自意識を持つ歳になってから最初に彼が不満に思ったことは自らの名前であった。
何故こんな名前を付けられなければならなかったのかと幼い頃に泣きながら親に問い質した気がするが、答えは既に忘れてしまった。
ただ、名前の由来に大した理由はなかったのが余計に腹立たしかった印象だけは脳裏にこびりついている。
辞書で調べてみれば『かばのき科の落葉高木。版木』としか出てこない。
「なんだよ版木って」
俺は木か?草木か?光合成機能でも付いてんのか?特殊人間なのか?光合成人間とか何それダッセー!
……等と生意気な中学生時代には息巻いていたが、それも二年にもなればどうでもよくなった。
野球は実力が全てだ。
実力がなければ部にも入れない、つまりはスタート地点にも立てない。
俺は、努力した。努力して四番の看板を張った。在校時代、その看板が剥がされることはついになかった。
だから「女の子みたいな名前〜!」とか嘯くのは親戚くらいになっていた。
そんなこんなで順風満帆だった俺の人生。
ところがどっこい、俺は第一志望から落ちた。
親は過剰な期待をかけるような人ではなかったから、普通に俺を心配して、普通に励ましてくれた。
「私は勉強が学べる学校ならどこでもいいわよ。
あんたの希望を付け加えるから……勉強が学べて野球部のある学校ならどこでもってことになるわね」
要は名前書くだけで通る馬鹿学校でもいいと言っているらしい。親なりの励まし方だろう。
涙の出る話だが、しかし、やや俺の胃が痛んだ。試験で半分はマジだったが、半分は手を抜いていたからだ。
第一志望には、有名な強豪野球部があった。
俺より打率が良い他校の奴等が埼京線の満員電車のように押し合いへし合い押し寄せるに決まっているのだ。
メジャーで第二のイチローになるとか、日本のプロ野球界で第二の王になってやるだなんて大それた夢を見る気は、俺にはない。
でも四番の自負とプライドはあって、なくならない。
だから逃げた。
今年から硬式になるとかいう無名の西浦なら楽に四番になれると思った。
もう一度、言おう。油断していなかったといえば嘘になる。油断していなかったといえば嘘になるのだ。
大事なことは二回言うべきだ。
女監督、エリマキトカゲみたいなヘボい唯一の投手候補、どう考えても異質だった。上手く行くはずがないと腹で笑ってた。