三橋「オレはちゃんとしたおかずになる ぞ!」

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249fusianasan
野麦峠改変・保管なしで

叶は宿にも泊らず夜も休みなしに歩き通して、たった2日で一林組工場にたどりついた。
 「ミハシレンビョウキスグヒキトレ」という工場からの電報を受取ったからである。
叶は病室へ入ったとたん、はっとして立ちすくんだ。ふっくらとした頬を赤く染めて恥かしそうに笑う廉の面影はすでにどこにもなかった。やつれはててみるかげもなく、どうしてこんな体で十日前まで働けたのか信じられないほどだった。病名は腹膜炎、重態であった。
工場では叶を事務所に呼んで十円札一枚を握らせると、早くここを連れだしてくれとせきたてた。
工場内から死人を出したくないからである。叶はむっとして何かいいかけたが、さっき言った廉の言葉を思い出してじっとこらえて引きさがった。
  
「修ちゃん、何も言わないで、ね」
 廉はそう言って合掌した。家へ帰って静かに死にたがっているのだと叶はすぐ察した。廉はそういう性格だった。準備して来た背板に板を打ちつけ座ぶとんを敷き、その上に幼馴染を後ろ向きに坐らせ、ひもで体を結えて工場からしょい出した。
作業中で仲間の見送りもなく、ひっそりと裏門から出た。
叶は悲しさ、くやしさに声をあげて泣き叫びたい気持をじっとこらえて、ただ下を向いて歩いた。
しかし、廉は後ろ向きに負われたままの姿で、工場のほうに合掌していた。その時、
「おお 帰るのか、しっかりしていけよ、元気になってまたこいよ」
 あとを追ってきた門番のじいさんが一人だけ泣いて見送ってくれた。
「おじさん、お世話になりました」
「元気になってまた来いよ、心しっかりもってな」

 二人はお互いに見えなくなるまで合掌していた。叶はこの門番の言葉にやっと救われた思いで歩き始めた。それはここに来て初めて聞く人間らしい言葉だったからだある。彼は、松本の病院へ入院させるつもりで駅前の飛騨屋旅館に一泊した。
この旅館の経営者中村初太郎は叶たちと同郷で、その彼も一緒になって、廉に入院することを勧めたが、家へ帰るという廉の気持は変らなかった

 しかたなし叶はまたそこもしょい出して、いよいよ野麦街道を新村、波田、赤松、島々、稲核、奈川渡、黒川渡、寄合渡、川浦と幾夜も重ねて、野麦峠の頂上にたどりついたのが11月20日の午後であった。
  その間廉はほとんど何もたべず、峠にかかって苦しくなると、つぶやくように念仏をとなえていた。峠の茶屋に休んでそばがゆと甘酒を買ってやったが、廉はそれにも口をつけず、
 「もうすぐ家だね。元気になったら修ちゃんと野球するんだ」と喜んでいたと思ったら、まもなく持っていたソバがゆの茶わんを落して、力なくそこにくずれた。「廉、どうした、しっかりしろ」、叶が驚いて抱きおこした時はすでにこと切れていた。