不運だが幸運だかよくわからない事故にあったのは大学の入学式を目前に控えた春のことだった。
駅の階段の最上部から転がり落ちてほぼ無傷。
この両腕以外は。
「は、はーい、あーん」
大学の入学式にむけて、三橋とのルームシェアの準備はほぼ終わりかけというタイミングだった。
契約もすませ荷物も運び終え、あとは雑多としたものを片付け春を待つばかりという時期。
幸運は普通なら全治何ヵ月というところをほぼ自宅療養で済ませられるレベルに押さえられたこと。
不幸はこれから両腕を使えない状態でしばらく三橋と悶々とした日々を過ごさなければならないということ。
「あ、あべくん、くち、あけて」
「あーわりぃ」
なにせ両腕が使えないとなると日常生活には支障が出まくりだ。
風呂も便所も飯も両腕が使えないんじゃ話にならない。
こんなふうに三橋に「はい、あーん」な羞恥プレイをお見舞いされるようになるなんて両腕が使えなくなるまでは思っていなかった。
治療にくわえてリハビリやらなんやらで完治にはかなり時間がかかるらしい。
つまり三橋とのこの生活もしばらくは続くわけで。
「あべくん、お、おいしい?」
「ん、ああうまいよ」
うまいだのまずいだのを聞く前にスプーンを奥までぐいぐい押し込む癖をなんとかしてほしい。
最初のうちはおそるおそるでぷるぷるしながら、なんつー状態だったのに。
こぼす度にもっとちゃんとスプーン突き出せと怒鳴りつけてびびらせて、やっとびびんなくなったと思ったら今度はこれだ。
まだ口の中のものを飲みきらないうちに三橋がまた「あーん」を仕掛けてくる。