阿部「三橋」

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530四畳半のウサギ 3
※エロなし注意

小春日和というのだろうか、冬にしては暖かいある日の午後、俺と三橋は大家さんの求め
に応じて家具の移動と掃除を手伝っていた。
三橋は大家さんに借りがあることを自覚しているらしく、一生懸命に立ち働いている。
気働きというものはないに等しいのだが、たとえ一つ一つ指示してやらなければならない
にしても、ひたむきな態度で作業に取り組む姿を見れば、よくいる口ばかり達者な奴なん
かよりはるかに人間として好感が持てるというものだ。
「やっぱり男手があるとはかどるわねえ。これなら明日から工事に入ってもらえそうね」
「工事って、ここですか?」
額に滲んだ汗を拭いながら大家さんに聞いてみると、普段の陽気さは影をひそめ憂鬱そう
な顔になる。
「やっぱり古いからいろいろあるのよ。母屋だけじゃなくて下宿の方も直したいんだけど
 そっちはかなり大がかりにやらなきゃだめなのよね…」
俺にだってこの下宿が儲かっていないことくらいはわかるので、「はあ…」ととりあえず
頷いておく。
だが話はそこで終わらず、大家さんは「親戚には下宿屋なんて辞めろって言われててね、
困ってんのよ」と何かおかしいことを思い出したのか、くすくす笑いながらぎょっとする
ようなことを言った。
内心の動揺が顔に出てしまっていたのか、大家さんはにこやかに「ごめんなさい」と言っ
て俺の肩をポンと叩いた。
「ボロくて申し訳ないけど、あんたたちがここでいいんなら、大学に入って社会に出るま
でだって見届けてあげるから安心しててちょうだい。何年浪人したっていいわよ」
不吉なことを言わないでくれと思いながら三橋の方を見ると、押入れの中を掃いていたは
ずが箒を持ったまま足元を凝視して突っ立っている。
不思議に思って視線の先に目をやると、見たこともないくらい大きなゴキブリの死骸が転
がっていた。