また、大量に作りすぎた炒飯をタッパーに詰め込んで学校にきたのは
昼休みを少し回ったくらいだった。
別に、サボってもよかったんだけど、2限目の終わりにかけてきたのであろう
留守電(寝てて出られんかった、失敗)の声に少し元気が無い様な気がして。
「…だるー。いつからこんなマメになったんかなぁ」
前から女の子には優しかったしマメだった。けどこういう類のマメさとは違う。
歩きながら声をかけられても、おー、とか、よー、とか。そんな返事しか返さ
ないまま、自分の教室にも立ち寄らず、真っ直ぐお目当てのあの子の元へ。
ガラリと戸を開け中を見渡す。
昼休みの喧騒に、それでも、教室にいた半分はこちらを注視した。
見回すまでもない、あの子は不在。いればきっとすぐ声をかけてくれる。
出て来なさいよー、サボリくん。ってわざわざ電話までくれたくらいだ。
きっと、おそようございます。とか、めちゃカワイイ厭味で、気だるさを一蹴
してくれる、そんな期待をしていたのに。
「ちぇー。せっかく出てきたんになぁ。つまらん」
さて、どうしよう。当て所なく校内を彷徨ったところで出会えるか?
昼休みは10分経過。もう昼を食べ始めている頃だ。
「姫条!なぁーにやってんの。ドアの前につっ立ってないでよ。ジャ・マ」
ドンっと背中に蹴り一発。まったく無遠慮な挨拶。実はコイツ関西人か?
と訝しんでいる相手にできる限り不機嫌な顔を作ってみる。
「なにさらすん、凶暴女。俺は繊細なんや。あー骨折れた。慰謝料払えや」
頭をコツくと、いたぁーいとかいいながら、やけに嬉しそうに俺の手をはたく。
やかましくて変な奴。男子に人気あるみたいだけど、俺はちょっと。
どうもオトコトモダチみたいに思えて仕方ない。気軽でいいけど。
「で、なにやってんの?っていうか姫条、今来たんでしょ?遅すぎ」
「うっさい。勤労学生は大変やねん」
他愛も無い会話に、いちいちコロコロ反応する。
女の子のそういう所、可愛くて好き。
あの子もよく笑う、びっくりする、慌てて、照れる。
笑う声が好き。そんなに高くない透明な感じの声。照れたとき伏せる目も好き。
長い睫毛の影が落ちて、急に色付く。
あ、やっぱ会いたい、今、会いたい、すぐ会いたい。
他の女の子と喋ってても、面影を探す。他の子のかわいいとこ見つけても、
あの子のそれと比べて、うん、やっぱあの子の方がカワイイとか、
ひどい事考えてる。重症。姫条まどか、男意気失格?
「ちょっとオニーサン!人の話聞いてんの?」
不機嫌そうな声の主は、少しの不安で俺を見上げてる。
ああ、そうだ、コイツ。あの子と仲良かったはず。
前は一緒にいるのをよく見た。最近、見かけなくなったけど。
「ああ、ワルイワルイ」
訊いてみたらわかるかも、居場所。頼みごとをしようと思うと、
途端に笑顔を作る。愛想良くするのは、呼吸するのと同じくらい簡単。
相手もそれに安心したのか、また嬉しそうに見上げて、ナニナニ?と
訊いてきたから、いつもの調子で居場所を知ってるか尋ねてみた。
あ、しまった…。
長年の勘。女の子の扱いは慣れてるつもりだったけど、どうも最近巧くいかな
いときがある。あの子が絡むと、なぜかそうなる。いまもそうだ。
目の前で、空気が変わった。
今まで、いつも通りの、や、いつもより?楽しげに喋っていた相手の顔が曇っ
た。いままで見たことない、険しい顔。
ああ、コイツでもこんな顔するんだなぁ、とか。つまんないことで関心して、
すぐに少し引っかかりを感じたけど、だめだ。
あの子が絡むと巧くいかない、余裕が無い。
「…知らない。どっかでお昼でも食べてんじゃん?」
嘘をついてる気がした。なんとなく、でも、わかってて隠してる。
けれど、これ以上訊けない雰囲気だった。強引に聞きただしたら泣き出してし
まうんじゃないか、そんな予感はよく当たるし、なにより、居心地が悪くて。
「そか、ならええねん。邪魔したな」
ちょっと後味悪い。べつに、俺がナンかしたとは思えないけど。
そそくさと動き出す。背中に視線を感じたけど、気がつかないふりをして
おこう。こういうときの勘も当たる。
視線から逃れるように、すぐの階段へ避難。
さてと、時間を見えれば、昼休みの残りは10分。これじゃあ一緒に
飯は食えない。どちらにせよ、きっともう誰かと済ましたあとだ。
会えないと思うと何が何でも会いたくなる。教室の前で待ってるのが一番
手っ取り早い、でも今は行きにくいし、会えたところですぐに授業だ。
「帰りまで待つしかないんかなぁ」
確実に捕まえられそうなのは、放課後。
よし、放課後まで待とうと決めると今度は気だるさに襲われる。
「あれー?姫条出てきてたのかー?」
階段に腰掛けていると、級友たちが声をかけてきた。
おめー、おせーよ。とか、飯食いにガッコくんな、とか、軽口を叩く。
「5限って体育だし、お前、よく出てきたなぁ」
あ、忘れてた。
「…の、つもりやった。けど、今日はほんまに体調悪くて。今も気分悪くて
こんなとこに座っててん。悪いんやけど、センセに俺は
保健室に行ってるって言うておいてや、な」
考えるより早く言葉が出た。こんなかったるいのに、体育なんか出てられるか。
保健室で放課後まで寝てればいいや、うん、いい案だ。
じゃあ、帰れよー。と、笑い混じりで言いながら去っていく級友たちを尻目に、
保健室へ。帰ってもいいけど、半分意地だ。今日絶対会いたい。
昼休みもあと数分。廊下から人が引き、特に、学校の端にある保健室の側は余
計に静かで、窓から差し込む日差しは急に午後になった。
「センセー、頭痛くて気持ち悪くて、めまいに動悸、息切れや。アカン、立っ
てんのも億劫やねん。少し休ませてや」
部屋に入るなり、そう言う俺を見て保健のセンセーはあきれた風に、
あらまたなの?と言った。
保健のセンセー、そらもう、健全な男子高校生ならいかがわしい妄想のひとつ
でも抱かなきゃ病気だと思う。俺もかなり期待していたけど。
目の前で忙しなく書類をしまうセンセーは中年より年をとった、恰幅のいい、
食堂にでもいそうなオバチャンだ。
ちょくちょく保健室を利用する俺には慣れたもので、しょうがないわねぇとた
め息をつき、まぁ久々だからいいわ。と笑った。
「センセー大好きや、俺があと30早く生まれとったら、結婚申し込むで?」
冗談を言うと、センセーは、30じゃきかないわ40は早く生まれてくれなきゃ、と言ったあと立ち上がった。
「悪いんだけど、今日はこれから会議があるの。少し休んで、
調子がよくなったら帰るなり、授業出るなり、しなさいよ」
そう言って、バタバタと小走りで横を通り過ぎて行った。
はいはーい、がんばってなーと声をかける。部屋から出て行こうとしたしとき、
あっと声を出すと、そうそう、と続けた。
「一人、お昼から休んでる子がいるからうるさくしないで、いいわね?」
と言い残し出て行った。
「独りでどううるさくするんやっちゅーねん」
ため息交じりに呟くと、思った以上に部屋が静かで、
ツマラナイ独り言がやけに大きく聞こえた。
もう一人休んでる奴に聞こえたんじゃないかと、なんだかバツが悪くなって、
カーテンで囲まれたベッドを見遣ったが、何も反応がない。
さて、自分も休もうと、空いてるベッドに腰をかける。上着を脱いで、
シャツのボタンをひとつあけて、校内履きを脱ぐ。
視線を落とした先に、カーテン越に見えないお隣さんの校内履きが、
きちんと揃えられて置いてあった。
ごろりと、勢いよくベッドに身を沈めおざなりにカーテンを引きながら、
隣で寝てるのが女の子でよかったとか、
履物のサイズと置き方で咄嗟に判別できる自分に苦笑した。
目をつぶっても保健室はなんだか明るい。部屋中真っ白で、眠ろうとすると
反射光のような光をまぶたの上から感じで、引き戻される。
目の上に両腕を置く。腕の重みが心地いい。
それからぼんやりと今日のことを思い返す。
炒飯持ってきたのに食えてないとか、
昼飯どころか今日一日なんも食べてない、とか、
そういやなんであの凶暴女キれたのか、とか、
体育サボって保健室で寝てるのサイコーとか。
そうだ。なんで今日はこんなにあの子に会いたいと思ったのだろう。
そもそも、本当に今朝は調子が悪かったのだ。
だから、学校を休もうと思ったのに、炒飯詰めて学校に来てる。
ああ、電話だ。留守電。あの子の声に元気が無い気がしたんだ。
そういや、おととい一緒に帰ったときも少し元気が無かったな。
最近、寝不足気味だって言ってたし。
それに、たまにだけど、貧血起こして辛そうにしてる事もあった。
それほど丈夫って訳でもないみたいだ。
アレ?
何かふっとひらめきそうな予感。
もう少しで、何かこう、パズルがカチっとはまりそうな気がして。
まどろんでいた意識をゆっくり覚醒させようとした時だった。
ギシっと一回ベッドの軋む音の後、バサっと隣から何かが下に落ちた音がした。
さして大きな音でもないのに、ドクンと心臓が大きく鳴ってひどく驚いた。
暫くの静寂。指で挟んでカーテンをすこしずらす。
どうやら寝返りでもうった拍子に上着を落としたみたいだ。
ベッドとベッドの間、校内履きが脱ぎ置かれた上に上着が落ちている。
だらしなく落ちたそれが、なんだか気になって、
ゆっくり音を立てずに起き上がり拾う。
センセーの机の上にでも置いとけばいいだろうと、軽く上着をたたもうとして
気が付く。内ポケットからのぞく小さな鏡に見覚えがあった。
去年、このアンティークのコンパクトを蚤の市で買ったからだ。
あの子がずいぶん気に入っていたから、10倍返しやでーと冗談交じりに
プレゼントしたものに間違いない。
「ああ、なんや。そうか…」
まじまじと、鏡を見つめたあと、さっきのパズルがカチリと符合した。
帰りまで待つ必要はない。
閉まっている隣に目をやる。ゆっくりと、そうっと、音を立てないように、
なぜか息を殺して。なんだかひどく、善からぬことをしているような、
後ろめたさと奇妙な高揚感をお供に、カーテンを少しだけずらす。
片目をつぶって覗くとそこに、いた。やっぱり、そうだった。
こちら側に横向きになって、腕をすこし上げ気味に、
すぅすぅとよく眠っているのがわかった。