あずまんが大王のエロいのないんかねぇ -3−

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 人気の少なくなった教室の窓からふと外を見たら、ちよちゃんと
目があった。
(えっ!?)
 びっくりした。
 彼女は校門のところにいて、私を見上げていた。
 思わず窓際に立って視線を返すと、頭をペコリ、と下げた。
(!?!?)
 ますますわけがわからない──と、私はハッと思い至る。
 私にじゃない。

 ちよちゃんは、この校舎に挨拶したんだ……。

 目からキラキラしたものをこぼしたちよちゃんは、踵を返して外
に出て行った。その先には、いつもの連中が待っていた。

 仲良し六人組。本人たちにはそんな意識はなかっただろうけど、
学年で、いや校内で一二を争う目立つグループだった。ちよちゃん
や榊さん、ともなんかが一緒にいるのだから、当然といえば当然か
な。確かによくよく見れば変わり者揃いの集団だった。
 とくにちよちゃん……美浜ちよは特別な存在だった。
 彼女が初めて私たちの前に現れた時の事は、今でも憶えている。
私たちと一緒に入学したんじゃなくて、ちょっと後から編入してき
たんだよね。
 あんなちっちゃな子が教室に入ってきたものだから、制服を着て
いなければ、「どこの小学生が紛れ込んできたの?」なんて思った
だろうな、絶対。
 ちよちゃんは子供だけど天才で学校の誰よりも頭良くて英語もペ
ラペラだったし、頑張り屋さんでしっかり者で性格も良い子で、お
まけに料理も出来ちゃう完璧超人だった。さらに卒業後の進路は海
外留学……多分遠くない将来にはもう、別世界の人間になっちゃっ
てるんだろうなあ……。
 ただ運動能力は年相応で、本人は一生懸命頑張っていたんだろう
けど、私たちには追いつけなかった。最後の体育祭のクラス対抗リ
レーで置いてけぼりにした時は、後味悪かったなあ……あ、でも、
そういえば、大阪とはいい勝負してたな……。

 でも、粒揃いとしてもナカナカだなんて、彼女たちのことを男子
の連中が口さがなく話してたのを聞いた事もあったわね。

 ──そんな彼女たちも、とうとう卒業なんだ……。
 高校という狭い世界にサヨナラして、彼女たちも新しい道をまた
一から歩き始めるんだ。

 彼女たちを見る度にいつの間にか身に付いてしまった癖で、
(う〜ん、やっぱかおりんはいないのね……)
などと思いながら、なんとなく、彼女達の去っていく背中をいつま
でも見つめ続けた。
 見えなくなった後も、ぼんやりと、窓から映る景色を眺めた。
 春を告げる温かな薫りが私をぐずぐずといつまでもそこに留めさ
せているような気がして。
 午睡から醒めやらぬ気怠い心地よさにも似た、微風にとけてしま
いそうな仄かな憂い。

 でも、私はいつしか微笑んでいた。
 見上げると、春の陽差しがおめでとうって言ってるような、そん
な晴れやかな光に満ちた青い空があったから。
 今の私の目にいっぱい広がる青空は、いつも見てるような空、で
も違うような青色で。雲と戯れて、遠くまで、高くまで、今の私の
話をどんな事でも耳を傾けてくれそうな──
「私にも色々あったよ」
 私だって、充実した高校生活が送れたんだ。楽しい思い出──素
敵な出会い──大切な友達──色んな色んな事がいっぱい。
 とっても、とっても、晴れがましい青空だった。
「千尋ー」

 その声で我に返った。

 振り向くと、教室に入ってこちらに来るなじみの顔があった。
「千尋、まだ帰んないのー?」
と、卒業証書が入った筒を振る。
「かおりんこそ、榊さんたちとは一緒に帰らなかったの?」
「え゛っ!」
 かおりんの表情が一瞬で凍りついた。
「榊さん……もう帰っちゃったの!?」
「だってさっき、校門を出てったの見たよ」
「そ、そんなー」
 みるみるうちに泣き顔になるかおりん。
「天文部で最後のお別れしている間に……うううー、せめて写真を
もっといっぱい撮ればよかった……」
「ははは……」
 最後の最後まで変わらなかったかおりんの不遇さに、私は苦笑い
するしかなかった。かおりんはこの最後の一年間で悲嘆の表情が似
合ってきてしまっているような気がする。
 私は突然の提案をした。
「ねえ、かおりん。屋上行かない?」
「え?」
 唐突な言葉に、かおりんはびっくりして顔を上げた。
「い、今から?」
「いいじゃない、最後ぐらい。ね、行こ?」
と、私は半ば強引にかおりんを教室から連れ出した。

 屋上の扉は開いていた。こんな時ぐらい融通を利かせてくれる優
しい神様はいるのかも。
 春の陽気がこもりはじめた陽差しに、かおりんは、
「ん〜……」
と、気持ち良さそうに伸びをした。
「もうだいぶ暖かくなってきたねー」
「すごくいい卒業式の日になったよね……あそこ座ろ?」
 私は屋上に作られた花壇を指した。残念ながら植えられているの
は別の季節に咲く花のようで、今は青々とした葉っぱだけだった。
 花壇の縁に並んで腰掛けた。
「かおりん、最後まで榊さんと一緒に帰れなくて残念だったね」
 ハア──と、かおりんはかるいため息をついた。
 に、似合いすぎ……。
「いいの、別に……。そこまで親しかったわけじゃないし」
「え?」私はびっくりして口を開けた。「でも、去年の夏は一緒に
ちよちゃんトコの別荘に行ったんでしょ? 写真も一緒に撮ったし」
「うん、そうだけど……。でも、薄々わかってたんだ……私、結局、
憧れの対象として榊さんを見ているうちに、その距離を詰められな
くなっちゃってたんだよね。星と同じ。遠くに煌めいているのを、
ただ、眺めるだけ──。
 榊さんとは親しい仲に……友達にはなれなかった気がする……」
 かおりんはどこか遠く悲しげな瞳で空を仰いだ。その瞳には、こ
の青空は映っていなかった。
「独りで舞い上がっちゃってて、自業自得ってやつ?
 でも、もういいんだ。何もかも遅いし」
 そう言って、かおりんは淋しげに俯き微笑んだ。
「憧れの対象のまま別れられるなら、いつまでも大切な思い出とし
て残るから……それでいいんだ……」

「かおりん……」
 彼女の気持ちは、痛いぐらいわかった。一緒に俯いてしまう。
 だって、私は友達だもん。
 かおりんはとってもいい子だよ。ちょっと空想癖っていうか、夢
を見てしまうようなところがあって、それだけに現実と戦いになっ
ちゃうような事もあったけど、でもめげずに頑張ってきた。いつも
明るくて楽しくて朗らかで、とってもかけがえのない友達。
(友達……)
 私は俯くのを止め、空を振り仰いだ。
 青い青い空が、窓枠も無く私たちの頭上にある。

 空が、どこまでも続いていた。
 雲が、どこまでも流れていた。
 お日様が、かぎりなく輝いていた。

 そして、私たちの話を聞いていたみんなが、笑って励ましてくれ
ているような気がした。
「春っていうのはね、元気になる季節だよ」
 私は立ち上がった。
「そんな事ないよ!」激しくかぶりを振る。「そんな事ない!」
 私はかおりんの手をとった。
「ち、千尋……!? どうしたの……!?」
「かおりん、行こう! 榊さんを探しに!」
「え、え、え!?」
「今だったらまだ何とかなるかもしれない! 今から行って、これ
からも友達でいてくださいって言うんだよ! 高校卒業してからも
会いましょうって!」
「え……だめだよ……そんな……今さらだよ……もう……」
「遅くなんかないよっ……!」
「だって……いいの……もう諦めたから……憧れとして、いつまで
も大切に残しておくから……それで……」
「そんなのだめだよ! かおりん、いつか言ってたじゃない!? か
おりん、こう言ってた──
『満天に輝く星ってね、すっごく素敵なんだよ。いつまでも見てい
たいし、いつまでも心に飾っておきたいぐらい──。でも、日常に
戻るとすぐに色褪せちゃうんだ。だから、時々また見に行くんだ』
って。
 かおりんは、思い出さえあればいいの? それとも、榊さんと一
緒にいたいの? すぐにもっと仲良くなるのは無理かもしれないけ
ど、でも、離れたらそれで終わりになっちゃうよ!? 思い出だけで
──その思い出すら──本当に大切に思ってるなら、本当に一緒に
いたいなら、いたいなら──!!」
「私──私──」
 かおりんはボロボロと、大粒の涙を流しながら嗚咽した。
「私──榊さん──榊さんと一緒がいい──遊びたいよ──楽しく
お話ししたい──これからも──これからでも──」
「だったら、行こう。ね……?」
 私は再びかおりんの手を引っ張った。
 かおりんは──立ち上がった。
 私は憔悴したようなかおりんに、精一杯の笑顔を湛えた。
「かおりん、元気出して! 行こう!」
「う……うん!」
 かおりんは涙を拭いて、ニッコリと笑った。
 私たちは一緒に駆け、屋上を後にした。

 校門を出る時、ちょっとだけ立ち止まって、校舎を見上げた。
 無骨な建物。だけど、もう戻る事のない、私たちの思い出がいっ
ぱい詰まった場所……。
 私も、ペコリとおじきをした。
 ありがとうございました。
 結論から言うと、かおりんは榊さんと出会えた。卒業式という日
を名残り惜しんでいた六人は、まだ離れずに公園にいたのだ。
 そして、かおりんの一世一代の告白に、榊さんは──
「うん」
と、いともあっさりと頷いた。相変わらずの凛々しい表情で……。
榊さんがかおりんをどう思っているのかは、なかなか窺い知れない。
 でも、その時のかおりんったらもう──
 まあいいか。
 後悔が消えて元気になれたんだから。


 みんな、ずっと、元気でいてね。

(終)