好きになってくれなくてもいい。
受け入れてくれなくてもいい。
変に思ってくれても構わない。
真紀子が望むのは、ただ一つ。
自分のことを、嫌わないで欲しい。
ただ、それだけ。
真紀子の身長はやや高い。
自分より頭半分ほど大きい彼女に抱きしめられ、多汰美はまるで男性に抱
きしめられているかのような錯覚を起こす。けれど、その身体に力強さを感
じることはなく、ただ、思ったよりも肩が小さいことに気づく。
やっぱ、女の子なんじゃねぇ……。
そんなことを頭の片隅で思う。
さて、と多汰美は思う。
抱きしめられているうちにだんだんと落ち着いてきて、頭の一部分が冷静に動くようになってきた。
考えるのは無論、今のこの状況。
自分は、彼女のことをどう思っている?
無論、好き、だ。
恋の相手として云々、一緒に暮らしているからはともかく、一個人として、
自分は青野真紀子のことが好きだ。
そして、自分は彼女のことをどうしたいと思っている?
受け入れるか、否か。
選択肢は二つ。選べる答えは一つ。
そして、選ぶのは自分。
答えは、決めた。
真紀子は顔を上げられない。
目を閉じ、肩を震わせたまま、多汰美の身体を抱いて涙を流し続けている。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
涙以上に、身体の震えが止まらない。苦手な犬に追いかけられても、子供
の頃に迷子になって孤独を感じた時も、こんなに怖いと感じた事はなかった。
後から悔いると書いて、後悔と読む。
過ぎ去った時間を戻す事も、言ってしまった告白を撤回する事もできない。
助けて欲しい。
でも、誰に?
助けて欲しい。
どうやって?
助けて欲しい。
助けて欲しい。
助けて欲しい。
タスケテ――
「マキちー」
名を呼ばれ、どこか別の場所に飛んでいた意識が一気に現実へと引き戻される。
気が付けば、肩に多汰美の両手が置かれ、軽い力が自分を押し返そうとしていた。
俯いたまま、真紀子は多汰美の身体からそっと離れた。
多汰美の手も離れる。
真紀子はまだ、俯いて涙を流したまま。
「――ほら、もう泣かんでもいいんよ」
何がと聞く前に、頭の上に多汰美の手が置かれた。
よしよし、と言った感じで、多汰美は真紀子の頭をそっと撫でる。
再び自然と、涙が溢れる。
けれど、それはさっきとまたは違った、安堵の涙。
自分と同い年の少女。その少女が触れる手は暖かくて、優しい。
そして、
「答えのほう、じゃけれども」
彼女の口から紡がれた言葉は、
「私は、マきちーのこと」
真紀子の頭の中を、
「好きじゃよ」
真っ白にした。
涙に濡れた顔を上げる。
歪んだ視界の向こうに浮かぶのは、多汰美の微笑。
あ、と嗚咽にも似た声を漏らし、真紀子は軽くむせ返りながら、涙声を喉
の奥から搾り出す。
「う、そ…や……」
それは自分が望んだ答え。
拒まれるのは覚悟していた。
嫌われなけばそれでいいと思っていた。
けれど、彼女の答えは、YES、だ。
予想外の答えに、喜びよりも先に戸惑いが生まれる。
望んだはずの答えなのに、脳のどこかがこれは現実ではないと否定する。
「た、多汰美がゆうてるんは、家族とかの好――」
両手で顔の左右を掴まれ、顔を下に向けさせられて、多汰美がわずかに上
を向いて、真紀子の顔に自分の顔を近づけ、そのまま唇が重ねられるまで、
二秒も掛からなかった。
さきほどの一方的なものとは違う、交し合う口付け。
本当の、キス。
重ねた時間は、ほんのわずかなもの。
驚きのあまり、感触を確かめる時間もなかった。
わずかな時間のはずなのに、互いの身体が火照っているのがはっきりと分
かる。熱を帯びた甘い吐息を吐き出し、多汰美は真紀子の目を真っ直ぐ射抜
くように見つめてながら、言う。
「家族の“好き”で、キスはせんじゃろ?」
最初の涙は怯え。
二度目の涙は安堵。
そして、三度目は喜び。
嬉しくて――嬉しすぎて涙が溢れた。
さっきからずっと涙が止まっていない。このままではそのうち枯れてしま
うんじゃないかと思うぐらいに、真紀子は涙を流し続けている。いっそ、枯
れてしまえばそれはそれで楽かもしれない。
「こ、後悔するかも知れへんねんで……!?」
「それは、マキちーも同じじゃろ」
自分から告白しておきながらこんなことを言い出す真紀子に、くすくすと
多汰美は笑ってみせる。
「いいよ」
優しげな笑みを浮かべ、多汰美は言い切る。
「マキちーじゃったら、私、構わんよ」
レズ? 何とでも言ったらいい。
同性愛者? 世界の十分の一は同性愛者だ。
変? じゃあ、普通ってのを説明してみろ。
体面? そんなものくそくらえだ。
好きならそれでいいじゃないか。
真紀子は自分が好きで、自分は真紀子が好き。それに何の問題がある?
ほら、何の問題もないじゃないか。
「多汰美ぃ……!」
真紀子が力強く多汰美を抱きしめる。自分の肩に顔をうずめる真紀子の後ろ
頭を、多汰美はまるで彼女の母であるかのように、優しくそっと撫でてやる。
「わたっ…ぜ、たい嫌、われる思…て………ごっつ怖ぁて……っ! 電話、
聞かれ…た思、たらっ………どうっ、していいか分からんで…っ! 勢いで
言うしかのうて……! でも、たたっ…多汰美がぁ……っ! わたっ…わた
っ…しっ…でええゆう…てくれてなぁ…っ! 私…ごっつう…れしいて…っ!」
声を出そうとしても言葉にならない。
自分自身でも何を言っているの代わらなくなりそうで、きっと、半分もま
ともに聞こえていないだろう。
それでも、多汰美は言葉の合間に、うん、うん、と頷いてくれた。
「泣き虫じゃねぇ、マキちーは」
ははは、と笑いながら、多汰美は真紀子の頭をまだ撫でている。
さらさらとした長い黒髪の感触が、心地よい。