阿部「…上手いぞ三橋…さすが3年目…」

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60いつか、どこかで
※影法師の蛇足なその後。スイーツ注意



<M>

冬なのに空気が湿って重い感じがすると思っていたら、予報通り雨が降り出してきた。
上空に寒気が入り込んでいるので明け方には今年初めての雪になるかもしれない、とも言
っていたような気がする。
三橋は待ち合わせの場所を目指して冷たい雨の中を走った。
時間は十分にあったけれど気が急いてどうしようもなかった。
時々は野球部の集合写真の中に彼の姿を見ることができたし、三橋も叶や瑠里の携帯から
自分の写真を送っていたが実際会うのとは訳が違う。
本当に彼は今から向かう場所にいるのだろうか。
この日を待っていたはずなのに、いざ会えるとなるとしり込みしてしまう自分は相も変わ
らず臆病者だ。
向こうからの連絡手段は他人の携帯と彼以外の野球部員がくれる手紙だけだった。
彼の名前が記された手紙は三橋のもとには届かない。
三橋の親が全て送り返すからだ。
三橋に届く郵便物はことごとく親に開封されるが、それについては彼も三橋も当然のこと
と受け止めている。
そんなことが三橋にとって障害だったのではない。
距離でもなく世間一般の枠組みから外れることへの恐れでもなく、ただ相手の心に自分は
どう捉えられているのかがわからなかった。
「会いたい」と言ってくれた彼はその答えを教えてくれるだろうか。
傘を持つ手が寒さにかじかんで痛みさえ覚える。
一つ先のブロックに待ち合わせ場所の大きなホテルが見えると、三橋の足は急に動かなく
なった。
(オレ、行っても いいんだよね…?)
まわりを歩く人々が道の真ん中で立ち止まった三橋を鬱陶しそうな目で見ながら避けてゆ
く。
61いつか、どこかで:2009/06/06(土) 18:57:44
>>60

<A>

携帯の小さな液晶画面で三橋はいつも変な顔に写っていた。
送信者は大抵三橋の従姉妹で、よく似た彼女の弟と並んでいる画像もあった。
泣き笑いのような、楽しそうで淋しそうなおかしな表情。
小さく掲げたピースサインが似合わなくて、声を出して笑った後に何故か泣きたくなった。
ずっと会えないまま、悲しい思い出の中にしかいなくなるのだとしたらもっと三橋と話を
するべきだったと何度思ったことか。
阿部が自分の殻に閉じこもっている間にも季節は移り、野球部にも新しいメンバーが続々
と入部してきた。
三橋のピッチングを見て西浦への進学を決めたという生徒がいたのは、阿部にとって嬉し
い驚きの一つだった。
元々のチームメイトとは阿部の方から一線を引いてしまったが、一度割り切ってからはや
めようと思うことはなかった。なにより三橋を失望させるのがわかっていたからだ。
三橋の在籍した野球部を強くするために努力することが、阿部なりの彼らへの謝罪だった。
今まで蓄えた野球に関してのスキルを後輩にみっちり叩きこんだ挙句、監督の次に恐れら
れる存在になっていたらしいが、野球部のレベルは確実に底上げされた。
自分たちの代で全てできなくたって、後に連綿と続く後輩がきっと野球部をよりよくして
いってくれる。
引退間際になってからそう思えるようになった阿部は、やっと少し肩の力が抜けたように
感じた。