家臣「上様!上様!!」

このエントリーをはてなブックマークに追加
174高校の幽霊の俺・4.2
「高校の幽霊の俺・4」の番外編というかパラレル的なもの。



三月末ともなれば、既に一部の熱心な新入生は、入りたい部活に顔を出し始める。
特に運動部はそうだ。
西浦高校野球部でも、五人六人、まだ中学生らしさの抜けきらない見学生が、
或いは黙々と狙った所へ打つ技を、或いは綺麗に変化してミットに吸い込まれる白球を、
熱の籠もった視線で見つめている。

その中でも特に投手に対する視線は多い。
四種類の変化球が寸分ミットを動かしめずに投げられるかと思えば、
素早い球が空気を切り裂き、爽快な音がパシンと響く。
「――キミ達、新入生?」
そこに、巨乳の女性がニコリと笑みを投げかけてきて、瞬時驚いた彼等は、
それが今話題の監督であることに気が付き、改めて居住まいを正す。
そして、口々に自己紹介をする。東海林、藤山、霧島、松原、並木……。
色々な中学から来た彼等ではあったが、ただ一つ共通する事があった。それは。
「……キミも、三橋君を見て来てくれたのね?」
「はい! 三橋先輩が投げられるのを見て、それに感動して!」


昨年夏の西浦高校は、甲子園出場は叶わなかった。
叶わなかったが、その成績は驚くことに、埼玉の準々決勝にまで進んだのだ。
これは真に驚くべきことだった。
設立した年の十六強でさえ、恵まれすぎな結果であって、
しかも二年目の西浦は、非常に大きなハンデを背負っていたのだ。
175高校の幽霊の俺・4.2:2008/08/24(日) 00:22:38
>>174

「三橋君、中村君」
モモカンが、丁度投球練習を終えたバッテリーを呼び寄せる。
すると、見学に来た新入生の間から歓声が上がった。
「今年の新入生。早くも見学に来てくれたわよ」
「ちわっス。中村っス」
「……三橋、です」
けれどもそのはしゃぎっぷりは、三橋の顔を見ると、ピタリと収まってしまった。
二年生の中村より小柄な三橋は、顔も童顔であり、本来ならば懼れる雰囲気ではない。
然らば何が新一年生達を黙らせたのか。
それは三橋の顔に浮かぶ憂いであり、或いは声から響く陰鬱さであった。

二人は顔合わせの様に挨拶だけ終えると、次の練習を指示される。
それはまるで、新入生に対する警告であった。
中村は苦笑しながら、三橋に話し掛ける。
「これで三度目っスね」
「……」
その言葉に、三橋は何も返さない。ただ、微かに笑みを浮かべるだけだった。
「あの中の何人が入ることやら……」
「そう、だね」
発した言葉は、やはり明るさの欠片もない。
だが中村は、決してそれを不快に思わない。
いや、思えないのだ。西浦野球部のメンバーなら、誰でも。
「不幸な事故で、バッテリー相手を失ってしまった」三橋のことを。
176高校の幽霊の俺・4.2:2008/08/24(日) 00:23:12
>>175
バッティング練習に切り替わりながら、そうっと中村は昨年を思い出す。
中村が入学した時、野球部の人気はどん底だった。
昨年新設校にしてベスト十六を勝ち取り、レギュラーになれる可能性も充分に有るというのに。
(捕手がいねェんだもんな……)
西浦高校の正捕手が自殺し、それを止めようとした正投手も亦転落事故に巻き込まれたという事件。
奇跡的に投手はかすり傷で済んだものの、捕手は即死。
そんなケチが付いた野球部に入る物好きは、中村の代、僅か四人しかいなかった。
(まあそれでオレが捕手やれてンだろうけど、な)
中村はチラリと田島を見る。
その阿部という先輩がいる間は控え捕手だったという彼は、非常に優れた才能を捕手に於いても有していた。
ただ如何せん攻撃面でも四番を担っている。
中村は、技術こそやや田島に劣るものの、中学時代から捕手をやっている経験と、
冷静に考えられる思考力と、持ち前の気合いとで、夏大の正捕手の座を、あの先輩から得たのだ。
(その結果オレは今――三橋先輩と、組めている)
正直中村が西浦を選んだのは野球部によってではない。しかし選択に間違いはなかった。

屋上から落ちながら、かすり傷で済んだ三橋は、一週間後にはもう練習に出てきたという。
そして、その時から、彼は変わったらしい。
元々マウンドの上ではしっかりしていたのが、普段の生活でもしっかりし始め。
対戦相手の攻略にも、積極的に頭を使う様になった。
しかも制球力は衰えず、又阿部を失って部活に対する熱情が醒めたかと思えば、
逆に一層熱心に部活へ傾斜する様になった、と中村は聞いている。
その通り、彼が組むことになった正投手は、脅威のコントロールと、冷徹な配球と、
たゆまぬ努力と、細やかな体への配慮とを全て兼ね備える、恐ろしい存在であった。

ただ、一つだけその代償として失ったものがある。
三橋は爾来酷く大人びて、無邪気な笑顔を捨ててしまったのだった。
笑うとしても最早微かな、どこか物憂い色を帯びたそれしか出せない。
声も常に沈みがちで、田島とはしゃぐこともなくなった。

それでも、投手の力は凄まじく、埼玉ベスト8まで、西浦は夏を続けられたのだ。