、そんな言葉。
「夢?」
「クレイと恋人同士になれたなんて、夢みてえだと思わねえ?」
「……どういう意味よ」
声に不機嫌そうな色が混じる。……怒らせたか?
「だってよ、おめえみてえな特別美人でもなけりゃスタイルがいいわけでもねえ女が、クレイみてえな色男をつかまえただなんて、普通ありえねえだろ?」
「なっ、何よっ、その言い方っ!!」
……怒らせたか。まあ無理もねえけど。
俺の言葉に、パステルの顔が真っ赤に染まった。握り締めた拳がぶるぶると震えている。
「そ、そりゃあ、わたしはマリーナみたいに美人でもないしグラマーでもないけどっ……何よ。そんなこと言うためにわざわざ呼び出したの?」
「いや……」
「何よ。そういうトラップの方こそ、夢みたいな気分なんじゃない?」
「……は?」
唐突にとんできたのは、そんな言葉。
……意味がわからねえぞ? どういうことだ?
「俺が?」
「だって、トラップの方こそ。マリーナと恋人同士になれて、夢みたいな気分なんじゃない? ずっと好きだったんでしょ? 良かったじゃない」
「……はあ!?」
な、何だそりゃ。俺と……マリーナ!? 何でそんな話が出てくるんだ!?
「お、おめえ、あに言って……」
「そりゃ、夢みたいに幸せだなあって思うよ」
俺の言葉を遮って、パステルは微笑んだ。心から幸せそうな顔で。
「クレイみたいな素敵な恋人ができるなんて、夢みたいって思うよ。だけど、それはお互い様じゃない? マリーナって、あんなに美人でスタイルが良くて、その上すっごくいい子なんだもん。トラップだって、夢みたいって思わない?」
「あ……ああ」
返す言葉が見つからねえ。
パステルの理想の世界。それは、パステルとクレイが恋人同士で……俺とマリーナが恋人同士。
そういう世界……なのか?
一瞬沈黙が流れた。パステルのまっすぐな目が、俺を見つめている。
そのときだった。
「パステルートラップ! 夕食の準備、できたわよ!」
階下から響く、マリーナの声に、パステルの表情が動いた。
「あ、ご飯だって。行こう」
「……ああ」
どうすりゃいいんだ。
夢みたいに幸せだ、とあんな顔で微笑まれて。
どうして、「俺はこの世界を壊しに来た」なんて言える……?
現実世界で、クレイとパステルが恋人同士になることは……ありえるかもしれねえけど。
俺とマリーナが恋人同士なんてまずありえねえな。マリーナが惚れてるのはクレイだろうし。俺が惚れてるのは……
「トラップ?」
「……今行く」
パステルの声に、俺は重い腰を上げた。
飯を食った後。
そっと家を抜け出して夢の世界の「俺」の様子を見に行くと、まだ縄と格闘していた。
……結び目を手の届かねえ場所にしといて正解だったな。
そのみぞおちにもう一度拳を落として、しっかりと縛りなおす。
悪いな、俺。許してくれ。どうせおめえは偽りの存在なんだ。
ちょっと頭を下げて、家へと戻る。
どうやら、皆は部屋に引き上げたらしい。台所では、パステルとマリーナの二人が、皿を洗っていた。
……どうすりゃ、いいんだ。
何て声をかければいい? どうすれば、パステルを目を覚まさせることができるんだ?
「あら、トラップ。どこかに出かけてたの?」
ふっ、とマリーナの視線がこっちを向いた。つられて、パステルも振り向く。
その目をまっすぐに見れなくて、俺は返事もしねえで階段を上った。
……どうすりゃ、いい?
空き部屋のベッド。普段マリーナの家に泊めてもらうときは、居間あたりで雑魚寝をしてるときが多いんだが……今日はとてもじゃねえけどそんな気になれねえ。
冷静になれ、とどれだけつぶやいても。頭の中がぐちゃぐちゃになってわけがわからなくなる。
どうすればいいのか。
パステルの幸せそうな顔を見ると、一瞬とはいえ、この世界を壊すことにためらいを覚えた。
あいつのあんな表情、現実世界では、見たこともなかった。
……壊すしかねえって、わかってるのに。
ベッドに転がって、そんなことを延々と考え続ける。
それが中断されたのは、遠慮がちに響くノックの音のせいだった。
「……あんだ?」
「やっぱり、ここにいたのね」
顔を覗かせたのは、マリーナだった。
その姿は、既に寝巻き姿になっている。
「何か用か?」
「まっ、ご挨拶ねえ。それが久しぶりに顔を合わせた恋人に言う台詞?」
びしっ
言われた言葉に一瞬背中が強張った。
恋人。俺と、マリーナが。
……白状すれば、ずっとずーっとガキの頃……パステルに会うずっと前は、確かにマリーナのことを好きだ、と思っていた時期があった。
もっとも、あいつはガキの頃からクレイのことしか見てなかったから、それを表に出すような真似はしなかったが。
だけど、パステルと出会って。その「好き」は、何て言うのか……本気じゃねえと思った。
マリーナを好きだ、と思っていたのは、友達に対する好き、あるいは妹に対する好き、そんなもんだとわかった。
……それなのに。今更っ……
「マリーナ」
「多分、ね。クレイとパステルも、今頃……」
そう言いながら、マリーナはベッドに滑り込んできた。
胸が、俺の腕に触れた。それに気づき、一瞬身を引こうとしたが、マリーナに腕をつかまれた。
「マリーナ……」
「せっかく来てくれたのに、今日はろくに話もできなかったじゃない?」
微笑むマリーナの顔は、えらく色っぽかった。
ずっとガキの頃から知っていたのに、気づかなかった。こいつが、いつの間にか立派な「女」になってたことに。
「マリーナ、おめえ……」
すっ、とマリーナの手が伸びてきた。シャツのボタンが外され、隙間から胸元へ滑り込んでくる。
「っ……おめえ……」
「滅多に、会えないんだもの……」
囁き声が、耳に届く。
ぐっ、とマリーナの身体がのしかかってきた。そのまま、どん、と倒れこむ。
ズボンのファスナーがひきおろされ、マリーナの細い指が、俺のナニをつかみ出した。
「つっ……ちょ、ちょっと待てっ!!」
「あら、どうしたの? ……いつも、やってることじゃない」
いつも!?
パステルの中では……俺とマリーナは、そういう関係に思われてるのかっ……?
すっ、とマリーナの手が動いた。巧みな指の動きに、一瞬にして反応する自分自身が恨めしい。
目の前で、するりと衣擦れの音が響いた。俺の目にとびこんでくるのは、すこぶる魅力的なマリーナの裸。
「おい……」
「本当は、わたし……あんたに、一緒に暮らして欲しいって、思ってるのよ……?」
ぐいっ、と腕を捕まれた。俺の手を、自分の胸に押し付けるようにして、マリーナは言った。
「わたしなら、母さんとうまくやっていく自信もあるし……ねえ、ドーマに、一緒に帰ってくれるつもりは……まだない?」
「…………っ」
返事どころじゃねえ。
目の前で揺れるマリーナの胸。反応しきったナニ。
マリーナの唇が俺の唇に吸い付いてきた。もぐりこんできた舌が、俺の舌をからめとる。
……やべえ。これは……やべえっ……
弾けそうな理性を必死に繋ぎとめる。
……違う。俺が、俺が惚れてるのは……おめえじゃ、ねえっ!
ぐっ、とマリーナの手首をつかみあげる。
きょとんとしたマリーナの目が、痛かった。
……ここで本音を告げるのは、えらく危険なことかもしれねえ。
創造主の思うままに行動しなけりゃ、侵入者と気づかれて排除される。すげえ危険な行動。
……それでもっ……
裏切れねえ。俺は自分の気持ちを……パステルを裏切ることができねえっ!
「わりいな、マリーナ」
「トラップ……?」
「わりい。おめえを抱くことは、できねえ」
「トラップ、何言って……」
表情を変えるマリーナの目を真っ直ぐに見つめる。
おめえが嫌いなんじゃねえ。だけど、俺は……
そのときだった。
どぐん、と、心臓がはねた。
マリーナの目。俺の拒絶に、心底不安そうな……傷ついたような目をして、じっと見つめてくる、目。
……この、目は……
「おめえ……」
「え?」
それは直感だった。
何の根拠もねえ。俺の都合のいい願望そのままの考え。
間違っていたら取り返しのつかねえ結果になる。それでも……
俺は、言わずにはいられなかった。
「おめえが、好きだ」
「……トラップ?」
それが、俺の本音だ。
そして、恐らくは……おめえが望んでいる、言葉。
「おめえのことが好きだ、パステル」
そう言った瞬間。
マリーナの身体が、強張った。
「何、言ってるの?」
答えるマリーナの声は、震えていた。
「あんた、いくら何でも酷いわよ? 恋人に対して、他の女の名前を呼びかけるなんて」
「…………」
「パステル……って。彼女には、クレイっていう立派な恋人がいるじゃない。トラップ、何言って……」
「パステル」
呼びかける。
根拠なんか何もねえ。だけど、直感的にわかったんだよ。
おめえの目を見たときに。マリーナの顔をしていても、目だけは……あのときのおめえと同じだった。
俺が冷たい言葉を吐くたびに、いつも向けてきた目。親に捨てられた子供のような、寂しそうな、すがりつくような目。
細い手首をつかんで、強引に抱き寄せた。抱きしめると、ぬくもりが確かに返って来る。
「間違えるわけが、ねえんだ」
耳元で囁きかけると、マリーナの身体が、震えた。
「間違えるわけがねえ、俺がおめえを間違えるわけがねえんだ、パステル」
「……だからっ……トラップ、あんた何言ってるの!?」
腕の中で、白い身体が身もだえする。
「いくらわたしでも……怒るわよ?」
「ああ、いくらでも怒れ。おめえの気持ちをわかってやれなくて悪かった。いくらでも怒ればいい。だあら……帰ろう」
もがく身体を力いっぱい抱きしめる。
気づかなかった。
おめえは、俺のことなんざ見てもいねえと思っていた。
俺の都合のいい考えかもしれねえ。ただの勘違いかもしれねえ。
それでもっ……俺はそう思いたい。
おめえも、俺のことが……
「いつもおめえはマリーナを羨ましいって言ってたな。美人でスタイルが良くて頭が良くて性格もいい。欠けたところが何もねえ完璧な女だって、そう言ってたな?」
「…………」
「そうだな。マリーナには確かにすげえ山のように長所がある。だけど……それは、おめえだって同じだ」
「トラップ?」
「同じなんだ、パステル。おめえにだって数えきれねえくらい長所がある。おめえはこんな愛され方がいいのか? マリーナの姿で俺に愛されることが、おめえの望みなのか!?」
「…………」
ぽつん、とシャツが濡れた。
ふと視線を横に向ければ、肩に押し付けられたマリーナの目から、涙が……こぼれていた。
「トラップ……」
「俺が……俺が好きなのはな、別に美人でもねえし幼児体型だし、ドジだし方向音痴だし、そうやって俺達に迷惑ばっかりかけて……それでもっ……」
パステルの理想の世界。
俺がいつも言っていた言葉。女は、美人で、ナイスバディが一番だと。
それを真に受けて、作り出された世界。
……そんな世界は偽りだと教えてやる。
現実に戻れば、もっと、もっと幸せになれると教えてやる。
「それでも、おめえと一緒にいるとあったかい気分になれた。どんだけ落ち込んだってすぐに立ち直って、素直で、一生懸命なおめえを見るのが好きだ。おめえの笑顔が好きだ。
俺が好きなのは……飾らねえおめえ自身なんだパステル。目を覚ませ! これは夢だ。夢の世界……偽りの世界。おめえはマリーナじゃねえ。おめえはパステルなんだ、パステル!!」
そう叫んだ瞬間。
びしっ
目の前の光景に、亀裂が入った。
抱きしめているマリーナの身体が、腰掛けているベッドが、目の前の壁が、色んなところにびしっ、びしっと亀裂が入っていった。
……壊れるっ……!?
その瞬間。
夢の世界は、崩壊した。
俺が目を開けるのと、パステルが目を開けるのは同時だった。
すぐ目と鼻の先にお互いの顔がある。そうと気づいた途端、パステルの顔が真っ赤に染まった。
「と、トラップ!? な、な、何でっ……」
がばっ、と身を起こすパステルに、「ぱーるぅ!」とルーミィがとびついた。
……戻って、来れたか。
ゆっくりと身を起こす。
わけがわからねえ、という顔をするパステル。心底ホッとした様子のクレイ達。
「……俺、どれくらい寝てた?」
「半日くらいですかねえ」
そう答えて、キットンは頭を下げた。
「お疲れ様です。……よく無事に戻って来れましたね。私、半分以上諦めてたんですけど」
「あんだとお!?」
てめえっ、それは俺とパステルが死ぬと思ってたってことか!?
ぐいっと胸元をつかみあげると、「あぎゃぎゃっ! 冗談ですってば!!」とわめき出されたが。
言っていい冗談と悪い冗談があるだろ!? 俺がどれだけ苦労したと思ってやがるっ!!
「……ねえ、どういうことなの?」
さっぱり状況がわかってねえらしいパステルが、きょとんとして言った。
「何かあったの?」
「…………」
くるり、と振り向くと、パステルとまともに視線がぶつかった。
夢の内容を覚えているのか、いねえのか。
覚えていたとしたって、どうせただの夢だと思ってるんだろうが……
「おはよ」
「……? お、おはよう」
「いい夢、見れたか?」
そう言うと、パステルはわずかに頬を赤らめて、「うん。すっごく、幸せな夢を見れた!」と、満面の笑みを浮かべて言った。
さすがにそれ以上搭の攻略を続ける気にはなれず。
まあ、当面の生活に困らねえ程度のアイテムは手に入れることができた、っつーこともあって。俺達は、早々に搭を脱出した。
夢の世界に囚われていたということは、パステルには話してねえ。
俺が、話さないでくれと頼んだ。話せば、自分の理想を俺に知られたと……パステルが、傷つくだろうと思ったから。
……何も知らねえ振りをしてやる。おめえの気持ちに気づかねえ振りをしてやる。
それから……
「おい。パステル、今いいか?」
「え?」
魔法の搭攻略から一週間。
クレイをうまく言いくるめてルーミィとシロを連れ出させた。今、部屋の中には、パステルしかいねえ。
返事も聞かずに部屋に滑り込む。原稿を書いていたらしいが、机の上の紙は真っ白なままだった。
「トラップ、何か用?」
「好きだ」
間髪置かず言った言葉に、パステルの身体が、見事に固まった。
「トラップ……?」
「好きだ。おめえのことが、好きだ」
「やっ……ちょ、ちょっと、からかうのは、やめてよ?」
「からかってねえ。冗談なんかじゃねえ」
ずかずかと歩み寄り、強引にその身体を抱き寄せる。
ふわっと、太陽の光のような匂いがした。
「と、トラップ……?」
「ずっとおめえのことだけを見てたんだ。クレイがおめえに優しくするたび、すげえ嫉妬して、おめえに冷たいことばっか言ってたけど。本当は俺も優しくしてやりたかった。そんなのは俺の柄じゃねえ。影でおめえを守ってやれればそれでいいと思ってた。……でも」
わかった。おめえがどうしようもなく鈍感で、自分が俺に嫌われてるとさえ思い込んで……そんなおめえには、はっきり言ってやった方がいいんだと。
「いつも素直で真っ直ぐな、着飾らねえおめえのことが、好きなんだ」
そう言うと。
パステルの目から、涙が溢れ出た。
「……それ、本気にして、いいの?」
「本気だっつってんだろ?」
「……夢、じゃないよね?」
「ああ」
これは夢じゃねえ。
これが現実。おめえが望んだ偽りの理想の世界とは違う。いつだって最高の……現実だ。
「トラップは、マリーナが好きなんだと思ってた」
「何だ、そりゃ」
「だって、マリーナには特別優しいじゃない? でも、マリーナはクレイが好きみたいで……トラップとマリーナが幸せになって欲しい、って思ってた。どうしてマリーナじゃなくてトラップの幸せを願うのかわからなかった」
「…………」
「そう思ったときわかったの。わたしはトラップのことが好きなんだって。だけど、マリーナにはどうしたって敵わないだろうからって諦めてた。
傍にはクレイみたいな素敵な人だっている。別にトラップじゃなくてもいいじゃないって言い聞かせて……諦めようとしてたのに……諦めきれなくて辛かった」
顔をあげたパステルの顔は、涙でぐちゃぐちゃだったけど……それでも、笑っていた。
「夜も眠れないくらい悩んでたんだよ?」
「そっか。……悪かったな、早く言ってやれなくて」
「ううん」
ことん、と俺の胸に頭をもたせかけて、パステルはつぶやいた。
「お互い様だよ。わたしも、勇気が出なかったから」
「……俺もだ」
そっと背中をなでる。ふっとパステルが顔を上げて、視線がぶつかった。
自然に唇が重なった。まるで、そうすることが当たり前だ、というように。
「好きだよ」
「好きだ」
同時に出た言葉。やっと素直に言えた言葉。
部屋の中で、俺達は、いつまでも抱き合っていた。
完結です。
次は悲恋シリーズ明るめいきます。その次はちょっと趣向を変えた原作重視作品、かな?
>トラパス作者
キモイよ
259 :
名無しさん@ピンキー:03/11/18 16:03 ID:hDwlNRJv
危機一髪編、良かったですよ!クエスト物はハラハラとする見所があってイイ!
しかし、夢の中で作られたトラップはチトかわいそうだった、現実のトラップに殴られて
ロープで縛られて、あとからまた殴られて…でもそこが笑えました!
次の原作重視の悲恋シリーズ楽しみにしてます!
それと、258の言った事は気にしないでくださいね! それじゃまた!!
クエスト物はハラハラとする見所があってイイ!>同意!
そして目を見て直感でパステルだと悟るトラップに萌え。
いつも楽しませてくれるトラパス作者さんに感謝です。
トラパス作者さまGJ!!!
マリーナになりきってたとは言え大胆なパステル(*´ェ`*)
悲恋シリーズ大好物なので楽しみです
趣向を変えた原作重視ってのも想像つかないので期待〜
まぁ全部楽しみなわけだが
トラパス作者さんガンガレ
過去ログまで読んで蕩けました。
頑張ってください。
「決して無理はしないでくださいね」という言葉の裏にある
「おまえの投下が早すぎるわ量が多いわで読むほうが大変なんだよ」
「他の作者の連載作品があっという間に過去スレ行きになって正直迷惑」
「これが標準執筆速度と思われたらたまらんと他の書き手がよりつかない」
という住人の本音がさっぱり読めてないところが痛い<トラパス作者
他のカプ好きな俺にとっちゃ正直ウザー
>>263 それはチト違う。
正直な話執筆ペースもさながら、シチュエーションの豊富さに圧倒されてるだけ。
うざいのならスレに来なければ良いか、スルーすれば良いだけだけの話でしょ?
もし住人の本音がそうだったら、リクは付かないと思うけど。
あんたの方が遥かに痛いよw
>>264 同意!!
漏れは「無理しないでネ」と書いた一人だが、素直にそう思ったから。
>>263 人の言葉を勝手に湾曲して解釈・解説しないでくれよな。
トラパス作者さん、おつかれー。
今、自分も他のスレでエロ書きしてるけど、エロってすっごーくつかれますね。
難しい・・・。
トラパス作者さんのは大量ながらも決してクオリティを失わなくて
尊敬してます。作品には私も好みがあるので、中には好き嫌いに
別れる話もありますが、どの作品をとってもレベルが高い。
嫌いな人は読まなきゃいいだけのこと。
私も苦手な話はスルーするし。
>>263 >他のカプ好きな俺にとっちゃ正直ウザー
それなら自分で書けばいいだろ。他人任せイクナイ(・Α・)!
>「決して無理はしないでくださいね」という言葉の裏
あまりに執筆スピードが早すぎて無理しているんじゃないかって思いはある。
後、正直ネタとか尽きないのか?って何か心配するときもある。
結構どんなネタでもOKだし、カプも特に嫌いなものがないから
色々なネタが書けるトラパス作者さんは本当に凄いと思うよ。
えーと……
>感想くれた方々
ありがとうございます。また思いついたら挑戦してみます<クエスト物
>別カップリング
希望があれば善処します。攻めパステルのクレパスに現在挑戦中ですが書けるかどうかはまだわかりません。
新作です。
今までダークな悲恋ばっかり書いてきたので、明るめで爽やかな悲恋に挑戦してみます。
注意
・パラレルです。世界観は現代です。
・ありがちでベタな話です。
もう、何もかもが嫌になっちゃった。
通っている学校の屋上。普段は立ち入り禁止な場所。
その柵にもたれかかるようにして、わたしはつぶやいていた。
何で、わたしばっかりこんな目に合うんだろう。
わたしが、一体何をしたっていうの?
言っても仕方がないことだとはわかっているけど、言わずにはいられなかった。
たった一日で起きたこと。
昨日一日。あれから、まだ一日しか経ってないなんて……信じられない。
柵にもたれかかると、ぎいっ、と嫌な音がした。
わたしの通っている学校には、とっても素敵な先輩がいる。
クレイ・S・アンダーソン先輩。
現在わたしより一つ上の三年生で、さらさらの黒髪とモデルみたいな長身、そのへんの芸能人顔負けの整った顔。
文武両道、って言うのかな? 成績優秀で剣道部の主将をつとめていて、すっごく立派な家柄を持っていて……と、何もかもに恵まれた人。
さらにすごいのは、それだけ何もかも持っているのに、本人にそれを鼻にかけるところが全然無いっていうところ。
いつだって誰にだって優しくて、男子にも女子にも先生にも、誰からも人望がある、そんな人。
好き、だった。
最初は、素敵な人だなあ、って影から見守っているだけで十分だったんだけど。
そのうち、先輩の顔を見るだけで、すっごくすっごく幸せな気分になれて。
胸がほんわかあったかくなるっていうか……とにかく、特別な思いを抱くようになった。
好きなんだ、と思った。だから、告白しようと思った。
別に、付き合って欲しいなんて大それたことは考えてない。ただ、わたしみたいなこれといって取り得の無い女の子のことなんか、先輩は存在も知らないだろうから。
わたしっていう子がいるってことを、知って欲しかった。
でも、面と向かって告白する度胸なんかなかったから。だから、ラブレターを渡すことにしたんだ。
わたしは国語が得意で、文章を書くのが好きだったから。
だから、夜中までかかって何回も何回も書き直して、必死に書いたラブレター。
朝、それを先輩の下駄箱に入れたとき、すっごくすっごく心臓がドキドキして、慌ててその場を離れた。
返事なんか来ないかもしれないけど……でも、それはそれで仕方が無いって思った。
先輩はあんなに素敵な人だから。もう彼女がいたってちっともおかしくない。
ただ、思いを伝えられただけで満足。そう自分に言い聞かせて、それでも、ほんのちょっとだけ、いい返事が来るのを期待してしまう自分がいた。
いいよね? 期待するだけなら、夢を見るだけなら自由だよね?
そんなことを考えて、その日の授業は何にも手につかなかった。
……けど。
現実は、夢みたいにはいかなかった。
断られることも、返事が来ないことも覚悟していた。
でも、実際は……もっと、もっと残酷だった。
わたしの下駄箱の中に入っている、紙切れ。
びりびりに引き裂かれた封筒と便箋。
一目見てわかった。忘れるわけがない……昨夜、嫌っていうくらい何度も何度もチェックしたから。
わたしが書いた、ラブレター……
ぽつん、と涙が零れ落ちるのがわかった。
迷惑かもしれない、とは思った。
だけど……あんなに一生懸命書いたのに。この仕打ちはないって思った。
わたしは、先輩のことをとっても優しい人だと思っていた。だけど、影から見ているだけで、実際にしゃべったことはなかった。
勝手な幻想だったんだ、と思い知った。
わたしが先輩に押し付けていたのは勝手な幻想で、先輩だってやっぱり人間なんだから……嫌な気分になることだってあって。
迷惑なラブレター。あんなに素敵な先輩だもん。それこそ、これまでに何十通と受け取っているに違いない。
ただ、存在を知って欲しかっただけなのに。
あんなに、一生懸命書いたのに。
悔しくて、みじめで、わたしは、ただ感情にまかせて泣くことしかできなかった。
それだけでも、十分に傷ついていた。
初恋だったから。ラブレターを書くのも初めてだったけど、もちろん、振られるのも初めてで。
こんなに、こんなに辛いものだとは思わなかった。
そうしてとぼとぼと家路についたわたしを待ち受けていたのは、突然の両親の訃報だった。
「えっ……?」
「ですから……先生と奥様は、事故で……」
電話越しに聞こえる、お父さんの助手だったジョシュアの声が、とっても遠くに聞こえた。
わたしのお父さんとお母さんが……死んだ。
自動車事故。二人とも即死。
そんな言葉が、ずらずらと耳に入ってくるけど……何も考えることができなかった。
何で。
何で、わたしばっかりこんな目に合うの?
わたしが……一体何をしたっていうの?
「お嬢さん? パステルお嬢さん!?」
ジョシュアのとてもとても焦った声が、耳に届いたけれど。
わたしはもう、返事をしよう、という気にもなれなかった。
お葬式とお通夜。それらは、全てジョシュアがとりしきってくれることになった。
わたしには、そういう事務的なことはさっぱりわからなかったから。
だから彼はとても忙しそうで、わたしに構っている暇なんか全然無いみたいだった。
だから……彼の目を盗んで、お葬式の会場をそっと抜け出すのは、とても簡単なことだった。
学校の屋上。以前、立ち入り禁止のはずなのに、実は鍵が壊れていて簡単に開くことを知った。
ここに来た理由は……何なんだろう?
自分でも、よくわからなかった。
柵にもたれかかる。地面が、とても、とても遠くに見えた。
……お父さんとお母さんに、会えるかもしれない。
ふとそんな考えすら浮かぶ。
もし、ここからとびおりたら……きっと助からないだろう。
そうすれば、この嫌な現実を忘れられるかもしれない。また、あの優しい両親と一緒に……暮らせるかもしれない。
そう思い付いたとき、何だか、それはとっても素敵な考えのように思えてきた。
そっと柵に体重をかける。ぐっ、と身を乗り出そうとして……
「やめとけよ」
不意に耳元で囁かれた声に、わたしはそのままバランスを崩しそうになった。
「きゃあああああ!!?」
「やめとけよ。死んだって、何もいいことなんかねえぜ?」
ぐらり、と前のめりに柵を越えそうになった身体。
その動きが止まったのは、わたしの腕をがっしりとつかんでいる、力強い手のせい。
……えっ!?
ばっ、と振り向く。足から力が抜けて、ずるずるとその場にへたりこんだ。
目の前に立っていたのは、男の子だった。
燃えるような赤い髪が印象的な、男の子。
端正な顔立ちに意地悪そうな笑みをはりつかせ、細く引き締まった身体を制服で包んで、立っていた。
……いつの間にっ……
全然気づかなかった。いつから、そこにいたんだろう?
「ここ……立ち入り禁止のはずでしょ?」
「あんただって、入ってんじゃん」
「そうだけど……」
かっこ悪いところを見られた。その気恥ずかしさも手伝って、わたしは、そんなどうでもいいことを言っていた。
ぷいっ、と顔をそらす。冷たいコンクリートに座り込んでいると、ぞくぞくと全身に震えが走った。
しばらく、沈黙だけが流れる。早くどこかに行ってくれないか、と思ったけれど。彼は立ち去る気はないみたいだった。
ただ、じーっとわたしを見下ろして。そして。
「……あんたさあ、俺に何か言うことはねえの?」
「……え?」
突然かけられた言葉の意味が、わからない。
視線を戻す。意外なくらい近くに、彼の明るい茶色の瞳が迫ってきていた。
「なっ……」
「あんたさ」
がしっ、と肩をつかまれる。
細い身体の割には、意外と大きな手。意外な力強さ。そんなことに気づいて、ちょっと鼓動が早くなるのがわかった。
「な、何?」
「あんたさ、人が助けてやったのに、礼の一つもねえの?」
「あ……」
助けてやった。
その言葉に、さっきの出来事を思い出す。
柵を乗り越えようとしたわたし。それを止めてくれた彼。
……わたし、何を考えていたんだろう……
視線を柵の向こうにやって、改めて、その地面の遠さにぞっとする。
何を考えていたんだろう。死んだら、両親に会えるかも、なんて。
今更怖くなった。だけど、それを認めるのが悔しかったから、ぎゅっと唇をかんで、うつむいた。
「助けてくれなんて、誰も言ってないじゃない」
「…………」
「放っておいて。わたしは……死にたかったんだから」
「……そっ」
かけられた言葉は、素っ気無かった。
ふっ、と身体が離れる。男の子は、わたしから数歩後ずさって、くいっ、と顎を柵の方に向けた。
「そりゃあ、お節介なことをしちまったようで……んじゃ、遠慮なくどうぞ」
「……え?」
「とびおりろ、っつってんだよ」
男の子の目は、冷たかった。
「もう止めねえよ。見ててやるから、とびおりろって」
「なっ……」
つうっ、と背中を汗がつたうのがわかった。
じいっ、と視線を感じる。引っ込みがつかなくなって、わたしはよろよろと立ち上がった。
ぐっ、と柵にしがみつく。遠い遠い地面。叩きつけられたときの痛みなんて、一瞬かもしれない。
でも、一瞬とはいえ……すごく、すごく痛いだろうな。
そんな余計なことばっかり考えてしまう。
ぎゅっと目を閉じる。見られているとわかったら、気ばっかりが焦ってしまって……ますます勇気が遠のいていくのがわかった。
……情けないっ。
自分の中途半端な考えを思い知らされて、閉じた目から涙がこぼれた。
情けない、情けないっ……
そうして、柵に体重を預けて背中を震わせていると。
ふと、暖かい感触が、肩にまわってきた。
「無理すんなっつーの」
「…………」
肩を抱かれている、ということに気づいたのは、少し経ってからだった。
「死んだってなあ、何もいいことなんかねえぜ? ちっと落ち着けって。勢いだけでとびおりたって、不幸になるだけだぜ?」
「……何で、そんなことわかるの?」
「さあ、何でだろうな」
へらへらと笑いながら、男の子は言った。
「一体何があったんだ?」
「…………」
「話してみたら、楽になるかもしれねえぜ? ま、無理に聞くつもりは、ねえけどよ」
「…………」
初対面の男の子に、話すようなことじゃないと思う。
だけど、気がついたとき。
わたしは、男の子の胸にすがりつくようにして、大声で泣きながら……それまでに起きたことを、全部、全部話してしまっていた。
何で話そうって気になったのかはわからない。だけど、彼の目が、ひどく真面目で。本当にわたしのことを心配してくれているのがわかって……そうと気づいたとき、話したい、と思った。
わたしの長い上に要領をえない話を、男の子は辛抱強く聞いてくれた。
そして。
何もかも話し終わった後も、彼は特別な慰めの言葉は、何も言わなかった。
ただ、優しくわたしを見つめて、そしてポン、と肩を叩いただけ。
「お疲れさん。気がすむまで、泣けよ」
素っ気無いくらい短い言葉なのに。
それは、何だかひどく胸に染みる言葉で……わたしは、言われた通り、わんわんと大声で泣き続けた。
辛かった、悲しかった、寂しかった。
だけど、それを慰めてくれる人は誰もいなかったから。一人で抱え込むしかなかった。
今、初対面の男の子が、それを受け止めてくれて。
それでようやく、わたしは、ほんの少しだけ、胸にたまった重圧を取り除くことができたのだ。
随分長いこと泣いていたような気がするけど、実際には、そんなに長い時間じゃなかったのかもしれない。
我に返ったのは、ポケットで鳴り響く携帯の着信音を聞いたときだった。
「あ……」
ぱっ、と顔をあげる。間近に見える男の子の顔。
その胸に、ついさっきまですがりついていたんだと。そんなことを今更実感して、急に気恥ずかしくなる。
「ご、ごめん、ちょっと」
口の中でぼそぼそとつぶやいて、携帯を取り上げる。
画面に出ている名前は、ジョシュアのものだった。
……いっけない。
「もしもし?」
『お嬢さん!? 一体今、どこにいるんですか!!?』
「あ、ごめん……ちょっと、一人になりたくて」
『すぐに戻ってきてください! こっちは大騒ぎになってるんですよ!?』
「ごめん、本当にごめん……わかった。もう戻るから」
ピッ、と通話を終える。
さっきまでは、もう戻るつもりなんか無かったのに。
ジョシュアの、すごくすごーく心配そうな声を聞いたら、帰らなくちゃ、と思えた。
わたしを心から心配してくれているのが、よくわかったから。一人じゃないって、わかったから。
「ごめん、もう行くね」
そう声をかけると、男の子はしばらく何も言わなかったけれど。やがて、「ああ」と小さくつぶやいた。
その顔は、何だか少し寂しそうだった。
「色々、ありがとう。……ねえ、あなた、うちの学校の生徒だよね。何年何組?」
「…………」
わたしの言葉に、男の子は答えない。
ただ、すごく皮肉っぽい笑顔をはりつかせて、くいっ、と屋上の出入り口を指し示した。
「早く行かねえと、やばいんじゃねえの?」
「あ……うん、そうだけど」
「行けよ」
……何なんだろう。わたし、何か悪いこと……聞いた?
だけど、男の子の雰囲気は頑なで、教えてくれそうになかったから。だから、わたしは黙って、立ち上がった。
実際に、時計を見たら、もうとっくに葬儀が始まっている時間で、一秒でも早く戻らなくちゃいけなかったし。
たたっ、と走り出す。でも、一つだけ。どうしても知りたいことがあったから、出入り口をくぐる寸前、一度振り返って叫んだ。
「わたしの名前、パステルっていうの。ねえ、あなたの名前は?」
そう言うと、男の子は口元だけで微笑んで、言った。
「トラップ」
トラップ。それが、彼の名前。
それが、わたしと彼の、最初の出会いだった。
考えてみれば、トラップの言う通りだったな、と思う。
一時の激情に駆られて、死のうなんて考えて。
でも、こうして落ち着いて現実を見てみれば、こんなにも素敵なことはたくさんあるのに。
そう、例えば。
葬儀が終わって、忌引が終わって、学校に顔を出したとき。
心配そうな顔をした同級生達は、それでも、下手な慰めなんか何の慰めにもなりはしない、とわかっていたのか。
わたしにいつも通りの態度を取ってくれた。
それは別に大したことじゃないのかもしれないけれど、それでも、わたしは嬉しかった。
「大変ねえ」
「寂しいでしょう?」
そんなありきたりの慰めの言葉は、聞き飽きていたから。
ふと気が向いて、昼休みに屋上に上る。
特に目的はなかった……はず。
だけど、ドアを開けたとき、無意識に目で探してしまったのは、鮮やかな赤。
「いないのかなあ……」
「誰、捜してんの?」
「きゃあっ!?」
不意に背後からささやかれて、弾かれたように振り向く。
そこに立っていたのは、まぎれもなく、わたしが捜していた赤。
「トラップ……」
「よっ。やあっと学校に来る気になったのかよ?」
あのときと同じく、気配もなくわたしの後ろにたたずんでいた彼は、ニヤニヤ笑いながらわたしの顔を覗きこんできた。
「んで? おめえは、何しにここに来たんだ? まーたとびおりにきたとか?」
「まさかっ!」
今度は、即答できた。
ぼろぼろに傷ついた後だったからかもしれないけれど。トラップの優しさ、ジョシュアの優しさ、クラスメートの優しさ。
それらがとても心に染みて、嬉しくて嬉しくて、そしてもっとこの思いを味わいたい、と思えたから。
「お礼を言いにきたの」
「あん?」
「あのとき、助けてくれてありがとう」
そう言うと、トラップはちょっと呆気に取られたみたいだったけれど。
耳まで真っ赤に染めて、ぷいっ、と視線をそらした。
「おせえんだよ、ばあか」
「ごめんね」
本当に、ありがとう。あなたのおかげで、わたしはわたしを気遣ってくれる色んな人の存在に気づくことができた。
それから、昼休みが終わるまで、わたしとトラップはだらだらとどうでもいいことをしゃべり続けた。
クラスメートのことだったり、先生の噂話だったり。
トラップと会話をするのは楽しかった。こんなに昼休みを短く感じたのは、初めてかもしれない。
「ねえ、トラップは、いつもここにいるの?」
そう言うと、彼は「ああ」と頷いた。
「授業なんて、かったりいし。別に出なくたって困りゃしねえじゃん?」
何て言い草だろう、と思った。それじゃあ、学校に来てる意味が無いじゃない。
でも、トラップがそう言うと、何となくそんな風に思えてくるから不思議だ。
「そっ。留年しても知らないから」
「しねえしねえ。それはぜってー無い」
「どうしてそんなに自信満々なのよ」
「俺だからな」
その言葉の意味はよくわからなかったけれど。
そう言いきるトラップの顔は、本当にそう信じてるみたいだったから、それ以上お説教じみたことを言うのもバカらしくなった。
「じゃ、わたしはもう授業行かなくちゃいけないから」
「おう」
短い挨拶。そうして、出入り口に歩き出すのはわたしだけ。あのときと同じ。
そして、今回も。どうしても言いたいことがあったから、わたしは一度だけ振り向いた。
「ねえ、また、ここに来てもいい?」
そう言うと、トラップはちょっとだけ嬉しそうな顔をして、「ああ」と頷いた。
屋上に来れば、トラップに会える。
そうわかったら、何だか学校に来るのがとても楽しみになった。
「嘘。本当に……いいの?」
「はい」
わたしの言葉に、ジョシュアは大きく頷いた。
49日が終わって。色んなごたごたに整理がついて。
両親の遺産なんかを正式に相続して、とりあえず当面の生活費には困らないことがわかって安心していたけれど、でも、それだって一生持つわけじゃないし。
これからどうしようか……そう悩んでいたとき、ジョシュアが言ってくれた。
「僕が、パステルお嬢さんと一緒に暮らします」
そう聞いたとき、耳を疑ってしまった。
だって、ジョシュアはあくまでもわたしのお父さんの助手で。お父さんが死んだ今、わたしには何の義理も無いはずなのに。
「だって……ジョシュア、あなたは」
「僕は、先生には大変お世話になりました。パステルお嬢さんのことだって、こんなに小さいときからお世話してきたんです」
ジョシュアの言葉は熱かった。本気で言ってくれてるんだということが、よくわかった。
「お嬢さんのことが心配なんです。いつか、お嬢さんをまかせても大丈夫だ、という人が現れるか……一人にしても大丈夫だ、と思えるまで、僕がお嬢さんのお世話をしますから。いえ、させてください!」
……何で。
何で、こんなにわたしのことに必死になってくれてるんだろう。
こんなにもわたしのことを考えてくれている人がいることに、わたしは何で気づかなかったんだろう?
「ありがとう……」
一人で広い家にいると、どうしようもなく寂しかった。
友達を呼んだりしてみたけれど、そんなのは所詮一時的なこと。
でも、これからは一人じゃない。
「ありがとう、ジョシュア」
また、トラップに報告することができた。
あなたがわたしを助けてくれたおかげで、またわたしは一つ、今まで気づかなかったものに気づくことができた。
そう考えただけで、とても……とても、幸せな気分になれた。
「そりゃ、良かったな」
最近では、昼休みに屋上に上って、トラップと話すのが日課のようになっていた。
ジョシュアが一緒に暮らしてくれることになった、と報告すると、彼は何だかちょっと不機嫌そうだったけど、わたしにはその理由がわからない。
「ねえ、本当に、生きてるといいことがいっぱいあるよね。トラップのおかげだよ。本当に、本当にありがとう」
「けっ。礼なんか聞き飽きたっつーの」
そう言って、ごろりと床に寝転がるトラップは、やっぱりいつもよりも不機嫌そうに見える。
……どうしたんだろう?
「ねえ、トラップ。わたし、何かした?」
「……あんで」
「だって、不機嫌そうに見えるから……」
そう言うと、トラップは音もなく上半身を起こした。
その顔は、何だか妙に赤い。
「トラップ?」
「……その、ジョシュアって奴……」
「うん?」
トラップは、ぷいっ、と視線をそらして言った。
「男、だよな?」
……は?
「そうだけど?」
「おめえと、一緒に暮らすって?」
「う、うん?」
そうだけど……それが、どうしたんだろう?
どうして、そんなことが気になるの?
「それが、どうかした?」
「……何でもねえよっ」
視線をそらしたまま、彼は再びごろりと横になった。
……何でもないようには見えないんですけど。
「ねえ、どうしたの?」
「……おめえ、無防備だよなあ」
「はあ?」
寝転んだまま、トラップは、鋭い視線でわたしをにらんだ。
妙に真面目で、熱い視線。それに射抜かれて、一瞬ドキリとする。
「無防備って?」
「赤の他人の男が、一緒に暮らしたいって言ってきて……それで、何の危機感も抱かねえわけ?」
「……はあ?」
そこまで言われたら、さすがにわたしも彼が何を言いたいのかわかった。
そして、瞬時に頭に血が上る。
なっ、何言ってるのよ!
「ば、バカっ、何考えてるのよ、もう最低っ!」
「…………」
「ジョシュアはね、わたしがずっと小さい頃から面倒みてきてくれたのよ? お父さんみたいな人なんだから。どうしてそんなこと思いつくのよっ!」
ジョシュアの思いを汚されたような気がして、わたしがばっ、とトラップに背を向けると。
背後から伸びてきた腕が、ぐいっ、とわたしの首にまわされた。
「きゃっ!」
「……わり」
聞こえてきたのは、小さな謝罪の声。
ぼすん、と頭にあたる、妙に硬くてそのくせ暖かい感触は……トラップの、胸?
「なっ……」
「わりい。つまんねえこと言っちまって」
「……わ、わかればいいのよ。わかればっ!」
そんな風に謝られたら、許すしかない。
それに……何でだろう?
何だか……確かに、言われたときは腹が立ったけど。そうして謝られて、よーくよーく考えてみると。
腹が立ったけど。ちょっとだけ……嬉しかったかも?
「ねえ、トラップ」
「あんだよ」
「……あのね。よかったら、今度……」
今度、家に遊びに来ない? ジョシュアに、あなたを紹介したい。
そう言おうかと思ったけれど。
その言葉は、昼休み終了を告げるチャイムの音で、かき消された。
「あんだって?」
「……何でもない」
いいか、また今度で。
タイミングを逃したせいか、急に気恥ずかしくなって、わたしはスカートを払って立ち上がった。
「じゃあ、また明日ね」
「おう」
いつもと同じように、屋上から出て行くのはわたしだけ。
わたしが立ち上がった後、トラップは、ごろりと床の上に寝転がっていた。
ねえ、トラップ。
あなたは……わたしがいなくなった後、いつも何をやっているの?
もっとトラップのことが知りたいと思った。
昼休みの短い時間が待ち遠しくて仕方がなかった。
初めて出会ったときは、少し冷たい印象を抱いて。でも、冷たくみせかけて、実はとても優しい人だとわかって。
この気持ちは、何なんだろう?
恋、なのかな。
でも、わたしが好きなのは、クレイ先輩みたいな人。
トラップは確かにかっこいいけれど、ぶっきらぼうだし、何を考えているのかよくわからないところもあるし。それに、そもそもわたしはトラップのことを何も知らない。
彼が何年何組の生徒……ううん。そもそも本当にうちの学校の生徒なのか。フルネームは何なのか、どこに住んでいるのか、何も知らない。
知っているのは、顔と、トラップという名前と、屋上に行けば会えるっていうことだけ。
こんなに何も知らないのに、好きになるはずなんか無い。
そう思っていたけれど、それでも……
会えば会うほど、トラップに惹かれていくのがわかった。
その顔をもっと見ていたいと思った。話をしたい、と思った。もっと長く一緒にいたい、と思った。
だけど、わたしが行けるのは、昼休みの間だけ。
以前、ふと思いついて放課後に屋上に行こうとしたことがあったけれど。屋上に向かう階段の近くには、色んな部の部室があって、人で溢れていたから。
立ち入り禁止、と書かれた場所に堂々と上っていくのは、気がひけた。
……しょうがないよね。
昼休みの短い時間をめいっぱい楽しみながら、わたしは自分に言い聞かせていた。
トラップのことを色々聞こうとしても、彼はいつもはぐらかしてしまう。
何か聞かれたくない事情があるのかもしれない。しつこく聞いたら嫌われるかもしれない。
そう思ったら、それ以上質問を繰り返すこともできなかった。
仕方ないよね。短い時間でも……こうして、学校に行けば毎日会えるんだから。
それで、満足しないと。
そして……
それは、ある日の放課後のことだった。
「あなた、パステル・G・キングよね?」
突然教室にやってきたのは、三年生の先輩達だった。
「はい、そうですけど……」
見覚えのない人達だった。何の用なんだろう?
わたしが答えると、彼女達は「ちょっと、こっちに来てくれない?」とわたしを教室から引っ張り出した。
連れてこられたのは、校舎の裏。滅多に人通りの無い場所で、わたしは壁に叩きつけられていた。
「あのっ……」
「この子がっ!? 何よ、全然普通じゃない」
「その程度の顔で、クレイ様にラブレターなんて図々しいのよっ!」
「あ……」
ラブレター、と聞いて思い出す。あの日のみじめな記憶。
もう半ば忘れかけていたけれど。それでも、思い出すと胸が痛くなる。
少しでも存在を知ってもらいたいと、夜中までかかって必死に文字を連ねた夜の記憶。下駄箱に入れるときの、心臓が破れそうなくらいドキドキした記憶。
そして……
まさか、と思った。そう思ったとき、今まで胸にたまっていたもやもやが、すーっ、と晴れていくのがわかった。
「じゃ、じゃあ、あれ、破ったのは……」
「はん、あたし達よ。あんたの手紙なんか、クレイ様にとっては迷惑なだけなの!」
「親切に目に触れる前に処分してあげたのよ? ありがたく思いなさいね」
そう言って、きゃははと笑う先輩達。
それは随分と勝手な言い草で、わたしは怒ってもいい場面だったと思うけど。
嬉しかった。
クレイ先輩じゃなかった。ラブレターを破ったのは、わたしの気持ちを踏みにじったのは先輩じゃなかったんだ。
そうとわかっただけで、わたしは満足だった。
「何よ、にやにやしちゃって気持ち悪い」
「わかった? わかったら、二度とクレイ様に近づくんじゃないわよっ!」
先輩達が詰め寄ってくる。そのときだった。
「君達、そこで何してるんだ?」
「……え?」
突然響いた、よく通る声。その声に、その場に居合わせた人達が、一斉に振り向いた。
もちろん、わたしも。
そして、その先に立っていたのは……
「くっ、クレイ様っ!?」
先輩達の悲鳴のような声が、妙に耳についた。
そこに立っていたのは、クレイ・S・アンダーソン先輩。
わたしがずうっと好きだ、と思っていた人。彼は、美麗な眉をしかめて、わたしと、先輩達を見渡した。
「クレイ様、いつからそこに!?」
「……悪いけど、最初からずっと聞いてた。彼女が、教えてくれてね」
そう言って、クレイが指し示したのは……
り、リタ!?
クレイの後ろに隠れるようにしてひらひらと手を振っているのは、クラスメートのリタだった。わたしの、一番仲のいい友達でもある。
そっか。わたしが先輩達に連れて行かれたのを、心配してくれて……
「君達……俺に来た手紙を勝手に破くなんて、それは、いくら何でも失礼じゃないか?」
そう言うと、先輩達は一斉に青ざめて、「だって」とか「それは」とか口の中でぼそぼそとつぶやいたけれど。
だけど、さすがにそれ以上言い訳のしようがないみたいだった。わたしとリタを交互ににらみつけて、「覚えてなさいよ!」とか言いながら、その場を走り去ってしまう。
……助かった、のかな?
「君、大丈夫?」
「……あ、はい」
そんなわたしに、先輩は、優しく声をかけてくれた。
「悪かったね。どうやら、君に随分失礼なことをしてしまったみたいで」
「い、いいええ! 気にしないでください。クレイ先輩のせいじゃ、ないですから」
クレイ先輩は、優しかった。
わたしが思っていた通りの人だった。わたしの勝手な思い込みじゃなかったんだ。
そう思うと、心にひっかかっていたわだかまりが、すーっと溶けていった。
そして、同時に気づいた。わたしの、本当の気持ちに。
「それで、手紙って、一体何が書いてあったのかな? 俺に、何か用事でも?」
クレイ先輩の言葉に、後ろから、リタが声を出さずにエールを送ってきた。
告白する、絶好のチャンスだと……多分、彼女はそう言いたいんだろう。
確かに、今は邪魔をする人は誰もいない。
けど……
「いえ、もういいんです」
「え?」
「もう、いいんです。ごめんなさい、先輩。気を使わせちゃって」
「いや、それは別に構わないけど。いいの?」
「はい。ありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げると、クレイ先輩は首を傾げていたけれど。やがて、「それじゃあ。また何か言われたら、遠慮なく言えよ」と言って、去っていった。
残されたのは、わたしとリタだけ。
「ちょっと、パステル! どうして言わなかったのよ!」
クレイ先輩の姿が見えなくなった後、リタはわたしに詰め寄ってきた。
彼女は、わたしが一年の頃から先輩のことを「いいなあ」って言っていたのを知ってるから。わたしの態度に納得いかないみたいだった。
無理も無い。実際、ちょっと前のわたしだったら、舞い上がっていたかもしれない。
でも……
「いいんだ、もう」
「パステル?」
「わたしね、多分、クレイ先輩のこと、本当に好きなわけじゃなかったと思うから」
「……え?」
きっと、そうだ。
クレイ先輩は本当に欠けているところが無い人で、素敵な人だと思う。
でも、わたしはそれに憧れていただけ。手紙を破かれた、と思ったとき。わたしはみじめで悔しかったけれど。そのとき抱いた感情は、自分の勝手な理想が崩れてしまったことに対する嘆きだった。
例えどんな欠点があるとわかっても、それでも好きだと言える。
それが本当に好きな相手なんだと思う。わたしにとってのクレイ先輩は、そうじゃなかったから。
「パステル?」
「ありがとうね、リタ。本当にありがとう。わたし、やっと自分の気持ちに気づくことができた」
わたしがそう言って微笑むと、リタはにんまりと微笑んで、
「さては、他に好きな人ができたでしょう?」
と言ってきた。
「ばれちゃった?」
どうして、わかるんだろう。わたしの態度って、そんなにわかりやすいかなあ。
そう聞くと、「パステルの場合は、表情を見てれば八割くらい考えてることがわかっちゃうわよ」と言われてしまった。
そ、そうなんだ……ちょっとショック。
「で、どんな人?」
リタの追求を、笑ってかわす。
まだ、言わない。
この思いを大事にしたいから。それに……あまりトラップのことを、人に言いたくなかった。
彼と二人っきりになれる時間を、大事にしたかったから。
自分の気持ちを自覚したとき、わたしは、すぐにでもトラップに会いたい、と思った。
だけど、屋上に出入りする階段の前は、相変わらず人通りが多い。
明日まで待てば? と理性は告げていたけれど。どうしても、どうしても今日中に伝えたかった。
……そういえば、わたし、彼の携帯の番号さえも知らないんだ。
持ってるかどうかはわからないけれど。聞こうとさえ思わなかった。
どうせ、聞いても教えてくれないんじゃないか、と思ったから。
うーっ、いいもん。部活が終わるまで、待ってよう!
そう考えて、わたしは教室でじっと待つことにした。
そんな時間までトラップが屋上にいるの? なんて疑問も浮かんだけど。彼のことだから……きっと、いるような気がした。
根拠なんか何も無いけれど。屋上にさえいけば、いつだって彼に会えるような気がした。
そうして、西日が差し込む教室で、わたしは人通りが耐えるのをじーっとじーっと待ち続けて……
気がついたら、寝てしまっていた。
……嘘っ!?
目を開けたとき、既に教室の中が真っ暗になっているのに気づいて、がばっと身を起こす。
時計を見ると、もう夜の9時近かった。
嘘、嘘嘘! 寝ちゃった!?
あわわわわ、どうしようっ。
当たり前だけど、学校の中はシーンと静まりかえっていた。
携帯を取り出してみると、中はジョシュアからの着信履歴で埋まっていた。
うわあっ……マナーモードにしてたから気づかなかった……
とりあえず、「リタと一緒に夕食を食べてから帰る」なんて嘘の連絡を入れておく。ごめんね、ジョシュア。心配かけちゃって……
……で、どうしよう。
真っ暗な教室を出て、屋上に上る階段の前で。わたしは悩んでいた。
どうせ、いるわけないと思う。もうこんな時間だし、普通の生徒なら、もう帰っちゃってるだろう。
だけど……見るだけなら。ちょっと見て、いなかったら、諦めて帰るから!
そう自分に言い訳して、そっと階段を上る。
真っ暗な階段は、ちょっと怖かった。通いなれた屋上に通じるドアを、ぎいっ、と開ける。
月の光がさえざえとあたりを照らしている。遮るものが何もない屋上。
夜風がちょっと寒かったけれど、我慢できないほどじゃない。
でも……やっぱり、そこに人の気配は、感じられなかった。
「……いない、か。そうだよね。当たり前だよね、こんな時間だし」
ううっ、わたしって、どうしてこう間抜けなんだろう。
しょうがないや。明日、また出直そう……
そう考えて、くるりと入り口の方を振り向いたときだった。
突然、脇から伸びてきた腕が、ぐっ、とわたしの二の腕をつかんだ。
「きゃあっ!!?」
「……やっぱ、おめえかよ……」
響いた声は、わたしが……すごく、すごく聞きたかった声。
振り向く。ドアの影から、気配もなくすっと現れる人影。
夜の闇の中でもすごく目立つ赤い髪。
どうしてこんな時間にここにいるの? なんて疑問は浮かばなかった。何だか、それが当然のことのような気がしたから。
トラップ。
「トラップ……」
「おめえ、こんな時間にこんなとこで……あにしてんだ?」
トラップの顔は、呆気にとられているみたいだった。
そうだよね。そりゃあ驚くよね……でも、どうしても。
「あなたに会いたかった」
「……あ?」
「あのね、トラップ。わたしねっ……」
いざ言おうとすると、喉が強張って、なかなか声が出なかった。
だけど、言わなくちゃ。この一言を言うために、わたしはずっと待ってたんだから。
そんなわたしの様子を見て、トラップの目が、すっと細められた。
すごく、すごく優しい表情。そして……
ぐっ
腕を引き寄せられた。あっと思ったときには、わたしはもう、彼に抱きしめられていた。
「トラップ……」
「言うな。俺に言わせろ」
「え?」
ぎゅうっ、と腕に力がこもる。
「初めて見たときから気になってたんだ。あの日、屋上におめえが来た日。あのときな、俺、本当は……」
「……うん?」
「……本当は、おめえを……」
「何……?」
トラップは、何かを言おうとしているみたいだった。でも、何も言葉は出てこないようだった。
そして、かわりに。
彼の唇が、優しく、わたしの唇の上におりてきた。
ファーストキス……だった。
予告もなく奪われて、一瞬ぽかんとしてしまうけれど。それでも、怒ろうという気にはなれなくて……
「トラップ……?」
「……好きだ」
囁かれたのは、甘い言葉。
「好きだ……おめえのことが……」
「トラップ……」
先に、言われちゃった。
わたし、わたしも……トラップのことが……
すぐにも返事をしようとしたときだった。
不意に、トラップが顔を強張らせた。
そして、わたしを抱きしめたまま、入り口のドアの影にひきずりこんだ。
「な……」
声をあげようとした途端、大きな手が、わたしの口を塞ぐ。
んー!? 何、何ー!?
わたしがあたふたとしていると、かつん、かつんという足音が、階段から響いてきた。
……あ?
がちゃん、とドアが開く。そこから顔を出したのは、学校の宿直の先生。
み、見回りっ……
ドアの影で、必死に身を縮こめる。
先生は、幸いなことにわたし達に気づいてないようで。軽く屋上を見回すと、それだけであっさりと帰っていった。
た、助かったあ……
ほうっ、とため息をついて、顔をあげて。
そして、どきりとした。
今の格好。わたしは、壁に押し付けられていて。すぐ目の前には、トラップの身体が……
「トラップ……」
彼の目が、じーっとわたしを見下ろしていた。
熱い眼差し。わたしを壁に押し付けている手は、緩みそうな気配がなく……
そこで、初めて。わたしは、まだ返事をしていないことに気づいた。
「トラップ」
「…………」
「好きだよ」
さっきとはうってかわって、言葉はすんなりと出てきた。
彼も、わたしと同じ気持ちだと。多分そう言ってくれたから、だと思うんだけど。
わたしがそう言った瞬間、トラップは、ひどく辛そうに顔をゆがめた。
もっとも、それは一瞬のこと。すぐに、彼の手は……荒々しく、わたしを抱きすくめた。
「トラップ……?」
「……我慢できねえんだ」
「え?」
ぐいっ、と、セーラー服がまくりあげられて、トラップの手が、背中に直に触れた。
「きゃっ!?」
「ずっと、こうしたいと思ってたから」
その手の冷たさに、一瞬悲鳴をあげたけれど。
でも、彼の傷ついたような目を見て……すぐに、後悔した。
嫌じゃない。相手がトラップなら構わない。
もちろん、わたしは全くの初めてで……怖い、という気持ちが、無いわけじゃないけれど。
「いいよ」
そう言うと、トラップの顔が、少しだけほころんだ。
「いいのか?」
「いいよ……好きだから」
そうつぶやいた途端。
背中にまわったトラップの手は、わたしのブラのホックを探りあて、ぱちん、と外してしまっていた。
……うわっ。
涼しい風があたって、ぶるっ、と身震いする。
それに気づいたのか。トラップの腕は、ますます強くわたしを抱きしめていた。
……安心、できる。
その腕に包まれて、心からそう思った。
トラップにまかせておけば、きっと……
冷たい壁が背中にあたる。
胸の上までまくりあげられたセーラー服。耳元に直接触れる熱い吐息。
再び唇が重ねられた。今度は、さっきとは違う。触れるだけじゃない、もっと長くて、熱くて、深い……キス。
「んっ……」
トラップの手が、わたしの胸に触れた。
最初は遠慮がちに。だけど、わたしがそれを拒否しなかったからか。やがて、その動きはどんどん激しくなっていく。
「あっ……」
つん、と胸の先端部分とつままれて、びくん、と身体が震えた。
やあっ……な、何だろう。この感じは……
ぞくぞくするっ……
「やっ……あ、ああっ……」
「……感じやすいみてえだな、おめえ……」
「ああっ……」
びくんっ
唇で胸をついばまれ、ぞくり、と背筋が震えた。
軽く触れたり、離れたり。胸に触れるとても温かくて、柔らかい感触。
「やあっ……」
月の光が強くなって、あまり暗い、って感じがしなくなった。
見られていると思うと、余計に羞恥心が煽られた。
「やっ、あ……あ、あんまり見ないでっ……」
「……あんで?」
「だってっ……あ、あんまり大きくないしっ……」
そう言うと、「ぷっ」とトラップは吹き出して、そして耳元で囁いた。
「んなの、知ってるっつーの」
「ひゃあっ!?」
耳たぶをなめられて、思わず悲鳴が漏れる。
じんわりと、身体が熱くなっていくのがわかった。
やっ……何だろう。
何か……何か、溢れてきそうっ……
「安心しろって」
「何が……やあっ!」
ぐいっ、と右の太ももを持ち上げられた。その下に、トラップの膝が割り込んでくる。
「あ……」
バランスを取ることが難しくなって、思わずトラップの首にしがみついた。けれど、彼はそれに迷惑そうな表情も見せず、むしろ嬉しそうな顔をして言った。
「その方が、俺はいい」
「何で……」
「他の男が、おめえに興味示すくれえなら……俺だけのものになっててくれるなら、胸なんざなくたっていい」
「なっ……」
びくりっ
太ももをなで上げられて、また震えが走った。
もう寒さは感じない。むしろ、ちょっと暑いとさえ思った。
けれど、震えは止まらない。
「トラップ……」
「怖がるなよ」
肩に顔を埋めるようにして、トラップは言った。
「怖がるんじゃねえよ。俺にまかせとけ……」
「あ……」
その言葉は、ひどく安心できた。彼にまかせておけば大丈夫だと、本気で思えた。
太ももを這い上がる指が、遠慮なく、わたしの内部へと侵入していった。
ひどく乱暴なようでいて、優しくて。性急なようでいて、緩慢で。
とても複雑な動き。そのたびに響く淫靡な音が、やけに大きく聞こえた。
「や、は、恥ずかしいっ……」
「だいじょーぶ。俺以外に、聞いてる奴なんざいねえよ」
「だって……」
あなたに聞かれるのが、恥ずかしい。
自分が、こんなに淫らな人間だなんて……知らなかったから。
それは、さすがに言葉にできなかったけれど。
トラップの手が、唇が触れるたび、わたしの中で、確実に何かのたがが外れていった。
もっと……と、決して言葉にできない欲求が、頭の中をうずまいていった。
どれだけ時間が経ったのかわからない。気がつけば、わたしの太ももは何やらべたべたに汚れていて……
「あ……」
「そろそろ……いいか?」
「ん……」
囁かれた言葉に、曖昧に頷く。
いいかどうかなんてわからない。あなたに、全てをまかせる。
ぎゅっ、と首にまわした腕に力をこめると、トラップの手が、わたしの太ももを抱えあげた。
かなり辛い体勢だけど……それでも、いいと思った。
それで、トラップと一つになれるなら。
繋がったときの衝撃は、思ったよりも小さかった。
「あっ……」
じんわり、と痛みが忍び寄ってきた。
激痛というのとは違う。じわじわと、後になって効いてくる、そんな痛み。
「ああっ……」
ぎゅっ、と唇をかみしめる。
トラップにすがりついていなければ、きっとそのまま崩れ落ちていた。そんな気だるさと、妙な満足感が、身体を振るわせた。
「やっ……」
「……大丈夫か?」
「え……?」
「痛くねえか?」
気遣ってくれてるんだ、とわかった。
本当は痛かった。体勢的にわたしの体重がかかるから、余計に。
それでも、首を振ることができた。トラップに、心配かけたくなかったから。
「大丈夫……」
そうつぶやくと、彼は静かに笑って、腰を揺らし始めた。
「あっ……ひゃっ、ああっ……」
がくん、と首がのけぞった。
びりびりと電流のように走り抜ける快感に、全身の力が抜けた。
「ああ、やあっ……あああああああっ!!」
もう、何も考えられない。
トラップ、あなたのことしかっ……
彼の動きが止まるまで。わたしは、あえぎ声のような、悲鳴のような……自分でもよくわからない声を、漏らし続けていた。
「もう……帰らなくちゃ」
全てが終わったその後で。服を直して時計を見ると、もう十時を過ぎていた。
「ジョシュアが、心配するから……」
「…………」
トラップは、じいっとわたしを見つめていた。その顔に浮かぶのは、満足そうな表情。そして……
……寂寥感……?
寂しそうだった。わたしを見つめる彼の目は、とても優しそうだったけれど。同時に、とても寂しそうだった。
……どうして……トラップ……?
「ねえ……」
「パステル」
わたしの言葉を遮って、トラップは、強い口調で言った。
「もっと、早くに会いたかった」
「……え?」
「おめえに、もっと早くに会いたかった。そうすりゃ、俺は……」
「……トラップ……?」
何を言ってるんだろう、と思った。
トラップは、何を言ってるんだろう? これじゃあ、まるで……
「トラップ……?」
そっと手を伸ばしたけれど。彼は、その手を優しく振り払った。
「早く帰った方がいいぜ」
「…………」
「待っててくれる奴が、いるんだろ?」
「……うん……」
それは、その通りだった。きっと、ジョシュアは死ぬほど心配しているだろうから。
名残惜しかったけれど……仕方ない。
そっと立ち上がる。トラップは、それを黙って見つめていた。
「ねえ……」
「ん?」
「明日も、また来るから」
「…………」
「また、会えるよね?」
そう言うと、トラップはゆっくりと微笑んだ。
今までだって優しい表情をしてくれたことはあったけれど。今日見たその笑顔は……今までで、一番暖かい笑顔だった。
「パステル」
「……え?」
ぐいっ、と腕をつかまれた。
あっ、と思ったときには、唇をふさがれていた。
そして。
ぱっ、とわたしの手を離すと、彼の姿は、入り口の外へと、消えていった。
「……トラップ……?」
初めて、だった。
彼が屋上の外へ出るのを見たのは、初めてだった。
「トラップ!?」
ひどく不吉な予感がした。慌ててその後を追ったけれど、もうどこにも、彼の姿は見えなかった。
「トラップ……?」
明日も、また来るから。
また、会えるよね?
自分で言った台詞が、妙に空々しく周囲に響いたような気がした。
翌日の昼休み。
わたしは、震える足で、屋上の階段を上っていた。
まさか、と思う。
彼はいるに違いない。いないわけが、ない。
そう信じて、屋上のドアを開けたのに。
いつもいつもわたしを出迎えてくれた、あの明るい赤毛を見つけることは、できなかった。
「……トラップ……」
自然と、涙が溢れてきた。
もう彼には会えないのだと、何となく悟ったから。
「どうして……どうしてっ……?」
泣き声が風に乗って流れて行った。
答えてくれる人は、誰もいない。そのまま、わたしが一人でしゃくりあげていたときだった。
入り口の方から、足音が響いてきた。
……あ?
微かな期待が忍び寄る。がちゃり、とドアノブが回る。
「トラップ!!」
思わず名前を呼んでいた。けれど。
そこに現れた人影は、わたしが待ち望んでいた彼ではなかった。
「あ……」
「あなた、そこで何してるの?」
「マリーナ先生……」
立っていたのは、前髪だけをピンクに染めた金髪がとてもチャーミングな、保健室のマリーナ先生。
美人でグラマーで、よく男子が騒いでいるけど。それもわかるなあって思わず頷いてしまうような、魅力的な先生。
「あの、わたし……」
「あなた、二年生よね?」
「は、はい」
マリーナ先生は、強い目で、わたしを見据えていた。
今更、気づく。そういえば、屋上は立ち入り禁止なんだ、って。
……怒られるっ……
一瞬そう思ったけれど。先生は、何も言わなかった。
ただ、じっとわたしを見つめて。そして言った。
「トラップ、って言った?」
「……え?」
「あなた、わたしが来たとき……トラップ、って言った?」
「! は、はい!」
先生は……彼を、知ってる?
ああ、そうだ。ここの学校の生徒なら……あんなに目立つ彼の外見だもの。誰かが知ってても、おかしくない。
授業には全然出てないみたいだったから、クラスメートでも知らないかもしれないけど。でも、先生なら……
「マリーナ先生。彼は……トラップは、どこにいるんですか? どこに……行ったんですか?」
「…………」
「あ。ごめんなさい。わたし、二年A組のパステル・G・キングって言います。あの……」
「……トラップは、もういないわよ」
「え?」
マリーナ先生が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
わたしの隣に立って、柵にもたれかかるようにして、先生は言った。
「あいつは、もういないわ」
「先生……?」
「あなた……パステル? あなたは、どうして彼を知ってるの?」
「は、はい。わたし、実は……」
直感的にわかった。
マリーナ先生は、多分わたしをとがめたりしない。立ち入り禁止の屋上に出入りしていたこと。そのきっかけが自殺を試みようとしたことだったということ。それを聞いても、怒ったりしないって。
そう確信したとき、わたしはしゃべっていた。この数ヶ月の間、わたしが経験したこと全てを。
ただ、その、さすがに……初体験だけは、端折ったけれど。
「それで、わたしは……彼のことが、好きだと、そう告白するつもりで、夜に屋上に向かって。トラップも、わたしを好きだと言ってくれて。
それなのに、彼は、『また会える?』って聞いても、答えてくれなかったんです。そのまま、屋上を出ていっちゃって……今日来てみたら、いなくって。先生、あいつは、どこに……」
「パステル」
次の瞬間。
わたしは、何故か……マリーナ先生に、抱きしめられていた。
「……せ、先生……?」
「パステル、ありがとう」
「……え?」
「あいつの目を、覚まさせてくれて……ありがとう」
「え……?」
ど、どういう……こと?
わたしがそうつぶやくと。マリーナ先生は、綺麗な目に涙をいっぱいに浮かべて、すっと柵の向こうを指差した。
「あいつは……あそこにいるわ」
「……え?」
くるり、と振り向く。だけど、先生の指の先にあるのは、空だけだった。
……それって……?
「パステル。どうして屋上が立ち入り禁止になっているのか、知ってる?」
「……え?」
唐突な質問に、わたしは答えることができなかった。
どうしてそんな質問をされるのかもわからなかったし、答えも知らなかった。
屋上が立ち入り禁止な理由。普通に考えれば……
「危険だから、ですか?」
「ええ。とても……とても危険な場所だったのよ。あなたが来るまでは」
「……え?」
「パステル。ここはね」
マリーナ先生は、ごくんと息を呑んで、言った。
「十年前に……ここの屋上から、一人の生徒がとびおりたのよ」
「……え……?」
「その生徒は即死だった。誰も彼の自殺の正確な理由は知らなかったし、多分受験ノイローゼか何かだろうとして、処理されてしまった。
……でも、それ以来、この校舎の屋上から飛び降りる生徒が続出したのよ。何故だかわからない。そのうち、かろうじて命を取り留めた生徒が言ったわ。
『屋上に行ったら、ある一人の生徒に会った。彼と話しているうちに、何故かとびおりた方がいいような気がした』……その話を聞いて、即座に屋上は立ち入り禁止にされたわ」
「せ、先生……」
その話を聞いて、わたしの胸をよぎったのは、まさか、という思い。
まさか……まさか……?
「屋上には、自殺した生徒の幽霊が出る。彼に会った人は、彼と同じ場所へ連れていかれる……それが、立ち入り禁止の理由。だけど、パステル。あなたは彼を目覚めさせてくれた。
そんな行為は間違っていると……生きているっていうのがどんなに素晴らしいことなのか、教えてあげてくれた」
「先生っ!」
悲鳴のような声が漏れた。マリーナ先生は、わたしの視線をまっすぐに受け止めて、答えた。
「トラップよ」
「…………」
「十年前にここからとびおりた生徒。それが、トラップなのよ。彼は、もう……死んでいるの」
「…………」
ぐらり、と眩暈がした。
どうして。どうして……
あのとき、彼が言いかけた言葉。
『……本当は、おめえを……』
同じ場所に連れて行こうとした。そう言おうとしたのだろうか、彼は。
だけど、思いとどまった。わたしが、彼に教えてあげたから? 生きていて楽しいことがいっぱいあるって、そう言ったから? だから、彼は……
「わたしのせいなのよ」
「え?」
不意につぶやかれた言葉に、振り返る。
マリーナ先生の頬をつたっているのは、涙。
「わたしが、あいつを振ったから」
「……マリーナ先生?」
「トラップはね、わたしの幼馴染だったのよ」
「……え?」
先生は、淡々と続けた。その目は、既にわたしを見ていない。
「ずうっと小さい頃から友達だった。十年前のあのとき、あいつは……家のこととか、受験のこととか、色んなことにうまくいってなくて、ずうっとイライラしてて……
そのとき、あいつに言われたのよ。『好きだ』って。でもね」
一度言葉を切ってから、先生は空を見上げた。まるで、トラップがそこにいるかのように。
「でもね、わたしにはわかったわ。それは、あいつの本心じゃないって。あいつは、ただちょっと疲れていただけなのよ。そこに、たまたまわたしがいただけ。
あいつは自分の気持ちを勘違いしていた。わたしがあいつのことを何でも知っていて、何でも話せる楽な相手だったから。それを好きっていう気持ちなんだって勘違いしていた。だから断ったの。
『そんなつもりはない』って。わたしにも無かったし、トラップにも本当は無いんでしょう? って。そういうつもりだった」
「…………」
それは、何だかわたしのことを聞いてるみたいだった。
クレイ先輩への憧れを、「好きだ」と勘違いしていたわたしのことのようだ、と。
「その翌日、あいつは屋上からとびおりたわ。……ずっと後悔してたわよ。何で、わたしはもっとあいつの話をしっかり聞いてやらなかったんだろう、って。
あいつのことが好きだった。恋愛感情じゃなかったけれど、幼馴染としては、大好きだったのに。わたしは、あいつを救ってやれなかった」
柵をつかむマリーナ先生の手が、震えていた。
「だけど、きっとあいつも後悔してたんでしょうね。死んだことを。こんな場所に縛り付けられて、色んな人を巻き添えにして……でも、あいつはやっと目を覚ましてくれた。屋上の呪縛から逃れて……きっと、成仏できたんだと思う」
先生の視線を追って、空を見上げた。
トラップ。
あなたは……本当に、そこにいるの……?
「先生……」
「あなたのおかげよ、パステル」
マリーナ先生の言葉は、静かだった。
「あなたが、あいつに本当の恋を教えてあげたから。生きる楽しさを教えてあげたから。それが、あいつの迷いと呪縛を断ち切ったのよ。……本当に。本当に……ありがとうっ……」
「先生……」
お礼を言うのはわたしの方だった。
トラップに助けてもらった。いっぱいいっぱい、色んなことを教えてもらった。
いっぱいの経験と、素敵な思い出をくれた。何より……
本当の恋の楽しさを、教えてもらった。
「トラップ……」
あなたを好きになったことを……ううん、今でも好きなことを、決して後悔しない。
もっと早くに生まれて、もっと早くにあなたと出会いたかった。心から、そう思う。
「トラップ!」
空に向かって叫んだ。その声が、彼に届くように祈って。
「大好きだから……あなたのこと、大好きだから! ずっと、ずーっと……忘れないから!」
風が、すうっとわたしの髪を撫でて通り過ぎた。
溢れ出した涙をさらっていったその風は、まるで、トラップの手のようだった。
完結です。ありがち話失礼しました。
次は……何回かリクエストされた、「原作重視、パラレルじゃない悲恋」を書けたら書きます。
こんちわ〜夜勤からかえってきたよ^^
昨日も読んじゃった〜。個人的な話ですまんけどクレイとるーみーちゃんが
激萌えっす^^
わしも投下したいけどリアル激務だから休みまで待機や^^
正直・・・・・トラパスは ネ申 ・・・・・
き・・・・きみぃ!わしの楽しみをうばわんでくれたまえ。
ネ申に因縁つけたらだめですぅ〜>263
>トラパスさま
まいどまいど素晴らしいっす!
トラパスさん作品は80年代チックなトキメキがある気がします。
なんかわかりにくい感想だけど、そんな感じ。
これからも期待してます!
あとやっぱ自分の好きなカップルを書くのが良いと思います。
同人誌の延長みたいなものなんだしさ。
あ〜、きっとトラップ(の身体)は昏睡状態で病院にいて、
暫く経ってからパステルと再会〜なんて思いつつ読んでしもた。
……違ったけど。チョト ハズカシィ
エロパロ板なのに最後の二行でホロリとしてしまいますた。
いつも楽しませて貰ってばかりだし、自分も何か投下したいなぁ。
って、エロはおろか小説すら書いたことないしな……_| ̄|○
>トラパス作者さん
いつもながら丁寧な話作りですな!
ベタ話だったので展開が読みやすい感もありましたが、
それでも話に引き込まれていったのはやっぱし文章の巧さですかね。
次回作にも期待してますのでどうか自分がノリノリで書けるものを無理せず書いてって下さい。
>>303 自分もたまに考える・・・。絵ならば描けないことはない。
が、おそらくみんながSSを読みつつ妄想しているのは迎氏の絵であろうことを考えると、
怖くて投下なんぞできん。
自分だって迎氏の絵で想像してハァハァしてるさ!
そんな葛藤を抱きつつROMやってます。
305 :
名無しさん@ピンキー:03/11/20 01:20 ID:8p0hn7XC
悲恋7、感動しました!ホント読んでてホロリとしました。
確かに話の展開は読めるけど304さんが言ったように文章が巧いから気にならない!
原作重視悲恋も楽しみにしてます、それじゃ!
>>303 俺は学校の作文ですらまともに書けなかったけど、別のスレでヘタながら書いた事がありますよ
小説は勿論、エロなんて書いた事無かったけど、やってて結構楽しかったです。
感想も「まあ、良いんじゃない」の一言でも嬉しかったりしますよ!
一度書いてみてはどうでしょう!!
>>186からの続きです。
エロ直前で止まってます。なんかながくなりそうな予感…
ペース遅いですがなるべく頑張って続き書くのでよろしくお願いします…
>>304 絵と言われるとわたしも投下しようと思ったことあるです。
つうかわたしはもともと文章かくのはほぼここが初めてで、
絵を描く方が好きだったり…
ひとの絵を見るのもスキなので、これ書き始めてからたまにぐぐってファンサイト見るようになりましたw
もしよければ投下してみてくださいと言ってみるテスト。
歩きながら、ギアは手に入れたクエストの内容を教えてくれた。
それは、とある修道院からの依頼で。
その修道院に伝わる文献を解読していたところ、つい最近、そこで祀っている女神様に関係する何かがある遺跡に封印されていることがわかったんだって。
でもその封印は、ある2つのダンジョンに別々に納められている指輪を使わないと解けない。
一方のダンジョンはそんなに危険度が高いわけでもなかったけれど、
もう一方は獰猛なモンスターがたくさん出てくる難易度の高いダンジョンだった。
修道女たちだけでも、前者のダンジョンは探索することが出来た。
けれど、後のほうはやっぱり危険だということで冒険者に探索を依頼することになって、
それでそれを受けたのがギアとダンシング・シミター。
「ダンシングシミターはいまどうしてるの?」
「彼はその封印があるという遺跡を修道女たちと調べている。指輪をどうすれば封印がとけるか、とか」
「それでギアはこっちのダンジョンの探索をしてたんだ?」
彼はうなずいて、おもむろにわたしの手を掴んだ。
「!」
びっくりして彼の顔を見上げると、彼もわたしの目をじっと見つめて…ほんの少しの間を持たせてから、口を開いた。
「この指輪…まだ外せないか?」
び、び、び…っくりしたぁ…
いきなりすぎるよ。
ギアの大きな手に包まれると、自分がひどく小さくなったような気になってしまう。
骨ばっていてぬるい指先がわたしの手を掴んで、指輪をもう一度抜こうとした。
その…なんていうかね。自分で自分が恥ずかしいんだけど。
ギアの触れる指先の感触が普段の100倍くらい敏感になってる感じがしてしまって…
「うーん…取れないな」
…ずっと取れなくてもいいかも、とまで考えてしまう自分がいた。
あの朝、ギアはわたしにキスをしてくれて、
それはそのまま澱のように、わたしの心のふかーいところに潜っていったんだと思う。
どう思うとか、どうしたいとか、いろいろな事…
わたしはその前夜に結論を出してしまっていたから、そのときは、こう思っていた。
「いまさら我侭が過ぎる」「キスしたからって、調子が良すぎる」…って。
…でも、ずっとずっとほんとうは考えてた。
もう一度して欲しかった。
そのときの記憶はとても曖昧だったけど、思い出せば思い出すほどそれは甘くなっていって…
まるで濃厚な蜂蜜みたいに、わたしの味覚を狂わせてしまったんだ。
ダンジョンの出口が近づいても、クレイたちには会えなかった。
「何で?クレイたち…どこにいっちゃったの?」
「変だな…パステルがいなくなったからって、置いていくようなことはしないだろ?彼らは」
「…と、思うんだけど」
でも現実、彼らはいない…
わたしは眉根を寄せながら辺りを見渡して、あることに気がついた。
「…あれ?」
洞窟の感じがなんとなく…見覚えがない。
えっとね、ダンジョンに限らず道って、帰り道の風景って行きと全然違って見えるじゃない?
だからわたしのこの考えは当たり前と言えば当たり前なんだけど…今回は何ていうんだろう。根本から違う感じがする。
「どうした?」
「えっと…ギア、ちょっとだけマップ見せてもらっていい?」
ギアが持っているマップを受取って、見せてもらう。
わたしって、どのあたりでワープしたんだっけ?
…?!
「こ、このマップ…合ってる?」
「あ、ああ…途中まで探索した修道女が作ったらしいが、奥のほうは確認しながら自分で書いたから、合ってるはずだよ」
自分で書いたんだ?うまいなぁ。
…なんてことをいま言ってる場合じゃない。
これはどういうことなんだろう?
わたしが持っている、ダンジョンの道筋とことごとく合わなかった、クエストを買ったときに手に入れたマップと。
ギアが途中から書き足したマップ…ふたつはすごーくよく似ている。
というか、ギアの書き込みがなかったら、ふたつは同じものなんじゃないか?って思うくらい。
わたしがまじまじとその2つを見比べていると、ギアも横から覗き込んできた。
「…」
い…いきなり至近距離はやめてほしい。
心臓に悪いよ。
「じゃあ、わたしはその…もう一方のダンジョンから、こっちのダンジョンにワープしちゃったってことなのかな?」
「多分そうだと思う。そんなトラップがあったなんて、修道女たちは言ってなかったから見落としたんだろう」
ううう。なんだか、頭がこんがらがりそうなんですけど…。
えっとね。
ギアとわたしのマップを比較してみて、さっきまでわたしがいたダンジョンの場所なんかを説明して…
わたしたちが挑戦していたダンジョンと、いまわたしがギアと出会ったダンジョンは別の場所だというのがわかった。
わたしたちがいたのは、修道女たちが最初に探索したほう。ギアと出会ったのは、彼女たちが危険だと判断したほう。
そしてわたしはその間を移動してしまうワープのトラップにひっかかってしまったみたい。
ふたつのダンジョンは繋がりのないものではないんだし、そういうトラップのひとつやふたつあったとしてもおかしくはない。
現実として、わたしはここに飛ばされてきてしまったんだし…
ダンジョンの外に出てみると、やっぱりわたしが入った場所とは全然違う景色が広がっていた。
「パステル、これからどうする?もうひとつのダンジョンは結構離れているんだが…」
「え…どれ位?」
「半日はかかる。今から向かうと…途中で陽が暮れるな。野宿して、明日の昼前には着くんじゃないか?」
「そ、そんなに?どうしよう…みんなとどうやって合流すればいいんだろう…」
きっとみんなは、わたしが他のダンジョンに飛ばされているなんて考えもしないと思う。
たぶん、ダンジョンの中のどこかに飛ばされてしまった…としか思ってないんじゃないかな?
ダンジョンの攻略を終えてはじめて、どこにもわたしがいないことに気付いて…
それからどうするだろう。
もう一度ダンジョンの中や周りを探索とかするかな。
それで近くの町にとりあえず宿を取る…?
はぐれたときどうするかなんて決めてなかったから、どうしたらいいのか全然判断できない…
わたしが半泣きになると、ギアはぽん、とわたしの肩を叩いた。
「とにかくそのダンジョンに行ってみよう。会えないと決まったわけじゃないよ。彼らもきみを探しているだろうし」
「…うん。ありがとう、ギア」
彼のあとを付いて細いけもの道を進むと、傾きかけていた太陽はすぐに沈み始めてしまった。
「今日はこのあたりで野宿にしようか」
と言って、彼が案内してくれたのは小さな泉。
今回ここに来る途中に見つけて、休憩場所にしたらしい。
手分けして、わたしが木を集めて火をおこす間に、ギアがミミウサギをしとめて、捌いてくれた。
う〜ん…調味料や他の食べ物があれば、少しは料理らしい料理が出来たんだけどな。
何もなかったから少し塩をして火であぶる。それだけでもおいしいんだけどね。
と、ギアに言ったら「じゃあ今度パステルの料理を食べさせてくれよ」っていう返事が返ってきた。
「男2人だと、なかなかそっちまで気が回らなくてね。大体こうして肉を焼いて終わりだよ。もしくは携帯食料だけとか」
「そうなんだ。毎日おなじで飽きない?」
「野宿ばっかりでもなくて宿と半々だから、平気だが…毎日だったらさすがに飽きるだろうな」
「そっか…うちはお金がなくて野宿が多いから、だから料理に力がはいるのかも」
ギアはあはは、と笑ってくれたけど、ううう…恥ずかしい。
食べ終わって後片付けも終わり、交代で火の番をしながら休むことになった。
大きな木の幹に寄りかかって、マントを毛布代わりに膝にかける。
「ほんとに今日は、ありがとう」
わたしが話しかけると、隣で膝を立てて座っているギアがこちらを向いた。
「ギアに会えなかったらわたしきっとあの狼に食べられちゃってた。
…もし助かったとしても、絶対動けなくてダンジョンから出られなかったと思う。
ダンジョンを歩いているときも、大したモンスターも出ないし、
罠がないかどうかトラップが先頭を一緒に歩きながら調べていてくれたから…安心し過ぎてた。
ほんとはどんなダンジョンでも気を抜いちゃ駄目なんだよね」
…自己嫌悪してばっかり。
そのことばだけはくちに出さずに、心の中でぽつりとつぶやいた。
と、
「…助けられて、良かったよ」
―――!!
ギアの手がわたしのほっぺに触れた。
続けて、唇も。
そうだ…彼はワープのトラップで、仲間と…愛する人をなくしたことがあるんだ…
そのことに思い当たって、彼の目を見つめると、今度は唇にキスされた。
前にされた、ふいうちのキスのときは動転してばっかりだったけど…
もちろんいまも、心臓はものすごい勢いで鳴り響いてはいるけど!
驚いたことに、ギアのキスを、わたしは受け入れていた。
ついばむように、優しく重ねられるキス。
触れるたびに身体が反応してしまう。
ほおに添えられていた手がわたしのからだを抱きしめてくれたから、わたしも恐る恐る彼の背中に腕をまわした。
投下してみて思ったこと。
短っ!!!
しかもエロなくてほんとうにごめんなさい…
もしかしてそろそろ次スレ立てたほうがいいんでしょうか?420バイト。
314 :
名無しさん@ピンキー:03/11/20 02:08 ID:q3LDuNoN
ラノベ本スレで聞こうとしたらエロパロ板に行けと言われたのでこっちで聞きます。
MOSO本買おうかどうしようか迷っているのですが、ここの書き手さんの作品と比較して(本スレで推薦されたのはトラパス作者さんの作品でした)MOSO本に載っていた作品はどうでした?
読者投稿短篇とか深沢先生の作品が読めるみたいですけど。
ここで読める以上に面白い作品が無いなら、値段が値段ですから買うのをやめようと思っているのですが
>>314 今、本スレのほうでぼちぼち評価が下っていたけど…
エロパロ板行けって言われたのは、カプ話についてではないかと。
本スレ、カプ話大嫌いな人がいらっしゃるようなので。
ギアパス続きキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!
サンマルナナさんGJGJGJ!!
読んでて短いとは感じないくらい引き込まれました
確かにエロないはずですが充分ドキドキさせてもらって満足です
気にせず流れのままに書いてください
そろそろ次スレですね
なんて幸せなんだこのスレ・・
>感想くれた方々
ありがとうございます。
次の悲恋ではダーク要素が薄く大人っぽい作品を書きたいなあ、と(願望ですが)思っています。
えーと新作です。
何回かリクエストされた「パラレルじゃない原作重視な悲恋」
要注意!!
・悲恋ですので登場人物は誰も幸せになっていません。アンハッピーエンドが嫌いな人は見ないでください。
・視点が四人の間で切り替わっていますので見づらいかもしれません。基本的に一行開いていたら視点がうつっていると思ってください。
パステル→トラップ→マリーナ→クレイ の順番でうつりかわっています。
気が付いたら、あいつのことしか見えなくなっていた。
誰よりも厳しくて、現実主義者で、優しい言葉なんか滅多にかけてくれない。
だけど、心の奥底では、実は誰よりもみんなのことを考えているんじゃないか。
ふとそんなことを考えたとき、あいつの行動一つ一つが、全部そんな……優しさを隠した行動のように思えてきて。
そう考えたら、それまでちょっと厳しいな、と思っていた口の悪いところなんかも、全部照れ隠しみたいに思えてきて。
それから、わたしは彼のことを悪く言えなくなった。
その顔を見れば真っ赤になってしまう。何も言えなくなってしまう。文句も、悪口も、何も。
この気持ちを何と言うのか。わかってはいるけれど……認めたくは、ない。
ずっとあいつを思っていた。
ガキの頃から同じ家で暮らしてきて、一緒にいることの方が自然だと思っていた。
だから意識したことなんかなかった。けど、冒険者になって、初めてあいつの姿を見ない日、っていうのを経験して。
何気ねえ瞬間に目であいつの姿を探しちまってるのに気づいて、俺は悟った。
そうか。俺はあいつのことがずっと好きだったんだな。
何年離れても忘れられねえくらいに……再会した瞬間、「さらって逃げてえ」と本気で思ったくらいに。
……違うか。
好き「だった」じゃねえ。今でも「好き」なんだ。
けど、この気持ちが実るか、実らねえか。
俺は、その答えを知っている。
幼馴染なんて好きになるもんじゃない。
最近、つくづくそう思う。
同じ家で暮らしていたあいつの友達だった。それが、わたしが彼と知り合ったきっかけ。
いちいち自分を偽らなければ何もできなかったわたしとは違う。
愚かなくらいに他人に優しくて、そのためなら自分はどうなっても構わないと、本気でそう思える人。
わたしが彼を好きになるなんて、身分違いもいいところだから。一緒にいられるだけで満足しようと思っていたのに。
彼は、あっさりとわたしから離れて行ってしまった。いずれそうなるとはわかっていたけれど、それでも、その日はあまりにも突然にやって来た。
鈍い彼は、きっとわたしの気持ちになんか気づいていない。
数年経って再会したとき、彼の傍に同い年くらいの女の子がいるのを見て、わたしがどれだけ悲しかったか……きっと、何も気づいてはいない。
パーティーの仲間なんて、家族と一緒だと思っていた。
彼女を見るたび守ってあげたいと思うのは、妹と同じように思っているからだ、と。
だから、俺は誰からも鈍い鈍いと言われるんだろうな。
自分で自分の気持ちに気づくまでに何年かかったか。それを考えると、その言葉を否定できなくなる。
泣き虫で寂しがりやで、優しくておひとよしで。
彼女は俺が今までに見たことのないタイプの女性だった。脆そうに見えて芯は強い、強そうに見えて心は弱い、そんな女性は初めてだった。
何も知らない彼女を守ってあげなきゃ、と最初のうちは思っていた。そのうち、それは守りたい、という気持ちになった。
そうか。俺はきっと彼女のことが……
そうと気づいたとき、「家族」という言葉が使えなくなった。
けれど、この気持ちを表に出していいものか。
答えは、ノーだ。
「え? マリーナが?」
「ああ」
昼食を食べるために猪鹿亭にみんなで集まったとき。
郵便配達のバイトをしているトラップが、みんなの前に手紙を一通差し出した。
そこに書かれている名前は、確かにマリーナ。
トラップとクレイの幼馴染で、美人でスタイルも良くて性格もいいという、とっても羨ましい女の子。
「もうすぐ俺の誕生日だろ? エベリンに来てもらうのは悪いから、今年はシルバーリーブに来るってよ」
そう言うトラップの顔は、すっごく嬉しそうだった。
季節は春。後数日で、トラップの誕生日である5月3日が訪れる、そんな日。
そっかあ。マリーナが、こっちに来るんだあ……
そう思うと、何だか複雑な気分になる。
ちらり、と視線を上げれば。「腹減った」とか言いながら昼食をぱくついている、赤毛の盗賊の姿がある。
トラップ。パーティー唯一の現実主義者で、ひょろっとした体格に端正な顔立ち、それをぶち壊しにするような口の悪さが各種トラブルを招くという、そんな人。
冒険者になったばっかりの頃から、ずっとわたしを助けて、色んなことを教えてくれてきた人。
はあっ。
トラップの顔と、マリーナからの手紙を見て、ため息が漏れる。
わたしは多分、トラップのことが好きなんだ。
鈍い鈍いって言われるけど、自覚せざるをえない。だって、気がついたらトラップの姿しか目に入らなくなってるんだもん。
だけど、トラップは、多分……
この上なく嬉しそうな顔で、リタにビールを注文する彼の姿が、どこまでも痛い。
「パステル、どうかしたか?」
優しい声に振り向けば、隣に座っていたクレイが、心配そうにわたしの方を見ている。
いけないいけない。ついボーッとしちゃった。
「ううん、何でもない。ね、マリーナが来るんだったら、猪鹿亭を借り切って盛大にパーティーしない?」
「ああ、そうだな」
クレイの優しい笑顔を見ると、ささくれだった心が少し穏やかになった。
どうせ叶わない思いなら。口に出したって、今の関係を壊すだけで何もいいことがない、そんな思いなら。
忘れちゃうのが、一番いいんだから。
自分で自分に言い聞かせて、わたしは昼食を口に運んだ。
そっか、あいつがこっちに来るのか。
手紙を見たときは、素直に「嬉しい」と思った。
全くなあ。俺がまさかマリーナに惚れてたなんて。こんなことなら、何でもっとガキの頃にきっちり自覚しとかなかったんだろうな?
今となっちゃ、滅多に会う機会もねえっていうのに。まあ、それはそれで、飽きるってことがねえからいいことなのかもしんねえけどな。
ガキの頃から孤児っつー負い目を背負って、いつも遠慮していたあいつの姿を思い出す。
俺達は誰もそんなこと気にしちゃいなかったのに。あいつはいつだって、自分の立場をわきまえて、度の過ぎたわがままとか、そういう汚い感情を一切表に出さねえようにしてきた。
あいつはそれを隠してたつもりなんだろうけどな、俺にはお見通しなんだよ。
それが、俺がおめえを意識した瞬間なんだからな。
そんな必要なんざねえ、素直な、心を開いたおめえの姿が見てえ。
そう思ったその瞬間から、多分俺はおめえに堕とされてたんだぜ? ま、おめえはそんなこと、ちっとも気づいちゃいねえだろうけどな。
……それに。
ふっと目を上げれば、パステルと楽しそうにしゃべっているクレイの姿が目に入る。
クレイ。俺とマリーナの幼馴染。誰が見ても美形だと言える外見に、誰が聞いてもおひとよしだと答える性格。女なら誰もが惚れずにはいられねえ、そんな何もかも兼ね備えた自慢の幼馴染。
そうだ。俺はガキの頃からおめえを見てたんだ、マリーナ。
だから、おめえが誰を見てたのか。それも、俺は知っている。
けどな。
思うだけなら……自由だろう? おめえも、俺も。
「おーいリタ、ビールお代わり!」
刺すような胸の痛みを振り払って、俺は大声をあげた。
乗合馬車に乗るとき、胸がドキドキするのがわかった。
幼馴染のあいつの誕生日。そんなのはただの口実だって、自分でもわかっていたから。
ぎゅっと荷物を抱きしめるようにして、硬い座席に腰を下ろす。
同じ家に住んでいたトラップの幼馴染。それが、わたしが彼と知り合ったきっかけ。
それからずっと三人で過ごしてきた。孤児で、何も持っていなかったわたしとは対照的に、彼は何でも持っていた。
それなのに、わたしのことを蔑んだりしなかった。いつだって暖かい目でわたしを見て、優しくしてくれた。
同情じゃない優しさをもらったのは初めてだから。
窓の外を流れていく町並み。少しずつ、彼の住む街に近づいていく。
それだけで、ドキドキが止められなくなった。
クレイ。
わたしはあなたのことが好き……そう言ったら、きっとあなたは困るんでしょうね。
苦笑しか漏れなかった。あなたは鈍い人だから。パーティーのリーダーとして、何もかもわかっているつもりなんでしょうけど、実際は何も気づいていない。
みんなの気持ちにも、わたしの気持ちにも、そして自分自身の気持ちにも。
クレイの傍にいる、太陽のような笑顔を持つ女の子の姿を思い出す。
パステル、わたしはあなたのことが大好きよ。
いるだけで周囲を暖かい気分にできる、素直に思ったことを口にできる、そんなあなたがとても羨ましい。
わたしがどれだけ望んでも手に入れられなかったものを、あっさりと手に入れたあなたが……そして、そのことに自分で気づいていないあなたが。
とても羨ましくて、そして少し妬ましい。
ふうっ、と壁に背中を預ける。
シルバーリーブはそんなに遠い街じゃない。だから、いつまでもこんなことを考えていちゃいけない。
気持ちを切り替えなくちゃ。早く、いつもの「わたし」に戻らないと。
わたしはいつだって、明るく笑っていないと。そんな「マリーナ」でなければ、きっとみんなが変に思うから。
わかっていたことでしょう? 実らない思いだって言うことは。あの人には立派な婚約者がいて、わたしなんかが彼の傍にいることはできないって……わかりきっていたでしょう?
その相手が、パステルに変わっただけ。傍にいるのがわたしじゃない、っていうことに、何のかわりも無い。
どれだけ言い聞かせても、婚約者、サラのときとは明らかに違う胸の痛み。
一体、これは……何なのかしら。
「マリーナ、いらっしゃいっ!!」
みすず旅館の前に現われたマリーナに、パステルがとびつくようにして声をあげた。
「パステル、ひさしぶりね!」
「うんうん! マリーナも元気そうでよかったあ!」
たちまちのうちにきゃあきゃあと声をあげる女の子二人の姿が、微笑ましい。
俺が笑っていると、隣でトラップの奴に小突かれた。
「あに笑ってんだークレイちゃん? ほれ、とっとと行くぞ」
そう言ってのんびりと玄関に歩き出すトラップの足取りは、妙に嬉しそうだ。
まあ、自分の誕生日を祝うために、わざわざ来てくれたんだからな。そりゃあ嬉しいだろう。
トラップの後に続いて、外に出る。
マリーナはちっともかわっていなかった。子供の頃と同じ、明るい笑顔でみんなに挨拶をしている。
それに答えるようにして、トラップがばんばんと彼女の肩を叩いていた。それは、昔とちっとも変わらない光景だ。
唯一、変わったところといえば……
視線をずらす。トラップの隣に立っている、蜂蜜色の髪の毛の女の子。
パステル。冒険者になる前に偶然出会って、それからもう数年、ずっと一緒に暮らしてきた子。
彼女の視線の先にいるのが誰か、そして、その視線にこめられた感情に気づいて、息苦しいような気分になった。
俺は鈍い、とみんなによく言われる。確かに、後になって「え? そうだったのか?」と驚いたことは一度や二度じゃない。
無駄に鋭いトラップあたりからはよくからかわれるけど、こういう性格なんだから仕方が無いだろう、と開き直っている。
そんな俺が、彼女の思いにだけ気づいてしまったのは……それは、ある意味当たり前のことで、だけどひどく残酷だ。
パステルのトラップを見る目。
マリーナと楽しそうにしゃべっている奴の姿を見る目は、とてもとても悲しそうで。トラップはパステルのことを見ようともしないから、気づいてはいないんだろうけど。
……どうして。
どうして、あいつなんだろう? そうパステルに聞いてみたい。
出会った頃から、トラップは随分パステルに厳しく当たってきたのに。泣かせたことだって何回もあるのに。そのたびに慰めていさめて間を取り持ってきたのは、俺なのに。
それなのに、どうしてトラップなんだろうな……?
胸に渦巻くどろっとした感情。
パステルに、そしてトラップに抱いてしまったこの感情の名前。
それを、俺はまだ知らない。
「クレイっ、ねえ、マリーナの部屋って、客間でいいよね?」
パステルの声に、俺は慌てて頷いた。
「ああ。それでいいんじゃないかな?」
トラップがマリーナの荷物を担ぎ上げた。
忘れよう。マリーナは、トラップの誕生日のためにここに来たんだ。
わざわざ来てくれた彼女に、醜い争いは見せたくない。
玄関のドアを開け放ちながら、俺は笑顔を取り繕った。
キスキン王国のごたごたの後、手に入れた家は程なくして燃えてしまった。
でも、自分たちの家を持ったときの喜びが、忘れられなかったから。
だから、わたし達はその後一生懸命クエストに行ったりバイトに励んだりして、そうしてやっと新しい家を手に入れたんだ。
今度の家は、一部屋は狭いけど部屋数がすっごく多い部屋。
ちょっとだけ広い部屋をわたしとルーミィとシロちゃんの部屋にして、後のメンバーは全員個室。それに客間が二つ。
マリーナをそのうちの一つに通すと、彼女はすっごく感心してくれた。
「へえー。立派な家じゃない。パステル達も随分頑張ったのね」
「えへへ。やっぱり家があると、ここが自分の居場所だ! って思えるじゃない?」
わたしがそう言うと、マリーナの目がちょっと曇ったような気がした。
どうしたのかな?
「それにね、宿代もかからないし。以前はノルはいつも馬小屋とか納屋で寝てもらってたしね。本当に家って大事だと思うから」
「そうね……」
寂しそうな目だな、と思ったのは一瞬のことで、すぐにマリーナは笑顔を見せてくれた。
「パーティーは明日の夕方から?」
「うん。猪鹿亭を借り切ったから。お料理もそこの台所借りる予定。ね、マリーナも手伝ってね」
「もちろんよ! それにしても、トラップがもう19歳とはねえ……」
本当。月日が流れるのは早いと思う。
だって、わたしが初めて会ったとき、トラップって確か15歳だったんだよ? あれからもう4年、かあ……
マリーナの荷物整理を手伝っていると、その中から綺麗に包まれたプレゼントが出てくる。それを見て、ふと机の中にしまってある包みを思い出した。
わたしはみんなにプレゼントを贈るのが好きだから。トラップにだって、もちろん用意してある。
でも、いまだに悩んでいるのは、メッセージカードに何を書こうか、っていうところ。
普通に「トラップへ」って書くのが、一番無難なんだろうけど……
「パステル?」
「あ、ごめん。何でもないよ」
心配そうに眉をひそめているマリーナの顔は……こうして見ると、やっぱり美人だなあ、って思う。
胸だって大きいし。……わたしも、マリーナみたいになりたい。
トラップ、常々言ってるもんね。女の子は出るとこが出て、引っ込むところが引っ込む、そんな体型が一番だ、って。
もし、わたしがマリーナみたいに美人でスタイルも良かったら……そうしたら、トラップは少しはわたしのことを見てくれたのかな?
そんなことを考えていたときだった。
ガチャンッ
「おい、夕飯食いに行くぞー。……あにやってんだ、おめえら?」
「と、トラップー!?」
突然、考えていた当の本人が姿を現して、わたしは思いっきりうろたえてしまった。
あ、あわわわわわ、落ち着いて、落ち着かなきゃ!!
わたしが慌てふためいていると、マリーナが腰に手を当てて立ち上がった。
「トラップ? 女の子の部屋に入るときは、ノックくらいするのが礼儀じゃないの? 全く、あんたのそういうところ、ちっとも変わってないんだから」
「はあ? 俺とおめえの仲だろ? 今更遠慮するようなことがあんのかよ?」
「そういう問題じゃないのっ!」
ズキンッ
二人の会話を聞いた瞬間、胸を刺されたような気分になった。
俺と、おめえの仲……
ああ、そうだよね。わかってたことだもん。トラップとマリーナは、ずっと小さい頃から一緒に暮らしてきて。その頃から、トラップは……
今更、傷ついたって……しょうがないでしょう?
「おい、パステル。おめえ、あにぐずぐずしてんだよ」
頭上から降ってきた言葉に、生返事をして立ち上がった。
自分の気持ちを隠すのが、こんなに辛いなんて……知らなかった。
いつものメンバーにマリーナが加わっただけだっつーのに。
それだけで、何で食事がこんなに賑やかに感じるんだろうな?
「ルーミィ! こぼしちゃ駄目だってばー!」
「ぱーるぅ、こえ、こえ美味しいよー!」
向かいの席で騒いでいるパステルとルーミィ。その光景を隣で微笑ましそうに見ているマリーナ。
どうしたって視線がそっちに向いちまう。俺の誕生日が終わったら、後二日か三日もしたら、またこいつはエベリンに戻っていって、そして当分会えないんだろう。
そう思うと、何だかすげえもったいねえ、という気分になる。
テーブルの上に並べられた料理が、どんどんと消えていく中、俺はやり場のねえ思いに振り回されていた。
この思いをぶちまけてえ。いっそ、さらっていってやりてえ。
マリーナは俺のことを幼馴染とか兄貴とか、そんな風にしか見てねえんだろうな。家族扱い。そりゃあ、一緒に暮らしてたんだから、そうなるのも無理はねえ。
俺だって男なんだよ。おめえとは血のつながりなんか何もねえ……男。
なのに、おめえは……
マリーナの視線は、パステルとルーミィに向いているようだが。
本当は違う。当の本人だって気づいてるかどうかは怪しいもんだが、俺にはわかる。
あいつが見ているのは、その向こうにいるクレイだ。
ガキの頃から、おめえはそうだったもんな……クレイのことだけを一途に見てきたもんな。
ふっ、とクレイに目を向ける。
あの鈍感野郎め。おめえはちっとも変わってねえ。自分に向けられる好意にここまで鈍感な奴なんて初めて見たぜ。
ぐいっとビールをあおる。
クレイなら仕方ねえか、とも思う。あいつは掛値なしにいい奴だし、マリーナを絶対に幸せにするだろうから。
あいつに取られるんなら……まだ、諦めもつく。
そのときだった。
「あーっ!!」
ガチャンッ
盛大な悲鳴とともに、ルーミィが皿をひっくり返した。中身のスープが、パステルの膝の上にぶちまけられる。
「ああーもうっ……」
「うっ……ぱ、ぱーるぅ……ごめんだおう……」
今にも泣きそうなルーミィに、パステルが苦笑を浮かべて頭をなでていた。
「いいのよいいのよ。気にしないで」
「パステル、大丈夫か? 怪我、しなかったか?」
身を乗り出してきたのは、隣に座っていたクレイ。
ハンカチを取り出して、パステルの膝を拭いてやっている。
よく見かける、いつもの光景だった。だから俺は、すぐに興味もなくなって目をそらそうとしたんだが……
一瞬、身体が強張った。
その光景を見るマリーナの目が、すげえ寂しそうだったから。
あいつが、あれだけ素直に感情を出すのは珍しい。それくらいに……強い思い?
視線を辿る。
「いいってば、クレイ。ありがとう」
「いや、でも……っ……! ご、ごめんっ!!」
笑顔でハンカチを受け取るパステルと、ようやく自分がかなり際どい場所を触っていたことに気づいて真っ赤になったクレイ。
クレイのその目はすげえ優しかった。いや、あいつが優しいのなんかいつものことだが、パステルを見る目は……何だか、違うように思えた。
真っ赤になって、視線をそらそうとして、それでいてそらせない。
あいつのあの目が何なのか、俺は知っている。
多分、それは俺がマリーナを見る目と、同じだから。
マリーナ。
視線を戻すと、マリーナはもう何でもないような顔をして、ルーミィを抱き上げていた。
……おめえは気づいているんだろうな、クレイの思いに。
俺がおめえの思いに気づいたのと同じように。
それなのに……諦めきれねえんだな?
……どうして、クレイなんだよ。
明日は誕生日だっつーのに。
やけに暗い気分になるのを、止めることができなかった。
居場所。
パステルの言葉が忘れられない。今夜は眠れないかもしれない。
通された客間で、わたしはため息をついた。
窓の外はもう暗い。きっと、みんなもう眠っているんだろう。
そっとベッドから身を起こす。
ここは客間。わたしの居場所は、ここには無い。
それはわかっているのに、どうしてもここにいたいと思ってしまう。
……きっと。もしわたしが「パーティーに入りたい」と言えば……みんなは喜んで迎えいれてくれるんじゃないだろうか。
それは、わたしの都合のいい考えだけど。あの優しいみんなだもの。無下に断ったりは、しないと思う。
だけど、そうしたらきっと、わたしはもっともっと痛い思いをすることになる。
夕食のときの光景を思い出して、壁にもたれかかった。
クレイがパステルのことをずっと見ていたのには気づいていた。
久しぶりに再会したその瞬間から、もうクレイの心の中にわたしが入り込むような隙間はどこにも無いんだって……悟っていた。
パステル。
どうして、あなたなの……?
そう思ってしまう理由を、わたしは知っている。
彼女が、わたしと同じように何も持っていなかったから。
パステルもわたしと同じ。両親を失って、どこにも居場所がなくなって、そうしてクレイ達と出会うことで初めて居場所を手に入れた女の子。
わたしととてもよく似た境遇。それなのに、わたしは手に入れられなかったクレイの心を、どうしてあなたはあっさりと手に入れることができるの?
どうして……似たような境遇なのに、そんなに素直で、明るくていられるの?
こんなことを考えてしまう自分がとても嫌だった。きっとパステルなら……
そのときだった。
どんどん
荒っぽいノックの音が、響いた。
「……はい?」
こんな時間に、誰?
ノックをするような人。パステル……もしかして、クレイ?
淡い期待がこみあげる。だけど、わたしの予想は外れた。それは、とても珍しいことだったから、少なからず驚いた。
「トラップ? 何か用?」
「…………」
トラップは答えずに、バタンとドアを閉めて部屋の中に入ってきた。
……やけに、真面目な表情をするようになったのね?
ずっと小さい頃から一緒に暮らしてきた幼馴染で、兄貴みたいな人。
子供の頃は、勉強だって運動だって何でもわたしの方ができたから。随分トラップはむくれていたけれど。
今、わたしの目の前に立っているトラップは、ずっと背も高くなっていて。きっともう、わたしじゃ敵わないだろうって思える、立派な冒険者だった。
「トラップ?」
「……泣いてたのかよ」
ボソリ、とつぶやかれた言葉に、思わず手を頬に当てた。
泣いていたつもりなんか無かった。わたしは強い女の子だってみんなが思ってる。その期待を裏切らないためにも、人前では泣かないようにしてきた。
だけど、頬は確かに湿っていて……
「わたしだって、泣きたいときくらいあるわよ?」
見られた、という気恥ずかしさも手伝って、わたしはわざと明るく言った。
トラップに今更気取って見せても仕方がない。きっとこいつは、わたしの考えなんか全部お見通しなんだろうから。
そう思っていても、止めることができなかった。
「それよりトラップ、何か用? こんな時間にレディの部屋にやってくるなんて、ちょっと無作法じゃない? あんたに礼儀なんか期待してないけど」
わたしがベッドから立ち上がった瞬間。
不意に伸びてきた両腕が、わたしの身体を捉えた。
「……トラップ……?」
「やめとけよ」
ぎゅっ、と腕に力がこめられた。
抱きしめられてる……? わたしが、トラップに?
それは何だかありえないことのように思えて、何をどうすればいいのかわからなかった。
「やめとけ。クレイなんざやめとけよ……あいつはおめえを見てねえ。おめえの良さを何もわかってねえ。それなのに、何でクレイなんだ?」
「トラップ?」
「俺じゃ駄目なのかよ? おめえが望むなら、俺は何でもしてやるぜ? おめえがずっと欲しがってた『居場所』って奴を、俺なら作ってやれる。俺じゃ駄目なのかよ!?」
――え?
それは、予想外の言葉だった。
トラップをそんな目で見たことはなかったし、見られていた、ってことにも気づいてなかった。
だって、トラップは兄貴みたいなものだった。家族だと思っていた。
居場所が無かったわたしに、色んなものを与えてくれたブーツ一家。わたしは彼らに……もちろんトラップにも……すごく感謝している。
家族と同じように思っていいと言われたから、トラップのお母さんを「母さん」と呼んできた。
だから、トラップはわたしにとっては兄貴。そう思わないと……せっかく手に入れた家族を、また失うことになるじゃない……?
「トラップ、離して」
「離さねえ」
「離して、わたし、あんたをそんな風には見れないのよ! わかってるんでしょう? わたし、わたしが好きなのはっ……」
その瞬間。
強引に唇を塞がれた。荒っぽく肩を捕まれる。痛いくらいに押し付けられる唇。
体重がかけられて、そのままベッドに倒れこんだ。
「痛いっ……」
骨がきしむような音。思わず顔をしかめたけれど。視線を上げた瞬間、痛みなんか感じられなくなった。
目の前に迫っているのは、いつも傍で見ていた明るい茶色の瞳。
怖いくらいに真剣な眼差しでわたしを見つめる、トラップの顔。
「家族」が壊れる瞬間だと、何となく悟っていた。
トラップの手が、服のボタンにかけられる。反対の腕はがっちりとわたしを押さえ込んでいて、振り解こうとしてもびくともしなかった。
……敵わない。
いつの間にか、こいつは「男」になっていて。もうそうなったら、「女」のわたしでは、どうしたって力じゃ敵わないんだっ……
ボタンがいくつか外されて、胸元があらわになった。刺さるような視線を感じて、わたしはぎゅっと目を閉じた。
あてがわれる手の感触が、全身に震えのような感覚を走らせる。
……駄目っ……
膝の間に割り込んでくる脚。耳元に触れる荒い吐息。
「やめて……」
「…………」
トラップは聞いてないみたいだった。無言でわたしの身体をまさぐる手は、止まる気配は……無い。
「やめて。やめて!」
「…………」
唇が首筋に当てられた。微かな痛みが、肌に痕を残したのがわかった。
胸をつかまれて、涙が滲んできた。
失いたくない。
ブーツ一家という家族を失ったら……わたしは、次はどこに行けばいいの?
「大嫌い!!」
そう思った瞬間、叫んでいた。
本音じゃない。トラップを嫌いになるなんて絶対にできない。だって「兄貴」なんだから。
だけど、叫んでいた。嘘をつくのにはなれているから。
「大嫌い。そんなことをするあんたは大嫌いよ、トラップ……」
「…………」
涙で濡れた目でじっとにらみつけると、トラップの視線が、そっとそらされた。
拘束が緩む。その手を無理やりに振り払って、服を直す。
「大嫌い……」
きっと、この言葉はトラップの心をひどく傷つけたんだろうと思う。
だけど、駄目。わたしには、あんたを男として見ることができない。
抱かれそうになって、改めて実感してしまったから。
わたしが好きなのは……手を触れても許せる、そう思えるのはっ……
振り返りもせずに部屋をとび出した。
バタンッ、という音が、やけに大きく響いた。
何だか、外が騒がしい?
眠ろうにも眠れなくて寝返りばかり打っていたところに、ドアが開く音が聞こえたような気がして、俺は身を起こした。
眠れなかった原因は、大体わかっている。
夕食のとき、偶然とはいえ触れてしまった、パステルのその……膝というか。腿というか。
そうと気づいた瞬間、心に走ったやましい思い。そのことに関する自己嫌悪が、俺から睡魔を奪っていた。
……何を考えているんだ、俺は……
一応、健康な年頃の男として。俺だって人並みに欲望くらい持ち合わせてはいたけど。
それは絶対に表には出さないようにしてきた。そうでないと、男女混合のパーティーなんて組んでいられない。
横で無防備なパステルの寝顔を見ると、つい触れてみたい、と思ったりする。そして、実際に触れてしまったら……きっともう止められないだろう、とわかっている。
パステルは、自分で気づいているのかはわからないけれど、十分に魅力的だ。
少なくとも俺はそれに気づいている。……君に、そう伝えてやりたい。
だけど……
そのたびに自制してしまうのは、同時にパステルの気持ちにも気づいているから。
パステルが一途にトラップのことばかり見ているのを知っているから。
幸せになって欲しい、心からそう思う。
俺が好きなのは彼女の笑顔だから。悲しそうな顔なんか見たくない。
だけど、トラップは気づかない。変なところでは鋭いくせに、肝心な部分ではどうしようもなく鈍感で。
……トラップ。
お前は……どうして、どうしてっ……
そのときだった。
とんとん
軽く響いたノックの音に、俺は思わず立ち上がった。
時間はもう真夜中だ。一体、誰が……?
「はい?」
「クレイ……今、ちょっといいかしら……?」
「マリーナ?」
がちゃん、とドアを開ける。
そこに立っていたのは、寝巻き姿のマリーナだった。
俺の顔を見た瞬間、すがるような目を向けて、部屋の中に入ってくる。
思わず、ドアのぶから手を離した。ぎいっ、という微かな音とともに、ドアが閉まる。
「マリーナ……?」
「クレイ。お願いがあるの」
彼女のそんな姿を見たのは初めてだった。
ずっと子供のときから一緒だったけれど。いつだってマリーナは明るく笑っていた。どんな辛い目に合っても、泣き言なんか絶対に言わず。そうしていつだって一人で何でもやり遂げてきた。
そのマリーナが。今にも壊れてしまいそうな顔で、俺にすがりついてきた。
「どうしたんだ?」
「クレイ、お願い」
ぐっと胸元をつかまれる。俺の顔を覗きこんでくるマリーナの目は、涙で濡れていた。
「抱いて」
「……は?」
言われた言葉の意味がわからない。思わず間の抜けた返事をすると、マリーナは泣き笑いの表情になって言った。
「女が勇気を振り絞って頼んでるのに……そういうことを、言う?」
「ま、マリーナ……?」
「お願い。抱いて……わたし、わたしはね、クレイ」
詰め寄られて、俺は思わず後ずさった。
どん、とベッドに突き当たり、腰を落とす。そこにのしかかるようにして、マリーナの身体が迫ってきた。
「わたしはね……ずっとあなたが好きだったのよ、クレイ?」
「…………え?」
あまりにも意外な言葉に、俺はかなりの間呆けていた。
マリーナが……俺を?
ぽかんとしている間に、マリーナの腕が、首に回った。
「やっぱり、気づいてなかったのね……いいのよ、わかってたから」
「…………」
「あなたにとって、わたしは妹みたいな存在だったんでしょう? わかってたわ。そして、あなたが今、誰を見ているのかも……わたしは知っている」
「…………」
「代理でもいい」
ぎゅっと腕に力がこもった。
豊かな胸が、腕に触れる。
パステルを相手に抱いてしまって、そのたびにやり場がなくなって心の奥底に押し込められていた欲望。
それが、再び表に出てくるのがわかった。
こんなのは間違ってる。そういくら言い聞かせても……
「代理でいい。パステルの代わりでもいいから、抱いて。一度でいい。しつこくすがったりしない……だからっ……」
耳元で囁かれた甘い言葉は、俺の理性をとばすのに十分過ぎた。
「これは夢だと思って、クレイ。あなたのことが……好き」
その瞬間。
俺は、マリーナの身体を押し倒していた。
これは夢だと自分に言い聞かせて。
卑怯なことだと、こんなことは間違っていると、そう思いながらも。
マリーナの顔にパステルを重ねながら、俺は彼女の服に手をかけた。
今夜は、やけに騒がしい……
バタンバタンとドアの開け閉めの音が響く。それに気づいて、わたしは身を起こした。
隣では、ルーミィとシロちゃんが凄く幸せそうな表情で眠っていた。
ふふっ。かーわいい。
ずれた布団をかけなおして、そっとベッドから下りる。
わたしも、普段は決して眠りの浅い方じゃないんだけど。
今日に限って目が覚めたのは……きっと、マリーナがいるから。
わたしはマリーナのことが大好きだけど。トラップと一緒にいるマリーナを見るのは……嫌。
彼女がいると、トラップはちっともわたしを見てくれないから。
今日だってそうだった。いつもは、もうちょっとわたしに向けてもらえる視線が、ずっとずっとマリーナの方ばかり見ていた。
いくら寂しく思ったって、わたしがそう思っていることにすら気づいてもらえない。
それが辛くて……寝付けなかった。
……わたしって、諦めが悪いよね。
ため息をつきながら、そっとドアを開ける。
今は、廊下は静まり返っていた。……さっきから響いていたのは、一体どこの部屋のドアなんだろう?
何となく胸騒ぎがして、そっと部屋を滑り出る。
そのときだった。
バタンッ
突然、またドアが開いた。
ばっと振り返る。開いたのは、客間。
マリーナが寝ているはずの、部屋。
そこから出てきたのは……
「……トラップ……?」
「…………」
わたしのつぶやきに、トラップが顔を上げた。
刺すような視線に、思わず後ずさる。
何で……
何で、トラップがマリーナの部屋から出てくるの?
頭が混乱して、わけがわからなくなった。
何で、何で?
「トラップ……」
「…………」
ずかずか、とトラップがわたしの方に歩み寄ってきた。
その顔は、何だか物凄く傷ついているように見えた。
とてもとても悲しそうで、何だかヤケになっているような……
「トラップ、何が……」
ぐいっ
腕をつかまれた。
その力強さに、思わず悲鳴が漏れたけど。トラップはそんなこと、全然気にもとめず。
そのまま、無理やりわたしをひっぱっていった。
「ちょっと……ちょっと、トラップ! 一体何っ……」
バタンッ!!
開けられたのは、トラップの部屋のドア。
長い足で蹴飛ばすようにしてドアを開けてわたしを引きずり込むと、そのままドアを閉めた。
がちゃりっ、と鍵をかけられる音に、一瞬背筋が寒くなる。
「と、トラップ……?」
「…………」
トラップは無言だった。何も言おうとしない。
そのまま、彼は、わたしの身体を押し倒した。
「と、トラップ!? ちょっとっ……」
「…………」
ぐいっ、とパジャマがひっぱられる。
ぶつんっ、という音とともに、ボタンがいくつか、同時に弾けとんだ。
「トラップってばっ……」
視線を上げて、そしてぞっとした。
とても冷たい目だった。
トラップのわたしを見る目は、すごく、すごく冷ややかで。優しさや温かみなんかかけらも混じっていなくて。
「トラップ……何、が……」
「……おめえは」
耳元で囁かれた。吐息が直接触れて、一瞬寒気が走る。
「おめえは、俺のことが好きか……?」
「……え?」
あまりにも突然のことだった。
何を聞かれているのかわからない。どうして、そんなことを突然……
「トラップ……?」
「ま、いいか。どうでも」
「トラップってば!?」
ぐいっ
「やっ! 痛いっ……」
下着の中に無理やり手がこじいれられた。
荒っぽくつかまれる。爪が立てられて、涙がにじんできた。
「痛い、痛いってばっ……」
「どーでもいい。どうせ……」
「何がっ……」
ぶつぶつぶつっ!!
乱暴にパジャマがひっぱられて、残っていたボタンが全部弾けとんだ。
トラップの前にさらされた上半身。それを見ても、彼の目には何の感慨も浮かんではいないみたいだった。
唇が寄せられる。肌に刺すような痛みがいくつも走った。
「あっ……やっ……」
するり
手がもぐりこんできて、ズボンが巧みに脱がされた。
膝を開かされる。自分がひどく恥ずかしいポーズをとらされているのがわかったけれど。それに文句を言うこともできなかった。
身体に触れる手は暖かい。だけど、目だけは、冷たいまま。
トラップは、無言でわたしの身体を蹂躙していった。手と、指と、唇と、舌で。ありとあらゆる部分を撫で回されて、そのたびにわたしは声を漏らすことを抑えられなくて……
「やっ、あっ……あっ、ひゃんっ……やああああっ!!」
ぐちゅっ、というような音が、妙に生々しく響く。
こじいれられた指が内部で暴れまわって、わたしは理性がとびそうになった。
初めて味わう感覚だった。自分でだって滅多に触れないような場所を、トラップは何の遠慮もなく撫で回し、そして……
ずんっ
その衝撃は、予告もなく訪れた。
「っ……い、痛いっ……痛い、痛いってばっ……!!」
「…………」
わたしの言葉は、彼に届いていないようだった。
トラップは、どこまでも無表情のまま、腰を動かし続けた。
そのたびに痛みが走った。辞めて欲しい、せめてもっと優しくして欲しい。そういくら訴えても、彼の表情は何一つ変わらなかった。
「やだっ……やだっ、トラップ、やだってばっ……!!」
「…………っ」
動きが段々早くなる。トラップの表情に、歪みが走る。
わかった。何となくわかった。この後どうなるか。わたしにだって、それくらいの知識はある。
「トラップっ……!!」
「…………」
太ももを溢れて落ちていくのは、血? それとも……
わからない。何もわからない。やがて……
トラップが、動きを止めた。大きく息をついて、その身体から力を抜いた。
……ああっ……
やめて、って……あんなに、言ったのに……
「トラップ……」
「…………」
ぎゅっと身体を抱きしめられた。強引に抱き起こすようにして、トラップの腕が、強く強くわたしをかき抱いた。
そして、言った。
「マリーナ……」
残酷極まりない真実を告げる言葉、だった。
ずるっ、と欲望を放った直後の自分自身を引き抜く。
腕の中にいるのは、茫然とした顔のパステル。
……そう、パステルだ。マリーナじゃねえ。
傷ついたような目が、俺の顔に突き刺さった。
……何で、そんなつもりになったんだか。
マリーナに「大嫌い」と言われた。ショックだった。この上なくはっきりと拒絶されて、確実に心のどっかが壊れたと思った。
何も考えたくなくて、外に出たとき、たまたまパステルも外に出てきた。
……そう、たまたま、だ。そこにいたのがパステル以外の女だったとしても。多分俺は同じような行動を取ったに違いねえ。
ヤケになっていた。マリーナが手に入らねえなら、他のどの女でも同じだと思った。そして実際に同じだった。
パステルの身体を抱きながら、俺はその顔にマリーナの顔を重ねていたから。
全く似てねえのに。身体だってお世辞にもグラマーとは言いがたくて、正直大して魅力も感じてなかったのに。
それでも、マリーナだと思い込むだけで、俺の身体はあっさりと反応していた。
……俺って奴は。どこまで最低なんだよ? マリーナに受け入れてもらえねえのも……当たり前か?
視線をそらす。ズボンを汚しているのは、血。
パステルの太ももを伝い落ちているのは、赤と白の、どろっとした液体。
初めて、だったんだろうな。そりゃそうだろうな。
「パステル」
「……わたしは、マリーナじゃない」
「あ?」
パステルの震える声が、耳に突き刺さった。
「わたしはマリーナじゃない……」
「……見りゃわかる」
「じゃあ、何でっ……」
「…………」
誰でも良かった、という本音を告げれば、こいつはどんな反応をするだろうな。
パステルの、俺を見る目。
ひどく傷ついたような怒ったような目をしていた。
だが、その奥にあるのは……
今頃気づいた。自分は鋭い方だと思っていたが。そんな目でこいつを見たことはなかったから……意識したことはなかった。
そうか。こいつは、俺のことが……
……気づいたって、だからどうした? 程度の思いしかねえけどな。
「そこにいたのが、おめえだったからだよ」
「え……?」
言葉の意味がわからなかったらしいが、説明する気にもなれなかった。
黙って立ち上がる。さすがに、これ以上パステルの顔を見ているのは……辛かった。
悪いな。俺も……
……できるもんなら、おめえの思いに答えてやりたかったよ。
バンッ、と部屋のドアを開ける。
どうせ、今日は眠れそうもねえ。外に出て、頭でも冷やそう。
そう考えながら、外に出たとき。
バタンッ
同時に、すぐ隣の部屋のドアが、開いた。
……クレイ?
一瞬思ったが、違った。
隣のクレイの部屋。そこから出てきたのは……
「……マリーナ」
「…………」
マリーナの目は真っ赤だった。寝巻きの前ボタンをかきあわせるようにして、ジッと俺を見ている。
あらわになっている首筋に、明らかに俺がつけたのとは違う赤いあざが、二つ三つ見え隠れしていた。
言葉が出なかった。無言で、俺とマリーナは見詰め合っていた。
抱かれている間は幸せだった。
クレイはとても優しかった。彼らしい、遠慮がちで、情熱的な、そんな愛撫に、わたしは素直に声をあげることができた。
だけど……
その間、わたしは一度も彼の顔を見れなかった。見てしまえば、辛い現実を思い知ってしまうから。
わたしの顔を見ていない。わたしを通して、別の女の子を見ている彼の顔を。
「……マリーナ」
行為が終わった後、クレイはとてもとても申し訳無さそうな顔でつぶやいた。
「俺は……」
「いいの」
手早く服を着る。クレイの言いたいことなんかわかっていた。
わたしの気持ちを受け入れられない。きっと彼なら、そう言うだろう。
そして、欲望にまかせてわたしを抱いたことを死ぬほど後悔して……そして。
同情なんて真っ平だった。責任を取る、なんて理由で一緒になってもらっても、嬉しくなんか無い。
「いいのよ。謝るのはわたしの方」
「マリーナ?」
「あなたの心の弱みにつけこんで、迫っていったわたしの方こそ、謝らないと」
きっと、パステルのことがなければ。
クレイのことだから。責任感の強い彼のことだから。パーティーの仲間に恋をするなんてとんでもないと思って、彼女に思いを告げることはないだろうと思って。
そうしてやり場のなくなった思いに苦しんでいることがわかって。そこにつけこんだ卑怯なわたし。
そう装わないと。わたしは強いんだから。ちょっとやそっとのことで落ち込んだりはしない。
男にすがらないと生きていけないような、そんな女じゃない。
寝るなんて……大したことじゃない。
「いいのよ。クレイ……応援してるから」
「え?」
「パステルとのこと、応援してるから……今日は、ありがとう」
「マリーナ……」
駄目、顔を見たらきっと泣いてしまう。
わたしは慌てて視線をそらした。そのまま、ドアの方へと足を向ける。
「これは夢。明日になったら、忘れなきゃいけない夢。……おやすみ」
バタン、とドアを開ける。
もう見られていない。そう思うと、一気に涙が溢れ出した。
バカなわたし。どうして、どうして……
……どうして……素直になれないのっ……
そのときだった。
バタンッ
隣のドアが、開いた。
そこから顔を出したのは……トラップ。
「…………」
「……マリーナ」
少し驚いたような、トラップの顔。
……彼が、何をしていたのか。
ドアの隙間から漏れる、すすり泣きの声。その声を聞いた瞬間、わたしは、絶望感で頭がくらりとした。
まさか、まさかっ……
問い詰めたい、と思ったけれど。それはできなかった。
ここで、わたしが気づいたことを知れば……一番傷つくのは、彼女なのだから。
わたしの視線に気づいたのか、トラップは静かにドアを閉めた。
ぴたり、と漏れ出る声が聞こえなくなる。
視線で促すと、意味がわかったらしく、トラップもわたしの後についてきた。
家の外に出る。夜の空気は、ひどく冷たかった。
わたしの心と同じように。トラップの心と同じように。
バタン、と玄関のドアを閉める。同時に、わたしは手を振り上げていた。
叩き付けたときの衝撃は思ったよりも大きく、響いた音に一瞬身をすくめたくなった。
「あんた、最低ね」
「そうだな」
避けるのは簡単だっただろうけど、トラップはあえてわたしの手を受け止めていた。
頬がみるみるうちに赤く染まっていく。だけど、表情はぴくりとも動かなかった。
その胸元をつかみあげる。
「最低ね。パステルが一体何をしたっていうの?」
「…………」
「わたしに振られた腹いせ?」
「うぬぼれんな」
低く笑って、トラップはわたしの手首をつかんだ。
ぎりっ、と食い込む指が、痛い。
「おめえのことなんか関係ねえ。俺が抱きたかったから抱いたんだよ。おめえはパステルじゃねえ。だあら、おめえに文句を言われる筋合いなんてねえんだよ」
「……あ、あんたって人はっ……」
「そういうおめえこそ」
皮肉げな口調が、耳に刺さる。
「クレイに抱いてもらったんだろ?」
「…………!!」
ぎくり、と身体が強張った。
そう、こいつは鋭い。隠そうとしたって、こいつを前にしてそれに成功したことなんか、ほとんど無かった。
「図星か?」
「……あんたには関係ないでしょ?」
「ああそうだ。関係ねえ。例えおめえがクレイの気持ちに気づいてて、それでもあいつの優しさを利用して迫ったとしても。俺はクレイじゃねえしパステルじゃねえからな。俺が文句を言うようなことじゃねえ」
ばっ、と手を離される。じいん、としびれるような痛みが、残った。
「それは、おめえも同じだろ? 俺とパステルのことに、おめえは関係ねえ」
「…………」
腹が立つくらいに正論だった。わたし自身の弱みを逆手に取った、とても卑怯な正論。
……わたしのせい?
見込みもないのにクレイを思って、トラップを拒絶して、それがパステルを巻き込んだ?
……わたしのせい、なの……?
「……これから、どうするつもり?」
「…………」
「これから、あんたはパステルとどう接するつもりなの?」
「いつもと変わらねえよ」
吐き捨てるように言って、トラップは背を向けた。
「何も変わらねえ。愛のねえ行為に何の意味がある? 意味がねえなら気にする必要もねえ。俺の態度は変わらねえよ。マリーナ」
一度だけ振り向いて、トラップは言った。
「おめえがクレイに対する態度を変えねえのと、同じように。なあ、俺とおめえって、よく似てると思わねえか? さすがは……」
遠ざかっていく足音。
投げかけられた言葉だけが、いやに耳に残っていた。
「さすがは、兄妹だよな?」
マリーナが出て行った後。俺は、しばらく動くこともできなかった。
正直に言えば……気持ちよかった。
初めてだった。あんな快感を味わったのは。夢中になっていた。それは否定できない。
例え、抱きながらパステルのことだけを考えていたとしても。
……俺って、奴はっ……
自分で自分が許せない。将来は騎士を目指すつもりだったのに。何よりも人の儀を重んじなければならない、そんな立場につくつもりだったのに。
俺は……何をやっているんだ?
マリーナは初めてだった。女の子にとって、それがどんなに大事なものか。俺だって知っている。
……謝らないと。
きっと、彼女はそんな必要は無いと言うだろうけど。それでも、俺の気がすまない。
謝らないと。俺は彼女にひどいことをした。
愛情を抱くことができないのに、身体だけを抱いた。
ずっと向けてくれていた思いに、気づきもしなかった。
慌てて服を着て立ち上がる。
マリーナは、部屋に戻っているんだろうか? ……それとも……
考えていても仕方がない。まずは、訪ねてみよう。まさかもう寝てるなんてことは、無いだろうから。
ドアを開ける。もう遅い時間だから、と。なるべくそっと開けたつもりだった。
そのとき、バタンッ、と音がして、思わず身をすくめた。
……違う?
自分の部屋のドアが、ぎいっ、という微かな音を立てているのを聞いて、首を傾げる。今の音は……
顔を出す。開いていたのは、隣の部屋だった。
……トラップの部屋?
「おい、とらっ……」
ぎくりとした。
ドアの外から顔を覗かせたのは、パステルだったから。
パジャマの胸元を硬く握り締めて、全身を震わせながら、彼女はゆっくりと外に出てきた。
俺の存在に、気づいてもいない。茫然とした表情。あんなに感情表現豊かな彼女の表情とは思えない、無表情。
「パステルっ!」
ぐいっ
放ってはおけなかった。ひどく傷ついたような目をしている彼女を、一人にしておけなかった。
俺が肩をつかむと、パステルはびくり、と身体を強張らせて振り向いた。
その目に俺をうつして、そして怯えたように後ずさる。
「……っ……!!」
握り締められた胸元。
パジャマのボタンが全部なくなっているのを見て、一瞬、頭に血が上った。
トラップの部屋から出てきたことと重ねて考える。わずかに覗く胸元や首筋に残されたのは、白い肌にはひどく不似合いな赤くて丸い痕。
「パステル、まさか……」
「……聞かないで」
両目から涙を溢れさせて、パステルは言った。
「お願い、聞かないで。何も言わないで……わたしにも、トラップにもっ……」
「パステルっ!」
「何でも無いの! 何でもないっ……わたし、わたしはっ……」
うつむく彼女。ぽつん、ぽつんと床に零れ落ちる涙。
今にも倒れそうな、そんな表情を浮かべながらも、それでも彼女は、俺の手を拒絶した。
「わたしは気にしてない……だって、トラップのことが、好きだからっ……気にして、ないの……」
「…………」
それだけ言うと、パステルは自分の部屋へとかけこんで行った。
そっとトラップの部屋をのぞきこむ。
誰もいない。トラップはどこに行ったのか。
部屋の中に残された、赤い染み。
ふと目に付いて拾い上げたのは、パステルのパジャマについていたボタン。
何が起こったのかは明白で、でも俺にそれを責める資格なんかどこにも無い。
俺だって同じようなことをした。トラップとの違いは、相手に求められたかどうか。
……いや、トラップより酷いかもしれない。相手が求めてくれたことを免罪符に抱いたのだから。
俺には、奴のように……嫌われることすら恐れずに自分の欲望に忠実に行動するなんて、きっと一生できないだろうから。
優しさじゃない。拒絶されること、憎まれることが怖いから。
俺は臆病だ。……優しくなんか、無い。
ドアを閉める。
そのまま自分の部屋に戻った。とても、マリーナの顔を見ていられる自信はなかったから。
俺にできることは、何も知らない振りをしてやること。
夢だと思ってくれというマリーナの言葉に、甘えること。
下手なことを言えば、余計に傷つけるだけだから。
そう自分に言い聞かせて、俺は枕に顔を埋めた。
翌日、トラップの誕生日パーティーは滞りなく行われた。
わたしとマリーナが腕を振るった料理はとても好評で、みんなが褒めてくれた。
トラップも。
わたしの顔を見ても、トラップは顔色一つ変えなかった。
プレゼントを渡したときも、「さんきゅ」と一言答えただけ。
……わかっていたから。
大体、わかっていたから。マリーナの名前を呼ばれた瞬間に。昨夜の彼の行為が、何の意味もない行為だったってことは、わかってたから。
だから、気にしちゃいけないんだ……
「誕生日おめでとう、トラップ」
「おう。さんきゅ」
メッセージカードに書いた言葉は一言だけ。
――いつまでも、このままで――
しつこく言えばきっと嫌われる。
トラップに嫌われるくらいなら……
それくらいなら、このままの関係でいたい。
わたしが微笑みかけると、彼もいつもと全くかわらない笑みを返してくれた。
昨夜何があったかを知らねえからだろうけど。
ルーミィ、キットン、ノルにシロ、それにリタの能天気な顔を見ていると、苦笑すら漏れてこねえ。
俺とマリーナ、パステル、クレイの暗い笑顔とはえらく対照的だ。
もっとも、誰もそれに気づいてねえようだけどな。俺達も隠そうとしてるから、気い使ってくれてるだけかもしんねえけど。
「誕生日おめでとう、トラップ」
「おう。さんきゅ」
パステルの目は真っ赤だった。まさか、昨夜何があったのか、忘れてるなんてこたあ、ねえだろう。
恨まれても憎まれても仕方がねえと思ってた。けど、あいつは笑顔だった。
どんだけ暗くても、笑顔だった。
メッセージカードに書かれた言葉は、「いつまでも、このままで」
……そうか。おめえは、俺の気持ちをちゃんとわかってんだな。
プレゼントをポケットにつっこむ。
わかってんだな? 俺はおめえに対して友情以上の感情なんかかけらも抱いてなくて、自分の思いが実る可能性なんかかけらも無くて、しつこく迫ったって俺に嫌われるだけだっていうのが……ちゃんと、わかってんだな?
心から申し訳ないと思う。好きになれるもんなら、なってやりたかった。マリーナさえいなければ、多分俺はパステルの気持ちを受け止めていた。
マリーナ。
視線をずらす。
マリーナは、にこにこ笑いながら、ルーミィにケーキを切り分けてやっているところだった。
昨夜、俺を責めるような目で見ていたあいつの姿は、どこにもねえ。
……思うだけなら、自由だろう?
見込みなんか無くたって、好きでいるのは自由だろう?
パステルが俺を見ているように、おめえがクレイを見ているように。
俺がおめえを見るのも……自由だろう?
「マリーナ、おめえからのプレゼントは?」
声をかけると、マリーナは「図々しいわね、もう!」と言いながら、綺麗に包まれたプレゼントを放り投げてきた。
それを空中で受け止めて、俺はいつもと同じ笑みを、あいつに向けていた。
「マリーナ、おめえからのプレゼントは?」
そう声をかけられて振り向く。
手を振っているのは、いつもと全く変わらない表情の、トラップ。
……あいつは、本当に昨夜のことを忘れるつもりなのね。
苦笑が漏れる。
ええそうね、トラップ。あんたの言う通りよ。わたしとあんたはよく似てるわ。
何で、あんたはわたしを選んだの? 美人だから? スタイルがいいから?
どうして妹をそんな目で見れたの?
「図々しいわね、もう!」
手に持っていた包みを放り投げる。受け止めて返された笑顔は、本当にいつものトラップだった。
そのトラップを見つめる、パステルの目は……とても悲しそうで、それを必死に隠そうとして無理に微笑んでいる、そういう目だった。
パステル。
……お願い、あなたはわたしみたいにならないで。
心からそう思う。パステルのことが大好きだから。だから、彼女にはいつまでも彼女のままでいて欲しい。
きっと昨夜のことは、彼女の心に深い傷を負わせたと思う。それはわたしのせい。直接傷つけたのはトラップでも、その原因となったのはまぎれもなくわたし。
だから……わたしがあなたにできることは、何も知らない振りをして、いつも通りにあなたに接して、心の中で謝って、そしてトラップを拒絶することだけ。
思うだけなら自由でしょう、パステル? あなたはずっと、その純粋な思いを貫いて欲しい。わたしは決してトラップの気持ちにこたえたりしない。いずれ……そう、いずれは。
いずれは、あなたの魅力に、トラップが気づく日も来ると思う。だって、あなたはとても魅力的だもの、パステル……
ふっと視線をそらすと、向かいに座っていたクレイと目が合った。
ああ、きっと彼も、パステルのことを見ていたんだ。
そんなことに気づく。だって、視線の動きが、全く同じだったもの。
わたしが軽く微笑みかけると、クレイは困ったような笑みを浮かべて、目を伏せた。
……きっと、あなたのことだから。深く深く気に病んでいるんでしょうね?
気にしないで、ってどれだけ言っても……忘れることはないんでしょうね。
わたしは、卑怯な女だわ。
目の前のコップを取り上げて、中身を飲み干す。
わたしは卑怯だわ。そうなることがわかっていて、クレイに迫ったんだから。
少しでも、わたしという存在を気にかけて欲しい……
そう思って、クレイに抱かれたんだから。
そんなことしたって、パステルと同じように純粋なあなたが、わたしの方を振り向いてくれるなんて思ってはいないけど。
でも、少しは……わたしのことを女として、意識してくれた?
答えは決して返って来ないだろうけれど。わたしは心の中でつぶやいて、料理に手を伸ばした。
マリーナと目が合って、思わず顔を伏せる。
彼女の顔を、まともに見れなかった。謝るタイミングを逃してしまったし、謝ったって彼女は聞こうともしないだろうから、と。
そう思うと余計に申し訳なかった。
トラップが羨ましい。
心から、そう思う。
トラップの態度は、以前と全く変わらない。パステルにも、いつも通りの笑顔を見せて軽口を叩いている。
お前は、昨夜あんなことをしておいて。
パステルの心をあれほど傷つけておいて……どうして、そんなことができるんだ?
パステル。
彼女のことを思うと、胸がしめつけられるようだ。
笑ってはいたけれど、その笑顔は確実にどこかが変わっていた。
寂しそうな笑顔。傷ついた笑顔。
手を差し伸べてやりたい。癒せるものなら、俺が癒してやりたい。
それでも。
彼女の視線が追っているのは、トラップだった。俺ではなく。
……どうして。
どうしてなんだ? どうして、あれほどひどい扱いを受けておきながら、そんな……
「クレイ」
「え?」
声をかけられて振り向くと、マリーナが、静かな目を向けてつぶやいた。
「好きになるのに、理屈なんかいらないのよ……そうじゃない?」
「…………」
ああ、そうだな。その通りだ。
視線をそらす。パステルをいくら見たところで、彼女が俺を見ない以上、全くの無意味だと気づいたから。
料理に目を落とす。マリーナの言葉が、どこまでも耳に痛かった。
好きになるのは、理屈なんかいらない・
……そうだ。理屈通りにいってくれるようなものなら。
俺はパステルを諦めて、マリーナの気持ちを受け止めていた。それができないから……苦しんでいる。
どれだけひどい扱いを受けようとも、トラップを嫌いになれないパステルと同じように。
もくもくと料理を口に運んだ。とても美味しかったけれど、それを味わおうという気にはなれなかった。
俺にできることは、今まで通りの関係を保つことだけだ。
何も知らない。何も気づいていない。その振りをしてやることだけだ。
賑やかに響くハッピーバースディの歌が、妙に寒々しく聞こえた。
完結です。マリーナの一人称は難しかったなあ……
次どうしますかね。穴埋め的に短めの話投下するか……
投下のつもりだった学園編の続きがとんでもなく長くなってしまったので。
次スレ立てるか立てないか迷っているところです。
トラパス作者さん、お疲れ様です。
結構キツイ話ですね。
学園編の続き、気になってますんで
投下よろしくお願いします。
>>349 >次スレ立てるか立てないか迷っているところです。
1レスは最大2048KB。このスレは今476KB強だから12レスぐらいは
可能なはず。1つの作品が2つのスレにまたがるかもしれませんが、
5〜8くらい投下してから新スレ、というのはいかがでしょう?
>>351 多少余裕を残しておいて次スレに移動したとき、新人書き手さんが練習用に投下する場所に使ったりできるし
二つのスレにまたがって作品投下すると、前スレがdat落ちしたとき途中からしか見れないから気になるという意見が以前出たんです
たまに「空回りのトラップシリーズ」みたいなショートショート投下に使ったりしますし
しかし余裕を残しすぎるといつまでもdat落ちせずに前スレ前々スレがだらだらと居残り続けるので(実際今まだ6スレと7スレ残ってますし)
今の容量非常に微妙なんですよね……
何か短編でも書きましょうか。寝る前までにリクエストがあれば、挑戦してみますけど。
純愛でも陵辱でもダークでもパラレルでもキャラ別小話でもギャグでも
普段ROMってる人同士でネタ雑談や、ショートショート投下しつつ、埋めていくと言うのは無しなのか…( ゚д゚)ポカーン
>>353 前スレや前々スレを見れ
それが全く無いスレだから書き手さんも困っておるんだろう
作品の感想すらろくにつけん不義理なスレ住人にそんなこと期待できん<雑談やショートショート投下
>>353 わたしは雑談とか好きだし、暇ならそれもいいと思うんですが。
駄目でしょうか。
雑談で埋められるなら埋めたいんですけど……
以前「馴れ合いはよそでやれっ」って言われたことがあったしなあ……
いいんでしょうか?
>>353 おもしろそう、やってみたいっす。そーいや雑談って皆無でしたね。
パステルの気持ちにまったく応えてやらないトラップ、
なんだかよかった。こういうのもいいな。
>>356 いいんじゃないですか、雑談。
てか、そんなことありましたっけ?
あのう……「トラパス 未来編」投下したときに……
前注つけるとかつけないとかの騒ぎの最中に、そういうレスがありまして……<馴れ合いはよそでやれ
それ以来、「余計なことは言わない方がいいかな」と考えていたんですけど。
感想ありがとうございます。トラップ→マリーナのパターンは初めて書いたので、うまく書けるか心配でした。
ああ、あったかもです…>>馴れ合いは…
わたしもあのへんはちょっと出すぎててすいませんでした。
うわ、リアルタイムでリクエストできるチャンスですね!
えっと、ギャグかコメディでパステルが嘘がつけなくなるというキットンの怪しい薬を飲んでしまい一騒動、って感じの話お願いできますか?
注文が多い上、深層心理編とかぶっちゃってもうしわけないのですが(汗
まずかったらスルーして下さい。
ああ、せっかくのチャンスなのに、ろくなリクエスト思いつけなかった(´・ω・`)
第五スレの358あたりの発言でした<馴れ合い云々
>>361さん
了解です。少々お待ちください
363 :
361:03/11/21 00:09 ID:j3I2vdTw
思いっきりスレの流れぶったぎってすみませんでした
リロードするの忘れてました。本当すみません。逝ってきます…_| ̄|○
おおお。リアルタイムリクエスト。
多分馴れ合いうんぬんっていうのはコテ同士を指しているんじゃないの?
馴れ合ってもいいと思うけど、気楽に書き捨てたりべたべたしない雰囲気を望んでいる人もいるね。
あと何と言ってもコテは目に付きやすいから叩かれやすい。これを防ぐ意味もあるかも。
既存スレを残しておくのは、まだ読んでいない人用だと思った。
まとめサイトいけって思うかもだけど、其の時々の雰囲気まるごと読みたいって時もあるし。
過去スレは目障りなら倉庫送り依頼をするべきなのかな?
>>362 覚えてない…ちょっと見にいってみようかな
>>361 そのリクいいですね。でましたキットンの怪しいクスリ。
自分もキットンが超強力惚れ薬とか作って、それでトラップが
みすず旅館のおばちゃんとか、ザマスおばさまに本気で惚れて、
パステルが血の気が引くほどあわてるギャグとか読んでみてーと
思いました。つーか、これでエロはむりかも
「惚れ薬」はまだないですよねー
トラパス作者様、いつかショートでも何でもいいんで
手が空きましたらおながいします
367 :
361:03/11/21 00:22 ID:j3I2vdTw
トラパス作者さま
ヘンなタイミングでしてしまったリク快諾してくれて
どうもありがとうございました。
これから徹夜してでも張り付いてます!
>>353 > 普段ROMってる人同士でネタ雑談や、ショートショート投下しつつ、埋めていくと言うのは無しなのか…( ゚д゚)ポカーン
普段ROMってる人同士というのがこの発言のポイントに見えますが。
このスレ、書き手と読者には一応の交流があっても、読者同士の交流ってないですよね。
このスレ、480KBを越えました。
丸一日レスがないと自動的にdat落ちします。
・・・ということで、新スレに投下、ということでいかがでしょうか?>トラバス作者様
訂正:「丸7日レスがないとdat落ち」でした。
つうか読者と作者の間にも交流ってあんましないんじゃ?
と言ってみるテスト
あ、名前入れ忘れました…ごめんなさい。
スレの流れが速すぎてゆっくり連載している作品がログのかなたに流れてしまうという問題。
投下する前に保管庫のファイルにリンクを貼って、「これの続きです」とするのはどうですか?
補足すると。
ROMってたわけですよ、SS書くのから遠ざかってたとき。
他のスレにも行ったりしてみて思ったんですが、やっぱここって
静かだなぁ…というかなんというか。
書き手も読者も淡々としてるようにみえてしまったです。
わたしは読み手でもあるけど書き手でもあるから、やっぱりコメントが少ないのは寂しいと思うし、
それはわたしに限ったことでなくて書き手さんみんなそうなんじゃないかな、
と思いました。
変なこと書いてすみません。スルーでお願いします。
>>373 そうですね、できるだけそういう努力します。
あとスピードもがんばって上げます(涙)
>>371 あんまり交流がないと思ってはいるので「一応」としてみました。
読者と作者の交流は感想とリクエストを超えると簡単に馴れ合いになりやすいのが問題ですね。
雑談と馴れ合いって、とても似ているようで、違うものだと思うのです。
ただいまから361さんのリクエスト作品投下します。
恐らく4〜5スレで終わるかと
「きききキットン――っ!? 何なのよこの薬は――!!」
「パステル、あなたこそ人がせっかく作った薬を何てことしてくれたんですか――!?」
うららかな秋の日の昼下がり。
みすず旅館の部屋の中で、わたしとキットンの声が響き渡った……
事の起こりは、わたしの胃痛。
いやもう、財政状態が厳しくて厳しくて。切り詰められるところは全部切り詰めたはずなのに、それでもいっこうに消えない赤い文字。
そのせいかなあ? ここ数日、すごーく胃が痛くて痛くて。
我慢できないから、キットンにお願いしたんだよね。「何か薬無い?」って。
だけど、キットンはそのときすっごく焦っていた。
ちなみに何を焦っていたのかっていうと、摘んできた薬草の中に偶然新種の薬草が混じっていたから、らしいんだけど。
「キットン、ねえキットンってばー!」
「すいませんパステル! 今ちょっとそれどころじゃないんです。薬でしたら自分で探してくださいっ!」
そう言われて指し示されたのは、キットンがいつも持ち歩いているカバン。
もう、相変わらずだなあ……なーんて言いながらカバンの中をあさって、「胃薬」って書かれた袋を見つけ出す。
中に入っていたのは、真っ黒な丸薬だった。いつもの不気味な飲み薬に比べれば、飲みやすいよね。
わたしは安心して、その薬を飲んだんだけど。
それが、一時間前のこと。そして……
薬を飲んでも胃の痛みはちっともよくならなかった。
おっかしいなあ……キットンの薬が効かなかったことなんて、今までなかったのに。
いずれ効くよね? なんて思いながらごろごろベッドに転がってたんだけど。胃の痛みはひどくなるばっかりで。
どうにも我慢できなくなって、もう一度キットンに頼んでみよう、と思い立ったとき。
バタンッ、と部屋のドアが開いた。
「おいパステル、いるか? あのな、ちょっと頼みがあるんだけど」
「ああ、トラップ……何?」
顔を出したのは、パーティー一のトラブルメーカーであり現実主義者であるトラップ。
「あのさ、ちっと金貸してくんねえ? いやそれを何倍にもして……」
「このバカ――っ!! わたしが何でこんなに苦しんでると思ってるのよそうやってすぐにギャンブルに走るあんたのせいなのよあんたの!? 最低最低最低――!!」
わたしの叫びに、トラップは一瞬呆気に取られたみたいだった。
そして、言った本人であるわたしが、一番驚いていた。
え、何!? な、何、今の言葉……わ、わたしが言ったの!?
「わ、わりい……おめえ、どうした? 機嫌わりいな、今日は」
「悪くなんか無いわよわたしはいつものわたしよただちょっと胃が痛いだけでお願いだから話かけないでー!!」
「……はあ?」
トラップの怪訝な表情が、段々不審の表情に変わってきた。
もっとも、それに構ってる余裕はなかったんだけど。
な、何ー!? わたしっ……今何言った!?
な、何で!? 何でっ……こんなこと言うつもりじゃなかったのに。何でっ……
そのときだった!
ドンッ、とトラップを押しのけるようにして、キットンが部屋にとびこんできた!!
「パステル! あなた人の薬を勝手に……」
「きききキットン――っ!? 何なのよこの薬は――!!」
で、冒頭に繋がる、というわけだった。
「う、嘘がつけなくなるう!?」
「そうですよっ! ああもうっ、せっかく数をそろえたのにー!!」
キットンの言葉に、わたしは眩暈がした。
ま、まさかっ……あの罵倒が、わたしの本音……?
嘘――っ!? わたしって、あんなに柄が悪かったの――!?
「あんでそんなもん作ったんだ?」
「依頼ですよ。自警団からの。なかなか自白をしない犯人がいるから試しに10粒ほど作ってみてくれないか、と頼まれたんですが……ああ、せっかく苦労して作ったのに……」
うちひしがれるキットン。もっとも、わたしはそれどころじゃなくて……
「泣きたいのはこっちよどうしてくれるのよキットン! 嘘がつけなくなるって一体いつまで? いつになったら効果が切れるの!!?」
がくがくと胸元を揺さぶると、キットンの喉から苦しげな悲鳴が漏れた。
「おいおい、落ち着けパステル。それ以上やったらキットンが死ぬかもしれねえぜ?」
笑いをこらえているのはトラップ。
くくーっ! いいわよねあなたは気楽で!
「いいわよねあなたは気楽で! わたしの身にもなってよー!!」
……嘘がつけないから、思ったことを素直に口にしてしまうんでした……
わたしの発言に、トラップは大笑いをしながら言った。
「んでキットン? いつになったら効果が切れるんだ?」
「さあー試作品ですからねえ。まあでも消化すれば効果は消えると思いますよ?」
わたしの手を振り解いて、キットンは悪びれもせずに言った。
消化……ってことは、後2〜3時間?
くらり、と眩暈がする。短いようでいて長い時間。ど、どうしよう……?
って、いや、よく考えたら簡単なことじゃない!
「そうか」
「どした?」
「簡単なことじゃない。ようするに2〜3時間、一人になっていればいいのよ! ほら、二人とも部屋から出ていって!」
わたしがそう言って追い立てると、キットンは「言われなくても出ていきますよ! 全く、また薬を作り直しじゃないですか!」とぶつぶつ言いながら出て行ったけど。
部屋のドアが閉まっても……何故だか、トラップはニヤニヤ笑いながら居座ったまま。
「ちょっと、トラップ。出ていってってば」
「なあ、パステル」
「何?」
「おめえな……」
じりっ、とトラップの身体が迫ってきた。その表情には、すごーく意地悪そうな笑みが浮かんでいる。
……い、嫌な予感がするっ……
「嫌な予感がする……」
「嫌な予感だあ?」
「トラップがこんな顔するときってろくなこと考えてないもん!」
「ほー、それがおめえの本音か」
唇の端をひきつらせて、トラップはガシッ、とわたしの肩をつかんだ。
「な、何するのよー!?」
「なあ、パステル。おめえ、俺のこと好きか?」
「好きだよ」
言われた質問に、反射的に答えてしまう。
答えてしまってから……一気に青ざめた。
な、な……何!? 今、わたしの口をついて出たのは……
トラップの顔に、満面の笑みが浮かんだ。
「そーか、好きか。そうかそうか……」
「す、好きだよ……って違う違う違うー!! 違う、好きなんかじゃっ……す、すきっ……」
「嘘がつけねえんだろー? 無理しねえ方がいいぜー?」
「いっ、意地悪っ……」
その通りだった。
いくら否定しようとしても、口をついて出るのは「好き」という言葉だけ。
ち、違うっ……わたし、わたしはっ……
その瞬間!
トラップの顔が急に迫ってきた……と思ったときにはもう、わたしの唇は、彼のそれで塞がれていた。
「……ん――っ!? ん、んんんんっ……」
ぎゃーっ!! な、何するのよーっ!!?
唇の隙間から無理やりこじいれられたのは……こ、これって舌!?
それは、わたしの舌を無理やりからめとるようにして、思う存分に口の中を暴れまわっていた。
だけど、決して不快な気分ではなく。むしろ……
「どうよ? 感想は」
「き、気持ちよかった……」
「そーかそーか」
ああああああああっ!! な、何を言ってるのわたしは――!?
どれだけ青ざめたって、言ってしまった言葉は取り消せない。
わたしの肩に手を置いて、トラップは実に嬉しそうな顔で言った。
「こんな方法卑怯かもしれねえけど……おめえが素直になってくれる機会なんて、そうはねえだろうからなあ……?」
「失礼なっ。わたしはいつだって素直じゃない!?」
「いーやどうだか。例えばなあ……」
「きゃあっ!!?」
ふっ、と首筋に落ちた湿った感触に、わたしは思わず悲鳴をあげていた。
ちくん、とかすかな痛み。同時に、トラップの手が、わたしの胸に軽くあてがわれて……
「きゃあきゃあきゃあああああっ!?」
「どーよ、気持ちいいか?」
「う、うんっ……ってちが、ちが、ちがうっ……」
「だあら、無理すんなっつーの」
「やっ、だからっ……あ、あ、あ……ひゃんっ!!」
するり、とセーターがまくりあげられた。
骨ばった手が、遠慮なくその中にもぐりこんできて、下着の中に滑り込む。
うわあああっ、な、何、この感覚っ!? こ、これはっ……
「どーよ?」
「気持ちいい……あ、ああっ……や、やあっ……」
「そっか」
ぐいっ、と床に押し倒される。目の前に、明るい茶色の瞳が迫ってきた。
「やめてほしいか?」
「やめないで、もっと、お願いっ……」
「ほーらな?」
わたしの胸に顔を埋めるようにして、トラップは言った。
「おめえがこんだけ素直に身体を求めるなんて、普段じゃまずありえねえだろ?」
「…………」
だ、誰かっ、お願いっ……!
誰かわたしを誰もいない地上の果てまで連れてって――!!
結局。
薬の効果はそれから丸一日ほど続き。その間、わたしはトラップにいいようにからかわれ続けた。
「ひ、ひどいっ……」
「あんだよ?」
「こんなのってひどい! ひどいよ、トラップ……」
「……あのなあ」
ベッドの中で。トラップは、わたしの髪をぐしゃぐしゃ撫でて言った。
「ひどいのはおめえだぜ?」
「何がよっ……」
「俺はずっとおめえが好きだったのに。おめえ、それにちーっとも気づいてなかったろ?」
「……え?」
ぎゅっとわたしの身体を抱きしめて、トラップは言った。
「薬の力借りなきゃ告白もできねえ鈍感女に惚れちまって、俺が今までどんだけやきもきしたか。だあら、これくらい許せっつーの。それに……」
すっ、と耳元に唇を寄せて、トラップは言った。
――気持ちよかったんだろ?
どかんっ、と頭に血が上る。
「と、トラップー!?」
「あんだよ。それともおめえ。実はやっぱり俺のこと嫌い、とか言うつもりか……?」
「…………」
いや、それは、ちょっと。
黙り込むと、トラップは、それはそれは嬉しそうに、抱きしめる腕に力をこめた。
否定できない自分が、何だかすっごく、すっごーく……悔しかった。
完結。6レスかかった……
一瞬で490KB超えましたね。
次スレ立てましょうか?
それで366さんのリクエスト「惚れ薬」作品でも投下しますか……
乙です>トラパス作者様。
まだ読んでませんが…というか、単に報告しようと思って書き込みに来たところなので。
「6」に無事スレストがかかり、近日中にdat落ちします。
ということを書きに来たの。
しかし、相変わらず仕事早いっすね。
ご満悦トラップにワロタ
さわやかにエロもまじっててイイ!
もうちょっとこちらでマターリ雑談でもいいのでは?
>>トラパス作者様
すんごいツボでした!!!ぐっじょぶです。
可愛いふたり…ラブラブでいい感じです。
次のスレ立てしちゃってからこっちで雑談という手もあり。
リクエストした361です。
トラパス作者さま、ありがとうございました!
リクした段階で、密かにトラパスの展開になるといいなとは思っていたけど
エチまで入るとは想像してなかったんで嬉しかったです。
それにしてもトラップの楽しそうなこと…(藁
本当に素敵な作品ありがとうございました!
トラパス作者さんすっげ。
こんな短時間でおもしろくて読みやすい作品を上げるなんて・・・。
句読点もなしで喚き立てるパステルが特に最高でした。GJGJGJ!!
そんなに淡々としているかな。
私は今くらいが適度なんだけどね・・・。(ここではROMだが)
雑談しよー→なれ合いうぜ→書き込み減る→感想ないね→活気無いね→雑談とか・・・
の無限ループに陥りそうで怖い。
スレの流れに沿っていけばいいんでないの?
最初と今で雰囲気が違うようにスレは生き物だからどんどん変わっていくんじゃないかな。
どの程度が馴れ合いなのかわからないけど、
一回誰かに聞いてみたかったことをひとつ
自分は原作がマリーナ→クレイってのに
すごく違和感があるんですが、
いったいどこでそんなことになったんですか?
たしかにパステルが一瞬そういうことを書いてたけど
いきなりすぎて、ハァ?と目が点になって、
鈍いパステルが勝手に考えていることだと思って
本気にしなかった。どこがそんなふうに見えたんだろうか。
読み飛ばしているだけかもしれないけど
366さんのリクエスト作品「キットンの怪しい薬 〜惚れ薬バージョン〜」できたので
次スレ立ててきますね。
あ、エロ度は「嘘がつけない薬バージョン」よりかなり薄いですが
ギャグ度は高めです。多分
>>390 マリーナが旧6巻と旧7巻で登場したとき
クレイのことを気にしていて、
不在と聞いて露骨にがかーりしていたから?
っていうか自分には、ほかに思いつかん
ほかどっか伏線あったっけ?
次スレで投下終了しました
>マリーナがクレイを〜
読み返してみると、旧六巻あたりで「クレイは?」ってやたら気にしてる描写はありますけど
でも、それだけ……ですね。新三巻あたりでそんな描写は綺麗に消えたような
それを言うなら、わたしには「トラップがマリーナを好き」とどうしてパステルがそう思ったのかも非常に不思議なんですが……
>>390 そうですよ。
原作中は、スニーカー7巻と、新5巻の最後の方に、
パステルから見た思い込みのようなものとして書かれている。
いつの間にか、トラ→パスが原作公認のようになっていったから、
マリーナとクレイについても、そう思っている(予測してる)人が多いだけ。
原作では多分語られないと思うので、そこは個人の思想の自由。
>>395 そうでつか。よかった読み飛ばしじゃなくて。
あの時はかなり面食らったので。
トラップがマリーナを好きとパステルが思うのは、なんだかわかるような。
マリーナはいろんなとこでパステルのコンプレックスを刺激するし。
ひっそりと。見てる人いるのでしょうか。
タイトル:空回りなトラップ 6
ああ、今日もギャンブルで大負けした。
パステルに何と言って金を借りようか……
俺はそんなことを考えながらみすず旅館の階段を上っていった。
そして、今しもドアをノックしようとしたそのとき。
中から響いてきた声に、思わずびたっとドアに張り付いてしまう。
こっ、こっ、この声っ……はっ……
『はあっ、はあっ……あっ……うんっ……』
ぎしぎしぎしっ
中から漏れ聞こえてきたのは、間違いなく。
この俺をぞっこん骨抜きにした侮れねえ女、パステルの声と……ベッドのきしむ音。
『あっ……うんっ……はあっ、はあっ……』
何とも悩ましげな声に、即座に俺の身体は若い男子としてごくごく当たり前の反応を示し始めた。
ま、まさかパステルにこんな日が来ようとは……あのキング・オブ・鈍感にも、ついに性に目覚める日が来たのか!?
し、しかし一人でやるというのはいかん、実にいかん。不健康だ。
全く水臭い奴め。言えば俺がいくらでも相手してやったというのにっ……!!
「おい、パステル!」
驚かせてやろう、そして言い逃れできない状況を作ってあわよくばそのまま……などと考えながらドアを開けたその瞬間!
飛び込んできた光景に、俺はくたくたと膝から倒れこんだ。
「んっ……な、何、何か用、トラップ?」
「……いや……おめえ、あにやってんだ……?」
ベッドの上で、パステルは仰向けになって。
そして、一心不乱に……腹筋運動を、していた。
「ほら、最近あんまりクエストに出てないでしょ? ちょっとは、体力つけておこうかなあと思って」
えへへ、と微笑んで、「それで? 何の用?」と聞いてくるパステルに。
俺は、即座に萎えた自分自身に安堵しつつ、ひきつった笑みを返していた……
いますよん。
秘密のお楽しみ・・・・・・なんてえちい響きなんでしょう。
ここにもいます。
パステル、トラップをもてあそびすぎ(w
7スレでのリレー終了をうけて
我ながらヘタレな出だしが、あんな素敵なラストになるなんて・・・・・・。
感涙・・・・・・。神様たちありがとー!!
>>トラパス作者さん
自分は載せてもらって、かまいませんよー!
>>7-342さま
すっげー短いのしか書いてませんが楽しかったです。こちらこそありがとー!!
>>トラパス作者さま
自分もOKです。よろしくお願いします。