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名無しさん@ピンキー:
ねね・お市の方・濃姫・まつ・淀君・ガラシャ夫人など
戦国の世の妄想スレ
衆道禁止 衆道の小説は801へ
多分2
佐々成政は、1539年に、尾張の国(愛知県)に生まれた戦国武将です。
初め織田信長に仕え、のちに織田信雄を助けて豊臣秀吉と戦います。
しかし、成政は徳川家康と豊臣秀吉が小牧・長久手で戦ったとき、
徳川方についていました。 戦で思うような成果を上げられず、
成政は失意のまま越中(富山県)に帰りました。そんな彼を待って
いたのは、愛妾・早百合の不倫の噂でした。愛妾とは愛する妾
(めかけ)のことです。妾とは正式な夫婦ではないものの実質夫婦
同然の暮らしをしている女性です。
二人の間には肉体関係があり、子供ができたら成政が経済的に面倒を
見ます。戦国時代は政略結婚が横行した時代で、特に武士にとって
結婚とは敵と親戚になるための行為であって愛する人と一緒になるため
の行為ではなかったのです。そのため本当に愛する人を妾として側に
置くのが通常でした。
成政が領内を巡視したとき道に土下座している大衆の中にいた早百合に
一目ぼれしたのが二人の出会いです。早百合は呉服村の豪農、奥野
与左衛門の娘です。成政は早百合を側室にしました。側室とは第二婦人
(二番目の妻)です。当時の武士は、力のあるものは何人でも何十人
でも女性を確保できました。女性も強い男性に守られていなければ
生きていけない時代でした。成政は、他に正室(第一の妻)一人と
3人の妾を持っていましたが、早百合は絶世の美女で、成政の愛情は
ひたすら早百合に向けられました。
やはり「美」は権力なのです。戦乱の世において、美女は強い男性に
守られます。強い男性ほど美女を求めます。両者は磁石のように
引き合います。
成政が戦で遠方に赴いているとき、早百合が成政の家臣の中で一番の
美形、岡島金一郎と夜な夜な密通していたという噂が流れます。
それなりの物的証拠も上がっていたそうです。激怒した成政は岡島を
呼び出し、なじり、抜刀して喉をえぐり、ずたずたに切り刻みました。
次に早百合に詰め寄ります。早百合は強く否定します。早百合の部屋
に落ちていた岡島の紙入れを突きつけて自白を迫りますが、早百合は
黙秘します。成政が、雪深い北アルプス越えに苦労していたときに、
家臣に最愛の女性を寝取られたと思うと成政は怒り心頭します。
ここから、恐ろしい成政の拷問・惨殺劇が始まります。 成政は、
早百合と早百合の親族12人を神通川のほとりに連行します。早百合を
全裸にして木に逆さ釣りにし、アンコウの吊るし切りのように切り
刻みました。成政は、早百合の親族の首を一つはねると早百合の肌を
切り裂き、また首を一つはねては早百合の肉をそぎ、また首をはねて
は早百合の大腸や小腸を切り取りました。皮をはぎ、肉をそぎ、
中から臓器を取り出し、骨をぶつ切りにしました。
怨念話イラネ
早乙女貢か西村寿行がおすすめ
6 :
名無しさん@ピンキー:03/10/10 00:19 ID:cgJMmPYc
とりあえず、保守age
漏れ的には荒木村重とだしあたりが読みたいんだが
7 :
名無しさん@ピンキー:
和田さんの野望でもやれ