三橋「俺くんとずっと一緒」

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607それが花ならば
※パラレル注意 こんだけ
 
「起きておりますか?」
通例に小さく鈴を鳴らし、襖に手を掛ける。俺の後ろに腰をすえている男を覗けば
姿勢の良い体と表情を些か強張らせ、真っ直ぐと視線を襖の方へ向けていた。
客人としてでなく知り合いとしてここにくればよいでしょう。数刻前、そういうと男は眉間に深く皺を刻みつつも納得したのだった。
簡単に納得したのはきっと彼の中で会いたいというのがあったからだろう。俺は向き直ると襖を引いた。
「あ、中村くん、遅かったね…あ…」
窓枠にひじを乗せ、雨空を見上げていた三橋さんは眠そうな、しかし柔らかい笑みをうかべた表情で此方をむき、
そして俺の後ろにいる者を確認した瞬間に大きく目を見開き、身を固まらせた。
「こうやってお会いするのは初めてですね」
「あ、あ…は、は、はじめ まして」
男の台詞に緊縛を解いた三橋さんは慌てふためいた様子で正座へ座り直し、三つ指を畳へついて頭を下げる。
着物の合間に挿されていたあの簪の装飾がシャリンと鳴った。
2人の間にあるのはなんとも初々しい雰囲気。居た堪れず席を外そうとするが、背後から三橋さんが「そ、そこにいて」と
小さな声で俺を留める。男も「すぐに迎えが来る故、気遣いは結構だ」と続く。
反論する明確な理由など持ち合わせていない俺は仕方がなしに、ふすまの前に座り2人の様子を観察する事にした。

更に雨脚が強くなる一方で、この2人の中はじっくりと優しく深まっていった。
簪の礼から会話は始まり、男が三橋さんに簪をやった理由、三橋さんがここにいる理由。
騒ぎ立てる事もないゆったりとした二人の会話が目の前で続けられる。
「海外に行った事があるとは、すごいな」
数え年が同じであった上、三橋さんの気弱な性格をすぐに理解してか、男が口調を崩して言う。
また三橋さんも少々緊張が解けたのか、うん。とこっくり頷いた。
「あの人、メリケンが好きでね、屋敷に居た時もよく行商から色んな物買ってた」
浮かんだ寂しそうな笑顔。男は訝しげな表情を取り、そしてすぐ近くの三橋さんの手の甲に己の手を添えた。
「…まだ忘れられないか?」
「ううん。…あんなに好きだったのにこの忙しい2年で全然かわちゃった」
開かれた窓からくる生暖かい風が、箪笥の上に飾られた和紙製の風くるまをくるりくるりと回す。
三橋さんはここの娼婦たちのように訳ありで此処へやってきた。
駆落ちして海外に飛んだもののすぐに病に掛かった男が死に、泣く泣くこっち戻ったがすでに屋敷にも戻れない身であり、
路頭に迷ったところをここの女将に拾われ、使用人を経験後、巷で流行の陰間へ出され今に至る。