三橋が最近良く笑うようになった。
泉たちにくすぐられて笑う、ぶっさいくなのから、お菓子もらって犬っころみたいに嬉しそ
うに笑うのから、褒められて照れたように笑うのまで。
いろんな顔を見せるようになったのは良いことだ、それが例えオレが引き出したんじゃなく
ても。
そう思っていた、この間の顔を見るまでは。
部活が終わって部室を出るときのことだった。
みんなで一緒に部屋を出ようとしたところで、花井が三橋に話したいことがあるから残って
くれ、と言った。わざわざ帰り際、しかも遅くなってから言うなんてなんだろう、と思った
けど、別に用もないから待っててやろうと足を止めた。
そうしたら、水谷のヤロウがオレの袖を引っ張って「阿部ぇ、先にコンビニ行ってようよ、
オレ腹減っちゃって〜」なんてぬかしやがる。
何でオレがお前につきあわなきゃなんねぇんだよ!って思ったけど、人の話に首つっこむの
も何かと思ったからおとなしくコンビニに向かった。
夜道は暗くて、後からくる二人のことがどうにも気になってぼんやりとしてたらしい。
だから、水谷の話なんてあんまり聞いちゃいなかった。
「……うまくいくと、いーねー。花井」
「ああ?」
「三橋だよ。気づいてなかった?好きになっちゃったんだって」
男だけど、三橋イイコだもんねー。花井もイイヤツだしさ、オレ応援してンの。
水谷の馬鹿のへらりとした言葉は、オレの脳天を直撃した。
「な、に、言ってンだよ!」
「阿部はバッテリーとしてスキって言ってたけど、花井は本当にスキなんだって」
男同士ってことに悩んだけど、告白してみるってさ。
ギュギュギュ!!
勢いよくかけたブレーキでチャリがすげえ音を立てる。オレはアホ谷がなんか言っているの
も聞かずに、全速力で元来た道をブッ飛ばした。夜、遅くてよかったと思う。
歩いてるバーサンなんかいたら、問答無用で跳ね飛ばしてたと思う。
頭の中はぐらぐらに煮えていた。
好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ!そんなの好きに決まってる。三橋はオレのだ。
アイツの頭には野球と食い物のことしか詰まってないと思ったから、わざわざ我慢して黙っ
てやってたっつーのに、あのハゲ何しくさってんだ!
オレが車輪も外れろとばかりに漕いで漕いで漕ぎまくって部室に戻ったときには、メインイ
ベントは終わっていた。
恥ずかしげに頬を染めるハゲと、幸せぽやぽやの顔をした三橋。花が咲くような、っつーの
はああいうんだろうな、ってくらい可愛い笑顔で笑っていた。
オレは飛び込んで三橋をかっさらいたい気になったけど、今更どうにもならない。オレに出
来たのは二人に見つからないように家にとぼとぼと帰ることだけだった。
翌日、水谷がなにやら聞いてきたけど返事をする気にもなれず、完全に無視してふて寝を決
め込む。
ハゲのヤロウはうまくいったせいか、通常通りの態度だ。
「阿部、そろそろ先生来るからちゃんとしろよ」
普段なら何とも思わないその声も、今は耐え難い苦痛でしかない。
オレは授業を受ける気にもなれなくて、がたりと席を立った。
「わりぃけど、部室で寝てくるわ。昨日データ解析してたら寝そびれた」
午前中いっぱいは寝て、部活までには復活するから、と言い置いて席を立つ。
心配そうな視線を振り切って、オレは部室へと避難した。
帰りまでには………アイツのボールを受けるときまでには元に戻らねぇと。
頭の中は昨日の光景がぐるぐると回る。
昨日、ここで向かい合っていた、ふたり。 幸せそうな三橋の顔。
思い出すだけで腹の奥が焦げる。これからどんな顔してアイツの球受けりゃいーんだ、畜生
!
部室の床でのたうち回っていると、カタンと小さな音がした。
シガポでも来たのか、めんどくせぇ…。無視を決め込んでいると、戸惑いがちにドアをノッ
クされる。
「阿部、君、います、かー?」
三橋だ。
わざわざ何しに来やがった、コイツ。オレに花井とつきあうことにしたって報告でもするつ
もりなのか?
その考えに吐きそうになるほど腹が立った。そんなことされたら、三橋をメチャメチャにし
て食っちまいそうだ。
冷静になれるまで会わない方が良い、頭の中は警鐘を鳴らすのに、手は部室のカギを開けて
いた。
入ってくればいい、食われに。
オオカミの口の中にのこのこ入ってくるウサギみたいに、一口で食ってやる。
そして獲物は誘われるままにそろそろと入ってきた。
ドアをくぐり抜ける背中を見ながら、そっとカギに指をかける。カギをかけるカチリ、とい
う音に気がつかれないように、大きい声で「みつかるとヤバイから奥行け」と声を掛けた。
「う、うん」
流石にもう1時間目が始まっている。野球部のバッテリーがサボっているのが見つかるのは
まずいと分かるのか、三橋は小動物の素早さでぴゅっと奥へ走り込んだ。
疑わない愚鈍さが愛しい。
喉の奥で笑いを噛み殺しながら、カギがちゃんとかかったかどうか確かめる。獲物は捕らえ
られたことにも気付かず、外から気付かれない場所を探してそわそわと場所を移動していた。
バカだ、もう授業も始まっているのに。こんな校舎から離れたところに来る奴なんていない。
助けを呼ぶ声も届きはしないだろう。
隔離された密室で、三橋は壁に背中をくっつけるようにして座り込んでいた。
下から見上げられるのに、ことさら優しい声を出してやりながら、目線を合わせるためにオ
レもゆっくりと腰を下ろす。ふっくりした唇が戸惑うように震えていた。
「…どうしたんだ、オレになんか用でもあったのか?」
「あべ…阿部君、見えた…上から」
三橋は校庭の隅を走るオレに気がついて後を追ってきたらしい。
「き、昨日。コンビニ、にいなかった、カラ」
馬鹿じゃねぇの、そんなことで追っかけてきて、オレに何されるかわかってもいねぇんだろ。
「は、花井くん、と急いで追いかけたんだけど」
花井、の名前にカチンとスイッチが入る。凶暴な獣のスイッチ。
「具合、悪いの、かなって、心配で…」
具合ならすげー悪いよ。昨日、ここでお前たちを見てからずっと。腹ン中ぐちゃぐちゃで頭
ぐらぐらしてんだ。
そう言ったら、オマエ何してくれンの?