阿部「子供は野球チームを作れるぐらい欲しい」

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568fusianasan
俺の三橋は昔から頭が弱くて、それが理由かは知らないが、
三橋の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝三橋が嬉しそうに「今日は俺くんの大好きな海老入れといたよ」と俺に言ってきた。
俺は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると三橋は俺に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
俺はその時イライラしていたし、いつもの三橋の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるせえな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
三橋は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、三橋は死んだ。俺の知らない病気だった。三橋の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた