三橋「た、田島君 何で俺のほっぺ囓ったりするの?」

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885fusianasan
 商談を済ませ、車に乗り込んだのが、ちょうど正午に差しかかろうというときだった。
「昼食は、料亭を予約してありますが」
「美食ばかりもよくないな。キャンセルしてくれ」
 中村が連絡を入れている間、俺は車窓の向こうに広がる日本の風景を何気なしに眺めた。
 久し振りの日本だ。予定をこじ開けて、三橋の顔を見たい。
 そのとき、一つの考えが浮かんだ。
「中村。たまには普通の食事をしてみようじゃないか」
「普通の、ですか」
 銀縁眼鏡を押し上げてこちらを見る中村に、俺は指を立て、左右に振ってみせた。
「お互い、成り上がる前の気持ちを思い出すのもたまにはいいものさ」

 中村、ビリーと共に俺は食堂へ入った。
 周囲から奇異の視線が集中する。スーツにサングラスといったいでたちは、さすがに場違いか。
「そればかりでもないと思いますがね」
 中村が溜息をつく向こうではビリーが他の客にサインを書いている。
 他の客は総じて若い。というか子供ばかりだ。
 そう、ここは西浦高校の学食なのだ。
 ここにいる若者達を見ていると、己の昔を思い出す。
 向こう見ずで、情熱だけは人一倍だったあの頃を。
「俺は日替わり定食にしよう」
「では私はきつねうどんを」
「ビリー、お前は」
「カツカレーと肉うどんと野菜サラダを頼む」
「おっと、カードは使えないのか。中村、現金の持ち合わせはあるか」

 学校の職員と名乗る男がやってきて、丁重な態度で退出を求めてきたのはやむからぬところだったのだろう。
 サングラスをかけなおし、悠然と食堂を出る俺たちを、級友たちとともに見詰める三橋の姿があった。
 俺が軽く手をあげると、三橋が胸元で小さく手を振って微笑み返す。
 これでいい。これだけでいい。
「せめてカツカレーと肉うどんと野菜サラダを食わせてくれてもよかったよな」
 ぶつぶついいながらビリーがハンドルを操る。
 俺はリアウインドーごしに、遠ざかる西浦の校舎をいつまでも眺めていた。